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 今は鎌倉逗子ハイランドへ上る道ができ、明石橋のあたりは三叉路になっているが、この明石橋手前には五輪塔、無縫塔、石仏、供養塔、庚申供養塔などが建つ塚(墓地)がある。<br /> 金沢街道と滑川に囲まれた場所であり、奥に「泉水橋供養塔」と彫られた供養塔や、手前には中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑と無縫塔が建ち、無縫塔と石仏が2列に並び、端にたくさんの五輪塔が置かれている。この地は大慈寺の丈六堂の跡地と考えられる辺りで、この丈六堂は江戸時代までが存在していたが、その後廃絶になった。この辺りは三代将軍源実朝が創建した広大な境内を持つ大慈寺があったとされ、滑川を渡った側には「大慈寺跡」石碑も建っている。大慈寺跡にあったお墓に江戸時代までに渡って石碑や供養塔、石仏が建てられてきたのであろう。<br />(表紙写真は泉水橋の塚にある無縫塔と石仏)

鎌倉明石橋の塚(大慈寺跡墓地)

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2010/01 - 2010/01

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 今は鎌倉逗子ハイランドへ上る道ができ、明石橋のあたりは三叉路になっているが、この明石橋手前には五輪塔、無縫塔、石仏、供養塔、庚申供養塔などが建つ塚(墓地)がある。
 金沢街道と滑川に囲まれた場所であり、奥に「泉水橋供養塔」と彫られた供養塔や、手前には中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑と無縫塔が建ち、無縫塔と石仏が2列に並び、端にたくさんの五輪塔が置かれている。この地は大慈寺の丈六堂の跡地と考えられる辺りで、この丈六堂は江戸時代までが存在していたが、その後廃絶になった。この辺りは三代将軍源実朝が創建した広大な境内を持つ大慈寺があったとされ、滑川を渡った側には「大慈寺跡」石碑も建っている。大慈寺跡にあったお墓に江戸時代までに渡って石碑や供養塔、石仏が建てられてきたのであろう。
(表紙写真は泉水橋の塚にある無縫塔と石仏)

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  • 「泉水橋供養塔」。橋の袂に建てられる橋の供養塔ならば、「明石橋」であるべきか。下流の泉水橋袂にも「泉水橋供養塔」が建っている。

    「泉水橋供養塔」。橋の袂に建てられる橋の供養塔ならば、「明石橋」であるべきか。下流の泉水橋袂にも「泉水橋供養塔」が建っている。

  • 中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑と無縫塔。

    中央に「大阿闍梨法印辨算‥」と彫られた弘化2年(1845年)銘の石碑と無縫塔。

  • 「大阿闍梨法印辨算‥」(弘化2年(1845年)銘)。

    「大阿闍梨法印辨算‥」(弘化2年(1845年)銘)。

  • 墓石(無縫塔)が並ぶ。

    墓石(無縫塔)が並ぶ。

  • 「演阿慈弁従」。

    「演阿慈弁従」。

  • 石仏が並ぶ。

    石仏が並ぶ。

  • 石仏。

    石仏。

  • 「中興阿闍梨法印恵法」。

    「中興阿闍梨法印恵法」。

  • 五輪塔と墓。

    五輪塔と墓。

  • 五輪塔が並ぶ。

    五輪塔が並ぶ。

  • 五輪塔。

    五輪塔。

  • 庚申供養塔(正徳2年(1712年)銘)。

    庚申供養塔(正徳2年(1712年)銘)。

  • 下流にある泉水橋袂の「泉水橋供養塔」。<br />橋には霊魂が宿ると考えられていて、橋の新設や修復の際に洪水などの時に人命や村の存続を守り、永久に破損することなく安全を願って建てられたものとされる。

    下流にある泉水橋袂の「泉水橋供養塔」。
    橋には霊魂が宿ると考えられていて、橋の新設や修復の際に洪水などの時に人命や村の存続を守り、永久に破損することなく安全を願って建てられたものとされる。

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