2025/11/11 - 2025/11/12
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ローマ人さん
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2016年10月以来、10年ぶりで大分に行ってきました。
前回は、別府の地獄めぐり、別府タワー、野生の猿の餌付けで有名な高崎山や宇佐神宮、中津城、耶馬渓を訪れました。
なので、今回の行く先は前回と重ならないようにしたところ、結果的に城跡巡りの旅になりました。
なので、初日は大分空港から近い日出城址、杵築城址を巡り大分市に宿泊、2日目は岡城址、大分(府内)城址を巡りました。
今回の旅で最初に訪れた日出町は私のルーツの地でもあります。
私は熊本県の出身ですが、昨年100歳で亡くなった母が日出町(町の中心からは離れています)の出身で、小学生くらいまでは毎年夏休みに兄弟揃って母の実家に滞在していました。
しかしながら、日出城跡にはまだ来たことがありませんでした。
母の話では、祖母(母の母)は「いざ鎌倉」の元となった謡曲「鉢の木」に登場する「佐野源左衛門常世」の末裔であり藩主の木下氏が日出に移封される際に客分として日出に来た一族の出身ということでしたが、詳細を聞く機会はありませんでした。
今となっては確認のしようもない話です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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旅の出発は羽田空港第1ターミナルからです。
羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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JGC(JALグローバルクラブ)専用のセキュリティチェックへ。
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セキュリティチェック通過後、南ウイングのさくらラウンジへ。
羽田空港国内線ラウンジ 南ウィング (サクララウンジ) 空港ラウンジ
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さくらラウンジからの眺め。
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国際線第3ターミナルビルの向こうに富士山が見えます。
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アメリカメジャーリーグの大谷翔平選手をデザインした特別塗装機「DREAM SHO JET」がいました。
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8:00発、JAL661便大分空港行に搭乗します。
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搭乗機です。
機種はボーイングB737‐800型です。 -
窓側A席です。
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定刻よりも少し遅れてプッシュバック。
JALメインテナンスハンガー前を通過。 -
D滑走路です。
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D滑走路から飛び立つ飛行機が見えました。
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離陸します。
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直後に東京スカイツリーが見えましたが、直ぐに雲の中へ。
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雲が切れると神奈川県小田原市(写真上部)が見えました。
手前の盆地は秦野市です。 -
箱根の芦ノ湖。
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山中湖。
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富士山がくっきりと見えます。
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南アルプスの山々の頂には雪が積もっています。
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紅葉が美しいです。
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天竜川。
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名古屋市上空。
ナゴヤドームと名古屋城が見えます。 -
名古屋城をズームアップ。
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伊勢湾。
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濃尾三川。
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鈴鹿サーキット。
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大阪上空。
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伊丹空港。
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神戸上空。
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神戸空港をズームアップ。
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明石海峡大橋。
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小豆島。
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瀬戸大橋。
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鞆の浦。
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しまなみ海道。
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飛行機は進行方向左側に四国の佐多岬を見ながら南下し、着陸寸前に180度旋回して南方向から滑走路へ向かいます。
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着陸しました。
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9:55、定刻より15分遅れでスポットイン。
大分空港 空港
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到着フロアではキティちゃんがお出迎え。
大分空港の愛称は「大分ハローキティ空港」だそうです。 -
今日は国東半島にある日出(ひじ)町と杵築(きつき)市を訪れますが、空港から近い杵築市は公共交通機関を使って行くには不便なので、先ずは日出町に向かいます。
10:10発の空港特急バス「エアライナー」大分・別府行に乗車。
下車する日出バス停までの料金は1,300円です。
終点の大分までの料金が1,600円なので割高ですが、仕方がありません。 -
バスの中から見た空港ターミナルビル。
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空港から約30分、日出バス停で下車。
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バス停から約5分歩くとJR暘谷(ようこく)駅があります。
駅にはコインロッカーや荷物預り所はありません。
日出町を観光後、この駅から列車で杵築市に向かいます。暘谷駅 駅
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暘谷駅からキャリーケースを引きながらJR日豊本線の踏切を越えて歩くこと約5分で観光スポットに到着しました。
この辺りは日出城二の丸跡です。 -
日出城下のマップです。
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先ずは、日出藩の藩校「致道館」です。
日出は、日出藩木下家2万5千石の城下町だったところです。
藩祖の木下延俊は、豊臣秀吉の正室「おね」の甥で、血のつながりはないが一族として秀吉の旧姓「木下」を名乗ることを許されました。
関ヶ原の戦いでは義兄(妻の兄)の細川忠興の助言により東軍に参加して功績をあげたことにより、徳川家康から日出に所領を与えられました。
その後は、移封も減封もされることなく16代にわたってこの地を治めて明治維新を迎えました。致道館 名所・史跡
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正門の薬医門です。
安政5(1858)年、15代藩主の木下俊程(としのり)の命により創立されました。 -
母屋です。
一部が2階建てになっています。
ここでは、武士だけでなく一般にも広く門戸を開放し、生徒約250人が学びました。 -
致道館についての説明。
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学則。
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木下家家系図。
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1階の玄関左側の部屋です。
教授などの詰所だったそうです。
藩主自ら講義することもあったそうです。 -
続の部屋です。
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立派なトイレがあります。
藩主用だそうです。 -
藩主用のトイレです。
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縁側からの眺めです。
目の前が別府湾です。
別府湾を挟んだ対岸にぴょこんと飛び出している高崎山が見えます。
高崎山は、別府市と大分市の境にある標高624.8mの山で、野生のニホンザルを餌付けした高崎山自然動物園があることで有名です。 -
玄関右側の部屋です。
ここで授業をしていたそうです。
この部屋には2階に上がる階段があります。 -
階段を上ります。
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2階は梁の位置が低く、屋根裏部屋のような造りになっています。
ここでは生徒250名の内で成績優秀上位50名が寄宿生活を送っていたそうです。 -
講道館の屋根の「隅鬼(すみおに)」の拓本です。
隅鬼とは、屋根の鬼瓦のことだそうです。 -
母屋玄関横にある蘇鉄です。
剪定作業中でした。 -
次は鬼門櫓です。
隣接して日出町歴史資料館があります。 -
鬼門櫓は2層2階の櫓で、かつては本丸の北東の位置に建っていました。
明治期の取り壊しを逃れて個人宅に移築されていましたが、平成25(2013)年に解体・調査を経てこの地に再移築されました。
鬼門とは、北東の方角・方位のことで、古来より禍をもたらす鬼が出入りで忌むべき方角とされています。鬼門櫓【隅櫓】 名所・史跡
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鬼門櫓の大きな特徴は、櫓の鬼門(北東)の方角の隅を「隅欠き」して平らにしてあることです。
鬼門の隅をなくしてしまうことで鬼門の方角から禍が侵入するのを封じるためのものだと考えられているそうです。 -
鬼門櫓の入口です。
中に入ります。 -
入口の左側には2階への階段があります。
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入口右側には日出城、藩主の木下家、鬼門櫓についての説明パネルがあります。
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説明パネル。
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説明パネル。
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説明パネル。
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説明パネル。
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北東の隅部です。
平らになっています。 -
2階に上ります。
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2階です。
武者窓が四方にありますが、開いているのは東側と南側のみです。 -
武者窓からの東方向の眺め。
内堀越しに本丸跡にある日出小学校が見えます。 -
武者窓からの南方向の眺め。
日出町歴史資料館です。 -
天井を支える梁です。
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棟札があります。
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日出町歴史資料館です。
「帆足万里記念館」を併設していて、江戸時代後期に活躍した日出出身の儒学者・政治家「帆足万里」の資料の他、日出藩や木下家についての資料が展示されています。
内部は写真撮影禁止なので写真はありません。
入場料金:無料
営業時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
休館日:月曜日日出町歴史資料館 美術館・博物館
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本丸跡に向かいます。
写真は二の丸跡と本丸跡を隔てている内堀です。 -
内堀に沿った二の丸跡の通路を進みます。
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本丸につながる土橋です。
土橋の両側には蒲鉾塀があります。
現在の本丸跡には日出小学校があり、大手門跡には校門が立っています。 -
土橋からの西方向の眺め。
鬼門櫓が見えます。 -
東側の眺め。
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内堀沿いに帆足万里像があります。
帆足萬里像 寺・神社・教会
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並んで「成清信愛(なるきよ のぶえ)翁頌徳之碑」があります。
成清信愛は、明治後期から昭和初期にかけて馬上金山(現在の杵築市に所在)で得た富を基に大分の政財界で活躍した人物で、多くの芸術家を支援し、教育にも力を入れ、学校設立のために多額の寄付をしたそうです。
日出町の旧三の丸にあり、現在は料亭として著名な「的山荘」は、信愛の父の博愛(ひろえ)が別荘として建てたものだそうです。 -
滝廉太郎像もあります。
明治期の音楽家で名曲「荒城の月」の作曲で知られる滝廉太郎といえば、曲の着想を得たといわれている岡城址がある大分県竹田市が思い浮かびますが、廉太郎の父をはじめ滝家は代々が江戸時代に日出藩の家老職を務めていたということで日出町と関りがあるそうです。瀧廉太郎像 名所・史跡
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像の前には観光交流拠点として造られた「二の丸館」の入口があります。
右側の建物は、かつて本丸東の搦手(裏門)を守るために築かれた「裏門櫓」を移設したものだそうです。 -
裏門櫓横の城門のように見える門は、藩主の木下家の菩提寺「松屋寺(しょうおくじ)」を模して造られたものだそうです。
中に入ります。 -
二の丸館です。
二の丸館 名所・史跡
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二の丸館には観光案内所があり、御城印はここで購入できます。
自転車をレンタルすることもできます。 -
御城印です。
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飲食スペースや地域特産品、お土産の販売コーナーもあります。
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日出城址の絵図です。
日出城は、背後に天然の防御設備を備えた別府湾に突き出た南端の台地に本丸、その東・北・西の3方向をコの字に囲むように二の丸、二の丸の東側に三の丸を配した梯郭式平山城です。 -
上の図の下側(本丸の東側)を海に向かって歩いていくと、本丸搦手口の土橋があります。
日出城址 公園・植物園
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土橋横の内堀です。
左が海側で、石垣の左端に天守台が見えています。 -
かつて裏門櫓が建っていた場所には、時鐘があります。
この時鐘は、元禄8(1695)年に3代藩主の木下俊長の命により鋳造されたもので、外大手(現在の二の丸館付近)の土居に掛けられ、毎日12刻の時を知らせていたそうです。
明治時代になって、この場所に移設されたそうです。 -
石垣と内堀の間にある帯曲輪を進みます。
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太平洋戦争時の空襲により殉職した日出国民学校(現在の日出小学校)教師の顕彰碑がありました。
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本丸天守台跡の石垣です。
天守台は、本丸跡の南東隅に位置しています。
日出城の石垣は、安土桃山時代から江戸時代にかけて多くの城の石垣を手がけた石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」によって築かれました。
この石垣は、築石に野面石(自然石)や粗割石を使い、石材を不規則に積み上げ横目地が通らない「乱積(らんづみ)」と石材を1段づつ横に並べて据えて横目地を通す「布積み」の中間にあたる「布目崩し積み」によって築かれています。 -
本丸天守台跡の下は整備されて城下公園となっています。
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城下公園の石垣。
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城下公園の石垣。
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本丸下の海岸は城下海岸と呼ばれ、海中から清らかな水が湧き出しているそうです。
ここで獲れるのが日出町のブランドマコガレイ「城下かれい」です。
江戸時代には、庶民が食べると罰せられたことから「殿様魚」とも呼ばれ、参勤交代の際には干物を将軍家に献上したとか。城下海岸 自然・景勝地
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海に面した虎口から本丸天守跡に向かいます。
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険しい石段が続きます。
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虎口が見えてきました。
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上ってきた石段です。
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虎口からの眺めです。
虎口の内側は本丸跡で日出小学校の運動場ですが、立入禁止の表示が無いので天守台跡まで行ってみます。 -
邪魔にならないように運動場の端を進みます。
途中、先生にお会いしたので挨拶しました。 -
天守台跡への石段です。
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ここが天守台跡です。
ここには付櫓をもつ複合式層塔型3重3階の天守が建っていましたが、明治期に解体されました。 -
天守台跡からの南方向の眺望。
別府湾を挟んで別府・大分を望む素晴らしい眺めです。 -
北東方向の眺め。
搦手口の内堀が見えます。
内堀の奥に見える建物は日出中学校の校舎です。 -
天守台からの眺望。
真下に城下公園が見えます。 -
天守台から下りて、二の丸跡に戻ります。
帰りは海岸からの急な石段を上ります。
ここから見上げる天守台までの石垣の眺めは素晴らしいです。 -
石段を上った所に本丸東側の内堀が位置しています。
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日出中学校の校舎横に日出町の町花・町木に指定されているサザンカの大木があります。
樹齢は400年以上と推定されていて、大分県指定天然記念物に指定されています。
この辺りは旧二の丸で、かつては武家屋敷が建っていたそうです。日出の大サザンカ 自然・景勝地
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滝家屋敷跡です。
滝廉太郎の実家の滝家は日出藩で代々家老職を務め、旧三の丸のこの場所に屋敷がありました。
現在は幼稚園の敷地になっています。 -
説明パネルがあります。
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駅に戻る途中に唐突に出現した門は御成門です。
藩主が城外に出た時に使用する屋敷を御成屋敷といい、豪商の屋敷が使われました。
その門だそうです。 -
JR暘谷駅に戻ってきました。
次は、列車で杵築に向かいます。
最後までご覧いただきありがとうございました。暘谷駅 駅
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