2015/05/12 - 2015/05/12
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junemayさん
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2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ローマで残された時間はあとわずか。どこに行こうか考えている時間も勿体ないので、まずはカラヴァッジョとラファエロを見に、サンタゴスティーノ教会に戻ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ナヴォナ広場からサンタゴスティーノ教会へと戻ってまいりました。ぱっと見ただけで、フィレンツェを感じさせるようなルネッサンス様式のファサードです。なぜか懐かしい・・・
ヒッポのアウグスティヌスとその母モニカに捧げられているサンタゴスティーノ教会の歴史は古く、13世紀に遡ります。以来ずっとアウグスティノ修道院が併設されています。アウグスティヌスが生まれたのは354年のこと。ヒッポというのは、カバのことではなく、当時アフリカにおいては、カルタゴに次ぐ都会だった場所(現在はアンナバ)で、アウグスティヌスが亡くなった場所の名前だそうです。彼はローマでキリスト教に改宗し、アフリカに戻って、修道院生活を送りながら、多くの本を執筆しました。アウグスティノ修道院は、彼の定めた会則が礎となっています。
1296年から教会の建設が始められ、完成したのは1484年のことでした。外壁のトラバーチンは、コロッセオから運んできた物だそうです。久しぶりに再利用の建物見ましたね。 -
上の写真は、ナヴォナ広場に行く前に撮ったもの。長いお昼休みは流石に終わっていて、中央の扉が開いていました。さあまたカラヴァッジョに会えますよ!
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身廊です。1998年から2000年にかけて修復がなされているので、想像したものよりずっとモダンな雰囲気でした。奥行きが長く、なんと61.4mもあるそうです。三廊式で、左右6本ずつのアーチによって、身廊と側廊が分けられています。
アーケードの上の壁には、聖母の生涯から12の場面が、アーチの柱には預言者達がフレスコで描かれています。今見たら、素敵な説教壇が右側にありますが、全く気が付かずに出てきたようです。何せカラヴァッジョ! カラヴァッジョ! -
ということで、とりあえずカラヴァッジョです。通常、主祭壇に向かって右側からサイド・チャペル巡りに出かけるのですが、この礼拝堂は向かって左側の一番手前(入り口側)にありました。何故か足が勝手に動いて、強い力で引きつけられてしまいましたよ。
ロレートの聖母の礼拝堂(カヴァレッティ家礼拝堂)です。ロレートについては、前に真実の口で有名なサンタ・マリア・イン・コスメディン教会にあった同名の礼拝堂を訪れた際に書いています。
http://4travel.jp/travelogue/11030004
ロレートはイタリアマルケ州にある町で、伝説によると、ナザレにあった「聖母マリアの家」はトルコ人による破壊を避けるため、1291年、天使たちによってダルマツィアのフィウメに運ばれ、3年後、またも奇跡によりレカナーティの近くの月桂樹の林Lauretum(ロレートの町の名はここから生まれた)に運ばれました。
ロレートはこの時以来巡礼地となり、多くの巡礼者がこの町にやってきました。カラヴァッジョの絵も、そうした巡礼者の夫婦(右)と、幼子を見せる聖母の姿を描いています。1604年〜16405年の作品。 -
聖母が幼子のキリスト(育ち過ぎの巨大児ですねえ)を抱いて立っているのは、みすぼらしい漆喰がはがれた家の前。これが、ナザレから天使達によって運ばれた家なのでしょうか? 年老いた巡礼者は裸足で、足裏は泥で汚れています。こちらはたった今到着したばかりなのでしょう。男性の表情はわざとなのか、光が当たって分かりませんが、横の女性のキリリとした、それでいて歓喜に満ちた横顔が、この場の状況全てを物語っているように思います。
聖母は、カラヴァッジョがひいきにしていた娼婦の一人で、彼の他の絵にも登場している「レナ」ことマッダレーナ・アントニィエッティがモデルであるというのが通説です。これが露見して、この絵は当時大騒動を引き起こしたと言われています。 -
世の中のうるさい連中が批判したのは、聖母が貧しい身なりをしている。しかも裸足! 薄汚れた家屋!
しかし、それだからこそ、ぐっとかしげた首、つま先立ちをしたそのポーズが、彼女の神々しさを一層強調しているように私には思えました。たくさんのドラマがぎゅ〜と凝縮されている、いつまで見ていても見飽きない絵です。
加えて光と影のマジック! 今回も完全に降参です。参りました。 -
ヴォールトには、聖母戴冠を中心に左右上下に、受胎告知とキリスト生誕、天使達等がフレスコで描かれていました。こちらは17世紀の作品です。
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側廊のヴォールトは星空を思わせる深い青で、雲に浮かんだ聖人達や天使達が描かれています。午前中に訪れたサンタ・マリア・デル・ポポロ教会のヴォールトにも似ていますね。
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前述のように、身廊にあるアーチの柱には、預言者の姿がフレスコで描かれていますが、主祭壇に向かって3本目の柱は、とくに注目に値する柱です。
見る者をハッとさせるような迫力ある預言者イザアを描いたのはラファエロ。1512年、ルクセンブルグ出身の学者でローマ教皇の秘書をしていたヨハネス・ゴリッツの葬送モニュメントの一部として描かれたもので、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂天井のミケランジェロの作品から強い影響を受けたと言われています。特に筋肉もりもりの部分などは、それまでのラファエロのイメージと異なっています。 -
イザヤの上にあるギリシャ語の碑文には、「聖母の母聖アンナ、神の母聖母(マリア)、救い主キリスト、ヨハネス・コリシウス(ヤヌス・コリシウスはゴリッツのペンネーム)へ」と、また、イザヤが持っている巻紙には、ヘブライ語で「扉を開けなさい。信じる者は入ってくる。」と書かれているそうです。
ああ〜 なんてどへたな写真なんでしょうね! 写真の色は参考になりませんが、実物はラファエロらしい優しい色遣いだと思いました。
実は、フレスコは何度も修復されていて、その都度塗り直しが行われてきたのですが、1960年に、ラファエロ調に戻されたのだそうです。結果、ラファエロの絵を知り抜いている人が彼のタッチを真似て彼らしく描いたという作品になっていました。 -
預言者イザヤの下には、ヨハネス・ゴリッツの守護聖人である聖アンナに捧げる祭壇が作られていました。聖アンナと聖母子の像を作ったのはアンドレア・サンソヴィーノ。二人(いや正確には三人)の像は同じ一つの大理石の塊から作られているんですって。同じく1512年の作品です。
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ゴリッツは、毎年7月26日の聖アンナの日に、友人たちとその奥方を招いて文学の夕べを開き、この像の前で、詩を朗読するのを習わしとしていたそうです。その頃には、像の前に祭壇があったのでしょうね。
聖母の髪型が非常に高貴で優雅な印象を与えています。先ほど見たカラヴァッジョとは全く異なるタイプのマリア様ですね。 -
ご馳走が立て続けに出て、もうこれで帰ると言う人も沢山いそうですが、欲張りの私は「折角なので」と、ついつい長居をしてしまいます。
まずはいつもの順番で、主祭壇に向かって右側の礼拝堂に向かいます。この教会のサイド・チャペルはなんと15もあるので、気にいった場所だけにしようっと。
最初はアレキサンドリアの聖カタリナの礼拝堂です。珍しく、祭壇画はフレスコではなく油絵です。「聖カタリナの戴冠」はマルチェロ・ヴェヌスティの16世紀の作品。
ヴォールトにある3枚のトンドの中の人物は皆アラブ風の衣服をまとっていますね。これも寓話像かな? -
続いてはキリストの養父聖ヨセフの礼拝堂ですが、祭壇画は聖母が中心でした。もしかして、彼女の脇にいるのが聖ヨセフでしょうか?
祭壇画には「バラの聖母」が描かれています。オリジナルはロレートにあったラファエロ作だそうですが、これはオリジナルとは全く異なったアヴァンツィーノ・ヌッチの作品。コピーと書いてありましたが、間違いなのではないかしら・・・
白い布団に並べられたバラの花が効果的です。無邪気に遊ぶ母と幼子の情景がほのぼのとしていて好感を持ちました。
ヴォールトには、トンドの中に、聖母の生涯からのフレスコが描かれていました。中央の「受胎告知」は、今までで一番ふくよかなマリア様でした。 -
3番目の礼拝堂は、カシャの聖リタの礼拝堂です。この人についても、以前どこかで書いた記憶・・・アウグスティノ修道女の彼女は、とても人気のある聖人なのだそうですよ。いつも黒い修道女の服装に身を包んで描かれる彼女は、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者としてその半生を過ごしたので、望みなき者の守護聖人、そして病人、未亡人、孤独な人の保護者でもあります。
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4番目の礼拝堂は聖ピエトロに捧げられています。祭壇の像は、キリストが聖ピエトロに天国の鍵を手渡している場面です。1569年、ジョヴァンニ・バッティスタ・コティノーラの作品。
祭壇上のペディメントの部分には、プット達に取り囲まれた「天上の父」の姿が見えます。この部分は古く、木に蝋を塗って張り合わせたものだそうです。16世紀初めのピントゥリッキオの弟子による作品と言われています。 -
5番目の礼拝堂は少し雰囲気が異なります。ベルニーニの設計と言われていますが、言われてみれば、そういう雰囲気ですよね。祭壇左右の大理石の紋様が大変豪華です。
15世紀の磔像は、ドイツ人の木工作家の作品で、彼が毎日教会に来て、祈りを捧げていた聖フィリッポ・ネリのために作ったものだそうです。 -
右翼廊に近い聖アウグスティヌスの礼拝堂です。とっても豪華で贅沢な装飾。なにせ、黒の素晴らしい大理石の柱が左右2本ずつ。主祭壇と見まがうようです。聖アウグスティヌスに捧げられた教会なので、当たり前かもしれません。
グエルチーノの描いた祭壇画の中で、聖アウグスティヌスは、洗礼者聖ヨハネとテーベの聖パオロ(隠者)と一緒にいます。祭壇に光が当たって、これではよくわからないですね。
アーチとヴォールトの金メッキされたスタッコは18世紀に加えられたもので、寓話像の女性を彫ったレリーフが大変綺麗です。 -
ここにあるフレスコ画は、全てグエルチーノの弟子たちの作品だそうです。祭壇の3人は、こちらの方向から撮った方がはっきりとわかりますね。左から、洗礼者聖ヨハネ、聖アウグスティヌス、テーベの聖パオロです。
祭壇左右のフレスコ画は、聖アウグスティヌスの生涯からの逸話を題材にしたもので、右の作品は、「異端者を引き下ろす聖アウグスティヌス」ジョヴァンニ・ランフランコの作品です。 -
主祭壇の右側は、広い翼廊になっています。ここにあったのは、トレンティーノの聖ニコラウスの礼拝堂です。サンタ・クロースのモデルと言われるバーリのニコラウスと区別するため、このように呼ばれています。
この人は百合の花と共に描かれることが多いらしく、祭壇の絵にも右手にしっかりユリの花束を掲げています。
唐突ですが、昨年一人どうしても誰だかわからなかった、フィレンツェのサン・マルコ教会のフレスコの正体がわかったかも・・・ -
この人です。トレンティーノの聖ニコラウスは丸顔なのが特徴で、他の彼の肖像画を見ているうちに、はたっと気が付きました。こういう発見がたまらなく面白いです! (って全くもって確証はありませんので、間違っていたらお許しください。この教会併設はアウグスティノ修道院だし、サンマルコはドメニコ会…自信なし・・・)
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聖域右の聖モニカ 聖アウグスティヌスの母の礼拝堂です。ここには、テヴェレ川河口部のティレニア海沿いにあって、古代ローマ時代に栄えた港町オスティアで亡くなった彼女の墓もあります。
オリジナルの祠は、イザヤ・ダ・ピサにより1455年に作られたと言われており、彼女の聖遺物はその時、オスティアの大聖堂からこちらに移されたようです。残念ながら、オリジナルは18世紀の修復の際に破壊され、残っていません。
祭壇画は、中央の聖母を、聖アウグスティヌスと聖モニカが囲んでいる場面。1765年のジョヴァンニ・ゴタルディの作品で、Madonna della cintutura「ベルトのマドンナ」と呼ばれています。写した写真が小さすぎて、ベルトがどんなものか、よくわかりません。 -
聖モニカの礼拝堂の天井は、大変美しいフレスコ画で覆われていました。ジョヴァンニ・バッティスタ・ダ・ノヴァラによるもので、聖モニカの生涯からの場面が描かれています。
北アフリカのキリスト教徒の家に育った彼女は、異教徒の夫と結婚し、アウグスティヌスの他に2人の子供を産みました。素行の悪かったアウグスティヌスを追いかけて渡ったミラノで二人は司教聖アンブローズに出逢い、それが後に息子アウグスティヌスの改心に決定的な影響を与えます。聖モニカは生まれ故郷アフリカに帰る途中、オスティアの港で亡くなったとのことです。 -
ようやく主祭壇にやってまいりました。聖アウグスティヌスに捧げる教会でありながら、こちらの教会も主祭壇の祭壇画はアウグスティヌスではなく、聖母子です。1628年に献堂されて以来祀られているイコンは、聖母子を描いたもので、聖ルカが描いたとされているビザンティン様式のものです。
このイコンは、1453年にコンスタンティノープルのアヤソフィアからここに移されたと言われています。
先ほど訪れた聖アウグスティヌスの礼拝堂と同じ、黒い高価な大理石の円柱が左右に2本ずつ並んでいます。コリント式の柱頭は大変凝ったデザインです。ペディメントの上には天使の姿も見えますね。主祭壇の設計はベルニーニの素描に基づいたと言われていますが、オラツィオ・トゥッリアニが担当。天使はジュリアーノ・フィネッリが制作しました。 -
あまりきれいに撮れていませんが、っていうか、ぶれていますが、こちらが聖ルカが描いたとされる、ビザンティン様式のイコンです。
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主祭壇の上、後陣奥にあったのは、異端者を倒す聖アウグスティヌスを描いたステンドグラスです。異端ってそんなに悪いことなの? と異端者は思ってしまいますね・・・
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珍しく床登場。聖域近くにあったのですが、これはどなたの紋章でしょう? 床を大々的にリフォームしたのは1870年頃と言われているので、その時代のものかもしれません。残念ながら、だいぶ傷んでいます。
中央の鳥はカラス君? -
主祭壇のある聖域から左翼廊に移ります。こちらは、スペイン出身の聖人ヴィラノーヴァの聖トマソの礼拝堂です。
スペインヴァレンシアの司教になる前、聖トマソはアウグスティノ修道院の修道僧でした。祭壇の素晴らしい彫像は、聖トマソが貧しい人々のために施しを与える場面が描かれています。彼は、収入の大半をこうして分け与えてしまうことで有名だったそうです。 -
祭壇の彫像は、メルキオッレ・カファとエルコーレ・フェラッタの制作です。フェラッタの作品は、ナヴォナ広場のサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会で見たばかりですね。カファとフェラッタは二人ともベルニーニの影響を強く受けている彫刻家です。制作は1665年〜1667年。
祭壇左右のレリーフはいずれも聖トマソの生涯からのエピソードだそうですが、詳しい場面の説明がありませんでした。
左側は1760年頃のアンドレア・ベルゴンディの作品。聖人が癒している場面だということですが、倒れ掛かっている人の顔が鬼の形相をしています。 -
祭壇右側も、ベルゴンディです。そうそう、ベルゴンディと言えば、アヴェンティーノの丘の聖アレッシオに捧げる教会にあった、「アレッシオの帰還」を描いた階段付きの彫像を思い出しました。
http://4travel.jp/travelogue/11030004
いやあ、この三部作は迫力満点でした。サンタゴスティーノ教会。恐るべしです。 -
翼廊の聖トマソの礼拝堂の右隣りにあった小さな礼拝堂は、アウグスティノ修道士で、彼自身の名前がついた修道会の創始者でもある、マラヴァッレのグリェルモに捧げられています。全く知らない名前ですが、彼の作った修道会が後にアウグスティノ修道院に併合されたということが、ここに彼の礼拝堂が作られた理由の一つだと思います。
上は、聖トマソの礼拝堂のパトロンであるパンフィリ家出身の枢機卿ロレンツォ・インペリアーリの葬送モニュメント。1723年、ドメニコ・グイディによって作られました。サンタ・マリア・ヴィットリアで「聖ヨセフの夢」を作ったグイディ、三度登場です。
礼拝堂の前に説明書きがあったので、中を覗いてみましょう。 -
説明書きには、アウグスティヌスとマラヴァッレのグリェルモの強い信頼関係について書かれていました。入口の鉄格子越しに覗き込むと、あらあら! どなたか寝そべっていらっしゃいますよ。御くつろぎのところ申し訳ございません、覗いちゃいますよ。
1613年ブォンジョヴァンニ家から依頼を受けた、ジョヴァンニ・ランフランコが礼拝堂の装飾を担当しました。彼は3年がかりでほとんど一人で完成させています。彫像を除き、絵はランフランコの作品です。
祭壇画は、「アウグスティヌスとマラヴァッレのグリェルモのいる聖母戴冠」油絵です。 -
左の壁には、「聖母により癒される聖グリェルモ」1615年。3D画法を使っているかのように、皆浮かんで見えます。少し離れた場所には怪しい人影が・・・もう少しそばで見てみたかったです。
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右の壁には「三位一体の神秘を瞑想する聖アウグスティヌス」1615年。こちらもとても不思議な絵ですねえ。誰か説明してくれ〜!
と叫んでも、誰も来てくれないので、仕方ない。次行きます! -
こちらのモニュメント。どなたのかは存知ませんが、鏡で自分を見ている女性が左手で抱いているものは、なんと蛇! ちょっと驚いてしまいました。
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続いても全く当方知識のない、スペイン人のアウグスティノ修道士 サアグンのファン(1419年〜1479年)に捧げる礼拝堂です。
黒い修道服を着ているのが、ファン(イタリア語ジョヴァンニ)でしょう。彼は日常の社会的振る舞いについて、優れた説法をしたことで知られているそうです。 -
聖アポロニアの礼拝堂。
この方も初めて聞く聖人ですが、彼女は自分の歯のことで悩んでいる人々の守護聖人なのだそうです。悩んでいる人は大勢いそうですね。
ローマ帝国時代にアレクサンドリアで殉教したキリスト教徒で、アレキサンドリアのアポロニアとも呼ばれています。3世紀初頭の人で、歯を全部折られるか、抜かれるかといった拷問を受けたそうです。考えるだけでも身震いしますね。
この祭壇画にはありませんが、彼女は抜歯する器具(ペンチの様なもの)を持って描かれることが多いそうです。切り取られたおっぱいを持ってたり、抜歯道具を持ってたり、自分が焼かれた鉄板を持ってたり、どうかと思うのだけれど、日本人とは精神構造が違うんだなと痛感します。
祭壇画はジローラモ・ムツィアーノ。左右とヴォールトのフレスコは、ピエトロ・ダ・コルトーナの弟子フランチェスコ・ローサの作品です。 -
モンテファルコの聖キアラの礼拝堂。
ウンブリア州モンテファルコ出身のアウグスティノ修道女で、別名十字架の聖キアラとも呼ばれています。祭壇画にも、キリストの幻影と十字架が登場しています。絵はセバスティアーノ・コンカの1751年の作品です。 -
駆け足の礼拝堂巡りが終わって、次カウンターファサードに参りましょう。
ずらりと葬送モニュメントが並んでいますが、名前は控えてきませんでした。きちんとよくまとまっています。 -
注目したのは、左側にいる天使が持つ聖水盤。17世紀のもので、アントニオ・ラッギによるものです。
ローマのサンタンジェロ橋に立つ天使像の中にも、彼の作品「塔を持つ天使」がありますよ。これって前にも書きましたね。
http://4travel.jp/travelogue/11055819 -
こちらの天使の方が、もっと可愛い! 思わず近寄って激写!
足元には、Angelo Raphaeliと書かれていますが、もしかして、彼の名前はラファアエリでしょうか? -
サンタゴスティーノ教会の目玉はまだ残っていましたよ。
こちらは、カウンターファサードにある「石の聖母」あるいは「出産の聖母」として知られています。ジャコポ・サンソヴィーノ作。彼は聖アンナと聖母子の像を作ったアンドレア・サンソヴィーノに弟子入りして、自らの名字をサンソヴィーノに変えてしまったそうですが、師よりも有名になってしまった感があります。
首が長く、聖母の頭の形が、古代ローマの彫像のように見えるところから、サンソヴィーノが古典に影響され、芸術のパトロンであるユノーの女神の頭を真似て聖母を彫ったのではと話題になりました。少々高貴すぎるイメージですよね。
聖母の足は、無事な出産を願う多くの女性達に触られて、光っています。
聖母子の像の上には、短い碑文が書かれています。
「聖母よ 出産はあなたの栄光です」と。 -
聖アウグスティヌスの母聖モニカのカードです。アメリカ西海岸のサンタ・モニカは、彼女の名前から付けられました。スペイン人が初めて船で到着した日が彼女の記念日8月27日だったからだそうです。
ちなみに息子の聖アウグスティヌスにちなんで名づけられたフロリダ州のセイント・オーガスティンも、同じ理由から。初上陸の日が彼の記念日8月28日だったのだそう。 -
だあれもいない、カラヴァッジョをもう一度見て、お終いにしましょう。なんという贅沢! またしても独占してしまいました。
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サンタゴスティーノ教会に別れを告げます。教会が階段の上に建っているのは、テヴェレ川の洪水を心配して、盛り土した結果だそうです。
さあてと、今度はどこへ行きましょうか? 終着点はジェズ教会と決まっているので、とりあえず南下しましょう。 -
こういう祠を見つけるのが楽しみ。ローマの町は大きすぎて、横丁も限られているため、ヴェネツィアのように、路地でばったりという具合にはいきませんでした。
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やがて、先ほどもナヴォナ広場を探している時に遠くに見えた、サンタンドレア・デッラ・ヴァッレの前に出ました。
大きな教会です。「寄って行け!」という天の声が聞こえたので、ちらりと覗いて行くことにしました(嘘!)
ファサードをよく見ると、むむ・・・対称ではない雰囲気。よくよく見たら2階のファサード左隅にいる羽を立てている天使像が右隅にはいませんね。壊れちゃったのかしら???
後日調べたらこんなことがわかりましたよ。
天使像を作ったのは、エルコーレ・フェラッタ。一つ目の天使を作った時に酷評されたそうで、そのために二つ目を作るのを拒否したそうです。それで、ファサードは未完のままというわけです。こういう神経も私には理解できません。 -
教会の前にあるこちらの噴水は、ローマのほぼ中心に位置しています。1614年に教皇パオロ5世(ボルゲーゼ家出身)の命により、カルロ・マデルノが設計しました。上の丸い水盤は、ボルゲーゼ家の紋章 ドラゴンと鷲で装飾されています。
オリジナルの大理石は壊れてしまい、現在の下の水盤は、なんとセメント製なんですって。ローマで見た初めての?セメント聖の噴水です。 -
12使徒の一人、聖アンデレに捧げられた教会で、17世紀に宗教改革に対抗するために建てられた三つの説教教会のうちの一つです(あとの二つは、ジェズ教会と新教会)。聖アンデレ、イタリア語でアンドレアに捧げる教会は、クィリナーレの丘に、ベルニーニが作ったサンタンドレア・アル・クイリナーレ教会がありましたね。こちらの教会は、近くにヴァッレ宮があることからデッラ・ヴァッレと名付けられました。
http://4travel.jp/travelogue/11045688
内部は椅子が少なく、バロックの割には意外にもすっきりとした装飾で、気品に満ちた黄金色の世界でした。けばけばしくない、上品な黄金色です。
大きなアーチが左右に四つずつあり、各礼拝堂は巨大なコリント式の柱頭を持つ柱で仕切られています。 -
大きなかまぼこ型の天井の美しさに圧倒されました。こちらは、主祭壇と逆のカウンターファサード側を撮った1枚。
豪華絢爛の格間天井は、全部で12のパーツに分かれていて、それぞれに異なった絵が描かれています。
カウンターファサードには大きな教会のオルガン。その上の大きな窓の両側には、チェザーレ・カロセッリによる聖家族と受胎告知のフレスコが見えました。 -
天井を写す鏡があったので、それでカメラまで写しちゃったお馬鹿さんがいますよ。主要な絵は中央の4枚でしょうか?
写真だと上から、「エデンの園からアダムとイヴの追放」、「修道女オルソーラ・ベニンカーサへの聖母のヴィジョン」(ヴィルギニオ・モンティ作)、「無原罪の御宿りの教義の宣言」そして、「訪問」(サルヴァトーレ・ノビリ作)。
窓側のパネルには、12人の使徒と4人の福音記者達がシルヴィオ・ガリンベルティによって描かれています。
これらの絵は19世紀に入ってからのもので、ローマの教会としては非常に新しいと言えますが、絵の構成も新しい感覚のようです。アダムとイヴと無原罪の御宿りが隣り合わせの同じ場所に描かれているなんて、今まで見たことありませんでした。
一つ存じ上げない「修道女オルソーラ・ベニンカーサ」が気になったのですが、この人は、無原罪の御宿りの教義に基づいた修道会Theatinesの女子部を立ち上げた方なのだそうです。この教会に付属している修道会はそのTheatinesです。 -
鏡があるので、首は疲れないのだけれど、相変わらずどへたな写真が続きます。またしてもカメラが写っていますね(笑)。
この教会のドームはサン・ピエトロに次いで高いのだとか。ドーム内のフレスコ「天国の栄光への聖母被昇天」は、ジョヴァンニ・ランフランコの作品。1622年〜1625年。まるで自身が天国に昇っていくような気分にさせるドームだと説明書きには書かれていました。そうかなあ・・・ -
ドームの周りの垂れ下がった部分(Pendentives)には、四人の福音記者達の姿が描かれていますが、こちらはドメニキーノの作品。豪華な顔ぶれです。
写真の右側のアーチの部分のフレスコが、完全に消えちゃっているのが気になりました。またしても「片側のみ」ですよ。 -
主祭壇は、エディクラなしでとてもスッキリ。カルロ・フォンターナが設計しました。祭壇画は聖アンデレのX十字による劇的な殉教の場面のフレスコです。描いたのはカラブレーゼと言う愛称で呼ばれるマッティア・プレティ。
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「もうすぐ天国だからね」 と上の世界の住人総出でこの殉教を見守っています。アンドレの戴冠もじきですね。アンデレの顔にも全く迷いはありません。
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カメラの調子が悪く、見苦しい写真が続きます。実は、この辺りからカメラがいうことを聞かなくなり、1か月の旅行中ハラハラさせられ通しでした。
主祭壇の左側には、アンデレが十字架にかけられる場面(右側の絵です)。これも同じプレティの作品。絵の右奥には、神の偶像で飾られたローマの神殿が権威の象徴としてそびえています。 -
主祭壇右側は、アンデレの埋葬。こちらもプレティ作。見応えのある良い三部作となっていました。
右側の小さな絵に注目。絵の中で、枢機卿ベッサリオーネが手に持っているのは、アンデレの頭だそうですよ。カルロ・チニャーニの作品。 -
後陣の壁およびヴォールトの装飾は、アレッサンドロ・アルガルディが担当しました。嫌味のない程度に白い天使をちりばめています。本当に素敵な天井です。
ヴォールトのフレスコはこれまた素晴らしいドメニキーノの傑作集です。
写真一番上の中央は、「キリストを神の子羊と宣言した洗礼者聖ヨハネ」。その下左から、「アンデレの鞭打ち」、「ピエトロとパオロの呼び出し」、「自身の十字架を見るアンデレ」そして、真ん中の小さなU字型の部分が「アンデレの神格化」です。 -
サイド・チャペルは基本的には長方形にドームが付いた形ですが、その装飾は一つ一つ異なっていて、少しも飽きさせません。
身廊に面したサイド・チャペルを貴族階級用のメモリアル・チャペルとしたため、それぞれの家が競争して内装に取り組んだ結果だそうです。しかし、中には没落する貴族もいたために、礼拝堂の中にはメンテナンスのできていないものも見られます。先ほどの「消えたフレスコ」の謎も、この辺りにあるのかもしれません。
主祭壇向かって右側の最初のランチェロッティ礼拝堂で、つい先ほど行ったサンタゴスティーノ教会で注目したアントニオ・ラッギの作品に再会しました。祭壇のレリーフ「天使による聖家族のエジプトへの脱出の要請」です。
ベルニーニの弟子は、彼のスタイルを忠実に自分の作品の中で表現しています。右側の枢機卿マルツィオ・ギネッティの像もラッギの作品です。 -
右側二番目は、フィレンツェの名門ストロッツィ家の礼拝堂です。設計はジャコモ・デッラ・ポルタ。1616年の制作です。4本の円柱が距離を置いて並んだ、あまり他に類を見ない祭壇です。
中央には、ミケランジェロのピエタ像のコピー。両脇のレアとラケルの像も、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にあった、ミケランジェロがユリウス2世に捧げたモニュメントからのコピーです。これらのブロンズ像は、1616年にグレゴリオ・デ・ロッシにより鋳造されました。サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリを思い出さない方はこちらからどうぞ!
http://4travel.jp/travelogue/11036595 -
主祭壇左側、内陣に左側にある八角形の礼拝堂は、純心のマドンナに捧げられています。トンド型のイコンは、金色の栄光に包まれて、祭壇の上にありました。幻想的な美しさを放っています。
オリジナルはスペインのルイス・デ・モラレスにより1641年に描かれたもので、ナポリの聖パオロ・マッジョーレ教会にあります。こちらはナポリ出身のアレッサンドロ・フランチェージによるコピーです。 -
暗くて良く撮れませんでしたが、祭壇のイメージとしてはこんな感じです。
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祭壇の左側には、あれ〜? これもどこかで見ましたね。顔は違うけれど、カピトリーノの丘のサンタ・マリア・イン・アラコエリ教会にあったサンティッシモ・バンビネッロ(キリストの子供像)とよく似ています。
熱心な信者がここにも大勢いるらしく、バンビネッロのところは、蝋燭が全部灯っていました。 -
同じく内陣の左側にある、聖ガエタノの礼拝堂は、この教会に付属する修道会Theatinesの聖人に捧げられています。贅沢なその装飾は、修道会にとって、この聖人がいかに重要かということを表しているかのようです。
かなり傷んでいる祭壇画には、聖人と聖母子が描かれています。マッティア・デ・マーレの1770年の作品。祭壇画の脇のピンク色をした大理石の柱、それが支えるペディメントの上にいる寓話像、中央の天使に支えられた栄光の聖なる心を表す大きなシンボルマーク。そのどれもが素晴らしい出来栄えですね。
柱の両脇の金のスタッコ装飾も見事としか言いようがありません。 -
身廊の一番内陣に近い柱には、教皇ピウス2世とその孫ピウス3世のモニュメントが向い合せになっていました。
こちらはピウス2世(在位 1458年〜1464年)シエナのピッコロミニ家出身の教皇です。ルネッサンス全盛期の教皇で、昨年シエナの大聖堂の中にあるピッコロミニ図書館で大感激したことを思い出しました。
どちらの墓も当初は古いサン・ピエトロにあったのですが、1614年にここに運ばれてきました。1470年に作られたこのレリーフには、ピウス2世がローマの町はずれで(コンスタンティノープルのスルタンから?)聖アンデレの頭(首)を受け取った場面が描かれています。何故か首だけだったようですよ。これが、彼の教皇史の中で、最大のイヴェントになったと言われています。アンデレが縁で、この教会に移されたのでしょうね。 -
ピウス2世の甥で同じピッコロミニ家出身のピウス3世(フランチェスコ・ピッコローミニ)の墓は、ピウス2世のものととても良く似ています。伯父に見込まれ、若くして枢機卿になったフランチェスコでしたが、有能な人物だったようです。シエナの大聖堂には、座ったままで戴冠式を行うピウス3世を描いたピントゥリッキオの絵があったのを記憶しています。在位わずか26日で亡くなり、毒殺されたという噂がたった非常に短命な教皇でした。
http://4travel.jp/travelogue/10929308 -
聖セバスティアーノの礼拝堂です。祭壇画は、お馴染みのセバスティアーノ。殆どコレクション化していますね。1614年、ジョヴァンニ・デ・ベッキの作品。
セバスティアーノの手前に置いてある楕円形の肖像画は「聖心」。ウィキペディアによると、聖心とはキリストの人類に対する愛の象徴である心臓、またそれに対する崇敬を示す言葉 と書かれていました。 -
主祭壇に向かって左側二番目の礼拝堂は、教会付属の修道会Theatinesから列聖あるいは列福された3人の人達に捧げられています。ボッロミニの親戚に当たるマッテオ・カステッリによって設計されました。
祭壇画はシシリア出身のフランチェスコ・マンノによる「3人のTheatinesの聖人達」。 -
最後の礼拝堂は、バルベリーニ家礼拝堂でした。のちに教皇ウルバヌス8世となった、枢機卿マッフェオ・バルベリーニの命により作られました。
祭壇画はあまり面白みのない作品だったので省略。礼拝堂の左右に向い合せになっていた彫像に注目しました。
向かって左は、マグダラのマリア(クリストフォーロ・スタティ作)、そして右は洗礼者聖ヨハネ(ピエトロ・ベルニーニ作)です。
ピエトロ・ベルニーニはジャン・ロレンツォ・ベルニーニの父親で、やはり画家で彫刻家です。息子の方ばかりがもてはやされた感がありますが、作品としては息子と共同で作ったスペイン階段下の「バルカッチャの噴水」が有名です。ボルゲーゼ家の庇護を受け、教皇パオロ5世の元で精力的に仕事をこなしました。 -
対面にあった彫像は、左から福音記者聖ヨハネ(アンブロージオ・ボンヴィチーニ作)、右は聖マルタ。聖マルタってご存知でしたか?彼女はマリア様の姉で、新約聖書に登場するそうです。彼女に姉妹がいたことすら、全く知りませんでした。
何をしているところなのでしょうか? 今にも飛び降りようとしている人のように見えますね。
さあ、時間が押しているので、そろそろお暇しましょう。ふらりと寄った教会で、またまた充実した時間を過ごしてしまいましたよ。ここでも、沢山の発見、驚き、そして喜びと出会いました。 -
教会から外に出て、ちょっと寄り道したのは、カンポ・デ・フィオーリ広場。本当なら午前中の朝市が開かれている時間に来たかったのですが、夕方のこの時間はご覧の通り、寂しい光景です。
市場が開かれる賑やかな広場は、それ以前に死刑執行場、お仕置き場と言う暗い歴史も重ね持っていました。 -
その代表がこの方。大変暗い表情で、気が滅入りそうになる銅像ですが、彼には笑ってはいられない理由がありました。
ジョルダーノ・ブルーノは1548年生まれの哲学者でドメニコ会の修道士。彼は「地球自体が回転しており、それによって地球上からは見かけ上天球が回転しているように見える」と主張したことで、異端の嫌疑をかけられ、長い間ヨーロッパ中を放浪した挙句、イタリアに戻って捕えられ、長い獄中生活を送った後、ここで火刑に処されました。
彼が名誉を回復したのは、20世紀になり、教皇ヨハネ・パウロ2世の元で不当判決であったという見解が示されてからのことです。広場のこの銅像はそれより100年前の1869年に、エットーレ・フェラーリにより建てられました。
最近ニュースで同性愛の神父に関するニュースが話題となっていますが、ヴァチカンが同性愛を認めるまでには、なお数百年はかかるのでしょうか? -
カンポ・デ・フィオーリ広場をなおもぶらぶらと歩きます。
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カフェが立ち並ぶ広場から細い小路ジュッボナリ通りを抜けて、更に進んでいくと・・・
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トラムが走る大通りラルゴ・アレヌラに出る直前にサン・カルロ・アイ・カティナリ教会前に出ました。さすがにここに寄る時間はなさそう・・・
ミラノの司教聖カルロ・ボッロメオに捧げられている教会です。 -
ラルゴ・アレヌラ大通りを左折して、しばらく行くと、見えてきましたよ。ローマ帝国時代に4つの神殿とカエサルが暗殺されたポンベイウス劇場が立ち並んでいたトッレ・アルジェンティーナ広場です。
1909年以降に始められた発掘調査で、ここがかつての聖域だったことがわかってきました。発掘はまだまだ進行中のため、立ち入りは出来ず、想像力を膨らませながら、上から眺めるほかありません。
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中央の6本の円柱が立ち並ぶ丸い建物は、現在神殿Bと呼ばれていますが、フォルトゥーナの神殿だったとされています。フォルトゥーナは英語のフォーチュン=幸運の女神と言われていますが、一日一日に権限を与える、時間を司る神でもあったとされています。
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こちらは神殿Aの地域 女神ユトゥルナの神殿と考えられています。ユトゥルナは泉、噴水、井戸などの水を司るローマの女神です。
煉瓦をきっちりと並べて作った階段の緻密さに驚かされます。円柱には様々な石が使われていますね。 -
こちらは神殿Dの部分だったかな? 殆どがまだ土の中に眠っているようで、地上には出てきていません。
トッレ・アルジェンティーナ広場と言えば、猫の住み家としても有名ですね。安全な住み家として猫たちに気にいられたのか、1990年代には90匹だった野良猫は、現在250匹に増えていて、近所のヴォランティアが交代で猫の世話をしているそうです。一生懸命探したけれど、この時間猫一匹見当たらず・・・ -
あっ 待って! 早まらないで! という雰囲気の彫像みっけ! アッシジの聖フランチェスコの聖痕に捧げられた教会(サンティッシメ・スティマーテ・ ディ・サン・フランチェスコ)です。フランチェスコではなく、聖痕に捧げられているところが面白いですねえ。
2階にある彫像は、聖フランチェスコが聖痕を受けた時の姿の再現だそうです。この像を作ったのもアントニオ・ラッギ。今日は彼の作品に沢山出会うことが出来ました。 -
やってきました。今回の私のローマのたび終着点です。ジェズ教会。日本となじみが深いイエスズ会の本部が置かれていた教会です。
キリストはギリシャ語でIHΣYΣと書くそうですが、これを英語のアルファベットに直すとJESUSになるそうです。ファサード中央に書かれたIHSとは、ギリシャ語(ΣはSで表記)だったのですね。
創始者バスクの貴族で元軍人のイグナチオ・ロヨラがパリのモンマルトルに清貧・貞潔・聖地巡礼を3本柱にしたイエスズ会を開いたのは1534年のこと。ローマで教皇パウロ3世の承認を得て、教会を建て始めたのは1542年のことです。
ファサードはお馴染みジャコモ・デッラ・ポルタ(一体いくつ作っている?)の最初の真のバロック様式と呼ばれています。左右のニッチェには、左がロヨラ、そして右にはご存知フランシスコ・ザビエルの像が置かれています。ロヨラは異端者を踏みつけ、ザビエルは異教を踏んづけています。イエスズ会は、宗教改革でプロテスタントが台頭する中、今こそ行動で示さなければとするカトリック界の強い危機意識の中から生まれた組織だと言えましょう。
十字架のすぐ下にある紋章は、ファルネーゼ家の紋章。教会建築の大スポンサーでした。そしてファルネーゼ家お抱え?の建築家ジャコモ・ヴィニョーラが中心となって建築を行いましたが、彼の死後、後を継いで1580年に完成させたのがデッラ・ポルタです。 -
内部は、意外にも落ち着いた茶色が基本色となっていました。一廊式で、左右に礼拝堂が並んでいます。
ヴィニョーラは、教会のどこからでも見えるようにと主祭壇をフォーカス・ポイントとして設計していました。個人的な願いを聞く場所というよりは、宗教的な典礼を行う集会所としての役割を強調した結果だと言えます。
壁柱とアーチに見られる多色大理石を使った装飾は19世紀のものです。 -
身廊のヴォールトは、ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリの傑作です。1672年〜1683年。テーマは「天上の世界に囲まれた栄光の、IHSの組文字キリストの名の勝利」。
中央に金色に光り輝くIHSの3文字が見えますね。ここでもガウッリはトロンプ・ルイユ手法=だまし絵を用いています。ああ〜落っこちてくる! 落っこちてくる! の世界です。もう幾つ目でしょうか? 確かロヨラに捧げられたサンティ・ニャッツァオ教会も、同じようなだまし絵になっていましたね。
http://4travel.jp/travelogue/11061227 -
こちらは、鏡を使って撮った1枚です。
左右の窓に張り付いている白いスタッコの天使達は、ガウッリのデザインの元、アントニオ・ラッギとレオナルド・レッティが制作しました。 -
聖域を臨みます。なるほどぉ〜。主祭壇上にあるIHSの3文字は、どこにいても目立ちますね。
後陣の半月形部分にもガウッリのフレスコ「神の子羊の礼拝」が見えました。ガウッリはまず、身廊のフレスコを手掛け、それを1679年のクリスマス・イヴに完成させてから、6年間かけてドーム、付け根部分(ペンデンティヴス)、後陣、翼廊のフレスコに取りくんでいきました。
ここから見ると、ペンデンティヴスのフレスコにも、だまし絵を用いているようです。もう少し近づいてみましょう。 -
ドームの真下にやってきました。
ドームは、後を継いだデッラ・ポルタが忠実にヴィニョーラのデザインを尊重して完成へと導きました。
ドームの周りのペンデンティヴスには、預言者、福音記者と教会博士が描かれていますが、こちらも飛び出す絵本のように立体的なだまし絵です。 -
中央の聖なるハトを中心に置いたドームのフレスコを、敬虔な信者がここでこうして見上げることで、天上の世界に近づいていく自分を感じることが出来るのだそうです。劇場的な効果を持たせるという意図は、建築当時の責任者イエスズ会のジャン・オリヴァと同じく監修を担当したベルニーニによるものであろうと言われています。そしてその期待に見事に応えたガウッリは、「絵画界のベルニーニ」という冠を手にいれています。
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主祭壇は、1834年から10年ほどかけて、アントニオ・サルティにより改修が行われました。それまでのみすぼらしかった祭壇は取り払われ、サルティのネオ・クラシカル様式の主祭壇に取って代わりました。但し、見事な4本のシエナ産大理石の円柱は残され、そのまま使われたのだそうです。
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祭壇画は「キリストの割礼」。割礼が行われた日に、彼は「Jesus」と言う名前を与えられたのです。アレッサンドロ・カパルティによる1840年の作品です。
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主祭壇の左には、ベルニーニが彫ったロベルト・ベッラルミーノのモニュメントが置かれています。ベッラルミーノはイエズス会司祭で、カトリック改革に最も功労のあった枢機卿の一人と言われています。
元々このモニュメントには、ジュリアーノ・フィネッリ作の一対の寓話像(信仰と知識)が左右にあったのですが、破壊されてしまったのだとか。幸いベッラルミーノの胸像は無事だったため、扉の上のニッチェに移されたのだそうです。こちらの胸像にも左右にレリーフの寓話像がいますね。 -
主祭壇の右隣り、右翼廊には、主祭壇に負けないような豪華な礼拝堂があります。1674年〜78年にかけて、ジャコモ・デッラ・ポルタにより作られたフランシスコ・ザビエルの礼拝堂です。日本では、小学生でも知っている一番有名な聖人かもしれません。
彼もまた、ロヨラと同じバスク出身です。最初の設計はピエトロ・ダ・コルトーナが行い、彼の死後、デッラ・ポルタは残されていたスケッチを参考にしながら作業を進めたそうです。
見上げると、ヴォールトのアーチには、ジョヴァンニ・アンドレア・カルローネのフレスコ画がありました。ガウッリかと思ったら、ここは違うんだ!
中央は、定番のザビエルの神格化です。右側は、上流階級のインドのご婦人がザビエルにより洗礼を受けている場面、左側はマラッカへ行く航海の途中に嵐で失った十字架が浜辺に流れ着いているのを発見した場面です。なんでも、浜辺で一匹の蟹が爪で十字架を支えて待っていたんだとか・・・??? -
巨大な4本の円柱が支えるペディメントの上には、天使達に迎えられたザビエルのスタッコレリーフがあります。中央にある三角形の黄金貝は何のシンボルでしょうね?
祭壇画は、「ザビエルの死」。彼は1552年、マカオの西にある上川島(シャング・チュアン・ダオ)で亡くなりました。日本の地を踏んでから3年後のことでした。イゴヨクミカケルクリスチャン…こんなことだけは何故か不思議とよく覚えています。 -
こちらは、ザビエルの「右腕」が入った聖遺箱です。この右手がローマに到着したのは1614年のこと。イエスズ会の命により、セバスチャン・ゴンサレスが切り落としたのだそうです。ウィキペディアによれば、その時すでに死後50年以上経っていたのに、鮮血が飛び散ったという「奇跡」の話が残っています。
彼の遺体の主な部分は、インドのゴアにあるボン・ジェズ教会にありますが、どうも切り刻まれたみたいで、世界中に彼の遺体の一部が保存されているそうです。日本には彼の胸骨の一部が保存されているとか…にわかには信じられません。
こちらの礼拝堂は、当初「復活」に捧げられており、かつてはそのテーマに沿ったジョヴァンニ・バリオーネによる祭壇画が飾られていました。その絵は現在はパリのルーブルにあるそうです。 -
左翼廊には、創始者ロヨラの礼拝堂がありました。こちらも大変立派なのはザビエルと同様。いや、それ以上ですね。1600年代の終わりにアンドレア・ポッツォを頭に100人以上のアーティストや職人が関わって、大修復が行われたのです。
黒い手摺と燭台は青銅製で、ロココ調でまとめられています。4本の円柱にはアフガニスタンからラクダの背に揺られてやってきたラピスラズリがふんだんに使われており、ブロンズの筋入りという超豪華版!
円柱が立っている祭壇は下が赤、上が緑の大理石製。表面には6枚のブロンズ製浅浮彫パネルがあり、ロヨラの生涯からの場面が再現されています。祭壇画の上のIHSと刻まれた青い大きなラピスラズリを支えた天使達が見えますでしょうか?
そしてペディメントにも、中央に天使が抱えた大きな青い球が見えますね。これは、世界最大のラピスラズリと考えられてきたのですが、2006年の調査の結果、トラバーチンの上に非常に精巧にラピスラズリを張り合わせた物だということが判明したそうです。
祭壇画は、「キリストによるロヨラへの委託」アンドレア・ポッツォの作品です。
祭壇の下の方にある金色の青銅製の骨壺が、1637年に礼拝堂が建造された当初から唯一現存するもので、アレッサンドロ・アルガルディの作品。 -
もう少し近づいてみてみましょう。祭壇の左右には寓意的な彫刻が溢れています。題名は「異端に対する宗教の勝利」。左側の女性=宗教(カトリック)にやっつけられているのが異端者達(プロテスタント)です。ピエール・ルグロ(孫)の作品です。燭台に邪魔されて見えないのですが、一番左側にいるプットが引き裂いているのは、プロテスタント改革の文章だそうですよ。過激〜!!
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左側は「偶像崇拝を超える信仰の勝利」。右側の女性=信仰は、左側の未開人の王を歓迎し、彼らの具像崇拝をやめさせようとしています。まあ、余計なお世話ですと言いたくはなりますけれど・・・プロテスタントの台頭に危機意識を抱いたイエズス会は、プロテスタントとの対決と未開人の改宗という2本柱で活動。大海原を超えて、アジアへ、南アメリカへと向かったんですね。少々複雑な気分。
円柱のラピスラズリは本当に美しかったですよ。あの吸い込まれる様な青は、形容しがたい永遠の美しさを放っていました。 -
お終いは、聖域の左側にあるこちらの礼拝堂です。道のマドンナMadonna della Stradaのイコンに捧げられています。
ジェズ教会の前身とも言える「道のマドンナ教会」は、正確ではありませんが現在この礼拝堂が建っている南側にありました。現在の教会を建てる際にその教会は破壊されてしまい、そこで大切に扱われてきたマドンナは、教会の新築工事の間、近くのサン・マルコ教会に預けられていました。
礼拝堂の内装は、ジュゼッペ・ヴァレリアーノによるもので、彼の描いた聖母の生涯からの場面のフレスコが室内を飾っています。 -
マドンナのイコンは2006年に修理され、洗浄されて大変状態が良く見えました。13世紀あるいは14世紀初頭の頃の作品とされているこのイコンは、多くの人々の献身の対象とされてきました。
初期のキリスト教のイコンは、表情等がややぎこちないものの、作り手の純粋な心がそのまま映し出されているような気がします。健康のマドンナ(マドンナ・デッラ・サルーテ)やサンタ・マリア・デル・ポポロにあったイコンにも似ていますね。 -
内部は大変暗くて、ドームにはポッツィのフレスコがあったというのですが、全く覚えていません。
祭壇左右のペアの円柱は、内側のものだけ金色の帯がらせん状に巻かれていました。美しい紋様が見られる大理石です。
「愛しいマリア様、天の母よ。あなたは人生の道は石ころが多く、いつも急勾配であることを、そしてこのジャングルの終わりに天上への扉があることを教えられ、あなたの子宮に祝福の果実キリストがいることをお示しになりました。」説明板にあったピウス12世の言葉です。 -
聖母の生涯からの場面のフレスコは全部で7枚。絵の下には、黒い大理石に各場面のタイトルが書かれていました。ヴァレリアーノのここでの作品は彼のマスターピースと言われています。
ここから見える2枚は、左が「聖母の結婚」右が「神殿への披露(プレゼンテーション)」、天上の父なる神の手のポーズが結構楽しめます! -
もう1枚。聖母被昇天。プット達の表情が実に可愛いですねえ・・・
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というわけで、6日間フルに歩いたローマはここで目出度く終了です。時間的には全然足りない滞在でしたが、ローマはいつでも待っていてくれますよね。また近いうちに行けるといいなあ・・・
6日分だけで33冊になってしまった。この分じゃあ1年かかっても終わりそうもありませんね。徐々にスピードアップを目指します。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その34 ナポリ ダ・ミケーレ〜ドゥオモで!
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