2026/05/25 - 2026/05/26
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emi_uさん
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2026/05/25
2026/05/26
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ご覧いただきまして、ありがとうございます。
1泊2日の京都出張のついでの観光です。
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朝9時前 京都駅
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駅前のシンボル京都タワー
早速、空き時間を有効に使うためタクシーへ
ひっきりなしに人は来るが、並んではいない京都タワー 名所・史跡
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タクシーで3,200円
やってきたのは北野天満宮北野天満宮 (天神さん) 寺・神社・教会
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一の鳥居
大正10年10月建立、高さ11.4m、木曽の花崗岩 -
今日は25日の縁日、天神市
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参道には朝早くから露店が立ち並び、雑貨、漬物、香辛料からお魚まで売っている
北野天満宮 天神市 祭り・イベント
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天神様には牛がたくさんいる
「撫で牛」ということで、ピカピカしている -
こちらはかわいい子うしさんつき
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楼門に到着
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楼門から見る、天神市で賑わう表参道
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楼門をくぐって右手には手水舎
「花手水」と書いてあり、とてもきれい
そしてここにも臥牛 -
この臥牛は木陰で涼しそうだ
牛は天神様の使い
天神さまこと菅原道真は承和12年(845)丑年生まれ
延喜3年(903)大宰府で生涯を閉じた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言で、牛車で運び、牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬した
こうしたことから天神様では臥牛なのだそう -
左手奥には三光門
三光とは、日、月、星
梁の間の彫刻が由来だが、星の彫刻だけが見られないともいわれている
かつて帝がお住いの大極殿から北野を望むと、ちょうどこの門の上に北極星が輝いたと伝えられることから、北極星をいただく伝説の門といわれる
「星欠けの三光門」として北野天満宮の七不思議の1つとされる -
その奥に御本殿
御本殿は国宝
現在の御本殿は豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が慶長12年(1607)に造営した -
「船出の庭」の方に行ってみた
立派なしだれ梅
花の盛りを見てみたい -
この時季の京都は青もみじだと聞いた
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境内西にある御土居のもみじ苑に行く時間はないので、ここで鑑賞
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百人一首の額が飾られるこちらは絵馬所
元禄12年(1699)に建てられ、規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一 -
最後に表参道の臥牛に別れを告げて、簡易探索終了
もったいないけど出張の隙間時間、暑くなってきた京都で出張荷物も重いしこれで精いっぱい!と自分を説得 -
これ、街中でいい香りがしたので思わず写真を撮った
モクレンの仲間、タイサンボクのようだ -
ひと仕事終えて、本日のランチはビリヤニ
四条烏丸の辺りにあるINDIA GATE -
ワンプレートに盛りだくさん!
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本日の限定は「鱧」
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合盛り(ハーフ&ハーフ)で、
鯛出汁チキンと鱧 2,000円
これは思い出に残るおいしさ!
ほんのりとやさしい味の鯛出汁に対して、鱧は薄味とスパイシーの二本立て
添えられる麻婆豆腐もおつまみとして単品で出ているだけあって、しっかりした味ですごくおいしい
まぁ安くはないから毎日というわけにはいかないけれど、よそ者としては鱧で"京都らしさ"も堪能できて大満足♪
1日目の仕事を終え、飲み会もあったので今日のプライベートはここまでビリヤニ専門店 INDIA GATE グルメ・レストラン
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翌朝、8時の始業前に散歩
駅近のホテルを5時半過ぎに出発
西本願寺を目指す -
お、見えてきた!
と思ったが、 -
こちらはお隣の興正寺
興正寺 寺・神社・教会
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とはいえ、お隣なのですぐに西本願寺エリア
空堀に沿って、もう少し前ならツツジがきれいに咲いていたようだ -
橋の下のくぼみにだけ水が溜まっている
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北小路門をくぐると、
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長い塀の奥に金色輝く門が見える
この築地塀(ついじべい)も重文で、切妻造、本瓦葺の版築の塀で5本の定規筋が引かれている
江戸中期~後期の建築と言われる -
6時 西本願寺唐門
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黒漆の上に孔雀、唐獅子、麒麟、中国故事などの極彩色の彫刻が施される
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見入るうちに日が暮れるのも忘れてしまうことから、日暮門とも呼ばれる
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豹や虎のようなものも見える
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振り返るとステキな建物
と思ったら、こちらは龍谷大学のキャンパス龍谷大学大宮学舎 名所・史跡
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で、どこから境内に入れるのか?と塀沿いに少し進むと、幼稚園の門
ちらっと覗き込むと守衛さんがいらして、ここから入ってもいいこと、境内への方向を親切に教えてしてくださった -
噴水の向こうには大銀杏
根っこを天に広げたような形から「逆さ銀杏」とも呼ばれる
植栽時からの剪定等の行き届いた管理があってこそ、と思われる
御影堂が寛永13年(1636)の建立であるところから、樹齢は約400年と推定される
銀杏は耐火力が強いが、この銀杏も1788年、1864年の大火の火の粉を浴びながらも生き抜いてきた、京都市の天然記念物
火災の際にはこの銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説から、「水吹き銀杏」とも呼ばれている -
手水舎には立派な龍
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顔出しパネルもある
ところで、なぜ東西本願寺があるのか?
「本願寺」の起源は、浄土真宗の開祖・親鸞聖人の遺骨を埋葬し、親鸞聖人の娘の覚信尼が住んでいた「大谷廟堂(おおたにびょうどう)」
東西分裂のきっかけは織田信長との石山合戦
10年に及ぶ攻防の結果、本願寺法主・顕如は講和を受け入れた
しかし顕如の長男・教如は徹底抗戦を主張し、籠城
教如は父・顕如から破門され、分裂のきっかけに
その後、本願寺は天正19年(1591)に豊臣秀吉より七条堀川の現在の西本願寺の地を与えられた
顕如没後、教如が本願寺を引き継いだものの反対があり、豊臣秀吉の裁定により三男・准如が後継に
ただ、秀吉の死後、教如は徳川家康から烏丸六条の地を与えられ、本願寺から分離独立
東本願寺となる -
向かって右が阿弥陀堂、左が御影堂(ごえいどう)
御影堂の方が一回り大きい
阿弥陀堂は東西42m、南北45m、高さ25m
御影堂は東西48m、南北62m、高さ29m -
2022年に修復を終えた国宝・阿弥陀堂
中央に阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の七高僧の内、龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信和尚の六師を、両余間に法然聖人と聖徳太子の影像を安置している西本願寺(お西さん) 寺・神社・教会
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朝6時から晨朝法話
読経の声が聞こえる -
廊下を渡って御影堂へ
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御影堂は中央に親鸞聖人の木像、両脇に本願寺歴代宗主の影像を安置している
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忙しないが、もう1ヶ所行きたいので、重文・阿弥陀堂門を出る
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向かって左手にはこちらも重文・御影堂門
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写りきらないので国道1号の向こうから
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そして御影堂門から1号を挟んだ向かいには総門
総門は現在地までに三度移築されている
蓮如上人450回遠忌の1898(明治31)年、
親鸞聖人650回大遠忌を控えた1911(明治44)年、
3度目は1959(昭和34)年に交通量の増加に対応した堀川通りの拡張が計画され、京都市の要請で現在地に移転した -
その先には正面通
仏具屋さんなどが並ぶ
そして特徴的なドーム型の屋根は・・・ -
重要文化財・本願寺伝道院
(看板より)
明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものです。当初は「本館」のほか「付属屋」、「倉庫」2棟、「物置、人力車置場、便所」、「屋根付伝ひ廊下」が建っていましたが、現在は「本館」のみが残っています。
伊東忠太の提唱した「建築進化論」(石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること)を明確に表現した建物で、外観は古典様式に基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン様式、日本の伝統的な様式が用いられています。
現在は本願寺伝道院として浄土真宗本願寺派僧侶の布教・研修の道場として使用しています。本願寺伝道院 名所・史跡
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西本願寺から歩くこと10分
6時半 東本願寺 -
こちらのお堀には水が張られ、鯉が泳ぐ
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阿弥陀堂門(重文)
江戸時代には「唐門」と呼ばれ、幕末の火災による焼失後、1911(明治44)年に再建された
2021~2022年には重要文化財の保存修理事業として、大規模な修理が行われた -
日中は幾筋もの水が出ている噴水だが、朝イチは静か
その奥に御影堂門(重文)
正面21m、側面13m、高さ27m
木造建築の山門としては世界最大級
木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われる東本願寺(お東さん) 寺・神社・教会
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京都タワーがよく見える
こんなに駅近なんだなぁ -
御影堂(重文)
大きくてフレームに納まりきらない
正面76m、側面58m、高さ38mと、世界最大級の木造建築
現在の御影堂は、1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門の変)による焼失の後、 1895(明治28)年に再建されたもの -
御影堂の向こうが阿弥陀堂(重文)
西本願寺とは並びが左右逆
正面52m、側面47m、高さ29m -
境内、北側から
京都タワーを真ん中に、壮観 -
ここでも芳醇な香りのタイサンボク
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御影堂の近くには何やら看板が
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曇ってしまってよく見えないが、本願寺水道(遺構)
明治時代に東本願寺が独力で敷設した防火用水道
2008年に送水は停止されている -
江戸時代、4度にわたり火事で焼失した東本願寺を火災から守るため、1897(明治30)年に建設
看板のこの写真は、1897年の噴水防火大試験 -
琵琶湖疏水の水を蹴上水源池から全長4.6kmの導水管を通じて境内まで引き込み、約44mの高低差による自然水圧で屋根まで水を供給していた
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御影堂
法要やおつとめの最中は撮影不可、とあるから普段はOKと解釈
柱は90本、畳は927枚敷き詰められている
宗祖親鸞聖人の御真影(ごしんねい)を安置し、真宗大谷派の崇敬の中心をなす -
阿弥陀堂
柱は66本、畳は418枚と御影堂の半分ほど
御本尊・阿弥陀如来の左右には、法然上人をはじめとする七高僧や聖徳太子の御影像が掛けられている -
阿弥陀堂側には鐘楼(重文)が見える
1858(安政5)年の大火による焼失後、1894(明治27)年に再建された
撞鐘は、 2010(平成22)年におよそ400年ぶりに新調されたもの -
御影堂側には手水屋形(重文)
その向こうには御影堂門(重文)が見える -
両道をつなぐ廊下には様々な展示がある
こちらは大橇(おおぞり)
東本願寺は1604(慶長9)年の完成以来4度の火災に遭い、最後の1864(元治元)年の蛤御門の変による京都大火の後は1880(明治13)年10月に御影堂、阿弥陀堂の両堂再建を開始、1895(明治28)年再建
再建には各地から巨木が運搬されたが、多くの死者、けが人が出た
中でも1883(明治16)年「尾神嶽(おかみだけ)殉難事故」が伝わる
3月12日午後2時頃、越後国頸城郡川谷村内(現上越市吉川区川谷)の尾神嶽で2000余人が川谷村より切り出した欅の巨木を大橇で運搬中に雪崩に巻き込まれ、27名が亡くなった
(この大橇は、上越市柿崎区円田神社で保存されていたものであり、「尾神数殉難事故」の際に使用されたものではない) -
他にも運搬に利用した毛綱も展示
人の髪の毛と麻を合わせて撚ることで強くなる
スタンプラリーも開催しているので時間のある方はどうぞ
たぶん3つくらいのよう -
貴重な巨木は大事にメンテナンスされ、これもおそらく修理の埋木だろうか
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手水屋形も幕末の火災による焼失後、1895(明治28)年に再建されたもので、銅製の龍の口から水が注がれる
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正面から向かい合うと、一層迫力がある
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7時前 東本願寺の散策を終えて、2日目の仕事に向けてホテルへ戻る
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最後に2日目のランチ
ラーメンムギュVol.2烏丸蛸薬師店
住宅に隣接し、小さな路地を少し入り込んだところ
なのに、12時前から列ができている
約20分並んで、いただいたオニバラ白1,150円
次のアポのため5分でいただくのはもったいない、ゆっくり味わうべき上品さ
鶏がら中心に味はしっかりしながらも、透き通ったスープ
丁寧に薄くスライスされたチャーシューも味わい深い
そしてホントは好きじゃないのにおいしく食べられた玉ねぎ
さわやかさに輪をかける
さて、後は仕事にラストスパート
出張を終えて帰宅の途に就きました
最後までご覧いただきまして、ありがとうございました
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