チュニジア旅行記(ブログ) 一覧に戻る
旅先でつけてきた日記を、帰国後にまとめられるか否か。書いていくうちに詳しくなりすぎると、途中で頓挫してしまいます。なので、書き終えた年と挫折した年とがあります。この年の旅行の詳細バージョンの旅行記は、約3週間の旅程のうち、最初のイタリアはなんとか終わりましたが、チュニジアに入ったばかりのところで挫折してしまいました。事前に予習済みであったとはいえ、あまりにたくさんのカルチャーショックがあって、失敗もヒヤヒヤな体験もたくさんしてきました。それこそが、旅のエピソードとして一番面白いのに……本当に、残念! でももしかしたら、写真を再び整頓することで思い出すかもしれません。あせらず、のんびりと行きましょう。もう既に記憶が薄れた過去の旅行の話なので。それにしても、女一人でのアラブ圏の旅行は、結構、きつかった〜。当時の私、勇気ありましたよ。<br /><br />(写真は、チュニスのメディナです。大モスクの塔が見えています。このモスクは見学不可でした。少なくとも、観光客向けに開放していないモスクは、女人禁止なんですよ〜。階下は商店で……絨毯屋さんだったかな? 観光客に無料で屋上を開放していました。)<br /><br />【旅程一覧】<br /><br />9/07(日)成田発ミラノ・マルペンサ空港経由ローマ着<br /><br />9/08(月)ナポリへ移動&ナポリ(再訪)1日目 <br />国立考古学博物館、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会、ドゥーモ(大聖堂) <br /><br />9/09(火)ナポリ2日目 <br />カポディモンテ美術館、カポディモンテ公園散策、ジェズ・ヌゥオーヴォ公園、サンタ・キアラ教会、サン・ドメニコ・マッジョーレ教会、聖セヴェロ礼拝堂、聖アンジェロ・ア・ニロ教会、聖フィリッポ&ジァロモ教会、聖ジョルジョ・マッジョーレ教会、ウンベルト1世通り&ガリバルディ広場<br /><br />9/10(水)ナポリ3日目 <br />聖エルモ城、サン・マルティーモ修道院附属博物館、マルティナ公爵博物館、ヌゥオーヴォ城、卵城、聖フランツェスコ・ディ・パオラ教会 <br /><br />9/11(木)ローマへ移動&ローマ(再訪)1日目 <br />近代美術館、ヴィラ・ジュリア博物館、ポポロ広場&サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、ピンチョの丘からスペイン広場まで散策、英国教会 <br /><br />9/12(金)ローマ2日目<br />バチカン(再訪)、サン・ピエトロ寺院(再訪)<br /><br />9/13(土)チュニスへ移動&チュニス1日目<br />メディナ(旧市街)&スーク(市場)散策、新市街散策(ブルギバ通り、フランス門)<br /><br />9/14(日)チュニス2日目<br />メディナ&大モスク(中庭のみ)、バルドー博物館、バルセロナ広場、イスラム墓地<br /><br />9/15(月)チュニス3日目:カルタゴ&シディ・ブ・サイード日帰り(近郊列車TGMでアクセス)<br />カルタゴ:国立博物館、カルタゴ遺跡&ビュルサの丘、アントニウスの共同浴場<br />シディ・ブ・サイード散策:(道を間違えて有名なメインストリートは行きそびれた。道に迷って大雨でまいってしまい、派出所でタクシーを呼んでもらった。)<br /><br />9/16(火)スースへ鉄道で移動&スース観光<br />海岸&メディナ(旧市街)散策、大モスク、リバト(城塞)、考古学博物館<br /><br />9/17(水)スース2日目:モナスティール&マーディーア日帰り(鉄道でアクセス)<br />モナスティール:初代大統領ハビブ・ブルギバ一家の霊廟、伝統衣装博物館、リバト(城塞)<br />マーディーア:旧市街&海岸散策<br /><br />9/18(木)スース3日目:ケルーアン日帰り(ルアージュ(定期乗合タクシー)でアクセス)<br />オクバ・モスク(大モスク)、メディナ(旧市街)、ビル・バルータ(目隠しされたラクダが汲む、由緒ある神聖な井戸)、ベルベル人の家を訪問、シディ・アビッド・ザウイア(霊廟)、アグラビット貯水池、シディ・サハブ・ザウイア(霊廟)<br /><br />9/19(金)スース4日目<br />市内観光:カタコンブ、Dar Essid博物館<br />エル・カンタウイ湾(海岸リゾート地):散策&潜水艇クルーズ<br />【夜行バスでドゥーズへ移動】<br /><br />9/20(土)ドゥーズ1日目<br />市内観光、サハラ砂漠ラクダに乗って1時間&日没の散策<br /><br />9/21(日)ドゥーズ2日目<br />サハラ砂漠ラクダに乗ってベドウィン人ガイドと共に半日<br /><br />9/22(月)ドゥーズ3日目:トズール日帰り(ルアージュ(定期乗合タクシー)でアクセス。)<br />ショット・エル・ジェリド(塩湖)を経由<br />市内観光:Dar Cherait博物館、ナツメヤシのオアシス(ジャングル)散策、サハラ砂漠のベルベデーレ岩、旧市街地区(日干し煉瓦の幾何学模様の家並みのあるウルド・エル・ハデフ地区)<br /><br />9/23(火)チュニスへ長距離バスで移動。ケビリ、ガフサ、ケルアン経由で約10時間<br /><br />9/24(水)空路ローマへ<br />骸骨寺(Chieza di. S.M. di Immacolata Concezione)、ボルゲーゼ公園散策、<br /><br />9/25(木)ローマ・フィウミチーノ空港から出国<br />9/26(金)成田空港着

1997年秋のイタリア&チュニジア旅行20日間【旅程一覧】&プロローグ

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1997/09/07 - 1997/09/26

1250位(同エリア1794件中)

4

3

まみ

まみさん

旅先でつけてきた日記を、帰国後にまとめられるか否か。書いていくうちに詳しくなりすぎると、途中で頓挫してしまいます。なので、書き終えた年と挫折した年とがあります。この年の旅行の詳細バージョンの旅行記は、約3週間の旅程のうち、最初のイタリアはなんとか終わりましたが、チュニジアに入ったばかりのところで挫折してしまいました。事前に予習済みであったとはいえ、あまりにたくさんのカルチャーショックがあって、失敗もヒヤヒヤな体験もたくさんしてきました。それこそが、旅のエピソードとして一番面白いのに……本当に、残念! でももしかしたら、写真を再び整頓することで思い出すかもしれません。あせらず、のんびりと行きましょう。もう既に記憶が薄れた過去の旅行の話なので。それにしても、女一人でのアラブ圏の旅行は、結構、きつかった〜。当時の私、勇気ありましたよ。

(写真は、チュニスのメディナです。大モスクの塔が見えています。このモスクは見学不可でした。少なくとも、観光客向けに開放していないモスクは、女人禁止なんですよ〜。階下は商店で……絨毯屋さんだったかな? 観光客に無料で屋上を開放していました。)

【旅程一覧】

9/07(日)成田発ミラノ・マルペンサ空港経由ローマ着

9/08(月)ナポリへ移動&ナポリ(再訪)1日目
国立考古学博物館、サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会、ドゥーモ(大聖堂)

9/09(火)ナポリ2日目
カポディモンテ美術館、カポディモンテ公園散策、ジェズ・ヌゥオーヴォ公園、サンタ・キアラ教会、サン・ドメニコ・マッジョーレ教会、聖セヴェロ礼拝堂、聖アンジェロ・ア・ニロ教会、聖フィリッポ&ジァロモ教会、聖ジョルジョ・マッジョーレ教会、ウンベルト1世通り&ガリバルディ広場

9/10(水)ナポリ3日目
聖エルモ城、サン・マルティーモ修道院附属博物館、マルティナ公爵博物館、ヌゥオーヴォ城、卵城、聖フランツェスコ・ディ・パオラ教会

9/11(木)ローマへ移動&ローマ(再訪)1日目
近代美術館、ヴィラ・ジュリア博物館、ポポロ広場&サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、ピンチョの丘からスペイン広場まで散策、英国教会

9/12(金)ローマ2日目
バチカン(再訪)、サン・ピエトロ寺院(再訪)

9/13(土)チュニスへ移動&チュニス1日目
メディナ(旧市街)&スーク(市場)散策、新市街散策(ブルギバ通り、フランス門)

9/14(日)チュニス2日目
メディナ&大モスク(中庭のみ)、バルドー博物館、バルセロナ広場、イスラム墓地

9/15(月)チュニス3日目:カルタゴ&シディ・ブ・サイード日帰り(近郊列車TGMでアクセス)
カルタゴ:国立博物館、カルタゴ遺跡&ビュルサの丘、アントニウスの共同浴場
シディ・ブ・サイード散策:(道を間違えて有名なメインストリートは行きそびれた。道に迷って大雨でまいってしまい、派出所でタクシーを呼んでもらった。)

9/16(火)スースへ鉄道で移動&スース観光
海岸&メディナ(旧市街)散策、大モスク、リバト(城塞)、考古学博物館

9/17(水)スース2日目:モナスティール&マーディーア日帰り(鉄道でアクセス)
モナスティール:初代大統領ハビブ・ブルギバ一家の霊廟、伝統衣装博物館、リバト(城塞)
マーディーア:旧市街&海岸散策

9/18(木)スース3日目:ケルーアン日帰り(ルアージュ(定期乗合タクシー)でアクセス)
オクバ・モスク(大モスク)、メディナ(旧市街)、ビル・バルータ(目隠しされたラクダが汲む、由緒ある神聖な井戸)、ベルベル人の家を訪問、シディ・アビッド・ザウイア(霊廟)、アグラビット貯水池、シディ・サハブ・ザウイア(霊廟)

9/19(金)スース4日目
市内観光:カタコンブ、Dar Essid博物館
エル・カンタウイ湾(海岸リゾート地):散策&潜水艇クルーズ
【夜行バスでドゥーズへ移動】

9/20(土)ドゥーズ1日目
市内観光、サハラ砂漠ラクダに乗って1時間&日没の散策

9/21(日)ドゥーズ2日目
サハラ砂漠ラクダに乗ってベドウィン人ガイドと共に半日

9/22(月)ドゥーズ3日目:トズール日帰り(ルアージュ(定期乗合タクシー)でアクセス。)
ショット・エル・ジェリド(塩湖)を経由
市内観光:Dar Cherait博物館、ナツメヤシのオアシス(ジャングル)散策、サハラ砂漠のベルベデーレ岩、旧市街地区(日干し煉瓦の幾何学模様の家並みのあるウルド・エル・ハデフ地区)

9/23(火)チュニスへ長距離バスで移動。ケビリ、ガフサ、ケルアン経由で約10時間

9/24(水)空路ローマへ
骸骨寺(Chieza di. S.M. di Immacolata Concezione)、ボルゲーゼ公園散策、

9/25(木)ローマ・フィウミチーノ空港から出国
9/26(金)成田空港着

同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス

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  • 1997年度のイタリア・チュニジア旅行のうち、最初のイタリア6日間+「いよいよチュニジア、プロローグ!」までは、帰国後、年内に自分なりの旅日記をまとめることができました。<br />よってその部分は、1997年当時のものを改訂・加筆しています。<br /><br />その後のチュニジア編については、1997年当時、きちんとしたものを書き上げようと気負いすぎたせいで、結局、まとめることができず、はや9年以上たってしまいました(2006年2月現在)。<br />チュニジア編は、今ふりかえっても、自分のこれまでの旅行の中でもエピソードが特に多かっただけに、頓挫したのが残念でした。<br /><br />でも、こういう発表の場を得たのを好機として、再びチュニジア編を見直したいという欲が出てきました。<br />当時に比べてチュニジアを旅行する日本人もぐっと増えたせいもあります(あるいはネットのおかげで、チュニジアを旅行した人の話がより身近になった、という方が正解かもしれません。)<br />1997年当時、帰国後、相当な物好き扱いされた私に、チュニジアはこれから日本の観光客もどんどん目をつけるところになるよ、と言ってくれた友人もいました。<br />いまや、そのとおりになったという嬉しさもある反面、私も行ったの、私も!と言いたくなる気持ちも刺激されたりして。<br /><br />1997年度に書き上げたストックのない部分については、旅先で記した旅行記と写真のアルバムを元に、思い出しながらまとめたいと思います。<br /><br />(写真は、写真は、思いがけず予定に入れることができたサハラ砂漠です。サハラ砂漠の入口と言われるオアシスの街ドゥーズから、ラクダで1時間くらい。サハラ砂漠は白い砂漠です。全部が砂だらけではなく、色々な表情を見せます。ここには、ラクダの好物である灌木が生えています)<br /><br />月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり───とまで気取るつもりはないのですが、でも、そう口ずさみたくなる時期がきました。<br />時は春、私もそぞろ神に憑かれ、道祖神に招かれたようです。どこでもいいから、とにかく海外旅行したい、とむずむずして仕方がありません。<br />それでなくても、去年(1996年)は事情があって、毎年1回は出かけていた海外旅行には出かけられませんでしたから。<br />暇さえあれば、つい頭の中で訪問先を検討してしまいます。むずむずを抑えるために片っ端から旅行社のパンフレットを集めてみました。<br /><br />そして、そのパンフレットの中から、イタリアへの往復料金に6,000円の割増でチュニスを往復できるコース(往復の航空券とホテル1泊のみの手配旅行)を見つけた時、私の中で急遽、計画が具体的になりました。<br /><br />チュニス、あるいはチュニジアに惹かれたのは、深い理由があったわけではありません。<br />ただ、アジアやヨーロッパを少しばかり見た後で、イスラム圏に関心が移っていたことは確かです。<br /><br />あるいは、どこかの雑誌で見かけたチュニスの白い街並みの写真が、心の奥底にずっと存在し続けていたからかもしれません。<br />そういった白い街並みが見たければ、ふつうはスペインかモロッコを候補に挙げるでしょう。実際、私が思い浮かべていた風景に一番近かったのは、どうやらギリシャらしい、と後から分かりました。<br />実際にチュニジアに行って、心の中の原風景に一致する景色を見つけることができず、探し方が悪いのか、どこにあるか情報不足なだけか、と首をひねったものです。<br /><br />しかし、海外旅行がメジャーになった今でも、チュニジアはまだ、日本人観光客があまり行かないところでしょう(1997年当時)。それがきっと、ポイントになりました。<br />さらに、仕事の関係で、少しばかりチュニジアに関する文献を扱ったことがあるせいかもしれません。<br />そういう意味では、全く縁のない国ではありませんでした。<br /><br />その前の行程のイタリアについては、イタリア美術好きの私にとって、何度も訪れたいところです。<br />そういえば、2年前(1995年)に参加した唯一の団体旅行では、ナポリは治安に不安があるせいか、宿泊地であったのに観光ではカプリ島だのソレントだのナポリ市の外ばかりに出かけ、市内はバスの車窓から見た以外、一切、観光できませんでした。<br />そのナポリに行きたくなりました。<br /><br />そんな風に計画を立て始めたのは6月末。<br />日程は、祝日が多い9月に狙い定めました。<br /><br />旅程については、行くまでに紆余曲折がありました。<br />たとえば、旅行会社の手違いで、出発間際になって帰国便の予約がとれていないことがわかりました。そのため帰国日を4日遅らせました。当初は16日間の予定だったのです。<br />ただし、その代わり、当初行く予定のなかったサハラ砂漠まで足を伸ばすことができました。<br /><br />そんな出発前のあれやこれやに比べ、20日間は、なんと夢のように過ぎてしまったことでしょう。<br /><br />旅行中に、帰国したらやろう!とあれほど決意していた旅日記の清書に、やっと着手しはじめました。<br /><br />一人旅でしたので、旅先で日記をつける時間は好きなだけとれました。<br />それを、時には突き放す視点で、時にはあの場に心を飛ばしながら清書し終えて初めて、私の中で、このイタリア・チュニジアの旅が締めくくられたことになります。<br /><br />日記を読み返してみれば、ほとんどが旅の恥のかき捨ての記録。<br />それなら、残念ながらいつものこと、と言わざるをえませんが、このときのチュニジア旅行では、よくぞ無事に帰って来たものだ、と後からヒヤッと思うようなことをやっています。<br /><br />チュニジアは比較的治安がよく旅行しやすい国ですが、女性一人で旅行するのは薦められていませんでした。チュニジアは、戒律についてはアラブ圏の中では緩やかとはいえ、チュニスは別として女性が一人で外を出歩くことにないイスラム教の国です。<br /><br />でも、女性1人でも旅行できないというわけではないので敢行したわけですが、それだけに治安情報は特に気にかけ、特に女性向けの注意は頭にたたき込みました。<br /><br />当時、「地球の歩き方」のチュニジア版は廃刊になっていました。また、私自身はインターネットができる環境ではありませんでした。<br />なので旅行の下準備の資料は専ら、Lonely Planet(チュニジア単独ではなかったので、North Africaの一部)と、メル友がダウンロードしてパソ通で送ってくれた、女性3人のチュニジア旅行記(もちろん、テキスト版)でした。<br /><br />ちなみに、その旅行記をネットで見つけました。<br />管理人が多忙なため2000年度以来、更新されていないようですが、サイトは残っていました。<br /><br />http://www.japon.net/tunis/tunisiaindex.html<br /><br />そのように用心していったはずなのに、私は何をやったか。<br />知らない男性の誘いに、ほいほい乗ってしまったのです。ああ、恥ずかしい!<br /><br />道に迷ったり、公共交通手段がとぼしく、途方に暮れたとき、道を聞けるのは男性のみでした。そのついでに、「観光案内してあげる」と言われてついていったり。<br />観光を楽しみたいという欲求が強いけれど、どこへ何を見ればよいかわからない、というときに、向こうから売ってきたガイドを受けてしまったり。<br /><br />結果的には、相場より高いガイド代を請求されたくらいですみました。<br />かつて、うっかり白タクに乗り、空港から市内までのタクシー代をぼられた経験のある私にとっては、ままだ単価は低かった、と負け惜しみのいえるくらいの勉強代……。<br /><br />もちろん、本当に下心なく親切にしてくれた人たちもたくさんいました。<br />チュニジア人は、基本的に人なっつこくて好奇心あふれている人たちばかりでした。<br /><br />また、帰国後に───といっても数年後ですが───「アラブ人の不思議な習慣」(マーガレット・K・ナイデル)という本を読みました。アメリカ在住のアラブ専門家の女性の著書です。<br />アメリカ人にとっても不思議な習慣は、日本人の私にとっても不思議でした。<br />これで私たちの常識とは違うアラブ人の一般的な人とのつきあいや考え方について読んで、このときの旅行先で出会ったチュニジア人の行動に、あとから納得できたこともありました。<br /><br />そんな反省はありますが、女性1人でも思い切って出かけて本当に良かったです。<br />時とともに記憶はどんどん色褪せてしまいますが、私の中に蓄えられた思い出は宝石のようにいつまでも、あるいは時が経るにつれてますます美化されて残るに違いありません。<br /><br />そんな思い出をもう一度ふり返りたくて……。

    1997年度のイタリア・チュニジア旅行のうち、最初のイタリア6日間+「いよいよチュニジア、プロローグ!」までは、帰国後、年内に自分なりの旅日記をまとめることができました。
    よってその部分は、1997年当時のものを改訂・加筆しています。

    その後のチュニジア編については、1997年当時、きちんとしたものを書き上げようと気負いすぎたせいで、結局、まとめることができず、はや9年以上たってしまいました(2006年2月現在)。
    チュニジア編は、今ふりかえっても、自分のこれまでの旅行の中でもエピソードが特に多かっただけに、頓挫したのが残念でした。

    でも、こういう発表の場を得たのを好機として、再びチュニジア編を見直したいという欲が出てきました。
    当時に比べてチュニジアを旅行する日本人もぐっと増えたせいもあります(あるいはネットのおかげで、チュニジアを旅行した人の話がより身近になった、という方が正解かもしれません。)
    1997年当時、帰国後、相当な物好き扱いされた私に、チュニジアはこれから日本の観光客もどんどん目をつけるところになるよ、と言ってくれた友人もいました。
    いまや、そのとおりになったという嬉しさもある反面、私も行ったの、私も!と言いたくなる気持ちも刺激されたりして。

    1997年度に書き上げたストックのない部分については、旅先で記した旅行記と写真のアルバムを元に、思い出しながらまとめたいと思います。

    (写真は、写真は、思いがけず予定に入れることができたサハラ砂漠です。サハラ砂漠の入口と言われるオアシスの街ドゥーズから、ラクダで1時間くらい。サハラ砂漠は白い砂漠です。全部が砂だらけではなく、色々な表情を見せます。ここには、ラクダの好物である灌木が生えています)

    月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり───とまで気取るつもりはないのですが、でも、そう口ずさみたくなる時期がきました。
    時は春、私もそぞろ神に憑かれ、道祖神に招かれたようです。どこでもいいから、とにかく海外旅行したい、とむずむずして仕方がありません。
    それでなくても、去年(1996年)は事情があって、毎年1回は出かけていた海外旅行には出かけられませんでしたから。
    暇さえあれば、つい頭の中で訪問先を検討してしまいます。むずむずを抑えるために片っ端から旅行社のパンフレットを集めてみました。

    そして、そのパンフレットの中から、イタリアへの往復料金に6,000円の割増でチュニスを往復できるコース(往復の航空券とホテル1泊のみの手配旅行)を見つけた時、私の中で急遽、計画が具体的になりました。

    チュニス、あるいはチュニジアに惹かれたのは、深い理由があったわけではありません。
    ただ、アジアやヨーロッパを少しばかり見た後で、イスラム圏に関心が移っていたことは確かです。

    あるいは、どこかの雑誌で見かけたチュニスの白い街並みの写真が、心の奥底にずっと存在し続けていたからかもしれません。
    そういった白い街並みが見たければ、ふつうはスペインかモロッコを候補に挙げるでしょう。実際、私が思い浮かべていた風景に一番近かったのは、どうやらギリシャらしい、と後から分かりました。
    実際にチュニジアに行って、心の中の原風景に一致する景色を見つけることができず、探し方が悪いのか、どこにあるか情報不足なだけか、と首をひねったものです。

    しかし、海外旅行がメジャーになった今でも、チュニジアはまだ、日本人観光客があまり行かないところでしょう(1997年当時)。それがきっと、ポイントになりました。
    さらに、仕事の関係で、少しばかりチュニジアに関する文献を扱ったことがあるせいかもしれません。
    そういう意味では、全く縁のない国ではありませんでした。

    その前の行程のイタリアについては、イタリア美術好きの私にとって、何度も訪れたいところです。
    そういえば、2年前(1995年)に参加した唯一の団体旅行では、ナポリは治安に不安があるせいか、宿泊地であったのに観光ではカプリ島だのソレントだのナポリ市の外ばかりに出かけ、市内はバスの車窓から見た以外、一切、観光できませんでした。
    そのナポリに行きたくなりました。

    そんな風に計画を立て始めたのは6月末。
    日程は、祝日が多い9月に狙い定めました。

    旅程については、行くまでに紆余曲折がありました。
    たとえば、旅行会社の手違いで、出発間際になって帰国便の予約がとれていないことがわかりました。そのため帰国日を4日遅らせました。当初は16日間の予定だったのです。
    ただし、その代わり、当初行く予定のなかったサハラ砂漠まで足を伸ばすことができました。

    そんな出発前のあれやこれやに比べ、20日間は、なんと夢のように過ぎてしまったことでしょう。

    旅行中に、帰国したらやろう!とあれほど決意していた旅日記の清書に、やっと着手しはじめました。

    一人旅でしたので、旅先で日記をつける時間は好きなだけとれました。
    それを、時には突き放す視点で、時にはあの場に心を飛ばしながら清書し終えて初めて、私の中で、このイタリア・チュニジアの旅が締めくくられたことになります。

    日記を読み返してみれば、ほとんどが旅の恥のかき捨ての記録。
    それなら、残念ながらいつものこと、と言わざるをえませんが、このときのチュニジア旅行では、よくぞ無事に帰って来たものだ、と後からヒヤッと思うようなことをやっています。

    チュニジアは比較的治安がよく旅行しやすい国ですが、女性一人で旅行するのは薦められていませんでした。チュニジアは、戒律についてはアラブ圏の中では緩やかとはいえ、チュニスは別として女性が一人で外を出歩くことにないイスラム教の国です。

    でも、女性1人でも旅行できないというわけではないので敢行したわけですが、それだけに治安情報は特に気にかけ、特に女性向けの注意は頭にたたき込みました。

    当時、「地球の歩き方」のチュニジア版は廃刊になっていました。また、私自身はインターネットができる環境ではありませんでした。
    なので旅行の下準備の資料は専ら、Lonely Planet(チュニジア単独ではなかったので、North Africaの一部)と、メル友がダウンロードしてパソ通で送ってくれた、女性3人のチュニジア旅行記(もちろん、テキスト版)でした。

    ちなみに、その旅行記をネットで見つけました。
    管理人が多忙なため2000年度以来、更新されていないようですが、サイトは残っていました。

    http://www.japon.net/tunis/tunisiaindex.html

    そのように用心していったはずなのに、私は何をやったか。
    知らない男性の誘いに、ほいほい乗ってしまったのです。ああ、恥ずかしい!

    道に迷ったり、公共交通手段がとぼしく、途方に暮れたとき、道を聞けるのは男性のみでした。そのついでに、「観光案内してあげる」と言われてついていったり。
    観光を楽しみたいという欲求が強いけれど、どこへ何を見ればよいかわからない、というときに、向こうから売ってきたガイドを受けてしまったり。

    結果的には、相場より高いガイド代を請求されたくらいですみました。
    かつて、うっかり白タクに乗り、空港から市内までのタクシー代をぼられた経験のある私にとっては、ままだ単価は低かった、と負け惜しみのいえるくらいの勉強代……。

    もちろん、本当に下心なく親切にしてくれた人たちもたくさんいました。
    チュニジア人は、基本的に人なっつこくて好奇心あふれている人たちばかりでした。

    また、帰国後に───といっても数年後ですが───「アラブ人の不思議な習慣」(マーガレット・K・ナイデル)という本を読みました。アメリカ在住のアラブ専門家の女性の著書です。
    アメリカ人にとっても不思議な習慣は、日本人の私にとっても不思議でした。
    これで私たちの常識とは違うアラブ人の一般的な人とのつきあいや考え方について読んで、このときの旅行先で出会ったチュニジア人の行動に、あとから納得できたこともありました。

    そんな反省はありますが、女性1人でも思い切って出かけて本当に良かったです。
    時とともに記憶はどんどん色褪せてしまいますが、私の中に蓄えられた思い出は宝石のようにいつまでも、あるいは時が経るにつれてますます美化されて残るに違いありません。

    そんな思い出をもう一度ふり返りたくて……。

  • こちらは、もう1つのサハラ砂漠の姿です。<br />正確には、サハラの中の大オアシス都市トズールのナツメヤシのジャングルです。<br />街と砂漠の境界の一部にあります。<br /><br />チュニジアにとってナツメヤシは重要な農産物ですが、ここは人の手によって整備されたナツメヤシ畑とはなっていなくて、ジャングルと化しています。<br />ワイルドです@

    こちらは、もう1つのサハラ砂漠の姿です。
    正確には、サハラの中の大オアシス都市トズールのナツメヤシのジャングルです。
    街と砂漠の境界の一部にあります。

    チュニジアにとってナツメヤシは重要な農産物ですが、ここは人の手によって整備されたナツメヤシ畑とはなっていなくて、ジャングルと化しています。
    ワイルドです@

  • 9月7日(日)成田発ミラノ経由ローマ着<br /><br />(写真は、ミラノ・マルペンサ空港で撮ったものです。それまで乗っていたアリタリタ航空機のアップです。ローマへ行くのに、成田からの直行便ではなく、ミラノ経由便でした。このあたりも、いまにして思えば、イタリアでの第一目的はナポリだったのに、なぜにわざわざミラノ経由!?と思うのですが、思い出せません(笑)。おそらく、旅行代理店の格安航空券の都合で選択肢がなかったか、うまく予約が取れなかったのでしょう。)<br /><br />旅の思い出の写真集を、これから搭乗する飛行機の写真から始めましょう。<br />11時45分成田発のアリタリア航空789便。<br /><br />───撮り終えてカメラをしまい、代わりに手にするのは、前日、近所のドラッグストアで買ったユンケル黄帝30ml。<br /><br />実は、出発一週間前あたりから風邪をひいてしまいました。今も、喉が痛くて、微熱があって、体がちょっとふらつきます。<br />これで一人で海外旅行に行こうっていうのですから、我ながらよくやるなぁと思います。<br />でも、これくらいの風邪なら、仕事は休まず、我慢して出勤するでしょう。<br />ましてや、2ヶ月以上も前から楽しみにしていた海外旅行のためとあらば!<br /><br />それでも、11kgのスーツケースを引きずり、肩には5kgの手荷物を担いで、搭乗手続のあれやこれやに、いよいよ海外へ行くんだ、という期待でドキドキしていれば、案外、体調のことなんか忘れていられるものです。<br /><br />アリタリア航空を利用するのは4回目ですが、ここの機内食は私のお気に入りです。なぜなら、夕食メニューには好物のパスタが必ずつくからです。<br />(もちろん、地上のイタリアン・レストランで食べた方がずっと美味しいですが、それはそれ。)<br /><br />しかも、エコノミークラスでもアルコールがただです(1997年当時)。<br />私はお酒はあまり飲みませんが、ワインなら結構好きです。<br />それに、飛行機のエンジン音をBGMに、窓の外にもくもく群がる雲を眺めながらワインを一杯、なんて、気分がいいではありませんか。<br /><br />───だけど、今回は、体調を考えてジュースにしておきました。残念。<br /><br />現地時間19時20分にローマ・フィウミチーノ空港に到着しました。<br /><br />大学生のときに初めてアメリカへ行って以来、海外旅行は今回で13回目になりますが(1997年当時)、そのうちイタリアは6回目です。<br />だから、空港から市内までのルートは見覚えがあって、おお、なつかしのイタリアよ、という気分でしたが……初っ端から、ちょっとしたドジの連続。<br />久しぶりのイタリア語、おっかなびっくり話すものだから通じなかったり、治安の悪さで定評のあるローマのテルミニ駅では、より分けておいたお札を落としてばらまきかけたり。<br />本当にこれでもイタリアは6回目なの、と自問したくなるくらい!<br /><br />駅の荷預かり所のおじさんが、ちゃんと脇の貼り紙に書いてあるのに堂々と2倍の料金を請求してきた時は、それすらも私がボケッとしているからつけ込まれたのではないか、と腹を立てる気力もありませんでした。<br /><br />不幸中の幸いは、約13時間のフライトと到着後のワタワタの間に、どうやら風邪が治ったことです。<br />これで体調も悪かったら、最低な気分でドツボに陥っていたことでしょう。

    9月7日(日)成田発ミラノ経由ローマ着

    (写真は、ミラノ・マルペンサ空港で撮ったものです。それまで乗っていたアリタリタ航空機のアップです。ローマへ行くのに、成田からの直行便ではなく、ミラノ経由便でした。このあたりも、いまにして思えば、イタリアでの第一目的はナポリだったのに、なぜにわざわざミラノ経由!?と思うのですが、思い出せません(笑)。おそらく、旅行代理店の格安航空券の都合で選択肢がなかったか、うまく予約が取れなかったのでしょう。)

    旅の思い出の写真集を、これから搭乗する飛行機の写真から始めましょう。
    11時45分成田発のアリタリア航空789便。

    ───撮り終えてカメラをしまい、代わりに手にするのは、前日、近所のドラッグストアで買ったユンケル黄帝30ml。

    実は、出発一週間前あたりから風邪をひいてしまいました。今も、喉が痛くて、微熱があって、体がちょっとふらつきます。
    これで一人で海外旅行に行こうっていうのですから、我ながらよくやるなぁと思います。
    でも、これくらいの風邪なら、仕事は休まず、我慢して出勤するでしょう。
    ましてや、2ヶ月以上も前から楽しみにしていた海外旅行のためとあらば!

    それでも、11kgのスーツケースを引きずり、肩には5kgの手荷物を担いで、搭乗手続のあれやこれやに、いよいよ海外へ行くんだ、という期待でドキドキしていれば、案外、体調のことなんか忘れていられるものです。

    アリタリア航空を利用するのは4回目ですが、ここの機内食は私のお気に入りです。なぜなら、夕食メニューには好物のパスタが必ずつくからです。
    (もちろん、地上のイタリアン・レストランで食べた方がずっと美味しいですが、それはそれ。)

    しかも、エコノミークラスでもアルコールがただです(1997年当時)。
    私はお酒はあまり飲みませんが、ワインなら結構好きです。
    それに、飛行機のエンジン音をBGMに、窓の外にもくもく群がる雲を眺めながらワインを一杯、なんて、気分がいいではありませんか。

    ───だけど、今回は、体調を考えてジュースにしておきました。残念。

    現地時間19時20分にローマ・フィウミチーノ空港に到着しました。

    大学生のときに初めてアメリカへ行って以来、海外旅行は今回で13回目になりますが(1997年当時)、そのうちイタリアは6回目です。
    だから、空港から市内までのルートは見覚えがあって、おお、なつかしのイタリアよ、という気分でしたが……初っ端から、ちょっとしたドジの連続。
    久しぶりのイタリア語、おっかなびっくり話すものだから通じなかったり、治安の悪さで定評のあるローマのテルミニ駅では、より分けておいたお札を落としてばらまきかけたり。
    本当にこれでもイタリアは6回目なの、と自問したくなるくらい!

    駅の荷預かり所のおじさんが、ちゃんと脇の貼り紙に書いてあるのに堂々と2倍の料金を請求してきた時は、それすらも私がボケッとしているからつけ込まれたのではないか、と腹を立てる気力もありませんでした。

    不幸中の幸いは、約13時間のフライトと到着後のワタワタの間に、どうやら風邪が治ったことです。
    これで体調も悪かったら、最低な気分でドツボに陥っていたことでしょう。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • SUR SHANGHAIさん 2006/02/21 00:53:39
    決まった!!  …かな。
    先日からチュニジア関係の旅行記を拝見してました。

    その懸案のチュニジア行きも決まった!! …かな、状態です。

    まみさんの旅程も参考にさせていただきま〜す。
    ちなみに、私も再訪のローマ経由です。(決まれば、の話)

    まみ

    まみさん からの返信 2006/02/24 19:36:29
    RE: 決まった!!  …かな。
    SUR SHANGHAIさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    SUR SHANGHAIさんのチュニジアの写真、楽しみにしています@@
    お一人? ではないですよね。
    私のチュニジア旅行はもう9年前も前になると思いますが、たぶん、いまでもチュニジアの人はひとなっつこくて、田舎の方はまだすれていないのでは……と思いたいです@
    ぼったくりにはお気をつけて。というか、アラブ圏って値段はなんでも交渉ベースですものね。
  • さすらいおじさんさん 2006/02/07 22:39:46
    でまみさんの勇気を見習おうと思っています。
    まみさん

    旅日記はつけていても時がたつとずいぶん忘れています。1971年のヨーロッパバックパッカー旅行のときはかなり細かく日記をつけていたので何とか思い出しながら書きましたが、記憶が新鮮なうちにまとめたほうがいいなあ、と思います。まみさんの旅行記は情報が詳細なので感心します。
    イスラエルやチュニジアに一人旅される勇気にも感心します。私も刺激をいただき、2月26日からの中南米個人旅行でまみさんの勇気を見習おうと思っています。

    まみ

    まみさん からの返信 2006/02/08 12:33:08
    RE: でまみさんの勇気を見習おうと思っています。
    さすらいおじさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。

    >記憶が新鮮なうちにまとめたほうがいいなあ、と思います。

    はい、同感です。
    そのためには、まとめる気が満々でやる気があるうちに、さくさくっとまとめ上げるのが一番ですよね。
    凝ってしまうと、機会を逸するとなかなか続きが書けない……。
    記憶が新鮮であれば、見どころ情報も、あらためて何だったかしら、と調べ直さなくてもすぐに書けてしまいます。
    何を魅力に思ったから惹かれたか、というのも。

    この1997年度のイタリア・チュニジア旅行は、まだインターネットがいまほど普及しておらず、私自身もインターネットは使えず、メル友からテキストにダウンロードしてもらった女性3人のチュニジア旅行記とLonely Planetがほとんど唯一の情報源でした。(「地球の歩き方」もでてませんでした@)

    ということで、失敗ありきで自分としても、よーやるなー、というエピソードがいろいろあるのですが、残念ながら詳細な旅行記は、チュニジア旅行に入る手前のプロローグで終わってるんですよ〜。

    ま、アルバムにコメントは簡単ながらまとめてありますし、詳細な旅日記はつけていましたので(今から考えられないほどびっくりするくらい綺麗な字で。。。待ち時間がわりとあったせいもあるようです@)。ひっくり返せば旅行記としてまとまるかなぁと期待しています。すぐにはちょっと無理そうですけれど。

    さすらいおじさんは次は中南米ですか。日本から行くのにアクセスでとても時間がかかりますよね。アメリカでの乗継ぎの大変さを小耳に挟みます。
    また旅行の成果を楽しみにしています@

    実は、チュニジア、イスラエルのあとに、本当はメキシコあたりにかなり興味を惹かれていたのですが、アラブ圏に劣らず女1人の旅はうるさそうと思ったのでちょっとうんざりしてしまい、ヨーロッパに視点を転じてしまいました@

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