2015/05/12 - 2015/05/12
1640位(同エリア6974件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 191,333アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
ピエトラ広場から先はもう迷うことはありません。狭いエリアに見どころが集中しているので、予め回る順番を考えていたのです。
まずは、日本ではイグナチオと呼ばれているこの人の教会から・・・
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
サンティ・ニャッツィオ・ディ・ロヨラ教会。イタリア語表記は読みにくいし書きにくいですが、元々ロヨラはスペイン出身なので、私にはスペイン語表記のイグナシオ・デ・ロヨラが一番ピッタリ来ます。ご存知イエスズ会の創設者の一人です。
この教会の歴史は、コレッジョ・ローマと言う名の学校から始まります。これは、パリのソルボンヌで学びながら、同様の教育機関をローマに設立したいと願ったロヨラ自身のアイディアから生まれました。資金難のため、学校は1551年に民家を借りてのスタートとなり、家の扉には「文法、人文科学、キリスト教の教義等についての学校 無料」と書かれていました。聖職者のみならず、一般人も受け入れていたようですよ。
現在もコレッジョ・ロマーノはこの教会の裏側にあり、イエスズ会の布教活動に関わる教育を行っています。 -
17世紀の初めにはコレッジョ・ロマーノに学ぶ学生数は2000人を超し、1562年頃建てられた古い教会が手狭になったため、この学校出身の教皇グレゴリウス15世の強い働きかけにより、1622年に聖人と認められた創立者のロヨラに捧げる教会を設立することになったのです。
現教会の設計はカルロ・マデルノでしたが、建築中から資金不足が続き、全て完成したのは100年後の1722年でした。
狭いサンティ・ニャッツィオ広場からは、教会の全貌が撮れず、少し下がってファサードを眺めています。ファサードの設計はオラツィオ・グラッシですが、実際の仕事を行ったのは、ベルニーニの好敵手と言われていたアレッサンドロ・アルガルディでした。彼の作品、カピトリーニ美術館やサン・ピエトロに沢山ありましたね。 -
教会に入る前に、狭いサンティ・ニャッツィオ広場を挟んで反対側の建物を見て思わず1枚。なんて優美な曲線を描いた建物なのでしょう・・・サンティ・ニャッツィオ教会も同様のカーヴを描いていたら、見事な楕円形の広場が出来上がったに違いありません。背後の建物も、日当たりが最大となるよう、それぞれカーヴを描いていて本当に素敵でしたよ。
-
サンティ・ニャッツィオ教会の内部はギリシャ十字型。身廊のアーチの左右には広い礼拝堂が3つずつあります。
コリント式の柱とエンタブラチュアはともに灰色がかった白の地味な単色で統一されています。それは勿論、この天井を目立たせるためでしょう。 -
ヴォールト天井と思ったら、実はこの天井、平坦なのだそうです。見事に騙されてしまいました。フレスコ画はアンドレア・ポッツォの1685年の作品です。タイトルは「聖イグナチオの神格化」。聖イグナチオがどこにいるかわかりますか? 小さな写真じゃあ見つけるのに苦労しますけれど、中央付近で雲の上で右手を揚げて、灰色っぽく描かれた人物(後姿)です。
この絵は、だまし絵の手法を用いた最高傑作と言われています。3D天井は、他の教会でも見たけれど、ここの迫力は追随を許しません。 -
どちらから見るのか良いのかなと思って、主祭壇側から撮った1枚です。天に上っていく人がいる一方、相変わらず、落っこちてくる人も多いですねえ。
四隅には、大陸アフリカ、アジア、ヨーロッパ、アメリカを表す寓話像がありました。それぞれに、ワニ、ラクダ、馬、ジャガーに乗っている子がいると書かれていましたが、うまく見つけられませんでした。ド迫力!! ただただ感心するのみ。 -
あっ 手前に馬とジャガー発見! やはり、四方向から見ないといけませんね。どの方向から見ても楽しめます。
-
カウンターファサードの上では天使たちが火を起こしています。その下の碑文には、「燃える事を除き私に何をさせたいですか?」と書かれているそうです。意味深長・・・
-
続いて有名な「ドーム」の下にやってきました。建築当初はドームを作る予定でしたが、あまりにも高額であることから断念、結局だまし絵のドームとなりました。こちらもアンドレア・ポッツォの作品。
床に黄色い円が書いてある場所から写すのがベストと書かれていたので、仰せの通りの場所からの1枚。偽ドームは確かマルタのゴッツォ島でも見た記憶・・・。 -
後陣も含めて、この教会のフレスコ画は全てポッツォ。登場人物が多すぎるのが難ですねえ。後陣の半月形部分に描かれているのは、聖イグナチオがペストに襲われた人たちを救済している場面だそうですが、白い服を着て空中遊泳しているお方が彼なのかなあ・・・
フレスコ画の下の、天使達に支えられた碑文は、イグナツィオがヴィジョンでキリストから告げられた言葉が書かれています。
「私はローマであなたにとって好都合となるでしょう」
??? またまた 意味深長・・・ -
主祭壇の祭壇画は、聖人がラ・ストルタの礼拝堂でのヴィジョンで受けた神の保証を描いたものだそうです。
余談ですが、英語に詳しい友人から聞いた話によると、ヴィジョンというのは、「映像」プラス「音声」であって、どちらが欠けてもヴィジョンとは異なるようです。「お告げ」とは違うんだということが少し理解できました。 -
閑話休題
祭壇画の左には、イエスズ会の三番目の重鎮となった聖フランチェスコ・ボルジアから公約を聞く聖人。右はインドへの航海前に、日本でもお馴染みのフランシスコ・ザビエルに聖人が祝福を与える場面が描かれています。 -
皆、上しか見ていないこの教会で、床を撮ったのは私一人かしら? Joseph Accoramboniと言う枢機卿の墓だと思いますが、詳しいことは控えていません。中央通路のどこかにあったような記憶・・・
-
主祭壇に向かって右側の聖ヨセフの礼拝堂はドームの写真だけです。これはだまし絵ではないよな と何度も確かめてしまいました。ルイジ・ガルツィの作品。
-
右翼廊にある、聖アロイシウス・ゴンザーガに捧げる礼拝堂です。ポッツォが左右対称となるよう、両翼廊に設計したうちの一つです。こちらの方が先に完成しました。
聖人はコレッジョ・ロマーノの23歳で亡くなった若い学生で、なぜ聖人となったのかは調べてもわかりませんでしたが、日本語版ウィキペディアがあるくらいなので、私が知らないだけかもしれません。
彼は名門貴族の出で、生まれつき腎臓が悪く病弱、亡くなった頃にはローマで疫病が流行していました。彼が行った奇跡と言えば、自分が死ぬ日を正確に言いあてたということ位しか見当たらなかったのですが・・・死後わずか14年で列聖しています。
見ただけで圧倒される豪華な祭壇は、二重の台座(しかもラピスラズリのシールド付き!)、4本のらせん状の柱、二人の美徳の寓話像が乗った複雑なペディメントを持っています。中央の大理石レリーフのタイトルは、「ゴンザーガの神格化」。ピエール・ルグロの1698年の作品です。
らせん状の柱(ソロモンの柱)って、内側と外側で巻きが逆なんですね。今気が付きました。 -
右翼廊より聖域寄りに、教皇グレゴリウス15世とその甥枢機卿ルドヴィコ・ルドヴィシの壮大なモニュメントがありました。こちらもまたピエール・ルグロの作品です。中央で手を掲げているのが教皇。下の方でプットが支えているトンドの中の胸像がルドヴィコです。天蓋から全体をすっぽり覆っている大理石製のドレープのカーテン 裏も表も豪華ですねえ。ため息!
前述したように、教皇はコレッジョ・ロマーノの卒業生。教皇は甥にロヨラに捧げる教会を作ってはどうかと持ち掛け、甥は教会建設の資金集めのために奔走することになります。彼の努力にもかかわらず、教会は常に資金難の状態が続いたようです。 -
左翼廊奥の、聖アロイシウス・ゴンザーガに捧げる礼拝堂と相対する場所にあるのは、受胎告知の礼拝堂です。もちろんこちらもピエール・ルグロの作品。殆ど変わらないように見えますが、ゴンザーガ礼拝堂に使われていたラピスラズリはここでは使われていません。ゴンザーガには貴族のスポンサーがいましたが、こちらの礼拝堂はイエスズ会の一般会員の寄付に頼っているからです。 といっても傍目では全く違いは分かりません。
この礼拝堂には同じイエズス会のコレッジョ・ロマーノの学生で、やはり20代で亡くなったヤン・ベルクマンの祠があります。
祭壇のレリーフはお馴染みの受胎告知。大天使とマリアの間にいる天使達が少々うざったいなあ・・・なんて勝手なことを思ってしまいました。全体の設計はポッツォ、レリーフはフィリッポ・デッラ・ヴァッレによるものです。 -
こちらも同じ礼拝堂のヴォールトのフレスコ画です。明らかにポッツォの特徴が出ていますね。だまし絵スタイルです。「聖母被昇天」は1750年頃の作品です。
-
お隣の受難のキリストの十字架に捧げる礼拝堂のヴォールト部分。ヴォールトの形は、ほとんど変わりません。フレスコは、あまり知られていないチェレスティーノと言う画家による「聖マルゲリト・マリー・アラコックのヴィジョン」というタイトルがついています。ポッツォを見た後だと、どうしても見劣りがしてしまいます。
-
主祭壇向かって左側のフランシスコ・ザビエルとフランシスコ・ボルジアに捧げる礼拝堂には、ピエール・ド・ラットルによる二人を描いた祭壇画を見ることが出来ます。向かって左がザビエル。日本で最も有名なイエスズ会の聖人ですね。1683年作。
祭壇画の前には、ピエトロ・ガリアルディによる「穢れなき御心のマリア」が置かれていました。1854年作。 -
これはどこのドームだったか、記憶がありません。いつものトホホが出てきちゃう・・・
聖十字架、聖顔布、茨の冠等色々なものを探し当てた場面が描かれています。だましドームだけでなく、本物のドームも規模は小さいけれど、いくつかありましたね。 -
サンティ・ニャッツィオ教会で見つけたこの一風変わった模型が気になって、調べてみました。こちら大きな丸いドーム型の聖堂を中心として、小さな教会のミニチュアがぐるりと周りを取り囲んでいるのです。イタリア語で世界の国と都市の名前が記されています。小人の教会の様で、建物好きには結構楽しめます。
名づけて「王キリストの寺院」ナポリ在住のヴィンチェンツォ・パンドルフォが1992年に考案した、全ての戦争を普遍的に廃止し、恒久平和を実現するため、一つの大きな「寺院」に集約させるための取り組みなのだそうです。 -
聖堂の周りは4つのパート(4大陸を表す)に分かれていて、それぞれ16の建物と4つの階段があります・・・
詳しく書くのはやめにしますが、どう考えてもキリスト教中心。偶像崇拝の宗教にしか向かない建物と思われます。
本来、人々の平和と安定をもたらすものが宗教ではないかと思いますが、宗教が引き金となる戦争が絶えないのが現実。世界平和は皆の願いですが、これだけ膨れ上がった宗教を一つにするという発想そのものに無理があると考えたのは、私だけでしょうか?
まあ、教会のジオラマを見るようで、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。天井に圧倒されっぱなしのサンティ・ニャッツィオ教会でした。 -
教会から出て、建物に沿って歩きます。古い建物の屋根に生えた野草が太陽を独占して、今や花盛り。美しいですね。
-
ここは、サンティニャッツィオ教会脇の静かな通り。教会の裏側がコレッジョ・ロマーノになっていると聞いたので、この道を進んだのですが、ずっと高い壁が続くだけの道でした。
-
途中にあった渡り廊下・・・右側にも学校が続いているのかなあ・・・
-
そして、ふと顔をあげたら、こんな小さな道を見つけましたよ。ベアト・アンジェリコ通り。昨年フィレンツェのサン・マルコ教会でお目にかかって以来ファンになったフラ・アンジェリコの名前を冠した通りです。
多分30m位しかない狭い通りで、突き当りはサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会の裏口になっていました。そうそう。フラ・アンジェリコの墓はこの教会にあったんです。
初めての訪問なので裏口から入るのはやめて、正面に回ることにしましょう。 -
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァの正面までは意外と遠く、5分以上かかりました。
ジャーン! 目の前に現れたのは、今回のたびで私が目にする10本目のローマのオベリスク オベリスコ・デッラ・ミネルヴァ。一番小さなオベリスクでもあります。
高さ5.47m。台座と象を合わせると12.69mになります。 -
ディオクレティアヌス帝がエジプトのサイスから運んだ2本のうちの1本で、ここからすぐの所にあったイシスの神殿(イサエウム)を飾っていました。土に埋もれていたのを発見したのが1655年。当時の教皇アレキサンデル7世は、お気に入りのベルニーニにオベリスクの設計を依頼したのです。
ベルニーニは以前、バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世からバルベリーニ広場にオベリスクを置きたいという依頼を受けたことがあり、スケッチを描きためていました。ヴァチカン図書館に今でも保存されている彼のオベリスクのスケッチには、選に漏れたヘラクレスもの、寓話像ものが残されているそうです。 -
象さんに近づいてお顔を拝見。う〜ん。体格からするとまだ小象なのに、立派な牙が生えていますね。ベルニーニの設計により、実際に象を彫ったのは彼の弟子エルコーレ・フェッラータです。台座にはキージ家の紋章がありましたよ。
そうそう、これは、キージ家出身のアレクサンデル7世がベルニーニに依頼した最後の仕事となりました。教皇はオベリスクの完成の年1667年に亡くなっています。 -
今度はヒエログリフを撮りますよ。以前見た物より、彫り方が浅いですね。描いてある文字も少ないなあ・・・
-
オベリスクを十分堪能したので、次の目的地サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァに向かいましょう。教会の中心に合わせて、オベリスクが建てられていることが分かりますね。
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ。文字通り知恵の女神を祀ったミネルヴァ神殿跡に建てられた教会だと思ったら、実はイシスの神殿の上(ソプラ)だったんですね。名前変更しなくっちゃ! この辺りは古代のカンプス・マルティウスの中心地でした。現在の教会は、ドメニコ会が中心となって、1280年頃から建築が開始されましたが、完成したのは1453年のこと。ファサードに取り掛かったのはその後のこと。最終的に現在の構造に変更したのはカルロ・マデルノ。1600年のことです。
あまりぱっと見の良くないファサードはローマでは珍しいゴシック様式です。 -
正面向かって右側の扉から中に入ります。扉の上の半月形部分には、聖ドメニコと聖母子のフレスコ画が描かれていました。
-
最初の印象は、ローマで初めて見るゴシック様式だということ。アーチの形も、ゴシックなので頂点がとがっているのが特徴。天井のクロスヴォールト。そして鮮やかなその青! こちらのものよりずっと精巧だったけれど、一瞬アルビの大聖堂の天井を思い出してしまいました。
内部は3廊式で、側廊と翼廊には礼拝堂が並んでいます。天井のヴォールトには星が瞬く天の空を背景に、12使徒たちのフレスコ画が描かれています。 -
もう少し中央通路を進んでいくと、左手に黒い木製の説教壇が現れます。
-
作られたのは16世紀後半。重厚な雰囲気ですね。階段から続く渦巻き模様がコズマーティを思い起こさせます。説教壇には、聖ドミニコ、聖トマス・アクィナス、キリストの復活、ロザリオ、ヴェローナの聖ピエトロの死の場面が彫られています。
-
少し赤く撮れてしまったけれど、天井のアップです。クロスヴォールトのリブには、六芒星(ユダヤ教のシンボルでもありますね)、花、飾り結びなどを含めた模様が赤、青、金で描かれていて、本当に綺麗です。
これはちょうど翼廊と交差するあたりの4人の福音記者達のフレスコです。 -
こちらの方が、実際の色に近かったように思います。久しぶりのヴォールト天井はとても新鮮! 教会博士、そして預言者達が天空に浮かんでいました。
-
カッファレッリcaffarelli家の礼拝堂は、固く門を閉じていましたが、落ち着いた雰囲気に惹かれて、じっと見入ってしまいました。
聖ルイス・ベルトランと言うスペイン人の聖人に捧げられた礼拝堂で、1498年の創建。ベルニーニの好敵手と言われたジュゼッペ・パリアらによってバロックの味付けをされたのは1671年頃のこと。 -
祭壇画は、「エクシタシー状態の聖ルイス・ベルトラン」。ジョヴァンニ・バッティスタ・ガウッリの1670年の作品です。
-
左右の壁に飾られたフレスコ画は、1999年の修復の際に発見されたもので、こちらは左側の壁の「キリストと聖母に迎えられた聖ルイス・ベルトラン」。ガスパーレ・チェリオの1621年の作品です。
絵の脇にある、フレーム付きの石が凝っていますなあ。 -
石の加工技術には、いつも驚きの連続です。日本では滅多に見ることのないカラフルな石が沢山あって、それを巧みに使ったモニュメントは、石の文化の象徴のように思えます。
これは、どなたのモニュメントだったかなあ・・・? -
受胎告知の礼拝堂は、金持ちのスポンサーがついた礼拝堂ではなく、スペイン人の枢機卿が主催する奉仕団体のものでした。枢機卿の死後引き継いだ彼の叔父が大変裕福だったため、この団体は後に礼拝堂をバロックに変身させるためにカルロ・マデルノを雇い!、教会一と言われる見事な祭壇を持つことになります。
祭壇の両脇のフレスコは、左が奉仕団体の主宰者だったスペイン人の枢機卿トルケマダ、右は枢機卿ベネデット・ジュスティニアーニです。 -
改めて祭壇画に注目。
大変変わった構図の「受胎告知」です。1500年のアントニアッツァ・ロマーノ作です。大天使と聖母の間には、トルケマダ枢機卿と三人の女の子が跪いていて、聖母は女の子の一人に持参金の入った袋を手渡しています。
枢機卿は、自身の奉仕団体で、貧しい女の子のために持参金を贈る活動を行っていたそうなので、この絵では奉仕団体のPR効果ばかりが目立ってしまっています。別のドラマの進行をみつめる大天使ガブリエルは、何にも言えずに終わってしまったのではないかと心配です。
そして、今や左上の父なる神の手から放たれた聖なるハトが聖母の元に到達する寸前です。聖なるハトがメッセージを届けるのであれば、なおのこと、大天使のやることはなくなってしまいそう・・・・いずれにせよ、この大事な場面で持参金を渡すことはないのではないかしら???
勝手な想像ばかりしてしまいましたよ。 -
お隣は、アルドブランディーニ家礼拝堂。教会で最大の面積を誇ります。この時代にしては珍しく、聖職者としても政治家としても立派だと言われる教皇クレメンス8世(在位 1592年〜1605年)はこの家出身です。お金持ちだったのは間違いないようで、建設を依頼した建築家は、ジャコモ・デッラ・ポルタ、ジローラモ・ライナルディ、カルロ・マデルノとそうそうたる顔ぶれです。
祭壇画はフェデリコ・フィオーリによる聖餐を描いたもの。両脇には聖ピエトロと聖パオロ、そして祭壇に向かって左右の壁には、左クレメンス8世、右聖セバスティアーノの彫像がそれぞれ安置されています。
この聖セバスティアーノ像については、ミケランジェロが後ほど紹介するこの教会で最も有名な「贖いの主イエス・キリスト」像を作ろうとしたが、大理石に瑕があることがわかり、途中で断念した大理石で作られているという噂が飛び交っていたそうです。ミケランジェロが断念した大理石が2000年に見つかって、この噂は幕となりましたが、疵物の大理石で作られていたとしたら、聖セバスティアーノにとってはいい迷惑ですよね。 -
右側7番目は聖レイモンド・ペニャフォールに捧げられた礼拝堂。祭壇画は聖人と聖パオロ(右側)を描いたもので、ニコラス・マグニ作。ペニャフォールはドメニコ会出身で、中央上のキリスト像を一心に見つめています。
装飾の少ない、比較的古っぽい礼拝堂ですが、こういうのが実は好みです。 -
右翼廊手前に、傷んではいるものの、とても印象的な絵がありました。祭壇が作られているので、こういう形式のものは祠と呼んでよいのかしら?
ジローラモ・シチリランテ・ダ・セルモネータ作のシラクサの聖ルチアとシチリアの聖アガタ。共にシチリア出身の3世紀の女性聖人です。
ナポリの船乗りの聖人として、サンタ・ルチアという歌でもお馴染みのルチアはキリスト教徒への迫害により、最後は目をえぐり取られて殉教しました。見にくいですが、よく見ると、お皿の上には目が載っています!
アガタは、シチリアのローマ人権力者の意に従わなかったため、両乳房を切り取られたことで有名で、今もお皿に並べて手に持っていますね。気持ち悪いのですが、彼女らはこうやって描かれることが多いようですね。
2011年にマルタを訪問した際、守護聖人としてのアガタが非常に高かったので驚いたことがありした。 -
さて、翼廊奥にある教会の至宝 カラファ礼拝堂にやってまいりました。ミケランジェロの「贖いの主イエス・キリスト」像より価値が高いのではないかなあ・・・
1489年、枢機卿オリヴィエロ・カラファにより、聖母被昇天と聖トマス・アクィナスに捧げられた礼拝堂です。教皇の海軍提督であったカラファは、オスマン帝国(トルコ)艦隊を撃沈させたことで有名になりました。
すぐに目に飛び込んでくる勝利の門(凱旋門)には、フィリピーノ・リッピによるフレスコ画が満載です。 -
祭壇画は油絵の具で描かれています。またしても大天使とマリア以外の人物が登場する「受胎告知」です。二人の間でないだけ、まだ良いのですが、どうしてこの二人だけの特別な空間に割り込む人たちがいるのでしょう?? で、教会の説明書きを見たら、この絵のタイトルは「受胎告知」ではなく、「聖トマス・アクィナス」となっていました。
な〜るほど。
黒い服を着た、シチリア出身のドメニコ会士トマス・アクィナスがカラファ枢機卿をマリアに紹介している場面だと思われます。彼は『神学大全』で知られるスコラ学の権威です。
リッピの描く女性像は顔も美しいですが、しぐさが何とも言えず優雅です。 -
フィリピーノ・リッピは父である、素行がよろしくない修道僧にして偉大なる画家フィリッポ・リッピと修道女ルクレツィア・ブーティとの間に生まれ、父が亡くなった後は父の弟子であったボッティチェリに育てられたと言われています。父譲りの絵の才能にボッティチェリの感性が加わった画風で、ルネッサンス期を代表する画家の一人です。
私には、右側お二人の存在は邪魔でしかありません。あえて、手で右側をふさいで大天使とマリアだけを見てみると、あら不思議!二人だけの空間が確かに存在しているのを感じましたよ。おためしあれ! -
カラファ礼拝堂の祭壇画の上には、同じくリッピの天使達の楽団を引き連れた聖母被昇天。その下、フレスコが消えてしまった箇所がありますが、これは、テレヴェ川の洪水が残した置き土産です。
教会の地味なファサードの右側に、度重なるテレヴェ川の洪水で、水がここまで来たというマークがいくつもつけられていたそうですが、気が付かなかったなあ。 -
祭壇のある右側の壁には、リッピの傑作と言われるフレスコ「聖トマス・アクィナスの勝利」が描かれています。アリウス派(キリストの人性を主張し、三位一体を否定した)やサベリウス主義(神なる神と子なる神は様態が異なるだけで、どちらも唯一の神であると主張した)に対して、アクィナスが「異端である「」というお裁きを下した場面のようです。考え方の違いというだけで、悪魔にされてしまうのですから、自由な発想をする人にとってはたまったものでありませんね。
キリスト教は迫害されましたが、自らも他の宗教を攻撃、迫害しています。更に、様々な価値観を認めないという点が、こののち多くの問題を生んでいくことになります。
また話がそれました。
「トマス・アクィナスの勝利」の上には「トマス・アクィナスのヴィジョン」。様々な寓話がモデルとなっていて、こちらも理解するのが難しい作品。
天井は、やや痛みの激しいですが、ラファエリッロ・デル・ガルボ作のシビュラ達が一面埋め尽くしています。
どこを見ても素晴らしいけれど、やはり祭壇のマリアさまに勝るものはありませんでした。聖母被昇天は双眼鏡が欲しい!
1489年〜1493年にかけて作られたこれらの絵画、フレスコ画はローマのルネッサンス期における最も重要な作品の一つとされています。この礼拝堂にはトマス・アクィナスの遺骨も安置されていましたが、後年故郷のナポリに移されたそうです。 -
教会の右端にあるこちらの礼拝堂は、アルティエリ家のもので、珍しいことに全ての聖人に捧げています。1671年にアルティエリ家出身の教皇クレメンス10世(在位 1670年〜1676年)が枢機卿カミッロ・マッシモに命じて建築しました。
祭壇画は、「聖母、聖ピエトロと聖人達」で、その「聖人達」は全て教皇が列聖した人たちです。
左右の壁に対で置かれている胸像は教皇の父と兄弟です。こちらの壁面も、白が混じった大理石が巧みに使われていて、石好きとしては座布団1枚! -
もう一度、カラファ礼拝堂を振り返ります。異教の民はお陰様で満喫しましたよ。
-
聖域の右側の礼拝堂は、ロザリオの聖母に捧げられていました。
ここは1485年から1855年までシエナのカテリナの礼拝堂だったところです。かつて、祭壇画の「ロザリオの聖母」はフラ・アンジェリコの作とされていましたが、これはどうも間違いだったようです。筆遣いが彼とは異なるような気がしますね。
暗くて良く見えないのですが、左右の壁にはシエナのカタリアの日々からの場面が描かれているようです。
写真右下に見える大理石の球は、何故か「シエナのカテリアのボール」と呼ばれています。 -
聖域には、他の教会のような大天蓋や祭壇画はなく、後陣の6枚のステンドグラスのみが暗闇の中に浮きあがっていました。
この教会では17世紀にバロックへの改装を行いましたが、19世紀にそれを再びゴシックに変えたのです。 -
ステンドグラスの6聖人は、ヴィンセント・フェレール(ドメニコ会)、ステファノ(新約聖書に登場するユダヤ人キリスト教徒)、アレキサンドリアのカテリナ、シエナのカテリナ、ドメニコ(ドメニコ会の創設者)、教皇ピウス5世(ドメニコ会出身)。
右の2人がはっきり撮れていないので、分かり難いですねえ。ご容赦! -
ステンドグラスの上、後陣の半球部分に、全能の神を中心に置いた、この教会3つ目の「受胎告知」を発見しましたよ。
-
祭壇下には、シエナのカタリナの墓がありました。彼女はここに埋葬されていますが、頭部だけは、シエナのサン・ドメニコ教会にあるそうです。頭と体が離れ離れは可哀想な気がするなと思ったら、ウィキペディアにこんな話が載っていましたよ。(以下転載)
カタリナは1380年春、発作のためにローマで急死。シエナの人々は、彼女の遺体が戻ることを願った。伝説では、カタリナの頭がどのようにシエナへ帰ることができたかに触れている。シエナの人々は彼女の遺体全てを運んで検問を通過できないことを知り、頭部だけを鞄に詰めて持ち帰ることにした。それでも彼らは警護兵に制止されてしまい、彼らは力添えをカタリナに祈った。もはや検問を突破できないと悟った彼らは、鞄を開けて中を見せたが、そこにはバラの花びらがたくさん入っていた。シエナへ着いてから鞄を開けると、彼女の頭部はその中にあった。この伝説のために、カタリナはいつもバラを持った姿で表される。 -
主祭壇の後方左右の壁には、対の教皇のモニュメントがありました。こちらは祭壇向かって右側のクレメンス7世の方。教皇の彫像はマンニ・ディ・バッチオ・ビギオによるものです。
反対側にはレオ10世。共にメディチ家出身の教皇です。勿論偶然ではありません。 -
主祭壇の左側にある、ミケランジェロ作の「贖いの主イエス・キリスト像」前は、観光客が最も集まる場所です。しかし、混雑していても、あきらめることはありません。彼らはあっという間に去っていき、独占できるまでにそんなに時間はかかりません。
この時はそういうラッキーな時でした。あまりの混雑に嫌気がさして、他の場所を訪れた後に再びやってきたのです。 -
ミケランジェロが作品の依頼を受けたのは1514年のこと。しかし、彼が最初に作り始めた大理石は、中に黒い部分があり、途中で断念。再び仕事を開始したのは1519年になってからでした。1521年に彼はローマを去り、残りの仕事は弟子に託します。最終的に仕上げたのはフェデリコ・フリッツィです。
彫像が初めはヌードだったことも有名ですね。キリストのヌードは不謹慎だと一時は頭の上の光輪、衣服、右足のサンダルがつけられた姿だったことがあるそうです。さすがにやりすぎと削除されましたが、なおも不自然な形で腰布がぶら下がっています。 -
この後、主祭壇脇に、ひっそりと眠るフラ・アンジェリコを発見しました! 彼もまた、ドメニコ会修道士だったのですね・・・
-
彼は、1455年にここの修道院で亡くなりました。墓を彫ったのは、イサイア・ダ・ピサだと言われていますが、確証はありません。
彼は誰からも愛される性格で、よく正反対のフィリッポ・リッピと比較されます。「天使のような修道士」と言う意味のニックネーム フラ・アンジェリコがそのまま本名のように扱われているのですから。1984年、教皇ヨハネ・パウロ2世は、彼が聖人と同等の福者に値するとし、彼の墓の前で、芸術家の守護聖人(パトロン)であると宣言したそうです。 -
いかにも彼らしい、ひっそりと静かで地味な墓でした。
彼の碑文の最後にはこう書かれています。
「願わくはローマの町が私を花咲き乱れるトスカーナへ運んでくれることを!」
故郷のトスカーナを離れ、彼はヴァチカンで、教皇ニコラウス5世の礼拝堂のフレスコ画を作成するために、こちらの修道院に滞在していた最中に、死に見舞われたようです。 -
左手前のルファ・アンジェリコの墓は、教会のvestibolo(前庭)と呼ばれる部分にありました。この先に見える扉が、教会の裏口です。それで、分かりましたよ。先ほど通ったフラ・アンジェリコ通りは、あの扉に通じる通りだったのですね。
トマス・アクィナスの礼拝堂(カラファ礼拝堂)は以前ここにあったそうです。現在は、アンジェリコの墓の他にも大きなモニュメントが3つありました。
向かって左側は、枢機卿ミケーレ・ボネッリの祈念碑。ジャコモ・デッラ・ポルタのデザイン。制作はシッラ・ロンギ・ダ・ヴィッギウとステファノ・、マデルノ。1604年。 -
右側には、スペインの枢機卿ドメニコ・ピメンテルのモニュメントで、こちらはベルニーニの設計。制作はエルコーレ・フェッラータ他2名。1653年。
扉の上には、もう一つの枢機卿カルロ・ボネッリのモニュメントがありました。設計はカルロ・ライナルディ。制作はコジモ・ファンチェーリ他。
なんとも凄い顔ぶれです。3巨匠の作品がこの狭い空間に集合しているのですから。 -
主祭壇向かって左翼廊の奥にあったのは、マグダラのマリアに捧げる礼拝堂です。
祭壇には、以前はマグダラのマリアだったそうですが、現在はベノッツォ・ゴッツォーニ作の「聖母子」に変わっています。なんとこの絵、シルクに描かれているんですって! 1449年の作ですから、もうボロボロですね。
祭壇向かって左側の古い墓は、15世紀ルネッサンス時代のもの。石棺は古代ローマ時代のもので、紀元前4〜5世紀頃のギリシャのもののコピーを使用しています。棺と蓋のサイズが合っていないような気がしますねえ。 -
続いての聖具室は、翼廊の左側から廊下を伝って行けるようになっていました。アンドレア・サッキがデザインした大変豪華な部屋です。天井はスタッコで装飾されていて、中央にある「聖ドメニコの神格化」のフレスコ画が目を惹きます。
聖具室にも祭壇があって、こちらにもサッキの「聖人と磔刑」が飾られていました。
聖具室のスポンサーは枢機卿アントニオ・バルベリーニ。ということで、お馴染みの蜂があちこちに止まっていましたよ。 -
聖具室から次の礼拝堂への途中で見かけたステンドグラスです。
聖母子の像を抱えたこの女性はどなたかしら? -
こちらは、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会で最も広い聖ドメニコ(ドメニコ会創立者)に捧げられた礼拝堂です。1725年、ドメニコ会出身の教皇ベネディクトゥス13世(在位 1724年〜1730年)の命により、フィリッポ・ラグッツィーニが設計しました。
右側に見える壮大な墓は、ベネディクトゥス13世の墓。彼がまだ存命中に作ったものです。大変お気に入りだったとか。設計はカルロ・マルキオンニ。 -
祭壇画は、二つの絵が合わさった不思議な絵です。中央の絵はフラ・アンジェリコによる聖ドメニコの肖像のコピー。それをアレキサンドリアのカテリナとマグダラのマリア、そしてプットが支え、後方に聖母を配しています。
こちらはパオロ・デ・マッテイスの作品。
2012 S. Maria sopra Minerva c, Cappella di S. Domenico a,
La Madonna offre l'icona con i Ss Domenico, Caterina e Maria Maddalena di P. Matteis 1725 ca -
祭壇向かって左側にあったのは、「聖母マリアと三人の神の子」の彫像。キリスト、洗礼者ジョヴァンニ(ヨハネ)、福音記者ヨハネの三人です。足元にいるのは子羊でしょうか? 洗礼者ジョヴァンニとキリストの子供時代の絵(二人は親戚同士)はよく見ますが、福音記者ヨハネが加わっているのは初めて見ました。彼はガラリアの漁師だったはずで、幼い時代にキリストと面識があったことはないと思います。
フランチェスコ・グラッシアとフランコ・シチリアーノによる17世紀の作品です。 -
お隣の祭壇は、ポーランド出身の聖ヒヤシンス(サン・ジャシント)の礼拝堂。お花の名前の様なこの聖人のことは存じ上げませんが、聖母からのヴィジョンを受けている場面が気になりました。
「ヴィジョンを受けている」場面を描くときには、このもやもやとした白い曲線が出現する確率が高いです。オッタヴィオ・レオーニの1598年の作品です。 -
十字架を持った、少々おとなしめの洗礼者ジョヴァンニ像も教会のどこかにありましたよ。こちらは1858年、G オビチの作品です。
-
ランテ・デッラ・ローヴェレ礼拝堂の外にあったのは、オッタヴィアーノ・ウバルディーニ・デッラ・ゲラルデスカのモニュメント。バルベリーニ家出身の教皇ウルバヌス8世(在位 1623年〜1644年)の軍司令官だった人です。
青と水色が沢山使われていて、とても色彩豊か。湿っぽさを感じさせない明るい(?)装飾で気に入りました。
-
ピウス5世の礼拝堂の真向いの柱にあったこちらのモニュメントは、ベルニーニ作のマリア・ラッギの記念碑です。1647年。
垂れ幕のように歪んだ形をした、黒い大理石と金メッキした青銅でできたこの小さな記念碑を見た瞬間、誰もがベルニーニを思い浮かべる、彼の個性が存分に表現されている作品だと思います。思わずため息が出てしまいました。作品沢山ありすぎと思ったけれど、表現力の圧倒的な豊かさにはただただ脱帽です。
マリア・ラッギはジェノヴァ出身。ジェノヴァが当時支配していたギリシャのキオス島に暮らしていましたが、1566年に島はトルコ軍に占領され、夫を殺されました。ローマに戻ったマリアは修道女となって、その後の人性を神に捧げます。記念碑は、彼女の親戚枢機卿ロレンツォ・ラッギの命によるものです。 -
あと二つだけ礼拝堂を紹介。
こちらは、グラッツィオニ家の聖セバスティアーノに捧げられた礼拝堂です祭壇画の「救い主キリスト」は、以前この礼拝堂の持ち主だった「神聖な救い主の社会」と呼ばれる奉仕団体に、教皇クレメンス8世(在位 1592年〜1605年)から寄付されたものです。
祭壇左には、洗礼者ヨハネ、右にはセバスティアーノの像が立っています。。 -
これが問題のキリスト像。この絵を描いたのは誰か?という論争ではピエトロ・ペルジーニとピントゥリッキオが他者の追随を許していません。でも、どちらなのかは、まだ決着がついていないそうです。
この絵は光線の加減で、どこから撮っても顔がはっきり撮れず、ようやく見つけた最良と思われる地点からでもこの程度。私はペルジーノに1票あげたい! -
最後は、洗礼者ジョヴァンニ(ヨハネ)の礼拝堂です。
礼拝堂の絵画はフランチェスコ・ナッピによるもので、17世紀初頭の作品。中央にはいつもワイルドな洗礼者ジョヴァンニ。背後の赤いマントが大変鮮やかで印象的です。祭壇の左右、天井もすべて彼の作品ですが、写真はありません。 -
お終いは、バラ窓のステンドグラスです。真ん中に聖母がいるものやヴァージョンや、祈る人と触角が交互に現れるヴァージョンなどもありましたが、全てブレブレで、こちらだけ何とかセーフでした。周りの人物はドメニコ会の聖人達でしょうか?
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァには、この他ガリレオ・ガリレイが地動説を否定させられた裁判が行われた異端審判所があったようですが、気が付かないまま出てきてしまいました。
長くなりましたので、この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その31 パンテオン〜サンタ・マリア・マッダレーナで!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- マリアンヌさん 2015/10/13 16:44:03
- 素晴らしい教会
- junemayさん、こんにちわ。
いつも内容の濃い旅行記を楽しませていただいています。
とても詳しく書いて下さるので、ガイド本も及ばないほどで
感心しています。
私などはすぐに吸収できないけど、次回ローマに行く機会があったら
再読しなくちゃって思ってます。
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァは行ってみたいと思いつつ、まだ行ったことがない教会でやっぱり内容が濃いですねぁ。
青い天井も素敵だし、フィリピーノ・リッピの受胎告知、面白いですね。
私は今年フィレンツェのバディア教会で彼の絵を見てきました。
これからもずっと続く旅、楽しみにしています。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2015/10/15 21:00:40
- RE: 素晴らしい教会
- マリアンヌ様
教会ばかりの旅行記、皆さまそろそろ飽きたのではと思っておりましたので、嬉しいお言葉ありがとうございます。
前もって調べていったところばかりでなく、事後に調べて判明したことも多いのですが、奥が深い世界なので、私の書いていることなど、まだまだ入口の先っぽ位の内容です。
遅々として進まないのですが、嬉しいお便りを励みにマイペースで頑張ります。ありがとうございました。
今、草津の温泉におります。ネットが繋がらない世界におりましたため、お返事が遅れて申し訳ございません。
junemay
> junemayさん、こんにちわ。
>
> いつも内容の濃い旅行記を楽しませていただいています。
> とても詳しく書いて下さるので、ガイド本も及ばないほどで
> 感心しています。
> 私などはすぐに吸収できないけど、次回ローマに行く機会があったら
> 再読しなくちゃって思ってます。
>
> サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァは行ってみたいと思いつつ、まだ行ったことがない教会でやっぱり内容が濃いですねぁ。
> 青い天井も素敵だし、フィリピーノ・リッピの受胎告知、面白いですね。
> 私は今年フィレンツェのバディア教会で彼の絵を見てきました。
>
> これからもずっと続く旅、楽しみにしています。
> マリアンヌ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
junemayさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
81