2026/01/03 - 2026/01/05
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ハンマークラヴィーアさん
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【旅程】
12月28日 10:35 羽田→ 17:25 デリー(ANA)
デリー泊
12月29日 14:00 デリー→15:20 バラナシ(インデ
ィゴ航空) バラナシ泊
12月30日 バラナシ観光 バラナシ泊
12月31日 バラナシ観光 バラナシ泊
1月1日 16:50バラナシ→翌6:35アグラ
(Marudhar express)
1月2日 6:35 アグラ着 アグラ伯
1月3日 17:35アグラ→19:30デリー
(Gatimaan express) デリー泊
★1月4日 18:55デリー→翌5:55羽田(ANA)
たった7日間の短いインド旅行でしたが、行きたかった場所は行くことができました。
最終日は、18:55のデリー空港出発。
自分で交渉して回るのも旅の醍醐味ですが、最終日のデリー、キャリーケースありということで、老舗の「シゲタトラベル」さんに1日ツアーと空港送迎をお願いして、デリーの名所をホッピングすることにしました。
5年ビザを取ったので、次にインドに来ることがあれば、ぜひカーニャクマリかアジャンター・エローラ、ジャイサルメールあたりを回りたいと思います。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 1.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- Agoda
-
2026年1月4日。今日は帰国する日。
9:00にシゲタトラベルからガイドとドライバーが到着。
パハールガンジをあとにする。
荷物が少なく、時間がたっぷりあればオートリキシャやメトロで市内観光もしたいところだが、なんといっても観光時間が7時間ほどしかない。
さらに、やっぱりというか、一筋縄ではいかないインド人との交渉で、結構神経をすり減らしたようでもありました。
そのため、今日は楽をします('Д') -
ガイドさんは日本語が非常に上手。まずは初日にも連れて来られた(?)コンノートプレイスを通って・・・
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この日回るのは、クトゥブ・ミナール、ラール・キラー、チャンドニー・チョウクなどなど。16:00に空港に着く手はずになっているので、見る場所は限られる。
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まずクトゥブ・ミナールへ。市街地からは一番遠いが、おそらく朝の方が空いているのと、市街地に住んでいるガイドが最後に離脱できるように最初に訪問したのではないかと思う。
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もっとも目立つのが、名前の由来の「クトゥブ・ミナール」。
奴隷王朝のスルタンであったクトゥブッディーン・アイバクが、13世紀にヒンドゥー教徒制圧を祈念して建てたとされるミナレット。 -
このミナールは、下の3層が赤砂岩、上の2層は大理石だそう。
1層目にはコーランの文字が躍るので、非常に興味深い。 -
この場所には、廷臣であろうか、いくつか墓が見える。
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鉄柱の近くにあるのが、インドで最も古いモスクといわれるイスラーム・マスジッドの回廊。
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マスジッド(モスク)の天井には美しいシンボルが彫られている。
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回廊には、精巧なレリーフの彫刻がこれでもかと残されている。
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もともとはイスラム王朝がヒンドゥー教寺院の石材を略奪して用いたためらしく、かつては塗り固められていたが、現在は下地がむき出しになっているのだとか。
オスマン帝国の統治下にあった国にも、似たような建造物がたくさんある。歴史のダイナミズムである。 -
マスジットの向こうには、ひときわ存在感を放つ鉄柱がある。
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こちらがインド人に大人気だという高さ7mの鉄柱。グプタ朝時代のものでサンスクリット文字が刻まれているらしく、1500年以上経っても全く錆びていないらしい。
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アライ・ダルワーザ。14世紀にアラウッディーンにより建てられた建築物とのこと。
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それにしても、あらためて間近で見ると本当に長大だ。高さは70mを超えるらしい。
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この、一種独特の墓とモスクが一体化した建物が、「アラウッディーンの神学校」。かつては神学校であった建物が、スルタン、アラウッディーンの墳墓として使われている。
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この建物は独特な雰囲気をまとっていて、見物客が絶えない。
かつては屋根もきちんとしたドームに覆われていたのだろう。 -
壁面を覆うのは、やはりコーランの聖句なのだろう。
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アライの塔。14世紀にスルタンのアラウッディーンが建立の志半ばで放棄した、ミナールの基底部。
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この遺跡、あちらこちらに野生のリスがいる。しかも結構、人懐っこい。
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クトゥブ・ミナールから中心部へ戻る道すがら、突然窓をたたいて、唐突に道路上で芸を披露する子どもがいた。
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大通りの周囲は、停車するとすぐに駆け寄って窓をバンバン!して物乞いをするストリートチルドレンが多く、ちょっと気が抜けない雰囲気。
今回は限られた時間のため、ショッピングモールによる時間まではなかったので、土産物を買うために個人商店に寄ってもらったら、どうやらレジを複数回通らせたらしく、見事に計算をちょろまかされた(>_<)。
ガイドさんから「僕がついてたのに申し訳ない。騙された200ルピーを返すよ」ということだったが、騙されたのは私が計算を信用していたせいなので、これは辞退する。
インドの小売り店は普通にこういうことが日常茶飯事らしいので、会計の時は必ずレシートをもらい、品物の点数を一致しているかチェックするのが必須。
小売店では、全ての商品にプライスが印字されているので、レシートがあれば照合が簡単。
ガイドさんも、買い物のたびに必ずチェックしているそう。 -
続いて、ムガル帝国の第2代皇帝であったフマユーンの廟として、タージマハールの原型となるフォームを築いた、インド・イスラム建築の代名詞、フマユーン廟。
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見れば見るほどタージ・マハルにソックリである。
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なお、中央の部屋に置かれた棺はダミーで、本物は進入できない下層の部屋にあるのだとか。
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しかし、あちこちにインド人カップルの愛の証が刻まれているのである。
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こじんまりした造りを予想していたが、さすがに皇帝の廟。敷地面積はなかなかに広い。
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このフマユーン廟には、メインの廟以外にも、やや小さめの廟がいくつか点在している。
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ここは、「床屋の廟」であったらしい。
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フマユーン廟を見終わると12:30。朝食が遅かったのでお腹は減っていない。
周辺では、オートリキシャの交通整理が大変な模様。 -
時間がないので、インド門は遠くから仰ぎ見るだけにする。
どうやら第一次大戦時の戦死者の慰霊碑らしい。 -
この戦争の際、インドは独立を条件に、イギリスの参戦要請に応じたが、結局独立は実現しなかったようだ。
インド大反乱、アヘン戦争、ロヒンギャの難民問題と、大英帝国が引き起こした歴史の悲劇は数多い。 -
続いて、ラール・キラー(赤い城)へ。
「あれ?正門から入らないの?」と尋ねたところ、
「裏門から入れるよ。VIP待遇だね」とのこと。
どうやらここを管理する軍の関係者に顔が利くらしく、堂々と裏口から入るガイドさん。 -
そして、ここでも・・・
「オフィサーがあなたと写真を撮りたいといっています」
んー('_')
こんなオッサンと写真を撮りたいというインド人がなぜこれほどまでに多いのか。
なんか、そのうち異世界転生でもしてしまうのではないかという気がする('ω') -
こちらもアグラフォート同様、目玉の一つ、ディワーネ・アーム。
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ディワーネ・アームのアーチは曲線が美しい。
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こちらも優美な貴賓の謁見の間、ディワーネ・カース。
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この強化ガラスで覆われた玉座、ここにシャー・ジャハーンが座ったらしい。その後、略奪に次ぐ略奪で、現在はこのように近づくこともできない。
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頂上に見えるドーム屋根の装飾は「チャトリー」と呼ばれ、ファティープル・スィークリーでも見られた。
ムガル建築のイメージを形作る重要な要素です。 -
チャンドニー・チョウクに面した門が正門のラホール門。シャー・ジャハーンの時代、ラホールはムガル帝国の要衝だったらしいが、ここからラホールまで進軍するのは気が遠くなりそうだ。
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デリー遷都後の皇帝の居城だけあって、内部は本当に広大だ。
次回にデリーに寄ることがあれば、ぜひ時間を取ってゆっくり観光したい。 -
つづいて、徒歩でチャンドニー・チョウクへ。
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後ろに見えるのは、ジャイナ教寺院。
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下町のようだが、ところどころ現代風の店もちらほら。
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もっと雑然とした通りを予想していたが、この大通りはそれなりに近代的な通りである。
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よく見ると、子どもに大道芸を披露させておひねりをもらおうとする母親がそこかしこに。
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雰囲気としては、日本の浅草のような感じというのがぴったりくる。
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チャンドニー・チョウクでは、ガイドさんがぜひ食しておこうとおススメしてくれた、大人気のサモサの店で、サモサの立ち食い。
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1個25ルピーである。さすがに美味い。
サモサに関してはかなり日本のインドレストランのレベルが高く、私の職場の近所の店も絶品であるが、やはり現地で食べると感動が違う。 -
つづいて、オートではない正真正銘のリキシャに載ろうということで、150ルピーでリキシャ体験。
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リキシャとオートリキシャが行きかう、ジャマー・マスジッド前のウルドゥー・バザー・ロード。
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ガイドさんが「デリー名物だよ」と教えてくれた、例の(?)タコ足すぎる電線。
正直、これはコワすぎる。 -
この近くには名店、カリム・ホテルがあるそうなのだけど、今日はタイトな日程ゆえ、ランチを取る時間がない。
まあ、お腹の調子もよろしくないので、空港に行って時間があったら何かつまむとしよう。 -
眼前に見えるのはデリーのシンボルの一つ、ジャマー・マスジッド。
今日のタイトなスケジュールでは中の観光はできない。次回の楽しみに取っておこう。 -
しかし、20分近くこぎ続けて、150ルピーとは、ちょっと日本の感覚からすると信じられない部分も。
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アグラセン・キ・バーリオ(階段井戸)。映画のロケ地でよく使われるアレです。
人いっぱいだけど、一度は見ておいてよかった。14世紀の物らしいです。
これにてデリー観光を終了し、一路空港へ。 -
デリーの最高裁判所がこちらだそうです。
日本と同じくらいかな? -
ガイドを降ろし、空港へ行く道すがら、ドライバーと雑談。
ドライバーが教えてくれた、通称ハヌマーン・テンプル。
ハヌマーンを祀った寺院で、地元の方には大人気らしい。 -
コンノートプレイスを抜けてしばらくすると、道路が大渋滞。
チェックインの時間まで3時間を切った。
ちょっと焦ってソワソワしていると、ドライバーが
「何か問題でもあるのか?」と聞いてきたので
「時間がないかもしれない。想像していたより渋滞が酷いね」というと
「心配するな。ここだけだ。全部ターミナル1へ行く車だ。もうすぐ道路は空く」
とのこと。 -
おお!
ターミナル1を過ぎると周りの車はほとんどいなくなった。
ということで、16:12、2時間半前にデリー空港に到着!
間一髪!
ドライバーには満足にお礼も言えないまま、チップを渡して空港内へダッシュ。 -
出国審査。ここでもインド人のオフィサーは話し好き。
「どこを見てきたの?」「バラナシとアグラ、それにデリーをちょっぴりであります」
「バラナシを訪れた目的は?」「ガートとガンガー。ヒンドゥーの聖都ですから、一度は見たかったのであります」
「あなたは信心深そうな顔をしているわね」「ありがとう。あなたもそう見えます。仏教徒ですからサールナートにも行ってきました」
「次にインドに来ることがあったら、プリ―もお薦めするわ。」「ぜひぜひ。5年以内に戻ってきます」
インド人の入国審査官は外国人に対してフレンドリーなんですね。 -
ここで時間を食うと一気に窮地だ!と思っていたが、セキュリティチェックに並んだのが早かったのか、以前の教訓からすべての検査が1回で終わるよう準備していたのが大きかったのか、検査はたった15分で終わった。
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ということで、夕食をいただこうと行列のEncalm Loungeに並ぶ。
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バーカウンターがあり、お酒飲み放題。
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ホットミールもちょこちょこ。
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ということで、もう帰るだけなので、ダメ人間になっても問題ないのである。
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3-3-3のANA機。
やはり国際線でのANA機の安心感というのはかなり大きい。 -
日本の朝日を拝む。
お腹の調子も最悪だが、何より、一週間ぶりに美味しい日本の空気が吸えるというのが一番うれしい。 -
羽田で乗り継ぎ。行きの乗り継ぎは正直、煩わしいことも多いが、帰りの乗り継ぎは気楽なものだ。
-
カレーはまだまだ食べ飽きないくらいでしたが、帰国後に最初の食事として本能的に選んだのはやはり出し薫る「うどん」でした。
インドは出来れば2年おきくらいに、あまり変貌を遂げないうちに再訪してみたいところです。今度は、旅行者の方がおススメしてくれた南部を中心に(*^▽^*)
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