2025/03/23 - 2025/03/23
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たびたびさん
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周防大島で、沖家室島がかつて瀬戸内海の交通の要所と紹介しましたが、そのつながりで言うと上関もそう。例えば、萩藩の参勤交代では、萩から萩往還で瀬戸内海の三田尻に出ると一行はそこから海路。上関も沖家室も萩藩のまだ領域内ですが、その海路の経由地でした。もちろん、三田尻のある防府から東に向かっては山陽道または西国街道と呼ばれる陸路もあって、どっちもありなんですけど。江戸期の前半は海路が多くて後半は陸路が多くなったとも。やっぱり海路は事故が起きると大事故になりますからね。そういうことで、瀬戸内海やその周辺には陸路で栄えた街と海路で栄えた街、そしてその両方に関係する街ができていくことになります。海路でメジャーなのは、山口ならやっぱり下関だし、広島なら鞆の浦や御手洗、岡山なら牛窓、兵庫なら室津とか。上関や沖家室はそういうところと比べるとさすがにマイナーな感じがしないではないですが、上関、沖家室にも萩藩の番所があったので、重要でないということはありませんね。広島なら倉橋島の鹿老渡、下蒲刈島の三之瀬、大崎上島の木の江とか。これらの街もあまり有名ではないですが、それなりに必要な役割は果たしてきて栄えた時期がある湊町。名残りを辿るのはなかなか面白いものです。
ただ、もう少し、陸路と海路の関係を考えてみると、たぶん瀬戸内海では海路が先。神功皇后の三韓征伐とかは瀬戸内海を進んで九州経由、朝鮮半島に渡っているし、斑鳩に拠点を設けた聖徳太子も難波津から瀬戸内海の海路を前提としたもの。古代には西国街道のような陸路はありませんでしたからね。江戸期の頃だと参勤交代の話は別として、人の往来は陸路、物資の輸送は海路といった棲み分けもありました。東海道がいくら賑わったと言っても、樽廻船や菱垣廻船による物資の輸送を代替することはできません。関東平野でも佐原とか流山、栃木とか利根川の流域は水運によって産業の発達が促されますし、川越の繁栄も水運は重要な要素でした。また、さらに大きく見れば北前船も最たるものですね。しかし、明治維新以降は、急速な鉄道の敷設によって、物流は大変化。北前船の衰退も必然でした。ただ、それは単純な陸路の時代の到来ではない。海外との交易が活発になって、国際的な海路の重要性は増しますし、陸路は鉄道に対してトラック輸送の代替も起きて、スピードや利便性の向上が実現する。そうした前提条件の変化であらゆる街が栄枯盛衰。かつての賑わいの名残りも時代の変化を思い起させるものとなっていて、味わい深いのだと思います。
ちょっと前置きが長くなりましたが、上関の歴史に触れておくと、南北朝時代から戦国時代にかけては村上水軍の勢力下。上関城という城があって、能島水軍の村上氏が代々の居城としました。城山歴史公園がその城跡です。その後、豊臣秀吉の海賊禁止令により、村上水軍は消滅。江戸時代は、萩藩の番所が置かれ、現在の旧上関番所は朝鮮通信使来聘時に建てられたというのが始まりです。現在の街の中心には、道の駅 上関海峡と街のシンボルで、国指定重要文化財の四階楼。四階楼は、幕末、第二奇兵隊書記として活躍した小方謙九郎なる人物が、明治12年が建てた擬洋風建築木造4階建ての建物。取引先や船主らを商売上もてなすためのものでしたが、後に旅館としても使われました。一度見ると目に焼き付くようなインパクトある独特の意匠が今でも素晴らしいですね。
そして、せっかくなので、上関から離島の祝島にも足を延ばしてみました。周防灘と伊予灘の境界に位置する漁業の島は、人口500人程度。港から歩いてすぐが市街地。練塀の細い路地がいくつか走っていて、人口密集地のような感じもなくはないですね。この日は、何かのイベントがあって、小さな広場にバザーとかのお店が出て、それなりに賑わっていました。なお、祝島の見どころは練塀。路地に入るとあちこちにあって、探すまでもないかな。結局のところ、島内は練塀だらけでした。練塀は、石積の塀の表面を漆喰で固めたもの。それぞれの家で微妙に感じが違うのも面白いし、練塀の細い路地を歩くのも探検感覚があって楽しいですね。
あとは、広島への帰りに田布施町郷土館、伊藤公記念公園にも立ち寄り。山口の重鎮政治家の凄味も感じることになりました。おまけのつもりが、これはこれでたいしたもの。改めて山口の懐は深いなあと感じ入りました。
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柳井駅近くのホテルを出発して、上関に向かいます。距離は約20キロですから、時間は30分ですね。
その途中。ほぼ中間地点にある克己堂の門は、旧柳井市立阿月小学校に建つ門。「史跡 浦氏居館旧表門一棟(通称:克己堂の門)」という説明板がありました。天保13年(1842年)、この地の領主、靱負が居館内に学校を開設。克己堂と名付けます。克己堂は、幕末から明治維新に活躍した多くの人材を輩出。学頭秋良敦之助、赤祢武人、世良修蔵等々が紹介されていました。ただ、世良修蔵は、奥羽鎮撫総督府下参謀となりますが、傍若無人な行いがあって仙台藩士によって暗殺されたことでちょっと知られているかも。これが会津戦争の引き金にもなって、なんともいえない人物なんですけどね。克己堂の門 名所・史跡
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さて、ほどなく上関に到着。
さっそく目に留まったのは、「むろつのてんぷら」の看板の原田水産。朝早くからやっています。原田水産 グルメ・レストラン
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イチオシ
熱々のじゃこのてんぷらをいただきましたが、とってもジューシー。じゃこの旨味がジュワッと溢れてくるような感じ。このうまさは半端じゃないですね~
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あ、これが四階楼ですね。
想像していた通りのインパクトです。ただ、内部の見学はまた後程です。四階楼 名所・史跡
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上関の中心部、四階楼の向かいにあるのは、道の駅 上関海峡です。上関を訪ねる場合は、ここを目指すのが分かりやすいですね。海峡を挟んだ対岸は長島。江戸期、上関の番所とかはそっちにあって、細かく言うと対岸が上関でこちらは室津なんですが、今はこっちがこの一帯の中心ですね。
道の駅 上関海峡 道の駅
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道の駅の裏手は祝島等に向かう室津港になっています。
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上関大橋は、本土側、室津半島の室津と対岸の長島の上関の間の海峡に架かる結ぶ橋。この海峡は、幅170mで、防長の三海関の一つとも。下から見上げると渡るのが怖いような橋に見えますが、全然そんなことはない。車ならすいすい。気楽に渡れます。
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さっそく室津側から長島に渡って、城山歴史公園に向かいます。
ここからはしばらく、長島。上関のエリアです。 -
冒頭にも触れましたが、ここはかつての村上水軍に関係する上関城跡。瀬戸内海の西端を押さえるための要衝だったようです。
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見晴らしのいい公園で、海に突き出た櫓のような展望所には河津桜も少し咲いていました。
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イチオシ
そのまま、さらに山を上って上盛山展望台を目指します。
お花畑の中央部にドーンと大きな展望台が据えられていて、なかなかすごいですね。 -
ここは、上関の市街から上関海峡を見下ろす絶景の場所。上関の市街から上がっていく時はかなり上の方に見えていてちょっと不安でしたが、行ってみるとけっこうすんなり行けました。
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展望台に上らなくてもここは十分高い場所。
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のんびり下を眺めるだけでもOKです。
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帰りに、標識の出ていた御汗観世音にも寄ってみます。
断崖にへばりつくように石垣を積んだ石窟寺院のような構え。 -
上っていくのは一見きつそうに見えますが、そこまでではないですね。
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創建は天保3年(1832年)。観音像が常に濡れているところから御汗観音だとか。
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そこはよく分かりませんでしたが、
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祠を覗くと極彩色の像が拝めました。
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中の浦海浜公園は、上関から長島の東側の海岸線を北に向かった先。上関で普通に行ける範囲だとここが北限という感じですね。
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静かなビーチはひっそりとした美しさがありますが、知る人ぞ知るかな。割とよく知られてもいるようで、たくさんのキャンピングカー。ちょっとびっくりでした。
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イチオシ
これは長島の上関港。停泊している船だと対岸の室津港よりこちらの方が多いくらいですね。
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イチオシ
上関港から少し山の方に入ったところが旧上関番所。江戸期、萩藩が国境または海陸の要衝に設けた見張り所です。
旧上関番所 名所・史跡
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今は上関の市街の裏山ですが、もともとは同じ長島の四代に寛永9年(1632年)に設置されていたもの。正徳元年(1771年)になって、利便性からこちらの上関に移築したようです。
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建物は今でもしっかり。厳めしい雰囲気も健在です。
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上関大橋を渡って、室津側に戻ります。
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上関大橋を渡ってすぐ、上関大橋の北詰めにあるのは上関海峡温泉 鳩子の湯。通りからだと少し高い場所ですが、上関大橋を見上げるような位置にあります。建物は意外に大きくて立派。上関まではるばる来てちょっと心細い気持ちになっているところで、こうした温泉があるとちょっとほっとするような感じですね。
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道の駅 上関海峡に戻ってきて。
まだ時間も早いし、祝島に行ってみることにしました。 -
では、船内で食べるお弁当を調達。便利なものですね~
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イチオシ
船が入ってきました。
室津~祝島航路は、いわい丸が就航。一日、三往復。 -
所要時間は約30分です。
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イチオシ
室津半島の室津と対岸の長島の上関の間の海峡は、上関海峡。幅170mで、防長の三海関の一つとも言われてきました。今でも行き交う船はとても多い。
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上関大橋も含めて、周囲はスカッとした風景。眺めもとってもいいですね~
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長島を見ながら
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船は
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どんどん進みます。
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室津港からは、
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途中、上関港、蒲井港、四代港と何度か寄港していくのですが、けっこうあっという間。
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同乗者には、離島マニアみたいな人もいたりして、まあまあの観光気分です。
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さて、祝島に到着です。
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人家がそれなりに多いし、
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堤防に守られた港もそれなりに立派です。
上陸して -
さっそく集落に向かいますよ~
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人の流れがあったのでそれに着いていくと
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小さな広場では何やらイベント。
祝島朝市というのをやっていました。 -
無料のお茶がふるまわれていたりして、ちょっといい気分。
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人気の肉まんを買って、ひと息入れました。
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しかし、練塀はどこにあるんでしょうねえ。
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これは普通の石垣だし。。
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と思ったら、集落の中心部には至る所に練塀です。
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しっくいで固めているとはいえ、
石と石は離れているように見えますが、 -
それで強度は保たれているんでしょうか。
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しっくいの中はどういうことになっているんでしょうね。
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ただ、この文様は
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独特で面白い。愛嬌があるようにも感じます。
祝島 自然・景勝地
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途中、港の方に出ましたが、
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また集落へ。
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こっちも長い通りに
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イチオシ
練塀が続きます。
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うーん、このデザイン。
ボルダリングの壁にもこんなのがあったかもしれません。 -
そろそろ帰りの時間も近づいてきたので、港の辺りでボーッと海を眺めます。
瀬戸内海の穏やかな景色。いいと思います。 -
イチオシ
室津港に戻ってきて。
では、四階楼の見学です。
明治12年、迎賓及び宿泊施設として建てられた四階建ての擬洋風木造建築は、上関にあってはシンボル的な建物ですからね。 -
中に入って四階まで順々に拝見します。
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意外にレトロな和風の構え。
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ちょっと頼りない階段を上がって
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二階から
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また上って
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三階へ。
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唐獅子牡丹の漆喰彫刻を確認して
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ここが最上階の四階です。
四階の天井には鳳凰漆喰彫刻、フランスのステンドグラスなど。 -
ここが四階楼の真骨頂かな。和洋折衷の不思議な組み合わせが面白いです。
なるほど、ここはやっぱり内部も見ないとダメですね。 -
このエリアでもうひとつ気になっていたのは、カフェレストラン 瀬里家。
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室津から長島に渡ってすぐのところにある海を眺める高台の気持ちの良いお店です。
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屋外にあるカウンターで、バニラアイスをいただきました。
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海の眺めは、ちょうどよさげなところに島があって、刈込の向こうに見えるのがまたいい感じ。天気のいい日はこの屋外のカウンターがお勧めです。
上関エリアはこれで終了。最終的には広島に帰りますが、平生町、田布施町、光市を経由して、もう少し観光を続けます。 -
平生町に入って。
神花山古墳は、5世紀の前半、丘陵に造られた前方後円墳。全長30m、後円部の径15m、高さ約2.5mは、女性が埋葬されていたというのが、珍しいところ。 -
そうしたことを踏まえて、その女性をイメージした古代女王像が建っていて。その見上げるような大きな像がここのシンボルです。
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阿多田交流館は、旧海軍の潜水学校、その後、水中特別攻撃隊、人間魚雷「回天」の訓練基地ともなった場所に建てられた記念館です。
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記念館の前には、実物大の回天のレプリカが展示されていましたが、意外に大きなもの。
館内では、厳しい訓練で9人の隊員が命を落とした事故のこととかが紹介されていました。 -
田布施川の河口の視界の開けた場所に見えたのは、南周防大橋。平生町と田布施町を結ぶ橋。長さ793.5mの橋は、なだらかな曲線を描いて優美な姿。手前の漁港の辺りも含めて、一幅の絵になるような穏やかな景色でした。地元出身の方の詩碑もあるようです。
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ほどなく、平生町歴史民俗資料館。
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あれこれと展示品はありますが、
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一番の見どころは、先ほど寄った神花山古墳から出土した女性の埋葬者の遺骨から復元したという古代の女王の顔。現代人と変わるところはないような気もしますが、日本人のルーツから考えると、大陸から渡って来たばかりの人も多かった時代。ちょっとロマンがあると思います。
後は、大野毛利家のことかな。岩国の吉川広家の次男、政春を祖とする家柄。幕末までこの地で9代続き、8600石を有していたとありました。 -
平生町の市街だと土手町南蛮樋。これは、地元の領主、大野毛利氏が行った平生開作の遺構のひとつ。開作は、堤防を築き、海水を堰き止めて干拓地を造ったものですが、雨水を排除する必要があり、そのために作られたのがこの南蛮樋。樋門を開閉させる技術が当時オランダの最新技術だったそうです。
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平生町から今度は田布施町です。
田布施町郷土館は、人口13千人の小さな町の博物館。特別な文化財と言えるようなものかどうかは分かりませんが、古墳時代前期の4世紀初頭頃に造られた県内最古の方墳、国森古墳やいくつかの古墳の出土品がけっこう大事に展示されていました。
ただ、やっぱりここでは、岸 佐藤兄弟宰相の遺品展示室を見ないと始まらないですよね。田布施町郷土館/岸 佐藤兄弟宰相の遺品展示室 美術館・博物館
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それがこちら。
田布施町郷土館の二階です。 -
田布施町なんて、ほとんど名前も知られていない小さな町ですが、岸信介、佐藤栄作という大物の総理大臣の出身地なんですね。
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そして、安倍晋三も、岸信介の孫にあたります。佐藤家と岸家の関係は、佐藤家に岸家から養子をもらって、佐藤家の分家としたというのが始まりとか。
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しかし、そんなこと以上に、二人の時代を振り返ると
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混沌とした戦後の日本において、
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アメリカとの同盟関係を基軸に社会を安定させ、
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それを基盤にして
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沖縄復帰とかにも結び付けていくという流れ。
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保守本流の政治家の面目躍如といった印象がとても強烈。
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二人は時代が必要とした政治家だったのかなと思います。
経済も政治も両方が揃わないとやはり日本は立ち行かない。日本は残念ながら資源のない国であることを忘れてはならないと思います。 -
柳井市の方に少し入って、二つの施設。
一つ目のアデリーホシパークは、プールやフィットネスジム、テニスコートなども備える健康施設。 -
また、その他、周囲は広い公園でちょっと丘のようになった地形には、児童向け遊具を備えた遊び場に潤いのある池もあったり。これもなかなかいい感じ。普通の公園というだけではなくて、プラスアルファの施設だと思います。
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二つ目のやまぐちフラワーランドは、花と緑のかなり本格的な公園。入口のしっかりした建物や
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入ってすぐの観覧車もインパクトがありますが、
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芝生の広場や
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その周辺のお花畑もとても手入れが行き届いていて素晴らしい。
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有料の施設ですが、
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確かにそれに相応しいクオリティがある施設だと思います。
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きれいな花にはやっぱり癒される。
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海や離島もいいですが、
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花はやっぱりいいですね。
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そして、もうひと踏ん張りして光市の伊藤公記念公園です。
伊藤公記念公園 公園・植物園
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初代内閣総理大臣、伊藤博文の生家のある場所に、旧伊藤博文邸、伊藤公資料館等を整備した公園です。
ちなみに、萩に伊藤博文旧宅がありますが、それは伊藤博文が4才から28才まで過ごした家。つまり、伊藤博文の父、林十蔵が足軽、伊藤家の養子となったため、萩に一家ごと移り住んだというものです。ということで、もともとは現在の光市で百姓の子として生まれたというのがスタート。萩に行っていなかったら、松下村塾との出会いもなく、まったく違った人生になっていたのだろうと思います。 -
入ってすぐにある方が旧伊藤博文邸。先祖の法要を営むために自ら基本設計をした別邸なのですが、博文が暗殺された翌年、明治43年に完成したもの。
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なお、私の印象では、外観の意匠とかちょっと堅いかなあ。
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全体としては洋館ですが、
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二階に上がると
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洋室のほかに
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一部には和室も設けられていて、明治の建物だとこうした設計は多いですよね。
ただ、博文は建物のセンスは普通だったような気もします。 -
そして、奥の方にあるのが伊藤公資料館。旧伊藤博文邸は無料ですが、こちらは有料です。
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イチオシ
確かに、展示の内容がこちらは格段に上。
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伊藤博文の足跡の紹介だけでなく、展示されている愛用の品々や調度品などは目を見張るくらい素晴らしいです。
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写真撮影は禁止なので残念ですね。
うまい例えがないのですが、ここまで来ると旧大名クラスの暮らしぶり。明治期の内閣総理大臣はまったくレベルが違います。 -
生家は一番奥の方に復元されていますが、
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質素な藁ぶき屋根。
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それでも、この構えならなかなかのような気もしますけどね。
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傍らには産湯の井戸も。
幼少時代は、林利助。一家三人の睦まじい姿の人形展示も悪くないです。 -
ここからは一路広島を目指しますが、晩飯は、途中のいろり山賊 玖珂店で。
メディアでも何度も取り上げられる名物店ですが、これまで機会がなかったんですよね。いろり山賊 玖珂店 グルメ・レストラン
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お城かお寺のような壮大な建物と毎日お祭りみたいな賑やかさは他にはない特徴なのですが、
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それでも想像していたより、何倍もすごいお店ですね。
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お客さんも多いし、ちょっと途方もない感じがあります。
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イチオシ
しばらく待って、名物の山賊おむすびと鶏の山賊焼きをいただきました。確かにでかいのはでかいのですが、それなりにおいしいので、けっこうすとんとお腹に収まる感じ。シンプルはシンプルなんですが、なるほど一度は食べるべき名物かなと思います。
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さらに戻ってきて。
宮浜温泉の日帰り温泉、このべにまんさくの湯に入って帰りましょう。 -
今回初めて利用してみましたが、意外に観光客の利用者が多くてびっくり。広島の地元でも宮浜温泉の認知度ってそんなに高くはないんですけどね。施設の立派さもありますが、それにしてもという感じですね。湯は無色透明。それでも露天の大きな風呂だし、それなりの開放感があって温泉気分は上々でした。
さて、以上で二日間の旅は無事終了。お疲れさまでした。
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