2011/09/20 - 2011/09/20
444位(同エリア732件中)
まみさん
2011/09/20火 サマルカンド観光1日目
・コシュハウズ・モスク見学
・レギスタン広場(有料)約2時間
ウルグベク・メドレセ:ミナレットからの眺望&冬のモスク見学
ティラカリ・メドレセ:黄金のミフラブと昔の写真など
シェルドル・メドレセ
・チャイハナ風レストランのラビ・ゴールでランチ
・アイニー博物館(ブハラ生まれのタジク人文学者の家)見学(有料)
・アミール・ティムール廟見学(有料)
・ルハバッド廟(有料)&中庭の工房2ヶ所見学
~新市街のウニヴェルスィチェッティ大通り~ナヴォイ通り~
・郷土史博物館(有料)
~バスでレギスタン広場に戻る~
・レストラン・レギスタンで、天蓋テント風の座敷席で夕食
~レギスタン広場の夕景を長めながらホテルに戻る~
【サマルカンド泊:ホテル・アジア】
レギスタン広場では、3つのメドレセを古い順に見学しようと思っていたのに、ウルグベク・メドレセを見学し終えた後、向かいのシェルドル・メドレセでなく、隣のティラカリ・メドレセの方へ行ってしまいました。
人面太陽や虎みたいなライオンのモザイクが正面ゲートにあるシェルドル・メドレセの方が、コの字型の奥に建つティラカリ・メドレセよりも古いです。
そして、素人の目からは、ティラカリ・メドレセの中の方が、みどころが多かったです。
だから、見学する順としては、古い順が妥当だったでしょう。
でも、シェルドル・メドレセが見応えなかったというわけでは決してありません。
ティラカリ・メドレセは、ティラカリ(金箔された)の名のとおり、きらきらと豪華だったのです。
そして建物の中には、ちょっとした博物館となっていた一角もあり、ラベルには英語も併記されていました。
レギスタン広場はサマルカンドのみどころのトップなので、私がじっくりと過ごした2時間の間に、団体観光客も入れ替わり立ち替わりやって来ました。
でも、団体さんで混雑しているな、という感想をあまり抱かずにすみました。
それだけ、レギスタン広場は広大でした。
ソ連時代に広場として整備されたと聞いて、頷けます。
ソ連政府による町造りは、近代的なのかもしれないけれど、せせこましい日本に住む私からしたら、むしろ国の威信を示すかのように、広場とか建物がムダにでかすぎに思えてしまいます(苦笑)。
私はレギスタン広場の観光に2時間かけましたが、ツアーならきっと1時間くらいですんだろうと思います。
有料エリアから1度出てしまったら、また入るのに入場料(12,000スム)を払わなくてはならない、と思ったら、もう充分というくらいじっくり見よう、と貧乏根性が働いたのです。
入場料がほとんどいらなかった昨日までのブハラに比べると、12,000スムはとても高く感じられましたから。
もっとも、サマルカンドの有料の史跡の入場料は、レギスタン広場の12,000スムが一番高かったとはいえ、9,000スムくらいするところが多く、しかも写真代が別途かかって、入場料とほぼ同額でしたから、たいてい2倍を払うことになりました。
写真代を別途とられなかったレギスタン広場の12,000スムは、後から考えたら安い方でした。
もっとも、レギスタン広場は、入場料を払わなくても、広場がすっきりと整備されて巨大なため、建物自体は、有料エリアの外からでも充分眺めたり写真を撮ったりできます。
それに12,000スムの入場料も、円換算すると約600円程度にすぎませんでした。
(2011年9月現在、1,000ウズベキスタン・スム(UZS)=43.90円(約50円で換算))
<2011年秋ウズベキスタン旅行:旅程一覧>
9/16金 成田発 ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り遅れる
9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光
9/18日 朝7時台の国内線でブハラへ&ブハラ観光1日目
9/19月 午前ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車で移動(途中シャフリサーブス寄り道)
9/20火 サマルカンド観光1日目
9/21水 サマルカンド観光2日目
9/22木 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ&タシケント出国
9/23金 朝8時台に成田着
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)
※2011年秋ウズベキスタン旅行の詳細な旅程はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行プロローグ(旅程一覧)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10606873
あるいはもう一つのブログ「まみ’s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/)の記事より
「2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/2011-41d7.html
<立案・準備編>
「今年も2度目の海外旅行を計画中」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/08/post-087f.html
「もうすぐウズベキスタン旅行!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/post-4f78.html
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウルグベク・メドレセを見学後、向かいのシェルドル・メドレセを眺める
離れた位置から眺めても、シェルドル・メドレセのイスラム教禁忌の人面モザイクはよく分かります。 -
お向かいのシェルドル・メドレセ
ウルグベク・メドレセの次は、古い順番でいうならこのメドレセを見学するはずでしたが……。
「シールダール・マドラサ
イスラームでは偶像崇拝が否定されており、動物の絵を見ることはまれだが、このマドラサは、正面のアーチにライオン(ペルシャ語でシール。現代タジク/ウズベク語ではシェール)が描かれており興味深い。ライオンはサマルカンドのシンボルだったともいわれている。ちょっとユーモラスな表情のライオン(というよりは虎に近い)と人物の顔は、他では見られないユニークなもの。ここのミナレットは3つの建物の中でも特に美しく、1619〜36年にかけてイマーム・クリーによって造られた。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ウルグベク・メドレセから眺めた隣のティラカリ・メドレセ
「金色に輝く内装 ティラカリ・メドレセ
1660年に建てられた神学校。広場から見て正面にあたるこのメドレセはほかのふたつのメドレセとはかなり異なった外観で、広場の安定した調和にひと役かっている。
中庭に入って左側、青のドームの下に礼拝所があり、その荘厳さから、“ティラカリ(金箔された)”という名が採られている。当時すでにヒビハニム・モスクが廃墟となっていたため、サマルカンドの主要礼拝所としても使われた。
修復に3kgもの金が使われたという礼拝所は、まさに息を飲む美しさだ。ミフラーブ(メッカの方角を示す壁面のくぼみ)と壁面は星と植物、アラビア文字をモチーフにした鮮やかな模様で飾られ、まばゆく輝いている。その技巧もすばらしい。
建物の北側には、ソ連時代に修復されたときの様子が展示されている。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ウルグベク・メドレセの一部とティラカリ・メドレセ・その1
こうして眺めると、ティラカリ・メドレセの正面ゲートの模様も、ウルグベク・メドレセの星形に準じている気がします。 -
ウルグベク・メドレセの一部とティラカリ・メドレセ・その2
ウルクべく・メドレセの、螺旋にくるくると伸びる角の装飾が面白くて@ -
次にシェルドレ・メドレセを見学しようと思ったことも忘れ、そのままティラカリ・メドレセに向かってしまった私
「ティッラカーリー・マドラサ
広場の正面に位置し、ティムール朝崩壊後の1646〜60年にかけてこの地方のウズベク人領主バハッドゥルによって造られた。シールダール・マドラサを造り、イスラーム法学者たちの反感を買ったバハッドゥルが、彼らを納得させるために建てたとも言われている。外見的には他のマドラサとあまり変わりはないが、西よりの建物内のドームの内側は金箔で覆われている。ティッラカーリーとは金で覆われたという意味だ。入って右側に展示室がある。マドラサとされているが、実際にはモスクとして使用していた。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ティラカリ・メドレセの美しい入口アーチ
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ティラカリ・メドレセのゲートをくぐると……
まずこのモスクが目に飛び込んできました。 -
チャイハナにあるようなイスが、なぜここに?
入口ゲートの建物の中庭に面した側です。 -
光が差し込む
こういうのを十字のクロスフィルターでキラキラに撮れたら……!
と思ったのは、このコメントを書いているのが、やっと一眼レフ・デビューを果たした翌年2012年だからこそ。 -
ティラカリ・メドレセのモスクへと進む
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中庭に面したモスクの右側の建物の一角
ここでも1階のフッジャ(学生の部屋)はみやげ物屋になっていました。 -
美しいアラビア文字と幾何学模様
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ティラカリ(金箔された)モスクのミフラブ(祈りの方向であるメッカの方向を示すくぼみ)
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ティラカリなモスクのドーム天井にうっとり
基本色は青ですが、金箔が美しくふんだんにちりばめられていました。 -
ティラカリなミフラブ
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ティラカリなミフラブにさらに迫る
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ミフラブのすぐ上の部分
金箔で覆われた幾何学模様やアラビア文字にうっとり。 -
ミフラブとミンバル(階段状の説教台)
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金のアラビア文字の浮彫
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壁の模様の一部
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向かって左はみやげ物屋
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向かって右のアーチ状の通路と、美しい内装
こちら側はサマルカンドの史跡の昔の状態や発掘・修復についての資料室となっていました。
一部はおみやげも売られていて、ウズベキスタンのみどころを紹介するDVDなども上映販売されていました。 -
アーチの天井
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ふりかえって眺めたミフラブとミンバル(説教台)
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今とは違う15世紀のレギスタン広場の建物の配置図
おおよそティムールの孫のウルグベクの時代でしょう。
シェルドル・メドレセとティラカリ・メドレセは17世紀に建てられたので、まだありません。
この図の左側にあるのがウルグベク・メドレセです。
その右上にあるのは、キャラバンサライ。
南側には大小のモスク───右側がクケルダッシュ・モスクで左側の小さい方がムカッタ・モスクとあります。
中央はにあるのはハナカ(イスラム教徒の巡礼宿)。
これらの建物の中で現存するのが、ウルグベク・メドレセということでしょう。 -
15〜17世紀のレギスタン広場
シェルドル・メドレセとティラカリ・メドレセが建てられた後なので、だいぶ現代のレギスタン広場の様子に近づいてきました。 -
ここがかつてのレギスタン広場か!?
とギョッとしましたが、これはアフラシャブの丘の写真でしょう。
モンゴル来襲によって徹底的に破壊された、旧サマルカンドがあったとこです。 -
メドレセのドームの頭が欠けていた時代のレギスタン広場(15〜17世紀)
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15〜17世紀のレギスタン広場の様子
当時はこんな風にテントの店が広場にたくさん並んでいたようです。
メドレセの痛みも目立ちます。 -
ティムールの大モスク、1399〜1403年
シャフリサーブスのドルッサオダット建築群かと思ったのですが、サマルカンドのグリ・アミール廟のかつての姿でしょうか。
シャフリサーブスのドルッサオダット建築群には、ティムールが自ら用意した自分のための石棺と墓室があるのですが、実際に埋葬されたのはサマルカンドのグリ・アミール廟です。
説明ラベルには、英語ではThe sight of cathedral mosque of Amir Timur, 1399-1703 y. としか書かれていないので、どちらとも解釈できそうですが、ここの展示はサマルカンドの史跡の発掘と修復についてなので、たぶんサマルカンドのグリ・アミール廟の方でしょう。
シャフリサーブスのドルッサオダット建築群の写真のある旅行記はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行第4日目(5)シャフリサーブス:思ったより見応えあった、 ティムールの故郷のいにしえの宮殿のある町」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10694882/ -
15世紀のウルグベク・マドラサの様子
だいぶ損傷が激しいウルグベク・マドラサと、その前の市場の様子が印象的でした。
建物は痛んでいても古めかしい様子の方がオリジナルで良い、と思うときもあるのですが、この写真を見て、きれいに修復されて往時の様子がうかがえるいまの状態のレギスタン広場を見ることができて良かったな、と思ってしまいました。 -
再びティラカリ・メドレセの中庭へ
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ティラカリ・メドレセにも、角には美しい螺旋の柱@
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最後にシェルドル・メドレセへ
「イスラームのタブーを破ったシェルドル・メドレセ
かつてハナカがあった場所に建てられた神学校。17年の歳月をかけて、1636年に完成した。広場を挟んで向かいにある、ウルグベク・メドレセを模倣して造られたといわれている。
このシェルドルとは、“ライオンが描かれた”という意味で、入口アーチに小鹿を追うライオン(虎に見えるが)が人面を帯びた日輪を背に描かれている。
本来イスラームの文様は、その教義に基づいて偶像崇拝を否定する立場を取り、人や動物の姿をモチーフにすることはタブーとされている。あえて禁が破られ、このようなデザインが描かれたのは、支配者が自分の権力を誇示しようとしたためらしい。しかしその代償に、建築家が責任を取って自殺したという伝説も残っている。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
シェルドル・メドレセの人面太陽とライオンとシカ
イスラム禁忌の偶像が堂々と描かれた建物のといえば、先にブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセを思い出します。
あちらは築1622年なので、シェルドル・メドレセ建築中に先に完成したのでしょう。
でも、動物よりも人面の方がインパクトは強いので、これと比べてしまうとあちらの方がおとなしい気がしてしまいました。
ブハラの方も、人面太陽があるんですけどネ。
ブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセの写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/25829803/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/25829804/
関連の旅行記
「2011年秋ウズベキスタン旅行第3日目(1)ブハラ:これならヒヴァ行きの国内線に乗り遅れた悔しさを忘れられる、と思った夢の中世シルクロード隊商都市───ホテルにチェックインするまでの午前中の散策〜コンパクトに見どころいっぱいのラビハウズ周辺」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10683456 -
シェルドル・メドレセの入口の中央部分
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シェルドル・メドレセの入口の中央部分にさらに迫る
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「シェルドル・メドレセ」と紹介されたプレートと一緒に
プレートにはこう書かれてあります。英語をもとに私訳。
「このメドレセは、1619−1636年に、サマルカンド支配者だったヤラングトゥッシュ・バホドゥール(Yalangtush Bakhodur)の命によって建築されました。主要な建物はアブドゥジャボール(Abdujabbor)によって建てられました。」 -
窓から中庭を覗いてみる
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アーチをくぐって中庭へ
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美しいモザイクタイル装飾
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中庭に面した一角
おみやげ屋さんがお店を広げていても、レギスタン広場の建物はどれも巨大なので、むしろ溶け込んでしまっているかんじでした。 -
正面ゲートの反対側の建物
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中庭側からみた正面ゲートの窓のあたり
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赤いサルビアとシェルドル・メドレセ
太陽が雲の影に隠れて、少しだけ薄曇りになったときに撮りました。
でないと、まだまだ逆光で、建物の表面が暗くなってしまうから。 -
シェルドレ・メドレセの前からティラカリ・メドレセを振り返って
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レギスタン広場を去りながら
この美しい青い壁はシェルドル・メドレセのものです。 -
ウルグベク・メドレセ(左)と、後ろから眺めたシェルドル・メドレセ
というわけで、レギスタン広場ではだいたい10時から12時まで、2時間たっぷり費やして見学しました。
次にグリ・アミール廟に向かうことにしたのですが、ここですっかりくたびれてしまったので、チャイハナ風のテーブル席があるレストラン・ラビ・ゴールでランチをゆっくりとり、途中にあったサドルディン・アイニー博物館も寄りました。
ラビ・ゴールのチャイハナ風のテーブル席とランチの写真はこちらのハイライト旅行記にまとめました。
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその4:朝食以外の食べ物とレストラン編<後編>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10615001
つづく。
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