2019/03/16 - 2019/03/23
534位(同エリア945件中)
noriyosiさん
- noriyosiさんTOP
- 旅行記41冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,008アクセス
- フォロワー3人
2019年3月ドイツ・オーストリアハイライト周遊8日間の旅2 ノイシュバンシュタイン城編
(2日目午後 ノイシュバンシュタイン城編)
2019年3月16日から3月23日の予定でドイツ・オーストリアの旅に出かけました。
3回目の海外旅行です。
1年前のフランス観光が奥さんに好評でした。飛行機のフライトは大変ですが、現地のバスでの移動は道が良いのか、苦にならないようでした。奥さんのいない私はありえません。年に一度の骨休み。もう一度二人で行こうと思い立ちました。
前半はドイツ、3日目の午後からオーストリアに入ります。
1日間 3月16日(土) 地方空港から羽田空港へ
出国手続きの後
羽田国際空港からミュンヘン空港へ
[ドイツ入国です。]
入国手続きの後
バスでホテルまで送迎
2日目 3月17日(日) 午前バスで移動、
ミュンヘン市内散策
午後ホーエンシュバンガウへ
ノイシュバンシュタイン城入場観光
バスでフュッセンのホテルへ
3日目 3月18日(月) 午前バスで移動、
ヴィース教会を訪問します。
[午後はオーストリアに移動です。]
今日はまだ2日目、2019年3月17日です。
午前中はミュンヘン市内を散策できて、楽しかったです。長いフライトで足が萎えていたので、いい運動になりました。
(午後はノイシュバンシュタイン城に行くんですよ。山道を歩くんですよ。大丈夫?)
そんなこと聞いてないよ。
ノイシュバンシュタイン城は人を惑わすらしい。
テレビドキュメントの新・美の巨人たちのノイシュバンシュタイン城では、天井の鉄骨の映像を見せて構造は鉄骨とコンクリートですと紹介しています。これは玉座の間を支えるために鉄骨で補強したもので、基礎がコンクリートで、外壁はレンガ積みで化粧石を貼っていますといえば親切です。厨房を見せたあと、二人がエレべータを使う映像を流しますが、これは当時からあるものなのか、また後付けの、
【ノイシュヴァンシュタイン城にはエレベーターがあり、車椅子をご利用の方や身体の不自由な方も城内ツアーに参加できます(注意:登録が必要です)。エレベーターの寸法:ドア幅 0.85 m、奥行き 1.30 m。車椅子が大きすぎないことを確認してください。】というエレベータなのか説明がほしいです。どのブログでもエレベータに乗った人も、厨房奥の配膳用のリフトを見たとかいた人も見かけませんでしたが、エレベータはあります。
また旅行サイトで、たまに「城は直訳すると新白鳥城で構造は鉄骨コンクリートです」と記載があります。これを見た人はそのまま鵜呑みにするか、辞書で調べてこれは新白鳥石城で構造は鉄筋コンクリートの誤記だろうと思い違いをするかもしれません。
この建物は鉄筋コンクリート造では柱や梁が大きくなりすぎ、玉座の間が2層吹き抜けとなっており、壁式でも不向きです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
(ノイシュバンシュタイン城は鉄筋コンクリート製と言ってる人がいるんだそうです。)
いかん、なんとかせんといかんとよ。しかし鉄筋コンクリート製という言い方は大量生産品みたいでシュールです。鉄筋コンクリートといえば、フランスでは1850年ランボ-のRC船、1853年コワニェがRC建物を作り、1855年のパリ万博で展示しました。庭師のモニエが植木鉢の強度を上げるため金網を入れる技術で特許をとり、その後主に橋梁に応用しました。(ドイツでのモニエ式橋梁は300以上)ドイツでは鉄筋コンクリートアーチ橋はオーストリアのメランが開発したメラン式を採用した1899年建造のマイニンゲンのゲオルク橋だそうですが、これは鉄骨トラス桁をコンクリートで被覆したようなイメージで、2番目の橋です。1番目はケーニヒスベルクに建設されましたが荷重試験中に崩壊しました。たしかに鉄筋コンクリート造はここではまだ早い。
【ノイシュヴァンシュタイン城の基礎部分はコンクリートなどで固められ、鉄骨、鉄柱も一部補強で使われているとはいえ、城館の壁の主要構成要素は、鉄筋コンクリートではなく煉瓦(と石灰石板)なのです。つまり城館の建物自体についていえば、煉瓦造りといった方が実態に即しているのです。】(なにか怒っている。)
壁に捉われて鉄筋コンクリートと言われて怒っているらしい。正しいとは思いますが、素人の私だと鉄骨(梁)、鉄柱が一部補強のため使われているのだから、組積造レンガ積み、一部鉄骨造と言ってしまいます。簡単な謁見の間を当初の倍の広さの玉座の間にしようとしたから鉄骨を入れないと床が抜ける、挙句に壁ごと崩壊する恐れがあるので建築家はそうします。
補強は直下階だけでなく、最下階まで及んでいるのがわかりますか? -
建築物は壁だけで出来ていません。柱、床、梁、屋根、階段が一体となって成り立っています。木造なら、仕上げが何であろうと柱・床・梁・小屋組みまで木で作られていると想像できますが、単に煉瓦造りと言われてもよくわかりません。建物自体についていえば、例えば主要構造部のうち外壁はレンガ積みで化粧石貼り仕上げ、床、梁木造一部鉄骨造(梁)、小屋組み木造の上屋根金属葺き等とか、言ってもらえると助かります。
日本の組積造はレンガ、石、コンクリートブロック等をモルタルで積み上げた構造を言います。壁の長さ10m以下、厚さ40㎝以上かつ、高さ(壁高)H/15以上で壁の上部に鉄筋コンクリートか鉄骨造の臥梁を原則設けなければいけません。高さ13mを超える建築物は鉄筋・鉄骨で補強することになっています。
(基準がちがうでしょう。) -
(シンデレラ城はノイシュバンシュタイン城のモデル?)
似てますか?
シンデレラ城は登記簿謄本では、種類は店舗・劇場で構造は鉄骨造合成樹脂版葺地下1階付5階建です。
所在:千葉県浦安市舞浜1番地1
家屋番号:1番1の17
種類:店舗・劇場
構造:鉄骨造合成樹脂版葺地下1階付5階建
原因及びその日付:昭和57年12月28日新築、昭和61年7月15日種類変更
平面図と言っても外形に外寸を入れているだけです。
近くに別建物で1番1-16,2番1-10の表記ががあります。
(ノイシュバンシュタイン城は?)
スプラッシュマウンテンは登記簿謄本では、種類はスプラッシュマウンテンで構造は鉄骨造陸屋根鋼板葺地下1階付3階建です。
所在:千葉県浦安市舞浜2番地1
家屋番号:2番1の25
種類:スプラッシュマウンテン
構造:鉄骨造陸屋根鋼板葺地下1階付3階建
原因及びその日付:平成4年7月30日新築
(ノイシュバンシュタイン城はどうかときいとるやろ??)
すいません。ここが鉄骨造なら似てないこともないと思っておりました。
種類も構造も屋根の合成樹脂版葺も違います。丸い尖塔が似てなくもないですが、一番高い尖塔も窓もフランスのフランボイヤント様式です。ここにはありません。 -
(何の話をしているんだったけ?)
登記簿上のことはドイツの法務局に行ったことが無いので、知りませんが、
ここだけの話ですけど(うん)想像ですけど(ふん、ふん)
観光業者がシンデレラ城とノイシュバンシュタイン城を紐付けしたんでしょうが、当時ディズニーランドに眠れる森の美女のお城があればそちらにしたでしょう。お互いの知名度が上がってさすがは観光業です。
これを見てどう思います?(シンデレラ城とそっくり。)
まず城門館が建てられ、1872年6月11日に上棟式が行われました。
1873年末には入居可能となり、3階をルートヴィヒ2世が使用しました。
3階のバルコニーから現場を見ることが出来ました。
パブリックドメイン1 城門館 残念ですが、工事中で見えないので付けました。
外壁は赤いレンガと石張りですが、石も窓枠も砂岩に見えます。(よくみなさい。)
パブリックドメイン2 ヒットラーの描いた絵です。1945年ミュンヘンが空爆されるようになり、まずい物でもあったのか、ナチスの下部組織に爆破指令を出しましたが、隊長が応じなかったので無事に済んだようです。 -
城門館の中庭側です。1階の外壁は白い石灰石、2、3階はベージュが掛った石灰石貼で開口枠、窓枠、バルコニーは砂岩に見えますがどうでしょう。赤いレンガも3階側面に見えます。
【ヨーロッパと日本では階の数え方が異なり、日本の2階はヨーロッパでは1階と表記されます。】
そうはなりません。日本の二階はヨーロッパでは序数を使って1番目の階と表記されます。ところがドイツはさらに複雑です。
日本の1階に相当するドイツ語で地上階は「Erdgeschoss (エーアトゲショス)」ですが、
ドイツ語の序数を知っている人はこうなります。(日本語の階数表示をしますが、)
1階:Erdgeschoss (エーアトゲショス)
2階:der erste Stock (デア エルステ ストック)
3階:der zweite Stock (デア ツヴァイテ ストック)
4階:der dritte Stock (デア ドゥリテ ストック)・・・
ところが、ドイツ語の表現では日本で言う2階以上は
Obergeschoß オーバー・ゲショスを使いこともあります。
例えばエレベータの階数表記
EG(1階)
1. OG(2階)
2. OG(3階)・・・
さらに城門館のレベルを1階(EG)とすると上の中庭が1層分上がっているのでバレス(本館)2階(1.OG)からとなります。
この建物は繋がっているので6層で階数6の建物です。 -
パレス(宮殿本館)は1872年9月から建設されました。
1875年には躯体の4階(日本式5階)まですすみ、1880年1月29日上棟式が行われ屋根まで葺き終えました。この時の建物名称は契約図も設計図も新ホーエンシュバンガウ城です。
日本版ガイドブックでは1879年と1880年の2年間の統計で
1,砂 3600立方メートル(およそ6000トン)
2,砂岩 4550トン、Nürtingen産?→別サイトは1550トン
(元ニュルティンゲン州でしたが、現ヴュルテンベルク州シェーンブーフの端にあるシュライトドルフ産です。ケルン大聖堂に1部使われている風化が早い砂岩です。)
3,煉瓦 40万枚(およそ1000トン)
4,セメント 600トン
5,大理石 465トン、ザルツブルク産
6,石灰石 50トン、シュヴァンガウのAlterschrofen(アルター・シュロフェン)地区産→なぜか数量が少ない。(石灰だという人もいる。)
となっているそうです。
WIKI英・独版では、ザルツブルク産大理石465トン、砂岩1550トン、レンガ40万個、足場用の木材2050立方メートルなどなっています。
この城は従来のレンガ造りで建てられ、後に他の種類の石で覆われました。ファサード表面の白い石灰岩は、近くのアルター・シュロフェン採石場から採取されたものです。門と出窓に使われた砂岩のブロックは、ヴュルテンベルク州シェーンブーフの端にあるシュライトドルフから運ばれてきた。窓、アーチのリブ、柱、柱頭には、ザルツブルク地方産のウンタースベルク大理石が使用されました。
1881年には内装・設備に入ったが、1884年までには完成しなかった。
(設備会社の水洗トイレの計画図も、ノイ・シュロス・ホーエンシュバンガウとなっています。)
1884年5月27日初めて本館に入城でき、6月8日まで滞在しました。 -
Ritterbad[リッターバート]騎士の浴場 ですが、完成することはありませんでした。内部側はレンガがむき出しのままです。できれば2層吹きぬけの壮大なものになるはずでした。
この時代の組積造の宿命として耐震性に欠け、本格的な建物の場合、外壁だけでは耐力が不足するので、一部間仕切り壁も耐力壁にする必要がありました。構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることも多いようです。
焼成レンガであれば、石材と違い柔らかいうちに規格の決まったサイズで製造でき、無焼成レンガと違い水に強く洪水被害が多い地域でも使用できるメリットがある反面、焼成するプロセスがあるためコスト・焼成温度管理・燃料調達・二酸化炭素排出などのデメリットがありました。
レンガ積みはイギリス積みとしています。耐力を上げるため一つの列を長手とすると、その上の列は小口、その上の列は長手と重ねてレンガを積んでいます。
レンガや レンガ
コンクリート ちゃうやん
外に石貼ってるもん
やさしさも忘れた
荒れ果てた
人の心を
祈りながら歌いたい愛のうた
モスラやモスラ
ノイシュバンシュタイン チャウやん
ノイホーエンシュバンガウ ヤもン
ありがとうございました。(モスラの歌で泣くな) -
パブリックドメイン 完成予想図です。
礼拝堂と上部Bergfried(主塔物見櫓、礼拝堂の鐘を備えたら鐘楼)
Bastion[バスティオン]稜堡 庭園は建設中止となりました。
階段塔のところで建物が曲がっているのは、白雲岩の岩盤があったからです。
無理散財の挙句、さすがにルートヴィヒ2世の資金繰りが苦しくなり、政府に資金を申請したのが悪く、首相とルイトポルトの間で合意ができていて、1886年3月政府の議決により、援助・融資しないことを決定した。6月9日ルイボルトは摂政になり、国王を幽閉するために退位委員会を派遣したが、逆に逮捕され追い返された。
6月12日未明今度は組織を組んで精神病による禁治産者と宣言してブルグ城館に監禁した。
6月13日、昼頃1回目の散歩の後食事をとり、医師団と面談した後のことです。
16時半にお酒を飲んで、グッデン博士と2回目の散歩に出かけました。
しばらくして本降りの雨になっていたのに、誰も気にとめず20時にもなって医師団は治安警察に探しに行かせました。暗くなった22時過ぎになって湖底に沈んでいた2人を発見しました。2人とも岸から20~25歩はなれた、底が見えるほどの水深50㎝~の浅瀬で溺死したそうです。不慮の事故で足を滑らせて助けようとしたグッテンも巻き添えで亡くなりましたと言えないのは何か争いごとがあったのか、クッテンの顔に傷があったからです。
鴎外はその時ドイツに留学中でした。その時の様子の独逸日記が青空文庫に見当たらず、「うたかたの記」がありました。
[バワリヤ王ルードヴィッヒ二世は、湖水で溺れて亡くなられたが、年老いた侍医グッデンはこれを救おうとして、ともに命を落とし、顔に王の爪痕を留めて死んだという、恐ろしい知らせに、翌十四日ミュンヘンの騒ぎは並大抵でなかった。・・・号外の新聞は王の死因について、さまざまな憶測を書き立て人々は争って買った。(中略)長い間人民に顔をお見せにならなかった国王であるが、さすがに心を痛めて、憂いを含んだ顔も街には見えた。]
ご冥福をお祈り申し上げます。
手回しがよく、翌日6月14日に弟のオットー1世を即位させ、精神病のためと幽閉して、摂政を続けました。(当然国王がいない状態では国王の代理の摂政はできない。)ルイトポルトの後は子のルートヴィヒ・アルフリートが摂政となり、首尾よく憲法を改正して、オットー1世を廃位のうえ、摂政自らがルートヴィヒ3世に即位しました。
ルートヴィッヒ2世の記憶を消すためか、建物名称を政府とルイトポルト摂政は正式にノイシュバンシュタイン城と名付けました。8月からの一般公開は好評でルイトポルトの人気となりました。ヴィッテルスバッハ家の安定した収入源になったので、気を良くしたルイトポルトは数年後1890年から1892年の間に婦人の館と四角搭を完成させましたが、お金のかかる主塔・礼拝堂は建設中止としました。 -
【本篇はここからです。】
まだミュンヘンにいます。
広場からバスを求めて三千里(違う) -
添乗員さんが魔法を使うと、バスが飛んできた。
(携帯で連絡したんです。) -
しばらくはバスの車窓、ニワトリさんのお家。
(以下省略) -
昼食会場のテラスからみるノイシュバンシュタイン城
(何食べた?)
忘れた。それではバスに戻ろう。 -
(違う。山道をあるく。お城に向かって。)
なんで曲がってるの。 -
(真っすぐの山道はない。)
傾斜を利用してあそこから上がれば。
(上がれません。) -
馬車がいく。馬車が行く。はるばると、はるばると。
-
(自分の足を使ってあるく。トットと歩け。)
-
お馬さん、元気?
「うん。今日は天気もいいし。下り坂は楽だし。」 -
うんだと。
こら馬。なんとかせい。
(かわいそうに。お馬さんに言っても無理。)
ごめん。 -
(もう、お城も見えてきた。)
-
(何で見えなくなるの?)
道は曲がってるんでしょう。 -
ほらね。見えたでしょう。
-
かなり背が高いですね。
(さっき見た) -
悪い予感が。
工事現場のプレハブ。 -
おかしいな。石は石灰石でしょう?円搭の一部砂岩に見える。
-
工事中。
(早く来たので、みんなを待ちましょう。)
仕方がないな。 -
(素晴らしい、景色。)
あとで、下の展望台にも行こう。 -
(中庭のゲート前でまちましょう。)
-
(もう時間だよ。)
マリエン橋を撮ってるうちに、上の中庭に行くの忘れてた。
(早く。) -
真っ暗、変なもの見た。
(違う。普通に明るい。撮影禁止でしょ。)
なんか、ぐるぐる回ったけど、カバーが掛けられていて工事中という印象しかない。
(残念だね。) -
フライング気味ですが、出口です。
手前の壁は漆喰です。漆喰とは消石灰(水酸化カルシウム)を主原料とした塗り壁材で,消石灰は、石灰石を焼いて水を加えたものです。環境にやさしくシックハウス対策にもってこいです。
開口枠は砂岩ですね。
向こう側の壁はレンガ積みで、開口補強のアーチはレンガでやってますね。(おだまり。) -
こんなゲートあったっけ。
(ここを出ると元には戻れない。)
怖い。普通にしゃべれ。 -
階段を下りると、
-
長いトンネルになっていて、
そこを抜けると、雪国に・・・ -
なってないんかい。明るくなった。ここはどこ。
地下なのか、1階なのか、地上にでてきた。
(お城の北の通路広場) -
背が高いですね。足元で踏ん張っているのがわかる。
-
それでは戻ろう。
(マリエン橋に行くのじゃ。少し歩いたら着くから) -
これが少しか。ふうふう。
・・・この掲示板、いいじゃないですか。よくわかる。 -
(まあいいではない。早くいきましょう。)
マリエン橋の前、柵がものものしくなっている。
(あぶないからね。) -
谷底はこんな感じ。
(たいしたことない。)
ええー
(え?) -
ここにいるとマリエン橋の全景が見えないから、中庭から見た橋をどうぞ。
(ご苦労さん。) -
それでは橋から記念写真。狭いから気をつけてね。
-
しかし、狭いところによく造ったね。はみ出してるもんね。
-
(それでは下りていきましょう。)
森といずみにかこまれたブルーの屋根の白いシャトー
きっとあなたは―
(だまって下りましょう。) -
ホーエンシュバンガウ城1
左にAlpsee アルプ湖 が見えますね。
実はSee(ゼ―)では湖か海か分かりません。
der See 男性名詞で湖
die See 女性名詞で海 です。
(見たらわかる。)身もふたもない。 -
ホーエンシュバンガウ城2
右にみえるのが、Schwansee シュヴァン湖のはずです。
ずいぶん高いところに上ってきたもんだね。 -
(すこし歩くだけで、ノイシュバンシュタイン城が見えてきた。)
これが少しか。
(まあいいではないですか。) -
下の展望台に寄りましょう。
(工事中のお城をみて楽しいか)
うん。ガラスの手摺とグレーチングの床は良くないが。 -
ちょっぴりさみしくて振り返っても
そこには山と森があるだけ。
(行くよ。) -
少し寒くなってきたか。
(止まったらね。) -
(ふもとについた。)
ここでも高地だから海抜750mです。 -
近くのお店でショッピングのあとバスでホテルに向かって移動します。
添乗員さんは「スーツケースが安いから古いのをおいて新しいのを買いな」と勧めているけど古いのはどうするんだろう。日本製は古くても結構使えるんだけど。
(ほとんど中国製よ。いえ何でもありません。) -
もうお別れだね
お城が小さく見える
もうすぐ誰もいなくなる
寒い日の道を僕らは歩いたね
さよなら さよなら
元気でいてね
つらい気持ちは僕らもおなじ
(歌が変わっているよ) -
御静聴ありがとうございました。
また、次回はヴィース教会でお会いしましょう。
(適当で困った奴ですが、根は性格が悪いだけです。本人は真面目にやっているつもりですので、広い寛容な気持ちをもって見てください。)お願いします。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
noriyosiさんの関連旅行記
ロマンチック街道周辺(ドイツ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53