2025/10/31 - 2025/10/31
468位(同エリア1973件中)
さすらいの旅人マーさん
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- クチコミ623件
- Q&A回答24件
- 294,227アクセス
- フォロワー112人
この旅行記のスケジュール
2025/10/31
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電車での移動
ジャイプールから夜行列車で移動
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その他での移動
デリーカント駅からメトロ駅迄、オートリクシャ
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電車での移動
メトロ駅からグランバザール迄移動
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この旅行記スケジュールを元に
7日目。10月31日午前、世界遺産7 クトゥミナル、午後、世界遺産8 ファユーン廟。
北インド周遊:デリー、アグラ、ジャイプール
9世界遺産を中心の10日間。
1)10月25日ANA、 名古屋、羽田、デリー。
2)26日アグラ、世界遺産1タージマハル。
3)27日世界遺産2ファテ―プルスィークリ−
世界遺産3アグラフォート
4)28日イティマドウッダウラ―廟、
ジャイプールへ。
5)29日世界遺産4ジャンタルマンタル、
世界遺産5歴史都市:風の宮殿、
シティパレス。
6)30日世界遺産6アンベール城、ジャ
イガル要塞、夜行列車でデリー。
7)31日世界遺産7クトゥミナル、
世界遺産8ファユーン廟
8)1日世界遺産9ラ―ルキラ、
ジャマンモスク、ラ―ジガート
9)2日コンノートプレイス、インド門、
国立博物館
10)3日羽田到着、上野観光後、名古屋へ。
東京国立博物館、国立西洋美術館。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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早朝、デリーカント駅に到着。
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3回目も寝台で移動、悪くはなかった。
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3Aは3回目、このクラスは予約しやすかったから。680ルピー。夜行は時間はかかるが夜発朝着寝台ならok。
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5時15分定刻、20分ホームに出る。
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おかしなことに、ニューデリー駅と思いこんでいた。がカント駅、コンフューズ。メトロが遠い、客引きのオートリクシャで移動。
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約10分後、6時30分。
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お支払いは100ルピー。しきりにグランバザール迄どうだと、一体、いくらになるやら。
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メトロカード250ルピー(うち50ルピーカード、200ルピー最低入金額)で購入し、プラットホームへ6時42分乗車。35ルピーで移動。
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乗り換え後、7時グランバザールの最寄駅下車。駅近くの像、インドのヒンドゥー教の修道士、哲学者、作家、講演者であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダ(Swami Vivekananda)。
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アゴダで予約、ドミ4人用、上段を割り当て。カーテンなく服などで囲う。後で下段に変更し2泊。まず、初日分603ルピー約1100円のみ先払い。
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8時20分チェックイン後、路地の奥の宿を後に。
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奥の方がクラクションには悩まされない。
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27分乗車後、8時47分、南部のクトウミナル駅。デリー世界遺産巡り7と8をスタート。
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駅から5人で相乗り20ルピ―。100ルピ―とぼられそうに。10分で到着。相乗りしたお姉さんはガイドと伺う。
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9時30分、550ルピー、約1000円で入場。11時15分迄観光。
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石板: デリー・スルターン朝は「奴隷王朝」。複合施設主要モニュメントは、クトゥブ・ミナール、クワットゥル・イスラーム・モスク、アライ・ダルワーザ、アライ・ミナール。初期イスラーム建築には多くのヒンドゥー教の要素が組み込まれている。クトゥブ・ミナールは、アイバクが建設開始、イルトゥトゥミシュが完成後、フィールーズ・シャー・トゥグルクやロバート・スミス少佐が改修。
クトゥブ ミナールとその建築物群 史跡・遺跡
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小規模なモニュメント: ボフワム・ザミンは、ジェライ・ダルワザのすぐ東にある。ムガル皇帝フマーユーンの治世中、紀元1537~38年に建設。ムガル帝国初期に建てられたものだが、ローディー様式の典型的な特徴をすべて備えている。後期ムガル時代の隊商宿(セライ)は東側入口ゲートウェイにある。北側には、西壁に後期ムガル時代の庭園とモスクの跡を観察できる。サンダーソンの日時計とスミス少佐の円屋根は南東の芝生にある。
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案内板: 72.5mのミナレットはかつて世界最高だった。1192年北インド制圧記念で建立、インド最古のイスラーム遺跡群の一部。
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1993年ユネスコ世界遺産登録。
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世界で最も高いミナレット(モスクに付属する塔)。
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72.5メートル、赤砂岩と大理石で造られている。
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1200年頃、奴隷王朝創始者クトゥブッディーン・アイバクが建立。
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約72.5メートル、全379段の階段を持つ5層構造のミナレット、最下層の直径は約14メートル、頂上に向かって約2.7メートルまで細くなる。建築様式はヒンドゥー様式とイスラム様式が混在、各層はアラビア語の碑文が刻まれた装飾帯で区切られている。
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クワットゥル・イスラーム・モスクの回廊。
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アライ・ダルワーザ(Alai Darwaza)説明板:クトゥブ・イスラム・モスクの南側門、1311年建設。赤砂岩と大理石を使用、壮大な四角いドーム型建物。
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複雑な彫刻が施されており、セルジューク朝様式の影響が見られ、尖った馬蹄形のアーチやスクインチ、アーチのフリンジにハスのつぼみが特徴。この様式は、モンゴルの侵攻から逃れてインドに渡った芸術家たちによってもたらされた
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イマーム・サミンの墓に関する説明板: 聖人イマーム・ムハンマド・アリがシカンダル・ローディーの治世中にトルキスタンからインドに来た経緯と、彼の墓が建てられた背景が記されている。墓はムガル帝国初期、ローディー様式、八角形のドラムの上にドームがそびえる構造、赤砂岩の有孔スクリーン、大理石の装飾などが特徴。1537年、ムガル皇帝フマーユーンの治世中。面積24平方フィート、八角形のドラムの上にドームがある。赤砂岩、大理石の装飾。
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アラーイー門: イスラーム建築様式のインドで最初の重要建築。ハルジー朝スルターン、アラー・ウッディーン・ハルジー、1311年建設。建築様式は赤砂岩と白大理石の組み合わせ、イスラーム様式アーチ型入口とドーム型屋根。
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クトゥブ・ミナール、隣接するクワットゥル・イスラーム・モスク。
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シャムスッディーン・イルトゥミシュの墓、奴隷王朝第3代スルタン、シャムスッディーン・イルトゥミシュのために建てられた。墓を取り囲む壁の一部、その間の通路、庭園。壁面にはコーランの章句やアラベスク模様が精緻に刻まれている。
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クトゥブ・ミナール複合施設内遺跡広場。
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塔の壁にはコーランの章句やアラベスク模様が刻まれている。
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インド最初のモスク、クワットゥル・イスラーム・モスクの一部として建設。破壊されたヒンドゥー教寺院やジャイナ教寺院の石材を再利用、イスラーム様式とヒンドゥー様式が混在。柱にはヒンドゥー教の神々の像や装飾が残っており、偶像崇拝を認めないイスラーム建築では珍しい特徴。
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アラーウッディーン・キルジー廟: 14世紀初頭、スルターン朝ハルジー朝第2代スルタン、アラーウッディーン・キルジーのために建てられた。遺跡は荒廃、皇帝の墓は石の瓦礫となっている。
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石造りのミナレット。
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ヒンドゥー寺院の石材を転用したのでイスラーム様式とヒンドゥー様式が混在の珍しい建築様式。
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アラー・ウッディーン・ハルジーの墓とマドラサ(イスラーム学院)の一部。
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石造りの遺跡は、隣接のクワットゥル・イスラーム・モスク(Quwwat-ul-Islam Mosque、イスラームの力モスク)の遺構。
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内部に378段の階段、立入禁止。
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中央のアーチ状の構造物。
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鉄柱: クワットゥル・イスラーム・モスクの中庭にあり、グプタ朝時代の碑文があり、4世紀のもの。碑文によると柱はヴィシュヌ神の旗竿としてチャンドラグプタ2世の記憶のためにヴィシュヌパダという丘に建てられた。柱の金属は純粋な錬鉄、2300年以上、劣化していなく、古代インドの冶金技術の優れた証拠。
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デリーの鉄柱: 約7メートル、約6トン、西暦415年グプタ朝時代。1600年たつが錆びていないことから古代インドの高度な冶金技術の証拠とされている。鉄柱表面にリン酸化合物の保護皮膜が形成されているため。
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クワットゥル・イスラーム・モスクの回廊やアーチ部分、 ヒンドゥー様式とイスラム様式が混在。
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デリーの鉄柱(アイアンピラー)に刻まれた碑文の翻訳と転写。碑文はサンスクリット語、チャンドラ王の武勇と信仰を称えている。
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クワットゥル・イスラーム・モスクの回廊。
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クトゥブ・ミナール複合体の一部、インド初期イスラム建築の傑作。
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クッキーでブレイク。おすそ分け。
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イルトゥトゥミシュ廟: 1235年、イルトゥトゥミシュが建てた。中央に墓石が置かれた墓室で構成、9平方メートル。西側壁に3つのミフラーブ(礼拝の方角を示す壁龕)、クーフィー体やナスフ体のアラビア文字、幾何学模様、アラベスク模様が豊富に彫刻。
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イルトゥトゥミシュ廟: 赤砂岩と大理石を使用。外観は方形の構造、内部は八角形に見えるように工夫されており、かつてはドームがあったと考えられる。入口や内部の壁面には、コーランの碑文、幾何学模様、アラベスク模様などが精巧に彫刻され、ヒンドゥー教のモチーフ(蓮の花、鎖、ベルなど)も取り入れられており、文化の融合が見られる。
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イルトゥトゥミシュの石棺、周囲は装飾的なアーチと柱で囲まれている。
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クッワトゥル・イスラーム・モスクの遺跡。
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アライ・ミナールは未完成のミナレット。ハルジー朝スルタン、アラー・ウッディーン・ハルジーが、クトゥブ・ミナールの2倍の高さ約150mの塔を建設しようと計画、1311年頃建設開始、1316年に彼が亡くなると中断。約25メートルの最初の層の瓦礫の石積みの芯の部分だけが残っている。
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訳: アライ・ミナール
この未完成の塔はアライ・ミナールとして知られています。その建設は、野心的なスルタン・アラーウッディーン・ハルジー(西暦1296年~1316年)によって開始されました。彼は、クトゥブ・ミナールよりも二重の寸法(すなわち、計画と高さ)でそれを建設するという大きな意図を持っていました。しかし、残念ながら建設が進行中に彼は亡くなりました。彼は最初の階さえ完成させることができませんでした。そしてその後、彼の後継者の誰も建設作業を引き継ごうとはしませんでした。 -
アライ・ミナール、1311年。
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クトゥミナルは11時15分迄、徒歩15分移動。
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メヘラウリー考古学公園内のジャマーリー・カマーリーのモスクと墓の説明。
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ジャマリ・カマリ・モスクと墓地の入口。
ロディ朝と初期ムガル朝のスーフィー聖人ジャマリに由来。メヘラウリー考古学公園内。 -
外観は赤砂岩、墓の内部は赤と青の鮮やかな色で装飾、タイル細工や漆喰の装飾が施されている。
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メヘラウリ考古学公園の地図。歴史的遺跡公園。無料のはずが200ルピーのお支払い。
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公園は100エーカーの緑地、世界遺産クトゥブ・ミナールに隣接。
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ムガル・アーキオロジカル・パークのインフォメーション。
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バトゥワラ・ボートハウス: ムガル帝国時代、庭園東側の大きな貯水池の一部として建設。アラーウッディーン・ハルジーがシリ・フォートの建設中に作ったが後に干上がった。
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メヘラウリ考古学公園内、クリ・カーンの墓。
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ムハンマド・クリ・カーンの墓:17世紀初頭建設。アクバル帝の乳母、マハム・アンガの息子、アドハム・カーンの兄弟のために建てられた。クツブ・ミナール複合施設に近接。外側は八角形、内側は正方形の平面図を、高い台座の上に建っている。
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クトゥブ・ミナールを見ることができる。
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デリー「七つの都市」の歴史的背景と概要を説明。
デリーは、異なる皇帝や時代によって何度も建設・再建されてきた都。歴史的に7つの主要な都市(Indraprastha, Siri, Tughlaqabad, Jahanpanah, Firozabad, Shergarh, Shahjahanabad)が存在。 -
サルダール・ヴァッラブバーイー・パテール氏の150周年記念イベントの展示パネル、2023年10月31日開催。
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Siri Fort(シリ・フォート)は、デリーの歴史的な城塞の遺跡。
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トゥグラカーバード城塞: トゥグルク朝創始者ギヤースッディーン・トゥグルクが1321年建設。首都を意図していたが1327年放棄。
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フィロズ・シャー・コトラ城塞: 城塞は、スルタンのフィロズ・シャー・トゥグルクによって建設。かつては「クシュク・イ・フィロズ(Kushk-i-Firoz)」(フィロズの宮殿の意)と呼ばれていた。
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フェロツ・シャー・コットラ・フォート(Feroz Shah Kotla Fort): 砦はトゥグルク朝スルターン、フィールーズ・シャー・トゥグルクが建設。ヤムナー川のほとりに位置する唯一の砦。
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歴史的城郭都市、キラ・ライ・ピトーラー、シリ、トゥグラカーバード、フィローザーバードの地図。
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サルダール・ヴァッラブバーイー・パテール卿150周年記念式典の看板。シェールガル(プラーナ・キラー)やフマーユーン廟などの歴史的建造物写真。2023年10月31日
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「鉄の男」サルダール・ヴァッラブバーイー・パテールの生誕150周年記念。生誕記念日10月31日は「国民統一デー (National Unity Day)」。パテールの功績は、インド独立後、数百もの藩王国を統合、統一インドの礎を築く。
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが建設した都市、デリー7番目の都市・ジャハナーバード(現、オールドデリー)の地図。1648年、アーグラからデリーに遷都。ヤムナー川西岸の城壁に囲まれた都市。
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クトゥブ・ミナール(Qutb Minar)複合施設の一部(クッワトゥル・イスラーム・モスクやアラー・ウッディーン・ハルジーの墓など)ハウズ・カース(Hauz Khas)複合施設の一部(マドラサや墓など)フマーユーン廟(Humayun's Tomb)複合施設の一部(イーサー・ハーン・ニヤージーの墓など) 。スルタン朝からムガル帝国初期のイスラーム建築の重要なもの。
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クトゥブ・シャーヒー朝の墓廟: 17世紀初頭、ムハンマド・クリー・ハーンのために建設。後にトーマス・セオフィラス・メトカーフ卿が別荘「ディルクーシャ」に改築、ムガル帝国と植民地時代の建築様式が融合した歴史的場所。
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チョーティー・グムティー(Chhoti Gumti)、歴史的建造物の修復前(BEFORE)と修復後(AFTER)。
チョーティー・グムティーは「小さなドーム」の意、スルターン朝末期(1414~1525年)の墓建築。 -
ムガル帝国時代の建築物の修復前後。修復プロジェクトはアーカー・ハーン文化信託(AKTC)による。
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メラウリ考古学公園内「TOMB (UNKNOWN)」無名墓、インドで最も古いアーチ建築の一つ、修復前後。
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デリーで現存する最古のアーチ建築。
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メヘラウリ考古学公園「TOMB UNKNOWN(無名の墓)」
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HORSE STABLE(馬の厩舎)案内板: 歴史的な石造りのアーチと構造物の写真が複数掲載。
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無名墓: ムガル時代。墓はドーム型、プラスターで覆われた粗石造。四方のそれぞれにアーチ型の入口。墓は正方形、ドームは光を内部に取り入れるための開口部がある八角形のドラムから立ち上がっている。デリー産の石英岩と石灰モルタルで建設された建物は、クリーム色と赤色の細かい石灰プラスターで覆われている。
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ジャルナ(Jharna): ムガル帝国時代。16世紀後半、ムガル皇帝アクバルが造営したアーム・バーグ(マンゴー園)内にある。涼をとるため、庭園への水源供給のために設計。複数のプールと水路から成り、水が流れ落ちることで心地よい音を奏でるように設計。
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情報展示パネル。
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ムガル建築様式。
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メヘラウリ解釈センター (Mehrauli Interpretation Centre):メヘラウリの豊かな歴史と遺産を紹介。
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ムハンマド・クリー・カーン廟。
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クトゥブ・ミナール。
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ローディー・ガーデンの噴水がある池。
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マクバラ(ジャロカ): ハウズ・カース考古学公園(デリー近郊)にある墓。墓は、四角い平面図とドーム、単一区画で構成。装飾的は、漆喰のレリーフ、幾何学的なパターン、ドームの付け根にあるコーランの碑文。赤砂岩の破片を使い、目地は漆喰で埋められた瓦礫造りの壁。張出窓の厚さは壁の厚さの半分。もう一方は本来は壁の厚さ全体を占めていた。
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ジャローカーの墓 (Tomb with Jharokhas): 墓は四角い平面図、半球形のドームで覆われている。南北東側にアーチ型の入口、その上には石造ブラケットとまぐさ石。
南側のファサードにはメインエントランスと階段にジャローカー(張り出し窓)が2つ。 -
墓は、ムガル時代初期、八角形の墓室を中心に、八角形の塔が四隅にあり光と空気を取り入れるため。二重ドーム構造で覆われており、ペルシャの影響を受けた。
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ジャマリ・カマリ・モスクと墓。
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初期インド・イスラーム建築、ヒンドゥー寺院から再利用された石材や柱が使用。
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バフルール・ローディーの墓近く「Horse Stable(馬小屋)」。バグダードのブー・ハリーラーにあるアッバース朝の馬小屋と類似した建築様式。
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駅迄、チョイ乗り、あっという間に、駅反対側車道に。必要なかった。やってしまった。しかも逆走。
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メトロ内でブレイク。
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チャイとサンド
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フマーユーン廟の門。
フマーユーン廟 史跡・遺跡
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フマーユーン廟: ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンのために建てられた霊廟。
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ブ・ハリマ・エンクロージャー(Bu Halima Enclosure):壮大な門はブ・ハリマの墓園へと続く。囲いと門は16世紀初頭ムガル帝国時代のもの。門のファサードは面取りされており、タイル細工の痕跡が見られる。庭園の壁の2つの北側の稜堡には装飾されたドーム型天蓋が載っている。
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アラブ・サライ:16世紀、フマーユーンの未亡人ハージ・ベグムが建設したキャラバンサライ(隊商宿)。メッカへの巡礼から戻る際に同行した300人のアラブ人学者や職人を宿泊させるために造られた。アーチ型部屋が並んでいたが現在は廃墟。門だけ残り赤砂岩に大理石の象嵌が施されている。
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ブー・ハリーマー門
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約13メートルの門、赤砂岩と白大理石が象嵌された石英岩で造られており、ムガル建築の初期の傑作。
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アラブ・サライの門。
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14メートルの門はフマーユーン廟建設で来たペルシャ職人が住んでいた壁に囲まれた区域へと続いていた。赤色砂岩と白色大理石の象嵌細工が、デリー石英石造の門に印象的なタッチを加えている。突き出たジャローカには釉薬を施した陶器タイルの残骸が残っている。アラブ・サライ門、1560-61年。
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フマーユーン廟入口付近。
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14メートルの門は1560~61年頃建設。
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翻訳: 環境開発: 2000年から2003年にかけて、アーガー・ハーン文化信託はインド考古調査局に資金を提供し、協力して記念碑周辺の30エーカーの庭園を再生するプロジェクトを実施しました。その他の保全作業として、3kmの水路が修理、3.5kmの小道の縁石が復元、3000台分の余分な土砂が手作業で撤去、4kmの砂岩が手彫りで加工、ムガル帝国時代に好まれた2500株の植物が植えられ、25000平方メートルの小道が復元、徹底的な雨水貯留システムが導入、小さな構造物が保存、歴史的な井戸が発見され泥が取り除かれ、車椅子でのアクセスと現地案内所が提供されました。
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妃ハージ・ベーガムが、夫の死を悼み、故郷ペルシャから建築家を招いて建設。
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フマーユーン廟: 紀元1565年~72年、亡き未亡人ハミーダ・バーヌー・ベーグムは、皇帝フマーユーンの霊廟を建設。タージ・マハルの先駆けの霊廟は、12,000平方メートルの基壇の上に建ち、高さは47メートル。インド建築におけるペルシャの影響の最も初期の例であり、内部には100を超える墓があり「ムガル帝国の寄宿舎」で知られている。粗石積の構造物は大量の赤砂岩と白大理石を使用した最初のもの。テラスの小さな天蓋はもともと青い釉薬瓦で覆われており、白大理石のドームの上にある真鍮のフィニアル(飾り尖塔)も6メートルある。
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インド初のムガル様式の霊廟、「庭園の中の廟」、左右対称の幾何学的な庭園(チャハル・バーグ)が特徴。
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建築様式はタージ・マハルに大きな影響を与えた。
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ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの墓廟。
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フマーユーン皇帝の模擬石棺。本物は地下室に安置。
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1993年ユネスコ世界遺産登録。
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イスラム庭園の特徴である四分庭園様式(チャハール・バーグ)のレイアウトを反映した建築設計。
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フマーユーン廟複合施設(Humayun's Tomb Complex)保全・改善プロジェクトの情報パネル。複合施設は世界遺産に登録され、ムガル建築の重要なマイルストーン。
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保存修復プロジェクトに関する情報: ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの墓廟は、タージ・マハルの原型となった。1993年世界遺産登録。修復プロジェクトは、ドーム、天蓋、屋根、上部プラットフォームの漆喰などの保存作業が行われた。
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往来がないときに。
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イーサー・カーンのモスク、墓、門、1547年、アクバル帝廷臣イーサー・カーン・ニアージーのために建てられた。ロディー朝建築様式に似た八角形のドームが特徴。
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皇帝フマーユーン :ディーナー・パナーと呼ばれる都市の建設を完了。長年、壮大な都市建設を望んでいた。高い城壁と要塞、緑豊かな果樹園に囲まれた7階建ての中央宮殿を持つ都市。
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幾何学的な庭園は「天上の楽園」を表している。妃が建てたもので、愛の物語が残る霊廟。
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アフサルワラ・モスクは、16世紀後半のムガル建築で、赤い砂岩とドームが特徴。
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アフサルワーラーの墓とモスク。
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イサ・カーンの庭園墓廟、案内板。ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの墓廟複合施設内にある。スール朝貴族イサー・ハーン・ニヤーズィーのために1547年建設。
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イサ・カーン廟囲い地 1547年: イサ・カーン・ニヤージは、シェール・シャー・スーリーの宮廷の貴族。この囲い地には、彼の存命中に建てられた墓とモスクを含む。フマーユーン廟の20年前に建てられた八角形の墓は、天蓋、施釉タイル、格子スクリーンといった印象的な装飾が施されている。囲い地の西側には、3つのベイ(間口)を持つモスク、壮大な赤砂岩の中央ベイと印象的なミフラーブ(壁龕)を備えている。20世紀初頭まで、囲い地全体には村が形成されていた。
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イサー・カーンの墓の入口ゲート。アフガン系スール朝様式、八角形のドームが特徴。荒廃した外壁の奥には八角形の霊廟とモスクがある。
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イサ・カーン廟(Isa Khan's Tomb)。
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内部装飾は比較的簡素で、美しい透かし彫りの窓(ジャーリー)が特徴的。
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イーサー・カーンの墓廟(Tomb of Isa Khan)。
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廟はフマーユーン廟に先行して1547年に建設。
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30ルピーのチャイでブレイクして17時終了。
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モスク周辺。
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金曜日でイスラム信者が多い。
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露天も多数。
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皇帝アクバルの乳兄弟で宰相を務めたアトガー・カーンの墓として1566-67年頃に建てられた。フマーユーン廟の近く。赤砂岩と白大理石を組み合わせた美しい装飾が特徴のムガル建築様式。八角形のドームが特徴。インド国定重要記念建造物。
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ニザームッディーン廟(Hazrat Nizamuddin Dargah)と、アミール・フスロー廟(Hzt Amir Khusro R.A.)。
インド最大級のイスラーム聖者廟。ニザームッディーン アウリアー廟 寺院・教会
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インド屋台、ハルワ・パラタ(Halwa Paratha)、屋台なのでパス。
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モスクを経由し迷子に。早めにアスク。
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大学生にメトロを尋ね15分ほど一緒にメトロ迄。真ん中の彼と道中お話し、次女と同世代、親切だった。
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ラーマクリシュナ・アシュラム・マーグ駅、プラットホーム。往路から1つあと。歩き過ぎたよう。
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夕食はメインバザール通り、デリー駅寄り、食堂が多い所で。19時5分、チキンタリー小120ルピー、多い。ラッシーは50ルピー別途。
メインバザール 市場
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ここで美味しく頂けた。
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締めはアイスの後、宿に戻り7日目、世界遺産7と8終了。
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