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 大磯町と総理大臣といえば、何といっても吉田茂首相が知られているが、大磯町は「8人の総理が愛した町」である。大磯町には過去、8人の総理大臣が居を構えていた。伊藤博文を始め、山縣有朋、大隈重信、西園寺公望、寺内正毅、原敬、加藤高明、吉田茂の8人である。<br /> しかし、「大磯観光ガイドマップ〜歴史と味の散歩路〜」には「貴顕紳士の別荘は高麗山麓に散在せり。」と明治31年(1898年)発行の時刻表「汽車汽船旅行案内」にある大磯の紹介文を載せ、「この頃になると、伊藤博文公をはじめとする政界財界等各界の名士の邸宅が建ち並び、その数は150戸にも及んだと言われています。」とある。正しくは「別荘」(←邸宅)、「150邸」(←150戸)であろうか?<br /> 他には、「旧吉田茂邸地区」、「吉田茂元首相」の記載があるだけである。しかし、「大磯観光ガイドマップ」に記載された「○×邸」や「旧○△邸」、「旧○△邸跡」を調べていくとこれら8人の歴代総理大臣の別荘や邸宅があるというのだろう。あるいは、財界関係では「旧三井家当主別荘跡地」、「旧三井邸城山荘」の記載があるが、マップには「旧岩崎邸」などもあるから、三菱財閥の別荘も存在したのだろう。あるいは、中心部分を始め大部分が平塚市内にある「湘南平」を写真付で紹介しているが、あたかも中心部分を始め大部分が大磯町内にある「高麗山」と同列に紹介しているのは町役場の職員の意識がおかしいからであろう?大磯町役場が関わる「大磯観光ガイドマップ」はこの程度のできではあるが、町内には「大磯」を「8人の総理が愛した町」と紹介する古びたポスターが貼ってあった。こうした大磯町に縁の深い8人の歴代総理大臣を紹介するホ−ムページも必要であろう。<br /><br /> 「湘南の奥座敷 大磯町の観光情報サイト isotabi.com−イソタビドットコム−」に「明治政界の奥座敷」がありました。(http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/miryoku/meijiseikai.html)<br /> これには大磯町の別荘地としての始まりから衰退までが詳しく記載されています。良く纏まってはいるが、1点、明治44年(1911年)に「安田善次郎邸」、大正6年(1917年)にも「安田善次郎 ( 安田財閥 ) 」との記載があり、重複して記載があるのは校正がなされていないところもあるようだ。実態は、明治22年(1889年)に浅野総一郎(浅野財閥創設者)の別荘が営まれ、明治44年に安田善次郎氏(安田財閥創始者、日比谷公会堂や東京大学安田講堂の創建で知られる)が譲り受けたが、その後に焼失し、大正6年に安田善次郎別邸(寿楽庵)として建物が建てられたということのようだ。<br />(表紙写真は「大磯−8人の総理が愛した町」ポスター)

大磯町と歴代総理大臣

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2015/09/30 - 2015/09/30

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 大磯町と総理大臣といえば、何といっても吉田茂首相が知られているが、大磯町は「8人の総理が愛した町」である。大磯町には過去、8人の総理大臣が居を構えていた。伊藤博文を始め、山縣有朋、大隈重信、西園寺公望、寺内正毅、原敬、加藤高明、吉田茂の8人である。
 しかし、「大磯観光ガイドマップ〜歴史と味の散歩路〜」には「貴顕紳士の別荘は高麗山麓に散在せり。」と明治31年(1898年)発行の時刻表「汽車汽船旅行案内」にある大磯の紹介文を載せ、「この頃になると、伊藤博文公をはじめとする政界財界等各界の名士の邸宅が建ち並び、その数は150戸にも及んだと言われています。」とある。正しくは「別荘」(←邸宅)、「150邸」(←150戸)であろうか?
 他には、「旧吉田茂邸地区」、「吉田茂元首相」の記載があるだけである。しかし、「大磯観光ガイドマップ」に記載された「○×邸」や「旧○△邸」、「旧○△邸跡」を調べていくとこれら8人の歴代総理大臣の別荘や邸宅があるというのだろう。あるいは、財界関係では「旧三井家当主別荘跡地」、「旧三井邸城山荘」の記載があるが、マップには「旧岩崎邸」などもあるから、三菱財閥の別荘も存在したのだろう。あるいは、中心部分を始め大部分が平塚市内にある「湘南平」を写真付で紹介しているが、あたかも中心部分を始め大部分が大磯町内にある「高麗山」と同列に紹介しているのは町役場の職員の意識がおかしいからであろう?大磯町役場が関わる「大磯観光ガイドマップ」はこの程度のできではあるが、町内には「大磯」を「8人の総理が愛した町」と紹介する古びたポスターが貼ってあった。こうした大磯町に縁の深い8人の歴代総理大臣を紹介するホ−ムページも必要であろう。

 「湘南の奥座敷 大磯町の観光情報サイト isotabi.com−イソタビドットコム−」に「明治政界の奥座敷」がありました。(http://www.town.oiso.kanagawa.jp/isotabi/miryoku/meijiseikai.html
 これには大磯町の別荘地としての始まりから衰退までが詳しく記載されています。良く纏まってはいるが、1点、明治44年(1911年)に「安田善次郎邸」、大正6年(1917年)にも「安田善次郎 ( 安田財閥 ) 」との記載があり、重複して記載があるのは校正がなされていないところもあるようだ。実態は、明治22年(1889年)に浅野総一郎(浅野財閥創設者)の別荘が営まれ、明治44年に安田善次郎氏(安田財閥創始者、日比谷公会堂や東京大学安田講堂の創建で知られる)が譲り受けたが、その後に焼失し、大正6年に安田善次郎別邸(寿楽庵)として建物が建てられたということのようだ。
(表紙写真は「大磯−8人の総理が愛した町」ポスター)

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  • 「大磯−8人の総理が愛した町」ポスター。

    「大磯−8人の総理が愛した町」ポスター。

  • 「原敬大磯別荘跡地」看板。<br /><br />他にもこうした看板が設置されているのであろうか?<br /><br />Webで調べていると、大磯井上蒲鉾店のホームページに「旧安田別邸は朝の総一郎」(http://oiso-inoue.com/yasuda.html)との記載があるが、これでは蒲鉾の味にも疑問が湧こうか?

    「原敬大磯別荘跡地」看板。

    他にもこうした看板が設置されているのであろうか?

    Webで調べていると、大磯井上蒲鉾店のホームページに「旧安田別邸は朝の総一郎」(http://oiso-inoue.com/yasuda.html)との記載があるが、これでは蒲鉾の味にも疑問が湧こうか?

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