2026/04/08 - 2026/04/08
-位(同エリア915件中)
ポールさん
この旅行記のスケジュール
2026/04/08
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船での移動
今津港12:00-12:25竹生島
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竹生島
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船での移動
竹生島13:45-14:20長浜港
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車での移動
レンタカー
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西野観音堂
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車での移動
レンタカー
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電車での移動
長浜16:28-(JR)-16:41米原16:56-(ひかり号)-18:54新横浜
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この旅行記スケジュールを元に
竹生島 【Wikipediaより】古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は江島神社(神奈川県 江の島)・厳島神社(広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政が、子の長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。琵琶湖沿岸を本拠地とした織田信長が参詣したことが記録されているほか、宝厳寺は豊臣秀吉との縁が深い。
旅の全体日程は以下のとおりです。
1日目:新横浜駅→京都駅→大谷本廟、清水寺、三十三間堂→京都駅→米原駅(米原泊)
2日目:彦根城(米原泊)
3日目:渡岸寺観音堂、赤後寺、長浜別院大通寺、長浜市曳山博物館、慶雲館(米原泊)
4日目:海津大崎桜クルーズ゙、竹生島、西野薬師堂、米原駅→新横浜駅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 レンタカー 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今津港12:00発の「いんたーらーけん号」で竹生島へ向かいます。
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最前列の席に陣取りました。
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竹生島に近づいて来ました。
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12:25に到着しました。ここでも桜が綺麗に咲いています。
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港の近くのお店です。
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「近江牛まん」が名物です。
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石段を登ります。
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宝厳寺本堂(弁才天堂)、1942年に新築されたものです。
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五重石塔、国指定重要文化財です。
【説明板より】初重塔の四方には四仏が配され、台石の格狭間の形や各重笠石の反りの形状などから鎌倉時代の特徴が見られます。五重石塔で重要文化財の指定を受けているものは、全国で七基しかなく、これはその一つです。石材は、比叡山中から採掘される小松石によりつくられた石造りの五重の塔です。豪雨による土砂崩れにより水没し、未だ発見されていないため、相輪の下部のみが後補のものとなっています。 -
境内の高い場所からの琵琶湖の眺望です。
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石段を下ります。
手前が唐門で国宝、奥は観音堂で国指定重要文化財です。 -
【宝厳寺公式サイトより】『唐門』とは、唐破風をもつ門という意味です。この『唐門』は、秀吉を祀った京都東山の豊国廟に建っていた『極楽門』を豊臣秀頼の命により片桐且元を普請奉行として移築されたものです。移築の際、土地の条件から観音堂に接して建てられています。桧皮葺、建物全体を総黒漆塗りとした上に金鍍金の飾金具が散りばめられ、虹梁中央の蟇股の周囲には鳳凰や松・兎・牡丹の彫刻を、二枚の大きな桟唐戸や壁には牡丹唐草の彫刻を極彩色塗りとして飾っています。豪華絢爛と言われた桃山様式の『唐門』の代表的遺構です。
文献としては、醍醐寺座主三宝院義演による日記『義演准后日記』に、大坂城の極楽橋が豊国神社に移築された旨の記述があり、また、豊国廟社僧の梵舜が『舜旧記』 にて、豊国極楽門を竹生島に寄進したとの記述を残しています。この二つの文献の記述により、大坂城の極楽橋が竹生島宝厳寺に移築されたことは間違いないでしょう。
さらに平成18年、オーストリアにあるエッゲンベルグ城にて『大坂城図屏風』が発見されました。その絵中には『極楽門』の前身であったと伝えられている大坂城の本丸北方に架けられていた『極楽橋』の姿が描かれており、その絵図から判断して、『唐門』こそが、秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構であろうと昨今注目を集めています。 -
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見事な彫刻です。
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観音堂の破風に2頭の虎の彫刻が飾られているのが見えます。
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渡廊、国指定重要文化財です。
観音堂から都久夫須麻神社本殿に続く屋根付きの廊下で、豊臣秀頼が1602年に唐門と共に豊国廟から移したものです。「舟廊下」の通称は、朝鮮出兵時の豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓の材を用いたという伝承に由来しています。
傾斜地に建っているため、京都の清水寺本堂などと同じ懸造りとなっています。 -
渡廊内部です。先端部分に唐破風が付いています。
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高屋根と呼ばれている部分です。移築時に改造したものと思われます。
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こちら側にも唐破風が付いています。
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都久夫須麻神社本殿、国宝です。
1602年、豊臣秀頼の寄進で、片桐且元を普請奉行として伏見城の日暮御殿(勅使殿)を移築したものです。
明治の神仏分離令により、竹生島の信仰施設は宝厳寺と都久夫須麻神社に分離され、宝厳寺本堂(弁才天堂)であったこの建物が都久夫須麻神社の本殿となりました。それ以来、宝厳寺には本堂がありませんでしたが、1942年に現在の本堂が建立され、再び本尊大弁才天が祀られました。 -
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※内部は撮影禁止のため、写真は琵琶湖汽船のサイトより借用しています。
襖や柱・欄間には、桃山時代を代表する優雅できらびやかな装飾が施されており、桃山美術を見ることができます。特に、襖絵、60枚の天井画は、狩野光信の筆と伝えられています。黒漆塗りの桂長押には金蒔絵(高台寺蒔絵)が施され要所には精巧な金の金具がうたれています。 -
竜神拝所から眺めた、宮崎鳥居と琵琶湖です。
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帰路は、長浜港へ13:45発のBENTEN号で向かいます。
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船内です。
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14:20、長浜港に到着しました。
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長浜駅西口に移動、昨日と同じトヨタシェアのレンタカーを利用して、西野薬師堂へやって来ました。拝観には事前の電話予約が必要で、地元の方が説明して下さいます。
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※写真は「観音の里コンシェルジュ」のパンフレットから借用しています。
右は、木造十一面観世音立像、国指定重要文化財です。
ヒノキの一木造りで像高166.7cm、平安時代の作と伝わります。目鼻立ちは穏やかで慈愛に満ちた表情、重量感あふれる堂々としたお姿です。
左は、木造伝・薬師如来立像、国指定重要文化財です。
ケヤキの一木造りで像高159.4cm、平安時代中期頃の作とされています。
「伝」となっているのは、薬師如来の象徴である薬壺を持っておらず、手指の形が阿弥陀如来の来迎印になっているためです。しかし、両手先は、江戸時代に補われたもので、当初どのような印相をしていたのかは分っていません。代々薬師如来であると言い伝えられていることと、天台宗が盛んだった時期の造像であることから、この像は薬師如来であると考えられています。 -
2017年から、境内には正妙寺千手千足観音像も安置されています。
像高42㎝の寄木造で、全国的にも非常に珍しい千足(40本の足)の観音様です。現在の像は江戸時代の作ですが、千足観音は天台宗系密教に関係するものと考えられています。千手千足であることは、すべての人々をあらゆる方法で、どこまでも助けに行くということを意味します。 -
米原駅16:56発のひかり号で、帰路につきました。
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