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「海の細道」の名付け親長谷川櫂さんによると、「海の細道」の源流は琵琶湖湖南。<br /><br />そこは芭蕉がこよなく愛した土地で、芭蕉は今も故郷の加賀上野でなく琵琶湖湖南の義仲寺に眠っている。<br /><br />*参考;<br />奥の細道を訪ねて付録・芭蕉が愛し、永眠する琵琶湖湖南エリア06芭蕉永眠の地・義仲寺<br />http://4travel.jp/travelogue/10820364<br /><br />芭蕉の亡骸を大阪から運んだ琵琶湖の水は、京都への新たな疎水路が明治18年に完成し、京都の街一変させ、現在の京都を形成した。<br /><br />*参考;<br />5;京都寸描;5−4;琵琶湖疎水路伝いに南禅寺へ<br />http://4travel.jp/travelogue/11078631<br /><br />元禄4年(1691年)8月、芭蕉は同じ伊賀上野生まれの弟子天野桃隣を伴い江戸に旅立つが、これが最後の江戸滞在となる。<br /><br />3年後の元禄7年(1693年)江戸を発ち伊賀上野に戻るが、この時伴ったのは桃隣でなく寿貞の子二郎兵衛であった。<br /><br />芭蕉が江戸を発つに際し、桃隣も参加した永久の別れとなる餞別句会が行われ、その際芭蕉が西国の旅への意中を披露したのではなかろうか。<br /><br /><br />「海の細道」で櫂さんが引用されている、桃隣の記述の(芭蕉の)西国行脚の夢は、尾花沢市歴史文化専門員 梅津保一氏も引用されている。<br />http://basho-okunohosomichi.net/23SaigokuAngyanoYume.html<br /><br /> 「又戌(いぬ)五月八日、此度は西国にわたり長崎にしばし足をとめて、<br /> 唐土舟の往来を見つ、聞馴(ききなれ)ぬ人の詞も聞(きか)ん」<br /><br />”又戌(いぬ)”は大安のことで、”五月八日”は芭蕉が最後の江戸を発った日の日付けである。<br /><br />芭蕉は最後の江戸へ発つ一月前、京都から伊賀上野に帰り、無名庵で路通、丈草、支考らと月見の会を催しており、その際に支考は芭蕉の西国行脚の夢を耳にしたのかもしれない。<br /><br />芭蕉逝去3年後、桃隣は芭蕉の足跡を追って東北へ向かい、芭蕉の西国行脚の夢を追ったのは蕉門十哲の一人であり、芭蕉の遺書を代筆したと云う各務支考であった。<br /><br />傘寿旅行・海の細道周遊旅情2,「海の細道」序 目次<br /><br />2,-1芭蕉はここで長崎への旅に火が点いた・落柿舎<br />2,-2「海の細道」の出港地・現大阪住吉公園<br />2,-3芭蕉が光源氏が見た月を偲び訪れた須磨・現光寺<br />2,-4芭蕉が訪れた最西端の町・明石<br /><br /><br />2016冬家族旅行プラス傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情 (目次)に戻る<br />http://4travel.jp/travelogue/11100593<br /><br />

傘寿旅行・海の細道周遊旅情2,「海の細道」序 (目次)

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2016/01/21 - 2016/01/21

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WT信

WT信さん

「海の細道」の名付け親長谷川櫂さんによると、「海の細道」の源流は琵琶湖湖南。

そこは芭蕉がこよなく愛した土地で、芭蕉は今も故郷の加賀上野でなく琵琶湖湖南の義仲寺に眠っている。

*参考;
奥の細道を訪ねて付録・芭蕉が愛し、永眠する琵琶湖湖南エリア06芭蕉永眠の地・義仲寺
http://4travel.jp/travelogue/10820364

芭蕉の亡骸を大阪から運んだ琵琶湖の水は、京都への新たな疎水路が明治18年に完成し、京都の街一変させ、現在の京都を形成した。

*参考;
5;京都寸描;5−4;琵琶湖疎水路伝いに南禅寺へ
http://4travel.jp/travelogue/11078631

元禄4年(1691年)8月、芭蕉は同じ伊賀上野生まれの弟子天野桃隣を伴い江戸に旅立つが、これが最後の江戸滞在となる。

3年後の元禄7年(1693年)江戸を発ち伊賀上野に戻るが、この時伴ったのは桃隣でなく寿貞の子二郎兵衛であった。

芭蕉が江戸を発つに際し、桃隣も参加した永久の別れとなる餞別句会が行われ、その際芭蕉が西国の旅への意中を披露したのではなかろうか。


「海の細道」で櫂さんが引用されている、桃隣の記述の(芭蕉の)西国行脚の夢は、尾花沢市歴史文化専門員 梅津保一氏も引用されている。
http://basho-okunohosomichi.net/23SaigokuAngyanoYume.html

 「又戌(いぬ)五月八日、此度は西国にわたり長崎にしばし足をとめて、
 唐土舟の往来を見つ、聞馴(ききなれ)ぬ人の詞も聞(きか)ん」

”又戌(いぬ)”は大安のことで、”五月八日”は芭蕉が最後の江戸を発った日の日付けである。

芭蕉は最後の江戸へ発つ一月前、京都から伊賀上野に帰り、無名庵で路通、丈草、支考らと月見の会を催しており、その際に支考は芭蕉の西国行脚の夢を耳にしたのかもしれない。

芭蕉逝去3年後、桃隣は芭蕉の足跡を追って東北へ向かい、芭蕉の西国行脚の夢を追ったのは蕉門十哲の一人であり、芭蕉の遺書を代筆したと云う各務支考であった。

傘寿旅行・海の細道周遊旅情2,「海の細道」序 目次

2,-1芭蕉はここで長崎への旅に火が点いた・落柿舎
2,-2「海の細道」の出港地・現大阪住吉公園
2,-3芭蕉が光源氏が見た月を偲び訪れた須磨・現光寺
2,-4芭蕉が訪れた最西端の町・明石


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同行者
家族旅行
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 2,-1芭蕉はここで長崎への旅に火が点いた・落柿舎<br /><br />”落柿舎”は京都の嵯峨野にある。<br /><br />”落柿舎”の主は芭蕉の一番弟子の去来。<br /><br />ここは芭蕉はもとより、芭蕉とその弟子たちの溜り場でもあった。<br /><br />櫂さんの「海の細道」に依ると、去来は長崎の儒学者の子として生まれ、京都に来るまでの少年期までは長崎で、青年時代の一時期を福岡で過ごしている。<br /><br />去来の九州の話が芭蕉の心に西国行脚の夢を育ませたに違いない。<br /><br />とは云え西国行脚の夢を芭蕉自身が記述した資料は見当たらない。<br /><br />しかし去来は芭蕉の志を充分承知していたはずである。<br /><br />櫂さんは芭蕉の奥の細道での曽良の様に、芭蕉の西国の旅は去来程相応しい人物はいないと書いておられる。<br /><br /><br />落柿舎の詳細は下記をご覧ください<br />http://4travel.jp/travelogue/10875801

    2,-1芭蕉はここで長崎への旅に火が点いた・落柿舎

    ”落柿舎”は京都の嵯峨野にある。

    ”落柿舎”の主は芭蕉の一番弟子の去来。

    ここは芭蕉はもとより、芭蕉とその弟子たちの溜り場でもあった。

    櫂さんの「海の細道」に依ると、去来は長崎の儒学者の子として生まれ、京都に来るまでの少年期までは長崎で、青年時代の一時期を福岡で過ごしている。

    去来の九州の話が芭蕉の心に西国行脚の夢を育ませたに違いない。

    とは云え西国行脚の夢を芭蕉自身が記述した資料は見当たらない。

    しかし去来は芭蕉の志を充分承知していたはずである。

    櫂さんは芭蕉の奥の細道での曽良の様に、芭蕉の西国の旅は去来程相応しい人物はいないと書いておられる。


    落柿舎の詳細は下記をご覧ください
    http://4travel.jp/travelogue/10875801

  • 2,-2「海の細道」の出港地・現大阪住吉公園<br />江戸から帰国後の芭蕉は伊賀上野、湖南、京都を忙しく往来した後,元禄7年9月8日、去来ではなく、支考と二郎兵衛を伴い大阪へ向かう。<br /><br />主たる要件は反目しあう門弟、之道と酒堂の仲を取り持つ為であった。<br /><br />芭蕉が大阪を目指したその足で西国の旅に出かける積りであったかどうかは不明。<br /><br />しかし「海の細道」の櫂さんのも、「梟日記」の支考も、大阪から西国へ舟で出発する。<br /><br />現在は南海本線住吉大社駅を挟んで、東が住吉大社境内、西は住吉公園と別れているが、住吉公園の中央を東西に走る道が「潮掛け道」と云う旧住吉大社の参道。<br /><br />江戸の頃、現在の国道26号線と並行して更に西に南北に走る、阪神高速15号線辺りまで海岸線が広がっていたらしい。<br /><br />港もこの辺りにあったろう。<br /><br />現在は更に西に大阪南港フェリーターミナルがある。<br /><br />記憶が定かでないが、10数年前ここから”フェリーさんふらわー”で別府へ渡った。<br /><br />記憶が定かでないのは夜行便だったからかも知れない。<br /><br />2007年夏、改めて大阪南港から船に乗った。<br /><br />別府までの船ではないが、恒例の家族旅行で、瀬戸内海を航行する船が必ず目にするであろう”小豆島”がその目的地。<br /><br />この時は朝大阪南港から出航し、神戸港に立ち寄り、明石海峡大橋を潜って、4時間半掛けて小豆島の坂出港に着いた。<br /><br />当時は全く芭蕉に関心が無く記憶にないが、須磨沿岸も、一の谷を見下ろす鉢伏山も、明石も船上から眺めたであろう。<br /><br />*参考<br />小豆島と相生の万葉岬<br />http://4travel.jp/travelogue/10176311<br /><br />住吉公園の詳細は下記をご覧ください<br />http://4travel.jp/travelogue/10876921<br /><br /><br /><br /><br />

    2,-2「海の細道」の出港地・現大阪住吉公園
    江戸から帰国後の芭蕉は伊賀上野、湖南、京都を忙しく往来した後,元禄7年9月8日、去来ではなく、支考と二郎兵衛を伴い大阪へ向かう。

    主たる要件は反目しあう門弟、之道と酒堂の仲を取り持つ為であった。

    芭蕉が大阪を目指したその足で西国の旅に出かける積りであったかどうかは不明。

    しかし「海の細道」の櫂さんのも、「梟日記」の支考も、大阪から西国へ舟で出発する。

    現在は南海本線住吉大社駅を挟んで、東が住吉大社境内、西は住吉公園と別れているが、住吉公園の中央を東西に走る道が「潮掛け道」と云う旧住吉大社の参道。

    江戸の頃、現在の国道26号線と並行して更に西に南北に走る、阪神高速15号線辺りまで海岸線が広がっていたらしい。

    港もこの辺りにあったろう。

    現在は更に西に大阪南港フェリーターミナルがある。

    記憶が定かでないが、10数年前ここから”フェリーさんふらわー”で別府へ渡った。

    記憶が定かでないのは夜行便だったからかも知れない。

    2007年夏、改めて大阪南港から船に乗った。

    別府までの船ではないが、恒例の家族旅行で、瀬戸内海を航行する船が必ず目にするであろう”小豆島”がその目的地。

    この時は朝大阪南港から出航し、神戸港に立ち寄り、明石海峡大橋を潜って、4時間半掛けて小豆島の坂出港に着いた。

    当時は全く芭蕉に関心が無く記憶にないが、須磨沿岸も、一の谷を見下ろす鉢伏山も、明石も船上から眺めたであろう。

    *参考
    小豆島と相生の万葉岬
    http://4travel.jp/travelogue/10176311

    住吉公園の詳細は下記をご覧ください
    http://4travel.jp/travelogue/10876921




  • 2,-3芭蕉が光源氏が見た月を偲び訪れた須磨・現光寺<br /><br />芭蕉は貞享4年(1687年・奥の細道出発2年前)江戸を出発し、名古屋の鳴海から兵庫の明石まで、翌年の4月までの約半年間旅をする。<br /><br />これを門弟河井乙州が「笈の小文(おいのこぶみ)」と云う名の紀行文として出版した。<br /><br />現光寺はこの旅での芭蕉の最後の宿。<br /><br />目的は光源氏が須磨で見た月を、同じ須磨で眺めたい一心からであった。<br /><br />芭蕉がここを訪れた時期は4月。<br /><br />朧月夜は眺めたが、やはり月は秋の月でないのが不満だったらしい。<br /><br />  月はあれど 留守のやう也須磨の夏  芭蕉<br /> <br />  月見ても 物たらはずや須磨の夏   芭蕉<br /><br />芭蕉は現光寺に程近い須磨寺も訪れ、源平合戦にも思いを馳せている。<br />  <br />  須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇   芭蕉<br /><br />現光寺の詳細は下記をご覧ください<br />http://4travel.jp/travelogue/10745987<br />

    2,-3芭蕉が光源氏が見た月を偲び訪れた須磨・現光寺

    芭蕉は貞享4年(1687年・奥の細道出発2年前)江戸を出発し、名古屋の鳴海から兵庫の明石まで、翌年の4月までの約半年間旅をする。

    これを門弟河井乙州が「笈の小文(おいのこぶみ)」と云う名の紀行文として出版した。

    現光寺はこの旅での芭蕉の最後の宿。

    目的は光源氏が須磨で見た月を、同じ須磨で眺めたい一心からであった。

    芭蕉がここを訪れた時期は4月。

    朧月夜は眺めたが、やはり月は秋の月でないのが不満だったらしい。

      月はあれど 留守のやう也須磨の夏  芭蕉
     
      月見ても 物たらはずや須磨の夏   芭蕉

    芭蕉は現光寺に程近い須磨寺も訪れ、源平合戦にも思いを馳せている。
      
      須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇   芭蕉

    現光寺の詳細は下記をご覧ください
    http://4travel.jp/travelogue/10745987

  • 2,-4芭蕉が訪れた最西端の町・明石<br /><br />明石は芭蕉が”笈の小文”の旅で訪れた須磨に隣接する地で、芭蕉が実際に訪れた最西端のところ。<br /><br />  蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石  芭蕉<br /><br />蝸牛の様にゆっくり歩いても須磨から明石は直ぐの所だよ・・<br /><br />それだけに芭蕉は須磨で眺めた、敗れた平家の公達への思いを引きずっていたのであろうか。  <br /><br />   蛸壺や はかなき夢を夏の月  芭蕉<br /><br /><br />明石の詳細は下記をご覧ください<br />http://4travel.jp/travelogue/10745755

    2,-4芭蕉が訪れた最西端の町・明石

    明石は芭蕉が”笈の小文”の旅で訪れた須磨に隣接する地で、芭蕉が実際に訪れた最西端のところ。

      蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石  芭蕉

    蝸牛の様にゆっくり歩いても須磨から明石は直ぐの所だよ・・

    それだけに芭蕉は須磨で眺めた、敗れた平家の公達への思いを引きずっていたのであろうか。  

       蛸壺や はかなき夢を夏の月  芭蕉


    明石の詳細は下記をご覧ください
    http://4travel.jp/travelogue/10745755

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