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都内の紅葉の名所のひとつ、小石川後楽園。<br />12月くらいに訪問しようと思っていたところ、5月下旬から6月上旬まで「花菖蒲を楽しむ」というイベントをやっていることをネットでたまたま発見しました。<br />予定を変更して花菖蒲を見るのを目的に、久々に小石川後楽園を訪れてみました。<br /><br />

花菖蒲を見に小石川後楽園へ

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2024/05/29 - 2024/05/29

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キャンサー50

キャンサー50さん

都内の紅葉の名所のひとつ、小石川後楽園。
12月くらいに訪問しようと思っていたところ、5月下旬から6月上旬まで「花菖蒲を楽しむ」というイベントをやっていることをネットでたまたま発見しました。
予定を変更して花菖蒲を見るのを目的に、久々に小石川後楽園を訪れてみました。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
3.0
同行者
その他
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
私鉄
  • スタートは東京メトロ丸の内線後楽園駅。<br />駅周辺を少し散策してから小石川後楽園へ向かいました。<br />こちらは駅前に聳える、文京区シビックセンター。<br />音楽イベントにも使われるホールや区民施設、区役所などの公共機関からなる総合施設です。<br />帽子のつばのような上層部が印象的です。<br /><br />

    スタートは東京メトロ丸の内線後楽園駅。
    駅周辺を少し散策してから小石川後楽園へ向かいました。
    こちらは駅前に聳える、文京区シビックセンター。
    音楽イベントにも使われるホールや区民施設、区役所などの公共機関からなる総合施設です。
    帽子のつばのような上層部が印象的です。

    文京シビックセンター 名所・史跡

  • 文京区シビックセンターの1階にある文京区観光インフォメーション。<br />文京区の観光に関する情報を提供しています。<br />小石川後楽園のパンフレットもあります。<br /><br />

    文京区シビックセンターの1階にある文京区観光インフォメーション。
    文京区の観光に関する情報を提供しています。
    小石川後楽園のパンフレットもあります。

    文京区観光インフォメーション 名所・史跡

  • 文京シビックセンター25階にある展望ラウンジ。<br />地上約105mにあり、東・西・北側の展望が開けています。<br />2026年12月までは改修工事のため、閉鎖されています。<br /><br />

    文京シビックセンター25階にある展望ラウンジ。
    地上約105mにあり、東・西・北側の展望が開けています。
    2026年12月までは改修工事のため、閉鎖されています。

    文京シビックセンター展望ラウンジ 名所・史跡

  • 東側の展望です。<br />東京スカイツリーが見えます。<br /><br />

    東側の展望です。
    東京スカイツリーが見えます。

    文京シビックセンター展望ラウンジ 名所・史跡

  • 西側の展望。<br />新宿副都心のビル群が見えます。<br />快晴ならば富士山も望めます。<br /><br />

    西側の展望。
    新宿副都心のビル群が見えます。
    快晴ならば富士山も望めます。

    文京シビックセンター展望ラウンジ 名所・史跡

  • 文京シビックセンターの東側に隣接する講道館です。<br />柔道家、嘉納治五郎が興した柔道の総本山です。<br />正面には嘉納治五郎像があります。<br /><br />

    文京シビックセンターの東側に隣接する講道館です。
    柔道家、嘉納治五郎が興した柔道の総本山です。
    正面には嘉納治五郎像があります。

    嘉納治五郎像 (講道館) 名所・史跡

  • 文京シビックセンターの西側に隣接する礫川公園。<br />かつての軍用地の一角にできた公園です。<br />高低差をいかした3段の構造になっています。<br /><br />

    文京シビックセンターの西側に隣接する礫川公園。
    かつての軍用地の一角にできた公園です。
    高低差をいかした3段の構造になっています。

    礫川公園 公園・植物園

  • 礫川公園のシンボル、カスケード。<br />イタリア・ルネッサンス様式を参考に、垂直に立つ鉄平石張りの壁面に造られています。<br />水を吹き出すブロンズの獅子や羊の彫刻と、ローズマリーの植栽が、西欧の雰囲気を放っています。<br /><br />

    礫川公園のシンボル、カスケード。
    イタリア・ルネッサンス様式を参考に、垂直に立つ鉄平石張りの壁面に造られています。
    水を吹き出すブロンズの獅子や羊の彫刻と、ローズマリーの植栽が、西欧の雰囲気を放っています。

    礫川公園 公園・植物園

  • 礫川公園には、いくつかの見どころがあります。<br />こちらはハンカチの木とその前に建つ「幸田文ゆかりの「ハンカチの木」」の説明板。<br />作家、幸田文の長女で随筆家の青木玉が多くの方に見ていただきたいと礫川公園内に移植されたそうです。<br /><br />

    礫川公園には、いくつかの見どころがあります。
    こちらはハンカチの木とその前に建つ「幸田文ゆかりの「ハンカチの木」」の説明板。
    作家、幸田文の長女で随筆家の青木玉が多くの方に見ていただきたいと礫川公園内に移植されたそうです。

    幸田文ゆかりの「ハンカチの木」 名所・史跡

  • ハンカチの木の隣にあるはぜの木と「童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木」の説明板。<br />詩人サトウハチローは文京区弥生2丁目の自宅の庭で、ハゼノキが色づいた情景から童謡「ちいさい秋みつけた」を詠みました。<br />このハゼノキを移植したものです。<br /><br />

    ハンカチの木の隣にあるはぜの木と「童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木」の説明板。
    詩人サトウハチローは文京区弥生2丁目の自宅の庭で、ハゼノキが色づいた情景から童謡「ちいさい秋みつけた」を詠みました。
    このハゼノキを移植したものです。

    童謡「ちいさい秋みつけた」とはぜの木 名所・史跡

  • 公園に一番上の段にある「諸工伝習所跡記念碑」。<br />ここは、明治初期にフランス砲兵大尉を招いてから第二次大戦終結まで陸軍技術の教育が続けられた場所です。<br /><br />

    公園に一番上の段にある「諸工伝習所跡記念碑」。
    ここは、明治初期にフランス砲兵大尉を招いてから第二次大戦終結まで陸軍技術の教育が続けられた場所です。

    諸工伝習所跡記念碑 名所・史跡

  • 文京シビックセンターの南側にあるのがLaQua(ラクーア)。<br />東京ドームに併設されたスパ施設を中心とした水がテーマの総合アミューズメント施設です。<br />個人的にはショッピングモールのイメージが強いです。<br /><br />

    文京シビックセンターの南側にあるのがLaQua(ラクーア)。
    東京ドームに併設されたスパ施設を中心とした水がテーマの総合アミューズメント施設です。
    個人的にはショッピングモールのイメージが強いです。

    ラクーア テーマパーク

  • 小石川後楽園の東にあるのが、東京ドーム。<br />1988年に開場した、日本初の屋根付き球場です。<br />プロ野球読売ジャイアンツのフランチャイズとして、コンサート会場として有名です。<br /><br />

    小石川後楽園の東にあるのが、東京ドーム。
    1988年に開場した、日本初の屋根付き球場です。
    プロ野球読売ジャイアンツのフランチャイズとして、コンサート会場として有名です。

    東京ドーム 名所・史跡

  • こちらが小石川後楽園。<br />江戸時代初期の寛永6年(1629)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が江戸の中屋敷に築造し、2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園です。<br />園内は、「大泉水」の「海」の「景」を中心に、これをめぐる周囲に「山」「川」「田園(村里)」などの「景」が連環して配置されており、変化に富んだ風景が展開する「回遊式築山泉水庭園」です。<br />日本と中国の名所や古典になぞらえた見所を配してあります。<br /><br />

    こちらが小石川後楽園。
    江戸時代初期の寛永6年(1629)に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が江戸の中屋敷に築造し、2代藩主・光圀の修治により完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園です。
    園内は、「大泉水」の「海」の「景」を中心に、これをめぐる周囲に「山」「川」「田園(村里)」などの「景」が連環して配置されており、変化に富んだ風景が展開する「回遊式築山泉水庭園」です。
    日本と中国の名所や古典になぞらえた見所を配してあります。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 小石川後楽園入口すぐにある涵徳亭。<br />玻璃障子紙を明り取りに用いていたため「ガラスノ茶屋」「びいどろ茶屋」と呼ばれていた茅葺の茶屋を、享保年間に林信篤が涵徳亭と名づけました。<br />現在の建物は昭和61年に再建されたもので、集会施設として貸し出されています。<br /><br />

    小石川後楽園入口すぐにある涵徳亭。
    玻璃障子紙を明り取りに用いていたため「ガラスノ茶屋」「びいどろ茶屋」と呼ばれていた茅葺の茶屋を、享保年間に林信篤が涵徳亭と名づけました。
    現在の建物は昭和61年に再建されたもので、集会施設として貸し出されています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 小石川後楽園の中心に位置する大泉水。<br />今回は入口から大泉水を左回りに進みます。<br /><br />

    小石川後楽園の中心に位置する大泉水。
    今回は入口から大泉水を左回りに進みます。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 大泉水の一角にある蓮池。<br />5月だったので、蓮は咲いていませんでした。<br /><br />

    大泉水の一角にある蓮池。
    5月だったので、蓮は咲いていませんでした。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 小鷹山。<br />中国の景勝地「鷹山」にちなんで、京都東山の清水寺一帯は「小鷹山」と呼ばれています。<br />当園ではこの一帯を京都東山に見立てていることから「小鷹山」と名付けられています。<br /><br />

    小鷹山。
    中国の景勝地「鷹山」にちなんで、京都東山の清水寺一帯は「小鷹山」と呼ばれています。
    当園ではこの一帯を京都東山に見立てていることから「小鷹山」と名付けられています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんで「大堰川」と名付けられた流れに架かる小さな橋、渡月橋です。<br />

    京都の嵐山の下を流れる大堰川にちなんで「大堰川」と名付けられた流れに架かる小さな橋、渡月橋です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 渡月橋のすぐ先にあるのが西湖の堤。<br />中国の名勝地杭州「西湖」にかかる堰堤を模した堤です。<br /><br />

    渡月橋のすぐ先にあるのが西湖の堤。
    中国の名勝地杭州「西湖」にかかる堰堤を模した堤です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 西湖の堤に先が屏風岩です。<br />屏風のようにまっすぐに屹立しているため、この名がつきました。<br />三代将軍家光が訪れた際に、岩の近くの松に手巾をかけ、河原の石に腰を下ろして休んだといわれています。<br /><br />

    西湖の堤に先が屏風岩です。
    屏風のようにまっすぐに屹立しているため、この名がつきました。
    三代将軍家光が訪れた際に、岩の近くの松に手巾をかけ、河原の石に腰を下ろして休んだといわれています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 大堰川の上流に架かる朱色の小さな橋、通天橋です。<br />京都東福寺にある通天橋を模したといわれています。<br /><br />

    大堰川の上流に架かる朱色の小さな橋、通天橋です。
    京都東福寺にある通天橋を模したといわれています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 通天橋を渡った先にある得仁堂。<br />水戸徳川家2代藩主光圀による、園内で最古の建物です。<br />光圀が「史記」を読み感銘を受け、伯夷・叔齊像を安置しました。<br /><br />

    通天橋を渡った先にある得仁堂。
    水戸徳川家2代藩主光圀による、園内で最古の建物です。
    光圀が「史記」を読み感銘を受け、伯夷・叔齊像を安置しました。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 円月橋。<br />後楽園内の旧神田上水跡 に架かる橋で、水戸藩主徳川光圀の命により、明の儒学者朱舜水が設計した我が国初の石造アーチ橋です。<br />橋が水面に映る形が満月になることから名付けられました。<br /><br />

    円月橋。
    後楽園内の旧神田上水跡 に架かる橋で、水戸藩主徳川光圀の命により、明の儒学者朱舜水が設計した我が国初の石造アーチ橋です。
    橋が水面に映る形が満月になることから名付けられました。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 円月橋の先にある八卦堂跡。<br />水戸家二代光圀が7歳の時、将軍家光に謁見したおり「文昌星」像を頂戴しました。<br />後に光圀は文学を好むようになり、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置しました。<br />堂は関東大震災で焼失し、現在は台石を残すのみです。<br /><br />

    円月橋の先にある八卦堂跡。
    水戸家二代光圀が7歳の時、将軍家光に謁見したおり「文昌星」像を頂戴しました。
    後に光圀は文学を好むようになり、文昌星を思い起こし八卦堂を造りその像を安置しました。
    堂は関東大震災で焼失し、現在は台石を残すのみです。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 愛宕坂。<br />京都愛宕山の坂にならって造られたもので、四十七段の石段からなっています。<br /><br />

    愛宕坂。
    京都愛宕山の坂にならって造られたもので、四十七段の石段からなっています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 愛宕坂を下った先に花菖蒲畑が広がっていました。<br />「花菖蒲を楽しむ」イベントの期間中は、来場者がより間近で花菖蒲を観賞できるよう菖蒲田の脇に木道「花菖蒲の小道」が設置されています。<br /><br />

    愛宕坂を下った先に花菖蒲畑が広がっていました。
    「花菖蒲を楽しむ」イベントの期間中は、来場者がより間近で花菖蒲を観賞できるよう菖蒲田の脇に木道「花菖蒲の小道」が設置されています。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 花菖蒲畑の前にある九八屋。<br />江戸時代の酒亭を復元した建物です。<br />この名の由来は、『酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。』との教訓から。<br /><br />

    花菖蒲畑の前にある九八屋。
    江戸時代の酒亭を復元した建物です。
    この名の由来は、『酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。』との教訓から。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 後楽園の東側にある赤門。<br />史資料が少なく、詳細は不明です。<br />現在の赤門は明治時代以降に建てられた可能性が高いそうです。<br /><br />

    後楽園の東側にある赤門。
    史資料が少なく、詳細は不明です。
    現在の赤門は明治時代以降に建てられた可能性が高いそうです。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 大泉水の北側にある白糸の滝。<br />白糸の滝は 6 代藩主治保の史資料に登場しますが、近年の発掘調査から滝の築造以来複数回改修されてきたことが判明しており、詳細な築造時期や位置については不明です。<br /><br />

    大泉水の北側にある白糸の滝。
    白糸の滝は 6 代藩主治保の史資料に登場しますが、近年の発掘調査から滝の築造以来複数回改修されてきたことが判明しており、詳細な築造時期や位置については不明です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 大泉水の中央に浮かぶ中島、蓬莱島です。<br />江戸時代初期には、島に弁財天や瀑布、三保の松原、蘇鉄山などがありましたが、地震で池中に沈み、形が変わったそうです。<br /><br />

    大泉水の中央に浮かぶ中島、蓬莱島です。
    江戸時代初期には、島に弁財天や瀑布、三保の松原、蘇鉄山などがありましたが、地震で池中に沈み、形が変わったそうです。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • こちらは&#30238;鷂碑。<br />異形燈籠から鳴門へ向かう途中にあり7代藩主治紀が幕府より賜った1羽のタカが8代藩主斉脩の代に死に、先代の治紀が遺愛したこのタカを本園内に埋めた際に立てた碑です。<br /><br />

    こちらは瘞鷂碑。
    異形燈籠から鳴門へ向かう途中にあり7代藩主治紀が幕府より賜った1羽のタカが8代藩主斉脩の代に死に、先代の治紀が遺愛したこのタカを本園内に埋めた際に立てた碑です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 大泉水の東側にあり、鳴門から一つ松、清水観音堂方面に向かう後楽園で最も長い大泉水の眺望線上で、最も手前に見えるのが竹生島です。<br />島と呼んでいますが、水面にちょこっと顔を出した石群です。

    大泉水の東側にあり、鳴門から一つ松、清水観音堂方面に向かう後楽園で最も長い大泉水の眺望線上で、最も手前に見えるのが竹生島です。
    島と呼んでいますが、水面にちょこっと顔を出した石群です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 後楽園の東端にあるのが内庭です。<br />内庭は水戸藩邸の書院の庭で、江戸時代には『うちの御庭』などと呼ばれていました。<br />大泉水とは別の小ぶりな池があります。<br /><br />

    後楽園の東端にあるのが内庭です。
    内庭は水戸藩邸の書院の庭で、江戸時代には『うちの御庭』などと呼ばれていました。
    大泉水とは別の小ぶりな池があります。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 訪問時、内庭の池には蓮の白い花がたくさん咲いており、ラッキーでした。<br />

    訪問時、内庭の池には蓮の白い花がたくさん咲いており、ラッキーでした。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 後楽園南西部にある竜田川。<br />紅葉の名所である奈良の竜田川にちなんでいます。<br /><br />

    後楽園南西部にある竜田川。
    紅葉の名所である奈良の竜田川にちなんでいます。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 竜田川沿いにあった「駐歩泉」の石碑。<br />9代藩主斉昭時代に龍田川の一部が暗渠化され、斉昭が西行堂付近の龍田川の柳陰清泉の景を初代藩主頼房及び2代藩主光圀の遺勲とともに称え、駐歩泉と命名されました。<br />石碑の「駐歩泉」は斉昭の自筆です。<br /><br />

    竜田川沿いにあった「駐歩泉」の石碑。
    9代藩主斉昭時代に龍田川の一部が暗渠化され、斉昭が西行堂付近の龍田川の柳陰清泉の景を初代藩主頼房及び2代藩主光圀の遺勲とともに称え、駐歩泉と命名されました。
    石碑の「駐歩泉」は斉昭の自筆です。

    小石川後楽園 公園・植物園

  • 「駐歩泉」の石碑の奥にあるのが西行堂跡。<br />西行堂は、後楽園の西側にあった江戸初期の建築物です。<br />作庭当初に建立されたとみられ、西行法師の木像を祀った草深い堂でした。<br />関東大震災と太平洋戦争の戦災で焼失、現在は基壇と入口の両脇に獅子のみが残ります。<br /><br />あまり有名でない小石川後楽園の花菖蒲でしたが、知る人ぞ知るで、多くの人がカメラ片手に訪れていました。<br />秋も良いですが、菖蒲の季節も緑鮮やかで訪れ甲斐がありました。<br />内庭の蓮の花の群生を見れたのは、素敵なおまけでした。<br /><br />

    「駐歩泉」の石碑の奥にあるのが西行堂跡。
    西行堂は、後楽園の西側にあった江戸初期の建築物です。
    作庭当初に建立されたとみられ、西行法師の木像を祀った草深い堂でした。
    関東大震災と太平洋戦争の戦災で焼失、現在は基壇と入口の両脇に獅子のみが残ります。

    あまり有名でない小石川後楽園の花菖蒲でしたが、知る人ぞ知るで、多くの人がカメラ片手に訪れていました。
    秋も良いですが、菖蒲の季節も緑鮮やかで訪れ甲斐がありました。
    内庭の蓮の花の群生を見れたのは、素敵なおまけでした。

    小石川後楽園 公園・植物園

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