2020/02/19 - 2020/02/26
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しんちゃんちかさん
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この旅行記のスケジュール
2020/02/22
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昼食はホテル オレキー(オレツキ) Hotel Oleckiのレストランで
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2019年12月に行ったルーマニア・ブルガリアで、ますます中東欧に興味が湧きました。
その2ヶ月後に中欧4カ国のツアーが、今では考えられないお得な金額で出ているのを知って、お友達と行って来ました。
ちょうど新型コロナが中国に次いで日本でも流行し始めた時期で、ダイヤモンドプリンセス号では大変なことになっていました。
私たちはギリギリ行けましたが、向こうに行けば「汚染国から来た日本人」と見られ、中欧のこの4カ国ではこの時点で感染者はゼロだったにもかかわらず、帰って来れば「海外からウィルス持ち込まないで」という目で見られたような気がします(ーー;)
HIS impresso
美しき東欧4ヶ国5つの世界遺産を含む6都市を大周遊
ポーランド・ハンガリー・チェコ・スロバキア8日間
2020年
2/19(水)
13:20 成田国際空港 ー 17:35 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU261
21:10 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー 22:00 ブダペスト・リスト・フェレンツ国際空港 アエロフロート航空 SU2468
メルキュール・ブダペスト・キャッスルヒル泊(ハンガリー、ブダペスト)
2/20(木)
ホテルYASMIN(スロバキア、コシツェ)
2/21(金)
ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)
2/22(土)
ノボテル・クラクフ・シティ・ウェスト(ポーランド、クラクフ)
2/23(日)
ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)
2/24(月)
ヴィエナ・ハウス・バイ・ウィンダム・アンデルス・プラハ(現OREA Hotel Andel’s、チェコ、プラハ)
2/25(火)
13:05 ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港 ー 18:05 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 アエロフロート航空 SU2013
19:45 モスクワ・シェレメチェヴォ国際空港 ー
2/26(水)
11:20 成田国際空港 アエロフロート航空 SU260
旅行代金 119,000円
サーチャージ 47,000円
現地諸税 5,540円
成田空港施設利用料 2,130円
成田空港旅客サービス料 530円
国際観光旅客税 1,000円
オプショナルツアー
アウシュビッツ強制収容所見学ツアー(昼食付) 90ユーロ(11,310円)
合計
186,510円
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- エイチ・アイ・エス
-
2/22(土) 8:09
ツアーも4日目、折り返しになって来ました
今回は重い旅行記です…
アウシュビッツ強制収容所駐車場に着きましたオシフィエンチム (アウシュヴィッツ第一強制収容所) / アウシュヴィッツ博物館 建造物
-
お世話になったバスです
クロアチアのナンバープレートで、ドライバーさんはクロアチア人でした
クロアチア料理はイタリア料理に近く、オリーブオイル&シーフード系というイメージですよね
ポーランドの煮込み料理&こってりクリーム系は苦手らしく、このあと行くレストランのランチはパスしたようです^_^; -
アウシュビッツ強制収容所には両替所もありました
ここで両替しました -
言語別にガイドツアーがあります
空港のように手荷物検査を受けて中に入ります -
私たちは日本でこのオプショナルツアーに申し込んで来ましたが、こちらに着いてから添乗員さんに参加希望された方がいました
ギリギリまで参加の可否を待っていたようですが、残念ながら参加出来なかったようです -
こちらには日本語ガイドがお二人いらっしゃいました(2020年2月現在)
1人は中谷さんと仰る日本人で、テレビの番組でも見ていたので、中谷さんになったら良いなあと思っていました -
もう1人はポーランド人の女性の方です
-
私たちは、このポーランド人ガイドさんが担当になりました
確か、祖父母のどちらかがこの収容所にいらした、とお聞きした記憶があります -
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)…
皮肉なスローガン
収容者たちは毎日、この門をくぐって10数時間の労働に出かけたのですね
この門も収容者たちに作らせたそう
Bの文字が上下逆に見えますが、せめてもの反抗の証として逆にした、とか、その当時、逆にしたBの文字が流行っていたとか諸説あり -
実はアウシュビッツ収容所は3つあります
これから回るのは第一強制収容所と第二強制収容所になります
アウシュヴィッツ第一強制収容所 オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)
アウシュヴィッツ第二強制収容所 ブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)
アウシュヴィッツ第三強制収容所 モノビツェ村(ドイツ語名モノヴィッツ) -
中に入って振り向いて撮ってみました
-
入ってすぐの場所にはこんな展示がありました
『この場所で、キャンプのオーケストラがマーチを演奏しました。その目的は、労働に向かう囚人とキャンプに戻ってくる囚人の通過を迅速にすることでした。
写真 SS、1941年』
収容所に視察に来る人たちを、音楽でもてなすのが表面上の目的だったのかもしれませんが、実際は、人数管理を迅速にするために、収容者で編成されたオーケストラにマーチを弾かせて、テンポ良く歩かせたようです -
レンガ造りの建物は、旧ポーランド軍の兵舎を利用したものです
-
4号棟が混んでいたので、先に6号棟へ入ることに
『一般展示・収容者の生活』 -
廊下の両側の壁には、収容されていた人々の顔写真が多数
-
1943年春以降、識別目的で囚人の写真撮影が行われました
ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人を中心に、約110万人がこの場所で命を落としました -
収容者の識別標識(ワッペン)に関する解説
ナチスは収容者を分類するために、囚人服の胸やズボンに色や形が異なる三角形の布を縫い付けていました
赤色 (Red): 政治犯。主にポーランド人がこのカテゴリーに分類されました
緑色 (Green): 刑事犯(常習犯)
黒色 (Black): 「反社会的要素」とみなされた人々。ロマ(ジプシー)、ホームレス、売春婦など
紫色 (Purple): エホバの証人。信仰上の理由で兵役などを拒否した人々
ピンク色 (Pink): 同性愛者。主にドイツ人やオーストリア人が対象
黄色 (Yellow): ユダヤ人。通常、黄色の三角形の上に別の色の三角形を重ねて、ダビデの星の形にして表示(例:赤と黄色で「ユダヤ人の政治犯」)
「特別なカテゴリーの収容者の識別標識(DISTINGUISHING MARKS OF PRISONERS OF SPECIAL CATEGORIES)」についても記されています
刑罰部隊 (Penal Company): 収容所内でさらに厳しい罰を与えられた囚人で、三角形の下に黒い丸印が付けられました
逃走の恐れがある者: 背中に赤い丸印(標的のようなマーク)が描かれたり、特定の記号が付けられたりしました
これらの標識は、収容所内のヒエラルキーを形成し、看守が囚人の背景を即座に判断して過酷な労働や役割(カポなどの監視役)を割り当てるために利用されました -
収容者が着用していた、白と青の縞模様の制服や靴が展示されています
-
当時の収容者の食事で、どうやら1日分
当時の過酷な食料事情を物語っています
ボウルに入った水っぽいスープ:昼食として支給されていた、腐った野菜やジャガイモが入った薄いスープ
黒パンの塊:夕食として配給された約300gのパン
小さな塊(マーガリンやチーズ):パンと一緒に稀に少量配給された
成人が生きるために必要なカロリーの半分にも満たず、多くの人々が飢えと過酷な強制労働によって命を落としました
朝食:約0.5リットルの「代用コーヒー」またはハーブティーのみ
昼食:約1リットルの水っぽいスープ
夕食:少量の黒パンと、わずかなマーガリン、ソーセージ、またはジャム -
犠牲者を追悼する彫刻
-
先ほどのARBEIT MACHT FREI の収容所の門が右手に見えます
歩くことも出来ない同胞を抱えて歩かされるユダヤ人収容者とそれを統括するユダヤ人カポ(白っぽいズボンにブーツ姿)、そしてそれをポケットに手を入れながらあざ笑う若いドイツ人SS… -
同じく強制収容所の門をくぐる強制連行者たち
まだ真っ直ぐ歩けているので、連れてこられたばかりでしょうか… -
犠牲となった子供たちの衣服や靴
-
SS(親衛隊)の職員が勤務し、略式裁判の執行なども行われていた部屋
裁判とは名ばかりで、1人1分ほどで、何百名もいっぺんに行い、ほとんどが死刑になったそうです -
これだけ見れば普通の宿舎のようにも見えますが、ここはまだまだ第二収容所に比べれば天国だったそうです…
3段ベッドですが、1段に2人の囚人が寝ていたそう
1941年から1945年までの囚人の部屋でした -
ベッドになる前は、コンクリートの床に薄い布のような布団を敷いて、多数の人たちが写真のように雑魚寝をさせられていました
それ以前は、床に藁が敷いただけ、文字通り家畜のような寝床だったそうです -
女性たちが処刑前に服を脱がされた部屋
その後、裏庭へと連行され、「死の壁」にて射殺されました -
こちらがその裏庭にある「死の壁」
10号棟と11号棟の間にあるこの壁の前で、多くの収容者が銃殺刑に処されました
ここに隣接する窓は、何が起こっているのか見えないように、板で塞がれていました -
空いているように見えますが、棟によっては、混んでいて中に入りきれず、入り口からそとにはみ出していました
11号棟は、一般のバラックとは違い「収容所内の監獄」と呼ばれた特別な棟でした
ここにはゲシュタポに逮捕されたポーランド人などが収監され、地下には懲罰用の牢が並んでいました
餓死牢
食事も水も与えずに餓死させるための牢。完全な暗闇の中で数日から数週間かけて人を殺す方法がとられました
立ち牢
畳半畳のごく狭い空間に複数人を押し込み、一晩中立たせたままにする懲罰用の牢でした
窒息牢
通気が極端に悪く、酸素不足や熱気で苦しめるための牢とされています
長崎で布教したこともあるポーランド出身のマクシミリアノ・コルベ神父は、アウシュビッツ第1収容所に送られたのち、脱走者が出たことへの見せしめとして、10人の餓死刑が言い渡された場面で、自分の家族を案じて泣き出した囚人の身代わりを申し出ました
彼は11号棟地下の「18号牢」に入れられ、そこで餓死刑に処されました
牢の前には今も「コルベ神父の餓死牢」としてプレートが掲げられ、花なども置かれていました
残念ながら、地下牢のほとんどは写真撮影禁止でした -
ヨーロッパ各地からの強制移送経路を示した地図
ナチス・ドイツが占領下のヨーロッパ全土から人々をアウシュビッツへ連行した経路で、ベルリン、パリ、ローマ、アテネなど、主要都市からアウシュビッツへと線が集中しています -
収容所の役割と犠牲者
最大の収容所: アウシュヴィッツはナチス・ドイツ最大の強制収容所であり、1942年からはユダヤ人の大量虐殺センターとなりました。
移送者数: 1940年から1945年の間に、少なくとも130万人が移送されました。
ユダヤ人: 110万人
ポーランド人: 14万~15万人
ロマ(ジプシー): 2万3,000人
ソ連軍捕虜: 1万5,000人
その他の民族: 2万5,000人
犠牲の詳細
死者数: 移送された人々のうち、110万人がアウシュヴィッツで亡くなりました。
犠牲者の内訳: 犠牲者の約90%がユダヤ人でした。
殺害方法: その大多数は、親衛隊(SS)によってガス室で殺害されました。 -
犠牲者の遺灰が納められた追悼の骨壺
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アウシュビッツに着いて、連行される様子です
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1943年に占領下ポーランドのシュルコヴィツェでロマ(ジプシー)の人々が強制的に退去させられる様子
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今いる場所は、写真の下の方のアウシュビッツ第一強制収容所(KL Auschwitz)ですが、この後行く第二収容所であるビルケナウ(Brzezinka /Birkenau/)は図の左の広大な敷地にあり、建屋も比べ物になりません
規模が全然違いますね -
収容所の宿舎の模型
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収容所で殺害に使用された殺虫剤「チクロンB」の空き缶の山
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人間の髪の毛で作られた織物またはマットレス
犠牲者から集められた髪の毛が工業用資材として利用されていた歴史的証拠です
当時の非人道的な行為と犠牲者を追悼するための重要な資料です -
5号棟「一般展示・犯罪の物的証拠MATERIAL PROOFS OF CRIMES」
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犠牲者から没収されたメガネの山
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犠牲になった人々から没収された義肢や装具
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金属製のホーロー容器(カップ、ボウル、ポットなど)
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到着した人々は、生活用品や貴重品が入ったスーツケースを没収され、その多くはすぐに殺害されました
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ヨーロッパ各地から移送されたユダヤ人たちは、しばらくしたら返して貰えると思って住所や名前を書いたのでしょう
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靴や衣服
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ほとんどが黒い靴ですが、その中には赤や小さな子供用の靴も
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髭剃りに使うブラシや靴ブラシ
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クリーム
ニベアがあると聞いたのですが、よくわからず… -
有刺鉄線には高圧電流が流れていました
収容所の虐待に耐え切れなくなった収容者の中には、自ら近づいて感電死する人もいたそうです -
「娯楽棟」と呼ばれる場所もあり、ドイツ軍はそこで酒を飲んで酔っ払い、女性捕虜を虐待していました
SS(親衛隊)の診療所(SS-Revier)、またはSSの医官たちのオフィスとして使われていた建物もありました
外灯の上の飾りは、「太鼓を叩く人」を象徴しているそうですが…
建物は、かつてSS(親衛隊)の食堂(SS Canteen)や診療所、娯楽棟、いくつか説がありました -
収容所の所長であったルドルフ・ヘスが1947年4月16日に自宅のすぐ近くで絞首刑に処された場所
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所長ルドルフ・ヘスとその家族が暮らしていた邸宅(官舎)が奥に見えます
ヘスは、妻と5人の子供とともに、収容所のガス室や火葬場からわずか100メートルほどしか離れていないこの邸宅で、1940年から1943年頃まで暮らしていました
一家はここを「楽園」と呼び、庭で遊んだり乗馬を楽しんだりする一方で、すぐ隣では大量虐殺が行われていました
映画『関心領域(The Zone of Interest)』は、まさにこの邸宅でのヘス一家の日常と、壁の向こう側で起きている惨劇との対比を描いた作品です
この映画は私も見たのですが、なんとも言えない映画でした
血を流したり、残酷なシーンは一切無いんです…
それゆえに「無関心」を感じさせる映画でした
邸宅(レギオヌフ街88番地)は長らく個人所有でしたが、2024年に米国の団体によって取得され、2025年1月からは「アウシュヴィッツ・ヘイト・過激主義・急進化研究センター(ARCHER)」として一般公開が始まっています。 -
絞首台には、イスラエルから来たとみられる若者たちが説明を読んでいました
男性はイスラエルの国旗を背中に纏っていました -
煙突があるのはガス室や火葬場です
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左上の、外が見える四角い天窓の部分から、先ほど見たチクロンBという毒薬が入れられました…
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ガス室に隣接する焼却場
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10:56
バスで約2km離れたアウシュビッツ第二強制収容所に来ました
写真は「死の門」と呼ばれたゲートに向かう引き込み線路
ヨーロッパ各地から送り込まれた収容者を、効率よく収容所内部へ入れるため作られたそうビルケナウ (アウシュヴィッツ第二強制収容所) 史跡・遺跡
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「死の門」2階の塔に上って撮影
左手には収容者のバラックが広がります
第一収容所がすぐにいっぱいになってしまったため、後からこちらに作ったそう -
こっち側は引き込み線側
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こちらにもバラックが広がり、手前には鉄条網が延びています
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約110万人以上の人々がここで命を落としました
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強制移送するために窓もない家畜用貨車が使われました
「死の列車」とも呼ばれ、人々は過密状態で、食料や水もないまま数日間運ばれました
もちろんトイレも無いですよね -
あるのは、通常は旅客用列車には無いはずの外鍵…
アウシュビッツに着いた時には、ぎゅうぎゅう詰めの貨車に折り重なって、何人も命を落としていたそうです -
石にはイタリア語やヘブライ語で、犠牲者の名前や「忘れないために」といったメッセージが書いてありました
CHI S Mo INTERO (TALMUD)
誰が一人を救うのか (タルムード)
ANOME DI TUT PER NON DIMENTICARE 10.02.2020
忘れないために、全員の名において 2020年2月10日
ASSE 30 UDENTI GLISTUD
第30回 学生の集い -
バラックに入ってみました
-
ピーク時には9万人も収容されていたそうです
当然一つのベッドに5~6人が押し込められ、マットレスの代わりには藁が敷いてありました
これを見ると、先ほどの第一強制収容所の方が何倍もマシだったことが分かります -
トイレ棟
当然トイレットペーパーもなく、排水溝はあれど「ドイツ人が律儀に作っただけで、見せかけです。実際に水が流れて排水出来る訳ではありません。ドイツ人は真面目すぎてしばしば意味のないことをします。」←ガイドさんより
トイレは当然、決められた時に短時間しか行けなかったそうです
これでアウシュビッツ強制収容所見学はおしまいです -
第二収容所の出口付近にはギフトショップがありました
収容所関係の本が、各国語で出版されて売られていました
収容所内の同じ場所で撮られた当時と現在の写真集を買いました
翻訳はアウシュビッツ強制収容所公式ガイドの中谷剛さんでした
翻訳者でもあるようです -
このあとは、近くのホテルのレストランでお昼です
ユダヤ博物館とシナゴーグが3km手前にあるのですね
ロマ(ロマ・ピープル)の歴史と文化に関する展示もあるようです
個人で来ていたら行ってみたかったです -
近くなので歩いて行ったようです
途中、親切そうな人たちが何やら勧誘していて、エホバの証人の方々でした(^_^;)
ユダヤ人だけでなく、エホバの方達も収容されてされていましたものね -
12:08
昼食会場はHotel Imperiale とお聞きして、皆さんで行ってみると予約が入っていない様子…
結局、ここではなくて、同じ敷地内の隣のホテル オレキー(オレツキ) Hotel Oleckiでした^ ^(4トラベルには登録がないので、こちらの位置情報にします)
Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランドHotel Imperiale ホテル
-
12:26
前日のポーランド料理でトラウマになっていましたが、この時のお料理は美味しくて完食♪
まずはスープ「ボルシチ」
ロシアが有名ですが、中東欧でもポピュラーなようで、地方によっていろいろバリエーションがあるようです -
鱒のムニエル
レモンを絞って美味しく頂きました\(^^)/
同じテーブルでご一緒した方はお一人で卒業旅行として参加された可愛いお嬢さんと、同じくお一人参加の30歳くらいの男性で、いろんな国を旅行されていて、良くツアー中に途中離団を書いて、自分の行きたい場所に観光に行かれるという方♪
この方、日本から和風ドレッシングやお醤油などを持って来ていて、使いますか?と周りの皆さんを気にしてくれました
いろんなお話しが聞けて、楽しかった~^ ^ -
13:02
こちらの建物のホテルのレストランでした
ホテル オレキー(オレツキ) Hotel Olecki
Stanisławy Leszczyńskiej 16, 32-600 Oświęcim, ポーランド
このあとは、クラクフのホテルに戻って、オプショナルツアーに参加しなかったメンバーと一緒に世界遺産「ヴィエリチカ岩塩坑」へ向かいます
⑥に続きます
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