2006/08/19 - 2006/08/25
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ライオンベラーさん
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※ 1 (http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10119910/) の続きです。
ついに関空を飛び立ちました。
ボンベイまではキャセイ航空で、そこでケニア航空に乗り換えます。
ケニア・・・
名前はよく聞くけれども、具体的には何のイメージも浮びません。
気分は期待と不安で、ワクワクドキドキハラハラハラ・・・といった感じです。
香港、バンコクと経由して、やがてムンバイに到着しました。
ここでは、ケニア航空のナイロビ行きのチケットを受け取らなければなりません。
しかし・・・
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ケニア航空
-
当日、何とか予定時刻ぎりぎりに関空に着きました。
さあ、どんなツアーになるのでしょうか。
大勢の人と一緒にまわるのでしょうか。
それとも以前、マレーシアに行ったときのように、誰かと二人だけの旅になるのでしょうか。
それとも、他に参加者がいなくて、独りっきりでアフリカをまわることになるのでしょうか。
はらはらどきどきの瞬間です。
大勢で周るときは、その人たちといろいろな話をしながら、楽しく安心して周ることができます。
2〜3人で周るときは、ある程度自由に周れるし、何かあっても日本語で相談できるので安心です。
一人で周るとなると不安はありますが、そのときはそれなりのスリルを味わうことができます。
でも一応ツアーなので、危険なところに迷い込むような心配は少なく、ある程度のことは旅行社が責任を持ってくれるので安心です。
そのどれもがそれなりに楽しめるので、予め旅行社には、あえて何人になったかというようなことは尋ねずに、その偶然を楽しむことにしていました。 -
ムンバイまではキャセイパシフィック航空になります。
指定されたカウンターでは、たくさんの人がチケットを受け取っていました。
結構、年配の人が多く、お金に余裕がありそうな人たちが多かったので、この人たちといっしょに行くことになるのだろうかと思いました。
しかしその人たちはそのカウンターで、「ホンコン」とか「バンコク」(だったと思いますが)と言ってチケットを受け取っており、「ナイロビ」と言う人は誰もいませんでした。
私の番になってカウンターで「ナイロビまで」というと、まわりの人は皆、ぎょっとしたような様子で驚いていました。
これだけの人がいるというのに、この中でアフリカまで行く人はほとんどいないということがわかって愕然(がくぜん)としました。
なぜ、少ないのだろう?
それはきっと、危険だからだ・・・・
ここで、またしても気持ちが怖気づいてしまいました。
でもまさか独りというようなことはないだろうと思いながら、そのままそこで待ち続けました。 -
そのうちに、何人かの人たちが現れて、皆で笑みをこぼしながら、
「よろしくお願いします。」
と、あいさつを交し合うような場面を思い浮かべていました。
でも、なかなか他の人は現れません。
カウンターの周りもだんだん人が少なくなってきました。
そして、ついに受付は終わってしまいました。
・・・・・ 一人旅だ。
その途端、これまで思い描いていた暴動やら野獣やら病気やらの悪夢が、再び私の頭の中によみがえりました。
足ががくがくと震え始めました。
落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら、気持ちを切り替えようとしました。
はははは、はははは、一人の方がスリルがあって楽しいではないか。
しかし、その笑いは完全に引きつっていました。 -
チケットは、代理の航空会社の窓口で渡されただけで、旅行社の人とはまったく会っていません。
そこで渡されたのはムンバイまでのキャセイパシフィック航空の分だけで、あとはムンバイでケニヤ航空の人から受け取るようにということでした。
とても不安でした。
それまではキャセイパシフィック航空は、カナダかアメリカかオーストラリアの航空会社だと思っていました。
でも実際は香港の航空会社でした。
香港は南中国を旅行したときに1度だけ行ったことがあります。
昔は貧富の差が大きいところだという記憶がありますが、今はどうなんでしょうか。
8月19日の10時、香港に向けて離陸しました。
日本人もたくさん乗っていたので、そのときはまだまったく不安はありませんでした。
飛行機に乗るのは数年前に屋久島に行ったとき以来です。
窓側だったので、飛行機が飛ぶ高さから下を見たときの風景を大いに楽しみました。 -
機上ではいつも、ウィスキーかブランデーを注文します。
そのときもスコッチを注文しました。
地上では味わえないような心地よい酔いの中で、雑誌やら音楽やらを楽しんでいました。
だいぶ香港に近づいてきた頃、隣の席の人がワインを注文しました。
そのとき、中国人のスチュワーデスが、誤ってワインをこぼしてしまいました。
私の服やズボンにも少しかかってしまいました。
少しだからいいというのに、2人がかりで一生懸命にふいてくれました。
そして後でクリーニングしますというので、面倒なのでいいというと、その代わりに機内で販売する土産(みやげ)用のチョコレートセットをくれました。
そして、さらに機内販売に使えるクーポン券もくれました。
香港の空港は日本の空港とは比較にならないほど大きくて近代的でした。
前回来たときは、こんなことはなかったのにと、時の変化のすさまじさを感じました。 -
香港で乗り換えて、途中バンコクを経由して、ムンバイに向かいました。
ムンバイ行きの機内にはたくさんのインド人が乗っていました。
食事の時間です。
「チキノァベジ?」
「チキン」
「チキノァベジ?」
「ベジ」
???
私の番です。
「チキノァベジ?」
「チキノァホヮッ?」
「ベジ、アーユーべジタリァン?」
「ノー、チキンプリィーズ?」
「イェッサー」
どうやらベジとは、ビジタリアン(菜食主義者)用の食事のことのようでした。
たくさんの人たちがベジを注文していました。
何だか知らないけど、とにかく「すごい」という感じでした。
そして夕方の7時半に、ムンバイに到着しました。 -
3時間半の時差があるので、最初に関西空港を離陸してからここまで来るのに、約13時間かかったことになります。
インドは以前、デリー、ジャイプール、ベナレスなどを周りましたが、ムンバイに降りるのは今回が初めてです。
ここでは何としても、ナイロビ行きの航空券を手にしなければなりません。
これまで、いろいろなところで、旅のトラブルを目にしたり耳にしたりしてきました。
ここはインドです。 -
そしてこれから行くところはケニヤです。
時間感覚も習慣も日本とはまったく違うということをよく聞きます。
果たして、無事に次のチケットを受け取ることができるのでしょうか?
とても不安です。
飛行機の座席は後ろの方でした。
着陸後、乗客が立ち上がりました。 -
そのとき何やら機内放送をしていましたが、よく聞き取れませんでした。
「ミスターライオンベラー、ミスターライオンベラー、○△×・・・・・・。」
ん? ライオンベラー?
それは私だ!
確かに私の名前です。
きっとケニヤ行きのチケットのことで私を呼んでいるのに違いありません。 -
見ると出口はずっと先の方で、通路は大きな荷物を持った人たちで埋めつくされています。
そして一向に進む気配はありません。
ほとんどの乗客はインド人でした。
時間はどんどん経っていきます。
気持ちはあせるばかりです。
とりあえず少し進んで見ようと思って、前の人に声をかけてみることにしました。
ここはインドだからイギリス風の英語でなければ反射的に反応してもらえそうにありません。 -
これまでの経験ではイギリス風の英語で紳士っぽく声をかければ、相手もマナーよくさっとスマートに道を空けてくれました。
インドもイギリスの影響を多分に受けてきたので、ここでもそのようなことが期待できるかも知れません。
ずっと昔にいたイギリスの様子を思い浮かべながら、それらしい声をつくって言ってみました。
もちろん、思いっきり急いでいる状態を全身で表現しながらです。
「イクスキューズミ!」
おっ、避(よ)けてくれてました。 -
「イクスキューズミ!」
しかし何と、少し進んだところで、すぐににらみ返されてしまいました。
どうやら、皆、急いでいるのに自分だけ先に進もうとしていると思われてしまったようです。
この状況からすると、当然のことです。
こんなとき、インドではどのように言えばいいのだろう。
まったくわかりません。
「ゼ、コロミー・・・(呼ばれているんです)」 -
と、言っても(それがどうした?)という顔で知らん振りです。
時間はどんどん経っていきます。
ようしそれではと思って、今度は別の方法を試みてみることにしました。
「イクスキューズミ!、オォ、サンキュ、サンキュッ、イクスキューズミ!、オォ、サンキュ、サンキュッ・・・」
と、いうふうにやたら「サンキュ」を連発してみました。
そして時々前方の乗務員に手を振ったりもしました。 -
今度はうまくいきました。
皆、避(よ)けてくれています。
「オォ、サンキュ、イクスキューズミ!、サンキュッ、サンキュ、オッ、ソーリィ!、オォ、サンキュッ、サンキュ・・・」
とうとう、出口にたどり着きました。
列はもう動き出していました。
出口のところでスチュワーデスに私がライオンベラーだと言うと、キャセイの職員らしい人を指して、彼女について行くようにと言われました。 -
とにかくはぐれないようにと、必死でその女性の後について行きました。
中国人らしい、そこそこの年齢の数人のバッグパッカー(大きなリュックを背負った人)たちもいっしょでした。
彼らはかなり庶民的な感じの人たちで、仲間内で中国語で話すだけで私にはまったく無関心でした。
特別な通路から階段を降りたところに待合所らしいところがありました。
黒いソファーはすべてリクライニング式で仮眠ができるようになっていました。 -
しばらくここで待っているようにと言われたので、そのままそこで待ちました。
時刻は夜の8時ごろでした。
出発は夜中の3時過ぎなので、まだあと7時間もあります。
たくさんの路線が出ている空港のはずなのに、そこはまるでローカル空港という感じの広さで、しかも建物もかなりの古さでした。
先ほどの中国人のバッグパッカーたちもそこで待っていましたが、やはり私に対してはまったく無関心でした。 -
とりあえずはキャセイの職員と中国語で話せる彼らをぴったりマークしておけばいいだろうと思って、適切な距離をおいて、彼らの動きを見張っていました。
とても長い時間が経ったように思えました。
遂に彼らが動き始めました。
見ると先ほどの職員が来てチケットの引き換え用のレシートを集めていました。
私もそれを関空でもらっていたので、すぐにそこへ行って渡しました。
そのあと、ここにケニヤ航空の職員が来るので、ここで -
待っているように言われました。
引き換え用のレシートを渡してしまったのでとても不安でした。
長い長い時間のように感じられました。
ようやく、ケニヤ人らしい女性がやってきて私の名前を呼びました。
そしてナイロビ行きのチケットを手渡してくれました。
待ちに待ったチケットです。
これでナイロビに行ける! -
大きな安堵(あんど)を覚えました。
チケットを渡してくれた女性はどことなく初々しい感じで、自分の仕事内容もよく分かっていないような様子でした。
言うこともぼそぼそと言うのであまりよく分かりません。
どうやら、預けた荷物の確認に立ち会わなければならないと言っているようです。
ところが彼女自身、そのことはすぐにでも忘れてしまいそうな様子でした。
そしてまた呼びにくると言って立ち去ろうとしました。 -
ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ!
荷物の確認ができなくて搭乗できなくなったらどうしてくれるんだ?
それに荷物自体がなくなっていることもあるかも知れない。
そこで、あわてて尋ねました。
「ホワッタイムユカム?(あなたは何時にここに来ますか?)」
彼女はしばらく考えたあと答えました。
「トゥェルブオクローク。(12時)」 -
しかし、その様子からしてまったく時間通りに戻って来そうには思えませんでした。
でも、これ以上彼女に何を言っても同じことだと思ったので、とにかく待つだけ待って、もし時間が過ぎても現れなければ、そのまま乗り込もうと決めて
「オーケイ、ライト。(わかりました)」
と答えました。
そして彼女は去りました。
先月の11日、ここムンバイでは大規模な爆弾テロがありました。 -
近郊を走る列車が8ヶ所で爆破され、200人近い死者と数百人の負傷者が出た事件です。
ということは今、このムンバイにはそのような下地が十分にあるということになります。
今いるところは空港です。
最もそのようなテロの標的となりそうなところです。
事件後なので警備は万全なのでしょうか?
しかし、職員の様子を見ても物々しさや緊張感はさほど感じられません。
そんなことをすれば返って反感を買い、標的にされる -
のでしょうか。
これほどの人の波の中では、安全対策にはおのずと限界があるのだろうか・・・?
できることは、自分で不審者らしき人を見つけ、そこから離れるぐらいのことしかないのだろうか・・・。
などといろいろ考えているうちに、少し眠くなってきました。
今後の日程を考えると、ここで少し休んでおかなければなりません。
できるだけ安心できそうな人たちの近くで、少し眠ることにしました。 -
バッグの外側はいらないものばかりにして、背負いひもに足をからませました。
目覚ましアラームは23時半にセットしました。
うつらうつらしていると、まわりのあちこちから日本語が聞こえてきます。
日本人もいるのかな。
そう思って見渡してもケニヤ人やインド人ばかりです。
ヨーロッパ人らしい人たちもいました。
それでもまだ日本語のような会話が聞こえてきます。 -
耳を澄ましてもう一度よく聞いてみると、どうやらケニヤ人が話すスワヒリ語が、まるで日本語のように聞こえているようです。
これは新たな発見でした。
ケニヤに対して新たな親近感を覚えました。
しかしそのときは、耳がいちいちその意味のない日本語の単語に反応してしまって、落ち着いて眠れませんでした。
疲れていたのかも知れません。
そうするうちに11時になりました。 -
それからはずっと、先ほどのケニヤ人の職員を待ち続けました。
約束の12時を過ぎ、12時半を過ぎ、1時前になりました。
しかし最初の予感どおり、彼女は現れませんでした。
さあ、こうなれば直接ゲートに行くしかありません。
離陸時間までは、まだあと2時間ほどありますが、こんな遠いところで待つよりは安心です。
表示をたどりながら、チケットに記されている3番ゲートに行ってみました。 -
ゲートは確認できましたが、まだ離陸の2時間前なので、当然ゲートは開いていません。
付近にはたくさんのケニア人らしい人たちがいました。
同じ飛行機に乗る人たちです。
とりあえずはこの人たちの近くにいれば安心です。
でも、荷物の確認をしていないことが気がかりです。
ここにいる誰かに尋ねてみたいのですが、皆、険しい顔をしていて、とても話しかけられるような雰囲気ではありません。 -
陸上選手などのケニヤ人は、温和で優しそうな人が多いので、皆そうなのかと思っていましたが、ここにいる人たちは、まったくそんな風にはみえませんでした。
今思うと、彼らにとってはここは外国なので、ピリピリと緊張していたのかも知れません。
ようやくアナウンスがあり、皆が動き始めました。
西洋系の人もいましたが、東洋系の人はほとんど見かけませんでした。
その人たちといっしょにゲートに向かいましたが、ゲートの前では既に長い列のようなものができていました。
しかしどうも様子が変です。
そして、列は一向に進んでいないようです。
先月10日にイギリスで同時多発テロ未遂事件がありました。
液体の爆発物をもって、10数機の飛行機に乗り込み、同時に爆破しようとした事件です。
それは実行寸前で発覚し、未然に防止されました。
どうやらその事件を受けて、検査を厳しく行っているようです。 -
それにしても、やはりどこか様子が変です。
乗客が口々に不平を言っているのに、係官たちはまったく急ごうとしていません。
もしかして、急ぐ人からチップをとろうとしているのだろうか。
そんなことさえ疑われるような様子でした。
以前、インドで道路で同じような様子の渋滞に遭遇したことがあります。
そのときは明らかに兵士がチップを稼いでいるという話でした。
結局は全員が乗り込んでから離陸するはずだから、急いでみても同じことだと自分に言い聞かせながら、焦(あせ)る気持ちを抑えて、そのまま様子を見ていました。
私は今は、ここに来ているけれども、本当は、あの若いケニヤ航空の職員に、待合所で待っているように言われています。
そのとき彼女が言っていた、荷物の確認もまだしていません。
それをしていないと飛行機には乗り込めないのではないだろうか。 -
だんだん不安になってきました。
とりあえずは、そのことについて尋ねてみようと思いました。
近くに検査官の制服を着たケニヤ人の女性職員がいたので声をかけようとしました。
すると彼女の方から尋ねてきました。
「フェアユフロム?(どちらの方ですか?)」
「ジャパ・・・」
と言いかけたら、彼女はすぐにそれをさえぎって言いました。
「コリア?(韓国?)」
「ノー、ジャパ・・・」
と言いかけたらまたしてもそれをさえぎって、私をゲートの中に誘導しました。
どうやらそこでは「ジャパン」であってはいけないような様子でした。
そうか「ジャパン」ならチップを要求されるのか。
そのときはそんな風に感じました。 -
金属探知機ではこれまでもよく引っかかってしまいました。
面倒なのでポケットからコインやキーなどを取り出さないせいでしょうか?
今回も引っかかりました。
そしてそのときはいつも、映画などで犯人が警官に捜査を受けるようなシーンをイメージしながら、両手を挙げた格好で検査を受けます。
これは検査員に正確な検査をするように促す意味もあります。
テロなどの実行犯をここで何とか防ぎとめてほしいという 願いも込めています。
先ほどの女性職員は検査が終るまで、そのままそこで待っていてくれました。
そして今度は手荷物検査のところへ誘導してくれました。
そこにはひと癖(くせ)もふた癖もありそうな兵士風の職員がいました。
やはりケニヤ人です。
このあたりの責任者らしく、まわりの職員はすべて彼に従っていました。 -
誘導してくれた女性職員が「コリアン(韓国人)だからよろしく。」というようなことを言っているようでした。
その様子からして、今世界では韓国人がウケがいいように思われました。
今の韓国人は勤勉でまじめだからでしょうか?
かつては日本人がそのような印象で見られ、どこへ行っても好意的な扱いを受けていたことを思い出しました。
さて、その癖のありそうな係官ですが、彼はフン、どうせジャパンだろう俺にはわかっているんだ、というような表情で、横柄(おうへい)な態度で、リュックを開けるように言いました。
まず最初に荷造り用のひもやガムテープを見つけると、それを取り出して床に放り投げました。
土産が増えたときにリュックの外にくくりつけようと思っていたひもでした。
床にはそのようにしてはねられた品々がたくさん転がっていました。
次に100円ショップで買ったゴム製のカラフルなボールも床に捨てられてしまいました。
プラスチック製の不審なモノとみなしているのでしょうか? -
それとも私が機内でこのボールで攻撃するとでもいうのでしょうか?
それとも後で拾って、自分の子どもの土産にでもするつもりなのでしょうか?
そして他の品物を見て、横柄に
「ワッツジス?(これは何だ?)」
と聞きました。
「ギフト(土産物)・・・」
と答えると、怪訝(けげん)そうな顔をしていました。
これだけいろいろなモノを持っていると変なやつだと思われても仕方がないかも知れません。
しかし、ビデオカメラの他はケニヤ人が気を悪くするようなぜいたく品は何ひとつ持って来ていないので、まあ、通してくれるだろうと思っていました・・・ が、出てきました・・・
キャセイでもらった高級チョコレートです。
検査官はその箱を見るやいなや、指でプチッとその包装セロファンを破ってしまいました。
これでもう、土産としては使い物になりません。 -
プラスチック爆弾の原料になるかどうか調べたんでしょうか?
しかし、破ってしまうことはないと思います。
さすがにその行為には腹が立ちました。
しかし偶然のもらい物なので、被害としてはそれほど困るようなことはありません。
それでもここは思いっきり不満を示した方がよさそうに思いました。
そこでかなりわざとらしく
「アアアッ・・・!」
と言ってさも恨めしそうにどうしてくれるんだという顔で両手を広げたお手上げのポーズをしながらにらみつけてやりました。
その検査官はそれで満足したのか、知らん顔をしたまま「よし、終わりだ。」というような仕草をしました。
そし、やったぞ!
さあ、これでいよいよケニヤに行けるぞ!
と、飛び跳ねたいような気持ちになりました。
その後、先ほどの女性職員といっしょに、日本で預けた荷物の確認に行きました。 -
やはり確認は必要だったようです。
驚いたことにそこから階段を降りて行くと、滑走路に出ました。
そこは様々な工具やら部品やらがあって、巨大な自動車整備工場といった感じでした。
もちろん空港のこんなところに来るのは初めてです。
何と、こんなところで、荷物を確認するようです。
しばらくいろいろな荷物を探した後、ようやく見覚えのある私の旅行カバンを見つけました。
こんな雑然としているところで荷物の積み降ろしをしているとは・・・
これではいつ間違いが起こってもおかしくないように思えました。
その後、最初の待合室を通りましたが、そのときに、あの最初に会ったケニヤ航空の若い女性職員に会いました。
声をかけようかと思いましたが、彼女は知らん顔をしていたので、これで荷物確認は無事に終わったのだろうと思ってそのまま通り過ぎました。
後で思うと、彼女から見れば東洋人の顔は皆同じように見えて、見分けがつかなっかっただけかも知れません。 -
それとも彼女にとっては、乗客が荷物を確認してもしなくても、そんなことはどうでもいいことだったのでしょうか?
そこから先ほどのチェックインゲートの方へ歩いていくと、当然のことながら、またゲートの外側に戻って来たことになります。
そのときはもう、誘導してくれていた職員はどこかに行ってしまっていました。
仕方なく、もう一度探知機をくぐりました。
やはりピピーッと鳴りました。
そして、また手を挙げろと言われたときのような格好をして身体検査を受けました。
さすがに次の手荷物の検査は
「アイディディット!(それはもう済みました!)」
と、言って免(まぬが)れました。
さあ、ついにケニヤ行きの飛行機に乗り込むことができました。
これが最後のフライトです。
乗客のほとんどはケニヤ人です。 -
当然、乗務員もケニヤ人です。
そして、降り立つのはケニヤです。
ああ、このときようやく心はインドから解放されてそのすべてがケニヤに占められました。
次第に気持ちが高ぶってきました。
考えようによっては、今日のこのフライトは私の人生の中で、最も記念すべき出来事だといえるのではないでしょうか。
というのは、このフライトこそは、人類誕生の地に帰り着くイベントであるからです。
ずっとずっと昔に私たちの祖先が生まれたところ、祖先が二足歩行して言葉を使い始めたところ、世界中のすべての人々の心の故郷、そして現実の故郷、それがこのアフリカなのです。
この地球(ホシ)に生まれた人は誰しも一生に一度はここに帰り着きたいと思っているに違いありません。
すべての国のすべての人が、毎日、それを願いながら暮らしているのではないでしょうか?
(ん? 特にそんなこと思っていない?)
機は夜のムンバイを後にしました。 -
街の灯が次第に少なくなり、やがて一面の闇が下界を覆(おお)いました。
インド洋です!
この後、この海が延々と続き、明け方に陸地と出会います。
そして、その陸地こそがアフリカなのです。
・・・ 眠くなりました。
昨夜はほとんど寝ていません。
目を閉じるとまぶたの裏には、未だ見ぬ国、ケニヤの光景が、次から次へと浮かんできます。
そして、いつの間にか深い眠りに落ちていました。
夜が開け、少しずつ高度が下がってきました。気がつくと眼下には陸地が広がっていました。
草地です。
建物はほとんど見えません。
遠くには山が見えていました。
有名な山なのでしょうか。
と、そのとき機体がゆっくりと大きく傾いていきました。 -
どうやら機長が乗客へのサービスとして、地上の風景を見せてくれているようです。
といっても見えるのは草地ばかりです。
この中に野性動物がいるのでしょうか・・・。
と思う間に機体は今度は反対側に傾いていきました。
これだけ丁寧(ていねい)に見せてくれるのは、ここが何か意味のある場所だからに違いありません。
しばらくして、だんだんだんだん高度が下がり、機は着陸体勢に入りました。
着陸するときはいつも、機長になったつもりで操縦席からの光景をイメージします。
ケニヤ人のパイロットは未熟で荒っぽいのでしょうか?
それとも、選りすぐりのエリートで、アスリートのように反射神経も抜群なのでしょうか?
しかし、自信を持っている人ほど過信して、余計なアクロバチックなことをしてしまうのではないだろうか?
などと、いろいろ考えてしまいました。
滑走路が次第に近づいてきました。最適の角度で進入します。
着地はできる限り機体に余計なダメージを与えないように、静かに行います。
コトン・・・
完璧です!
使える滑走路の長さを十分に使って、ゆるやかに減速します。
背中にはほとんど力を感じません。
最高の着地でした!!!
(3 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10324198/に続く)
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