2026/09/19 - 2026/09/24
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ミータさん
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最終日の午前中はハイデルベルク観光。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ハイデルベルクの観光名所にもなっているホテルツム・リッター・ザンクト・ゲオルク。朝食は別料金で17.5ユーロだった。ホテル代と宿泊税を全部合わせると101.57ユーロだった。円安で1ユーロ185円くらいだったので1万9千円弱ぐらいか。2026年11月1日現在では少し円高になり1ユーロ176円なので1千円程度安くなるが、ホテルツム・リッターは改装工事のため長期休業中(2026年10月1日 ~ 2028年6月27日(予定))。
Hotel Zum Ritter St. Georg ホテル
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レストランは休業中で、朝食のみの提供だった。
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朝食は7時から。
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17.5ユーロ追加なので、それなりに充実していないとね。
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パン。
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取りあえずこんなところかな。
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後からヨーグルトと果物が出てきた。
朝食の用意はフロント係の女性ともう一人の男性の二人で行っていて忙しそうだった。女性が席の近くを通った時、”Kaffe bitte(コーヒーをお願い)”と声をかけると、セルフサービスとのこと。 -
夜もお茶やコーヒーを提供していたコーナーから自分で入れるのだった。それでも女性スタッフは一緒についてきてカップにコーヒーを注いでくれた。
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食後のデザート。
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ホテルの館内にも甲冑が飾られている。
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食後の腹ごなしを兼ねて城山を歩いて登る。ホテルのチェックアウトは11時まで。それまでに一通りの観光を済ませたい。
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ハイデルベルク城。
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ハイデルベルク城は、17世紀のプファルツ継承戦争(1689年から1693年)の際、フランス軍の攻撃でかなりの部分が損壊した。
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お城の入場券は城山のケーブルカー往復、中庭、ワインの大樽、薬事博物館がセットになって11ユーロ。昔は中庭とワインの大樽のみのチケットがあったはずだが。歩いて登ってきたのでケーブルカー込みのチケットは損をすることになる。チケットを購入するかどうか、しばらくお城の周りをウロウロしながら考える。
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エリザベート門。
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城山から旧市街を眺める。入場券を買うべきかどうか。中庭とワインの大樽は見たことがあるし、薬事博物館(10時オープン)に寄るとハイデルベルク大学を見学する時間がなくなってしまうかな。
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結局11ユーロ出して入場することにした。城内はガイドツアーのみでさらに別料金がかかるし、時間の関係で止めておいた。
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ハイデルベルク城。
ハイデルベルク城 城・宮殿
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左側はハイデルベルク城の中でも特に美しいフリードリヒ館。
右側の日陰になっている建物はオットーハインリヒ館。 -
中庭を抜け出したところから見たフリードリヒ館。左奥の塔はオットーハインリヒ館のもの。
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フリードリヒ館の説明。グーグルレンズによる翻訳。
「1601年から1607年にかけて、ヨハネス・ショッホの指揮の下、選帝侯フリードリヒ4世(1592年から1610年)の居城として、選帝侯ループレト1世の古い基礎と城の礼拝堂の上に建てられたこの建物の正面には、セバスチャン・ゲッツの彫刻が施されている。内部は、プファルツ継承戦争中の火災と、1769年の落雷によって焼失した。歴史的建造物としての地位に関する議論の後、1895年から1903年にかけて改修工事が行われ、鉄骨トラスの屋根の設置や上層階2階の増築などが行われた。」 -
オットーハインリヒ館の説明。グーグルレンズでの翻訳。
「1556から1566年、選帝侯オットハインリヒ(在位1556から1559年)により、「グレーゼルナー・ザールバウ(ガラスの間)」と「ルートヴィヒスバウ」の間の古い基礎の上に建てられた。ドイツ・ルネサンス期における最も初期かつ最も重要な建築物の一つ。
三十年戦争およびプファルツ継承戦争で破壊され、1764年の火災後は廃墟となったが、1955?57年に1階部分の屋根が架け直された。」 -
フリードリヒ館前(中庭から抜け出したところ)からの旧市街の眺め。カール・テオドール橋や聖霊教会などが見える。
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フリードリヒ館の中にはワインの大樽がある。この樽もそれなり、もっと大きなのがある。
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これが大樽のほう。
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大樽の上に登ることができる。
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写真でその大きさを伝えるのは難しい。
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プファルツ選帝侯に仕えた大酒飲みの道化師ペルケオの像。大樽の番人とも呼ばれている。その背後の壁にあるのは、大樽を製造、管理するために使われた大型のコンパスや鉋など。
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大樽の上から降りる時に使った螺旋階段とペルケオ像。
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ペルケオ像の後ろ姿とワインの大樽。
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薬事博物館は10時開館。時刻は9時53分。
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それまで中庭をグルグル。
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10時になったので薬事博物館に入場。
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薬瓶や薬棚。
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蒸留、精製する器具。
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ガラス製のアンプル管。これを開けるのはちょっとコツがいる。数回も経験すれば慣れるけど、もう触ることもなくなった。
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すり鉢とか昔理科の実験で使ったな。
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薬の原料など。なかなか充実した展示で、ここを見学したらハイデルベルク大学の見学は止めても良いかもと思いだす。
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薬事博物館からの眺め。
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薬の錠剤やカプセル。
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AIによると「18世紀頃(バロック様式)の典型的な調剤薬局や調剤台、薬の保存に使われた陶器や器具が再現しています」とのこと。
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ハリセンボン。
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薬屋のマークなど。”A”のマークは現在も使われているものとほぼ同じ。
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Aiによると「薬草や原料をすり潰したり搾ったりするための古いプレス機(写真右側の大型の黒い木製・鉄製のもの)や、蒸留器、薬湯を煎じるためのコンロなど」だそうだ。
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薬事博物館の見学を終え、フリードリヒ館の外側から下山する。
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途中でフリードリヒ館が見えるかと思ったが、無理だった。
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コルンマルクトに到着したのが10時15分。あれ、薬事博物館の開館が10時だったような。これならハイデルベルク大学の見学もできるな。
コルンマルクト広場 広場・公園
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”Studentenkarzer(学生牢)”の矢印に従って進む。
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学生牢。
「1778から1914 年まで、問題を起こした学生を罰するために使用されていた」ということで、第一次世界大戦が始まる頃まで使われていたのね。学生牢 建造物
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時間の関係で学生牢だけ見学するつもりだったが、ハイデルベルク大学博物館の入場料も込みのチケット(7.5ユーロ)しかなかった。
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このように壁一面に牢に入れられた学生たちの落書きが残されている。
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猫と教授?
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学生牢は何部屋もあり、思ったよりも広かった。
壁の言葉を一部抽出。”Einer für Alle Alle fur Einen(一人は皆のために。皆は一人のために)” -
二人部屋もあった。
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音楽隊。
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”Sans‐souci(フランス語で「憂いなし」)”。ポツダムのサンスーシー宮殿に因んでいるのだろうか。学生牢に入れられて「憂いなし」とは、困ったものである。
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ハイデルベルク城で見たワインの大樽とペルケオ像。
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グーグルレンズでの翻訳。
「なぜ学生刑務所が存在するのか?
中世の創立時に大学に与えられた特権の一つに、大学の構成員に対する司法権があった。1823年以降、アウグスティナーガッセ2番地の建物の??屋根裏部屋は学生の拘留場所として利用された。
拘留の厳しさや期間は、政治情勢によって異なる。政治活動や借金が処罰されることもあるが、典型的な罪状には、夜間に大声で歌って治安を乱す行為、「豚を放つ」(つまり、豚小屋から豚を追い出す)、街灯を壊す行為、夜間に市場広場の噴水で裸で泳ぐ行為、決闘を行う行為、あるいは国家権力に抵抗する行為(通常は警察官をからかったり嘲笑したりする行為)などが挙げられる。ほとんどの刑期は数日だが、最長4週間の非常に厳しい独房監禁となる場合もある。
1908年、カールスルーエの司法省は、この刑罰形態の有効性に疑問を呈し、しばしば嘲笑され、滑稽なものに成り下がってしまうため、懲罰目的には不向きであると述べた。最後の収監記録は1914年2月に残されている」 -
引き続きハイデルベルク大学博物館。ハイデルベルク大学は1386年創立のドイツ最古の大学。
ハイデルベルクといえばハイデルベルク学派。インターネットで検索したものをまとめると「20世紀初頭、カール・ヤスパースら主に精神病理学の分野で活躍した研究者の集団で、人間の内面的な意味や体験の理解(了解精神病理学)を重視した。ナチスの台頭で禁圧され,メンバーは四散、壊滅的打撃をこうむった。第二次世界大戦後、ヤスパースの流れをくむクルト・シュナイダーらが新ハイデルベルク学派と呼ばれる」
ヤスパースはナチスと関係の深かった(ナチ党員でもあった)哲学者ハイデッガーと交流があったので、彼もナチスに協力的だったかと誤解していた。ヤスパースの著作は難しくてきちんと読んでない。ハイデルベルク学派の展示はあったかもしれないが、時間がなかったので探すこともしなかった。
一方、1933年から1945年にハイデルベルク大学の精神科教授だったカール・シュナイダーは精神障がい者や知的障がい者らの大量「安楽死」(T4)作戦に関与。さらに殺された障がい者らの脳を研究材料に使ったという。 -
古い写本。
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ハイデルベルク大学大講堂。1886年にハイデルベルク大学創立500周年記念で造られたそうだ。
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天井の絵画は神学・法学・医学・哲学の4学部を表しているらしい。
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AIによると「知恵と学問の女神であるパラス・アテネがハイデルベルクに入城する様子を allegory(寓意)として描いたもの」ということだ。
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名門ハイデルベルク大学。
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最後に聖霊教会を見学。
聖霊教会 寺院・教会
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聖霊教会。
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11時前にホテルをチェックアウト。フロントにスタッフがいない時はルームキーをかごに入れれば良かったのに、作業中で忙しそうなスタッフに声をかけてしまった。申し訳ない。
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ハイデルベルク城はお昼頃には逆光になる。それで到着した日の夕方(19時半前)に橋を渡って川向うから眺めた。
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この日の夜の飛行機で帰国するので、もう少し観光する時間がある。さらに足を延ばしてシュパイヤーにも寄ってみる。
続く。
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