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2019年12月に行ったルーマニア・ブルガリアで、ますます中東欧に興味が湧きました。<br />その2ヶ月後に中欧4カ国のツアーが、今では考えられないお得な金額で出ているのを知って、お友達と行って来ました。<br />ちょうど新型コロナが中国に次いで日本でも流行し始めた時期で、ダイヤモンドプリンセス号では大変なことになっていました。<br />私たちはギリギリ行けましたが、向こうに行けば「汚染国から来た日本人」と見られ、中欧のこの4カ国ではこの時点で感染者はゼロだったにもかかわらず、帰って来れば「海外からウィルス持ち込まないで」という目で見られたような気がします(ーー;)<br /><br />HIS impresso<br />美しき東欧4ヶ国5つの世界遺産を含む6都市を大周遊<br />ポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバキア8日間<br />2020年<br />2/19(水)<br />13:20 成田国際空港 ー 17:35 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU261<br />21:10 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー 22:00 ブダペスト・リスト・フェレンツ国際空港 アエロフロート航空 SU2468<br />メルキュール・ブダペスト・キャッスルヒル泊(ハンガリー、ブダペスト)<br /><br />2/20(木)<br />ホテルYASMIN(スロバキア、コシツェ)<br /><br />2/21(金)<br />ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)<br /><br />2/22(土)<br />ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)<br /><br />2/23(日)<br />ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)<br /><br />2/24(月)<br />ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)<br /><br />2/25(火)<br />13:05 ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 ー 18:05 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU2013<br />19:45 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー <br /><br />2/26(水)<br />11:20 成田国際空港 アエロフロート航空 SU260<br /><br />旅行代金 119,000円<br />サーチャージ 47,000円<br />現地諸税 5,540円<br />成田空港施設利用料 2,130円<br />成田空港旅客サービス料 530円<br />国際観光旅客税 1,000円<br />オプショナルツアー <br />アウシュビッツ強制収容所見学ツアー(昼食付) 90ユーロ(11,310円)<br />合計<br />186,510円

2020年2月 中欧(ハンガリー・スロバキア・ポーランド・チェコ)旅⑤ポーランド/アウシュビッツ

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2020/02/19 - 2020/02/26

100位(同エリア404件中)

旅行記グループ 2020年中欧4カ国周遊

6

74

しんちゃんちか

しんちゃんちかさん

この旅行記スケジュールを元に

2019年12月に行ったルーマニア・ブルガリアで、ますます中東欧に興味が湧きました。
その2ヶ月後に中欧4カ国のツアーが、今では考えられないお得な金額で出ているのを知って、お友達と行って来ました。
ちょうど新型コロナが中国に次いで日本でも流行し始めた時期で、ダイヤモンドプリンセス号では大変なことになっていました。
私たちはギリギリ行けましたが、向こうに行けば「汚染国から来た日本人」と見られ、中欧のこの4カ国ではこの時点で感染者はゼロだったにもかかわらず、帰って来れば「海外からウィルス持ち込まないで」という目で見られたような気がします(ーー;)

HIS impresso
美しき東欧4ヶ国5つの世界遺産を含む6都市を大周遊
ポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバキア8日間
2020年
2/19(水)
13:20 成田国際空港 ー 17:35 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU261
21:10 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー 22:00 ブダペスト・リスト・フェレンツ国際空港 アエロフロート航空 SU2468
メルキュール・ブダペスト・キャッスルヒル泊(ハンガリー、ブダペスト)

2/20(木)
ホテルYASMIN(スロバキア、コシツェ)

2/21(金)
ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)

2/22(土)
ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)

2/23(日)
ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)

2/24(月)
ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)

2/25(火)
13:05 ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 ー 18:05 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU2013
19:45 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー 

2/26(水)
11:20 成田国際空港 アエロフロート航空 SU260

旅行代金 119,000円
サーチャージ 47,000円
現地諸税 5,540円
成田空港施設利用料 2,130円
成田空港旅客サービス料 530円
国際観光旅客税 1,000円
オプショナルツアー 
アウシュビッツ強制収容所見学ツアー(昼食付) 90ユーロ(11,310円)
合計
186,510円

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
観光バス 徒歩
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
エイチ・アイ・エス
  • 2/22(土) 8:09<br />ツアーも4日目、折り返しになって来ました<br />今回は重い旅行記です…<br /><br />アウシュビッツ強制収容所駐車場に着きました

    2/22(土) 8:09
    ツアーも4日目、折り返しになって来ました
    今回は重い旅行記です…

    アウシュビッツ強制収容所駐車場に着きました

    オシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物

  • お世話になったバスです<br />クロアチアのナンバープレートで、ドライバーさんはクロアチア人でした<br />クロアチア料理はイタリア料理に近く、オリーブオイル&amp;シーフード系というイメージですよね<br />ポーランドの煮込み料理&amp;こってりクリーム系は苦手らしく、このあと行くレストランのランチはパスしたようです^_^;

    お世話になったバスです
    クロアチアのナンバープレートで、ドライバーさんはクロアチア人でした
    クロアチア料理はイタリア料理に近く、オリーブオイル&シーフード系というイメージですよね
    ポーランドの煮込み料理&こってりクリーム系は苦手らしく、このあと行くレストランのランチはパスしたようです^_^;

  • アウシュビッツ強制収容所には両替所もありました<br />ここで両替しました

    アウシュビッツ強制収容所には両替所もありました
    ここで両替しました

  • 言語別にガイドツアーがあります<br />空港のように手荷物検査を受けて中に入ります

    言語別にガイドツアーがあります
    空港のように手荷物検査を受けて中に入ります

  • 私たちは日本でこのオプショナルツアーに申し込んで来ましたが、こちらに着いてから添乗員さんに参加希望された方がいました<br />ギリギリまで参加の可否を待っていたようですが、残念ながら参加出来なかったようです

    私たちは日本でこのオプショナルツアーに申し込んで来ましたが、こちらに着いてから添乗員さんに参加希望された方がいました
    ギリギリまで参加の可否を待っていたようですが、残念ながら参加出来なかったようです

  • こちらには日本語ガイドがお二人いらっしゃいました(2020年2月現在)<br />1人は中谷さんと仰る日本人で、テレビの番組でも見ていたので、中谷さんになったら良いなあと思っていました

    こちらには日本語ガイドがお二人いらっしゃいました(2020年2月現在)
    1人は中谷さんと仰る日本人で、テレビの番組でも見ていたので、中谷さんになったら良いなあと思っていました

  • もう1人はポーランド人の女性の方です

    もう1人はポーランド人の女性の方です

  • 私たちは、このポーランド人ガイドさんが担当になりました<br />確か、祖父母のどちらかがこの収容所にいらした、とお聞きした記憶があります

    私たちは、このポーランド人ガイドさんが担当になりました
    確か、祖父母のどちらかがこの収容所にいらした、とお聞きした記憶があります

  • ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)…<br />皮肉なスローガン<br />収容者たちは毎日、この門をくぐって10数時間の労働に出かけたのですね<br />この門も収容者たちに作らせたそう<br />Bの文字が上下逆に見えますが、せめてもの反抗の証として逆にした、とか、その当時、逆にしたBの文字が流行っていたとか諸説あり<br />

    ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)…
    皮肉なスローガン
    収容者たちは毎日、この門をくぐって10数時間の労働に出かけたのですね
    この門も収容者たちに作らせたそう
    Bの文字が上下逆に見えますが、せめてもの反抗の証として逆にした、とか、その当時、逆にしたBの文字が流行っていたとか諸説あり

  • 実はアウシュビッツ収容所は3つあります<br />これから回るのは第一強制収容所と第二強制収容所になります<br /><br />アウシュヴィッツ第一強制収容所 オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)<br />アウシュヴィッツ第二強制収容所 ブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)<br />アウシュヴィッツ第三強制収容所 モノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ)

    実はアウシュビッツ収容所は3つあります
    これから回るのは第一強制収容所と第二強制収容所になります

    アウシュヴィッツ第一強制収容所 オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)
    アウシュヴィッツ第二強制収容所 ブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)
    アウシュヴィッツ第三強制収容所 モノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ)

  • 中に入って振り向いて撮ってみました

    中に入って振り向いて撮ってみました

  • 入ってすぐの場所にはこんな展示がありました<br />『この場所で、キャンプのオーケストラがマーチを演奏しました。その目的は、労働に向かう囚人とキャンプに戻ってくる囚人の通過を迅速にすることでした。<br />写真 SS、1941年』<br /><br />収容所に視察に来る人たちを、音楽でもてなすのが表面上の目的だったのかもしれませんが、実際は、人数管理を迅速にするために、収容者で編成されたオーケストラにマーチを弾かせて、テンポ良く歩かせたようです<br />

    入ってすぐの場所にはこんな展示がありました
    『この場所で、キャンプのオーケストラがマーチを演奏しました。その目的は、労働に向かう囚人とキャンプに戻ってくる囚人の通過を迅速にすることでした。
    写真 SS、1941年』

    収容所に視察に来る人たちを、音楽でもてなすのが表面上の目的だったのかもしれませんが、実際は、人数管理を迅速にするために、収容者で編成されたオーケストラにマーチを弾かせて、テンポ良く歩かせたようです

  • レンガ造りの建物は、旧ポーランド軍の兵舎を利用したものです

    レンガ造りの建物は、旧ポーランド軍の兵舎を利用したものです

  • 4号棟が混んでいたので、先に6号棟へ入ることに<br />『一般展示・収容者の生活』

    4号棟が混んでいたので、先に6号棟へ入ることに
    『一般展示・収容者の生活』

  • 廊下の両側の壁には、収容されていた人々の顔写真が多数

    廊下の両側の壁には、収容されていた人々の顔写真が多数

  • 1943年春以降、識別目的で囚人の写真撮影が行われました<br />ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人を中心に、約110万人がこの場所で命を落としました<br />

    1943年春以降、識別目的で囚人の写真撮影が行われました
    ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人を中心に、約110万人がこの場所で命を落としました

  • 収容者の識別標識(ワッペン)に関する解説<br />ナチスは収容者を分類するために、囚人服の胸やズボンに色や形が異なる三角形の布を縫い付けていました<br /><br />赤色 (Red): 政治犯。主にポーランド人がこのカテゴリーに分類されました<br />緑色 (Green): 刑事犯(常習犯)<br />黒色 (Black): 「反社会的要素」とみなされた人々。ロマ(ジプシー)、ホームレス、売春婦など<br />紫色 (Purple): エホバの証人。信仰上の理由で兵役などを拒否した人々<br />ピンク色 (Pink): 同性愛者。主にドイツ人やオーストリア人が対象<br />黄色 (Yellow): ユダヤ人。通常、黄色の三角形の上に別の色の三角形を重ねて、ダビデの星の形にして表示(例:赤と黄色で「ユダヤ人の政治犯」)<br /><br />「特別なカテゴリーの収容者の識別標識(DISTINGUISHING MARKS OF PRISONERS OF SPECIAL CATEGORIES)」についても記されています<br />刑罰部隊 (Penal Company): 収容所内でさらに厳しい罰を与えられた囚人で、三角形の下に黒い丸印が付けられました<br />逃走の恐れがある者: 背中に赤い丸印(標的のようなマーク)が描かれたり、特定の記号が付けられたりしました<br />これらの標識は、収容所内のヒエラルキーを形成し、看守が囚人の背景を即座に判断して過酷な労働や役割(カポなどの監視役)を割り当てるために利用されました

    収容者の識別標識(ワッペン)に関する解説
    ナチスは収容者を分類するために、囚人服の胸やズボンに色や形が異なる三角形の布を縫い付けていました

    赤色 (Red): 政治犯。主にポーランド人がこのカテゴリーに分類されました
    緑色 (Green): 刑事犯(常習犯)
    黒色 (Black): 「反社会的要素」とみなされた人々。ロマ(ジプシー)、ホームレス、売春婦など
    紫色 (Purple): エホバの証人。信仰上の理由で兵役などを拒否した人々
    ピンク色 (Pink): 同性愛者。主にドイツ人やオーストリア人が対象
    黄色 (Yellow): ユダヤ人。通常、黄色の三角形の上に別の色の三角形を重ねて、ダビデの星の形にして表示(例:赤と黄色で「ユダヤ人の政治犯」)

    「特別なカテゴリーの収容者の識別標識(DISTINGUISHING MARKS OF PRISONERS OF SPECIAL CATEGORIES)」についても記されています
    刑罰部隊 (Penal Company): 収容所内でさらに厳しい罰を与えられた囚人で、三角形の下に黒い丸印が付けられました
    逃走の恐れがある者: 背中に赤い丸印(標的のようなマーク)が描かれたり、特定の記号が付けられたりしました
    これらの標識は、収容所内のヒエラルキーを形成し、看守が囚人の背景を即座に判断して過酷な労働や役割(カポなどの監視役)を割り当てるために利用されました

  • 収容者が着用していた、白と青の縞模様の制服や靴が展示されています

    収容者が着用していた、白と青の縞模様の制服や靴が展示されています

  • 当時の収容者の食事で、どうやら1日分<br />当時の過酷な食料事情を物語っています<br /><br />ボウルに入った水っぽいスープ:昼食として支給されていた、腐った野菜やジャガイモが入った薄いスープ<br />黒パンの塊:夕食として配給された約300gのパン<br />小さな塊(マーガリンやチーズ):パンと一緒に稀に少量配給された<br /><br />成人が生きるために必要なカロリーの半分にも満たず、多くの人々が飢えと過酷な強制労働によって命を落としました<br /><br />朝食:約0.5リットルの「代用コーヒー」またはハーブティーのみ<br />昼食:約1リットルの水っぽいスープ<br />夕食:少量の黒パンと、わずかなマーガリン、ソーセージ、またはジャム

    当時の収容者の食事で、どうやら1日分
    当時の過酷な食料事情を物語っています

    ボウルに入った水っぽいスープ:昼食として支給されていた、腐った野菜やジャガイモが入った薄いスープ
    黒パンの塊:夕食として配給された約300gのパン
    小さな塊(マーガリンやチーズ):パンと一緒に稀に少量配給された

    成人が生きるために必要なカロリーの半分にも満たず、多くの人々が飢えと過酷な強制労働によって命を落としました

    朝食:約0.5リットルの「代用コーヒー」またはハーブティーのみ
    昼食:約1リットルの水っぽいスープ
    夕食:少量の黒パンと、わずかなマーガリン、ソーセージ、またはジャム

  • 犠牲者を追悼する彫刻

    犠牲者を追悼する彫刻

  • 先ほどのARBEIT MACHT FREI の収容所の門が右手に見えます<br />歩くことも出来ない同胞を抱えて歩かされるユダヤ人収容者とそれを統括するユダヤ人カポ(白っぽいズボンにブーツ姿)、そしてそれをポケットに手を入れながらあざ笑う若いドイツ人SS…

    先ほどのARBEIT MACHT FREI の収容所の門が右手に見えます
    歩くことも出来ない同胞を抱えて歩かされるユダヤ人収容者とそれを統括するユダヤ人カポ(白っぽいズボンにブーツ姿)、そしてそれをポケットに手を入れながらあざ笑う若いドイツ人SS…

  • 同じく強制収容所の門をくぐる強制連行者たち<br />まだ真っ直ぐ歩けているので、連れてこられたばかりでしょうか…

    同じく強制収容所の門をくぐる強制連行者たち
    まだ真っ直ぐ歩けているので、連れてこられたばかりでしょうか…

  • 犠牲となった子供たちの衣服や靴

    犠牲となった子供たちの衣服や靴

  • SS(親衛隊)の職員が勤務し、略式裁判の執行なども行われていた部屋<br />裁判とは名ばかりで、1人1分ほどで、何百名もいっぺんに行い、ほとんどが死刑になったそうです

    SS(親衛隊)の職員が勤務し、略式裁判の執行なども行われていた部屋
    裁判とは名ばかりで、1人1分ほどで、何百名もいっぺんに行い、ほとんどが死刑になったそうです

  • これだけ見れば普通の宿舎のようにも見えますが、ここはまだまだ第二収容所に比べれば天国だったそうです…<br />3段ベッドですが、1段に2人の囚人が寝ていたそう<br />1941年から1945年までの囚人の部屋でした

    これだけ見れば普通の宿舎のようにも見えますが、ここはまだまだ第二収容所に比べれば天国だったそうです…
    3段ベッドですが、1段に2人の囚人が寝ていたそう
    1941年から1945年までの囚人の部屋でした

  • ベッドになる前は、コンクリートの床に薄い布のような布団を敷いて、多数の人たちが写真のように雑魚寝をさせられていました<br />それ以前は、床に藁が敷いただけ、文字通り家畜のような寝床だったそうです

    ベッドになる前は、コンクリートの床に薄い布のような布団を敷いて、多数の人たちが写真のように雑魚寝をさせられていました
    それ以前は、床に藁が敷いただけ、文字通り家畜のような寝床だったそうです

  • 女性たちが処刑前に服を脱がされた部屋<br />その後、裏庭へと連行され、「死の壁」にて射殺されました

    女性たちが処刑前に服を脱がされた部屋
    その後、裏庭へと連行され、「死の壁」にて射殺されました

  • こちらがその裏庭にある「死の壁」<br />10号棟と11号棟の間にあるこの壁の前で、多くの収容者が銃殺刑に処されました<br />ここに隣接する窓は、何が起こっているのか見えないように、板で塞がれていました

    こちらがその裏庭にある「死の壁」
    10号棟と11号棟の間にあるこの壁の前で、多くの収容者が銃殺刑に処されました
    ここに隣接する窓は、何が起こっているのか見えないように、板で塞がれていました

  • 空いているように見えますが、棟によっては、混んでいて中に入りきれず、入り口からそとにはみ出していました<br /><br />11号棟は、一般のバラックとは違い「収容所内の監獄」と呼ばれた特別な棟でした<br />ここにはゲシュタポに逮捕されたポーランド人などが収監され、地下には懲罰用の牢が並んでいました<br /><br />餓死牢<br />食事も水も与えずに餓死させるための牢。完全な暗闇の中で数日から数週間かけて人を殺す方法がとられました<br />立ち牢<br />畳半畳のごく狭い空間に複数人を押し込み、一晩中立たせたままにする懲罰用の牢でした<br />窒息牢<br />通気が極端に悪く、酸素不足や熱気で苦しめるための牢とされています<br /><br />長崎で布教したこともあるポーランド出身のマクシミリアノ・コルベ神父は、アウシュビッツ第1収容所に送られたのち、脱走者が出たことへの見せしめとして、10人の餓死刑が言い渡された場面で、自分の家族を案じて泣き出した囚人の身代わりを申し出ました<br />彼は11号棟地下の「18号牢」に入れられ、そこで餓死刑に処されました<br />牢の前には今も「コルベ神父の餓死牢」としてプレートが掲げられ、花なども置かれていました<br />残念ながら、地下牢のほとんどは写真撮影禁止でした<br /><br />

    空いているように見えますが、棟によっては、混んでいて中に入りきれず、入り口からそとにはみ出していました

    11号棟は、一般のバラックとは違い「収容所内の監獄」と呼ばれた特別な棟でした
    ここにはゲシュタポに逮捕されたポーランド人などが収監され、地下には懲罰用の牢が並んでいました

    餓死牢
    食事も水も与えずに餓死させるための牢。完全な暗闇の中で数日から数週間かけて人を殺す方法がとられました
    立ち牢
    畳半畳のごく狭い空間に複数人を押し込み、一晩中立たせたままにする懲罰用の牢でした
    窒息牢
    通気が極端に悪く、酸素不足や熱気で苦しめるための牢とされています

    長崎で布教したこともあるポーランド出身のマクシミリアノ・コルベ神父は、アウシュビッツ第1収容所に送られたのち、脱走者が出たことへの見せしめとして、10人の餓死刑が言い渡された場面で、自分の家族を案じて泣き出した囚人の身代わりを申し出ました
    彼は11号棟地下の「18号牢」に入れられ、そこで餓死刑に処されました
    牢の前には今も「コルベ神父の餓死牢」としてプレートが掲げられ、花なども置かれていました
    残念ながら、地下牢のほとんどは写真撮影禁止でした

  • ヨーロッパ各地からの強制移送経路を示した地図<br />ナチス・ドイツが占領下のヨーロッパ全土から人々をアウシュビッツへ連行した経路で、ベルリン、パリ、ローマ、アテネなど、主要都市からアウシュビッツへと線が集中しています

    ヨーロッパ各地からの強制移送経路を示した地図
    ナチス・ドイツが占領下のヨーロッパ全土から人々をアウシュビッツへ連行した経路で、ベルリン、パリ、ローマ、アテネなど、主要都市からアウシュビッツへと線が集中しています

  • 収容所の役割と犠牲者<br />最大の収容所: アウシュヴィッツはナチス・ドイツ最大の強制収容所であり、1942年からはユダヤ人の大量虐殺センターとなりました。<br />移送者数: 1940年から1945年の間に、少なくとも130万人が移送されました。<br />ユダヤ人: 110万人<br />ポーランド人: 14万~15万人<br />ロマ(ジプシー): 2万3,000人<br />ソ連軍捕虜: 1万5,000人<br />その他の民族: 2万5,000人<br />犠牲の詳細<br />死者数: 移送された人々のうち、110万人がアウシュヴィッツで亡くなりました。<br />犠牲者の内訳: 犠牲者の約90%がユダヤ人でした。<br />殺害方法: その大多数は、親衛隊(SS)によってガス室で殺害されました。<br />

    収容所の役割と犠牲者
    最大の収容所: アウシュヴィッツはナチス・ドイツ最大の強制収容所であり、1942年からはユダヤ人の大量虐殺センターとなりました。
    移送者数: 1940年から1945年の間に、少なくとも130万人が移送されました。
    ユダヤ人: 110万人
    ポーランド人: 14万~15万人
    ロマ(ジプシー): 2万3,000人
    ソ連軍捕虜: 1万5,000人
    その他の民族: 2万5,000人
    犠牲の詳細
    死者数: 移送された人々のうち、110万人がアウシュヴィッツで亡くなりました。
    犠牲者の内訳: 犠牲者の約90%がユダヤ人でした。
    殺害方法: その大多数は、親衛隊(SS)によってガス室で殺害されました。

  • 犠牲者の遺灰が納められた追悼の骨壺

    犠牲者の遺灰が納められた追悼の骨壺

  • アウシュビッツに着いて、連行される様子です

    アウシュビッツに着いて、連行される様子です

  • 1943年に占領下ポーランドのシュルコヴィツェでロマ(ジプシー)の人々が強制的に退去させられる様子

    1943年に占領下ポーランドのシュルコヴィツェでロマ(ジプシー)の人々が強制的に退去させられる様子

  • 今いる場所は、写真の下の方のアウシュビッツ第一強制収容所(KL Auschwitz)ですが、この後行く第二収容所であるビルケナウ(Brzezinka /Birkenau/)は図の左の広大な敷地にあり、建屋も比べ物になりません<br />規模が全然違いますね

    今いる場所は、写真の下の方のアウシュビッツ第一強制収容所(KL Auschwitz)ですが、この後行く第二収容所であるビルケナウ(Brzezinka /Birkenau/)は図の左の広大な敷地にあり、建屋も比べ物になりません
    規模が全然違いますね

  • 収容所の宿舎の模型

    収容所の宿舎の模型

  • 収容所で殺害に使用された殺虫剤「チクロンB」の空き缶の山

    収容所で殺害に使用された殺虫剤「チクロンB」の空き缶の山

  • 人間の髪の毛で作られた織物またはマットレス<br />犠牲者から集められた髪の毛が工業用資材として利用されていた歴史的証拠です<br />当時の非人道的な行為と犠牲者を追悼するための重要な資料です

    人間の髪の毛で作られた織物またはマットレス
    犠牲者から集められた髪の毛が工業用資材として利用されていた歴史的証拠です
    当時の非人道的な行為と犠牲者を追悼するための重要な資料です

  • 5号棟「一般展示・犯罪の物的証拠MATERIAL PROOFS OF CRIMES」

    5号棟「一般展示・犯罪の物的証拠MATERIAL PROOFS OF CRIMES」

  • 犠牲者から没収されたメガネの山

    犠牲者から没収されたメガネの山

  • 犠牲になった人々から没収された義肢や装具

    犠牲になった人々から没収された義肢や装具

  • 金属製のホーロー容器(カップ、ボウル、ポットなど)

    金属製のホーロー容器(カップ、ボウル、ポットなど)

  • 到着した人々は、生活用品や貴重品が入ったスーツケースを没収され、その多くはすぐに殺害されました

    到着した人々は、生活用品や貴重品が入ったスーツケースを没収され、その多くはすぐに殺害されました

  • ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人たちは、しばらくしたら返して貰えると思って住所や名前を書いたのでしょう

    ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人たちは、しばらくしたら返して貰えると思って住所や名前を書いたのでしょう

  • 靴や衣服

    靴や衣服

  • ほとんどが黒い靴ですが、その中には赤や小さな子供用の靴も

    ほとんどが黒い靴ですが、その中には赤や小さな子供用の靴も

  • 髭剃りに使うブラシや靴ブラシ

    髭剃りに使うブラシや靴ブラシ

  • クリーム<br />ニベアがあると聞いたのですが、よくわからず…

    クリーム
    ニベアがあると聞いたのですが、よくわからず…

  • 有刺鉄線には高圧電流が流れていました<br />収容所の虐待に耐え切れなくなった収容者の中には、自ら近づいて感電死する人もいたそうです

    有刺鉄線には高圧電流が流れていました
    収容所の虐待に耐え切れなくなった収容者の中には、自ら近づいて感電死する人もいたそうです

  • 「娯楽棟」と呼ばれる場所もあり、ドイツ軍はそこで酒を飲んで酔っ払い、女性捕虜を虐待していました<br /><br />SS(親衛隊)の診療所(SS-Revier)、またはSSの医官たちのオフィスとして使われていた建物もありました<br />外灯の上の飾りは、「太鼓を叩く人」を象徴しているそうですが…<br />建物は、かつてSS(親衛隊)の食堂(SS Canteen)や診療所、娯楽棟、いくつか説がありました

    「娯楽棟」と呼ばれる場所もあり、ドイツ軍はそこで酒を飲んで酔っ払い、女性捕虜を虐待していました

    SS(親衛隊)の診療所(SS-Revier)、またはSSの医官たちのオフィスとして使われていた建物もありました
    外灯の上の飾りは、「太鼓を叩く人」を象徴しているそうですが…
    建物は、かつてSS(親衛隊)の食堂(SS Canteen)や診療所、娯楽棟、いくつか説がありました

  • 収容所の所長であったルドルフ・ヘスが1947年4月16日に自宅のすぐ近くで絞首刑に処された場所

    収容所の所長であったルドルフ・ヘスが1947年4月16日に自宅のすぐ近くで絞首刑に処された場所

  • 所長ルドルフ・ヘスとその家族が暮らしていた邸宅(官舎)が奥に見えます<br />ヘスは、妻と5人の子供とともに、収容所のガス室や火葬場からわずか100メートルほどしか離れていないこの邸宅で、1940年から1943年頃まで暮らしていました<br />一家はここを「楽園」と呼び、庭で遊んだり乗馬を楽しんだりする一方で、すぐ隣では大量虐殺が行われていました<br /><br />映画『関心領域(The Zone of Interest)』は、まさにこの邸宅でのヘス一家の日常と、壁の向こう側で起きている惨劇との対比を描いた作品です<br />この映画は私も見たのですが、なんとも言えない映画でした<br />血を流したり、残酷なシーンは一切無いんです…<br />それゆえに「無関心」を感じさせる映画でした<br /><br />邸宅(レギオヌフ街88番地)は長らく個人所有でしたが、2024年に米国の団体によって取得され、2025年1月からは「アウシュヴィッツ・ヘイト・過激主義・急進化研究センター(ARCHER)」として一般公開が始まっています。

    所長ルドルフ・ヘスとその家族が暮らしていた邸宅(官舎)が奥に見えます
    ヘスは、妻と5人の子供とともに、収容所のガス室や火葬場からわずか100メートルほどしか離れていないこの邸宅で、1940年から1943年頃まで暮らしていました
    一家はここを「楽園」と呼び、庭で遊んだり乗馬を楽しんだりする一方で、すぐ隣では大量虐殺が行われていました

    映画『関心領域(The Zone of Interest)』は、まさにこの邸宅でのヘス一家の日常と、壁の向こう側で起きている惨劇との対比を描いた作品です
    この映画は私も見たのですが、なんとも言えない映画でした
    血を流したり、残酷なシーンは一切無いんです…
    それゆえに「無関心」を感じさせる映画でした

    邸宅(レギオヌフ街88番地)は長らく個人所有でしたが、2024年に米国の団体によって取得され、2025年1月からは「アウシュヴィッツ・ヘイト・過激主義・急進化研究センター(ARCHER)」として一般公開が始まっています。

  • 絞首台には、イスラエルから来たとみられる若者たちが説明を読んでいました<br />男性はイスラエルの国旗を背中に纏っていました

    絞首台には、イスラエルから来たとみられる若者たちが説明を読んでいました
    男性はイスラエルの国旗を背中に纏っていました

  • 煙突があるのはガス室や火葬場です

    煙突があるのはガス室や火葬場です

  • 左上の、外が見える四角い天窓の部分から、先ほど見たチクロンBという毒薬が入れられました…

    左上の、外が見える四角い天窓の部分から、先ほど見たチクロンBという毒薬が入れられました…

  • ガス室に隣接する焼却場

    ガス室に隣接する焼却場

  • 10:56<br />バスで約2km離れたアウシュビッツ第二強制収容所に来ました<br />写真は「死の門」と呼ばれたゲートに向かう引き込み線路<br />ヨーロッパ各地から送り込まれた収容者を、効率よく収容所内部へ入れるため作られたそう

    10:56
    バスで約2km離れたアウシュビッツ第二強制収容所に来ました
    写真は「死の門」と呼ばれたゲートに向かう引き込み線路
    ヨーロッパ各地から送り込まれた収容者を、効率よく収容所内部へ入れるため作られたそう

    ビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡

  • 「死の門」2階の塔に上って撮影<br />左手には収容者のバラックが広がります<br />第一収容所がすぐにいっぱいになってしまったため、後からこちらに作ったそう

    「死の門」2階の塔に上って撮影
    左手には収容者のバラックが広がります
    第一収容所がすぐにいっぱいになってしまったため、後からこちらに作ったそう

  • こっち側は引き込み線側

    こっち側は引き込み線側

  • こちらにもバラックが広がり、手前には鉄条網が延びています

    こちらにもバラックが広がり、手前には鉄条網が延びています

  • 約110万人以上の人々がここで命を落としました

    約110万人以上の人々がここで命を落としました

  • 強制移送するために窓もない家畜用貨車が使われました<br />「死の列車」とも呼ばれ、人々は過密状態で、食料や水もないまま数日間運ばれました<br />もちろんトイレも無いですよね

    強制移送するために窓もない家畜用貨車が使われました
    「死の列車」とも呼ばれ、人々は過密状態で、食料や水もないまま数日間運ばれました
    もちろんトイレも無いですよね

  • あるのは、通常は旅客用列車には無いはずの外鍵…<br />アウシュビッツに着いた時には、ぎゅうぎゅう詰めの貨車に折り重なって、何人も命を落としていたそうです

    あるのは、通常は旅客用列車には無いはずの外鍵…
    アウシュビッツに着いた時には、ぎゅうぎゅう詰めの貨車に折り重なって、何人も命を落としていたそうです

  • 石にはイタリア語やヘブライ語で、犠牲者の名前や「忘れないために」といったメッセージが書いてありました<br /><br />CHI S Mo INTERO (TALMUD)<br />誰が一人を救うのか (タルムード)<br />ANOME DI TUT PER NON DIMENTICARE 10.02.2020<br />忘れないために、全員の名において 2020年2月10日<br />ASSE 30 UDENTI GLISTUD<br />第30回 学生の集い <br />

    石にはイタリア語やヘブライ語で、犠牲者の名前や「忘れないために」といったメッセージが書いてありました

    CHI S Mo INTERO (TALMUD)
    誰が一人を救うのか (タルムード)
    ANOME DI TUT PER NON DIMENTICARE 10.02.2020
    忘れないために、全員の名において 2020年2月10日
    ASSE 30 UDENTI GLISTUD
    第30回 学生の集い

  • バラックに入ってみました

    バラックに入ってみました

  • ピーク時には9万人も収容されていたそうです<br />当然一つのベッドに5~6人が押し込められ、マットレスの代わりには藁が敷いてありました<br /><br />これを見ると、先ほどの第一強制収容所の方が何倍もマシだったことが分かります

    ピーク時には9万人も収容されていたそうです
    当然一つのベッドに5~6人が押し込められ、マットレスの代わりには藁が敷いてありました

    これを見ると、先ほどの第一強制収容所の方が何倍もマシだったことが分かります

  • トイレ棟<br />当然トイレットペーパーもなく、排水溝はあれど「ドイツ人が律儀に作っただけで、見せかけです。実際に水が流れて排水出来る訳ではありません。ドイツ人は真面目すぎてしばしば意味のないことをします。」←ガイドさんより<br />トイレは当然、決められた時に短時間しか行けなかったそうです<br /><br />これでアウシュビッツ強制収容所見学はおしまいです

    トイレ棟
    当然トイレットペーパーもなく、排水溝はあれど「ドイツ人が律儀に作っただけで、見せかけです。実際に水が流れて排水出来る訳ではありません。ドイツ人は真面目すぎてしばしば意味のないことをします。」←ガイドさんより
    トイレは当然、決められた時に短時間しか行けなかったそうです

    これでアウシュビッツ強制収容所見学はおしまいです

  • 第二収容所の出口付近にはギフトショップがありました<br />収容所関係の本が、各国語で出版されて売られていました<br />収容所内の同じ場所で撮られた当時と現在の写真集を買いました<br />翻訳はアウシュビッツ強制収容所公式ガイドの中谷剛さんでした<br />翻訳者でもあるようです<br />

    第二収容所の出口付近にはギフトショップがありました
    収容所関係の本が、各国語で出版されて売られていました
    収容所内の同じ場所で撮られた当時と現在の写真集を買いました
    翻訳はアウシュビッツ強制収容所公式ガイドの中谷剛さんでした
    翻訳者でもあるようです

  • このあとは、近くのホテルのレストランでお昼です<br /><br />ユダヤ博物館とシナゴーグが3km手前にあるのですね<br />ロマ(ロマ・ピープル)の歴史と文化に関する展示もあるようです<br />個人で来ていたら行ってみたかったです<br />

    このあとは、近くのホテルのレストランでお昼です

    ユダヤ博物館とシナゴーグが3km手前にあるのですね
    ロマ(ロマ・ピープル)の歴史と文化に関する展示もあるようです
    個人で来ていたら行ってみたかったです

  • 近くなので歩いて行ったようです<br />途中、親切そうな人たちが何やら勧誘していて、エホバの証人の方々でした(^_^;)<br />ユダヤ人だけでなく、エホバの方達も収容されてされていましたものね

    近くなので歩いて行ったようです
    途中、親切そうな人たちが何やら勧誘していて、エホバの証人の方々でした(^_^;)
    ユダヤ人だけでなく、エホバの方達も収容されてされていましたものね

  • 12:08<br />昼食会場はHotel Imperiale とお聞きして、皆さんで行ってみると予約が入っていない様子…<br />結局、ここではなくて、同じ敷地内の隣のホテル オレキー(オレツキ) Hotel Oleckiでした^ ^<br />Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランド

    12:08
    昼食会場はHotel Imperiale とお聞きして、皆さんで行ってみると予約が入っていない様子…
    結局、ここではなくて、同じ敷地内の隣のホテル オレキー(オレツキ) Hotel Oleckiでした^ ^
    Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランド

    Hotel Imperiale ホテル

  • 12:26<br />前日のポーランド料理でトラウマになっていましたが、この時のお料理は美味しくて完食♪<br />まずはスープ「ボルシチ」<br />ロシアが有名ですが、中東欧でもポピュラーなようで、地方によっていろいろバリエーションがあるようです

    12:26
    前日のポーランド料理でトラウマになっていましたが、この時のお料理は美味しくて完食♪
    まずはスープ「ボルシチ」
    ロシアが有名ですが、中東欧でもポピュラーなようで、地方によっていろいろバリエーションがあるようです

  • 鱒のムニエル<br />レモンを絞って美味しく頂きました\(^^)/<br /><br />同じテーブルでご一緒した方はお一人で卒業旅行として参加された可愛いお嬢さんと、同じくお一人参加の30歳くらいの男性で、いろんな国を旅行されていて、良くツアー中に途中離団を書いて、自分の行きたい場所に観光に行かれるという方♪<br />この方、日本から和風ドレッシングやお醤油などを持って来ていて、使いますか?と周りの皆さんを気にしてくれました<br />いろんなお話しが聞けて、楽しかった~^ ^

    鱒のムニエル
    レモンを絞って美味しく頂きました\(^^)/

    同じテーブルでご一緒した方はお一人で卒業旅行として参加された可愛いお嬢さんと、同じくお一人参加の30歳くらいの男性で、いろんな国を旅行されていて、良くツアー中に途中離団を書いて、自分の行きたい場所に観光に行かれるという方♪
    この方、日本から和風ドレッシングやお醤油などを持って来ていて、使いますか?と周りの皆さんを気にしてくれました
    いろんなお話しが聞けて、楽しかった~^ ^

  • 13:02<br />こちらの建物のホテルのレストランでした<br />ホテル オレキー(オレツキ) Hotel Olecki<br />Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランド<br /><br />このあとは、クラクフのホテルに戻って、オプショナルツアーに参加しなかったメンバーと一緒に世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」へ向かいます<br />⑥に続きます

    13:02
    こちらの建物のホテルのレストランでした
    ホテル オレキー(オレツキ) Hotel Olecki
    Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランド

    このあとは、クラクフのホテルに戻って、オプショナルツアーに参加しなかったメンバーと一緒に世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」へ向かいます
    ⑥に続きます

    ホテル オレキー ホテル

    アウシュビッツ・オプショナル・ツアーの昼食会場でした by しんちゃんちかさん
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2020年中欧4カ国周遊

この旅行記へのコメント (6)

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  • danteさん 2026/09/04 22:55:55
    う~ん"(-""-)"
    子供の時『アンネの日記』を読み、(いつかアウシュヴィッツ収容所に行ってみたい)と思っていましたが、その後テレビで「ファニア歌いなさい」という映画が放映され、https://www.allcinema.net/cinema/19679  あまりの惨さに、(行きたくない)に変わりました。

    世界的な大戦争、第二次世界大戦後、敗戦国の日本&ナチス・ドイツは悪者に。
    戦後80年経ち、中国に行っても、中国人の嫌がらせは終わらない(ブチ切れた、インターコンチネンタル九寨溝)

    ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害も、表向きに「最後のジェノサイド」となってしまいました。

    ユダヤ人は昔から嫌われた民族でしたが、正直、それなりの事をしてきたのも事実です。
    (只今トルコ旅行記を投稿していますが、オスマン・トルコ時代の主な民族はユダヤ人で、ギリシャ人やアルメニア人を迫害していました)

    そして、アメリカの笠に着る現在のイスラエル。…と話が長くなっちゃいますが、何が言いたいかと言うと、何も知らなかった子供の時は、アウシュヴィッツで命を落としたユダヤ人は可哀想だなぁ~と思ったけど、今はそう思わなくなりました。

    しんちゃんちか

    しんちゃんちかさん からの返信 2026/09/05 11:16:28
    RE: う~ん"(-""-)"
    dante さんへ

    コメントありがとうございます!

    「ファニア歌いなさい」という映画、知りませんでした。そんなに酷い映画だったのですね。
    私は今回、エア・カナダで「硫黄島からの手紙」を見て、あまりの衝撃に固まりました…

    昔、ドイツに行った時はベルリンの駅で外国人排斥で身体的バッシング、フランクフルトの空港では明らかな日本人差別発言を受け、嫌な思いをしました。
    2度(小さなことを含めるともっと)嫌がらせを受けたドイツですが、ドイツ人の友人宅に泊めてもらってより親交を深めたり、今年2月に行った京都ではドイツ人のご夫婦と楽しい時間を過ごしました。
    今思うのは、ドイツ人とドイツで起こったことですが、まかり間違うとどの民族がどこの国でも起こし得ることだったのだろう、ということです。
    実際、戦争中は日本人も…でしたよね。
    シンガポール人の友人の友人には、会って早々に「日本人は残酷な民族だよね?」と言われました。
    思わず「ケンカ売ってるの!?」と思ってしまいました(苦笑)
    月並みですが、平和の尊さを強く感じます。

    九寨溝のインタコではあり得ない洗礼を受けたのですね…旅行記、以前拝見していたのですが信じられません。
    まあ、やる方もそれだけの民度の低さ、なのかもしれません。
    私は若い頃から中国語習っていて、周りが今は中国は行かない方が良い、という時も行っちゃうクチで、列の横入り以外は嫌な思いをしたことはありません。
    経済力やロボット開発では完全に抜かされた中国ですが、マナーの悪さは今はまだ発展途上だと思っていて、そのようなところに良く行くね…というのが私に対する周りの感想だと思います。

    宗教や民族に対しては(日本人を含め)なるべく公平な目で見たいので、実際にその土地に行って見て肌で感じたいのですが、イスラエルやロシアなど行きたかった国が事実上行けなくなってしまってとても残念です。
    サウジアラビアは観光でも行けるようになりましたが、今度は料金が高すぎて手が出せません(~_~;)
    海外に行かない人に限って、何でも日本が優れている、と思っている方が私の周りでも多いのも困ったものです…
    長くなりましたね(汗)

    トルコの旅行記、拝見しますね♪

    しんちかより

    dante

    danteさん からの返信 2026/09/05 16:10:22
    返信ありがとうございます。
    実はあの後、余計な事を書き込んでしまったと、反省しました。
    この投稿は、「更新日の新しい投稿」で見つけたのですが、折角の投稿を否定するような発言になってしまったからです。お写真に「楽団」があったので、そういえば昔、こんな映画を観たな~と、ついコメントしてしまいました。ごめんなさい。

    ユダヤ人迫害の映画は多く、『ライフ・イズ・ビューティフル』は、前半コメディのように感じますが、後半からは"(-""-)" 「ファニア歌いなさい」を観てから40年位経ちますが、あの映像は今でもトラウマになっています。

    と、何故ドイツでバッシングに遭ったのでしょう? ドイツ人からですか?

    私は、いつかドイツに行ってみたいと思っていたので、ドイツ語を学んだのですが、国内旅行、特に北海道などはドイツ人観光客が多く、会話が出来、楽しかった思い出があります。最も、南ヨーロッパの国民とは、確かに気難しいなぁ~とも思いましたが。
    (結局、ドイツには未だ行っていません)

    ロシアは行ってみたかったです。故父が生前ロシアに赴任していまして、いつか父が暮らしたモスクワやサンクトペテルブルク(当時はレニングラードと、言ってました)に行きたいと思っていたのですが、残念です。先日プーチン君が、「関係悪化は日本に責任」と発信しましたが、ある意味ごもっともだと、私も思います。ウクライナ侵略は、日本とは直接関係ないのに、表向き外交・建前でロシアに制裁をしてしまった。おかげで原油が高騰し、ロシア上空も飛べなくなり、日本政府に首を絞められたのは日本国民。他にも色々と、(日本政府は何してんねん? 怒)です。

    海外に行かない人に限って、「何でも日本が優れている」と思っている人、多いですよね。本当に「井の中の蛙大海を知らず」です。

    しかし、1つだけ。「食材は日本が1番質が良い」と思っています。

    dante

    しんちゃんちか

    しんちゃんちかさん からの返信 2026/09/05 18:23:20
    RE: 返信ありがとうございます。
    dante さんへ

    いえいえ、数年前の旅行記ですのにいいね、とコメントまで頂いてありがとうございました^ ^
    同じ物を見たり、食べたりしても、感想は人それぞれです。
    dante さんが感じられたことを素直にお聞かせいただいて、こう思われる方もいるんだ、と気づかされました。
    物事は常に二面性を持っているはずですので、私も意識して見られるようになりたいです!

    『ライフ・イズ・ビューティフル』は、私も見ましたよ♪
    素晴らしい作品ですよね。

    何故ドイツでバッシングに遭ったのでしょう? ドイツ人からですか?
    →私がドイツに行ったのは壁は崩壊していましたが、30年以上も前で、ベルリンのツォー駅のホームを日本人の友達を歩いていたんです。
    友達がバッグか着ていたものに液体ソープを掛けられちゃった、と拭いていたので、気を付けなくちゃね、と言っていたら、私もドイツ人の女性とすれ違った時に違和感があって、肩に掛けていたクレージュの大きめのナイロンのボストンバッグ(当時流行ってたんですよ・歳がバレますね^ ^)に液体ソープが…
    私も第二外国語でドイツ語を取ったのですが、ほぼ役に立たずでしたので、犯人はわかったけれど言い返せませんでした…
    フツーのドイツ人のおばさんでした。東の方でしたし、英語が通じるとは思えなく、否認するでしょうから…
    その時の私たちの服装はジーンズ姿、当時旧東ドイツは共産圏同士のベトナムなどから出稼ぎが多く、おそらく海外に行ったことのないフツーの東出身の人から見れば、私たちも区別が付かなく、壁が崩壊してしたあとも残っている邪魔なガストアルバイターに見えたのでしょうね…

    フランクフルトの空港では、搭乗に遅くなってしまったかと慌てていて、セキュリティだったかゲートだったか男性職員に「搭乗はまだ(大丈夫)ですか?」と聞いたら、「日本人だろうとまだ出来ないよ!」といきなりモロ喧嘩を売られました(爆)
    この時は逆に、よく日本人だと判ったよね、とある意味びっくり。まあ、ベルリンとフランクフルトでは観光客も街の雰囲気も全然違いましたしね。

    液体ソープを常に押せる状態でお出掛けするので、よっぽど外国人に憎しみがあったり、日本人が嫌いだったのでしょうね。
    その時は悔しかったけれど、今では、私たちに当たってちょっとはスッキリしたかな、という印象です(⌒-⌒; )

    北海道などはドイツ人観光客が多いのですね?なんででしょうね。
    ドイツではジャーマンレイルパスという10日間くらいの乗り放題のチケットでドイツ国内を周遊しました。
    ドイツはユースホステルの発祥の地の通り、旅行者が旅行しやすい国だと感じました。
    例えば駅の階段でも、端が荷物を乗せて歩けるように荷物用のベルトコンベア状になっているんです。
    ベルリンに住んでいた日本人の友達に、駅の公衆トイレを使った、と言ったら怒られました…
    治安が悪すぎるそうです…

    お父様がロシアに赴任されていたのですね。
    それではなおのこと、同じ風景を目にしたいでしょう(^_^)

    本当に「井の中の蛙大海を知らず」です→同意いただきありがとうございます(TT)

    「食材は日本が1番質が良い」→激しく同意致します^ ^!

    しんちかより

    dante

    danteさん からの返信 2026/09/05 22:39:54
    またまた ごめんなさい
    当時旧東ドイツは共産圏同士のベトナムなどから出稼ぎが多く…、

    そうだったのですね。確かに、西ドイツと東ドイツの時は、生活水準が全く違く、東ドイツの人は貧しかったと聞いたことがあります。気軽に旅行も出来なかったと。そういえば、好きな音楽さえ聴けなく、デヴィッド・ボウイが、東ドイツの人達に聴こえるように、大量のスピーカーを用意し、西ドイツから流したという事もあったようです。

    ドイツ語は、アクセントとイントネーションが強いですからねぇ~。本人に悪気は無かったとしても、喧嘩売りやがって! って、なりますよね。

    海外で「ケチャップとかを掛けられて、その後スリに遭う」というのは聞いたことがありますが、ある意味 液体ソープで良かったかも。

    私は 気に行った国を何度もリピートするので 訪問国は少ないのですが、30回ぐらいは渡航しています。個人旅だろうがツアー利用だろうが、今まで嫌がらせにあったり、スリに遭ったり・騙されたことは一度もありません。まぁ、向こうもプロなので(コイツは金持ってないだろ~)と判るからなのでしょうけど(笑)

    話戻り。そうです! ユースホステル。
    若い時はよく利用していました。昔は二段ベッドが幾つもある相部屋が多かったそうですが、シングルベッドや場所によっては個室でした。で、ペアレントさんもドイツ語が解る方が意外と多かったですよ。今は人気のあった・多くのユースが閉館になってしまったようです。 そんなわけで、1人旅・1人参加でも全く平気。群れるのは嫌い(笑)

    dante

    danteさん からの返信 2026/09/06 00:40:34
    あっ、
    嫌がらせは、九寨溝のインタコが初めて でした。個人的な嫌がらせは、未だ無いです。

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