2026/06/01 - 2026/06/01
-位(同エリア677件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/06/01
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車での移動
レンタカー
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中津城
この旅行記スケジュールを元に
【Wikipediaより】1587年、黒田孝高(如水)が、豊臣秀吉より豊前国6郡12万3千石を与えられ、馬ヶ岳城に入城。翌年、領地の中心である山国川河口に中津城の築城を始めました。
1600年、黒田家は関ヶ原の戦いで東軍につき、中津城から西軍の所領を攻めました。
黒田長政は戦功により筑前52万石に加増・転封となり、細川忠興が豊前、豊後2郡39万9千石で入封。中津城を居城とし、大修築を開始しました。
1602年、忠興は小倉城に居城を移し、その二男、三男などが中津城の城主を務めました。
1621年、扇形の縄張りに拡張され、中津城が完成しました。
1632年、細川家の熊本藩転封に伴い、小笠原長次が8万石で入封。以後、中津城は中津藩主の居城となりました。
1717年、奥平昌成が10万石で入封。明治維新まで奥平家の居城となりました。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:羽田空港→大分空港→泉福寺、両子寺、天念寺、福真磨崖仏、応暦寺・堂ノ迫磨崖仏(豊後高田泊)
2日目:長安寺、富貴寺、大分県立歴史博物館、龍岩寺、宇佐八幡宮(豊後高田泊)
3日目:中津城、大楽寺、熊野摩崖仏、真木大堂、元宮磨崖仏、杵築城下町→大分空港→羽田空港
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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豊後高田のホテルをチェックアウトして、中津城にやって来ました。
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駐車場に車を停め、「黒田の石垣」を見に行きます。
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【現地説明板より】 黒田が持ち込んだ古代山城の石
黒田時代の石垣は四角に加工された石が使用されています。黒田氏が中津城築城をはじめた1588年当時は石垣には未加工の自然石を用います。しかし、ここではほとんどが四角に加工した石でられています。これは川上の福県上毛町にある古代 (7世紀)の遺跡 「唐原山城」(国指定史跡、旧唐原神龍石)から持ち出された石で、直方体の一辺が断面L字型に削られているのが特徴です。川沿いの石垣は多く用いられています。
黒田時代、お城の横の川が山国川(当時高瀬川本流で、現在三角州の小祝は福岡県側と地続きでした。しかし、大洪水がおき、小犬丸と小祝の間が切れ小祝が三角州となると、その後度重なる洪水で中津城様の川は土砂で浅くなり、山国(中津川) の支流となりました。
まだ川底が深かった時代、黒田は川上の遺跡から古代に加工された石を持ちだし、川を下らせ石垣に使用したのでしょう。 -
「唐原山城」は、「朝鮮式山城」のひとつです。
663年の白村江の戦いでの敗北後に、唐・新羅からの侵攻に備えて百済将軍の指導の下で、九州から近畿にかけて多数の堅固な山城が築かれました。 -
7世紀の石を再利用したとは思えない立派さです。
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写真の右側は黒田如水時代の石垣で、左側の石垣は細川忠興時代のものです。
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境目がはっきり分かります。
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天守です。1964年に観光開発を目的として、城跡の目立つ場所に建設された模擬天守であるにもかかわらずこれほど美しい姿をしているのは、明治時代に撮影された写真が残っている山口県の萩城を引き写したためです。
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左は萩城天守の古写真です。
萩城天守は、1608年に毛利輝元により建てられた白亜五層五階の望楼型天守です。
萩城は関ヶ原の戦いの後に建設されたもので、外壁を白漆喰で仕上げた徳川風のデザインですが、この模擬天守は黒田如水が建てたという時代想定を踏まえて、外壁の表層を豊臣風の黒色下見板張りとしています。 -
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椎木門跡の石垣です。
細川時代以降の改修で積み直されたものですが、黒田時代に古代の山城から運ばれた直方体の石も再々利用されています。 -
現地の説明板です。
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旅行記グループ 国東半島、宇佐、中津
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