2026/05/09 - 2026/05/09
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mom Kさん
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こんな時はいつも、
「どんな時代でも必要な人には必要な情報が届くものです。」
咸宜園かつての守りびと、田中先生の言葉を思い出す。
- 旅行の満足度
- 5.0
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JR三輪駅で手に取った。関西のハイキングコースを地元ボランティアガイドさんの案内で歩く。一覧表の中に、「近江八幡・・安土城・・セミナリヨ跡・・」を見つけた。当時有馬と安土に建てられたが確か数年のはず。その後の禁教の厳しさを思えば、抹殺は当然で、語り継ぎ、片鱗さえ守られるはずがない。それが見られる。
三輪駅 駅
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京都駅から新快速で9時35分に着く。近江八幡駅北口観光案内所前に9時40分集合。
物々しいお迎えです。
受付で参加費用500円(保険料,資料代)と引き換えに、大判の封筒と参加プレートを渡されました。
なんと想像を超える参加者で、1グループが15名余で4グループに分かれて歩きます。団塊の世代はどこでも多数派。近江八幡駅 駅
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グループ1の出陣式が済み、続いて私達の番。
信長公に扮した戦大将が「勝どきじゃー」と声を上げると、私達もこぶしを振り上げ、「エイエイオーッ!」と声を揃え、繰り返す。信長公が「いざ出陣!」と勇ましく号令→太鼓が鳴り響く。全身高揚。俄然その気になるスタート。
近江八幡市、町を挙げて歓待してくださいます。近江八幡駅 駅
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西光寺
グループ1がガイドさんの説明を拝聴中なので、私たちは左手に進む。
天正7年(1579年)、安土の浄厳院で行われた安土問答で勝った聖誉定安(せいよていあん)に信長が与えた寺だそうです。3年後に “本能寺の変“ です。
豊臣秀次が八幡山城築城の際、ここに移された。西光寺 寺・神社・教会
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本能寺で信長公が亡くなった時、交流のあった当寺僧侶が駆け付け、歯とお骨の一部を持ち帰って、ここに埋葬したらしい。
私たちと同じ世代のガイドさんは、「織田信長」とは決して言わず、ツアーの最後まで「信長公は・・・」でした。西光寺 寺・神社・教会
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近江商人の屋敷通り。
うんと若い頃、車で訪れたきり。丁寧に歩いていないので、初めての街を歩く心持で、私は余所見ばかりする。それにただそろって歩く遠足(ツアー)は慣れないので、なんとなく窮屈。 -
10時25分 トイレ休憩。
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甲賀の武士だった伴庄兵衛は、安土・八幡と移り住み、商人となる。七代目が、町家や農家に二階建てが許されなかった江戸期に大屋敷を建てる。
ーパンフレットよりー旧伴家住宅 寺・神社・教会
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続く建物は、明治の学制頒布直後に小学校として転用。現在、1895年当時の尋常高等小学校の図面に基づき復元されている。
トイレ休憩だけで見学はしない。今日は、ハイキングが目的。旧伴家住宅 寺・神社・教会
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朝鮮通信使が通った道。近江商人達は厚くもてなしたという。江戸まで大層な行列で歩いているのに、近江八幡以外では、通り道や町に残る標識はあまり見かけたことがない。ましてや“朝鮮人街道”と名付けられたところはほかにあるのだろうか。
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ヴォーリズ建築 1953年に増改築された元警察署。
1974年より市立資料館
外観を紹介されただけで、立ち止まらず。近江八幡市立資料館 名所・史跡
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こちらも前を通るだけで少し残念。
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立ち止まっていると、おいていかれます。まだまだ12㌔の道程は長いのです。看板を読む時間もありません。
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やっぱりさっきの古道具屋さんの軒下のお茶碗が気になる。
走って戻り、写真に。真ん中上の二つは違いない。
長浜の “翼果楼(よかろう)” で目を留めたお茶碗。
グループの歩きは止まらない。買えない。 -
旧八幡郵便局 ヴォーリズ建築
1921年建築。1960年まで現役郵便局。
現在、NPO法人ヴォ―リス建築保存再生運動「一粒の会」の事務所。内部見学可能と手元のパンフレットで知る。
歩きは一瞬も止まらない。説明も無し。旧八幡郵便局 名所・史跡
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建て込んだ道路にこの家だけ奥まっています。
通りすがりのひと目で、お店かどうかも分かりません。あの木もそばに寄って眺めたかった。敷地全体がとてもバランスのよいおうちで、右手向こうに駐車場らしきところが見え、訪れたいと思いました。 -
歩く歩くひたすら歩く近江八幡市中。きょろきょろと外れがちになる私に「お一人参加ですか。」と声をかけてくださる男性。残念です。
”近江商人”の手形は、全国フリーパスだったそうです。商品見本を携え、商談をまとめてきて、商品を発送するシステム。大店が取引先なので、堅実な上、莫大な利益がもたらされたことだろう。 -
当時のままとあるが、真っ直ぐで広い。
徳川時代、家康・秀忠・家光が上洛する際に利用。参勤交代の大名には通行を禁じたが、友好親善のために派遣されてきた朝鮮通信使には通行を許したという。裕福な商家が並ぶ近江八幡では、昼食場所として接待を受けたらしい。(ハイキング配布の印刷物より) -
野間清六
通り過ぎざまにこれを読む限りでは、もっと知りたくて仕方のない内容。
今日はハイキング。
心残りのお茶碗のこともある。冬の初めにもう一度来よう。 -
近江八幡の町並みを出る。郊外のスーパーマーケット前で、幟をもって待機されている女性から一人ずつおやつ袋を頂く。子どもの気分が楽しい。遠足ね。
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一面、麦畑。
踏切を渡る。
電車が通らないかなあ。 -
1グループがずっと先を歩いている。
3グループもずっと後ろ。
大人の遠足風景も悪くない。地元の人は道にも農作業にも見かけない。私たちだけがこの空の下を歩いている。 -
見事なお天気。見事の風景。
近江米もおいしいのよねえ。 -
ようやく人家が見えてきて、とても静かな集落についた。
境内に入ると、
鐘楼 -
立派な門が見えました。
浄厳院浄厳院 寺・神社・教会
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グループ1が次に向かっています。
本堂の前でボランティアさんの説明を受けます。
が、全然頭に入りません。ごめんなさい。
この静けさとお天気に満足。浄厳院 寺・神社・教会
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素晴らしいお寺です。ですが、お寺の人の姿も気配も全然ありません。
隅々まで手入れが行き届いているのに・・・・
そのことに畏敬の念。次に向かいます。
私たちは裏側から入り、表門から出ます。
勿体なくて振り返りました。浄厳院 寺・神社・教会
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安土の家並みの中に入ったら、次は敷地の広い神社でした。
近江八幡駅で見送っていただいた方々がこちらでもお迎えに。
ご苦労様です。なんだか申し訳ない気持ち。それにしても皆さんお似合いです。
背後に見える白い大木が “なんじゃもんじゃ”(学名 ヒトツバタゴ)。
そばに行って、見上げる。「これはなんだ。」と言う驚きがこの名の由来とか。
今日のハイキング名にもなったのですから、期待していました。
お昼休憩です。沙沙貴神社 寺・神社・教会
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近所のお米屋さんで佐渡産 “こしひかり” 入手。ちょっとびっくりの美味しさ。
外海府YHのお母さんは、今もお一人で奮闘されているかなあ。イカとズッキーニの炒め物は我が家の語り草。
左容器には、宮津ばら寿司のように焼きサバを甘辛くそぼろ煮して炊き立てご飯に混ぜて小さなおにぎり。紀州もまぜご飯に入れる。ちらし鮨とは言わない。混ぜる。
こんな時、やっぱりご飯が最高。沙沙貴神社 寺・神社・教会
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旧伊庭家住宅
大正2年築 [昭和9年~10年改造]、洋風木造住宅のヴォーリズ建築
入母屋造りの瓦葺の和風玄関旧伊庭家住宅 名所・史跡
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主体部はハーフティンバーで天然石スレート葺きの煙突を備えた英国風。
見学可能だが、外観からの説明のみ。今日はハイキング。
でもパンフレットのコースには書かれていないのに、ご紹介はありがたい。旧伊庭家住宅 名所・史跡
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安土城郭資料館で初めて建物の中に入っての見学。
入館チケット引換券も携えていた大判封筒に入っています。安土城郭資料館 美術館・博物館
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安土城は跡しか残されていないが、その歴史的、建築的役割は大きかったと高札文。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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20分ほどの時間でしたが、それほど広くない館内。屏風絵をゆっくり楽しむことができました。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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ヴァリニャーノ神父名登場。
一年前のサン・ロケ教会を思い出し、厚かましくも “知人” に再会気分。 -
当時の人々の衣服や仕事の様子を見るのが楽しい。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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消えた安土城
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大河ドラマの参考資料
宣教師の姿を注視。安土城郭資料館 美術館・博物館
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相撲が描かれている理由がこの後納得。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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公家のお休み所でしょうか。
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三層の建物のそばに宣教師たち
出入りするポルトガル商人らしい姿も描かれている。安土城郭資料館 美術館・博物館
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船上にも当時の洋装姿が見える。
安土城郭資料館 美術館・博物館
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安土駅を通り抜けて進んだ先に、私の目的地に着きました。
イエズス会オルガンチーノ神父は、信長に与えられた土地に、安土城と同じ水色の瓦を使った三層のカトリック神学校を建てる。高山右近などの信者による援助を受けた。
1582年6月の本能寺の変後、明智勢の侵略で廃墟となる。セミナリヨ跡 名所・史跡
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ここでボランティアさんは興味深いことを言われました。この場所の発掘からは何も発見されなかった。もう一か所、セミナリヨ跡かもしれないと考えられる場所があるが、現在そこは個人宅。到底発掘調査はできないという。
この説明で私の懸念が間違っていなかったと妙に納得してしまった。セミナリヨ跡 名所・史跡
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あの屏風絵の建物と似ています。
一階は茶室のついた座敷。二階は神父の居室。三階は教室と生徒の寮。
信長もしばしば立ち寄ったらしい。城下町にしては真っ直ぐなかつてのメイン道路、
マントを翻し、駆け抜ける彼を想像する。走る供は俊足を選び可愛がっただろう。セミナリヨ跡 名所・史跡
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公園から道路に出る曲がり角の石垣に目が留まった。中は新しいお家。ちょうど当主が内側におられたので、尋ねた。♂「当時の石垣です。」
代々のおうちだからこそ、守り伝えてくださったのですね。ありがとうございます。
またグループに置いてきぼりにされそうで走り追いつく。 -
新宮神社
1570年から1581年にかけて、信長はたびたび相撲大会を開いている。
大相撲の「東西」の起源となったのは安土の竹相撲。
東家の当主が西島次郎と引き分けの熱戦を繰り広げ、信長はこの健闘を称え、二人にそれぞれ「東」と「西」の苗字を与えたとされる。
近年、東家と西家の子孫がこの絵馬を奉納。
ここに続く通りに「東」の表札がかけられた立派なおうちを見ています。
(帰宅して調べたこと。現在の当主で44代目。江戸時代に建てられた主屋や土蔵は、国の登録湯系文化財指定) -
百々橋渡る。城下町からの登城口に続く。画面右手は内海に出る。
振り返ると、 -
安土城の石段「百々橋口」
二十代の頃、ここから上っている。
今は、お城跡の山上には駐車場のある場所からしか上がれません。 -
山の裾を右手に進んで、ここに着きます。ここでグループ解散。
安土城へ向かう人は、新たに希望者で編成。ボランティアさんの案内を受けながら続行。安土駅へは、戻るボランティアさんと同行できます。安土城跡 名所・史跡
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私たちは、ゆっくり道草して帰ることにしました。幹線道路に出たら、
「九条の会」のメンバーさんがスタンディングアピール中。
「ごくろうさまです。」
その向こうにスーパーマーケットが見えました。ここは滋賀県。
あるかなあるかな。ない、ない、無い!
こうなったら、木之本へ行く?あきらめかけたとき。
あったアーーーーーーーーーーー、
メーカーパン山済みコーナーの端っこに、一種類だけ “サラダパン” 隠れるように3個だけ。もちろん全部。
意気揚々と安土駅へ。帰宅が一層楽しみ。
信長公、進言します。私達は戦(=12キロ踏破)果を上げました。
安土城築城450年記念の旗も誇らしげな五月の空。安土駅 駅
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今度はいつ会えるかな
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