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俵屋旅館からどこか散歩ができるところがないかとマップを見ていたところ、「本能寺」がすぐ近くにあることが分かり、もしかしたらあの本能寺かな〜と思って行ってみました。<br /><br />

本能寺 「信長公廟」 

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2008/09/07 - 2008/09/07

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みにくま

みにくまさん

俵屋旅館からどこか散歩ができるところがないかとマップを見ていたところ、「本能寺」がすぐ近くにあることが分かり、もしかしたらあの本能寺かな〜と思って行ってみました。

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  • 本能寺<br /><br />山門<br /><br />少し遅い時間だったから?閉まっていました。<br />ぐるっと回りを歩いて中に入ることができました。

    本能寺

    山門

    少し遅い時間だったから?閉まっていました。
    ぐるっと回りを歩いて中に入ることができました。

  • 法華宗本門流総本山 本能寺<br /><br />本能寺の「能」の字に注目して下さい。<br />「ヒ」の字ではなく、「去」の時になっています。<br />これは、度重なる戦火に逢っているこちから、ヒ(火)が去るという意味で置き換えられていると言われています。<br /><br /><br />

    法華宗本門流総本山 本能寺

    本能寺の「能」の字に注目して下さい。
    「ヒ」の字ではなく、「去」の時になっています。
    これは、度重なる戦火に逢っているこちから、ヒ(火)が去るという意味で置き換えられていると言われています。


  • 本能寺の変<br /><br />1582年6月21日(天正10年6月2日)、織田信長が明智光秀によって襲撃され、自刃したところとして世に名高いが、その折、30余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。<br />その後、豊臣秀吉の都市計画により、1589年に現在の地に移転再建したが、江戸時代後期の天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は1928年に再建されたものである。<br /><br />

    本能寺の変

    1582年6月21日(天正10年6月2日)、織田信長が明智光秀によって襲撃され、自刃したところとして世に名高いが、その折、30余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。
    その後、豊臣秀吉の都市計画により、1589年に現在の地に移転再建したが、江戸時代後期の天明・元治の大火にかかり、堂宇は悉く焼失し、現在の本堂は1928年に再建されたものである。

  • 御供水<br /><br />境内にあった噴水です。<br />

    御供水

    境内にあった噴水です。

  • 大きな灯篭<br /><br />

    大きな灯篭

  • 修復中の本堂<br /><br />外側にカバーがかかっていますが、その大きさの想像が付きます。<br />

    修復中の本堂

    外側にカバーがかかっていますが、その大きさの想像が付きます。

  • 大本山本能寺本堂修復・耐震並びに境域防災工事<br /><br />工期 平成20年5月8日〜平成24年3月31日<br /><br />こういった建物の修復にはとても長い期間がかかりますね。<br /><br />その期間は建物の大きさに比例するようで、銀閣寺の銀閣は2年、巨大な西本願寺御影堂はなんと10年の期間を要します。<br /><br />大切な日本の文化財が、地震で失われてしまうことのないよう、最近ではいろいろなところで耐震や耐火の修復がされています。<br />

    大本山本能寺本堂修復・耐震並びに境域防災工事

    工期 平成20年5月8日〜平成24年3月31日

    こういった建物の修復にはとても長い期間がかかりますね。

    その期間は建物の大きさに比例するようで、銀閣寺の銀閣は2年、巨大な西本願寺御影堂はなんと10年の期間を要します。

    大切な日本の文化財が、地震で失われてしまうことのないよう、最近ではいろいろなところで耐震や耐火の修復がされています。

  • 信長公廟<br />

    信長公廟

  • 信長公廟<br /><br />1582年当時の本能寺は四条西洞院という場所にあったそうです。<br />寺といっても当時のものは巨大で、信長が常宿としていたくらいですから、ほとんど城のような機能を備えていたと思われます。<br />四町四面(約440メートル四方)の広大な境内の周囲には堀と土塁、内部には七堂伽藍や多くの子院、厩舎を備えていたそうです。<br /><br />この信長の墓は、信長の三男信孝が建立したものです。<br /><br />御廟には武将の魂とされる信長所持の太刀が納められています。<br />

    信長公廟

    1582年当時の本能寺は四条西洞院という場所にあったそうです。
    寺といっても当時のものは巨大で、信長が常宿としていたくらいですから、ほとんど城のような機能を備えていたと思われます。
    四町四面(約440メートル四方)の広大な境内の周囲には堀と土塁、内部には七堂伽藍や多くの子院、厩舎を備えていたそうです。

    この信長の墓は、信長の三男信孝が建立したものです。

    御廟には武将の魂とされる信長所持の太刀が納められています。

  • 信長公廟<br /><br />横から<br />

    信長公廟

    横から

  • 信長公廟<br /><br />正面から<br /><br />信長の墓は全国各地に20か所前後あるそうです。<br />京都市内だけでも7−8か所。<br />主なものは<br /><br />本能寺<br />阿弥陀寺<br />大雲院<br />妙心寺玉鳳院<br />大徳寺総見院<br /><br />などなど、この中で本能寺と阿弥陀寺以外は、通常非公開となっているそうです。<br />

    信長公廟

    正面から

    信長の墓は全国各地に20か所前後あるそうです。
    京都市内だけでも7−8か所。
    主なものは

    本能寺
    阿弥陀寺
    大雲院
    妙心寺玉鳳院
    大徳寺総見院

    などなど、この中で本能寺と阿弥陀寺以外は、通常非公開となっているそうです。

  • 本能寺の変 戦没者合祀墓<br />

    本能寺の変 戦没者合祀墓

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