2026/05/12 - 2026/05/12
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パッピーさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/12
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鞘橋
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天守台
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水門
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披雲閣庭園
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月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓
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陳列館
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桜御門
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艮櫓
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桝形
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旭橋
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この旅行記スケジュールを元に
(表紙写真) 天守台より瀬戸内海
四国4泊5日城巡り。初日は徳島空港着後、徳島城観光後高松に移動し、高松城です。野面積みの石垣を楽しみながら、天守台へ。城の全貌と内堀に続いているような瀬戸内海と島々の眺めを楽しむ。堀を泳ぐ黒鯛、見事に手入れされた松、モザイクのような桝形石垣。時間はたっぷりありましたが、見過ごした所がいくつか。次回は日曜日の公開日に再訪し月見櫓と桜御門内に入りたい。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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▽高松城跡西入口▽ (写真) 14:55
☆The First Day☆ 5月12日(火)
☆旅程☆
①5月12日(火) 羽田→徳島 ②徳島城 ③徳島から高松へ
★④高松城跡★ ⑤高松の夕陽と駅前夜景 JRクレメントイン高松泊
5月13日(水) 丸亀城・今治城観光 (松山)ホテルカジワラ泊
5月14日(木) 伊予大洲城・宇和島城観光 (松山)ホテルカジワラ泊
5月15日(金) 湯築城跡・松山城観光 高知城夜景 コンフォトホテル高知泊
5月16日(土) 桂浜・高知城観光 高知→羽田 -
▽中野武営像▽
香川県独立の父 しまった説明板写していなかった(-_-;)
○中野武営
弘化5年1月3日 ~ 大正7年10月8日
(1848年2月7日 ~ 1918年10月8日)
香川県出身の政治家 、 実業家
父は高松藩士。第一次護憲運動の有力な支持者としても活動し、営業税撤廃運動を推進した。大正6年東洋製鉄を設立し、社長を務めた。
*https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/507/ -
▲▽高松城跡▽▲ (写真) 14:57
西入口で入園料を払う。
◎入園料 300円 -
▽史跡高松城跡リーフレット▽ 1
年始や桜見物夜間など無料開放の期間があります。 -
▽史跡高松城跡リーフレット▽ 2 高松城跡の沿革 & 歴代城主一覧表
下記高松城のホームページにリーフレットが掲載されています。
1587年豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正に築城され、以後4代続く。
高俊が生駒騒動で讃岐一国を召しあげられた後、1642年松平頼重 入場後松平氏の治世が11代まで続く。
歴代城主は
http://www.takamatsujyo.com/2026nihongoannnai.html -
▲▽高松城跡▽▲ ▽鉄門▽
矢印通りに鞘橋へ
鉄門のあったところか確信できず、玉藻公園管理事務所にメールすると即返信下さいました。写真は鉄門跡を西側から見たところでした。東側に説明板があったようですが、気付きませんでした。時間は沢山あったのに(-_-;)史跡高松城跡(玉藻公園) 公園・植物園
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▲▽高松城跡▽▲
▽鉄門跡▽の南側の石垣。
鉄門跡とは知らず美しい石垣に見とれて写真を撮りました。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽鞘橋▽ 説明板
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▲▽高松城跡▽▲ ▽鞘橋▽ 東側の石垣
石垣の隅部が素敵。間詰石とのコントラストが綺麗ですが、これではすぐ崩れてしまいます。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽鞘橋▽
二の丸から本丸に続く唯一の同線で、この橋をおとすことで本丸だけを守るようになっていた。当初は欄干橋だったが、江戸中期末ころ屋根付きの橋になったようです。 -
▲▽高松城跡▽▲
史跡高松城跡鞘橋修理記 昭和46年2月27日
鞘橋建立の歴史、修理の大要が記されている。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
鞘橋より -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
鞘橋より -
▲▽高松城跡▽▲
鞘橋を渡り東側(左手)の石垣
野面積みの各々の石が美しい。 -
▲▽高松城跡▽▲
ズームで撮りました。
下の写真は西側(右手)の石垣 -
▲▽高松城跡▽▲
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▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
階段を上ると左手に天守台が見えた。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
石段は蹴上げの高さが不揃いで、上りづらく手すりをしっかり掴んでユックリ上りました。スチールの手すりは興覚めではありますが、安全第一。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
隅角石の横には大き目の茶色い石がありました。
こちらも美しいのでズームで -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽ より北側を眺める。
内堀の向こうには瀬戸内海と島々が見えた。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽より 南東方向
中央に見えるのは▽艮櫓(うしとらやぐら)▽ -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
北西方向には鞘橋が見える。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
「天守地下1階は東西13.6m、南北12.2mの空間の中に、『田』の字状に52個の磁石が並べられ、さらに磁石で区切られた4箇所の区画中央にはそれぞれ掘立柱が建てられていました。」*説明板 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
「高松城天守 地下1階の発見」説明板 -
▲▽高松城跡▽▲
▽月見櫓▽ & ▽披雲閣▽ ▽天守台▽より -
▲▽高松城跡▽▲
高松城の歴史 &天守台石垣の修理工事 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽鞘橋▽
▽天守台▽より -
▲▽高松城跡▽▲
天守台から鞘橋に戻る。
鞘橋から琴平線が見えた。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
何か泳いでます。
鯉より大きいような? -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
内堀の向こうは高松築港駅 鞘橋より -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
鞘橋より -
▲▽高松城跡▽▲ ▽水門▽
「堀が海とつながっているので潮の干満による水位調節のため水門が設けられています。」
*https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kurashi/shisetsu/park/tamamo/index.files/2.pdf -
▲▽高松城跡▽▲ ▽水門▽
潮の干満で海水が出入りします。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽水門▽ 説明板
海上から見ると高松城は素晴らしいそうです。嘗ては瀬戸内海と接していたそうです。 -
▲▽高松城跡▽▲
海城「高松城」と舟 説明板
飛竜丸は高松藩の軍船で、大きな帆には○が描かれていた。
ひとつの艪(かい)を2人の水夫で漕いだ。 -
▲▽高松城跡▽▲
高松藩祖松平頼重は1642年高松城に入城し
「讃岐の国は、海辺の国なれば、水練は武道の一班たるべし」と藩士に水練の指導をさせた。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
内堀の東側を歩く。 -
▲▽高松城跡▽▲
鞘橋を過ぎ、天守台を東側から見る。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
城舟500円で乗れたのですね。もっと高いと思ってました(-_-;) -
▲▽高松城跡▽▲ ▽内堀▽
クロダイかな? -
▲▽高松城跡▽▲
松ぼっくり収集ボックス。
みんなで集めた松ぼっくりがツリーになって冬の高松城を彩ります。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
▽御手植松▽ 説明板史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
▽御手植松▽ 石碑
全て漢字なので 説明板の内容と同じか確認できず。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽ ▽御手植松▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽ ▽御手植松▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
グーグルマップには「内苑御庭」、園内案内図では「披雲閣庭園」となっているのでもしかしてこの飛び石の辺りのみを「内苑御庭」と呼ぶのかな?
玉藻公園管理事務所にメールすると、早々の返信。
名勝指定の時に「内苑御庭」を「披雲閣庭園」と名づけたそうです。
現在の呼び名は「披雲閣庭園」です。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽ 説明板
しまった 「ど根性松」見ていない(-_-;)史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲
北側(水城通り)高松城跡内石垣より
瀬戸内の島々の写真 -
▲▽高松城跡▽▲
水城通りの向こう側 左にチョコッと写っているのは、報時鐘
瀬戸内の向こうに豊島、小豊島が見えました。 -
▲▽高松城跡▽▲
左より▽月見櫓▽ ▽ 続櫓▽ ▽水手御門▽ ▽渡櫓▽ -
▲▽高松城跡▽▲
左より▽月見櫓▽ ▽ 続櫓▽ ▽水手御門▽ ▽渡櫓▽ -
▲▽高松城跡▽▲
▽高松城北之丸月見櫓(続櫓)、水手御門、渡櫓▽ 説明板 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽月見櫓▽ ▽続櫓▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽水手御門▽
城郭ライター萩原さちこさんによれば、 水手御門は
「海に向かって開いた門で、藩主はここから小舟に乗船して瀬戸内海に出た後、沖に停泊する御座船に乗り換えて参勤交代などに出かけたという。・・・瀬戸内海側の大手門」https://www.asahi.com/and/travel/article/15792195?msockid=3c5d36750cb469423053254f0d996807 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽月見櫓▽
「出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので[着見櫓]ともいわれています。」 *史跡高松城跡リーフレット -
▲▽高松城跡▽▲ ▽月見櫓▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽報時鐘 ▽
城跡の外、水城通りの向こうにポツンと立っています。
写真を撮った時は大した意味があるとは知りませんでした。
下記検索結果。
▽報時鐘▽
この鐘は松平家初代藩主松平頼重 公が
承応 二年(一千六百五十三1653年)城下 の人々に
時を知らせるため大判三十枚を加えて
大阪で鋳させたもので最初外堀の西南
稲田外江の邸(現在西内町四鉄病院 )に近い
外堀土手に鐘楼 を設けた。
その後一番丁(現在錦町一丁目 )に移され
明治三十三年(一千九百年)に四番丁小学校
校庭に再建され昭和三年一月市庁舎の
サイレン設置まで当市の名物として市民に
懐かしい響きを伝えていた。
昭和八年六月四番丁小学校講堂改築に伴い
松平家に返納され玉藻公園内に置かれていた。
当市は明治二十三年二月十五日に市制を
施行し昭和五十五年市制施行九十周年を
迎えこれを記念してここに建立したものです。
昭和五十八年二月竣工
高 松 市
*https://monumen.to/spots/14741 -
高松港と香川県玉藻町駐車場
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
▽松の間▽ 披雲閣庭園より
▽松の間▽
現在の披雲閣を別邸として再建した高松松平家第12代御当主松平頼壽伯爵の居室。頼壽伯爵は 盆栽をこよなく愛し日本盆栽協会の前身である国風盆栽会の初代会長も務めました。史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
▽松の間▽ 披雲閣庭園より
一般公開していないので入室禁止史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣庭園▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
庭園から披雲閣正面が見つからず歩き回りました。史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽
入口ですが一般公開していないので入れず。史跡高松城跡 披雲閣 名所・史跡
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▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
披雲閣入口の隣にある陳列館に入ります。
高松城の最大の特徴は、海に面して築かれた「海城」であることです。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽ 天守の鯱
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▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽ 月見櫓の大棟鯱
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▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
櫓の三角屋根を飾る 懸魚 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松松平家、三つ葉葵の家紋付き 鬼瓦 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
1/60 スケール 高松城天守模型 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松城は1588年に築城が開始されと文献にはあるが、現在の研究では1600年代と想定される。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
天守台出土の陶磁器類 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松城の石垣は香川県の地盤を構成する3種の石材を使用している。石の表面に貝殻が付いたものが多くある。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松城の石垣の特徴 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
現存する城郭建造物 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松城跡の歴史のビデオ上演があります。
400年以上前瀬戸内海に面する篦原(のはら)と言う港町を生駒親正が高松と改名して城を建てた。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
向拝懸魚 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
向拝蟇股 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
高松松平家の家紋付き 飾り金物 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
城跡の破壊と再利用 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
天守台石垣に刻まれた家紋
生駒家 家紋の拓本 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
生駒家 家紋(波引車)瓦 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽陳列館▽
今も残る海城の痕跡 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽ 裏側
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▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
桜御門2階展示室公開は土・日・祝 午前9時~午後4時です。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
高松松平家の築いた石垣で割石、切石を多用しています。
中央とその下の石はすだれ仕上げでしょうか? -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
説明板
「桜御門は、御殿である披雲閣の正門にあたる櫓門です。節句や行事の際に桜の幔幕がかけられました。」1950年の高松空襲で焼失。約80年後に復元。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
高松松平家、三つ葉葵の家紋入り提灯。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
高松空襲で焼けた桜御門の石垣 説明板 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
高松空襲で焼けた桜御門の石垣 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽
高松空襲で焼けた桜御門の石垣 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽桜御門▽ 表側
桜の幔幕は今では常時かけられているのでしょうか? -
▲▽高松城跡▽▲
高松城由緒 石碑
「高松城は讃岐の国の枕詞『玉藻良し』に因んで玉藻城とも呼ばれています・・・
与謝野晶子は『わたつみの玉穂の浦を前にしぬ高松の城龍宮のごと』と詠んでいます・・・」 -
▲▽高松城跡▽▲ 桜御門前土橋から内堀
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▲▽高松城跡▽▲ 史跡高松城跡 玉藻公園
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▲▽高松城跡▽▲ 史跡高松城跡 玉藻公園
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▲▽高松城跡▽▲ ▽艮櫓▽ 説明板
「・・・艮櫓(うしとらやぐら)は、もともと東の丸の北東の隅櫓(すみやぐら)として建てられたもので、北東の方角のことを丑寅(艮)ということから、この名前があります。・・・」 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽旭橋▽
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▲▽高松城跡▽▲
切込み接ぎ ▽桝形▽ -
▲▽高松城跡▽▲
切込み接ぎ ▽桝形▽
切込み接ぎの石垣にばかり夢中で埋門(うずみもん)があったのに気付かず(-_-;) -
▲▽高松城跡▽▲
史跡 高松城跡 説明板 -
▲▽高松城跡▽▲
園内案内図。こちらの東門が大手門です。パッピーは裏口から入ってしまいました(-_-;) -
▲▽高松城跡▽▲ ▽旭橋▽
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▲▽高松城跡▽▲ ▽艮櫓(うしとらやぐら)▽
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▲▽高松城跡▽▲
大手説明板
築城当初は南側にあったので松平頼重、頼常により南東側に移された。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽旭橋▽
しまった旭橋ばかり写していて旭門撮っていない(-_-;)
旭橋は「堀に対して斜めになっており、敵の直進を防ぎ、側面から攻撃できるような仕組みになっています。」*説明板 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽旭橋▽
左手に艮櫓
説明板によれば、親柱に彫られた「旭橋」の文字は松平家12代当主の松平壽(よりなが)による。橋の南側(旭門側)には昭子夫人による「あさひばし」の文字が彫られているそうですが、説明板をよく読んでいなかったので見のがしました(-_-;) -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽ より北方
旭橋からホテルに戻るのは遠回りに思い、旭門の切符売り場のスタッフに再入場させて貰った。
天守台からの眺めをもう一度見に行く。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽より
瀬戸内海にフェリーが見えました。灯台とフェリーの間に見えるのは男木島か?瀬戸内の島めぐりも楽しそうですね。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽より (写真) 17:23
通勤客で賑わってきたことでん高松築港駅 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽天守台▽より JRクレメントイン高松
今夜の宿JRクレメントイン高松は正面右の中央、黒い屋根の白い建物です。 右に聳えるJRホテルクレメント高松と比較すると流石に見劣りします。 -
▲▽高松城跡▽▲ ▽披雲閣▽ ▽天守台▽より
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▲▽高松城跡▽▲ ▽鞘橋▽ ▽天守台▽より
高松シンボルタワーに夕陽を見に行きます。
ここまで読んで下さり有難うございます。
2026年6月12日 パッピー
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