那覇旅行記(ブログ) 一覧に戻る
《2026.June》あみんちゅ81回目のTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅そのⅠ~沖縄アプローチ編~<br /><br />戦後81年を迎える令和8(2026)年も6月を迎え、恒例となっている6月23日沖縄慰霊の日を沖縄で迎える日が近づいて来た。初めて慰霊の日を沖縄で過ごしたのは平成17(2025)年のことなので、本来ならば12回目ということになるはずだが、コロナ禍の外出自粛の影響で3年間のブランクがあったために、9回目となる。当初の想いは10回の予定であったが、先述の理由により少しズレている。ならばその分を足して…と考えてはいたものの、体力の低下が予想以上に激しくなっていることに気付く。加えて例年ならばある程度沖縄行きの前後に余裕を持たせて望んでいたのだが、そんなことも許されないようだ。旅立ち前4勤、5日の旅行期間を挟んで4勤・1休・4勤は流石にキツい。取り敢えず勤務が無茶苦茶なので6月17日~7月4日という長丁場で物事を考えなくてはならないとなると流石に休みも萎えてくる。しかし行かなければ日々の繰り返しになるため、気分を切り替えて当日の朝を迎えた。台風7号の影響を受けるかも知れない…そんな想いを抱えた沖縄旅が始まる。<br /><br />令和8(2026)年6月21日日曜日<br />今回はANAの割引運賃やマイル利用の制限からJALを利用する。そんな理由もあるが、先ずまともに休ませて貰えるかどうかから考えなければならなかった。なんとか休みは貰えたがかなり負担は増えた。複雑な心境で朝を迎え、予定通りにバスに乗る。<br /><br />因みに現在私が住んでいるエリアのバス運行は、本年3月1日を以て京阪バスから江若交通に移管された。以前からも委託運行であったが、バスの減便や廃止、料金値上げが重なり使いづらくなった。勿論全国的に言われているドライバー不足は分かっていても、今迄そう影響を受けなかったエリア故にプランニングの際に気を付けないとバスが〝来ない〟ことに繋がりかねない。よってその辺りを最初に考慮して立てた予定に基づいている。11:35のバスは従来とコースと所要時間を変え、なんとか駅前に遅れずに到着。その余裕を持ち越すべくJRを利用して京都に至り、リムジンバス乗場に到着できる時間の目処が付いた時点で一服する。<br /><br />その後リムジンバスも殆ど待ち時間なく乗り込み、空港には20分+早着分早く到着することが出来た。沖縄へはA359で運航されるJAL2087便を利用する。この時期では珍しく満席のようだ。加えて私は〝A〟席をアサインすることが常となっている。別に景色を見たいとかではなく、首を左に倒して〝寝られる〟からである。いつもならばそのアサインが出来なければチケットは取らない筈なのである。しかしどうやらボケていて失念してしまったらしく、気が付いた時には既にA席は埋まっていた…。取り敢えずシートポジションを考えて押さえてはいたが、数日前に〝1席〟空いていることに気付き、そそくさと予約変更する。これで最低限の移動は整った(笑)。<br /><br />時間的な余裕はあるので暫く空港付近をブラついた後、取り敢えずセキュリティを通過。15番ゲート付近に屯する。いつもの身分差別を受けながら搭乗し、58A席に陣取る。その後は時間通りに進んで行き、定刻の出発で一路那覇へと向かって飛んで行った。台風が近付いているとは思えない好天でフライトは進む。お茶を頂きながらはると来た奄美上空を進んで行く。はるともう一回飛行機に乗れるかなぁ~と思いながら。<br /><br />奄美上空を抜けると1時間位だっけか…と思うのも束の間、30分程で那覇空港に無事着陸。6月9回目となる来沖が叶った瞬間である。<br /><br />急いでも下りられないのでのんびりと進んで降機。荷物のピックアップへと進む。そう言えば持ってきている〝ショッキングピンク〟のボストンバックって、竹富島でファスナーが壊れて急遽購入したものだと思い出す。平成16(2014)年7月のことだから11年前…。荒っぽい使い方ばかりしているが、いつもターンテーブルでは〝my bag〟と存在感を示してくれている。これからもお世話になるネ!という訳で荷物を無事にピックアップして、旅客ターミナルへと出て行く。一服タイムを取った後レンタカー待合い〝11-B〟を目指す。今回利用するのはアップルレンタカーベイサイド店。今迄2回利用したのは那覇空港店で場所が違う。送迎車の中で聞いたところ〝軽自動車専門〟がベイサイド店になったらしい。どうりで私の検索結果には出てこない筈だった。<br /><br />そのようなやり取りの後営業所に到着。手続きを済ませて今回の沖縄の足となる〝SPACIA Custom〟クンと出会い、早速沖縄の旅を始めることにする。<br /><br />今回は那覇への到着も遅く、翌日も早いために早めに宿入りしようと考えていたのだが、出発前に一件気になる情報を掴んだために、その確認をしようと那覇市街を走る。ただスマホナビを使ってもなかなか難しいルートで、あちこちで迷う。一息つくために宝口公園に立ち寄る。再び首里の街中を走るが〝ココ〟という場所には見当たらない…。これは車では辿り着けないと気持ちを切り替え、近くのコインパーキングに車を停めて、徒歩で調べることにする。この辺りβ版のグーグルさんはあてにはできないのだが、それでも何とかそれっぽい場所を指し示してくれ、何とか目的地に辿り着くことができた。辿り着いた場所は〝沖縄県立女子工芸学校・首里高等女学校跡地〟とある。首里界隈の旧制高女跡地として訪問候補に挙げてはいたが、場所が分かり辛く、今まで未訪問となっていた場所である。その場所を思い出したかのように今回夕暮れ時に訪れたのかは、本年5月に糸満市米須にあった〝ずゐせんの塔〟を学校跡地に移設したというニュースを知ったからである。何度か訪れているずゐせんの塔ではあったが、学校跡地は訪れてはいないので、今回の訪問を考えた次第である。記憶にあるずゐせんの塔と比較すると、風雨の影響だろう校章の色も剥げていた。しかし記憶に残っている文字には違いない。同窓会が高齢化により解散し、慰霊祭を続けることが困難だということは、他の学徒隊と何ら変わりはない。塔の管理は今後沖縄県立第一中学校を継承する沖縄県立首里高等学校同窓会組織である〝養秀同窓会〟が引き継ぐとのこと。ある意味こちらの選択の方が良かったのかも…と思いながら、塔に手を合わせて学校跡地を出発する。<br /><br />19:30となると遥か西方の沖縄でも暗くなってくる。そんな中をそろそろと思いながら糸満の宿へと向かって走って行く。途中雨乞嶽展望台に立ち寄ってひと息つく。ここがどんな場所だとかを知るにはまた改めて。夕闇に染まる首里城のシルエットが素晴らしかった。再建されるものに期待したいと思う…。<br /><br />首里を後にして本日の宿泊先である糸満へと向かうことにする。20km程の距離をナビが示すままの道を進んで行くが、このルートは逆方向も含め幾度も走っているので何となくはわかる。取り敢えずは具志頭を目指し、国道331号線を右折した場所にあるローソン八重瀬玻名城店に立ち寄り、飲み物を購入してひと息入れる。再び走り出し、ふと確認したいことを思い出し沖縄県営平和祈念公園に立ち寄る。慰霊の日当日は駐車できないのだが、前々日ならば夜に訪れる者など殆どいなかった。<br /><br />6月22・23日の夜は慰霊の日前後夜祭が行われるのだが、式典会場の設営はいつからはじまるのか?という素朴な疑問を持ったことがその理由である。結論付けて言うと21日夜には既に始まっており、入口にガードマンが張り付いている。あたりは既に暗く、園内迄入って確認したい訳でもない。ただガードマンを配置しないと設営に影響が出ると考えると…自ずとその様子が浮かび上がってくる。まぁ年々VIP優先の傾向が高まっていることを考えれば、期待をするまでもない…。そんな風に思えたのでそれ以上滞在する必要もなく車へと戻って来た。<br /><br />これで初日の立ち寄り地を回り切り、一年ぶりとなる本日の宿みん宿ヤポネシアへと向かう。距離にして2km、5分程で到着したみん宿ヤポネシア。昨年の相部屋の話に加えて、来沖の日取りなかなか決まらなかったこともあり、今回からは22日ではなく21日にお世話になることにした。<br /><br />確か今回で11回目の宿泊となる筈のみん宿ヤポネシア。本島に定期的に来るようになったことがきっかけで利用するようになった。いつもとは言わないが、ここを訪れる宿泊客は、この〝慰霊の日〟辺りに限って言うならば〝濃い〟人ばかりである。今年の場合は一人や少人数グループの〝お姉さま〟方であった。私は基本〝平和論議〟には加わらない主義なので、意見を求められた時のみ発言する程度に留めている。ただ戦績の〝場所〟等を尋ねられた場合は、別に出し渋りをするものでもないので答えられるものは答えるようにはしている。迫力負けしていたのでてっきり年上だと思っていたら高校生の子供がいると言っておられる…。ということは年下か?と引くことも多々あったゲスト達であった。<br /><br />明日は北部へと走るので早めの出発を予定していたので、到着も早めを考えてはいたのだが、そこは例年と変わらない時間に到着する。すぐに夕食というパターンも変わらないが、部屋が今年に至って言えばいつもとは違い、奥の和室のお部屋であった。勿論この部屋にも泊ったことはあるのだが、どちらかというと〝一般客〟向けの部屋としている感じがあり、何か違和感があったりもした。ただ例年以上に出発前にタイトな時間を過ごしていたので、シャワーを浴びてからいつものように〝夜まで長話〟する気力もなく、結構早い時間に寝てしまったのは残念だった。確か日にちは変わってから寝たはずだが、それすらも定かではない。そんなこんなで初日の沖縄の夜は更けて行ったzzz。<br /><br />令和8(2026)年6月22日月曜日<br />食事時間少し前に起床してざっと今日の行程を辿ってみる。南部糸満を出発して本島東海岸を北上し、郵便局を辿りながらお目当ての戦跡や観光地とを結んで辺戸岬に至り、西海岸を南下して給油後慰霊の日前夜祭をチラ見して南城市の奥武島に至るルートは沖縄島一周ルート。約300kmを走る長丁場だ。慰霊の日辺りの本島旅では4~5日でだいたいそれ位の距離だったように記憶している。しかしここ数年一日でそれ位若しくはそれ以上走ることが当たり前なドライブをしており、大抵レンタカーを返車した際に係員氏にびっくりされる。それも〝軽自動車〟とくれば猶更なのかも知れない。ただ最近訪れる場所に大抵は〝狭窄路〟があり、軽自動車でも切り返しをしなければ進めない道を走ることも増えている。確かに高速を走ることは小型車の方が楽だとは言われるが、普段からmoveクンに頑張って貰っているので、全然気にもならない。という流れで行動予定を確認した頃に朝食に呼ばれる。ヤポネシアご自慢の自然食ベースのご飯を頂き、いつも通りパンだけおかわりをしてお腹も満たされる。<br /><br />既に同宿のお姉さま方は行動開始されており、連れ待ちのお一人だけがまだ残っておられたようであった。私自身最後の出発者になることが多いため、いつもならばオーナーファミリー総出で見送られて出発するが、さすがにこの不況の折民宿の営業だけでは厳しいらしく、今日は奥さんが出勤するとのこと。先に〝また来年!〟の挨拶をすることも違和感があるが、それは仕方がない。そんなことを言っている間に出発予定時刻となり、荷物を纏める。そしてオーナーのこーすけさんの見送りを受けて出発。2日目の行程が始まることとなる。<br /><br />本日は長丁場故に適度に休憩を挟んで走ることにする。走り始めて15分、ローソン南部工業高校前店に立ち寄って飲み物を仕入れ、一服する。そして走り始めて南風原街に入り、旅行貯金のために宮平郵便局に立ち寄った。<br /><br />  《続く》

《2026.June》あみんちゅ81回目のTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅そのⅠ~沖縄アプローチ編~

19いいね!

2026/06/21 - 2026/06/21

2963位(同エリア7968件中)

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

この旅行記のスケジュール

2026/06/23

この旅行記スケジュールを元に

《2026.June》あみんちゅ81回目のTHE DAY IN OKINAWAを訪ねる旅そのⅠ~沖縄アプローチ編~

戦後81年を迎える令和8(2026)年も6月を迎え、恒例となっている6月23日沖縄慰霊の日を沖縄で迎える日が近づいて来た。初めて慰霊の日を沖縄で過ごしたのは平成17(2025)年のことなので、本来ならば12回目ということになるはずだが、コロナ禍の外出自粛の影響で3年間のブランクがあったために、9回目となる。当初の想いは10回の予定であったが、先述の理由により少しズレている。ならばその分を足して…と考えてはいたものの、体力の低下が予想以上に激しくなっていることに気付く。加えて例年ならばある程度沖縄行きの前後に余裕を持たせて望んでいたのだが、そんなことも許されないようだ。旅立ち前4勤、5日の旅行期間を挟んで4勤・1休・4勤は流石にキツい。取り敢えず勤務が無茶苦茶なので6月17日~7月4日という長丁場で物事を考えなくてはならないとなると流石に休みも萎えてくる。しかし行かなければ日々の繰り返しになるため、気分を切り替えて当日の朝を迎えた。台風7号の影響を受けるかも知れない…そんな想いを抱えた沖縄旅が始まる。

令和8(2026)年6月21日日曜日
今回はANAの割引運賃やマイル利用の制限からJALを利用する。そんな理由もあるが、先ずまともに休ませて貰えるかどうかから考えなければならなかった。なんとか休みは貰えたがかなり負担は増えた。複雑な心境で朝を迎え、予定通りにバスに乗る。

因みに現在私が住んでいるエリアのバス運行は、本年3月1日を以て京阪バスから江若交通に移管された。以前からも委託運行であったが、バスの減便や廃止、料金値上げが重なり使いづらくなった。勿論全国的に言われているドライバー不足は分かっていても、今迄そう影響を受けなかったエリア故にプランニングの際に気を付けないとバスが〝来ない〟ことに繋がりかねない。よってその辺りを最初に考慮して立てた予定に基づいている。11:35のバスは従来とコースと所要時間を変え、なんとか駅前に遅れずに到着。その余裕を持ち越すべくJRを利用して京都に至り、リムジンバス乗場に到着できる時間の目処が付いた時点で一服する。

その後リムジンバスも殆ど待ち時間なく乗り込み、空港には20分+早着分早く到着することが出来た。沖縄へはA359で運航されるJAL2087便を利用する。この時期では珍しく満席のようだ。加えて私は〝A〟席をアサインすることが常となっている。別に景色を見たいとかではなく、首を左に倒して〝寝られる〟からである。いつもならばそのアサインが出来なければチケットは取らない筈なのである。しかしどうやらボケていて失念してしまったらしく、気が付いた時には既にA席は埋まっていた…。取り敢えずシートポジションを考えて押さえてはいたが、数日前に〝1席〟空いていることに気付き、そそくさと予約変更する。これで最低限の移動は整った(笑)。

時間的な余裕はあるので暫く空港付近をブラついた後、取り敢えずセキュリティを通過。15番ゲート付近に屯する。いつもの身分差別を受けながら搭乗し、58A席に陣取る。その後は時間通りに進んで行き、定刻の出発で一路那覇へと向かって飛んで行った。台風が近付いているとは思えない好天でフライトは進む。お茶を頂きながらはると来た奄美上空を進んで行く。はるともう一回飛行機に乗れるかなぁ~と思いながら。

奄美上空を抜けると1時間位だっけか…と思うのも束の間、30分程で那覇空港に無事着陸。6月9回目となる来沖が叶った瞬間である。

急いでも下りられないのでのんびりと進んで降機。荷物のピックアップへと進む。そう言えば持ってきている〝ショッキングピンク〟のボストンバックって、竹富島でファスナーが壊れて急遽購入したものだと思い出す。平成16(2014)年7月のことだから11年前…。荒っぽい使い方ばかりしているが、いつもターンテーブルでは〝my bag〟と存在感を示してくれている。これからもお世話になるネ!という訳で荷物を無事にピックアップして、旅客ターミナルへと出て行く。一服タイムを取った後レンタカー待合い〝11-B〟を目指す。今回利用するのはアップルレンタカーベイサイド店。今迄2回利用したのは那覇空港店で場所が違う。送迎車の中で聞いたところ〝軽自動車専門〟がベイサイド店になったらしい。どうりで私の検索結果には出てこない筈だった。

そのようなやり取りの後営業所に到着。手続きを済ませて今回の沖縄の足となる〝SPACIA Custom〟クンと出会い、早速沖縄の旅を始めることにする。

今回は那覇への到着も遅く、翌日も早いために早めに宿入りしようと考えていたのだが、出発前に一件気になる情報を掴んだために、その確認をしようと那覇市街を走る。ただスマホナビを使ってもなかなか難しいルートで、あちこちで迷う。一息つくために宝口公園に立ち寄る。再び首里の街中を走るが〝ココ〟という場所には見当たらない…。これは車では辿り着けないと気持ちを切り替え、近くのコインパーキングに車を停めて、徒歩で調べることにする。この辺りβ版のグーグルさんはあてにはできないのだが、それでも何とかそれっぽい場所を指し示してくれ、何とか目的地に辿り着くことができた。辿り着いた場所は〝沖縄県立女子工芸学校・首里高等女学校跡地〟とある。首里界隈の旧制高女跡地として訪問候補に挙げてはいたが、場所が分かり辛く、今まで未訪問となっていた場所である。その場所を思い出したかのように今回夕暮れ時に訪れたのかは、本年5月に糸満市米須にあった〝ずゐせんの塔〟を学校跡地に移設したというニュースを知ったからである。何度か訪れているずゐせんの塔ではあったが、学校跡地は訪れてはいないので、今回の訪問を考えた次第である。記憶にあるずゐせんの塔と比較すると、風雨の影響だろう校章の色も剥げていた。しかし記憶に残っている文字には違いない。同窓会が高齢化により解散し、慰霊祭を続けることが困難だということは、他の学徒隊と何ら変わりはない。塔の管理は今後沖縄県立第一中学校を継承する沖縄県立首里高等学校同窓会組織である〝養秀同窓会〟が引き継ぐとのこと。ある意味こちらの選択の方が良かったのかも…と思いながら、塔に手を合わせて学校跡地を出発する。

19:30となると遥か西方の沖縄でも暗くなってくる。そんな中をそろそろと思いながら糸満の宿へと向かって走って行く。途中雨乞嶽展望台に立ち寄ってひと息つく。ここがどんな場所だとかを知るにはまた改めて。夕闇に染まる首里城のシルエットが素晴らしかった。再建されるものに期待したいと思う…。

首里を後にして本日の宿泊先である糸満へと向かうことにする。20km程の距離をナビが示すままの道を進んで行くが、このルートは逆方向も含め幾度も走っているので何となくはわかる。取り敢えずは具志頭を目指し、国道331号線を右折した場所にあるローソン八重瀬玻名城店に立ち寄り、飲み物を購入してひと息入れる。再び走り出し、ふと確認したいことを思い出し沖縄県営平和祈念公園に立ち寄る。慰霊の日当日は駐車できないのだが、前々日ならば夜に訪れる者など殆どいなかった。

6月22・23日の夜は慰霊の日前後夜祭が行われるのだが、式典会場の設営はいつからはじまるのか?という素朴な疑問を持ったことがその理由である。結論付けて言うと21日夜には既に始まっており、入口にガードマンが張り付いている。あたりは既に暗く、園内迄入って確認したい訳でもない。ただガードマンを配置しないと設営に影響が出ると考えると…自ずとその様子が浮かび上がってくる。まぁ年々VIP優先の傾向が高まっていることを考えれば、期待をするまでもない…。そんな風に思えたのでそれ以上滞在する必要もなく車へと戻って来た。

これで初日の立ち寄り地を回り切り、一年ぶりとなる本日の宿みん宿ヤポネシアへと向かう。距離にして2km、5分程で到着したみん宿ヤポネシア。昨年の相部屋の話に加えて、来沖の日取りなかなか決まらなかったこともあり、今回からは22日ではなく21日にお世話になることにした。

確か今回で11回目の宿泊となる筈のみん宿ヤポネシア。本島に定期的に来るようになったことがきっかけで利用するようになった。いつもとは言わないが、ここを訪れる宿泊客は、この〝慰霊の日〟辺りに限って言うならば〝濃い〟人ばかりである。今年の場合は一人や少人数グループの〝お姉さま〟方であった。私は基本〝平和論議〟には加わらない主義なので、意見を求められた時のみ発言する程度に留めている。ただ戦績の〝場所〟等を尋ねられた場合は、別に出し渋りをするものでもないので答えられるものは答えるようにはしている。迫力負けしていたのでてっきり年上だと思っていたら高校生の子供がいると言っておられる…。ということは年下か?と引くことも多々あったゲスト達であった。

明日は北部へと走るので早めの出発を予定していたので、到着も早めを考えてはいたのだが、そこは例年と変わらない時間に到着する。すぐに夕食というパターンも変わらないが、部屋が今年に至って言えばいつもとは違い、奥の和室のお部屋であった。勿論この部屋にも泊ったことはあるのだが、どちらかというと〝一般客〟向けの部屋としている感じがあり、何か違和感があったりもした。ただ例年以上に出発前にタイトな時間を過ごしていたので、シャワーを浴びてからいつものように〝夜まで長話〟する気力もなく、結構早い時間に寝てしまったのは残念だった。確か日にちは変わってから寝たはずだが、それすらも定かではない。そんなこんなで初日の沖縄の夜は更けて行ったzzz。

令和8(2026)年6月22日月曜日
食事時間少し前に起床してざっと今日の行程を辿ってみる。南部糸満を出発して本島東海岸を北上し、郵便局を辿りながらお目当ての戦跡や観光地とを結んで辺戸岬に至り、西海岸を南下して給油後慰霊の日前夜祭をチラ見して南城市の奥武島に至るルートは沖縄島一周ルート。約300kmを走る長丁場だ。慰霊の日辺りの本島旅では4~5日でだいたいそれ位の距離だったように記憶している。しかしここ数年一日でそれ位若しくはそれ以上走ることが当たり前なドライブをしており、大抵レンタカーを返車した際に係員氏にびっくりされる。それも〝軽自動車〟とくれば猶更なのかも知れない。ただ最近訪れる場所に大抵は〝狭窄路〟があり、軽自動車でも切り返しをしなければ進めない道を走ることも増えている。確かに高速を走ることは小型車の方が楽だとは言われるが、普段からmoveクンに頑張って貰っているので、全然気にもならない。という流れで行動予定を確認した頃に朝食に呼ばれる。ヤポネシアご自慢の自然食ベースのご飯を頂き、いつも通りパンだけおかわりをしてお腹も満たされる。

既に同宿のお姉さま方は行動開始されており、連れ待ちのお一人だけがまだ残っておられたようであった。私自身最後の出発者になることが多いため、いつもならばオーナーファミリー総出で見送られて出発するが、さすがにこの不況の折民宿の営業だけでは厳しいらしく、今日は奥さんが出勤するとのこと。先に〝また来年!〟の挨拶をすることも違和感があるが、それは仕方がない。そんなことを言っている間に出発予定時刻となり、荷物を纏める。そしてオーナーのこーすけさんの見送りを受けて出発。2日目の行程が始まることとなる。

本日は長丁場故に適度に休憩を挟んで走ることにする。走り始めて15分、ローソン南部工業高校前店に立ち寄って飲み物を仕入れ、一服する。そして走り始めて南風原街に入り、旅行貯金のために宮平郵便局に立ち寄った。

  《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 観光バス レンタカー タクシー JALグループ スカイマーク JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
19いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

この旅行で行ったホテル

この旅行で行ったスポット

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP