2026/04/05 - 2026/04/05
-位(同エリア6995件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/04/05
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電車での移動
新横浜9:37-(のぞみ号)-11:29京都
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車での移動
タクシー
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大谷本廟
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清水寺
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バスでの移動
市バス
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三十三間堂
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バスでの移動
市バス
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電車での移動
京都18:10-(こだま号)-18:29米原
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この旅行記スケジュールを元に
桜(ソメイヨシノ)が満開の、京都と滋賀県湖北地方を訪れました。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新横浜駅→京都駅→大谷本廟、清水寺、三十三間堂→京都駅→米原駅(米原泊)
2日目:彦根城(米原泊)
3日目:渡岸寺観音堂、赤後寺、長浜別院大通寺、長浜市曳山博物館(米原泊)
4日目:海津大崎桜クルーズ゙、竹生島、西野薬師堂、米原駅→新横浜駅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新横浜駅から9:37発ののぞみ号で京都へ向かいます。
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朝食は新横浜駅で購入した柿の葉寿司です。
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京都駅のタクシー乗場です。利用者のほとんどが外国人旅行者です。皆さん荷物が多くて乗車に時間がかかりますね。ここから、大谷本廟に向かいます。
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大谷本廟は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人のご廟所(墓所)で、1603年からこの地「大谷」に置かれています。
今日は、当家の法事のための参拝です。 -
法事を終えた後、大谷本廟から10分ほど歩いて清水寺にやって来ました。
左は仁王門、清水寺の正門で1500年頃に再建された楼門です。
右手前は西門です。1633年の再建で、ここから見る西山の日没は素晴らしく、極楽浄土に往生する入り口の門、浄土を観想する日想観の聖所です。
右奥は三重塔です。1632年の再建で、高さ約30m、三重塔としては国内最大級です。
いずれも、国の重要文化財に指定されています。 -
「清水の舞台」で有名な、本堂が見えて来ました。
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本堂は1633年の再建で、徳川家光が寄進しました。国宝に指定されています。
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本堂から張り出した「舞台」の高さは約13mあります。これは「懸造り」と呼ばれ、格子状に組まれた木材同士が支え合い建築が困難な崖などでも耐震性の高い構造をつくり上げることを可能にしています。舞台を支えている18本の柱には樹齢400年余の欅が用いられ、大きいもので長さ約12m、周囲約2mのあります。そして、その縦横には何本もの貫が通されています。
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思い切って物事を決断することを「清水の舞台から飛び降りるつもりで」といいますが、記録によれば、実際にここからの飛び降りが1694年から1864年の間に未遂を含み235件あり、そのうち死亡者は34人で、生存率は約85%だったとのことです。
人々が飛び降りた動機は、自分や肉親の病気の治癒など「観音様に命を預けて飛び降りれば、命は助かり願いがかなう」という厚い信仰心によるもので、自殺が目的ではありませんでした。1872年に京都府は「舞台飛び落ち」は封建的な悪習であるとして禁止する布令を出し、舞台欄干周囲に柵を張るなどの対策を施したことで「飛び落ち」は影をひそめました。 -
左側の建物は阿弥陀堂、1631年の再建です。
浄土宗の開祖・法然上人が唱導した常行念仏が日本で最初に行われた場所とされています。
右側の建物は奥の院です。本堂と同時期の1633年の再建で、本堂と同様の懸造りの舞台があります。
共に、国の重要文化財に指定されています。 -
子安塔に向かって登っていきます。
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子安塔です。1500年頃の再建で、国の重要文化財に指定されています。
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音羽の滝です。
言い伝えでは、778年に僧賢心が京都の音羽山で清らかな水が湧出する滝を見つけ、ここで修行を始め、その2年後の780年に、賢心に感銘を受けた坂上田村麻呂が自邸を本堂として寄進し、音羽の滝の清らかさにちなんで清水寺と名付けたとされています。
流れ出る清水は古来「金色水」「延命水」と呼ばれて清めの水として尊ばれ、3本の筧(かけい)を通して流れ落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願します。 -
阿弖流為と母礼の顕彰碑です。近くの石版に、以下のように刻まれています。
「八世紀末頃、日高見回胆沢(岩手県水沢市地方)を本拠とした服夷の首領・阿弖流為 (アテルイ)は中央政府の数次に亘る侵略に対し十数年に及ぶ奮闘も空しく、遂に坂上田村麻呂の軍門に降り同胞の母礼(モレ)と共に京都に連行された。田村麻呂は敵将ながらアテルイ、モレの武勇、人物を惜しみ政府に助命嘆願したが容れられず、アテルイ モレ両雄は八〇二年河内国で処刑された。この史実に鑑み、田村麻呂開基の清水寺境内にアテルイ、モレ顕彰碑を建立す。」 -
境内の池に、散った桜の花びらが浮かんでいます。
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清水寺を後にして、「清水坂」を下ります。周りから聞こえてくるのはほとんどが外国語で、日本語はほんの僅かです。
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途中、きれいに咲いた桜の木がありました。
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「三年坂」を下ります。
説明板に、以下のように記されています。
「三年坂(産寧坂・再念坂)
八坂から清水坂に通じるこの石段は「三年坂」または「産寧坂」「再念坂」ともいわれる。
宝暦十二年(一七六二年)刊行の「京町鑑」によると「大同三年(八〇八年)に開けし故三年坂とぞ」と記されている。また、三年坂を上った清水寺の塔頭である安産に御利益があるといわれる泰産寺(子安の塔)の産(生み) 寧 (やすき)坂で「産寧坂」ともいわれている。
明暦四年(万治元年・一六五八年)に刊行された「京童」・「洛陽名所集」には、三年坂・産寧坂再念坂という三通りの名前があらわれる。なかでも再念坂については、清水寺への参拝後、この坂で再び願い事を念じたことから「再念坂」と名付けたとある。
三年坂で転ぶと「三年のうちに死ぬ」、「三年寿「命が縮まる」といわれる逸話は、すでに延宝七年(一六七九年)刊行の「京師巡覧集」で紹介されており、転んで抜けた魂を瓢箪が戻してくれるとのおまじないがあり、瓢箪を売る店が往時は軒を連ねた。
産寧坂地区は、昭和五一年、文化財保護法に基づき、京都市が伝統的建造物群保存地区として指定し、国の重要伝統的建造物群保存地区第一号にも選定されている。」 -
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三年坂の終点から、「二年坂」を見下ろしています。
しかし、こちらでではなく、左側の「八坂通」を下りることにします。 -
そう、この八坂の塔の眺めが目当てでした。
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八坂の塔は、1440年に室町幕府第6代将軍足利義教によって再興されたもので、本瓦葺き五層、方6m、高さ46mの純然たる和様建築です。
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市バスに乗り、三十三間堂へやって来ました。
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三十三間堂は、1164年、後白河上皇の御所に平清盛の寄進によりに造営されましたが、1249年に焼失し、1266年に後嵯峨上皇によって再建されました。
堂内には、中尊の千手観音坐像(湛慶作)、二十八部衆像、風神・雷神像、1001体の千手観音立像が安置されており、創建時、再興時とも、その造像には定朝(?~1057年)の流れを汲む、円派、院派、慶派の主要仏師が動員されました。
1001体の千手観音立像のうち、124体は火災時に助け出された創建時の像、876体は鎌倉時代の再興時の像、1体は室町時代の像です。
創建時の像には銘記はありませんが、Wikipediaによると鎌倉時代の像のうち504体については銘記が確認されており、そのうち主要仏師の作は以下のとおりだとのことです。
慶派 - 湛慶(9体)、康円(6体)、行快(1体)
円派 - 隆円(35体)、昌円(6体)、栄円(5体)、勢円(8体)
院派 - 院継(14体)、院遍(7体)、院承(30体)、院恵(30体)、院豪(28体)、院賀(11体)
なお、運慶の銘記が一体ありますが、これは後世の偽銘と考えられています。 -
再び市バスに乗車し、京都駅から18:10発のこだま号で米原駅へ向かいました。
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