2026/06/01 - 2026/06/01
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ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/06/01
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大楽寺
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熊野摩崖仏
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元宮磨崖仏
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国東半島の、八幡信仰と天台修験が融合し発達した独自の宗教文化「六郷満山文化」を今に伝える寺院、磨崖仏などを訪ねました。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:羽田空港→大分空港→泉福寺、両子寺、天念寺、福真磨崖仏、応暦寺・堂ノ迫磨崖仏(豊後高田泊)
2日目:長安寺、富貴寺、大分県立歴史博物館、龍岩寺、宇佐八幡宮(豊後高田泊)
3日目:中津城、大楽寺、熊野摩崖仏、真木大堂、元宮磨崖仏、杵築城下町→大分空港→羽田空港
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中津城から宇佐方面へ戻り、神宮近くの大楽寺にやって来ました。
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山門、元禄年間の建立です。
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【大楽寺のサイトより】 1333年、後醍醐天皇の勅願寺、宇佐神宮大宮司到津家の菩提寺として創建された。開基は宇佐八幡宮大宮司 宇佐宿祢到津公連公、開山に奈良西大寺の道密上人を招請した。
1334年、建武と年号を改めた後醍醐天皇は、宇佐神宮の神威に叡感あって鎮護国家を記念され、この時到津家の菩提寺であった大楽寺を勅願寺に定められた。
当初は西大寺末の真言律宗として九州地方における律宗の道場と定めて顕教と密教を修めていたが、後に古義真言宗東寺派に所属し、現在は高野山真言宗の包括下にある。
八幡宇佐宮 医王山大楽寺ともいうが医王山と号したのは江戸時代のことで、1717年の『豊鐘善鳴録』巻五(釈道密の項)が初見である。 恐らく本尊を薬師如来とみなしたため、そのような山号になったものと推察される。官宣旨に「慈尊の三会」と見え、本尊は当初から弥勒仏であり、現在まで引き継がれている。 -
お寺の方に連絡し、本堂の扉を開けていただきました。
仏像に近づいて拝観することや、写真撮影まで許可されていますので、平安文化の粋を存分に堪能することができます。 -
【大楽寺のサイトより】 国指定重要文化財の木造弥勒仏(如来)及両脇侍像3躯、その四方に立つ同じく国指定重要文化財の四天王立像(4躯)は、いずれも11世紀後半から12世紀(院政期)のものである。定朝様式の寄木造りであり、院派仏師の作とされている。
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木造弥勒仏と両脇侍像です。
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【現地説明板より】 桧材を使って、像の正中線で左右二つの材を寄せて造られています。浅く整えられた衣褶線や太造りの体躯など、平安時代後期に造られたと見られます。
本像のように像の中心線で左右に寄木する技法は、地方ではほとんど見られないもので、本像も畿内かそれに近い仏師により手がけられた可能性があります畿内との交流がさかんであった宇佐地域にふさわしい像といえます。 -
増長天立像です。
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増長天立像の後ろ側です。
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持国天立像です。
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多聞天立像です。
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永徳2(1382)年銘の梵鐘です。大分県最古の国産梵鐘で、県の有形文化財です。
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熊野磨崖仏の駐車場です。
案内所で入山料を支払い、杖を借りました。 -
ここから石段を登ります。
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結構距離があります。
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鳥居をくぐると、急な乱積みの石段になります。
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向かって右側に大日如来像、左側に不動明王像が浮き彫りされています。
国指定重要文化財、国指定史跡です。
地層の状況から、像が彫られているのは約9万年前に阿蘇山が大噴火した際の火砕流の層のようです。均質で軟らかく、彫りやすい岩です。この時、火砕流は九州中央部を覆い、一部は海を越え山口県秋吉台まで達し、火山灰は北海道まで達しました。大分県に磨崖仏が多いのはこのためです。 -
【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】 大日如来像の像高は約7m。頭部は両耳の後ろまで深く彫られていますが、体のひざ下の方に向かって次第に浅く刻み、膝上あたりの表現は判然としません。頭部に円光背を負い、肉髻は高く大粒の螺髪が刻まれています。遠くを見つめるような切れ長の眼、小鼻のはった大きめの鼻、強く引き結んだ口元など、いずれも鋭く力強い像容を見せています。その制作は、国東半島はもとより大分県下の磨崖仏では最も古く、11世紀頃のものと考えられています。
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歴史博物館のプロジェクションマッピングの、木の足場を架けて像を彫っている様子です。
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大日如来像の頭上には3面の種字曼荼羅が刻まれています。この地に熊野信仰が入ってくる12世紀後半頃、その守り本尊である不動明王像の造立に併せて追刻されたと思われます。
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不動明王像は像高約8mで、我が国最大級を誇ります。大日如来像に比べて浅彫りで、こちらも胴部から下の表現は判然としません。不動明王といえば、厳めしい忿怒の形相を表しますが、こちらは下膨れの頬、穏やかな口元などユーモラスな表情を持ち、親しみやすい造形となっているのが大きな特徴です。像容の形式から、大日如来像より時代が下った12世紀後半頃に制作されたと考えられています。この不動明王の左右下方には、それぞれ3mの矜羯羅・制多迦の二童子が刻まれていた痕跡がありますが、風化のために像容の判別は不明です。また、不動明王・大日如来像ともに体幹部から下を刻出しないのは、風化によるものとも思われますが、一方で当時の仏師たちが巨大な岩肌に聖なる神秘性を見出し、その中から今まさに仏が出現しようとする様子を意図的に演出したものと捉えることもできます。
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真木大堂です。
【真木大堂のサイトより】 現在、真木大堂の名で知られる馬城山伝乗寺は、大分県豊後高田市田染真木にあり、国東半島に点在する天台宗の寺院と同様に、八幡神の化身であるとされる仁聞菩薩により、718年に開基されたと伝えられています。
当時は六郷満山65ヶ寺のうち本山本寺8ヶ寺のひとつとして36坊を有した六郷満山最大の寺院として、僧達が修行に励む長講所であったと伝えられています。
江戸時代の建物である本堂とは別に、昭和40年代に新造された収蔵庫内には、平安から中世にかけて花開いた六郷満山文化の栄華を色濃く残す本尊阿弥陀如来坐像、不動明王立像、大威徳明王像、二童子立像、四天王立像の9体の平安仏が残されています。 -
収蔵庫内部です。
写真は、九州観光機構のサイトからの借用です。 -
【真木大堂のサイトより】 真木大堂の本尊である阿弥陀如来は西方浄土の主尊であり、極楽へ導いてくれる仏とされています。仏像が作られた平安時代は日本全土に末法思想が広がり、中央の有力貴族たちをはじめ人々は極楽に行けるようにと願い、信仰の対象として各地で阿弥陀如来が作られました。
像高216cm。丈六の坐像で檜材の寄木造り。左手を膝に置き右手を肘から曲げた来迎印をとっています。彩色は前面に布張りの下地を施し、肉身に漆箔、螺髪に群青、衣に朱色がみとめられます。現在も随所に金箔の跡が確認できます。彫りが浅く、流麗な衣文には11世紀後半の定朝様式がみとめられますが、肩幅広く厚みある体躯、やや面長できりりと結んだ唇などには定朝以前の古い様式もみられます。
木造四天王立像
持国天 像高161cm。文字通り「国を支える」守護神として東方に立ちます。顔を左下方にうつむかせ、腰を右にひねって胸前の両手で持物を握ります。
増長天 像高158cm。サンスクリット語では「増長、増大した者」とされる五穀豊穣を司る守護神で南方に立ちます。顔を右下方に向け、左手を大きく振り上げて持物を握ります。
広目天 像高166cm。「尋常でない、特殊な眼(=千里眼)を持つ」守護神で西方に立ちます。冑をかぶらず結髪し、炎髪を立てて正面を向き、右手を上げて持物を握ります。
多聞天 像高162cm。「数多くの説法を聞く」守護神で北方に立ちます。独尊で祀られることも多く、その場合は“毘沙門天”と名を変えます。日本独自の信仰では七福神 の中の一体であり、財宝・蓄財の神とされています。顔をやや左下方に向け、腰をひねり、左手掌にのせた持物をにらみます。 -
【真木大堂のサイトより】 木造不動明王立像
像高255cmで榧の寄木造り。頭髪は巻髪で弁髪を左肩に垂らし、右眼を上、左眼を下に向けた天地眼と唇から上下に出した牙は忿怒相を表しています。右手に利剣を持ち、左手には分銅のついた羂索を執り、背後に勇壮な迦楼羅焔を背負い岩坐に立ちます。迦楼羅は金色の翼を持つ想像上の大鳥で、口から火を吐き、竜を好んで食べるとされています。木彫不動としては日本一の大きさとも言われています。
二童子立像
制多迦童子 像高130cmで檜材の寄木造り。口を引き結び眼を伏せた厳しい表情で、こん棒を持った右手に左手を添えています。
矜羯羅童子 像高127cmで檜材の寄木造り。正面を向き、眼を見開いて合掌するやさしい姿です。 -
【真木大堂のサイトより】 木造大威徳明王像
像高241cm。本地は阿弥陀如来で、西方を守護して、人々を害する毒蛇・悪竜や怨敵を制服する明王で、六面六臂六足の忿怒相で、中央の手は中指を立てて合わせる檀陀印を結び、神の使いである白い水牛に跨っています。梵名の“ヤマーンタカ”は死の神ヤマ(=閻魔)をも倒す意味であり“降閻魔尊”との呼び名もあります。古くより戦勝祈願の本尊として信仰されており、その名が示す通り大いなる威徳を持つ明王とされています。頭、体の主要部分は樟材、手足部は檜材で造られており、大威徳明王としては国内最大のものとなります。平安の華やかな国東半島の仏教文化を象徴する仏像です。 -
真木大堂から2km弱、元宮磨崖仏です。
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【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】 田染・元宮八幡社の境内北側の岩壁に、向かって右から毘沙門天・矜羯羅童子・不動明王・持国天・地蔵菩薩の各立像が薄肉彫りされています。中でも不動明王の脇侍として右側に従う矜羯羅童子の合掌して仰ぎ見る姿は愛らしく見えます。左側には制多迦童子が刻まれていたとされますが、現在はその痕跡もありません。中央の不動明王が一番大きく彫られており、像高は207cmあります。一方、左端に一際小さく表されている地蔵菩薩は像高134cmで、この像だけは後の時代の追刻といわれています。なお、当初のものかは不明ですが、磨崖仏の仏龕の周囲には四角形のホゾ穴がいくつか穿たれており、かつては磨崖仏を風雨から守るための覆屋が建てられていたことを窺わせます。
不動三尊に四天王のうちの二尊が脇を固めて、地蔵菩薩が添えられる尊像配置の意味するところは不明です。しかし、隣接する元宮八幡社との関係でみると、八幡神をとりまく諸々の神様の「本地仏」を表したものとも考えられています。各像とも顔つきはシャープで、写実味のある鎌倉彫刻の雰囲気を残しており、制作年代としては南北朝時代につくられたと考えられています。平安時代後期、宇佐宮領・田染荘の鎮守として勧請された元宮八幡社が、 田染荘の拡大発展とともに田染二宮、 三宮と分祀されたのが1351年(観応2) と伝わることから、 元宮磨崖仏がこの頃につくられたとしても、 時代的に不自然さは無いものと思われます。 -
毘沙門天立像です。
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不動明王立像と矜羯羅童子像です。
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持国天立像です。
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地蔵菩薩立像です。
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