2026/05/30 - 2026/05/31
139位(同エリア352件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/05/30
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羽田空港8:05-(JAL)-9:45大分空港
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泉福寺
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両子寺
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天念寺
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福真磨崖仏
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応暦寺・堂ノ迫磨崖仏
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HOTEL AZ 大分豊後高田店
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この旅行記スケジュールを元に
国東半島の、八幡信仰と天台修験が融合し発達した独自の宗教文化「六郷満山文化」を今に伝える寺院、磨崖仏などを訪ねました。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:羽田空港→大分空港→泉福寺、両子寺、天念寺、福真磨崖仏、応暦寺・堂ノ迫磨崖仏(豊後高田泊)
2日目:長安寺、富貴寺、大分県立歴史博物館、龍岩寺、宇佐神宮(豊後高田泊)
3日目:中津城、大楽寺、熊野摩崖仏、真木大堂、元宮磨崖仏、杵築城下町→大分空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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羽田発8:05のJAL便で、9:45に大分空港に到着しました。
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空港近くのタイムズでレンタカーを借りました。送迎も頼めますが、近いので店舗まで歩いて行きました。
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「車種おまかせ」で申し込んでいたのですが、日産ルークス(Sハイブリッド)をレンタルすることができました。
Sハイブリッドでは、基本的にエンジンが常に車を駆動させますが、加速時にモーターがエンジンをアシストし、減速やブレーキング時には回生ブレーキとして電力を回収します。これにより、燃料消費が抑えられるとともに、加速性に優れ、エアコン使用時でも山道を無理なく上れました。 -
※ 図は、九州歴史資料館「豊後くにさき長安寺」から借用。
【Wikipediaより】 国東半島には、中央にそびえる両子山から放射状に伸びる谷筋に沿って、武蔵、来縄、国東、田染、安岐、伊美の6つの郷が開け、六郷と呼ばれていた。また、国東半島の寺院群は、学問をするため本山、修行をするための中山、布教をするための末山の3つの群に分けられ、これらは合わせて満山と呼ばれていた。このことから、国東半島の寺院を総称して六郷満山と呼ぶようになった。
八幡信仰と天台修験が融合し発達した国東半島独自の宗教文化を六郷満山文化という。国東半島の大部分が宇佐八幡の荘園だった奈良・平安時代に八幡宮や神仏習合の六郷満山寺院が多数建造されて特異な宗教文化が生まれ、平安末期には国東半島だけで約1000の伽藍があったという。その後時代が下るにつれ、鎌倉仏教系、禅宗系、浄土真宗系寺院への転向や建立がなされ、独特の伝統行事や習俗文化が育まれ、今に引き継がれている。国宝の富貴寺大堂に代表される平安建築や、熊野磨崖仏をはじめ、六郷満山文化が最盛期だった平安時代の古仏や石窟など石造美術も多く遺る。 -
最初に訪れたのは泉福寺です。
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※図は、国東市のサイトから借用です。
【現地説明板より】妙徳山泉福寺は、1375年に田原氏能の母・無伝尼公が発願し、無著妙融(1333~1393年)を開山として創建された曹洞宗寺院です。曹洞宗は禅宗の一つで、道元が中国に渡り天童寺で曹洞宗の長翁如浄に師事し、1226年に帰国して日本に伝えました。本山は永平寺(福井県)と総持寺(神奈川県)です。当寺院の本山は総持寺です。
諸記録を19世紀に編纂した「泉福寺源燈録」によると、水のある場所に寺地を定めようとしていた開山無著の前に、手に如意を持った文殊菩薩の化身である童子があらわれ、地面を指し「水あり」と言って消えたので、その場所に杖をさすと、たちまち泉(文殊泉)が湧いたといいます。文殊菩薩の漢訳名は「妙徳」であり、当寺院の山号になっています。
寺地は丘陵の南斜面にあり、南から階段状に惣門・山門(県有形文化財)・仏殿(国重要文化財)・客殿(本堂*現在はさらに一段高い位置に再建)を軸線上に配し、西に禅堂(座禅堂)と衆寮(現在は位牌堂)、東に開山堂(国重要文化財)と昭堂などが建つ本格的な禅宗様伽藍です。
無著が没した1393年以後、泉福寺の住持は「十六哲」と呼ばれる十六名の無著の弟子によって担われました。その後も、歴代住持は無著の法系を受け継ぐ弟子たちが務め、近世まで原則1年の任期でした。無著の法系を受け継ぐ弟子たちが開山となった寺院は、九州だけでなく全国に広がっています。 -
【現地説明板より】山門は、禅宗様の山門です。大きさは桁行三間、梁間二間ですが、石造仁王像を安置する初層の両脇間は小さく、桁行の長さが制御されています。屋根は桟瓦葺の入母屋造りですが、古い写真では茅葺となっています。
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初層の軒は平行垂木で、斗きょうも和洋ですが、二層の軒は扇垂木で、禅宗様の斗きょうです。下を和様、上を禅宗様としているところが建築上の特徴です。二層には木造の地蔵菩薩立像と十六羅漢像を安置しています。
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仏殿、国指定重要文化財です。
【現地説明板より】仏殿は、1524年の建立です。室町時代にさかのぼる本格的な禅宗様仏殿の数少ない遺構であり、九州最古の仏殿です。1692~94年にかけて大修理が行われているものの、巧みに中世の建築様式を継承しており、禅宗様の建築様式の伝播や普及を考えるうえで大変重要な木造建築物です。 -
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開山堂、国指定重要文化財です。
【現地説明板より】開山堂は、1394年の創建です。1636年に大修理を受けていますが、ほっそりとした木割りなど、室町時代の手法を色濃く残しており、切妻・妻入の造りは、禅宗様の開山堂の簡潔な姿を今に伝えています。 -
禅宗様の特徴の一つ「弓欄間」が用いられています。
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交差部分の木鼻には繰形が施され、渦巻紋様(絵様)が彫刻されています。華やかさの演出で、これも禅宗様の特徴の一つです。
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両子寺にやって来ました。
※図は、国東市のサイトから借用です。
【Wikipediaより】718年に仁聞菩薩によって開創されたと伝えられる六郷満山の中山本寺で、修行の中心地として栄えた。江戸時代には杵築藩の最高祈願所となり、六郷満山の総持院として満山を統括する立場にあった。
山門に続く石段の両脇には、江戸後期の作とされる国東半島最大級(総高245cm、像高230cm)の石造の金剛力士像が立っている。境内は瀬戸内海国立公園内に位置し、その森は森林浴の森100選にも選定されている。 -
駐車場から参道の石段を下り、無明橋の手前から再スタートします。
この橋は「橋の下に観音をまつり、不信心者もこの橋を渡れば信仰心が湧き、牛馬が通れば落橋するという」のだそうです。 -
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【現地説明板より】石造仁王は全国に分布しているものの、その数は大分県が圧倒的に多く、中でも国東半島には、130を超える仁王が確認されている。寺域や仏像、神社の守護を目的として造られた仁王は、鎌倉時代から造られ始め、安土桃山時代に最盛期を迎える。しかし、江戸時代の後半になると仁王は村全体、個人の信仰の対象として造立、奉納されることが多くなる。
両子寺の仁王は大型で容相もいかめしく、天衣や裳の表現にも優れている。阿形像左手に持つ金剛杵は肩上に構え、右手は腰の位置で拳にする。吽形像右手は片下掌を前に開き、左手は腰の位置で拳にする。両像とも腹をやや突出し、胸骨や筋肉の表現には力強さが感じられ、国東半島を代表する仁王像である。
銘はなく、寺の伝えによると1814年の作といわれ、総高245cm(阿形)、像高230cm(吽形)石材は角閃安山岩である。 -
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素晴らしい新緑です。紅葉もたいへん美しいそうです。
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大講堂です。
【現地説明板より】このお堂は平成三年九月再建す。
十米四方宝形造り(五間四角)銅板葺 通称大講堂は仏法の教義宣布僧侶の教学論議の道場であるが、国東の場合は正月行事である修正鬼会の儀式のお堂となっている。 -
※ 写真は、両子寺のパンフレットからの借用です。
本尊は阿弥陀三尊で中央の阿弥陀如来像は、鎌倉末期の作で、講堂再建にあたり京都の仏師によって解体修理を行い脇侍の観音・勢至の両菩薩は京都で新刻した。 -
※ 写真は、両子寺のパンフレットからの借用です。
三尊仏の後方の壁画(265×170㎝)は高野山有志八幡講秘藏国宝阿弥陀聖衆来迎三幅(平安期)を前衛画家風倉匠師が一年有余の日を費して書いた。内陣裏には釈迦三尊をまつり両脇に天台智者・伝教両祖師像を安置し、当山檀徒の霊牌を奉安してある。 -
奥ノ院への石段の途中に「両子寺崖上国東塔(両子寺国東塔二号)」があります。
【現地説明板より】年代 十四世紀中頃 (南北朝中期)
国東半島独特の特徴をもつ国東塔は納経、供養、逆修また墓標として建立された。この塔は塔身の首部に穴があり、塔身の下に蓮華座や反花よりなる台座があること等が他の宝塔と比べると異なる。
両子寺崖上国東塔は、基礎が三重で三重目には各面二ヶ格狭間を入れている。その上には下向きの蓮華台座があり、塔身は石造国東塔(両子寺国東塔第一号)に比べ丸みを帯びる。
総高は二〇七㎝で、石材は角閃安山岩である。 -
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奥ノ院です。1846年の建築で、本尊の千手観音立像、両子大権現(男・女二天童子像)、宇佐八幡神像、仁聞菩薩像が祀られています。
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本尊の千手観音立像です。写真は両子寺のサイトからの借用です。
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奥ノ院本堂の裏には洞窟があり、不老長寿の霊水が湧出しているとのことです。
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奥ノ院本堂の後部が洞窟に入り込んでいます。
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反対側にも、洞窟への出入り口が設けられています。
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奥ノ院を出て右方へ下ると「石造国東塔(両子寺国東塔一号、県指定有形文化財)」があります。
【現地案内板より】年代 鎌倉時代後半
国東半島独特の特徴をもつ宝塔を国東塔と呼ぶが、この呼び名は天沼俊一博士が名付けて以来、愛称され続けている。
通常の宝塔と異なるこの石造国東塔は、基壇が三重で、三段目には格狭が沈刻されている。台座は反花のみで複弁である。塔身は長胴形で、最大径はほぼ中央に位置している。首部より肩部にかけ十mほどの穴があり、これは経巻を納めたものと思われる。相輪は露盤と一石につくられ、九輪の二輪目より上は復元したものである。
塔身中央部には「奉納如法書写一乗妙法蓮花経」の銘が刻まれており、この国東塔が納経祈願のため建立されたことがうかがえる。
石材は角関安山岩で、高さは四・五mである。 -
護摩堂、明治25年の再建です。本尊の不動明王、観音菩薩、阿弥陀如来、毘沙門天、歓喜天が祀られています。
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本尊の不動明王像(鎌倉時代作)です。写真は両子寺のサイトからの借用です。
護摩堂が改修工事中のため、他の建物に祀られていました。 -
次に訪れたのは、天念寺です。
最初に、鬼会の里歴史資料館を見学しました。 -
駐車場から、遠くに無明橋を見ることができます。
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この写真は、ぶんごたかだ文化財ライブラリーからの借用です。
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※写真は、鬼会の里歴史資料館のサイトからの借用、以下同様です。
資料館では、修正鬼会の映像、「木造阿弥陀如来立像(国指定重要文化財)」などの平安仏、無明橋の実物大レプリカなどを見ることができます。
また、無明橋の上から上下左右360°の恐怖映像をVRゴーグルで体感することができます。 -
シアターで、毎年旧暦1月7日に行われる「天念寺修正鬼会」の映像を見ました。
【六郷満山日本遺産推進協議会のサイトより】 黒い荒鬼と、赤い災払鬼が登場する天念寺の鬼は、不動明王・愛染明王の化身であると伝えられている。「ホーレンショーヨ、ソラオンニワヨ」の掛け声とともに、鬼達はたいまつを振るう。咽ぶような煙が充満し、火の粉が飛び散るが、堂内には笑い声が響いている。法力を込めたたいまつで、尻や背を打たれる御加持を受ければ、一年間の無病息災・五穀豊穣などが約束されるという。 -
【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】木造阿弥陀如来立像
本像は、かつて天念寺の北側に位置する岩屋の一つである小両子岩屋に安置されていました。1941年の水害で流出した天念寺諸堂再建のため、1961年に一時売却されましたが、1997年豊後高田市が県の補助を受けて買い戻し、無事に “里帰り”した経緯があります。像高198㎝の巨像で、両手先を除く像全体を榧の一木から彫り出しており、後頭部と背中から大きく内刳りを施しています。大粒の螺髪、上瞼を厚くして伏し目を強調した面相、Y字状に浅く彫られた衣文の表現などに古様を留めています。一方で、腹部の肉付きや、薄く表現された身体の厚みは制作年代の新しさを示しており、本像は12世紀初め頃に在地仏師の手によって造られたと考えられます。現在は天念寺に隣接する「鬼会の里歴史資料館」で展示されています。
また、天念寺にはこの他にも釈迦如来坐像、日光・月光菩薩立像、勢至菩薩立像、吉祥天立像の平安仏が残されており、いずれも一木造で12世紀に造られたとみられます。制作年代が集中するこの時期に天念寺は一つの画期を迎え、仏像を安置するための伽藍の整備・造営が進んだことを示しています。 -
天念寺無明橋[国名勝]の実物大模型です。
【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】長岩屋の天念寺は、国東半島に開かれた寺院群 「六郷満山」の中でも、古くから修行の寺として栄えました。天念寺の背後に高くそびえる岩山と、尾根に架かる「無明橋」は、六郷満山の僧侶たちによって約10年に1度行われる山岳修行「峯入り」の行程の中でも、最大の難所として知られています。無明橋は橋長約5.7m、橋幅約1.2mの石造単一アーチ橋で、大正時代に木造橋から、現在の石橋に架け替えられたとされています。なお、橋の名にある「無明」とは仏教の言葉で「迷い」のこと。したがって、心に迷いのある人や、仏への信心がない人が橋を渡ろうとすると、 落ちてしまうと伝えられています。 -
ここでは、食事をすることもできます。
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つなぎ粉を使わずにそば粉だけで仕上げた「十割そば」です。
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【現地説明板より】 六郷満山中山本寺の一つであるこの寺は、かつては十二の院及び坊で構成されていました。現在は本堂、講堂など僅かな建物しか残っていませんが、境内には多くの文化財が点在しています。本尊には平安時代末期の作で、県有形文化財に指定される釈迦如来坐像が安置されており、前を流れる長岩屋川には、大岩に不動明王と二童子が刻まれています。
また、この寺は修正会が行われる寺として知られ、旧正月七日の夜に近隣の六郷山寺院から集まった僧侶たちの読経に始まり、講堂では松明を持った鬼が勇壮な法舞を行ないます。 -
高さ3.23メートルの不動明王と2童子『制多迦童子 矜羯羅童子』 が彫られています。水害防除の願いをこめて造られたと言われています。
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修正鬼会が行われる講堂です。
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【現地説明板より】「天念寺修正鬼会」は、国東半島六郷満山に千年前から伝わる大宗教典儀であり、毎年旧正月七日に、国家安・無病息災・五穀などを祈念して行われる。宗教的な大法要であるとともに、一般参詣者も参加できる庶民的な行事であり、各地にもある修正会とは趣が異なる。 国東半島では、修正会との火祭りとが一つの法会として行われているのが特徴で、修正会の厳しい儀式とともに、鈴鬼や羗鬼など仏の化身が登場し、動行と立役とが組み合わされている。
国東半島の修正鬼会は、天念寺が毎年旧正月七日、岩戸寺(旧正月七日)と成仏寺(旧正月五日)が隔年交代年代で開催されている。天念寺では五間四面の講堂内で行われるのに対し、岩戸寺・成仏寺では寺院から出かけて部落の家々を祈祷してまわる。行事は古来、夜を徹して行われてきたが、最近では昼間に勤行を済まし、夜になって立役が行われるようになった。
天念寺修正会は、午後三時頃から講堂で、修正鬼会式六巻による法会(読経など)が約三時間半続き、午後七時頃の大松明点火から立役が始められる。立役のなかで、「災払い鬼」である、斧を持った赤鬼は六郷満山を開いたと伝えられる仁聞菩薩あるいは愛染明王の化身であり、「羗鬼」である剣を持った黒鬼は宇佐の虚空蔵寺を開いた法達又は不動明王の化身として登場する。「ソラオンニワヨ ホーレンショウヨ」の掛け声は、「其レ鬼会ハ 法速ノ称揚ナルゾ」の意味であると言われ、鬼は仏であり、祖先に会い楽しく過ごす行事として継承されてきた。
立役では、「鬼の目撒き」という、鬼の目に見立てた大きな餅を参詣者が激しく取り合い、鬼は小松明で餅を持つ者を叩く。講堂内は、逃げ回る人々と火の粉や煙が立ちこめ、行事は最高潮を迎える。最後には、一年間の無病息災を祈り、全参詣者が加持 (鬼に松明で肩や背中を叩かれる)を受け、お供えの餅撒きがあり、午後十一時頃にはすべての行事が終わる。
「天念寺修正鬼会」は、昭和五十二年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。 -
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神仏習合のため、身濯神社と一体になっています。
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福真磨崖仏への入口は道路に面しています。車は道路脇に駐めました。
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この柵は、野生動物が農地に侵入することを防ぐためのものです。
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鳥居をくぐり、
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石段を上ります。
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【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】豊後高田市下黒土に所在し、 真玉川南岸の小高い岩場の崖面に東面して磨崖仏は刻まれています。 磨崖仏のある場所から更に石段を登ると、「四王権現」と呼ばれる小堂があり、この場所が平安時代末期~鎌倉時代前期頃まで本尊・四天王像を安置した有住の寺院として機能していたと考えられています。このような古くからの祈りの空間として認識されていた場所に、 福真磨崖仏は造顕されました。
大日如来坐像を中心に置き、 その四方に4体の如来坐像 (阿閦(東方)・宝生 (南方)・阿弥陀(西方)・不空成就 (北方)) を配して、「五智如来 (金剛界五仏)」を構成しています。 五智如来の右面には、上下2段に各3体ずつで6体の観音坐像が、左面にも上下2段に各3体ずつで6体の地蔵坐像が彫刻されています。 さらに左端には毘沙門天、右端には不動明王が彫られており、真ん中に鎮座する仏様たちを守護する“ガードマン” の役割を担っています。
福真磨崖仏には合計19体もの仏像が彫刻されており、いずれも薄肉彫から半肉彫の小像ですが、 緻密でシャープな彫り口の一方、 やや萎縮した造形感覚に鎌倉時代後半~末期にかけての造顕を思わせます。 五智如来に六観音と六地蔵を組み合わせる図像に、 密教の理念と六道思想の影響がみられるとともに、 左右端に脇侍として毘沙門天・不動明王を配する点に、天台系の影響を感じさせます。
磨崖仏を風雨から守るため、 外側に屋根をかけた保護設備を「覆屋」と呼びます。 福真磨崖仏には横幅約4.7m、奥行約1.3~1.5m、高さ約2mで、 柱・腰壁・桁・葺石・鬼板などの各部材を噛み合わせて建てられた総石造の覆屋が存在します。
石造でありながら、 木造建築を強く意識した構造・意匠となっており、この特異な石造覆屋については管見の限り、福真磨崖仏以外に類例を確認できていません。覆屋の造立については江戸時代末期の1857年(安政4) に、 地元の真玉・大岩屋出身の石工である安藤源平国恒と、その弟子・鴛海東八によってつくられたことが、覆屋正面右側の腰板石に刻まれています。 -
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胎蔵界曼荼羅です。
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不動明王です。
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六観音坐像です。代表的な六観音は以下のとおりです。
聖観音:地獄道の衆生を救う、千手観音:餓鬼道の衆生を救う、馬頭観音:畜生道の衆生を救う、十一面観音:修羅道の衆生を救う、准胝観音または不空羂索観音:人間道の衆生を救う、如意輪観音:天道の衆生を救う -
金剛界五仏坐像です。
大日如来坐像を中心に置き、その四方に4体の如来坐像 (阿閦(東方)・宝生 (南方)・阿弥陀(西方)・不空成就 (北方)) を配しています。 -
六地蔵坐像です。六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)それぞれに対応して祀られた地蔵菩薩です。
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毘沙門天です。
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応歴寺です。
【豊後高田市のサイトより】六郷満山中山本寺の一つで、仁聞菩薩の開基とされています。本堂には榧の木の一本彫りで刻まれた平安時代の仏像である不動明王が祀られています。江戸時代末期に廃寺寸前まで衰退しましたが、両子寺の僧侶により再興しました。
豊後高田市は仁王像の分布が日本一と言われています。中でも、ここ応暦寺にある仁王像は、豊後高田市のふるさとCMにも出演しました。 -
堂ノ迫磨崖仏を目指して山道を登ります。
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【ぶんごたかだ文化財ライブラリーより】応暦寺の境内から、奥の院に向かって山道を250mほど登ったところに堂ノ迫磨崖仏はあります。六観音と六地蔵に閻魔・司録を組み合わせる尊像配置は、いわゆる「六道思想」に基づいたものと思われます。これに夫婦とみられる僧形と女人の坐像(=比丘・比丘尼像)が加わっています。恐らく、この磨崖仏の願主とみられ、逆修(=生前供養)の趣意から造顕されたものと考えられています。室町時代前半の15世紀頃に造られたと思われ、六観音と六地蔵を対比させる構成は、近在する福真磨崖仏の影響を受けているともみられています。なお、磨崖仏が造られた当時の応暦寺は、末寺末坊25ヶ所を抱える六郷山中山分の中核的寺院として存在したことが知られています。
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宿泊先は、「HOTEL AZ 大分豊後高田店」です。
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夕食は、ホテルの近くの「焼肉食道園」。安くて美味しかったです。
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翌日の朝食はホテルのビュッフェです。
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