2026/05/13 - 2026/05/13
556位(同エリア669件中)
パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/13
-
見返り坂
-
高石垣
-
月見櫓跡
-
二の丸井戸
-
天守
-
御殿表門(玄関先御門)
-
あやめ池
-
井上通女の像
-
丸亀城址水路跡
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
(表紙写真) 丸亀城内堀
四国4泊5日城巡り。二日目8:20丸亀駅着 徒歩にて丸亀城に向かう。内堀では鯉のぼりが数列に並びお出迎え。朝から日差しが強く、急勾配の見返り坂のが堪えました。扇の勾配の高石垣。月見櫓跡から丸亀の町並みのかなたになだらかな飯野山、綿雲が浮かぶように見え、二の丸跡からは造船工場、丸亀港の向こうに瀬戸内海に浮かぶ島々が見晴らせました。小天守は現存12天守なので上りましたが、感慨なし。11:05 に丸亀駅前に戻る。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
丸亀駅から丸亀城へ
☆The Second Day☆ 5月13日(水)
(写真) 8:25 富屋町→ 8:29 妙法寺 → 8:32 検察庁前
8:20丸亀駅着 歩いて丸亀城に向かう。
☆旅程☆
①5月12日(火) 羽田→徳島 ②徳島城 ③徳島から高松へ
④高松城跡 ⑤高松の夕陽と駅前夜景 JRクレメントイン高松泊
5月13日(水) ⑥高松城跡周辺 ★⑦丸亀城★ 今治城 (松山)ホテルカジワラ泊
5月14日(木) 伊予大洲城・宇和島城観光 (松山)ホテルカジワラ泊
5月15日(金) 湯築城跡・松山城観光 高知城夜景 コンフォトホテル高知泊
5月16日(土) 桂浜・高知城観光 高知→羽田 -
▲▽丸亀城▽▲ 8:35
丸亀城 名所・史跡
-
▽丸亀城▽ のあゆみ
-
▽丸亀うちわの歌碑▽
伊予竹に
土佐紙はって
阿波ぐれば讃岐の
うちわで 四国
涼しい
*Gemini -
▽丸亀城内堀▽
鯉のぼりがかかっています。 -
▽丸亀城内堀▽
数列並んでいます。 -
イチオシ
▽丸亀城内堀▽
内堀に写ってます。 -
▽丸亀城跡案内図と丸亀市立資料館へのルート▽
-
▽丸亀城跡▽城名碑
丸亀城 名所・史跡
-
▽亀山公園▽園名石
-
▽丸亀城内堀▽
遊歩道の石柱に「四心のみち」と書かれているのは78番郷照寺の道標 -
▽丸亀城内堀▽
奥に架かるのは「みその橋」 -
▽丸亀城内堀▽
石橋(大手橋)と大手二の門、大手一の門 -
▽大手二の門▽の上に小さな天守が見えた。
-
▽天守▽
アップすると。丸亀城 名所・史跡
-
▽丸亀城内堀▽
-
▽大手二の門▽ 八双金具のハートマークは?
ハート型に見えるのは日本の伝統的な文様で「猪目(いのめ)」 と呼ばれる。
魔除け・災難除け(火よけ)で「イノシシの目」をかたどったデザイン。*Gemini -
石碑の銘文
詠みずらいのでGeminiの解読?を数か所修正。これであっていると思いますが(^^)/
丸亀城大手一の門二の門
もと南方にあった大手門を京極氏入城直後の寛文十年(一六七〇)に北方のこの地へ移築した。大手の外門高麗門は切妻造りで、左右に狭間塀を持ち、内部の石垣は岩岐組みされ大手二の門とよび、右方の櫓門が大手一の門と呼ばれ、楼上で時報の太鼓を打っていたので太鼓門ともいわれている。両門とも当時の建築で主要部すべて欅材を用いている。
重要文化財
昭和三十二年六月十八日指定
丸亀東ロータリークラブ -
大手二の門の狭間より内堀
-
大手二の門の狭間より丸亀市総合会館方向
-
(上写真) 城内側から見た大手二の門左側狭間塀。
(下写真) 城内側から見た大手二の門右側狭間塀。 -
▽幸運のハート石▽
思ったより高い位置にあったので、パッピーはデイパックを下ろしてからやっと触れました。良縁のご利益はもう関係ありませんが(^^♪
右が「男石」、左が「女石」と呼ばれています。
こちらに気を取られていて鏡石見ていない(-_-;) -
▽大手一の門▽
-
▽史跡丸亀城跡 説明板▽
-
▽史跡丸亀城跡 説明板▽
丸亀城は標高約66mの亀山に築かれた平山城。
1597年、生駒親正・一正によって始まりました・・・藩政の拠点として明治維新まで存続・・・ -
▽丸亀城跡案内図▽
-
天守まで徒歩10分
-
▽見返り坂▽
-
「扇の勾配」と呼ばれる▽高石垣▽
-
▽高石垣▽ 説明板
-
高石垣が重なるあうように築かれ、山全体を取り囲む様子??
見たのかな? -
▽見返り坂▽
-
高石垣手前の玉石垣
-
▽高浜虚子の句碑▽
昭和24年10月に高浜虚子が丸亀を訪れたときに詠んだ句で旧丸亀市の市制50周年を記念して建立した。 -
▽高石垣▽
-
▽高石垣▽
-
▽高石垣▽
-
▽見返り坂▽
丸亀城の高石垣前の坂にこの模様が沢山刻まれていた。
何か意味があるのかAIに聞いて見たら激坂の安全対策だそうです。コンクリートが固まる前に「O型リング」と呼ばれる専用の輪っかを敷き詰めて抜き取ることで、このようなドーナツ型の溝(くぼみ)を作るそうです。 -
石垣に刻印か? 刻印らしきものを拡大しましたが(>_<)
-
石垣の刻印を探し写したつもり。日差しが強く肉眼で確認できず。
-
生駒家の波引車紋の刻印があるとか?
-
暑すぎて疲れてきたのでもういいか(^^)/ そもそも探す石垣を間違えたようです。
-
▽二の丸石垣▽ 南側
打込接の乱積みか?
右上のボロ布が気になるので、AIに聞いてみました。
歴史的な意味や意図的な建築技法ではなく、現代の清掃活動や調査に伴う「一時的な目印(あるいは忘れ物)」である可能性が極めて高いです。除草剤を染み込ませた布かも知れないとか。AIに相談すると誤情報を交えながらも色々教えてくれるので いつまでたっても旅行記仕上がりません(^^) -
飛び出した部分は▽二の丸五番櫓跡▽と思われる。
-
▽延寿閣別館▽説明板
-
▽延寿閣別館▽
ここで城泊ができます。 一日一組、朝夕食付で2名~4名の予約。 2名利用で各632,500円。とてもとても手が出ません。 -
延寿閣別館の後ろに聳える▽二の丸石垣▽と二の丸五番櫓跡
-
▽勤王碑▽ 説明板 ▽三の丸▽
土肥大作、村岡宗四郎が郷土の勤王志士。
シマッタ! 肝心の勤王碑を写していない(>_<) -
▽月見櫓跡▽より
-
▽月見櫓跡▽より
丸亀の町並みのかなたになだらかな飯野山が見えた。 -
▽月見櫓跡▽
-
イチオシ
▽月見櫓跡▽より
稲むしろこそありませんが、飯野山と青空、綿雲は昔も今も変わりません。 -
▽月見櫓跡▽
-
三の丸東張出石垣の扇の勾配も見事。センダンの花(AIに教えて貰いました)が満開。
-
▽三の丸▽ 三の丸説明板
瀬戸大橋見つけられず残念。 -
▽二の丸大手虎口▽
-
▽二の丸説明板▽
-
▽二の丸大手虎口▽
-
▽二の丸▽
番頭櫓跡(鬼門櫓跡)か?(*グーグルマップ) AIは二の丸の月見櫓跡というのですが、そもそも二の丸と三の丸と2か所に月見櫓があるなんて眉唾物。
AIの間違えでした。丸亀城管理室のXさんによれば月見櫓は三の丸に一か所あるのみ。写真の一枚一枚をXさんに確認して戴くのもご迷惑でしょうからよく分からないままアップです。各自御覧になって確認下さい。 -
▽二の丸▽
-
▽二の丸▽
二の丸の戌亥櫓跡(*AI) それとも辰巳櫓跡かな(次のpdfファイルの写真に似ています)*https://ohoka-inst.com/marukame55.pdf -
▽二の丸▽
左下は大手側の登城道(見返り坂)(*AI) -
▽二の丸▽
-
▽二の丸井戸▽
日本で一番深い井戸。羽坂重三郎の死体はこの井戸の底に眠っているのでしょうか? -
▽二の丸井戸▽
言い伝えに過ぎないと信じたい。 -
▽二の丸井戸▽
流石に井戸の底までは写らず。 -
▽二の丸井戸▽
伝説を知らなければ感慨なし。 -
▽二の丸▽ より北側の市街地・瀬戸内海方面
-
▽二の丸▽ より北側の市街地・瀬戸内海方面
-
▽二の丸▽より 北側の市街地・瀬戸内海方面
-
▽二の丸▽より
二の丸番頭櫓跡から飯野山(讃岐富士)方向を撮影したものと思われます。 *丸亀城管理室のXさん -
▽二の丸▽より
-
▽二の丸▽より
二の丸の長崎櫓跡の東面を撮影したものと思われます。 *丸亀城管理室のXさん
実は二の丸井戸撮影以降の写真の撮影場所や被写体が確認できず、AIと半日がかりでやり取りし納得するも、再度パッピーの記憶+グーグルマップで確認すると信憑性にかける。結局丸亀城の管理室にメールすることになりました。こちらの方が納得できるので採用。いい加減に何枚も写真だけを撮ってくると大変なことになります( ;∀;) -
▽丸亀城天守入場券▽ 400円
-
▽天守▽より
デイパックを預かって貰い上りました。 -
▽天守▽
階段がはかなり急でした。 -
▽天守▽より
-
▽天守▽より
ちびっこ達の遠足でしょうか? -
▽天守▽
いたずら書きか? -
▽天守▽
天井 -
▽二の丸▽
自販のコーヒーで一休み。100円はお得。 -
▽二の丸▽
打ち込み接ぎの櫓台石垣があった。 -
三の丸東側にある排水口か?
「丸亀城の石垣には雨水排水口があります。本丸の東側に1箇所、二の丸大手外枡形に1箇所、三の丸は東側、北側、西側に各1か所ずつ計3箇所、帯曲輪に1箇所、濠端北側に6箇所、あやめ池に1か所の計13箇所にあります。排水口は2タイプあり、花崗岩を用いたものと凝灰岩を用いたものがあります。」
*https://www.city.marugame.lg.jp/site/castle/2920.html#link3 -
▽二の丸▽より
-
▽三の丸▽より
-
▽見返り坂▽
下りはラクラク -
▽高石垣▽ 来た道を降りるだけ。
-
▽見返り坂▽
搦手門跡の方に行かなかったような(-_-;) それで野面積み見なかったんだ(>_<) -
(上写真) 玉石積みの石垣
(下写真) 打ち込み接ぎの石垣 -
▽観光案内所▽
コインロッカーが裏にあったのですね。気づかず持ち歩きました。 -
玄関先御門を見に行きます。
-
▽丸亀城玄関先御門・番所・長屋土塀 説明板▽
-
▽御殿表門(玄関先御門)▽
-
▽あやめ池▽
-
▽御殿表門(玄関先御門)▽
-
芝生広場にある丸亀城跡案内図
-
▽丸亀市立資料館▽ 10:38
入りませんでした。丸亀市立資料館 美術館・博物館
-
芝生広場より▲▽丸亀城▽▲
丸亀城 名所・史跡
-
イチオシ
芝生広場より▲▽丸亀城▽▲
丸亀城 名所・史跡
-
常盤橋(*Gemini)より内堀
-
▲▽井上通女の像▽▲
常盤橋を渡り右に曲がると通りの向こう、城西小学校校門そばに和服姿の女性像が見えました。 -
▲▽井上通女の像▽▲
浮雲を千里にはらふかぜなくば 今宵の月をいかでみましや
江戸日記より -
▲▽井上通女の像▽▲
-
▽井上通女の顕彰碑▽
よく読めないので Geminiに教えて貰い、数か所修正しました。
井上通女は、万治三年(一六六〇)六月十一日、丸亀藩士井上木国の長女として城下西郭内に生まれた。天資聡明、幼より父に学を受け、一六・七歳すでに「処女賦」「深閉記」を書いて女性の理想像を追求した。時の藩主京極高豊の母泰性院は是を江戸邸に召す。「東海紀行」はその海道下りの名文であり、江戸奉公の日々は「江戸日記」に詳しい。元禄二年(一六八九)泰性院逝くや、直ちに懐かしい父母の許に帰り、同藩の三田宗寿に嫁した。帰郷の作「帰家日記」は、和歌・漢詩を交えた一代の名作である。元禄七年四月夫宗寿没後は、独力よく家庭を治め、晩年は学問と風流の日々を送リ生涯の苦楽を「和歌往事集」に纏めた。元文三年(一七三八)六月二十三日往く。歳七十九。
平成三年三月吉日
近石 秦秋 記 -
▲▽井上通女の像▽▲
-
▽丸亀城内堀▽
-
京極通り(県道21号)沿いにセブンイレブン、裁判所
裁判所の向かいには城西小学校があった。 -
▲▽丸亀城址水路跡▽▲ 説明板 (写真) 10:53
丸亀郵便局を右に曲がると、江戸時代末期のものと推定される丸亀城址水路跡があった。 -
▲▽丸亀城址水路跡▽▲
-
▲▽丸亀城址水路跡▽▲
-
丸亀駅そばの丸亀停車場線
松陰高等学校丸亀校、 高松空港エアポートリムジンバス乗り場、駅前広場 -
▲▽丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(MIMOCA▽▲
11:05 丸亀駅前着
説明がくどすぎたり、全くなかったりですが、これで終了とします。
ここまでお付き合い下さり有難うございました。
2026年7月25日 パッピー丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 美術館・博物館
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
丸亀・宇多津・多度津(香川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 四国城巡り
0
112