2006/08/19 - 2006/08/25
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ライオンベラーさん
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野生動物の観察がしたくてケニアに行ってきました。仕事の合間で十分な準備ができなかったので不安いっぱいの旅立ちでした。いったいどんな旅になるのでしょう。さあ、未知の大地、動物王国への旅の始まり、始まり 〜〜〜 ・・・ → → → ⇒ ⇒ ⇒
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 航空会社
- ケニア航空
-
アフリカ旅行を思い立ったのは、出発の2〜3ヶ月前のことでした。
ずっと以前にモロッコとエジプトを訪れたことがあるので、アフリカに渡るのは今回で3度目ということになります。
しかしモロッコやエジプトは、アラブとしての印象の方があまりにも強すぎて、それだけではアフリカを訪れたという気持ちにはなれませんでした。
私にとっての本当のアフリカとは、熱帯のジャングルの中で野生動物やらターザンやらが叫びまわっているような、そんな所でした。
もちろんその野生動物の中にはゾウやキリンやライオンが含まれています。 -
そしてさらにそこにはシマウマもいてほしいと思っていました。
そんなイメージのところが、私にとってのアフリカでした。
そして、そんなアフリカを訪れることは、私のずっとずっと昔からの夢でした。
そしてそんな動物王国のアフリカを代表するような都市がナイロビでした。
ナイロビ・・・
ずっと昔から何度も聞いてきた街の名前です。
でも、いったいそこはどんなところなのでしょうか・・・
昔、発展途上国と呼ばれていた国の、例えばクアラルンプールやシンガポールなどの街や、香港やバンコクなどの空港を訪れたとき、それまでのイメージとはあまりにもかけ離れた発展振りに、何度も驚かされてきました。
そのような体験を積み重ねてきているので、きっとナイロビもまた、現在はそのような近代都市として発展を続けているのかも知れない、と思いました。 -
日本なんかも、訪れたことのない人たちにとっては、未(いま)だに侍(さむらい)が刀(かたな)を差して歩いているようなイメージが残っているといいます。
ナイロビもきっとこれと同じで、昔のイメージが残っているだけで、今はきっと近代的な街に変容しているのだろうと推測しました。
たくさんの近代的なビルが建ち並んでいて、何車線もある道路には車があふれ、スーツ姿のビジネスマンたちが、地下鉄の満員電車に揺られながら通勤している・・・
というような、まるでニューヨークの街のような様子を思い浮かべていました。
しかし、実際のところはどうなんだろう? -
本当にそれほどまでに発展しているのだろうか?
とにかく、行って確かめてみたい・・・。
そんな気持ちが、年々膨(ふく)らんできていました。
とはいうものの、実は今回の旅では、最初からアフリカ行きを考えていたわけではありませんでした。
今回の旅は、最初は野生動物が見たいという気持ちから始まりました。
最近は、急に動物に関心をもつようになってきて、それに伴(ともな)って、世界中に野生動物の様子を見に行きたいという気持ちが高まってきていました。
でも、そのような旅は初めてなので、まずは手始めに、ボルネオにオランウータンを見に行こう、と思いました。
ボルネオなら日本から近いし、環境も比較的整備されているだろうと思ったからです。
それから、いくつかの旅行社をまわって、ボルネオ旅行のパンフレットを集めていきました。 -
そして、そのときふと手にしたのがアフリカ行きのパンフレットでした。
・・・・・!!!
オランウータンよりもこちらが先だ!!!
アフリカは往復に日数もかかるし、現地では日本の情報なども少ないので、日本は発展した文明国というようなことも知られていないかもしれない。
アフリカをごく自然に、気楽に周るというようなことは、まず期待できないだろう。 -
だから、訪れるためには、体力的にも精神的にもタフな時期でなければならないだろう。
もしそうならば、ずるずると先伸ばしにしないで、少しでも早い方がいい。
それにこれから仕事が忙しくなって、今年のような連続した休みはとれなくなるかも知れない。
ということは、今年こそがアフリカを訪れるための絶好の年だ!
いったんそう思えばあとは何が何でもアフリカです。
そんなことで今回の目的地が決まりました。
とはいうものの、そのとき私の脳裏に浮かんできたことは、ルワンダやアンゴラの内戦とか、南アフリカの人種隔離政策崩壊後の混乱とか、エイズやら貧困の問題とか、そういった不安を掻き立てるようなことばかりでした。
アフリカの人たちは皆プライドが高くて好戦的で、戦って死ぬことなどまったく恐れていない・・・などと勝手な偏見がどんどんふくらんでいきました。 -
そして、さらに追い討ちをかけるように、知人が嵐よういちさんの「海外ブラックロード 危険度倍増版」を貸してくれました。
それによるとナイロビは南アフリカのヨハネスブルク等とともに、世界最危険都市のひとつに挙げられていました。
私の頭の中ではさまざまな妄想が広がっていきました。
例えばナイロビ市内でトラブルに巻き込まれて、逃げ惑っている私の姿がありました。
警察官や街の人達は外国人がどうなろうと、そんなことにはまったく関心がなく、むしろ好奇をふくんだ冷酷なの目でそれをあおっているようにさえ見えます。 -
人混みの中に逃げ込もうとするのですが、黄色人種の私は逃げ込んでも逃げ込んでも目立ってしまって、いつまで経っても逃げ切れません。
その妄想は興味本位で取り囲んだ群集によって、袋叩きにされるような、そんな場面で終わります。
また、サファリの場面では肉食獣が低く激しいうなり声とともに車に飛び掛ってきます。
ああっと思う間にわずかに空いた隙間から車の中に入り込んで来て、大きな牙をむきながら人間に襲い掛かってきます。
そして牙やら爪やらで次々とその肉を引きちぎっていきます。
さらに、街中で高熱にうなされ、激しい嘔吐と下痢を繰り返しながらうずくまっている姿や、あたりの景色がぐにゃぐにゃになって回っているような場面も浮んできます。
あまりの妄想のために、ときおり体中がぶるぶるっと震えるような、そんな状況の中で、それでもひとつずつ着実に旅の準備を進めていきました。
先ず、旅行社をいくつか訪ねてみました。
しかし、積極的にアフリカ行きを勧めるようなところは -
どこもありませんでした。
パンフレットの数も他の地域と比べると極端に少ないような状況でした。
どうも旅行社にとっては、アフリカのようなところは手配の手間やトラブル処理のことを考えると、あまり扱いたくないところのように思われました。
それに物価が安い分、手配してもそれほど利益に結びつかないということもあるかも知れません。
その結果、代金も他の薄利多売的な地域に比べて、かなり割高になっているように感じられました。 -
パンフレットを見ると、それでもたくさんのコースやら日程やらが載っていました。
ところが実際にたずねてみるとそのほとんどが最低催行人数が集まらずに中止になるだろうということでした。
逆に人数が集まっているコースは、既に定員に達してしまって募集を締め切っているところばかりでした。
やはりアフリカで安全な旅を提供することはかなり難しそうだ、という印象でした。
ようやくのことで独りでも催行してくれる旅行社を見つけました。
現地の事情にも詳しそうなところです。
しかしどうもそこはアフリカ慣れした人達が利用するようなところで、私のような初心者にとっては、突き放されてしまうようで、かなり不安でした。
しかし動物たちに会うためには、そのくらいのことは、どうしても乗り越えなければならない試練だろうと思って、その旅行社にお願いすることにしました。 -
さあ、今度はコース選びです。
旅費からすると、何回もアフリカを訪ねることはかなりの負担になります。
100ヶ国訪問を目標にしている私としては、ここでいくらかでも国の数をかせいでおきたいところです。
しかし、まったくイメージのわかない場所を訪ねるときに、無理をするのはよくないと思いました。
実際、これまで見てきた悪夢のように、とてもハードな旅になるかも知れません。
今回ていねいにまわって、アフリカついてのはっきりしたイメージをつくっておいて、次回にそれに合わせて十分な -
準備をして、一気にたくさんの国を駆け巡ろうと思いました。
そんな訳で、今回はケニヤ1国、それもフラミンゴのナクル湖と、ゾウやサイやライオンなどたくさんの動物がいるというマサイマラ動物保護区だけをまわるコースを選びました。
最後に航空会社選びです。
このとき、エミレーツ航空を選べばかなり、快適な旅ができたはずです。
しかし予算の節約と現地の文化を体験したいという理由から、迷わずケニヤ航空を選びました。
そして、その選択によって、かなりハードな体験を積むことになりました。
最後に行った外国は職場の人達と行った北京です。
もうずいぶん昔のことになります。
本当に、仕事、忙しかったなあ・・・・・
と、その間のことを振り返ると涙が出てきます。
さあ、ようやくトラベラーに戻れる瞬間がやって来るんだ。 -
そう思うと、だんだんと体中に力がみなぎってくるように思われました。
パスポートの期間が切れてしまっていました。
申請して受け取りました。
今回はそれに電子チップが組み込まれていました。
私たち人間はそれでも着実に未来社会に向かって歩んでいる・・・
そんな感じがしました。 -
しかしこれもまた、悪の組織が読み取りや改造に成功して、技術的な攻防が繰り広げられることになるのだろう。
なぜか、そんなふうにも感じられました。
帰路、ムンバイに入るときに黄熱病の予防接種が必要ということでした。
さっそく検疫所で予約をして受けて来ました。
予防接種で死に至る確率はきわめて低いということでしたが、野口英世博士も感染して亡くなったウィルスです。とても不安でした。
しかし、無事でした。 -
サファリでかぶる帽子を買いに行きました。
ちょうどシマウマのようなのがあったので、買いました。
しかし、そのときまた、新たなる妄想が浮んでくるようになりました。
サファリカーの中でその帽子をかぶったとたん、あちこちから肉食獣が現れて、ものすごい勢いで一斉に飛びっかってくるというものです。
また、サファリカーには肉食獣から人間を守るために必ずライフル銃が積んであると思っていました。
そして、ふざけた帽子に腹を立てたスタッフたちが、 -
「シマウマは狩の獲物だ!」
と叫びながら、その帽子をめがけて撃ってくる・・・
というものです。
そのときは、まだスタッフたちは生真面目に仕事をする冗談が通じない純朴な人たちというイメージでした。
さて、今度は言葉の問題です。
言葉がわかればその国の伝統的な文化やその土地の人に触れる機会が増えます。
また、いくら危険なところへ行っても実際に被害にあう可能性はずっと少なくなるでしょう。 -
例えば日本でも日本語がまったくわからない外国人が来ても、風景などの表面的なものを見るだけになってしまうし、ガイド以外の日本人とはほとんど触れ合う機会はないでしょう。
たとえ英語が話せたとしても、日本で英語を話すのは西洋の文化に関心を持つような人たちだけで、伝統的な日本の生活を守っている人たちと触れ合う機会はほとんどないでしょう。
またガイドなしで街を歩けば、さまざまな不便を感じるし、場合によっては犯罪の絶好の標的になるかも知れません。
しかし、少し日本語を話すだけで、話しかけられた人はにっこりと笑顔になるでしょうし、詐欺師やペテン師なども -
警戒して近づかないかも知れません。
ケニヤにしても同じことだと思いました。
少しでも思い出に残る旅にしようと思えば、たとえ少しでも現地の言葉を話さなくてはいけません。
そこで、さっそくケニヤで使われている言葉を調べてみました。
ケニヤは昔イギリスの植民地だったので、今でも小学校から英語を学び、英語は一般的に通じるだろうということは知っていました。
しかし、日常生活のことばはそれぞれの部族のことばか、地域の共通言語のスワヒリ語がつかわれているということでした。
と、いうことは土地の人と親しくなるにはスワヒリ語を学習しておかなければならないということになります。
さっそく、スワヒリ語の本を探しに書店に行ってみることにしました。 -
大きな書店に行くと、英語はもちろんスペイン語や中国語、ハングルなど、最近のグローバル化(地球規模化)を反映してたくさんの書籍が並んでいました。
しかし、アフリカの言語のスワヒリ語は数冊ほどしかありませんでした。
その中で、CDつきの価格もてごろなものを1冊選びました。
この本とインターネットで今度の旅で役立ちそうな部分を必死になって覚えました。
覚えれば覚えるほど旅の危険度が減っていくという感覚でしたので、必死でした。 -
これまでの経験から旅で役立つ言葉の順番は、
「こんにちは」「ありがとう」「はい」「いいえ」で、これだけ話せるだけで旅の質が大きく違ってきます。
私の場合はその次が数でした。
特に買い物をするとき、現地語で数を言うだけで、ひどいぼったくりの被害にあう可能性はずっと少なくなります。
売り手がかなり好意的になるためだと思われます。
そのあと、英語と日本語で確認すれば完璧です。(買い物の場合はどこでもたいてい日本語が通じます。)
そのとき感じたことは、スワヒリ語はヨーロッパの言語とまったく何の関連もないということです。
英語にしろイタリア語にしろドイツ語にしろ、同じ数ならスペルや発音のどこかが共通しています。
しかし、スワヒリ語はそんなことはまったくありませんでした。
あえてこじつけるとしたら、
3→スリー(トレ、ドライ・・・)→タツ
6→シクス(セイ、ゼクス・・・)→シタ
7→セブン(セッテ、ズィーベン・・・)→サバ
ぐらいでしょうか。
そんなことで、数を覚えるのには大変苦労しました。 -
街で見かける車のナンバーや速度表示などの数字を次々とスワヒリ語で読んでいきながら練習しました。
そしてもちろん、野生動物の名前もできるだけ覚えていきました。
あとは、休日に何ヵ所か、動物園に行って、動物の写真を撮る練習をしました。
動物園の資料室ではアフリカの動物についてできる限り調べていきました。
また、NHKの「生き物地球紀行」やら「地球ふしぎ大自然」やらをビデオに撮りだめしていたので、その中のアフリカに関するものを、片っ端から観ていきました。 -
そして、それは、今回の旅でとても役立ちました。
旅行カバンは街向きのしかなかったので、アフリカ向きのを買ってきました。
あと、ビデオカメラも思い切って新調しました。
電源の変換器はある程度もっていたけど、念のためケニヤ用と言って、これも新調しました。
しかし、結果として合わないところもあったので、いくつか別の型も持っていったらよかったと後で後悔しました。
できるだけ余計なものは持っていかないのが旅の鉄則なのでしょうが、いるかいらないかの判断は微妙なこともあります。
ビデオは撮りにくい場所も多いだろうと思って、手持ちのデジカメも持って行きました。 -
動物を撮るとき、砂ぼこりで壊れやすいと何かに書いてありましたが、特にそんなことはありませんでした。
ただし、道中もふくめ、車はとても揺れるので、ぶつけて壊さないようにしなければなりません。
蚊については、数々の病原体を媒介するので、特に神経質になっていました。
サバンナは草地なのでとても多いだろうと思って、スプレーやら電子蚊取りやら超音波虫除け器やらを持って行きました。
でも実際には現地では1匹も見かけませんでした。 -
あとは、現地の人や子どもたちにお土産を持っていくことにしました。
なくてもさしつかえないものですが、もしもの場面で、あればなあと思うことも考えられるので、一応持っていくことにしました。
あまり高価なものよりも喜ばれるものの方がいいと思って、百円ショップでさがすことにしました。
本当は、日本製のゾウやらキリンやらの絵や飾り物が面白くて喜ばれるだろうと思って探しましたが、なかったので、とりあえずは男の子用のおもちゃと女の子用の飾りと、大人用には写真のような「東海道五十三次」の絵を何枚か持っていきました。
あ、それから携帯電話も持っていきました。どこでもショップで申し込むと出発前に自宅に送ってくれます。
これがあれば、危険な状況になっても直接日本に -
日本語で連絡できるので安心です。
さあ、これで旅の準備は完了です。
(2 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10323205/に続く)
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