2026/05/19 - 2026/05/19
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fmi(ふみ)さん
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横浜市港北区にある綱島駅界隈は、元々温泉地だったのだが、今は普通の街中。ただ、駅の南に鶴見川が流れ、電車の撮影ポイントが点在する。
今回は、この綱島駅周辺と、港北区南部にある名刹妙蓮寺から神大の学生が多い白楽駅にかけての撮影ポイントで、東横線を撮影した。
撮影は2日にかけて行ったが、季節外れの真夏日を一駅間歩いたので、いい汗をかきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
根津一族の東武鉄道の次は、五島一族の東急電鉄の沿線撮影地探索である。
東武根津一族とちょっと違い、強盗慶太と呼ばれた東急とピストル堤と呼ばれた西武は、結構派手で強引な財閥的経営で悪名を轟かせたが、もはや、それは昭和の話。
早川徳次創業(明治の頃に東武の経営再建も行った)の東京メトロを介し、東武、西武、東急ともに基幹路線が相互乗り入れを行っているのが現在である。
東急目黒線で日吉まで行き、そこから東横線で、まず綱島を目指す。東急目黒線 乗り物
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東急東横線、綱島駅で下車。まずこの駅周辺で撮影する。
豪胆だが堅実な実業家と言うイメージの根津一族と違い、西武の堤親子、初代はもちろん瀬島やナベツネと組み中曽根推しだった五島の二代目はどうも私の中ではイメージが悪い。まさに「皇帝」というイメージ。
「鉄道=王朝」、一般にはそう見られていたと思う。JRにしたって「松田葛西井出枢軸」だったし。
ただ、良くも悪くも豪胆な同族経営だった鉄道会社も、阪急の小林一族が退き、堤義明が一度塀の中に堕ち、そして2020年代まで東武を支配していた根津嘉澄も退き、今の鉄道会社というのは「外国のハゲタカ」中心に投資家なるハイエナのような連中が群がり、食いつかれている「何とかHDの民僚集団」と言った方が良い趣になっている。JRも例外ではない。要は図体でかい割に経営陣が小粒、小物。まさに「王朝潰えてハケタカ来る」だ。
特に2020年のコロナで乗客が激減して以降、それが顕著になって来てる。株主の方しか向いていない近視眼経営、東急も、同様だ。それが良いのか悪いのか、数年内に答えは出てくるはずだよ。綱島駅 駅
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綱島駅は高架駅だが、駅の西側は起伏があり、地形が線路より高くなっている。その駅西側の小山は綱島公園として整備されている。
大手私鉄から「皇帝」が次々と消えた理由は二つあると思う。
第一に、「バブル崩壊」。これで実質不動産屋で鉄道屋はその次という大手私鉄の屋台骨が揺らいだこと。
第二に、20世紀末に起きた「金融ビッグバン」である。これで「モノ言う株主」と称する「ハゲタカ」どもが雲霞のごとく来寇して突っつきまわされたこと。
繰り返すが、それが良いことか悪いことかはまだ判断するには早いと思うが、私は、悪い結果の方が大きいことになると考える。なんかね、「失われた30年」とやらの、縮図なんだよね。電鉄も。 -
御託はここまでにしておく。
まず、最初のポイントを紹介する。綱島駅の北側、綱島公園の近くに東横線を跨ぐ歩道橋があり、ここから撮影可能。
高架線をさらに跨ぐので、高さもやや高いが、歩道橋の踊り場を利用して高さを調整できる。
あまり高いと、架線や電柱が障害となって撮りづらくなるのだ。 -
歩道橋から綱島駅ホームを望む。
地下鉄副都心線の乗り入れ電車、17000形普通下りと渋谷行き急行5050形。
東横線は日中でも本数が多く、朝ラッシュ時は1時間当たり通勤特急4本、急行8本、普通12本の24本。日中でも、元町から日吉の間は1時間当たり、特急4本、急行4本、普通8本の16本が走る。(日吉から先はこれに相鉄線からの乗り入れ急行が2本増える)
特急と急行の半数は10両編成、普通は8両編成だ。画像の渋谷行き急行は10両編成。
現在の東横線は、基本的に渋谷からそのまま副都心線に乗り入れるが、1時間当たり4本が、渋谷発着になっている。現在も渋谷駅で乗降する客がダントツに多く、渋谷から乗車する人の着席機会等の便宜を図っているものと思われる。東急東横線 乗り物
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上り普通和光市行き。地下鉄副都心線の終点である和光市まで走る。
使用車両は横浜高速Y500形電車。東急5000系とほぼ同じ車両で、全車8両編成。8両編成の電車は、先頭にその旨を現したステッカーが貼られている。
東横線の普通は朝夕ラッシュの一部に菊名・武蔵小杉発着がある他は、元町から渋谷まで走りとおす。日中は大体6分から9分の感覚で1時間当たり片道8本、内訳は東武東上線と地下鉄の接続駅である埼玉県の和光市行きが2本、西武池袋線に乗り入れ、池袋線の複々線区間の終端になる石神井公園まで行くのが2本、地下鉄内の池袋折り返しが2本、渋谷で折り返すのが2本。朝夕は、渋谷行きが増えるほか、新宿三丁目行きや西武の保谷・清瀬行き、東武の志木行きが加わる。
地下鉄の池袋駅は、折り返し用中線がないので、千川まで回送する。新宿三丁目は折り返し中線がある。
普通は、日中でも必ず、菊名と自由が丘で後続の急行や特急を退避する。列車によっては渋谷や東新宿でも退避するものがある。東横線は退避可能駅が必要最低限しか設置してないが、日中は元住吉、祐天寺の追い抜き線は使用されない。
20世紀末までの東横線は、急行4本に普通8本、日比谷線直通2本と言う単純なダイヤだった。 -
歩道橋から渋谷方向を望む。
地下鉄17000形10両編成の、特急「Fライナー」元町・中華街行き。
各駅停車と急行だけの単純なダイヤに、21世紀に入ってから突如として現れたのが、「東横特急」。
2001年3月の改正で登場。背景には同年に運行が開始された、JRの「湘南新宿ライン」の出現がある。2004年には日中1時間当たり4往復で横須賀線-東北線、東海道線-高崎線の2系統が交互に運転され、しかも休日割引料金(当時)のグリーン車の連結も始まる、という渋谷新宿池袋縦貫の中距離電車の運転開始に、小田急、東急などの並行私鉄はかなりの危機感を持っていた。
小田急では快速急行が登場、そして東急でも大幅に停車駅を整理した特急電車を15分間隔で運転することにしたのである。
東横特急の本領発揮となったのが、2013年の地下鉄副都心線、東武東上線・西武池袋線に直通してから。
横浜から先の停車駅は菊名、武蔵小杉、自由が丘、中目黒、渋谷、そして地下鉄に入っても急行運転を行い、乗りれ先の西武・東武では快速急行として運転。西武小手指行きと東武森林公園行きが交互に走る。
菊名、自由が丘、渋谷で先行普通を退避させるだけでなく、東新宿で先着の急行を追い抜く、要は、東横線の電車は、全て池袋に着くまでの間に、必ず特急に追い抜かれるのである。そのため、休日中心に、終日混雑する電車である。
全列車10両編成で運転。 -
場所を鶴見川の橋まで移動。綱島街道を南下する。
綱島街道のやや東(画像では左)の真下を東急新横浜線が通っている。2023年に開通したばかりの、東急と相鉄を結ぶ路線。綱島駅に並行して「新綱島駅」が開業しており、その駅の真上が再開発中。大きなビルも出来上がっている。昔はこのあたりが温泉街だった。 -
東急の綱島駅は、駅の真下がバスターミナルになっており、東急バスや臨港バスがひっきりなしに発着している。そのため綱島駅は乗換駅ではない単独駅としては東横線で最も乗降客が多い。
新横浜線新綱島駅の開業に寄り、主に川崎駅や鶴見駅方向へ行く路線などが、新綱島駅発着に振り分けられている。 -
鶴見川。
左が綱島街道大綱橋、右が東横線鶴見川橋梁。川の北岸から大倉山方向を望む。
ここでも撮影。ガーダー橋で撮りやすいかと思ったら、架線のビームが斜めに掛かってたりして意外と写角が限られる。 -
橋を渡り、南岸から渋谷方向を撮る。
東急5050形の8両編成急行元町行き。旧5000系復刻塗装で、緑一色に塗られている。日中の急行は8両編成が多いが、特急よりは空いている。
尚、朝ラッシュは急行の大半も10両編成が走り、通勤特急(停車駅に日吉・学芸大学が加わり、横浜-元町間は各駅停車)も走る。
当然、綱島駅はじめ菊名、学芸大学、自由が丘等の急行停車駅は従来の8両対応から10両対応にホームを伸ばしたのだが、菊名や自由が丘等、40mも伸ばすのは楽ではなかった様で、結構苦労の後が見られる。
東横線以外でも、大井町線の急行停車駅7両化や目黒線全駅8両対応と、21世紀になってから相当工夫してホームを伸ばしている事例が東急は多い。
画像のような緑色の電車、名車と言われた旧5000系の時代は、18m車6両編成、というのが東横線の標準だった。東急の代名詞と言われたステンレス車8000系から20m車体になり、編成も伸び、昭和末期は20m車で東横線8両、大井町線5両、田園都市線8両が標準だった。
なお、同じ東急でも、多摩川線、池上線は、現在も18m車で編成も3両と短い。 -
上の画像を撮影した地点の反対側、大倉山方向(南)を向き、登り電車を撮影。
10両編成の東急5050系渋谷行き急行。
地下鉄副都心線に直通する前は、東急の車両も9000系、5050系、8000系、1000系、8090系とバリエーションに富み、それに地下鉄日比谷線から来る地下鉄03系、東武20000系が加わっていたが、現在は、この5000系列のみが運転されている。田園都市線や目黒線に走るサスティナ車X020系はまだ東横線には入っていない。
5000系は同時期にJR東日本が採用したE231系の姉妹車でメカニズムや構造に共通点が多い。ただ、東急の車両の方が、前面スタイルや内装が上品に感じる。
これは田都線、目黒線にも導入されているが、田都用と東横用は寸法に微妙な違いがある。
東横線には西武や東武の電車も乗り入れてくるが、やってくる時間帯が固まっており、撮影した時間帯は東急と地下鉄の車両ばかりだった。
何が来るかは見分けられる。メトロ車は列車番号にSが付き、東武車はT、西武車はMが付く。 -
鶴見川と綱島街道、大綱橋。
綱島街道は正式には「東京都道2号、神奈川県道2号丸子横浜線」。
東京都品川区の山手線五反田駅付近の山手通りとの交点が起点で、洗足池の前を通り、東横線多摩川駅至近の丸子橋で多摩川を渡る。新丸子駅付近で中原街道と分岐(中原街道は瀬谷、寒川を通り茅ケ崎に至る)、あとは東横線沿いに菊名まで通り、その先で東に曲がり、京急子安駅付近で国道1号にぶつかって終点となる。
江戸時代初期から整備されている道だが、日吉駅から南は片側1車線に減り、結構混雑する。新綱島駅が完成した際に区画整理をやり直し、綱島駅付近は拡幅工事が行われている模様。
鶴見川は、東京都町田市と八王子市の境目丘陵付近に源を発する、流域全体が都市化され、河川勾配も緩やかという一級河川としては特殊な川。下流は一級河川らしく川幅が広いが、河道改良が進んだ現在でも異様に蛇行しており、そういう場所に限って川幅の広さが派手に変わる、意外と治水の難しい川である。特に新横浜と小机の周辺は顕著。町田市の手前あたりは川幅も狭く現在も治水工事が続けられている。
相鉄線へ直通する東急新横浜線は、綱島街道の真下付近、鶴見川をトンネルでくぐる。画像のタワマンがあるあたりが、新綱島駅。鶴見川 自然・景勝地
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地下鉄10000形を使用した、特急Fライナー下り10両編成。
10000形は、2006年登場の20年選手。副都心線開業に備えた車両で、有楽町、副都心両線で運用する。10両編成。360両製造され、当初は有楽町線7000系も置き換える予定だったが、全車置き換えには至らず、17000形の量産によって置き換えが完了した。
この車両から、メトロ車のデザインが変わり、現在の15000形等に続く曲線的でモダンなスタイルになった。 -
橋の中ほどから川を渡る電車を撮影。
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橋の北詰から上り普通電車を撮影。
鶴見川もこのあたりは川幅が広く、河原は住民の憩いの場。
横浜市港北区は広く、新幹線の駅があるため横浜市の副都心となっている。港北ニュータウンをはじめ新興住宅地だけでなく古くから開発されたエリアでもあるので、人口も36万と多い。北は日吉から南は妙蓮寺、西は小机から東は菊名まで広がる。隣の都筑区は平成初期までは港北区の一部だった。 -
Qシートを連結した10両編成の急行電車。
最近関東の大手私鉄で採用例が増えている、ロング・クロス可変式のデュアルシートを活用した、課金式座席指定車両。
東武のTJライナーや西武のSトレイン、京王ライナーと違い、東急の場合は編成中1両だけが有料指定座席車になる(京急の快特ウイングシートと同じ)。
東横線のほか、大井町線の急行も連結している。日中はロングシートに変換し一般の運用に就いている。10両編成列車の一部についている。
座席はロング状態でも座り心地はかなり良い。 -
綱島駅に戻ってきた。次の地点へ電車で移動。
綱島駅 駅
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参考。
綱島駅の隣、大倉山駅。徒歩圏内に新幹線のトンネル出口があり、そこから新幹線を俯瞰撮影もできる。
画像は大倉山駅北のこ線橋から撮影。 -
大倉山駅を出発する上り普通。
「大倉山」とは人名由来の地名で、駅の西側にある小山に文化研究所(今の大倉山記念館)を建設し教育に務めた実業家、大倉邦彦に由来する。
以来、記念館のある山は大倉山公園となり、地名もそれに倣った。大倉山公園は、梅林が有名で、駅周辺含めて桜の名所でもある。横浜市大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館) 美術館・博物館
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大倉山駅に入線する下り普通電車。
大倉山駅は高架駅ながら駅周囲が山の斜面になっており、北側は切通になっている、その脇を、大倉山公園へ抜ける小道があり、そこから画像のような写真が撮れる。普通しか停車しないが、乗降客はかなり多い。
東横線の直下の地下深くを、新横浜縁が通過している。綱島付近には駅が設けられたが、ここには駅は作られなかった。駅周囲は狭隘で地形も複雑なので、地下駅建設は無理だと思う。大倉山駅 駅
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次の目的地は白楽駅。この駅から妙蓮寺駅まで歩きながらロケハンする。
ただ、折角来たので、白幡池公園に寄っていく。ハスがちょうど咲いていた。
このあたりは、神奈川区になる。妙蓮寺駅のすぐ南で港北区から神奈川区に入っている。白幡公園 公園・植物園
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蓮の花は見ごろだった。
この付近に神奈川大学があり、白楽駅が最寄りなので、学生の乗降や往来も多いのだ。 -
電車のことは忘れて、しばし蓮の花を眺める。
私は鉄道写真と同じくらい、梅、紫陽花、紅葉といった花や樹も好きなのだ。 -
もともとため池だったらしい。
昭和43年に市営の公園として整備された。
さて、東横線の撮影地を探す。 -
アウトカーブのあるあたりから、下り方向、白楽駅を望む。
駅名の由来は、東京の馬喰町などと同じ。神奈川宿に勤めるばくろうの住居が集まっていたことにちなむらしい。
東急は全線とも高架や地下など立体交差化されている区間が多いのだが、菊名の北側から東白楽の手前までは踏切も多く、地形も起伏があって急カーブも多い。
「隔駅停車」と揶揄されていた東横線の急行だが、昔から、横浜駅から菊名駅の間は無停車で連続して四駅を通過する。
一方で菊名の先は、待避線のある駅が無い。東急は必要最低限の退避駅で効果的なダイヤを引いている。白楽駅 駅
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駅の北側最初のアウトカーブで下り特急Fライナーを撮る。
編成が長いため尻切れになってしまった。 -
もうちょっと北に移動。
和光市行き上り普通電車を撮影。この先菊名、自由が丘、渋谷で急行や特急に追い抜かれ、元町から和光まで1時間40分ほどかけて走りとおす。
ちなみに特急は、横浜から和光市までちょうど1時間、横浜から東武の森林公園までが1時間40分。 -
同じ地点から北側を向いて撮影。
ここなら10両編成も入る。下り普通電車。
東急の創業路線は、現在の目黒線と多摩川線で、大正に「目黒蒲田電鉄」として創業、関東震災より前に当時の目蒲線を開業させた。創業者として五島慶太が有名だが、実業家として有名な渋沢栄一の「田園都市構想」を受け継いで創業したものである。
東横線は五島が起こした子会社によって大正末期に一部が開業、昭和初期に渋谷まで開通、昭和14年に目蒲線と合併して「東京急行電鉄」となる。
昭和初期に大井町線も開通し、田園都市線の母体となる軌道線の玉川線は明治末期から既に開業していたが、これも戦前に東急と合併。
田園都市線の開通延伸が始まるのは、ずっと後の昭和41年である。
渋沢の田園都市構想は東急に受け継がれ、沿線に高級住宅街を建設、大学を誘致(その代表が日吉の慶應義塾)、そして沿線各所に行楽地や百貨店を建設した。綱島温泉や多摩川園に代表される行楽地の多くは今はなく、渋谷の百貨店やファッションビルも21世紀になってから姿を消しているが、住宅街やその後の港北ニュータウンに代表されるベッドタウンの造成分譲地は今も活きている。 -
もう少し北に進み、築堤上のアウトカーブを走る上り列車をとらえる。
ここが有名な撮影ポイントらしい。
10両編成でまた尻が切れた。ここで撮影したもう一つが、タイトルの写真。
ちなみにこの地点の真下を、JRの貨物線が通っており、相鉄からJRの新宿まで行く電車はそこを通る。
沿線の不動産分譲や宅地開発を積極的に進めた東急であるが、戦後高度成長期に入ると横浜市も主体となって大規模なニュータウン建設が進む。その代表例が田園都市線沿線。
そうなると朝夕の混雑が激化、東横線も田園都市線も昭和末期は埼玉や千葉から来る大手私鉄より高い混雑率(大体210~220%)に見舞われる。
加えて沿線に大学や高校も多いことから終日混みあう路線になった。
そのため20世紀末に法整備が行われ、運賃に建設費を上乗せし、複々線化や地下鉄路線への新規直通ルートの開拓、建設が進み、21世紀に入り目黒線開通や日吉までの複々線化、副都心線直通といった輸送力増強工事が次々と実現した。 -
それやこれやで、隣駅の妙蓮寺駅まで歩きました。
このあたりから港北区。
駅名の通り長光山妙蓮寺が駅のすぐ目の前(東側)にある。
反対の西側には池と公園があります。妙蓮寺駅 駅
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そういうわけで、お寺神社も好きな私は、少し電車を忘れて妙蓮寺境内に立ち寄るのでした。
妙蓮寺 寺・神社・教会
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サツキが咲く長光山妙蓮寺。
日蓮宗のお寺で、14世紀の開基と言われる。もともと東神奈川駅より海に近い所にあったお寺が、明治になってからここに移転したもの。
東横線の妙蓮寺駅は、本来お寺の境内だった所で、東急に敷地を提供したかわりに駅の建設を要望したことで、寺のすぐそばに駅がある。
大田区の池上にある本門寺の末寺でもある。山門はその本門寺を模したものと言われる。 -
桐の花が咲く本堂。
本堂は昭和40年代に完成したものだそうな。 -
サツキの花が綺麗
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鐘楼。
境内は広々としており開放的。駅周囲の喧騒に比べ静か。 -
駅の反対側、菊名池公園にある社。
池があるだけあって、弁財天である。
菊名池公園は、駅の近くには小規模な市民プールがある。 -
妙蓮寺駅
妙蓮寺駅 駅
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駅の付近で上り普通電車を撮影。
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電車に乗って、一旦戻ることにした。
この後、東急田園都市線なども回ったが、それは別の機会に紹介する。
おわり東急東横線 乗り物
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補足。思い出の画像
昔の東急東横線。菊名駅付近を走る、8000系下り電車。
当時は8両編成ででした。
8000系は初めての20m四扉オールステンレス車、海自チョッパ制御と回生ブレーキ装備、空気ブレーキも我が国初の電気指令式という、全てが画期的な車両で、まさに東急の代名詞と言える車両だった。
昭和44年に登場してから、40年近くにわたって活躍。東急は米国のメーカーからライセンスを取得し傘下の車両メーカーでステンレス車を量産、東急=ステンレス車、というイメージはこの車両で確固たるものになりました。 -
思い出の画像
東急9000系電車。現在大井町線で最後の活躍を行っている。
我が国初の量産型本格的インバータ制御+交流誘導電動機を採用した車両。
当初は東横線専用に導入され、8両編成で東横特急にも運用された。1986年に登場してから、2013年まで東横線で活躍、2026年現在、東急からはどんどん引退しているが、現在、西武鉄道に譲渡が進んでおり、今後は西武鉄道の支線で第二の活躍をすることになります。 -
思い出の画像
東急1000系電車。地下鉄日比谷線内で撮影。
3扉18m車体で8両編成で東横線菊名駅から日比谷線北千住までの区間で運用された。
1988年登場後、日比谷線直通が終了する2013年まで東横線で活躍した後、支線の池上線、多摩川線に転属したほか、国内各地のローカル私鉄に多くが譲渡され活躍している。
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旅行記グループ 撮り鉄・乗り鉄紀行いろいろ-2
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