2008/09/07 - 2008/09/07
1581位(同エリア4023件中)
みにくまさん
京都世界遺産めぐり? 「二条城」
1994年に古都京都の文化財として世界遺産に登録された。
小学生の時修学旅行で行って以来の二条城。当時は時間もコースも限られていたことで、今に残る記憶と言えば「鶯張り廊下」くらいしかありません。
今回はゆっくり時間をとり、一日のスケジュールをここだけにして見学しました。
最大の見どころは、国宝に指定されている二の丸御殿。御殿内部の絢爛豪華な障壁画や、装飾品は桃山文化の極みと言っていいでしょう。
また江戸(二の丸庭園)明治(本丸庭園)昭和(清流園)と3つの時代の庭園も見ごたえがあります。
国宝:6棟
重要文化財建造物:22棟
重要文化財美術工芸:954面
入城料 600円
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北東角より北大手門方面
最初に城の周りを一周してみました。
といってものんびり歩くには、少し天気が心配だったので、タクシーで所々降ろしてもらいながらですが(^_^;) -
北東角より東方向を
遠くに東大手門 -
北大手門 重要文化財
この時は城門が開いていましたが、観覧者はここから入れないようでした。 -
北大手門より
道の左手が緑の園、右手は清流園です。 -
西門(埋門)
草木が邪魔でよく見えません。 -
西門 重要文化財
城の搦手となる門で、石垣と多門塀の間に埋め込まれています。
小さな門ですが、当時、日常の城への出入りはこの門に限られていました。
徳川最後の将軍、慶喜もこの門から退出し、城と将軍家との決別を見た門でもあります。
後ほど内側から少しだけ見ますが、桝形の石垣が防備を固めており、この門は見られませんでした。 -
南門
大正御大典のために大正4年に二の丸御殿の附属建物とともに新たに設けられた門です。 -
東南隅櫓 重要文化財
東大手門から南に延びる石垣と多聞塀の東南隅にある櫓で、内外共に2層構造です。 -
史跡 篤二条離宮 二条城
二条城の外堀を囲む道路も含めて、二条城全域が昭和14年(1939年)11月30日に「旧二条離宮(二条城)」の名で史跡に指定された。 -
東大手門 重要文化財
二条城の正門です。
屋根は本瓦葺で入母屋造り、妻は木連格子、棟には鯱が飾られています。
櫓門形式で左右の石垣の間に筋金を打ち付けた門を設け、その階上に櫓を構え、衛士が武者窓に詰めていました。
門の真上には石落としも備える堅牢な構えです。 -
外堀
大手門前の橋から北方向を眺めました。 -
東大手門
鉄を打ち付けた頑丈な門と、櫓を支える太い柱、上には石落としも見えます。 -
東大手門
太い柱。 -
東大手門
櫓に登るための階段です。 -
東大手門
城側から見た東大手門です。 -
番所
徳川将軍不在の二条城中は、二条在番と呼ばれる江戸から派遣された大番組の武士によってその警衛の全責任がとられていました。
建物内は、裃姿のもと番士たちがその職務に励む姿を再現したものがありました。 -
東大手門内の広場
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古都京都の文化財
二条城のゴールドプレート発見です。
これを見ないと、世界遺産を見たという気分になれません(*^_^*) -
城内見取り図
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東築地塀
塀の装飾も綺麗です。
この築地塀沿いに進むと、唐門につながっています。 -
収蔵館 築城400年記念展示
入館料100円
収蔵館は二の丸御殿障壁画の原画を恒久的に保存するため、二条城築城400年を記念して、平成16年3月に竣工し、平成17年10月10日に開館しました。
私たちが行った時の展示品は、「秋の景物展〜御所から来た名所図と黒書院の花鳥画〜」でした。
つまり、二の丸御殿内の障壁画は、レプリカということでしょうか。
この中では本物の障壁画をガラス越しではありますが、見ることができ、すごい迫力を楽しむことができます。
100円で見られるので、是非足を運んでみてください。(内部の撮影禁止です) -
東南隅櫓
1788年の大火の際、東南・西南の2つの隅櫓だけが残りました。
これは城内からの撮影です。城外からのほうが全体を綺麗に見られます。 -
唐門 重要文化財
遠くに唐門が見えてきました。 -
唐門
切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造となっています。
二の丸御殿の正面に設けられた御殿の正門です。 -
唐門
複雑精妙な彫刻と華麗な金工細工。
写真が白くぼやけてしまっていますが、実物はもっと綺麗で鮮やかです(+_+) -
唐門
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唐門
真下から撮影。
本当に見事な細工ですね〜。 -
二の丸御殿 国宝
二条城で唯一残された江戸初期の遺構です。
◎国宝に指定されている建物
遠侍及び車寄
式台
大広間
蘇鉄之間
黒書院(小広間)
白書院(御座の間)
この6つの建物が、徐々に後ずさりする雁行の形で連なっています。 -
車寄 遠侍(とおざむらい)
唐門の正面に来るのが車寄です。
その後ろには二の丸御殿で最大の建物、遠侍が控えています。 -
車寄 遠侍
遠侍というのは、家臣が伺候する部屋のことで、二条城においては諸大名の控えの間となっていました。
ただし、主室は北奥に設けられた勅使の間で、その名の通り、天皇の名代として訪れた勅使を将軍との対面に先立って通した部屋です。
玄関付近の3間には虎の絵が描かれていることから、虎の間のも呼ばれています。
玄関付近に虎を画材として選ぶのは権威を示すためとされ、当時の障壁画の約束事だったそうです。 -
車寄
こちらの透かし彫りも見事です。
たくさんの花と鳥が彫刻されていました。 -
車寄
金工細工もすごいです。
さて、では二の丸御殿内の見学をします。
この中では一切の撮影が禁止されていますので、1枚も写真がありません。
豪華絢爛な内装、障壁画、金工細工の数々を堪能しました。
もちろん、鴬張り廊下も(*^_^*) -
大雨(+_+)
二の丸御殿を見学して外に出ようとしたら雨が降ってきました。
すぐ止むかな〜と思い待っていましたが、もの凄い勢いになってしまいました。
これは二の丸御殿から休憩所に向かう途中の通路から、二の丸御殿団体用出入り口を撮影したところです。 -
大雨
全く止む気配がありません。
仕方が無いので、休憩所までダッシュしようかと相談しているところ。 -
大雨
右手に見えるのが休憩所。
とりあえずあそこまで走れば、タバコも吸えるし、雨が止むまで座って待っていたらいいかな〜。
意を決してダッシュするみにくま夫妻。
しかし、、、、ずぶ濡れになりながら休憩所に入り、タバコを一本吸い終わった頃には、何事もなかったかのように雨は止んでいましたとさ・・・(-。-)y-゜゜゜
なんという相場観の悪さ orz -
雨上がりの二の丸御殿
こんな雨に濡れた二の丸御殿が見たかったのだと負け惜しみを言いながら、二の丸庭園に向かいます。 -
釣鐘
この鐘は、幕末の政変の時期に二条城と北の所司代との連絡に使われたものです。 -
二の丸庭園
まだほんの少し雨が降っていましたが、先ほどの大雨が嘘のようです。 -
特別名勝 二条城二の丸庭園
池を中心とした書院造、池泉回遊式庭園で、神仙蓬莱の世界を表現したとされています。
作庭年代は、記録や作風から推察して、1603年の二条城築城の際に調和されて造営されたもので、後水尾天皇の行幸の際に、数多くの名園をてがけた小堀遠州によって一部改修が加えられ、今日に至ったと考えられる。
◎神仙蓬莱の世界
神仙蓬莱思想には、不老不死や永遠の繁栄の意が込められ、海に見立てた池泉や枯山水の石組に、仙人の住む蓬莱島、縁起のよい鶴や亀を模した島々を配する様式が庭園に多く取り入れられている。 -
大広間 式台 遠侍
式台は写真真ん中の小さな建物です。
本来は家臣のための部屋で、二条城では将軍に従って入洛した老中が詰めていました。
大広間は将軍が諸大名と対面する場で、二の丸御殿の中で最も公的な意味合いをもつ重要な場所です。
主室である上段の間と、框で隔てた下段の間を合わせると92畳もの広さがあるそうです。 -
二の丸庭園
池の中央に蓬莱島を、その左右に鶴島と亀島を配置し、4つの橋をかけ、南北隅には滝を設けています。 -
二の丸庭園
全体的に白く霞がかかったような写真になってしまいました。
原因はカメラのモード調整ミスだと思います。
帰ってからPCで確認して気づいたので遅いですね(+_+) -
二の丸庭園と黒書院
黒書院は将軍の内向きの対面所、いわば私的な応接室として使われました。 -
二の丸庭園
中央に滝が見えます。 -
二の丸庭園
ここからの景色が一番綺麗だと思いました。
中央に見えるのが、蓬莱島だと思われます。 -
白書院
二の丸御殿の最奥にある白書院は「御座の間」と呼ばれ、将軍の居間や寝所として使われました。
他の御殿に比べ落ち着いた雰囲気が感じられる内装ですが、これは徳川家の威光を示す場ではなく、将軍がくつろぐための私的な空間として作られたためでしょう。
部屋の格式や機能によって画材や画風を変える配慮が施されています。 -
東橋と本丸櫓門
往時はここに本丸御殿と二の丸御殿をつなぐ橋廊下と二階廊下などがありました。 -
内濠 南方向
本丸は二の丸よりも一段高くなっています。 -
内堀 北方向
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本丸庭園と本丸御殿
1626年に徳川家光が造営した本丸は、五層の天守閣と四棟の御殿で構成されていました。しかし落雷や大火によっていずれも焼失。
現存の御殿は、明治半ばに元桂宮の御殿を移築したもので、公家住宅の貴重な遺構として重要文化財に指定されています。 -
本丸御殿 重要文化財
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本丸御殿(御常御殿)
平坦な本丸庭園に面した御常御殿は、穏やかな屋根姿を見せ、その上の東奥に数寄屋造りの三重楼を重ねています。 -
本丸庭園
造園当初の庭園は、どのようなものであったか分かっておりませんが、二の丸庭園にひけをとらない庭園が存在していたと考えられています。
しかし1788年の大火の飛び火によって庭園も延焼し、空地となってしまいました。
現在の庭園は、1896年に完成した芝庭風築山式庭園です。
明治の中ごろになると洋風の庭園が多く作庭されていることから、本丸庭園も少なからずその影響を受けていると考えられます。 -
本丸庭園
庭園の東南隅に月見台(築山)を設け、御常御殿三階の展望に呼応させ、庭園の景観を高めています。
月見台のことは後で知りましたので、写真はありません(+_+) -
天守閣跡
もとは城内に高くそびえる壮麗を誇っていた5層の天守閣がありましたが、1750年の落雷により焼失しました。 -
天守閣跡
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天守閣跡 石垣
所々に大きな石が使われていますが、ほとんどは小さめの石で固められています。
また、表面がごつごつしたそのままの石と、切ったような平らな石が不規則に積まれていました。
この当時の巨石は、ほとんど大坂城に持っていかれてしまったのでしょうか。
それとも、巨石を使うよりも、こういった大きさも石の質も不規則な積み方が、土台を組む上で有効とされたのでしょうか。
城壁などの石組み好きの私としては、興味深いものがあります。 -
天守閣跡より本丸御殿を
ここからは本丸御殿や庭園が一望できます。
もう少し右手を撮影していたら、月見台も映ったかもしれません。 -
天守閣跡から内濠 北方向
結構な高さがあります。
中央に見えるのは西橋です。 -
天守閣跡から内濠 東方向
右手の壁を見ていると、一部石積みの欠けたような部分が見られますが、ここには元々櫓があったのではないでしょうか。 -
みにくまと本丸庭園
芝生が敷き詰められた庭園は、明治時代の洋風作庭様式の影響です。 -
本丸御殿
★春・秋の「本丸御殿特別公開」は休止
二条城では,お客様の安全と文化財保護の観点から、耐震基礎診断を実施しました。
その結果、本丸御殿は、大地震(震度6強以上)時の危険性が判明したため、春秋の「本丸御殿特別公開」を安全が確保されるまで当分の間休止します。
貴重な文化遺産を後世に伝えるため、皆様の御理解と御協力をお願い申し上げます。
(二条城公式HPより) -
本丸御殿 車寄
大きな唐破風の車寄です。 -
天守閣跡
本丸庭園を抜け、西橋の上から見たところで少し遠いですね。 -
本丸を出て北方向に
道の左右にはいろいろな木が植えられています。
道の右手はさつき、左手はしだれえんじゅ、だと思います。
二条城内の緑と花の案内より
樹木総数 15800本
樹木種類 47科 142種類 -
西門(埋門) 重要文化財
城外を一周している時に見かけた西門は、別名埋門と言うのだそうです。
その理由は見たらなるほどですね。
こちらからは、石垣が邪魔して見られませんでした。 -
石 天守閣跡
付近に何気なく置いてある石にも歴史を感じさせます。 -
松の木
城の中に松の木が多い理由は、たいまつに利用するため、またヒノキは建築材として、クスノキ・イチョウなどは燃料に、あらかし・しいのきなどは、実を食料に利用するのだそうです。
全て有事の場合を考えてあるようですね〜。 -
北中仕切門 重要文化財
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加茂七石
こちら側から、
畚下石(ふぐろいし)
紫賓船石
紅加茂石
糸掛石
畑石
鞍馬石
八瀬真黒石
の順に配置されています。 -
加茂七石
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清流園 香雲亭
池泉回遊式山水園と、芝生の広場からなっている。
建物や庭石の多くは、河原町二条にあった角倉了以の屋敷から移したものです。
園内にはお茶室「和楽庵」もあります。 -
亀石と勝手に命名
何気なく配置されている石も、何か由緒のある名石だったりするんだろうな〜と思いました。 -
清流園
アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパン」の全国ランキングによると、
平成16年 全国???か所中 清流園6位 二の丸庭園?位
平成17年 全国693か所中 清流園5位 二の丸庭園10位
平成18年 全国731か所中 清流園6位 二の丸庭園8位
平成19年 全国755か所中 清流園6位 二の丸庭園?位
だそうです。(いろいろなところから拾ってきました)
全国でも屈指の庭園を2つも抱える二条城、凄いですね〜。 -
清流園
園内には入れなかったので、あまりいい写真が撮れなかったのが残念。 -
しだれえんじゅ
まめ科に属する落葉喬木です。
原産国は中国で、古来より出世の樹として中庭等に植える風習があるそうです。 -
しだれえんじゅ
豆のような実が。 -
北大手門
城内に入る前に外側から見た門です。 -
東大手門とみにくま
◎まとめ
途中で大雨に逢い、30分以上立ち往生してしまったので、一通り周るのに2時間以上かかりました。
それにしても、二の丸御殿内の写真撮影がしたくてウズウズします。。障壁画や金工細工、部屋毎に特徴のある調度品など、桃山文化を学ぶのに、これ以上の素材はあまり無いと思います。
障壁画はほとんどレプリカだという話なので、文化財劣化という問題は無さそう。
問題は、撮影を許可してしまうと、大量の観光客がスムーズに歩けなくなるということでしょうか。
うーん、難しいですね〜。
でも、観光客の数では桁違いなフランスのベルサイユ宮殿なども、写真は撮り放題だし、何とかならないもんですかね〜。
それはそうと、今回の二条城では全体的に写真が白く霞がかかったようになってしまい、納得のできる写真が撮れなかったです。
原因は何となく分かっているので、次回の教訓にしたいと思います。
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