2026/08/03 - 2026/08/08
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まず8月のビジネスクラスの特典航空券で空きがある日にちと行き先を探したら、8/3出発、8/27帰国でフランクフルト往復が取れた。
ポーランド、フィンランド、ロッテルダム発のクルーズでアイスランドに行く事にした。
この旅行記はポーランド分。
8/4~5 中世の街クラクフとヴィエリンチカ塩鉱
8/6~8 ワルシャワ 王宮、ポーランドユダヤ人歴史博物館、ワルシャワ蜂起博物館
アウシュビッツの話はよく知っているし、あまりに残酷なので訪問できず、代わりに、クラクフのユダヤ人関連とワルシャワのPOLINポーランドユダヤ人歴史博物館をじっくり観た。初ポーランドでポーランドの歴史とポーランドのユダヤ人の歴史を深く考えた旅となった。
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8/3夕方フランクフルト到着し、フランクフルト空港直結のシェラトンに1泊。翌4日8:30のフライトでクラクフへ。この写真は上空からみたクラクフ。ヴァヴェル城が見えた。クラクフは、11世紀から1596年にワルシャワへ遷都するまで約550年間、ポーランド王国の首都として栄えた街。
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クラクフ空港。空港から旧市街までBooking comでタクシーをあらかじめ手配。
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ホテルに荷物を預けて、クラクフ歴史地区を散策。これは中央市場広場。いろんな街で旧市街に行ったが、ここがダントツに素敵だと感じた。
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ランチに、共産党時代の大衆食堂ミクルバー Tomaszaへ。12時ちょっと前で、すでにほぼ満席、その後は行列が出来てた。カウンターに行って料理を注文し、お金を払って席で待つ仕組み。ビール含めアルコールは無し。
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その日の定食、これとスープ付き。結構優しい味で美味しい。その後ポーランド料理を色々食べたが、ここが一番美味しかった。赤キャベツのザワークラウトみたいな副菜はこの後結構ついてきた。ビール含めアルコールは無し。
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中央市場広場にある織物会館で当時の格好をしているおじさん。
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織物会館の1階はお土産物屋。
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38°の猛暑。水に群がる人々。ほんと~に熱かった。フーゥ。
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聖マリア教会。青に金がはえて綺麗。その豪華さに驚いた! 当時のパワーが感じられる。
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同じく聖マリア教会。一面の装飾がすごい。
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旧市庁舎のタワー。こういう階段を登って降りる。
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旧市庁舎の上からみたヴァヴェル城。景色以外、特に見るものはない。
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旧市庁舎前にあるモニュメント。
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宿泊したHotel Wentzl。中央市場広場に面していて観光に便利、かつコストパーフォマンス良し。部屋は中世風。
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夕食をとった Morskie Oko。予約要のポーランド料理店。一皿がすごい量。パンに入ったスープとソーセージは美味しいが、ピエロギは持て余した。食事が終わって出てきたのが8時ごろ、空はまだまだ明るく、お店の前には長蛇の列。
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8/5朝一番でヴァヴェル城へ、ホテルから徒歩10分。
この写真はヴァヴェル城途中の、12使徒の像がある聖ペテロ・聖パウロ教会。
そのほか、聖マリア教会の隣の聖バルバラ教会や、聖フランシスコ教会、ドミニコ会教会が狭い歴史地区にあり、またカジミェシュ地区にも少なくとも2つの教会がある。教会の多い街だと感じ、GPTにきいたら、「王都・宗教都市・大学都市・修道会の拠点という複数の要因が何世紀にもわたって積み重なった結果、教会の多い地区になった」と返ってきた。 -
ヴァヴェル城へはこの坂を登る。見えているのは大聖堂。
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歴代のポーランド王の居城であったヴァヴェル城の内部。
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王宮の下院議会場にある、木彫りの頭が並ぶ天井。王族、貴族、市民、道化師など、さまざまな表情や身分の顔がある。別名、首の間と呼ばれいるらしい。議論の内容をみんなが見てるという意味だろうけど、首だけというのはちょっとグロテスクに見える。ストックホルムの市議会は、みんなが見ているという意味で、天井は空をイメージしたものになっていたのを思い出した。
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歴代王の戴冠式が行われた大聖堂内部。
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ヴァヴェル城が立つ丘の麓にある「竜(ドラゴン)の洞窟」。
昔、ここにはドラゴンが棲んでいました。村を襲い、家畜を食べ尽くしていました。ある日、若い靴職人のスコバが知恵を使った計画を立てます。彼は羊の肉に硫黄を詰め、それをドラゴンの巣の前に置いておきました。ドラゴンはそれを食べるとのどが焼けるように渇き、ヴァヴェルの丘のふもとに流れるヴィスワ川の水を飲み続けます。やがて体がふくれあがり、ついには破裂して死んでしまった という伝説です。 -
3分毎にドラゴンは火を吹きます。
暑さで体力を奪われます、この後ホテルに戻って休憩。 -
カジミェシュ地区。暑さゆえ、散策はやめて電動カートで見て回った。
14世紀カジミェシェ王によって作られたユダヤ人街。かつてヨーロッパ最大のユダヤ人街。
ここはゲットーとは違い豊かなユダヤ人文化が花開いた街だったらしい。 -
昔の面影が残ってるらしい。
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電動カートの中から撮ったシナゴーク。 このツアーは、教会は止まって内部見学の時間を取るが、シナゴークは外観だけで、中に入らせてくれない。ユダヤ人街なのに、何故だ~。
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カジミェシュ地区から追い出されたユダヤ人が集められたのがゲットー。ゲットーのユダヤ人に唯一薬を提供していた薬局。
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ゲットーの英雄広場(旧名ズゴディ広場)、移送されるユダヤ人が集められ選抜された場所、犠牲者の不在を象徴する“多くの鉄の椅子”が並ぶ広場。無言の嘆きが悲しい。
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旧オスカーシンドラーのホーロー工場。外観の窓に飾られている写真は、命を救われたユダヤ人労働者達の写真。
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ゲットーの壁の遺構。狭い場所に多くの人が閉じ込められ、自由・財産を奪われた場所。1時間半ほどでツアーは終了。
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ヴィエリチカ岩塩坑。800段の階段を降りる自信がなかったので、塩鉱に相談したら、足の悪い人のツアーが、通常営業が始まる前と後の8:00と18:30にあるとの事で、18:30に参加。このエレベーターに乗って、地下100メートルほど下がる。カゴは6人ほどで一杯になるが、このカゴを3段積み重ねて、操作する。
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ヨーロッパ最古の塩鉱
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地下101mにある聖キンガ礼拝堂。天井、壁、床、祭壇、レリーフ全てが塩で出来ている。
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壁一面にキリストの生涯を描いている。
熱心なカトリック教徒であり、危険な労働に従事する坑夫たちは、塩の守り神である聖キンガを篤く信仰していた。日々の無事を祈り神に感謝して、手作業で彫られたそう。 -
ツアーが終わったのは20時半過ぎ。これからホテルに戻る。
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行きはタクシーできたが、帰りは列車で。こんな寂しい駅だが、切符の販売機はある。
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夜明けの中央市場広場。ホテルの部屋から撮った写真。織物会館、聖マリア教会が見える良いロケーション。
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8/6 9:30の列車でワルシャワに移動。
フロリアンスの門と城壁。 -
バルバカン(町を守る砦)
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クラクフ中央駅。
ホテルから駅までGoogleだと20分ぐらいの複雑なルートを示してくる。実際は駅直結のショッピングモールを通って10分ぐらい。 -
シニア割引がきいたので1等列車を選択。軽食と飲み物が提供された。
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時間通り12時過ぎにワルシャワ到着。所要3時間。
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共産党時代に建てられた文化科学宮殿が駅前にドンとそびえ立つ。
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POLINユダヤ人歴史博物館の外観。日本語オーディオガイドがある。
西欧での迫害から逃れてきたユダヤ人が、ポーランドの森にたどり着いた際、鳥たちが「ポ・リン(ここに住め)」と鳴いたという伝説がある。
中世のポーランド国王たちが、西欧で迫害されていたユダヤ人を国家の発展のために、手厚い法的権利を与えて保護し、貿易、金融、職人、徴税、鉱山管理など、経済の核心を担う人材として歓迎したいという経緯で、ポーランドのユダヤ人人口は多かった。人口に占めるユダヤ人率は、第二次世界大戦前、世界一多かったそう。 -
17~18世紀にウクライナ(旧ポーランド領)にあった木造シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)の天井と、説教壇(ビマー)が実物大で完全再現されていれる。
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ユダヤ人の村の結婚式の様子。
中世ユダヤ人は、ユダヤ人のコミュニティで暮らし、宗教・食事・祭日・戒律などが周囲のキリスト教徒と異なっていた。 -
昔のユダヤ人の服装。ユダヤ教に則った生活スタイルを堅持し、教育も聖書や律法(トーラー)の教えを基盤とし、家庭とコミュニティを中心に行われていたらしい。
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ナチスの義務つけられたユダヤ人の印。狭いゲットーに大勢が閉じ込められ、ナチが全て管理する社会。
そのほかに、戦前のモダンなユダヤ街や、戦後のユダヤ人運動、戦後の若者が「自分はユダヤ人かポーランド人か」を悩む手記など、さまざまな展示があった。 -
この建物はフィンランドの建築家のデザインで、これは旧約聖書の「モーセの海割れ(出エジプト記)」を表現しているそう。
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Polinの外にあるゲットー記念碑。
ヨーロッパ社会にユダヤ人を差別する土台が何百年も何故存在したのか?
クラクフ、ワルシャワと、ポーランドのユダヤ人の歴史を見てきたが、豊かな生活・文化・社会が数百年存在していたポーランドで、何故そこまで迫害されるのか? どうしても理解できない。 -
ワルシャワ市内はほぼバスで移動。わかりやすく、本数も多く便利。
バスの中のこの機械で乗車券を購入できる。 -
泊まったHotel Bellottoの部屋。エレベーターのない棟もあるので事前にエレベーターアクセスの部屋をリクエスト。広く綺麗でバスタブもある。旧王宮まで3分、Polinも蜂起博物館もバス1本、便利な場所にある。
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ピエロギのチェーン店Zapieck。
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おすすめ地元料理を注文。途中で飽きてきた。
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旧王宮と、ワルシャワに遷都したジンムント3世像。
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旧王宮の内部。
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王座
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寝室。
王宮含め旧市街は第二次大戦で徹底的に破壊されたが、元に復元された。 -
ワルシャワ蜂起博物館。
ワルシャワ蜂起(1944年8月1日~10月2日)は、第二次世界大戦末期にナチス・ドイツの占領下にあったワルシャワで、ポーランドの地下抵抗組織「国内軍(AK)」や一般市民が一斉に武器を取って立ち上がった、大戦中ヨーロッパ最大規模の都市型武装蜂起。
わずか数日で終わると思われた戦闘は63日間におよび、武器も食料も圧倒的に不足する中で凄絶な市街戦が繰り広げられた。 -
孤立無援だったワルシャワの市民(国内軍)へ武器や医療品を空から投下するために、イタリアの基地から飛んできた連合軍の飛行機を再現したもの。
63日間の死闘の末、弾薬も食料も尽き、水すら飲めなくなったポーランド国内軍は10月2日に降伏。戦闘員約1万6,000人が死亡したほか、ドイツ軍による無差別な報復虐殺や空爆により、約15万~20万人の一般市民が命を落とした。
降伏後、ヒトラーは激怒し、見せしめとして「ワルシャワを地図から完全に消し去れ」と命じた。住民はすべて追放され、ナチスの爆破部隊によって歴史的な建造物や街並みの8割以上(旧市街などは9割以上)が徹底的に爆破された。 -
ドイツ占領当局の「死刑・銃殺者名簿付きの壁貼り公告」。
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地下鉄の切符販売機。
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コペルニクス像
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シュパンの心臓が収められてる聖十字架教会。ショパン博物館は改装中で閉館。
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ショパンのベンチ
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クラクフ郊外通り。素敵な建物が道の両脇に。
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ジュレクとピエロギ。スープはどれもおいしいが、ピエロギはどこで食べても、すいとんみたいで今一だった。
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アヒルのロースト、フルーツのジャムみたいなソースがかかってる。
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夜の旧市街広場
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旧市街
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旧市街
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ワルシャワ空港にあった寿司の自動販売機。
4日間だったが、中身の濃い充実した旅だった。
これからフィンランドへ。
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