2025/11/01 - 2025/11/01
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さすらいの旅人マーさん
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8日目11月1日デリー世界遺産9ラ―ルキラー。
北インド周遊:デリー、アグラ、ジャイプール
9世界遺産を中心の10日間。
1)10月25日ANA、 名古屋、羽田、デリー。
2)26日アグラ、世界遺産1タージマハル。
3)27日世界遺産2ファテ―プルスィークリ−
世界遺産3アグラフォート
4)28日イティマドウッダウラ―廟、
ジャイプールへ。
5)29日世界遺産4ジャンタルマンタル、
世界遺産5歴史都市:風の宮殿、
シティパレス。
6)30日世界遺産6アンベール城、ジャ
イガル要塞、夜行列車でデリー。
7)31日世界遺産7クトゥミナル、
世界遺産8ファユーン廟
8)1日世界遺産9ラ―ルキラ、
ジャマンモスク、ラ―ジガート
9)2日コンノートプレイス、インド門、
国立博物館
10)3日羽田到着、上野観光後、名古屋へ。
東京国立博物館、国立西洋美術館。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7時30分、宿からメトロ迄の朝のメインバザール、今日も野良牛が歩いている不思議な光景。
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メトロでラ―ルキラー駅へ。
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8時下車。露天でバナナ15ルピー。イベントで入口が不明。ジャスマジット駅迄歩くはめに。
レッド フォート 史跡・遺跡
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8時55分.、600ルピー、キャッシュオンリー、チケット購入後、入場は元の駅方面に戻るかたちに。無駄なウオ―キングに。
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ISKCON(国際クリシュナ意識協会)主催「シュリ・シュリ・クリシュナ・バララム・ラト・ヤトラ(山車祭)」。
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レッド・フォートのデリー門のすぐ外側(南西の角)、ネタジ・スバス・パークの向かい。
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スネハリ・マスジド(Sunehri Masjid)。
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赤い城(レッド・フォート)。
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1639年から9年かけて1648年に完成させた居城。
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建材は赤砂岩で「赤い城」。
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世界遺産「赤い城(レッド・フォート)」の建造物群。
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毎年8月15日インド独立記念日に首相演説が行われる。
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ラホール門。
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世界遺産
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屋根付きバザール。ラホール門を抜けた所で、絹、ブロケード、宝石などが売られていたが、今は土産物店。
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世界遺産の一部。 17世紀では珍しい屋根付き市場、ムガル建築のユニークな例。シャー・ジャハーン帝がペシャワールで見たバザールに触発され、宮廷の贅沢品を扱うために建設。
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ナッカル・カーナ:「太鼓の家」、かつては城の外庭と内庭の間の入り口にあった。
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ノーバット・カーナ: 太鼓の家は宮殿複合施設の入口に位置。
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赤砂岩づくり。
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ディーワーネ・アーム(一般謁見殿)。
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ディワン・イ・アーム(Diwan-i-Am)、公聴の間。歴史的場所。
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一般謁見殿は、皇帝が一般市民の謁見や陳情を受け付けた場所。
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ディーワーネ・アーム(謁見の間)、カーズ・マハル(皇帝の私邸)
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皇帝のプライベートな白い大理石の宮殿。王族のために予約されていた。3つの部分で構成、皇帝のプライベート礼拝所のタスビー・カーナ(数珠の部屋)、その裏の寝室(クワブガー)、南側の漆喰の壁と天井、金壁画の長いホールであるトシュ・カーナ(衣装部屋)またはバイタク(居間)。裁判の場面が彫られた穴あき大理石のスクリーンが北側の壁を飾っている。白大理石の宮殿東側に突き出た塔は、ムサンマン・ブルジュ(八角形の塔)で、皇帝は城塞の下に集まった群衆に挨拶するために姿を見せていた。
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ディーワーネ・ハース(Diwan-i-Khas、貴賓謁見の間)。
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ディーワーネ・カース(Diwan-i-Khas):皇帝が限られた廷臣や訪問者と会うための私的な謁見の間。別名「シャー・マハル」。長方形の中央の部屋で構成、柱頭には花の象嵌細工が施され、上部は金メッキと塗装。中央の台座には有名な孔雀の玉座があったが、1739年、ナーディル・シャーが持ち去った。「もし地上に楽園があるなら、それはここ、ここ、ここである」というアミール・ホスローの有名な詩が刻まれている。
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ムガル皇帝のお気に入りの保養所、重要商談も行われたハマム(ロイヤルバス)の説明。3つで構成、中央の部屋は温水または冷水用の大理石の洗面器、西側の部屋は加熱装置を備えたホットまたはスチームバスに使用、床と腰壁はマルチカラーの石をはめ込んだ見事な大理石のフローラルパターンで構築。
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モーティー・マスジッド: 別名:パール・モスク。ムガル帝国第6代皇帝アウラングゼーブが私的礼拝所で1659年から1663年に建設。白大理石造り、外壁は赤砂岩で囲まれている。元々は金メッキされた銅製のドームがあったが、1857年反乱後に英国軍によって剥がされ、後に白い大理石のドームに置き換えられた。
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モティ・マスジッド(真珠モスク): ムガル帝国皇帝アウラングゼーブが私的礼拝のために建設。「モティ」はヒンディー語で「真珠」、内部の礼拝堂が真珠のように輝く白い大理石でできていることに由来。外壁は赤砂岩造り、内部は完全に大理石、1646年から1653年の間に建造。
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「サワン・バドーン東屋」: ハヤート・バクシュ庭園の北側と南側の2つの同一の大理石の建造物。内部装飾は失われている。白大理石造り、14.7m x 10.75m。内部は違いがあり、バドーンには中央に水槽、サワンには水路がある。
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サワン・パビリオン(Sawan Pavilion)。
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ザファル・マハル(Zafar Mahal)遺跡: 18世紀ムガル皇帝アクバル・シャー2世が建設し、最後のムガル皇帝バハードゥル・シャー2世が宮殿を拡張。
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シャー・ブルジ(Shah Burj)の裏手。ムガル帝国王子や王女の邸宅や庭園があったエリアにあり、元々は宮殿一部、 1857年反乱後も残り、イギリス統治時代はカフェで利用。その名残で「ティー・ハウス」。
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「ナハル・エ・ビヒシュト」(Nahr-i-Bihisht):「天国の川」。ムガル帝国皇帝シャー・ジャハーン時代に建設。ヤムナー川から水を引き、城内宮殿や庭園を潤す役割を果たした。城内住居棟や庭園の間を曲がりくねりながら流れていた。
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ラング・マハル(Rang Mahal、色の宮殿)」:かつての王室女性たちの住居。内部には精巧な象眼細工や鏡細工が施され、光を反射して美しい光景を作り出していた。かつてはブルー・オブ・パラダイスとして知られる水路の中心にあった。
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ラング・マハル(色彩の宮殿):アーチ型構造と繊細な石の彫刻で知られる。ムガル建築の傑作で、ペルシャとインドの建築要素が融合。赤砂岩や白大理石が使用。 17世紀半、第5代ムガル皇帝シャー・ジャハーンが建設、皇帝の私的な居室や謁見の間で使用。
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ムムターズ・マハル: レッド・フォート内で最も美しい宮殿の一つ。かつては皇帝シャー・ジャハーンの娘たちや他の女性たちの住居。ムムターズ・マハルの名前は、皇帝の愛する妻にちなんで付けられた。宮殿には6つのアパートがあり、2つは後に英国によって取り壊され、4つはレッド・フォート博物館として展示館で使用。1857年反乱後、英国は建物の内部と外部にいくつかの変更を加えた。
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10時40分、コーヒ、パイ、70ルピーでブレイク。
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11時から、別途100ルピー支払、ミュージアム入場。
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レッド・フォート(赤い城)は、ヒンディー語で「ラール・キラー」。
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チャッタ・バザールは、外での買い物が制限されていた王室の女性たちのために、絹、ブロケード、ベルベット、宝石、金銀製品などの高級品を扱う専門市場。
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レッド・フォート(ラール・キラー)
1. ナッカル・カーナ(太鼓の館)
2. ディワーニ・アーム(一般謁見殿)
3. ムムターズ・マハル(皇帝妃の宮殿)
4. ラーング・マハル(色彩の宮殿)
5. カース・マハル(皇帝の私室)
6. ディワーニ・カース(貴賓謁見殿)
7. ハンマーム(浴室)
8. モーティー・マスジド(真珠モスク)
9. サワン・バードラ(東屋)
10. ザファル・マハル(東屋)
11. ヒラーン・マハル(東屋)
12. スイ・ブルジ(見張り塔)
13. シャー・ブルジ(皇帝の塔)
14. アサード・ブルジ(見張り塔)
15. シャー・バーグ(皇帝の庭園)
16. ハイアト・バフシュ・バーグ(命を吹き込む庭園)
17. バザール(市場)
18. チャッタ・チョウク(屋根付き市場)
19. ラホール門
20. デリー門
21. ヤムナー川 -
衣裳
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インドムガル帝国時代宮廷のミニアチュール(細密画)。
ムガル帝国皇帝が玉座に座り、廷臣たちに謁見。 -
インド細密画「アマル・ヴィラスでのマハラジャ・アリ・シンによるプージャの実行」: 18世紀後半、ウダイプル王宮公式行事の様子。マハラジャ・アリ・シンが中央の玉座に座り儀式を執り行っている。周囲には廷臣や音楽家、召使など。
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カース・マハル内の大理石のスクリーンに至るまで、正義の天秤の周りには太陽、月、星が精巧に繰り返されている。これは、皇帝の公正な統治の描写となるように設計されている。
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ムガル帝国皇帝家系図: 第5代皇帝シャー・ジャハーンがアグラからデリーに遷都しレッド・フォートを築いた歴史に関連。
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「Puzzle Of The Fort(砦のパズル)」: 上部はフマユーン廟とその周辺の様々な建物の写真が12枚。下部は複合施設全体の詳細地図または見取図。
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1739年3月22日、ペルシャのナーディル・シャーによるデリー占領と略奪の瞬間でムガル帝国衰退期の重要な歴史的転換点の一つ。ムガル皇帝ムハンマド・シャーは敗北、ナーディル・シャーはデリーに入城、都市は略奪された。この侵攻でムガル帝国の富と権力は大きく損なわれ帝国の弱体化が露呈。
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1752年、マラーター帝国はムガル帝国宮廷に対する一方的な保護領を課し、ムガル皇帝はアフマド・シャー・ドゥッラーニー(アフガン支配者)にパンジャーブとムルターンを割譲。これにより、マラーターとドゥッラーニー朝の対立が深まり、最終的に第三次パーニーパットの戦いへとつながった。
1783年、シク教徒軍事同盟であるダル・カルサは、バゲル・シン、ジャッサ・シン・アフルワリア、ジャッサ・シン・ラムガルヒアなどの指導者の下、デリーに進軍、ムガル帝国の拠点であったレッド・フォート(ラール・キラー)を占領。シク教徒指導者たちは一時的に皇帝アウラングゼーブの玉座を運び出し、アムリトサルに持ち帰った。北部インドでは壊滅的なチャリサ飢饉が発生し、推定1100万人が死亡。 -
1858年インド大反乱(セポイの乱): イギリス東インド会社に対する反乱。右側は反乱による建物破壊と混乱した様子、左側は反乱前のイギリス領インド帝国の宮廷の様子。
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インド独立運動におけるマハトマ・ガンディーの非暴力・不服従の抵抗運動の展示。ガンディーは、民衆の非暴力・不服従による圧制への抵抗運動「サティヤーグラハ」を初めて提唱し実践。この思想はイギリスからの独立運動を指揮する原動力となり、世界中の植民地解放運動や人権運動に大きな影響を与えた。1947年8月15日イギリスから独立。
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1947年8月15日、200年以上にわたるイギリスの植民地支配から解放され独立。初代首相ジャワハルラール・ネルーがデリーのレッド・フォート(赤い城)で初めてインド国旗を掲揚する様子。毎年この日を独立記念日として祝い、レッド・フォートでの式典やその他のイベントが開催。
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十分理解が深まり、13時15分終了。
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大砲: 1857年インド大反乱後にイギリス軍が駐屯地として接収した際に設置。
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城壁。
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ラホール門から退場。
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正午前からぞくぞくと入場。
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13時50分、チャーンドニー・チョーク(Chandni Chowk)へ。案内版は2021年9月12日にデリーのチャーンドニー・チョーク地区の再開発プロジェクトの落成式典を記録。レッド・フォート(Red Fort)からファテープリー・マスジド(Fatehpuri Mosque)迄の区間を対象、再開発1.3 km区間は歩行者専用エリア。
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シュリー・ディガンバラ・ジャイナ・ラール寺院(Shri Digambar Jain Lal Mandir): ジャイナ教寺院。別名はラール・マンディル(赤い寺院)。レッド・フォートの真向かいにある。1656年。
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Chandni Chowk: オールドデリーの目抜き通り、ムガール帝国時代に開通した歴史ある通り。「チョーク」は交差点、道の両側には多くの店舗が立ち並んでいる。
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キナリ・バザール: 買い物だけでなく、旧デリーの現代的な日常風景が見れる。色とりどりの装飾品や雑貨が所狭しと並び、活気に満ちた雰囲気が特徴。
チャンドニー チョーク 散歩・街歩き
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インド屋台。チーラ(Cheela)はひよこ豆の粉(ベサン)で作られる甘いまたは塩味のインド風パンケーキ。
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ラッシー100ルピーでブレイク。
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Old Rabdi Wala (オールド・ラブディ・ワラ)デザート店。
老舗店。 -
パトリカ・ゲート、と何度も、AIが嘘をつくゲ―ト。
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14時5分、シク教寺院(グルドワラ)、靴を預ける。
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シーク教寺院、グルドワーラー・シーシュガンジ・サーヒブ: シーク教第9代教祖グル・テーグ・バハドゥールがイスラム教への改宗を拒否したために処刑された歴史的な場所に建てられた。
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グルドワーラー・シーシュガンジ・サーヒブ。
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グルドワーラー・シーシュガンジ・サーヒブで開催のスリ・グル・テーグ・バハードゥル・サーヒブの殉教350周年記念特別キールタン集会に関するポスター。
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14時30分、ジャーマー・マスジド(ジャーマ・マスジッド)東門。
ジャーマー マスジド 寺院・教会
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ジャーマ・マスジドの歴史に関する案内板: モスクはシャー・ジャハーン帝が建設、1656年完成。初代イマームはウズベクから来たサイード・アブドゥル・ガフール・シャー・ブハーリ。 ムガル帝国支配下で建設、後にイギリス東インド会社やイギリス領インド帝国による影響を受けた。隣接墓地にはイマームや著名な人々が埋葬。
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インド最大モスクの一つ「世界を見渡すモスク」、マスジデ・ジャハーン・ヌマーが正式名称。タージ・マハールを建設したムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建て1656年に完成。
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3つの大きな門、4つの塔、高さ40mの2つのミナレット(尖塔)があり、中庭では25,000人が礼拝できる。
ジャーマー マスジド 寺院・教会
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ジャーマー・マスジド内部: 赤砂岩と白大理石を組み合わせた壮麗なムガル建築の傑作。アーチや壁面には複雑な彫刻やカリグラフィが施されている。
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正式名称「マスジデ・ジャハーン・ヌマー(世界を見渡すモスク)」、「ジャーマー・マスジド」は「金曜モスク」を意味する通称。
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40メートルを超える高さの2本のミナレット(尖塔)が特徴的、登ることも可能、別料金。
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モスクへの入場無料のはずが、400ルピーも支払。
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外観しか見るべき展示なし、無駄金だった。
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中庭は25,000人もの信者を収容。
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15時45分、メトロから20分で到着。
ガンジー記念博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ガンジーは「偉大なる魂」を意味、「マハトマ」の尊称で知られている。
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インド独立運動の指導者であるマハトマ・ガンジー(モハンダス・カラムチャンド・ガンジー)の胸像。
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マハトマ・ガンジー初期の人生に関する展示パネル: 1893年、ガンジーが南アフリカに到着したダーバン駅。
中央は、若き日のガンジーの肖像画、馬車に乗る人々。
下部は、ダーバン駅で一等車切符を持っていたにもかかわらず、白人専用車両から降ろされた有名な出来事。 -
展示は、ガンディーの遺品、写真、肖像画など。写真パネルは生い立ちや葬儀の様子。
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国立ガンディー博物館の展示ギャラリー看板、各ギャラリーの展示内容の概要。
A. ロビー: マハトマガンディーの声が聞ける受話器。
B. チャルカ(糸車)ギャラリー: 自由運動中の糸車の歴史的発展、様々な種類の糸車、手織り機が展示。
D. 写真ギャラリー: マハトマ・ガンディーの伝記写真や遺品が展示。
F. 殉教ギャラリー: マハトマ・ガンディーの暗殺に関連する血染めの衣服やその他の品が展示。
G. アートギャラリー:マハトマ・ガンディーの生涯に影響を受けた芸術作品。 -
ガンジーは、手紡ぎの糸車(チャルカ)を独立の象徴として使っていた。
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文化の交流: 彼は家を壁で囲んだり窓を塞いだりすることを望まず、世界中の文化が彼の家の中を自由に吹き抜けることを望んでいた。
信念の維持: しかし、どんな文化の風によっても自分の足場が吹き飛ばされることは拒否すると述べている。
宗教観: 彼の宗教は「牢獄」のようなものではなく、神の創造物の中で最も取るに足らないもののための場所すらあるが、人種、宗教、肌の色の傲慢さや偏見には強いと語っている。
1921年6月1日付週刊誌『Young India』掲載。 -
1893年ダーバンに到着後、列車での人種差別など様々な差別を経験し、白人支配者による人種隔離政策と闘うために南アフリカに留まることを決意。
1894年5月22日、ナタール・インディアン・コングレスを結成。
1906年のアジア人法改正条例に反対するため、同年9月11日にヨハネスブルグで3000人のインド人が集会を開き、この条例に従わず罰則を受けることを誓った。これが非暴力抵抗運動(後にサティヤグラハと呼ばれる)の始まりとなった。
1913年、最高裁判所がキリスト教式以外の結婚を無効と宣言したことで、妻のカストゥルバを含む女性たちもサティヤグラハに参加した。 -
3匹の猿: 「見ざる、聞かざる、言わざる」を具現化。
1936年、日本の友人がガンジーに贈り、生涯大切にし「導師(グル)」と呼んでいた。
トゥルシー・マーラー: トゥルシー(ホーリーバジル)のビーズで作られた数珠。トゥルシーはヒンドゥー教で非常に神聖な植物。 -
紙幣「マハトマ・ガンディー」シリーズの5、10、20、50、100、500、2,000ルピー。
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中央アフリカ共和国発行、マハトマ・ガンジー生誕155周年記念切手シート。ダライ・ラマ14世、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マハトマ・ガンジー、マザー・テレサ、ネルソン・マンデラなど著名な平和活動家や指導者の肖像。各額面175フランCFA、2024年発行。
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ガンジー最後の旅(葬儀)の様子を伝える1948年2月13日付新聞。見出しは、「『死んだのは死だ、彼ではない』『いや、彼は死んでいない』」という言葉で、ガンジーの死を悼み、彼の精神が生き続けることを表現。「GANDHI MAHARAJ」とインド国旗を掲げた葬送の様子を示すイラストが中央に配置。
「Nation In Mourning Watches Mahatma's Last Journey(国中が喪に服し、マハトマの最後の旅を見守る)」というキャプション。ガンジー暗殺直後の国民の深い悲しみと、歴史的瞬間を記録。 -
16時50分、約1時間で終了。退館時間を記入。数分での閲覧者が多いが、無料のわりには展示多く、良かった!
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10分歩いて到着、インド独立の父マハトマ・ガンディーが火葬された場所に造られた記念公園、ラージ・ガート。
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ラージ・ガートは、ヤムナー川のほとりにある旧デリー(シャー・ジャハーナーバード)のガートの名前。殉教の翌日、1948年1月31日、ここで火葬。
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1948年ガンディー暗殺後、ヒンドゥー教の慣習に従いこの場所で火葬。遺灰はインド各地の川に流されたため遺骨はない。火葬場所には、空に向かって開かれた黒大理石の台座、片側中央には永遠の炎が絶えず燃えており、反対側にはガンディーの最期の言葉「ヘイ・ラーム(おお、神よ)」が刻まれている。
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メインゲートから石畳の小道が、記念碑を収める囲いへと続く。デリーゲイト周辺を散策後、メトロで宿へ。
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夕食18時30分。チキンタリー230ルピー、ラッシー50ルピー「Mohan Dhaba」。ターリー(定食)にはチャパティ(インドの薄いパン)とご飯、2種類カレー(肉またはパニール入り、ダル(豆)カレー)。付け合わせ、野菜炒め、玉ねぎスライス、ライタ(ヨーグルトソース)。メニュー表「最も安く最も良い」とヒンディー語。
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メインバザールのメトロから宿に帰る途中、パハールガンジ地区に位置、ノースインディアンやムグライ料理を提供。 19時10分退店。宿に戻る。
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