1997/09/13 - 1997/09/23
1450位(同エリア1793件中)
まみさん
チュニジアといったらナツメヤシ……と言いたいところですが、ちょっと無理がありますね。
この1997年度の旅行でも、チュニジアだけでなくナポリでも見ました。その後の旅行でも、1998年のイスラエル、1999年のスペイン、どちらでも頻繁に目にしました。
遡っても、1995年の南イタリアやシチリア、さらにはもっと前、初めての海外旅行で訪れたサン・フランシスコやロサンゼルスでも、ナツメヤシは見かけました。
ナツメヤシ自体は、街路樹としても、そう珍しいものでもありません。
でも、やはり異国情緒を誘うのです。ああ、私はナツメヤシの国にいるんだなぁって。
特に、実がたわわに成っていたりしたら、たまりません!
しかも、チュニジアを含む中近東やアフリカにおいて、ナツメヤシは、町を飾るものとしてだけではなく、主要な食糧として栽培されていました。
整然と植えられたナツメヤシの畑がどこまでもどこまでも続く光景。これはチュニジアで初めて目にしました。
残念ながら、そういった整然としたナツメヤシの畑自体の写真は撮っていませんが、チュニジア各地で撮ったナツメヤシの写真を、単にナツメヤシだけでなく、チュニジアの風景の一部としてご紹介したいと思います。
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チュニスの新市街の街路樹のナツメヤシ
まずは、でーんとナツメヤシの木のアップ。
見事な実をつけていて、街路樹にはもったいないくらいです。
写真は、エディ・セディ大通り(Boulevard Hedi Saidi)にて、メトロ駅を背景に撮りました。
といっても、この写真では思いっきりナツメヤシにフォーカスしましたので、背後のメトロ駅の建物はほとんど見えていませんね。
チュニジアでは干したナツメヤシやナツメヤシ・ジャムを口にする機会があるでしょう。
独特の味で、癖になればなるでしょうね、ってところ。
[ナツメヤシの実そのものは、とてもジューシーです。果物らしい、さっぱりとした甘さがありました。
水代わりになるくらいジューシーで、十分喉を潤せます。乾燥した地域では、まさに水代わりに重宝されたことでしょう。
ただ、種が多いので、ちょっと食べにくいんですけどね。]
と当初に書きましたが、大いなる勘違い〜!
この感想は、サボテンの実のことでした!
括弧にくくって、お詫びとともに訂正いたします。 -
チュニスの新市街の街路樹のナツメヤシ
エディ・セディ大通り(Boulevard Hedi Saidi)のメトロ駅の前にて
さきほどの写真の背景にチラッと見えていたメトロ駅の建物を、もう少しファインダーに入れてみました。 -
チュニスのベルベデーレ公園のナツメヤシ
動物園や美術館もある大きな公園です。
もっとも、残念ながら、滞在期間中に見学する時間はとれませんでした。
写真は、ホテルのベランダから撮りました。
チュニスのホテルは、このベルベデーレ公園のすぐ近くにあるレ・アンバサダーという三ツ星レベルのところを、旅行代理店を通じて日本から予約しました。
やや郊外に位置するため、メディナ(旧市街)や観光案内所もある新市街などの中心部へ行くのに、トラムを利用しました。 -
チュニスの街路樹のナツメヤシ
バルドー博物館前の大通り、その名も、1956年3月20日大通り(Boulevard 20 mars 1956)にて
ナツメヤシもこうなってしまうと、よく見る街路樹のスタイルですが、すっきりととカットされた幹の下の方が白くペイントされていました。
……なぜ?
1956年3月20日は、チュニジアがフランスから独立した日です。
チュニスの地図を開くと、そんな風に記念日を通りの名前にしたところがあちこちにあります。
また、バルドー博物館は、チュニジア一、いや北アフリカでも有数の考古学博物館です。
展示物のみならず、その建物自体もすばらしいです。 -
カルタゴの住宅地とナツメヤシ
ピンクの花も鮮やかです。ブーゲンビリアかな。
真っ白な門の鋲の模様も、可愛いでしょう。
カルタゴといえば、古代ローマ帝国のライバルであったフェニキア人の街、象でアルプス越えしたハンニバル将軍の国、そして三度のポエニ戦争でローマに滅ぼされて、すっかりローマ色に塗り替えられてしまった古代遺跡のある街として、チュニスから格好の日帰り観光地です。
でも同時に、カルタゴといえば、高級別荘地でもあるのです。
たぶん、ナツメヤシの背後にある邸宅は、そんな別荘の1つでしょう。 -
カルタゴの遺跡とナツメヤシ
雨上がりのワン・ショット
カルタゴに残る古代ローマの遺跡にて。具体的には、アントニウスの浴場と呼ばれる公共浴場跡です。
私としては、カルタゴらしい写真ではないかしら、と思っている一枚です。
背景はチュニス湾です。
カルタゴ考古学博物館がある小高い丘の上へ登れば、天気が良ければシチリア島あたりまで見えます。 -
スースのリバト(要塞)の城壁とナツメヤシ
これも実が見事になっているナツメヤシです。
こういうのを目にすると、何度でも写真を撮りたくなってしまいます。
お気に入りの1枚です。 -
モナスティールの街とナツメヤシ
これからハビブ・ブルギバ霊廟に向かうところです。
奥にうっすらと見えています。
モナスティールの観光目当てといえば、メディナ(旧市街)の他は、リバト(要塞)や大モスク、チュニジア共和国初代大統領ハビブ・ブルギバ霊廟でしょう。
どれもメディナを囲む壁の外にあります。
メディナの外の新市街も、このようにナツメヤシで飾られた整然としたエリアとなっていました。 -
ケルーアンのチュニジアンな住宅と白いイスラム衣装の女性たちとナツメヤシ
ケルーアンは、チュニスの次に滞在したスースから、ルアージュ(乗合タクシー)を利用して日帰りしました。
写真は、メディナ(旧市街)の外です。
具体的には、共和国大通り(Avenue de la Republique)で、道路挟んで観光案内所の目の前です。
ここでもナツメヤシは街路樹として活躍しています。
一番撮りたかったのは美しく豪華な邸宅ですが、イスラムらしい衣装で全身をすっぽり覆った女性たちの姿もファインダーに収めました。
イスラムの女性のイスラムらしい衣装といったら、黒いガウン(アバヤ)とヒジャブと黒いスカーフ(ヒジャブ)で全身黒づくめ、と思っていたので、全身白に固めた女性の姿はとても珍しく思えました。
ただ、チュニジアはイスラム戒律に対して緩やか国で、都市では女性も洋服で外を歩いている姿をちらほら見かけました。
でも、ふつうに外を歩く現地の人らしき女性を見かけたのは、やっぱりチュニスくらいでした。
その他の町では、特に南部の田舎となると、チュニジアの女性たちは外ではほとんど見かけませんでした。
しかし、ケルーアンはイスラム第4の聖地であるせいか、女性自身もこうやって足を運ぶのかもしれません。 -
サハラ砂漠とナツメヤシ
ドゥーズにて
サハラ砂漠といっても、全部が全部、一面砂だけしかない世界ではなく、このようにポツポツと木が生えているところもあります。
サハラ砂漠のオアシスの街ドゥーズへは、スースから夜行バスで移動し、3泊しました。
ドゥーズへの行きは一泊それで浮かせ、帰路のチュニスへは、直行する長距離バスが1日に2本しかないため、早朝バスで移動しました。
ところで、サハラ砂漠を見る拠点として、候補はドゥーズだけでなく、トズールもありました。
トズールは、チュニジア南部の最大のオアシス街で、国際空港もあります。、どっちにしようかと迷いました。
でも、ドゥーズの方がまさにサハラ砂漠のど真ん中にあるオアシスらしく、サハラらしいサハラがすぐ外に広がっているらしい、ということが決定打になりました。
また、ドゥーズを拠点にすれば、マトマタやメディニン、タタウィンなどへ日帰りできるだろう、とも思いました。
ドゥーズで、初日は、ガイドやツアーの手配をしているというカーメルさんに町案内をしてもらいました。
といっても、道で声をかけられて知り合ったというだけです。まあ要するに、自称ガイドさんの案内を買ってしまったというわけで。
実はチュニジア旅行中、これをしょっちゅうやってしまったのですが……ドゥーズで出会った人は本当に良心的な人でした。
ドゥーズ2日目は、カーメルさんにベルベル人ガイドによるサハラ・トレッキングの手配をしてもらい、サハラ砂漠をラクダで揺られて見学する方をとりました。
そして3日目は、最初に予定から外したトズールへ、自力で行きました。
チュニジアの南部は、女1人、車も運転できず、公共交通機関のみに頼って観光するには、かなり不便です。
サハラ砂漠の4日間(といっても、最終日はドゥーズからチュニスへ10時間横断)は、かなり直前に追加した日程だったこともあり、事前に十分な下調べもできませんでした。
そもそも当時私はインターネットが使えませんでしたし、いまほど普及していませんでしたから、チュニジアの旅行情報自体もなかなかかき集められませんでした。
そのため、見たいところはあれもこれもとあったのですが、思ったように効率よくは観光できず、途方に暮れたものです。
その苦労も、今ではいい思い出と言えますけど……一方で、それが現地で出会った自称ガイドの話についつい乗ってしまった原因でもあります。
ヒッチハイクで、バイクに乗っけてもらったりもしてしまいましたっけ。
「乗る?」と言われて、これ幸い「うん」ってね。 -
ナツメヤシ畑を荷馬車で走り抜けるワタシ
なんちゃって、ポーズです。
手綱をとっているだけで、実際には走らせていません。というか、できません@
カーメルさんとドゥーズの市内観光中。
この荷馬車が通りかかったとき、カーメルさんが記念になるだろうと、荷馬車に乗っていた人に交渉してくれて、こんな写真を撮らせてもらったというわけです。
ナツメヤシ畑を見てきた後なのですが、写真の背後のナツメヤシを見る限り、これが整然としたナツヤメシ畑だったといわれても、全くわかりませんね。 -
トズールの温泉湧き水とナツメヤシ
まるで海辺のリゾートのようでしょう。これでもサハラ砂漠のただ中にある都市の1風景なのです。
サハラ砂漠のオアシス都市トズールでは、何ヵ所か温泉が湧き出るところがあります。
トズールで遭った自称ガイドの青年に案内してもらいました。
実は、このガイドには、10チュニジア・ディナールのガイド料を取られました。もちろん、相場よりも高いと思います。1時間程度の案内でしたからね。
そもそも、トズールに着いてすぐに、どこをどう観光したらよいか途方に暮れてしまったせいで、話に乗ってしまったわけで。
青年ははじめ、ナンパ目的だったみたいです。
それらしき態度を見せたときに拒絶したら、ガイド料を請求してきたというわけで。
それとも、断らなくてもガイド料も請求されたのかしら。
言い争うのは怖いですし、確かにあちこち案内してもらったから……と、言われるままに払いました。
こんなジャングルみたいなところ、1人ではなかなか来れなかったでしょうし。
でも、円換算すると安いからいいや(800円程度)、と言うなりに払った私は、日本人、チョロい!と、日本人ターゲットのぼったくりを助長させる一因を作ったことにもなるんですよね……。
今でも反省材料てんこもりのチュニジア旅行です。 -
トズールのナツメヤシ・ジャングル
これでも、サハラ砂漠に囲まれたオアシス都市トズールで撮った写真です。
この光景からは、サハラ砂漠にある町とは信じられない気がします。
砂漠の国というよりは、水に不自由しない、どころか、うっとおしいくらい雨が降り注ぐ雨季のある国のようです。 -
トズールのナツメヤシ・ジャングルとサハラ砂漠
ナツメヤシのジャングルを抜けて、町はずれ、サハラ砂漠の始まりのところまでやって来ました。
ナツメヤシも、畑として整えられていないと、こんな風にジャングル化してしまいます。
もう少し砂漠に近いところに生えていたナツメヤシ群は、水が足りなくて枯れてしまって、幹しか残っていませんでした。 -
ナツメヤシ・ジャングルに囲まれたトズールの街
白く四角い箱のような建物が並ぶトズールの町は、いかにもアラブの町です。
ジャングルが境界線のようになっていました。
ジャングルの外は、サハラ砂漠です。
まさしく、砂漠に突然出現したオアシスの町のごとく。
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この旅行記へのコメント (2)
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- パパスさん 2006/02/28 17:06:51
- ナツメヤシのお陰でお好み焼が食べれるのです!
- まみさん、こんにちは!
チュニジアのナツメヤシ拝見しました。
ナツメヤシは日本の豚カツソースやお好み焼ソースの中にも入れられていると聞いています。
入れる事により独特のとろみや甘みが増すかららしいです。
昔、湾岸戦争が勃発した時、お好み焼ソースが手に入らなくなると大騒ぎして買い漁った記憶が蘇えってきました。(失礼!)
でもこれだけナツメヤシを沢山見ると壮観ですね!
どうも有り難う御座いました!
パパス。
- まみさん からの返信 2006/03/01 00:21:26
- RE: ナツメヤシのお陰でお好み焼が食べれるのです!
- パパスさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
豚カツソースやお好み焼ソースにナツメヤシですか、知りませんでした!
意外な隠し味として大活躍だったのですね。
どちらも大好きなのです。
1つかしこくなりました@
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