2011/09/19 - 2011/09/19
29位(同エリア75件中)
まみさん
2011/09/19月 午前中ブハラ観光後、事前手配の車で午後シャフリサーブス経由サマルカンドへ
<ブハラ>
・ミル・アラブ・メドレセをもう一回見学(中庭の手前まで)
〜レギスタン広場よりも西へ〜
・バラハウズ・モスク見学(団体客がいたおかげか内部も見学)
・アヴドゥラ・ハン・メドレセと屋上を見学(有料)
・モダリ・ハン・メドレセ見学(無料)
・イスチロハット公園
・イスマイール・サーマーニ廟見学(有料)
・チャシマ・アイユブ廟見学(内部は水の博物館で有料)
<シャフリサーブス>
・ティムール像のある公園とアク・サライ宮殿跡
〜イバク・イユーリ通り沿いの見どころを散策〜
・コバ・キャラバンサライをさっと見学
・チャールスゥ(外観のみ)
・バザールをさっと見学
・ドルッティロヴァット建築群(有料)
コク・グムバズ・モスク(外観のみ)
グンバズィ・サイーダン廟
シャイスッディン・クラル廟
・ドルッサオダット建築群(無料)
モスクでは祈りの最中
〜タフタカラチャ峠を越えてサマルカンドへ〜
【サマルカンド泊:ホテル・アジア】
シャフリサーブスは、半日でみどころはゆっくり見て回れるかもしれませんが、1時間では大急ぎしても無理でした。
車をチャーターしたのはあくまでブハラからサマルカンドまでのラクチン移動のため。
そこに、シャフリサーブス1時間ストップを加えたのは、手配をしてくれた代理店の担当者さんに教えてもらったから。
シャフリサーブスにはじめはさほど期待していなかったのに、行けるとなるとだんだんと楽しみになり、短い時間で主なみどころを制覇したいと欲望を抱くようになりました。
シャフリサーブスのみどころはイバク・イユーリ通りに集中している主に2ヶ所───一方はティムール像のある公園とアク・サライ宮殿跡、もう一方はドルッテォロヴァット建築群とドルッサオダット建築群です。
でもその2ヶ所は、約1km離れています。
運転手さんは、アク・サライ宮殿跡に一番近いところに車を停めてくれたのですが、そこからアク・サライまでの往復だけで、30分もかかってしまいました。
そのため、ドルッティロヴァットやドルッサオダット建築群の方まで、あと少し少しと自分に言い訳して近くまで行き、途中で見学を切り上げて車に戻ったのは約束の1時間を15分も過ぎた頃となってしまいました。
時間にルーズな自分を露呈……。
でも、運転手さんは、ドルッティロヴァット建築群の近くまで車を走らせたついでに、こっちも見学するか、と車を停めて、待っていてくれました。
ブハラからのドライブの最中に私がしょっちゅう車窓の外の写真を撮っていたので、私が写真好きなことは分かったからでしょう。ありがたや。
そのおかげでシャフリサーブスの主なみどころはなんとか制覇することができました。
それにしても、シャフリサーブスのアク・サライ宮殿がもっと往時の姿を残していれば……!
サマルカンドみたいに、ミーハーな観光客でも2日くらい滞在したくなるみどころになったでしょう。
女の嫉妬も恐ろしいけれど、男の嫉妬も負けずに恐ろしい!
(どういう意味かは、ガイドブックから引用した解説を読んで下さいませ@)
「シャフリサーブスは、遠くにザラフシャン山脈を望む谷間にある小さな町。自分の足で歩き回るのに適当なサイズといえる。ほとんどロシア人の姿を見かけない、典型的なウズベキスタンの地方都市である。
町の構造はいたって簡単。かつて城壁で囲まれていた町の中心部、縦2km x 横1kmほどの長方形の真ん中を、南北にイバク・イユーリ通りが貫いている。この通りがシャフリサーブスのメインストリートで、商店や食事ができるチャイハナがたくさん並んでいる。見どころも、ほとんどがこの通り沿い、あるいはこの通りから少し横丁に入り込んだところにある。(後略)」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より)
<2011年秋ウズベキスタン旅行:旅程一覧>
9/16金 成田発 ウズベキスタン航空でタシケントへ&国際線の遅延で国内線に乗り遅れる
9/17土 ヒヴァの代わりのタシケント観光
9/18日 朝7時台の国内線でブハラへ&ブハラ観光1日目
9/19月 午前ブハラ観光&午後サマルカンドヘ事前手配の車で移動(途中シャフリサーブス寄り道)
9/20火 サマルカンド観光1日目
9/21水 サマルカンド観光2日目
9/22木 特急シャーク号に途中乗車してタシケントへ&タシケント出国
9/23金 朝8時台に成田着
(その後、昼に妹ら一家と上野で待ち合わせて、甥っ子姪っ子らと上野動物園で遊ぶ)
※2011年秋ウズベキスタン旅行の詳細な旅程はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行プロローグ(旅程一覧)」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10606873
あるいはもう一つのブログ「まみ’s Travel Diary」(http://mami1.cocolog-nifty.com/)の記事より
「2011年ウズベキスタン旅行の詳細旅程(写真付)」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/2011-41d7.html
<立案・準備編>
「今年も2度目の海外旅行を計画中」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/08/post-087f.html
「もうすぐウズベキスタン旅行!」
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2011/09/post-4f78.html
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
イバク・イユーリ通りに面したティムール像のある公園の入口
奥にあるのがアク・サライ宮殿跡です。
ここで車を降りて1人で見学を開始しました。
1時間の約束だったのですが……。
「シャフリサーブスは、カシュカダリヤ川の流れにはぐくまれたソグディアナの古都。古くから「ケシュ」という名で知られ、7世紀には玄奘もインドーへ途上に立ち寄った記録がある。
しかし何といっても、シャフリサーブスの名を歴史に留めるのは、ここで生まれたティムールの存在であろう。
ティムールは1336年、この地方を治める豪族の家に生まれた。若きティムールはこの地を地盤に頭角を現し、“世界の支配者”への道を歩んでいった。広大な帝国を築いた後も、彼はこの故郷を忘れず、サマルカンドのものに決して引けを取らない壮大な建築群を次々と建設していった。“緑の町”という意味の町の名は、この頃のオアシス都市としての豊かさを物語っている。
しかし16世紀後半に、嫉妬に駆られたブハラのアブドゥール・ハンによって、ティムールの遺産のほとんどが破壊されてしまった。シャフリサーブスは、サマルカンドやブハラなどとは違った運命をたどることになった。
現在のシャフリサーブスには昔日の華やかさはないが、その静かなたたずまいには大いなる歴史が秘められている。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
花で飾られた公園のティムール像とアク・サライ宮殿跡
ウズベキスタン旅行中は、公園や道路がきれいに整備され、花壇で飾られているところを多く見かけました。
折しも独立20周年の2011年9月1日の祝典にあわせて街が整備された結果でしょうか。
それともその前からでしょうか。 -
堂々たるティムール像と巨大なアク・サライ宮殿跡
「シャフリ・サブズ
サマルカンドの南90km。旧名をキシュという。ティムール朝の時代、サマルカンドに次ぐ第2の都が置かれた町で、宮殿やマドラサといった建築群が数多く築かれた。15世紀にシャイバーニー朝期の内紛で大きな破壊を被ったが、大方は現在まで残っている。
1336年、モンゴル系遊牧集団バルラス氏族の一員として近郊の村に生まれたティムールは、ここを拠点として大帝国を建設した。ティムールが生涯を通じてこの町を重視したのも、単に生まれ故郷というだけでなく、なお軍隊の中核にあった氏族の支持を保つためだったといわれている。
また、本来は周辺のオアシス全体の名称であったシャフリ・サブズ(タジク語で緑の町)が徐々に町の名前となったのもこの時期らしい。小さな町なので2〜3時間もあれば見てまわれ、サマルカンドから日帰りもできる。主要な見所はすべてイパック・ヨル通りにある。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
巨大とは聞いていたが、思った以上に巨大だったアク・サライ宮殿跡
38mの建造物が、ポツンと建っているがゆえ、迫力満点!
エントランスの広さは22.5mです。
巨大なので、距離の目算を無意識に誤り、エントランスまでたどり着くのに思った以上に時間がかかってしまいました。
イバク・イユーリ通りからここまで、さほどフォトストップをしたわけでもないのに、15分もたってしまいました。
まずいです。
急がないと、シャフリサーブスで見たいと思っていたみどころは、ほとんど回れなくなってしまいます。
「ティムールが残した最大の建造物アク・サライ宮殿跡
1380年に着工され、ティムール死後の1405年まで建設が続けられた、おそらく彼が残した最も壮大な建造物。現在は入口アーチの残骸だけが残っている。
アク・サライとは“白い宮殿”という意味だが、実際は青と金色のタイルで装飾された宮殿だった。白は“高貴な”という意味があり、この名で呼ばれたようだ。現在のアーチの高さは38m、壊れる前は50m以上の高さがあったという。(中略)
この入口アーチから南に大理石が敷き詰められた中庭が広がり、宮殿そのものは現在ティムール像が建つあたりにあったらしい。宮殿屋上にはプールがあったと伝えられる。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
内側には青タイルの一部が残っていたアク・サライ宮殿跡
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往時の美しさが伺えるアク・サライ宮殿の青のモザイク
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青のアク・サライ宮殿跡と、彼方に小さくティムール像
「アク・サライ
ティムールにより築かれた夏の宮殿跡。アク・サライとは白い宮殿という意味。建設に20年以上の歳月を要し、主に征服したホラズム地方(現在のホラズム州周辺)から連れ帰った職人が用いられた。(中略)1404年にこの宮殿を訪れたカスティーリャ(後のスペイン)の使節クラビホによれば壁面は青や金のタイル、天井部分は金細工で装飾された非常に豪華なものであったという。現在は高さ約38mに及ぶ門の一部が残るのみだが、それだけでも往時の規模の巨大さが実感できる。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
美しいモザイク模様のアク・サライ宮殿跡と道端の土産売り
建物の巨大さを示すために、人々の姿も一緒に撮ってみました。
ちなみに、おみやげはブハラでせっせと買いそろえたし、ショッピングに時間をさいているひまはなかったのでシャフリサーブスではスルーしましたが、同じようなおみやげならシャフリサーブスの方が安く手に入ったろうと思います。 -
彼方のティムール像とザラフシャン山脈
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城壁跡
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旧ソ連圏らしき、スケルトンな観覧車がここにも@
夏に旅行したグルジアのクタイシでは、町の眺望が見たくて、こんな観覧車に乗りました。
関連の旅行記
「2011年コーカサス3カ国旅行第7日目クタイシ:ガイドさん2人と市内観光」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10627334/ -
乗っている酔狂な人はおらず
単に、平日の午後だからかもしれません。 -
アク・サライ宮殿裏の小さな劇場
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タコと龍デザインのアトラクション!?
城壁とのミスマッチがなんともいえませんでした(笑)。 -
血のように赤いサルビアの中のティムール像
というわけで、アク・サライ宮殿跡だけで、大急ぎの見学と往復に30分もかかってしまいました。
うぎゃーっ、ドルッティロヴァット建築群まで行けるでしょうか。 -
16世紀コバ・キャラバンサライ
建物の名前のプレートに世界遺産マークがついていました。
旅行人のガイドブック「シルクロード」には15世紀の建物とありましたが、プレートには16世紀と書かれてありました。 -
ちょっとだけゲートの中を覗いてみる
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コバ・キャラバンサライの中庭
中は商店のようでした。
この近くのイバク・イユーリ通りの対岸にあったはずのアブドゥシュクル・アガリク・モスクは、見学することはできませんでした。
目についていたら、ささっと寄るか、外観の写真くらい撮ったはずです。 -
チョールスのドーム
モスクかと思いましたが、違いました。
八角形のこの建物は、昔は入口が全て開放されていて、ブハラのタキのようなホールの商売所となっていたようです。
17〜18世紀の建築物と推定されています。
(情報源:ブハラのアルクで買った「ウズベキスタンの歴史的な建造物」) -
モスクかと思ったチョールスのドームだけど
こうして見ると、なるほどブハラのタキに似ている気がします。 -
青いモザイクの門のチョールス(市場)
チョールスは、もっと厳密に言うと、旅行人のガイドブック「シルクロード」によると、「四方から道路が集まる交差点に建てられた商店街のこと」だそうです。
要するに「タキ」です。
ブハラのタキの写真や、ガイドブックから引用したタキの説明がある旅行記はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行第3日目(1)ブハラ:これならヒヴァ行きの国内線に乗り遅れた悔しさを忘れられる、と思った夢の中世シルクロード隊商都市───ホテルにチェックインするまでの午前中の散策〜コンパクトに見どころいっぱいのラビハウズ周辺」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10683456/ -
市場の営業時間は6時から18時
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ちょっとだけ市場散策
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ますます市場らしい風景
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野菜が豊富@
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スーパーマーケットらしき建物もあり
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イバク・イユーリ通りのスイカとメロン売り
ウズベキスタンのメロンはめちゃくちゃ美味しいそうです。
でも、まさか丸ごとのメロンをごろんと1個買うわけにはいかないから、食べる機会があるかどうか分からないな〜と思っていたら、ホテルの朝食で食べることができました。
確かに、絶賛されるだけのことはあるな、と思いました。 -
ドルッティロヴァット建築群の青いドームのコク・グンバス・モスク
やっとそれらしきところに着きました、ぜぇぜぇ。
イバク・イユーリ通りに面した側です。 -
ドーム下に光るアラビア文字
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ここから中に入ってみると
中庭に出ました。 -
2つの霊廟が双子のように隣り合わせ
まずは右側のグンバズィ・サイーダン廟から入ってみました。
「ティムールの父が眠るドルッティロヴァット建築群
“瞑想の家”と呼ばれる、ティムールゆかりの建築群。中庭に入ると、右側に青いドームのコク・グンバス・モスク、それに向き合ってふたつの廟が並んでいる。
通りからも見えるこのモスクは、ウルグベクによって1436年に建てられた。内部の絵画が修復されている。
ふたつの廟のうち、右側奥にあるのがグンバズィ・サイーダン廟。ウルグベクが自分の子孫のために建てたもので、内部には4つの墓石が並んでいる。一番奥の墓石にはくぼみがあり、くぼみの水を病気の患部につけると、その病気が治るという言い伝えがある。
左側のシャムスッディン・クラル廟は、1374年にティムールによって建てられたもので、ティムールの父とその指導者シャムスッディン・クラルが葬られている。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
グンバズィ・サイーダン廟のドーム天井
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グンバズィ・サイーダン廟の内装
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グンバズィ・サイーダン廟の石棺と内装
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美しい浮彫彫刻が施された石棺・その1
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美しい浮彫彫刻が施された石棺・その2
御利益のくぼみの水を探っている余裕はありませんでした。 -
次に隣のシャムスッディン・クラル廟へ
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シャムスッディン・クラル廟のティムールの父のものと思われる石棺
遺体は石棺の中ではなく、地下にあるようです。 -
ドルッティロヴァット建築群の中庭にて
マーケットになっていました。
ここまで見学したところで、おばちゃんが、入場料を払って下さい、とやってきました。
てっきり無料かと思いましたが、違いました。
ガイドブックにも入場料が書かれてありました。
写真代とか関係なく、3,000スムでした。 -
ドルッティロヴァット建築群のミナレットとコク・グムバズ・モスクの青いドーム
「ダールッ・ティラーワット(クルァーン朗誦の館)
ダールッ・ティラーワットはもともとウルグベクが建設したマドラサの名で、今では1435年に金曜モスクとして建設されたコク・グムバズ・モスクのみ残る。1373年に建てられたシャイフ・シェムセッディン・クラール廟は伝説によれば、ティムールの父タルガイもその地下に眠っているとされる。ウルグベク家の墓所として1437年に建てられた、隣のグムバズィ・サイイダーン廟の内部には、テルメイド(預言者ムハンマドの血を引くとされる者)の墓石がある。中でもコクタシュ(青い石)と呼ばれる墓石は表面に窪みがあり、そこに溜まった水は病気の子供に効用があると信じられている(石にそうした成分が含まれているらしい)。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ドルッティロヴァット建築群のコク・グムバズ・モスク
このモスクは入れるのかな、入れないのかな。
もう1つのドルッサオダット建築群の方も行きたいので、スルーしました。 -
次にドルッサオダット建築群へ
「ティムールが葬られるはずだったドルッサオダット建築群
町の老人達の信仰を集めるハズラティ・イマーム・モスクの中庭を通っていくと、半ば崩れかけたジャハンギール廟が見える。ティムールが、22歳の若さで戦死した長男のために建てた巨大な廟。
廟の前の基礎だけが残る空き地が示すように、かつては広大な建築群がここにあった。南側に墓石のみ残るティムールの次男、ウマル・シェイヒ廟もそのひとつ。またここには、ティムールの廟といわれる墓室も残っている。ティムールが自分のために用意したものだが、彼はサマルカンドに葬られた。
ちなみに、ドルッサオダットとは、“大いなる力の座”という意味だ。」
(「地球の歩き方 中央アジア サマルカンドとシルクロードの国々(2011〜2012年版)」より) -
ドルッサオダット建築群のジャハンギール廟とハズラティ・イマーム・モスクのドーム
ジャハンギール病の壁に規則正しく並んだ穴のようなくぼみは、何かの装飾のためだったのでしょうか。 -
ジャハンギール廟の外観の一部は白漆喰で修復済み
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ハズラティ・イマーム・モスク
「ダールッ・サーダット(至福の館)
シャハーンギール廟を中心とした建築物群の呼称。シャハーンギールは、22歳で落馬により夭折したティムールの長子。霊廟は死から約20年後の1392年にようやく完成した。建物の損傷が激しいが、27mの高さを持つドーム部分はいまだ健在。19世紀に建てられたハズレティ・イマーム・モスクは、8世紀の高名なイマームが埋葬されていると伝えられている。その側の地下室には、1963年に発見されたティムールの棺がある。大理石製の棺の側面にはティムールの生涯を説明した碑文があり、それによるとティムール自身はサマルカンドではなく、ここへの埋葬を望んでいたというが、それは叶わなかった。」
(「旅行人ノート シルクロード 中央ユーラシアの国々 [改訂版]」(2006年11月改訂)より) -
ハズラティ・イマーム・モスクで男たちは祈りの最中
ウズベキスタンでは、モスクの中ではなく、外のテラスで祈りをする姿を見かけました。 -
少し離れたところから男たちの祈りの様子を眺める
階段のある木製の台がミンバル(説教台)で、その奥の窪みがメッカの方向を示す祈りの方向のミフラブでしょう。 -
厳かに祈りを捧げる男たち
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ハズラティ・モスクとジャハンギール廟
祈りの最中だったのと、運転手さんを待たせているので、ティムールが自分のために用意した棺や墓室は探さずじまいで去りました。
それが信仰の要となっているとどこかで読んだので、祈りの最中では入りづらかったせいもあります。
石棺はどうせさっきたくさん見たしね! -
ジャハンギール廟に残るモザイク
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離れて眺めたジャハンギール廟とモスク
いまはほとんど何も残らないこのあたりも往時は立派な建物があったことでしょう。
基礎部分らしきものは、なんとなく分かりました。 -
白漆喰が悪目立ちしていたジャハンギール廟
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逆光の中のドルッティロヴァット建築群のシルエット
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再び、ドルッティロヴァット建築群のコク・グムバズ・モスクの青いドーム
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シャフリサーブスからサマルカンドへ向かう車窓の外
このあたりから、画家・平山郁夫さんが描いたような「シルクロード」の絵のイメージそのものの景色が展開して、驚喜しました。
でも、だいぶ薄暗くなってしまったので、走る車から写真を撮ろうとしても、ぶれぶれでダメでした。
この写真もかなりぶれていて、ぎりぎり(?)ってところです。かろうじてこれっきり。
この後、旅行人のガイドブック「シルクロード」でも「地球の歩き方」でも、とても景色がよい、と書かれてあったタフタカラチャ峠(1,788m)を越えました。
途中ですばらしい見はらしがあり、カーブだらけの山道でも、車を止めて景色を眺められる、ちょっとした展望台になっているところもありました。
でも、シャフリサーブスで予定以上に時間をもらったので、いくら図々しい私でもさすがにフォトストップをお願いすることはできませんでした。
なので、しっかり目に焼き付けておきました。
ものすごいバランスで留まっている巨大な岩もあったりして、地震が起きたらイチコロだろうなぁとも思いました。
タフタカラチャ峠を越えたあたりから、だんだんとお腹の調子が悪くなってきました。
車窓の外はすでに真っ暗。
予定ではあと少しでホテルに着くだろうから……と、ズボンのベルトを緩め、お腹をさすって我慢しました。
ホテルにはその後40分くらいで到着し、なんとか平静を装っていられるぎりぎりでした(こういうときに妙に負けず嫌い(?)になる私)。
ホテルにチェックインした後、部屋のトイレに入ったら、なんとかおさまりました。
でも、ひどい下痢をしていたので、夕食はあきらめました。
なので、この日は、昼食も夕食も抜き。
代わりに、食事を抜いたおかげで翌朝はだいぶ調子が良くなり、ホテルのバイキングの朝食もふつうにたっぷり食べることができました@
サマルカンドのホテルとホテルの朝食の写真を収めたハイライト旅行記はこちら。
「2011年秋ウズベキスタン旅行ハイライトその1:ホテルと朝食編<前編:近代西欧的な三つ星ホテルに泊まったタシケントとサマルカンドにて>」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10613921
サマルカンド編へとつづく。
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