2014/03/21 - 2014/03/21
141位(同エリア626件中)
たびたびさん
- たびたびさんTOP
- 旅行記737冊
- クチコミ35352件
- Q&A回答420件
- 5,392,389アクセス
- フォロワー667人
堺は、南蛮貿易で栄えた歴史をもっているのですが、それだけではなくて、仁徳天皇陵を中心に百舌鳥古市古墳群もあって、観光資源が豊富な街です。
ただ、関西では、たぶん、そんな位置づけにはなっていない。ズバリ言えば、堺に観光地としてのイメージはないかもしれません。
いくつか理由があると思うのですが、まずは、堺の玄関がどこか分かりにくい。南海線の堺駅と堺東駅があって、賑やかなのは堺東駅。しかし、では観光の際、堺東が便利かというとそうでもないし、堺駅が便利かというと、これもそうとは言い切れない。古くからの街並みの残る寺の集まる地域は、堺駅からでもそれなりに歩くことになるんです。先般の堺旅でやっとこの辺りの事情が分かったのですが、一方で、見所の豊富さにも正直驚きました。関西では、今井町の宣伝がよく浸透していますが、しょせん堺へのアクセスの良さで栄えた街。堺の観光は、今井町の10倍は楽しいんですが、それが分かっている人がどれだけいるのか。心もとない状況になっていると思います。
そして、その流れで、今回は、古墳群をメインにルートを考えてみました。これも、かなり広い地域でしたし、結局のところ、最寄駅は御堂筋線の百舌鳥駅でした。堺は三つの国が接する場所という意味の名前なのですが、それと同じで、とにかく、どこからどうやって観光していいか分からない。そんな街であることを改めて実感しました。
味わい深い観光ができる街なのにとても損をしている街。もう少し改善が出来ないのか、今でも残念でなりません。
PR
-
天下茶屋駅は、堺筋線と南海電車の乗換駅。堺に行く前に、ちょっと途中下車して近くを散策してみましょう。まずは、駅前商店街。
-
まだ朝8時過ぎだったこともあって、開いているお店は少なかったのですが、 唯一、もぐらやというお菓子屋さんがやたら元気。
-
店内でお菓子を作っている真っ最中でした。
それにしても、商店街を活気付ける意味でこういうお店は貴重です。 -
ちなみに、「もの字焼」はどら焼き。粒々の餡子がすっきりした甘さ。切れのあるどら焼きです。これをいただきました。
-
続いての正円寺は、天下茶屋駅から歩いて10分。標高14mの小山、聖天山の上に建つ寺です。
-
通称は、「天下茶屋の聖天さん」で、平安時代の天慶2年(939年)の開基。
-
本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、いわゆる歓喜天。日本最大のものなのだそうです。
なお、この山自体が聖天山古墳と呼ばれる古墳のようです。 -
ふもとにある兼好法師の藁打ち石。一度盗まれたことがあるようで、今は厳重な囲いの中にありました。
-
裏手は、公園になっています。
-
今度は、天下茶屋公園。
-
公園には阿倍寺塔刹柱礎石という遺跡がありました。
ちなみに、阿倍寺は、四天王寺の末寺。礎石は花崗岩でできており、白鳳時代の五重ノ塔のものと言われます。
以上で、天下茶屋は終了。 -
南海の堺駅に到着です。
まずは、海岸方面の散策です。 -
これは、南蛮橋。橋の欄干にたたずむ南蛮人のモニュメント。雰囲気ありますね。
-
それを過ぎて、
-
大きな石碑は、天誅組義士上陸遺蹟碑。
ちなみに、天誅組は、幕末に起きた尊皇攘夷を旗印にした武装集団。大和国で挙兵するのですが、単なる武装集団と化し、幕府軍の追討を受けて壊滅します。水戸でも、天狗党が起こったりして、いわば世直しの気概だったのでしょうが、気概はあっても、新しい世の中の道筋が見えていたわけではない。しかし、こうしたエネルギーが幕府を弱体化させ、明治維新へと動かしていくことになったのでしょう。 -
土佐十一烈士之碑も隣りです。
-
龍女神像は、堺市の北波止突堤。対岸から眺めましたが、高さ16mの石張りの台座上に立つ10mのブロンズ像という大きなもの。明治36年の内国勧業博覧会で大浜水族館前に設置されたものを、平成12年の市制110周年記念事業で復元されたものです。
-
蘇鉄山は、大浜公園内にある一等三角点のある山としては日本一低い山。
-
明治12年の大浜公園開園時、大阪湾の展望のための築山として整備された山だそう。
名前は蘇鉄山でも、周囲は松の木の林になっています。 -
ところで、大浜公園は、明治12年、大阪府が旧堺港の南にある陸軍の砲台跡に南公園として開設したのが始まり。公園内には、堺市立大浜体育館、堺市立大浜公園相撲場、大浜公園野球場などもあります。
-
海岸の方に出てきました。いい眺めです。
-
イチオシ
と、こちらは何でしょう。「浪漫やさかい」というんですか。旧堺燈台の対岸にできた壁面アートですね。
工場の壁面に掛かれたもので、縦11m、横155m。堺に入港してくる南蛮船や上陸してきた南蛮人などを活き活きと描いていて、そのすばらしさに目を見張りました。堺の歴史に思いを馳せる。とてもいいものが出来たと思います。 -
旧堺灯台は、明治10年に建てられた高さ11.3mの六角錘形の木造洋式灯台。下から見上げると意外な大きさがあって、遠くから見ていたのと違ってちょっと感動します。昭和43年には、その役割を終えましたが、保存され、国の指定史跡となっています。
-
では、また堺駅に戻ります。
-
プラットプラットは、堺駅隣り。1階と2階で、堺駅と直結している南海電鉄直営のショッピングモールです。カラフルな外観が、ちょっと南国風で目を引きますが、一階の吹き抜けホールもいい感じ。ここのステーキの店、南海グリルは、堺では有名店です。
-
こちらの千鳥屋宗家も、プラットプラットの一階。間口が広くて開放感のある立派な構えの和菓子屋さんです。千鳥屋自体は、福岡の飯塚がルーツ。千鳥饅頭もそこで生まれました。今はあちこち暖簾分けをしていて、このお店も本店は大阪です。一方で、むか新と同じみたらしのたれを包んだびっくりみたらしだんごがここにもあって、いろんな顔をもっているんだなあと感心しました。
-
では、堺の中心部へ向かいましょう。
-
南海グリルのやっている堺みやざき館 KONNEでは、南海グリルのコロッケが食べられるという情報があって、訪ねました。ザビエル公園から歩いてすぐ。
-
惣菜なんかも売っているデリカテッセンのような店内に目指すコロッケはありました。さすがに牛肉のうまみがきちんとあって、想像通りのコロッケでした。でも、駅にあった方が便利でしょうあし、ここにしか置いていないのはもったいないなあと思います。
-
近くにあるザビエル公園です。イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが堺に来たのは、天文19年(1550年)。その際、手厚くもてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡が現在のザビエル公園です。
-
園内に「聖フランシスコ・ザヴィエル芳躅」碑がありました。
-
そして、こちらは、利休を生んだ堺の街の和菓子屋さんで、どうしても気になっていた八百源来弘堂です。
-
こちらは創業200年。名物は、肉桂餅(にっきもち)。「肉桂」を求肥に練り込んで、小豆のこし餡を包んだお菓子です。想像以上にふわふわと柔らかい。それが微妙に餡子と溶け合う感じが特徴的です。たぶん、この溶け具合を考えれば、単独で食べるよりも抹茶と一緒にいただくと合うんでしょう。真価はその辺りにあるようにも思いました。
-
先ほどもありましたが、土佐十一烈士之墓は、妙国寺の向かい。宝珠院境内の幼稚園の中にあります。表には、大きな石の柱があって、これに「土佐十一烈士之墓」と書かれていますが、墓の方はそちら。幼稚園が開いていれば見せてくれるそうですが、休みの日なので、遠くから眺めるだけになりました。
ちなみに、土佐十一烈士は、堺事件で切腹した土佐藩士11人。事件は、明治2年、フランスの軍艦が堺港に来航し港内を測量した際、乗員が条約を無視して堺港に上陸したため、警備を命じられていた土佐藩が発砲、フランス側に十数人の殺傷者が出たため、その責任を取ったというものです。 -
緑の遊具の向こうがお墓ですが、見えるのはここまでです。
-
その隣りには本受寺。山門に説明書きがあって、西宗真(洗礼名るいす)の菩提所だとか。西るいすは、元は肥前大村の領主大村喜前の家臣だったのですが、堺に移り、フィリピンへも度々渡航する豪商となった人物。寺内には家康から受けた渡海御朱印状が残されているそうです。
-
堺は、戦国時代、海と三方を濠で囲まれた城塞都市だったのですが、土居川公園は、堺の街を守ったその三方のお濠の名残り。お濠は現在の土居川の始まりで、昭和40年代はじめに埋められて道路になりましたが、東側の道路に沿って公園が作られ、それが今の土居川公園です。
-
公園には地図があって、位置関係が確認できました。
-
今度は、方違神社の方に向かいます。
神社の近くにある江久庵は、立派な構えの和菓子屋さんですね。 -
利休茶室を再現した朝雲庵という茶室が中庭にあって、それを見せてもらいました。忙しい時間だったと思いますが、お願いをすると若い女性従業員が案内をしてくれて、いろんな解説までしてくれました。社員教育も行き届いて、一流店の格の違いを見たような気がしました。ありがとうございました。
-
方違神社は、摂津、河内、和泉の境の三国山にあって、三国のいずれにも属さない地。方位のない地であるとして信仰を集めた神社。堺の名前自体がそもそも摂津、河内、和泉の境ということがあるので、堺のまたその先のルーツということかもしれません。
方位に関係した転勤、結婚などの転居や海外旅行などの際に祈願する参拝者が多いそうです。 -
反正天皇陵古墳は、方違神社に隣接した古墳。百舌鳥古墳群では北の端。全長約148m、後円部径約76m、高さ約14m、前方部幅約110m、高さ約15mで、百舌鳥古墳群では7番目の大きさです。
-
周囲は、二重濠となっています。
-
さらに歩いて、JR阪和線堺市駅まで。
ベルマージュ堺は、市駅の西側の再開発複合施設。堺市駅周辺は、めぼしい施設もなく、比較的さみしい場所。再開発はうなずけるのですが、主要テナントのイズミヤもさほどの規模はないし、レストラン街は小さいし、与謝野晶子文芸館も地元の認知度はイマイチのよう。起爆剤としての効果は限定的だったのではないかと思います。 -
常設展「与謝野晶子 生涯と作品」では、直筆の色紙・短冊や原稿、歌集・評論集、愛用の家具など約50点が展示されています。「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の「みだれ髪」や「君死にたまふことなかれ」などの鮮烈なイメージがあるのですが、その作品は思っていた以上に、膨大。鉄幹とともに、日本漫遊の旅をしていたり、源氏物語の現代語訳などの活動も、やはり有名なだけではない、実力派の文芸作家であったことが偲ばれました。
-
堺市文化会館がベルマージュ堺の中にあることは調べていたのですが、二階の入口はとてもわかりにくい。おまけに、地元の人に聞いても知らない人ばかり。。
ちなみに、館内は、3階が与謝野晶子文芸館、4階がアルフォンス・ミュシャ館。ミュシャのコレクションはかなりまとまっていて、チェコ共和国で生まれのアール・ヌーヴォーの代表的画家の世界が忠実に再現されているように感じました。 -
かどやは、堺市駅からすぐの小さな食堂。名物、カレーうどんと書いた大きな看板が目に入り寄ってみました。
-
正直言えば、そんなにうまいということでもないのですが、出汁で合わせた優しい味わいのカレーに、刻んだ油揚げが入って、アクセントになっています。麺は、柔らか目。全体として、地味な京都のカレーうどんのような印象です。
-
ここから、いよいよ古墳巡りをするので、もう少しお腹に入れておきたいところ。
目に入ったとりあんは、堺市駅前の踏切横にある、中津がルーツという鶏のから揚げ屋さんです。注文を受けてから、揚げてくれました。中津には有名店がいくつもあるんですが、こちらはどうでしょうか。 -
あれれ。これって、もりやまとか、チキンハウスにも全然負けてないですよ〜。このお店は、本物です。
-
では、一駅ですが、堺市駅から三国ヶ丘駅まで移動します。
-
三国ヶ丘駅に到着。ここからひたすら古墳群を回ります。
まずは、永山古墳。
この辺りの古墳は、仁徳天皇量を中心とする百舌鳥古墳群に属しています。 -
車がビュンビュン通る中央環状線のすぐ脇で、けっこうな大きさ。全長104m、後円部の径は約63m、高さ9m。前方部は幅67m、高さ約8mの前方後円墳。堀もしっかり残っています。
-
丸保山古墳は、仁徳天皇陵の西側にある古墳で、その陪塚とされるもの。
-
形は、帆立貝のような形をした前方後円墳です。全長は約87m。周囲には一重の濠がめぐっています。永山古墳から回りましたが、永山古墳に比べるとかなり規模は小ぶりに感じます。
-
早く仁徳天皇陵を見たいのですが、辺りには、小さな古墳がたくさんあるようです。
-
とにかく、仁徳天皇陵を左回りに進むこの遊歩道を進んでいきます。
-
途中に、歌碑や
-
案内板もありますが、景色としては単調ですね。やぶが続く感じです。
-
だんだん視界が開けてきました。
-
もうすぐでしょうか。
-
これは、銅亀山古墳。仁徳天皇陵古墳の西南の角なので、ここを回るともう仁徳天皇陵のはずです。
ちなみに、この古墳は一辺が26m、高さ4.6mのの二段の方墳です。かつて、この上に、高射砲陣地が築かれたこともあって、もし立札が立っていなかったら、何でもない雑木林のように見えるでしょう。 -
おー、見えてきました。
これでしょう。 -
イチオシ
仁徳天皇陵は、日本最大の前方後円墳であり、墓域面積では世界最大とされる大規模な古墳。
-
周囲は約3キロの距離があるんですが、ここまででもかなり歩いたような気がします。
-
いくつかあった小さな古墳は、倍塚と言うんですね。全部合わせると100以上あって、百舌鳥古墳群を構成しています。
-
イチオシ
さて、これが正面です。
-
南に広がるのが大仙公園です。面積は81haもあります。
もともとは、寛永年間に幕府代官高西夕雲と堺の豪商木地屋庄右衛門によって開発された「夕雲開」と呼ばれる新田。一方で、園内には小さな古墳も点在していて、独特の雰囲気があります。堺市博物館や自転車博物館、堺市都市緑化センターなどもあって、施設も充実しています。 -
自転車博物館サイクルセンターは、大仙公園の端っこ。堺には、大手の自転車メーカー、シマノの本社があるのですが、この施設も運営も財団法人シマノ・サイクル開発センターが行っているようです。
-
展示は、自転車の発明から、その後の発展過程を紹介するもの。今では当たり前の乗り物ですが、早い時期からスポーツの対象となったことなど、
-
人間の力で動くことがどんなに素晴らしいのかを改めて考えさせられました。
-
大仙公園日本庭園は、市制100周年を記念し造られた2.6haの庭園。
有料200円です。 -
庭園様式は、築山林泉回遊式。
-
池には鴨が集まってきていて、餌やりをする人も何人かいたり、
-
のどかな雰囲気。
-
椿の展示が開かれていました。
-
イチオシ
-
-
竜佐山古墳は、「たつさやまこふん」と読みます。仁徳天皇陵古墳に南接する全長67mの帆立貝形の前方後円墳。
-
仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられています。調査では葺石と円筒埴輪があり、幅10m程の周濠も巡っていたようです。
-
孫太夫山古墳は、仁徳天皇陵古墳に南接する全長約56mの帆立貝形の前方後円墳。
-
竜佐山古墳の東側で、竜佐山古墳と同じく、仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられています。
-
周囲のお濠は水をたたえていまして、芝生の大仙公園に続く穏やかな景色となっています。
-
堺市博物館にも寄ってみます。
-
堺は、戦国時代から安土・桃山、江戸時代初期にかけて、自治権を持つ商人の街であり、南蛮貿易を基盤にした経済・文化の華々しい歴史があったことは分かるのですが、江戸時代を通じて、どのような街だったのかにも興味がありました。
常設展では、結局、朱印船貿易の後は鎖国の成立により貿易の窓口は長崎に移され、経済の中心は大阪に奪われるということで、一地方都市になって行ったという説明。博多の経過に似ているようにも感じましたが、博多は九州の中心地として見事に復活しています。堺は大阪との一体化で復活するのも手だと思いますが、地元の意識はそうではないよう。模索の道は続いています。 -
竹野紹鴎は、利休のお師匠さんにあたります。
-
で、こちらが利休像。
-
さて、再び古墳巡り。
収塚古墳は、「おさめづかこふん」と読みます。仁徳天皇量を中心とする百舌鳥古墳群の一つの前方後円墳です。すぐ近くにある大仙陵古墳の陪塚ということですが、ここも国の史跡。
5世紀中頃から後半に造られたもので、高さは4m、全長61mです。 -
長塚古墳は、仁徳天皇陵の南東。百舌鳥駅のすぐ西側なんですが、駅から出ると方向感がつかみにくいので、ちょっと探すのに苦労します。
前方後円墳で、全長102m、後円部径57m、後円部高さ8.2m、前方部幅67m、高さ8.3m。それなりに大きいのですが、堀はないので、荒れた小山のような感じ。碑が建っていなければ、古墳とは分からないと思います。 -
花と緑の交流館は、大仙公園の南端。堺市都市緑化センターの並びにある施設で、中を通って行くと、堺市都市緑化センターとつながっていました。
花と緑の交流館の方は一階のスペースが十分にあって、散策の休憩所として寛ぐには、こちらの方がいいと思います。 -
近くに咲くのは、桃の花。
-
紅白が鮮やかです。
-
花と緑の交流館の隣りは堺市都市緑化センター。センター内には、いろんな種類の植物が植えられて植物園のような景観になっているのですが、名前のとおり、例えば、街路樹だったらどんなものがあるか、公園の緑化をするにはどんな植物があるかといった、プロの業者が参考にするような目的の施設ではないかと思います。
-
七観音古墳は、履中天皇陵古墳の北側。大仙公園の南入口にある直径25m、高さ3mの円墳。比較的小さな古墳です。鉢巻状の壁で保存中。内部の様子はよく分かっていませんが、碧玉製の琴柱形石製品が出土したと言われています。
-
さらに進んで。
履中天皇陵古墳は、仁徳天皇陵から大仙公園の端。 -
古墳は全長約360m、後円部径205m、高さ約25m、前方部幅約237m、高さ約23mで、日本で3番目の大きさ。拝所があってそこを目指したのですが、濠のはるか向こうで、さすがに断念しました。
ちなみに、履中天皇は仁徳天皇の第一皇子とされています。 -
途中で、ルートを確かめて、
-
いたすけ古墳に到着。
こちらは、仁徳天皇陵の南側。履中天皇陵から、線路を越えて行くことになります。
全長約146m、後円部径約90m、高さ約11.5m、前方部幅約99m、高さ約10.5mで、百舌鳥古墳群では8番目の大きさ。
お濠が立派で、こちら側からかつては橋が架かっていたよう。半分崩れ落ちた橋の残骸が残っています。 -
善右ヱ門山古墳は、いたすけ古墳と隣接していまして、
-
いたすけ古墳に付随する古墳です。
-
続いて、御廟山古墳へ。
百舌鳥古墳群では4番目の大きさの前方後円墳。全長約186m、後円部径約95m、高さ約17m、前方部幅約119m、高さ約17mの規模で、濠が十分に広くて、これもなかなかに大きいです。墳丘は仁徳天皇の先代にあたる、第十五代天皇、応神天皇陵の第2候補と考えられています。 -
高林家住宅は、御廟山古墳の南側の住宅地の一角。
-
街道に沿って、白漆喰の土塀が続いていて、塀越しに、うっそうとした大木、豪壮な切妻造の茅葺屋根の母屋が見えました。敷地全体が、江戸時代の大規模な庄屋屋敷の構えを良く残しているということで、堺市の重要文化財となっています。ただし、内部は非公開です。
-
百舌鳥八幡宮は、主祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇ほか。百舌鳥古墳群巡りの途中に立ち寄りましたが、境内は、約一万坪という広々したもの。
-
イチオシ
高台に本殿があるのですが、その傍らに、大阪府の天然記念物にも指定されているという樹齢約800年の巨大なクスノキが立っていまして、
-
夕陽を受けて美しく輝いていました。
-
境内には、大阪場所の期間中で、巡業中の相撲部屋が来ています。追手風部屋で、人気の遠藤関の名前も見えています。
-
ニサンザイ古墳は、御廟山古墳から百舌鳥八幡宮を経由して訪ねました。地図で見る感じより、少し距離があるように思います。
ここは、百舌鳥古墳群の南東端。古墳は、全長約290mの全国8番目の大型前方後円墳。百舌鳥古墳群の中では最も新しく、5世紀後半から末頃に造られたとされています。名称のニサンザイは「陵」が語源。 -
周囲は、公園としてきれいに整備されています。
-
百舌鳥古墳群を回って、百舌鳥駅まで歩いて帰ってきたんですが、これってレンタサイクルってなかったのかなあ。
-
そう思って、近くの人に尋ねると、百舌鳥駅前のさかいコミュニティサイクルがこの四月からレンタサイクルを始めるんだそうです。百舌鳥古墳群はアップダウンも限られますし、たぶん、これは利用価値大のレンタサイクルになると思います。
-
御堂筋線だったので、どうせなら、晩飯はジャンジャン横丁に行きましょう。
ジャンジャン横丁は、動物園駅から新世界に向かう途中の飲食店街。細い通路には、大阪の名物、串揚げ屋さんの有名店がいくつもあって、今回は、てんぐ、だるまをはしごしてみました。 -
てんぐは、じゃんじゃん横丁にある超人気の串揚げ屋さん。隣りの八重勝と合わせて、長〜い行列ができて、混み合っていました。
-
イチオシ
ここの土手焼きが何んとも絶品。かなり煮こんではあるのですが、少し歯ごたえも残っていて絶妙。どろっとかかった煮込み汁には肉とか香辛料とか、ありとあらゆる旨味が詰まっていて、これまでの土手焼きのイメージが変わってしまいました。
-
イチオシ
食い倒れの街、大阪の面目躍如といったひと品です。
-
新世界は、通天閣のおひざ元。ごちゃごちゃとネオンや派手な看板が氾濫して、大阪のミナミを代表する観光スポットです。
-
イチオシ
二度付け禁止の串カツ屋さんとか24時間やっている店もあったり、浮浪者風のおじちゃんも歩いていたり、コテコテの大阪文化に触れたかったら、ここに行くしかないでしょう。
-
元祖串かつだるまは、いくつか店舗があるのですが、ここはジャンジャン横丁のお店。名前のとおり、串カツの大御所といったお店だと思います。カウンター席だけでなくて、テーブル席もあるので、ちょっと回転が悪いかなあとも思ったのですが、辛抱強く待つことに。
-
さて、串カツは揚げたてなら大抵はうまいものなんでしょうが、それでも衣自体に旨味があって、熱々の具材もちょっと質がいいような。
-
ソースをたっぷり掛けて、これはもうたまらないうまさ。絶品というしかないでしょう。
ところで、人気がある店とそうでない店は歴然と差があって、二つの店は長い行列。それでも、皆さん辛抱強く待っています。まあ、おいしいから最後は満足。帳尻はあっていたと思います。
さて、二日目も以上で終了。今夜の宿も京都です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
もっと見る
堺(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
120