2006/08/19 - 2006/08/25
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ライオンベラーさん
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※ 12 (http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10419617/) の続きです。
”カーニバル”を出た後、同じ車で、ジラフセンターに向かいました。
出国前に調べた情報や、往路の様子などから考えると、ここはやはりかなりの危険地帯のようです。
窓から見える街の様子も、何時、何が起こっても不思議ではないほどの殺気が感じられます。
談笑しているような人はほとんどいなくて、不安げな表情で足早に歩いている人ばかりが目に付きます。
今、この街の危険度はかなりのレベルに達しているようです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ケニア航空
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”カーニバル”を出た後、同じ車で、ジラフセンターに向かいました。
ロイさんも乗り込みました。
出国前に調べた情報や、往路の様子などから考えて、やはりここはかなりの危険地帯のようです。
窓から見える街の様子は、これまで訪れた多くの国々とは明らかに異なっていました。
映画「ウエストサイド物語」に出てくる50年代のニューヨークの下町か、いや、それ以上に荒(すさ)んだ、長年改装もされていないような古い建物ばかりが目につきました。 -
以前から抱いていた、多くのビジネスマンたちがスーツを着て、地下鉄で通勤しているかも知れないというようなイメージとはほど遠い現実でした。
ここでは治安はどのようにして守られているのだろうか。
そう思って見わたしてみても、無法地帯というほどではないにしても、何時、何が起こっても不思議ではないような殺伐(さつばつ)とした空気が感じられます。
今、この街の危険度はかなりのレベルに達しているように思われました。
ここで危険な目にあったときはどうしたらいいのだろう? -
警官を呼べばいいのだろうか?
しかしここでは警察はどれほどの力があるのだろう?
またどこまで信頼できるのだろうか?
政府はどうなのだろう?
そのような公的な機関でさえも、正義と邪悪が入り混じった、混沌(こんとん)としたもののように思われました。
何としてでも生きて帰りたい・・・
ここでは、どこに行って何をしたいとかいう願いよりもはるかにそのような願いの方が大きなウエイトを占めてしまいます。 -
実は、出国前に遺言(ゆいごん)を書いて、家の中のとあるところに隠しておこうと本気で考えていました。
しかし、旅自体の準備に時間をとられてしまって、実際のところ、結局は実現できませんでした。
そのことが、これまでの行程でも常に気になって、どうしても安全を優先させてしまって、思い切った冒険ができないでいました。
そして、ここナイロビでも、十分安全だと確信が持てないところでは、慎重に行動しようと思いました。
ケニアは1963年にイギリスから独立しました。 -
今年は2006年ですから、独立後43年経ったということになります。
現在の大統領はキバキ氏で、最大部族のキクユ族の出身です。
就任後4年経っていますが、政権は十分安定しているとはいえないようです。
まさに発展途上の状態です。
植民地時代は国内の富が統治国の利益として、外に流れてしまいますが、部族のバランスは比較的公正に保たれていたのではないでしょうか? -
しかし独立すれば、自分たちだけで部族の力のバランスをとっていくことになります。
日本も連合国が治めていたときは、ある程度規則にしたがって公正に行われていたことでも、自治の時代になると、それぞれの思惑(おもわく)が、絡(から)まりあって、中には公的な利益を貪(むさぼり)り食うような人たちも現れてきて、汚職がはびこるような、政治主導、利益誘導の大変な時代が始まりました。(それ以前は幕府や天皇が主権者でした。)
現在のケニアはまさにこの段階の社会ではないでしょうか。
その後、自分たちでそれぞれの利害を調整しながら、 -
ようやく多くの人が納得(なっとく)するような一定のルールのもとでの国づくりが行われるようになってきました。
しかし、今度はそのルールを履行(りこう)するような立場の、いわゆる官僚(かんりょう)と呼ばれるような人たちが、政治家を操(あやつ)りながら、次々に細かく複雑なルールを作り出し、自分たちを守るような社会を築き上げていきました。
そして、貨幣価値という単一の物差しで作られた、高度に整備されて変更不能とでもいえるようなそのルールの下(もと)で、逆転の可能性の少ない格差社会が築かれ、定着していきました。
そのような社会でも、景気のいいときは多くの人たちは、特に不満を感じるようなことはありませんでしたが、 -
いったん景気のバランスが崩(くず)れると、知らない間に、格差社会の下層に組み込まれてしまった人たちから順に、生活の安定が奪われ、最小限度の保障が奪われ、命が奪われていきました。
そのような不安は次第に国民の過半数を超えるまでに広がり、ついに政権交代を迎えることとなりました。
これまで官僚機構のルールによって守られてきた格差社会が崩(くず)され、友愛社会をかかげるような、いわゆる中流志向の人たちによる国づくりが始まりました。
このままこの政権が続くと、昔の村社会を起因とするような、一頃(ひところ)の一億総中流社会に戻っていくことが予想されます。 -
そのとき富を蓄えて繁栄を得ることを志向する人たちや、努力によって他人の上に立つことこそが人生の価値であるというような生き方をしてきた人たち、また単に下層の人をつくることによって自分の安心を得ようとする人たちなどの不満が蓄積していくことも考えられます。
そのような人間の本性とでもいえるような影の部分をどのように解決していくかが、今の新政権に課せられた大きな課題であるといえそうです。
結局は景気がよくなれば、自由社会、競争社会、格差社会が志向され、景気が悪くなれば、互助社会、共生社会、友愛社会などが志向されていくのが世の中の自然な姿なのでしょう。 -
日本はこれまでこのような変遷をたどってきましたが、さて、このケニアはこれからどうなるのでしょうか?
現在のケニアの部族社会は、昔の日本の村社会とも共通するところがあります。
中央政府の力が弱ければ、部族(日本の場合は地方)の権力争いに終始することになってしまいます。
中央政府の力が強すぎると、官僚社会が形成され、部族(地方)の伝統や特色が損なわれてしまいます。
官僚社会はある程度成熟して内部浄化(じょうか)が行われるようになるまでは、汚職にまみれる醜悪(しゅうあく)なものになってしまいます。 -
現在のケニアは、これからそのような部分を上手く解決しながら健全な国づくりを目指していかなければならないでしょう。
これは日本にとっても同じことで、成熟した官僚社会が崩れれば、昔のように政治家と官僚がカネによって結びついた醜悪な社会に戻っていくことも考えられます。
日本もケニアも、その辺のところを上手く解決していくことが、今後の課題でしょう。
(ここを旅していたときは、アメリカでオバマ政権が誕生するとか、日本で政権交代がおこるというようなことは、まったく予想されていませんでした。) -
少し話が脱線してしまったので、また、ケニアでの旅の様子に戻ります。
ここに来るときに、部族の対立に巻き込まれてしまうということが一番の心配事でしたが、今感じる限りでは、この国の人たちは、そのような部分は、何とか上手くやっているように思えました。
結局これは、気持ちに影響されることが大きいので、仲良くやろうという気持ちを持ち続けることが、最も大切なことであろうと思いました。
ジラフセンターは高級住宅地の中にありました。
この住宅地には、外交官などの外国人が多く住んでいる -
ようです。
でも高級とはいっても広さは日本の昔の小さな庭つき住宅ぐらいで、建物も古そうなものばかりでした。
「パスポートを貸してください。」
とロイさんが言いました。
ジラフセンターに入るために必要なようです。
こんなところに入るにもパスポートが必要だということは、ここがいかに危険なところかということがよくわかります。
ここでは、私たち外国人の安全を守るということも、実際 -
はとても大変なことなのだろうと思われました。
ロイさんにパスポートを渡そうとしたとき、何かの証明書をはさんでいたので、それを取り出してから渡そうとしました。
するとロイさんがそれを見て、
「ああ、それも貸してください。」
と言いました。
それは確か、出国前に受けた予防接種の証明書だったと思います。 -
これがなければインドに入ることができず、インドの空港で足止めをくってしまいます。
だから、これまで大切に保持していました。
どうしてこのようなものが、今ここで必要なのかはわかりませんし、もし先ほどこれを見せなかったとしても、そのまま済んでいたタイミングだったので、少し不審に思いました。
でもロイさんたちは、私を無事に日本に帰さなければならない立場なので、彼らにとってもこの証明書は、なくては困るもののはずです。
だから、このときは言われるままにロイさんにパスポートといっしょにその証明書も手渡しました。 -
ジラフセンターに到着しました。
ロイさんが、チケットを買ってくれています。
今、思えば、ジラフセンターがここにあるのは、このような警備の厳しいところでないと、中のキリンが密猟にあってしまうからではないでしょうか?
今でもケニアではゾウなどの野性動物の密猟が絶えないようです。
ゾウは主に象牙(ぞうげ)を取るために密猟されます。
では、キリンはどうして密猟されるのでしょうか? -
レストラン”カーニバル”では、昔はキリンの肉も出ていたと聞いたことを思い出しました。
もし、キリンが密猟されるとしたら、それはきっと、その肉を食べるためなのでしょう。
写真はみやげ物店で、この右が前の写真のチケット売り場、この左が、ジラフセンターの内部になります。 -
キリンがいます。
この写真の右が先ほどの土産物店です。 -
進んで行って右を見たところです。
このように広大な敷地の中にキリンたちが保護されて暮らしています。
キリンは見れば見るほど特徴的な姿をしています。
どうしてこのような姿をしているのでしょうか?
高いところのエサを食べるために首を伸ばしているうちに、長い年月のうちにだんだん首が伸びていった・・・
と、考えるのはどうも間違いのようです。
あるキリンが、首を伸ばしているうちに実際に少し、首の -
長さが伸びたとしても、遺伝子まで変化したわけではないので、その子供はまったく変わりはありません。
子供も、またその子供も首を伸ばし続けたところで、一生の間の変化に留まるので、それくらいのことで馬の首がキリンの首の長さまで伸びることはありません。
では、キリンの首はどうしてこんなに長いのでしょうか?
それは、このような理由だと考えられます。
昔、馬のような動物がいて、このようなアカシアの樹の葉を食べていたとしましょう。
アカシアの樹の葉は、上の方にはいくらでも茂っていますが、下の方は限られています。 -
この動物たちが樹の葉を食べ続けると、下の葉から順に食べ尽くされることになります。
首が少し長めのものは、より高い樹の葉が食べられるので、その場所に留まりますが、首が短めのものは、食べにくいので、どこかに移動してしまうことになります。
こうして残った首が長めの動物たちの間で子供が生まれると、その子供たちの首も、多くの場合は、親と同じぐらいの長さになります。
そうして残った動物たちの間でも、やはり、より低い葉から順に食べ尽くされることになるので、より首が長いものが、そこに残って子孫を増やしていくということになります。
こんなことが長い年月の間に繰り返されて、ここに留まり -
続けたものだけが、キリンのような姿に進化していったと考えられます。
では、人間の場合もこのようなことが起こるのでしょうか?
例えばプロのバスケットボールの選手の集団で考えてみましょう。
バスケットボールは当然、背が高いほうがバスケットに近くなるし、相手にボールを取られにくいので、有利です。
アマチュアの集団ならば楽しめればいいのですが、プロならば勝たなければならないので、背の高い人ほど有利になって勝率も上がるので、チームに留まることになります。 -
もし、このような男女の集団があったとすると、そこでカップルが生まれ、その人たちの間で子供ができます。
そして、試合の勝率を求め続けるかぎり、このようなことが繰り返されて、何百世代か後には、かつて人類が経験したことがないような身長の人たちの集団が出来上がることになるでしょう。
プロバスケットボールの場合はまだ、始まって100年も経っていないので、これからこんなことが起こることも十分に考えらます。
しかし、実際には、試合で勝率を求め続けることよりも、社会生活での不便をなくしたいという気持ちの方が上回って、際限なく身長を伸ばそうとするようなことは起こらないようにも思われます。 -
ジラフセンターの建物の中に入ってきました。
ここは、子供たちのキリンの絵がたくさん張ってあるようなところでした。
階段で2階に上がってみると・・・ -
おおお!
キリンです! -
おおおお!
これはすごい! -
キリンがエサをもらっています。
-
近づいて見ると・・・
-
おおおおお!
キリンも目にメイクをしているようです。
おっしゃれ〜〜! -
首を撫(な)でてみましょう。
-
おおお、本物のような手触りです。
-
フサフサしています。
-
下に下りてきました。
-
おおお、ここから見てもすごいすごい!
-
エサをもらいに来ています。
-
よく人に懐(なつ)いています。
しばらく見た後、ジラフセンターを出て、ホテルに向かいました。 -
市内を抜けて、ホテルに向かっています。
市内は、やはり殺気のようなものが感じられて、とてもカメラを構えることはできませんでした。
カメラが見つかると、途端(とたん)に車に寄って来られて、トラブルに巻き込まれてしまいそうな、そんな雰囲気がありました。
そのため、街中の写真はありません。
この写真の反対側が小高い丘になっていて、ホテルはそこにありました。 -
ホテルに到着しました。
ロイさんとジェフさんも降りました。
ロビーは外国人もいましたが、ほとんどはケニア人で、宿泊者以外にも、ジェフさんのような旅行会社の関係者と思われるような人もたくさんいました。
ここも、サファリのロッジや他の国のホテルとは違って、どことなく気が抜けないような、張り詰めたような雰囲気がありました。
そこにいる人たちの目つきや態度に殺気のようなものが感じられ、決してひるんだりおどおどしたりしないで、何事も落ち着いて、堂々とした態度で行動しないと、何らかの -
被害に合ってしまいそうな気がしました。
もしかして、そこにいる誰もがお互いにそのようなことを思っているのかも知れません。
ロイさんがチェックインの手続きをして、ルームキーを渡してくれました。
礼を言って100シリング(百数十円ほど)のチップを渡しました。
ジェフさんとはここで別れるのでしょうか?
もし、そうだとすればチップを渡さなければなりません。 -
このツアーの案内には、ドライバーには1日に15〜20ドル程度を最終日にまとめて渡すのがよいと書いてあります。
でも、もし明日、もうジェフさんと会えないのなら、今ここで渡しておかなければなりません。
ジェフさんは、大変よくガイドをしてくれました。
是非、渡したいと思いました。
ジェフさんに世話になったのは、今日を含めると4日です。
20ドルの4日分で80ドル(約8千円)渡しました。 -
そして、ロイさんとジェフさんはホテルを出て行きました。
さあ、ここからは私ひとりです。
少し緊張してきました。
私の部屋は525号室です。
エレベーターで5階に着きました。
おおお、何と、この階のフロアには警備員らしき人が椅子に座っていました。
何と、銃を持っているようです。 -
おおおおお、こ、これは怖い・・・
ここはそれほど危険なところだということになります。
今思うと、この人は警備員ではなくて、本物の警官だったのかも知れません。
その警備員(警官?)は、少し気の弱そうな人で、私にも愛想笑いをして、迎えてくれました。
少し金をもらえば犯罪にも加担するのではないかとも思えるような感じの人で、余計に不安になりました。
部屋に入って、窓から下を覗(のぞ)くとこのようなプールがありました。 -
プールの向こうはこんな感じでした。
しばらく荷物の整理をした後、1階のレストランに食事に行くことにしました。
現金やパスポート、カメラなどの貴重品は身につけ、それ以外のものは、部屋に残して行きました。
部屋を出ようとしたとき、特に価値はないと思われる紙片があったので、そのまま机の上に置いていきました。
私にとっては必要であったけれども、泥棒にとっては特に価値がないだろうと思われるものでした。 -
確か、これが予防接種証明書だったと思いますが、よく覚えていません。
別のものだったかも知れません。
1階のレストランでライブをやっていました。
男性2人と女性1人が歌っていました。
スワヒリ語なので、アフリカの歌のようです。
迫力があって乗りのいいリズムの曲です。
ここでこんな歌が聞けるとは、思いもよらなかったので、感激しました。 -
さて、ここでは食事は自己負担になっていましたが、このとき何を注文したのかは忘れてしまいました。
歌はとても深みがあって、心に染み入ってきます。
まるで、何百万年もの人類の歴史をはらんでいるような曲です。
英語の歌もありましたが、そのほとんどは現地のスワヒリ語なので、余計に感激しました。
カウンターでは、きれいなカンガ(アフリカの民族衣装)をまとった女性が、西洋人らしい宿泊客の接待をしていました。 -
そんな女性が何人かいたので、近くを通ったときに呼び止めて、ビール(ワインだったかも)を注文しました。
すると、その女性は少し驚いたようで、
「Do I bring it?」 (私が注文を聞くの?)
というようなことを言いました。
でも、すぐに
「OK,wait.」 (いいわ、わかったわ)
というような感じで、注文を聞いて、係りの人に伝えてくれました。 -
どうやら彼女たちは客の接待係で、注文を聞くウエイトレスではなかったようです。
でも、怒らずに対応してくれたのでやれやれです。
それにしても、この女性といい、ライブで歌っている女性といい、ケニア人の女性は少しセクシーで品があって親しみやすくて、とても魅力的だと思いました。
ライブのバンドのパフォーマンスは、かなり洗練されたものでした。
アフリカの民族楽器をも交えたその演奏は、迫力があってリズミカルで、一過の旅人の心を強く揺さぶり、深くそこに染み入りました。 -
魂の叫びのような太鼓(ンゴマ)のリズムは、この大陸が織り成す人と動物と大地のドラマを壮大なスケールで呼び起こしてくれているようでした。
明るくてなおかつ物悲しいようなボーカルの唸(うな)りは、その後、大西洋を越えてアメリカに伝わり、そこで広がっていくような、そのようなアフリカの魂のようなものが感じられました。
曲は静かなテンポのものに変わりました。
♪ マライカ〜 ナクペンダマラ〜イカ〜・・・
♪ マライカ〜 ナクペンダマラ〜イカ〜・・・ -
やはりスワヒリ語です。
このような歌がアフリカで歌われているというようなことはまったく知りませんでした。
ちょうどいい具合にアルコールも回ってきて、気持ちは次第に昂(たかぶ)ってきました。
「一度アフリカの水を飲んだものは、必ずここへ戻ってくる」
この言い伝えは、ここを訪れたすべての人々の心に深く刻まれ、その後それは、この地球(ほし)の至るところで語り継がれていくことでしょう。 -
そしていつかは地球上のすべての人々が、私たち人類の故郷はこのアフリカなんだということに気づき、世界中がここアフリカを中心に1つの連帯感で結ばれる・・・
そんな日も、きっとそう遠くないような気がしてきました。
アフリカの壮大な大地の歴史が思い起こされ、バンドの肩越しに、それが映像のように広がっていました。
生き物が生まれては進化し、大地の中で消えていく。
長い長い年月をかけて、ここで営まれてきたと思われるような光景でした。
この大地を歩く、原始の時代の私たちの祖先やら、 -
西洋のハンターたちが動物を追っているような様子やら、人々が奴隷(どれい)としてアメリカに送られていく様子やら、いろいろな光景(シーン)が浮んでは消え、また浮んでは消えていきました。
そしてそれは、今回の旅のサファリの風景へと続いていきました。
こうして、心地よいほろ酔いと心の昂(たかぶ)りの中で、アフリカ最後の夜は更(ふ)けていきました。 -
部屋に戻りました。
-
湯を張って風呂に入りました。
-
今日も一日、たくさんの体験をしました。
早朝のサファリ・・・
ナイロビへのドライブ・・・
大地溝帯の風景・・・
レストランカーニバル・・・
ナイロビの街・・・
ジラフセンター・・・
そしてこのホテルでのライブ・・・ -
本当にいい一日でした。
明日はケニア最後の日です。
でも夕刻まで、ナイロビの市内観光ができます。
これまでは、観光地ばかり周っていましたが、明日はいよいよ本当のケニアと出会えるはずです。
もう、このケニアにもかなり慣れてきました。
でも、まだまだ知らないこともたくさんあります。
不安もあります。 -
でも、これまではどこへ行っても見るもの全てがエキゾチックで(異文化の魅力があって)、刺激的でした。
さあ、明日はどんなケニアと出会えるでしょうか?
明日も楽しみです。
(「14 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10446162/」に続く)
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