2019/03/16 - 2019/03/23
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2019年3月ドイツ・オーストリアハイライト周遊8日間の旅11 ウィーン編1-3
2019年3月16日から3月23日の予定でドイツ・オーストリアの旅に出かけました。
3回目の海外旅行です。年に一度の骨休み。もう一度二人で行こうと思い立ちました。
今回は3月21日(木)6日目午前 オーストリア・ウィーン編1-3(シェーンブルン宮殿・ベルヴェデーレ宮殿)です。
(いよいよウィーンです。)
現地ではヴィーン、英語ではヴィエナなんだけどね。ここだけの話ですが、(うん)
Austria:オーストリアは英語です。ドイツ語ではÖsterreich エースタライヒといます。(oster'EAST+rihhi'realm)東の王国が原義です。
ちなみにAustralia:オーストラリアはラテン語australis(南の国)からきています。
(そんなこと言うんだったらJapanはどうなるの)
にっぽん、じっぽん、じぱんぐ?、じゃぱん,Japanでしょ。
(もうええわ)
前日の午後にはホテルに着いていたので、周辺を散策しました。この辺の夜は寂しくなるようで自由行動でホテルに戻るルートはメトロとトラムを乗り継ぐ方がよさそうに思えました。
今日は6日目、3月21日(木)の概略スケジュールです。
午前
8:30 ホテルから、シェーンブルン宮殿~ウィーン歴史地区観光に向けて出発です。
9:00 シェーンブルン宮殿
10:00 ベルヴェデーレ宮殿
昼~午後
12:00 シュテファン大聖堂
13:00 オペラ座~
13:30 オプションツアー:ハプスブルク家ゆかりの地巡り観光です。
16:30 自由行動:歴史美術館、美術史美術館
18:00 メトロとトラムを乗り継いでホテルまで戻ります。
20:00~ ホテルまで戻れたでしょうか?
(上手くいけばいいのですが、)
どうなることやら。期待は出来ません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
シェーンブルン宮殿 正門(北門)前
宮殿の前身は
「カッターブルク(1550 年頃に建てられた) とゴンザガ宮殿 (1640年にフェルナンド2世の妻エレオノーラ・ゴンザガのために建設)はともに1683 年の第二次トルコ包囲戦で破壊されました。
皇帝フェルディナント2世によって、エギト・ガッターマイヤーに与えられた狩猟小屋は長らく、ガッターシュロスと呼ばれ、隣接する森はガッターヘルツル(今のグロリエッテの丘)にはまだ樹木が生い茂っているのが見えます。」
パブリックドメイン:ゲオルク・ヴィッシャーによる銅版画(1672年) -
宮殿に入場します。
詳しくいうと、1655年にエレオノーラが亡くなった後、故フェルディナンド3世の3番目の妻エレオノーラ・マグダレーナ・ゴンザーガに未亡人の住居として譲渡されたが、1683年の第二次トルコ包囲戦ですべての建物が使用不能なほどの被害を受け、修復を要請しましたが実現前1686年に亡くなりました。
(詳しくはいらん。2世とか、3世とか、エレオノーラが何人でてくるの。)ほんと、わからんでしょ。ハプスブルク家はややこしい。
現在のシェーンブルン宮殿は、16世紀半ばマクシミリアン2世によりハプスブルク家の所有となった後、1695年から王位継承者ヨーゼフ1世のために、レオポルト1世によって着工され、18世紀半ばにマリア・テレジア大公女によって完成した複合施設に遡ります。 -
北東
チケット売り場、レストランがあります。
18世紀半ば、マリア・テレジアの治世下、シェーンブルン宮殿は皇帝の夏の離宮となりましたが、1918年に君主制が終焉すると宮殿群は旧宮廷(=帝国)財産として共和国の所有となり、1992年までシェーンブルン宮殿管理局によって管理されました。 -
北西
宮殿劇場があります。
1992年、オーストリア共和国が全額出資する民間企業として、Schloß Schönbrunn Kultur-und Betriebsges.mbHが設立されました。宮殿とその庭園建造物の歴史的調度品の保存、そしてシェーンブルン宮殿全体の再開発のための財源は、国家からの補助金に頼ることなく、自力で調達します。 -
2019年は館内は撮影禁止でしたが、2024年後半から、
「フラッシュ撮影禁止 自撮り棒は禁止 敷地内への犬の同伴は禁止です。 荷物の持ち込みは禁止されています。」となっています。 -
日・スペイン用のパンフ案内図付けました。本来の地図は上を北にしますが、これは下向きです。
(写真の向きは南東で合っている。)
シェーンブルンの名は、マクシミリアン2世の息子であるマティアス皇帝の言葉に由来しています。伝説ではマティアス皇帝は1619年の狩猟中にここで自噴泉を発見し、「Schöner Brunnen」と感嘆したと言われています。
これは「なんと美しい泉だろう!」と訳したらいいのか、この自噴泉の湧き水は良いといったのか、公園のマイドリング(東側)にある生垣に囲まれた遊歩道の隅に、その場所があります。この場所に最初に建てられた井戸小屋は、宮廷庭師のアドリアン・ファン・ステックホーフェンによって建てられたと考えられていますが、1771年に宮廷建築家 イジドール・カネヴァーレが設計した新しい建物に置き換えられました。小屋にはヴィルヘルム・バイヤー作のエゲリア像が小さな水盤の上に傾いて立っています。腕に花瓶を抱えており、そこからかつてウィーン宮廷で高く評価されていた湧き水が流れ出ています。 -
敷地全体だと思っていましたが、シェーンブルン宮殿の中に、大小さまざまな1,441の部屋があるそうです。数えて見たくなりましたが、見学コース50室から見て礼拝堂を入れても、1,2階で100室もありません。
-
平面図もないので困りましたが、記事をみるとマリア・テレジアの治世下東館に中二階を増設したとありました。よく見ると、中央部にはない2階と3階の間に中2階の窓があります。対称性を持たせるために西館も増設しています。挙句、3階から上は賃貸住宅になっていて、家賃は4~5万というのです。
(借りよう。)公務員、功労者関係専用だから無理。個人情報だからこれ以上の詮索は不要です。 -
さらに、宮殿には、1室ですが、ホテルがあります。
Austria Trend Hotels(Schloß Schönbrunn Grand Suite)
1泊平均18万でサービス満点お安いです。
(やかましいわ。小金持ちのわたしらが泊まれるんかい。)
小金持ちはちょびっとだけ金持ちだ。海外旅行にいってこれた。ぼろは着ててもこころは錦、ふはくしょん。 -
レストランもあるよ。
Café Restaurant Residenz 、Schönbrunner Schloßcafé
(よかったね。) -
エントランスから入りますが、
-
裏から庭園側に降ろしてくださいな。
(ムリ)
しかたなく、30分後慌ただしく、同じとこらから出てきました。
だけど庭園見に行きましょう。
(庭園をみるのに、どれだけ歩いたらいいの。) -
ようやく、アーケードまでたどり着きました。
-
庭園!ん?
(一応庭園) -
(こちらが本当の庭園側。)
庭園にうそと本当はない。規模が違うだけだけど、
見ないで帰るのは惜しい。
(見にいったら遅れるよ。) -
西館アーケードからシアターに向かうか。
-
馬車博物館にいくか。
(いけません。) -
宮殿西館に中二階の窓が見える。階数としては4階建てということですか。
(わたしに聞くな。) -
Kindermuseum(Children’s Museum)
シェーンブルン宮殿子供博物館の入口です。宮殿(西棟)1階にあります。 -
(中庭から正門までがまだ遠いよ。)
-
(皆さん、正門そばの集合場所に戻っておられるのでしょうか?)
私らぼろぼろじゃね。 -
【ベルヴェデーレ宮殿Schloss Belvedere】
バスで移動してきました。
南門から入場します。
(犬はだめ)
犬に立ち入り禁止と言っても分からんでしょ。犬同伴は控えてということです。猫も鳥もだめでしょう。ペットを連れてきてはいけません。
(自転車だめ)
バイクならいいと言っているのではありません。スケボもローラースケートもだめでしょう。
(靴はだめ)
裸足ならいいと言っているのではありません。芝生に入ってはいけないと言っているのです。
(どうしたの)
タヌキをつれて、裸足で竹馬にのり,芝生にはいる不届き者が出ないとも限りません。
(いません。) -
(りっぱな門ですね。)そうですね。
-
(ベルヴェデーレ宮殿上宮ですね。)そうですね。
さて、このベルヴェデーレ宮殿ですが、ハプスブルク家によって作られたものではなく、下宮はフランス王家にもつながるサヴォア公家の一員であったプリンツ・オイゲンの夏用の邸宅として1712~1717年に作られました。オイゲンはフランス語のウジェーヌと言う名前のドイツ語読みです。サヴォワ=カリニャーノ公子ウジェーヌ・フランツまたはウジェーヌ・フランソワ・ド・サヴォワ=カリニャン公(フランス語: François -Eugène de Savoie-Carignan、イタリア語: Eugenio di Savoia-Carignano)
上宮は迎賓館として1717~1723年に作られました。建築設計はヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントでした。
(うるさいから以下省略。) -
奥さんですね。・・・なんかおかしい。
(なんだと)
違います。建物を見ているうちに気が付いたことがいくらかありまして。たとえば、中央階段の両横に脇階段があるんですが、一方には窓が、片方には窓がありません。 -
ベルヴェデーレ上宮と大きいプールです。
(池です。)
ほぼ正解。英語のpoolは独:Pfuhlと同語源で池です。日本語ではほぼswimming poolかモータープールですが、後のは、a car parkです。(ポカ、ポカ) -
近づいてまいりました。
(上宮のカットが多くないかい?)
建物は遠くからみたり、角度を変えてみると思いの他楽しいもんですが、
中央階段の壁に大きな穴が開いているし、なんとなくすっきりしないのです。
(あれは窓です。)
組積造だから、構造的には穴です。穴はアーチで補強できますが、わざわざその上に穴をあけています。
(窓です。)
さらに構造的に不利な冠壁をその上に載せています。耐力になる壁量が少ない気がするけど、側面が壁ならまず大丈夫かな。 -
側壁も景気よく穴が開いている。(やめな)
角度を変えて上からみると、中央階段がメイーンフレームから出過ぎているのが分るでしょう。階段の踊り場だから、後ろに間仕切り壁も梁もつけられないのです。
(気のせい)
1階の階高が2階に比べて極端に低いですし、寄り付きのためのスロープが付いていますが、中央に開口部はないのです。
(扉がきっとある。)
あれば、スロープを使う人にとって途中で扉が開くと危険でしょう。 -
(300年元気よく建っているんだから、何の問題もなし。むだな心配よ。)
ごめん。他人事とはおもえなくて。
地面に傾斜がありますね。 -
チケット売り場と横のゲート北門の位置はこれでいいですか。
(べつに。なんで。) -
西門から入ってくる人はどうなります。
-
1階の階高が低い理由がわかりました。北と南では段差があって南では地面が上がっているのです。
-
庭園とスフィンクス像
(遥か彼方に下宮がみえますね。) -
(なにか、わるいものみた。)
旦那です。 -
庭園から下宮までの距離が半端ではない。
-
奥に見えるのは、ウィーンのサレジオ修道院
1610年6月6日に現在のフランスのアヌシーでジュネーブ司教の聖フランシスコ・ド・サレジオと聖ジャンヌ・ダルクによって設立された聖母訪問修道会に属する修道院です。 -
ベルヴェデーレ宮殿上宮北面です。
中央に出入口上部のバルコニーを支えるための柱があるので安心しました。これは効果がありそうで期待できます。(?)
2階に大理石の間がありますが、2層吹抜です。高窓の位置は3階部分なので、12カ所のうち外部に面するのは5カ所で、他は3階の間仕切り壁にあります。 -
庭園側に段差があります。もともと傾斜地の様です。
【ここは市街の南側の斜面に位置していたことから、この複合施設全体はベルヴェデーレ(イタリア語で belvedere 、「美しい眺め」)と名付けられました。】 -
(北面の中央出入口から、いよいよ入場です。)
扉はこのように開きます。南面のスロープの横からあがったとしたら扉が開くと痛いでしょ。
(何のこと。知らない。) -
1階sala terrena(サラ・テレーナ)は庭園(側にある)ホールです。
ヒルデブラントさん、ちょっといいですか。
【なんだ。怒らんから言うてみ。】
クロークが見えているけどいいの。
【なんだと。】
怒らんていうたでしょ。
【しゃないな。何事も経験じゃ。遊んだらとっとと帰ってね。】
ありがとうございますだ、ヒルデブラント様、 -
【サラ・テレーナは、もともと開放的で、ひとつの広間として庭園広間と玄関ホールを組み合わせて設計されていました。建設後まもなく構造上の問題が発生したため、今日まで残る4体のアトランテ像で天井を支えることになりました。】
中央開口の奥が中央階段です。
なんでこんなところに柱があるの。あとでいくホール階段のように天井まで吹き抜けたほうがよいよい、よい。美術史美術館はエントランスと階段ホールが一体化されて柱も壁も邪魔になっていません。
【もともとはなかったのじゃ。吹き抜けにはできぬ。建物の中央にサラ・テレーナと大理石の間をおくのがコンセプトじゃ。庭園を中央から見てほしいのじゃ。】 -
サラ・テレーナとホール階段の間の壁に3か所開口があるものの、X・Y両方向にアーチで補強しているから、階段は受けられるでしょう。2階に大理石の間がなければね。
「わし、2階に大理石の間を作ったんだよね。」
なんで?2階の床はどう受けるの。
「柱を4本立てたら何の問題もありゃしません。」
たとえば、あの鏡の間に柱が4本立ってたらいやでしょう。
「言わなければだれも気づかんじゃろ。」
気づきますよ。そのうえ、あっちもこっちも部屋中をめちゃくちゃ天井をアールにして天井がさらに低いイメージになっています。むしろホール階段の方が気持ちいいでしょうが。
「何を言っているのか聞こえん。これは柱ではなく石像ですからね。わしは天才。自分の才能にほればれするわい。」 -
アトランテ像とは、ギリシャ神話に登場する巨神アトラス(好きで天球を支えてるのではありません。オリンポスの神々とのティーターン戦で敗けたせいです。)でアトラス山脈を擬人化したものですね。
よくわからんですが、これはほんとに素晴らしい出来ですね。あとで褒めときますから。
「頼むで。ほんまに。楽しんで帰ってね。」
(柱をかねた石像、かなり重たそうにしていますね。)
4体あって、実際上部の荷重を支えています。
(よいしょ)
2階への案内板:
Marmor・saal(マルモーア・ザール)大理石の間
ausstellung・en(アオスシュテルンゲン(複)展示物 -
ともかく2階です。大理石の間の入口にいます。
-
大理石の間は、茶褐色とアイボリー系色の装飾大理石、金箔装飾で覆われ、天井の大きなフレスコ画が印象的な上宮の中心部とも言える部屋です。
(1955年5月15日にオーストリア国家条約が調印された場所でもあります。)
外側は窓ですが、内側は間仕切りにつくいわば覗窓です。 -
(大理石の間の上部壁と天井を見てください。)
すごい。これだけよく手間とお金をかけたものです。
(褒めてるんか。)はい。 -
この部屋はアドネット大理石(リーンバッハ石) と人造大理石で占められています。アドネット大理石は、様々な色彩豊かな研磨可能な石灰岩の総称で、岩礁性石灰岩と結節性石灰岩に属します。岩石鉱床は、オーストリア、ザルツブルク州ハライン郡のアドネット市にあります。
(そんな情報いるか?) -
大理石の間 天井のフレスコ画です。
カルロ・カルローネ作
「新たなアポロン、そしてムーサイたちのリーダーとなったオイゲン公」
天井フレスコ画は平らです。窓から光が差し込んでいるように見えるのは作者の演出的な描きこみによるものです。
(少しは映り込むで。)
窓より上に天井があるので、映り込むとしたら照明による大理石からの反射です。(ポカ) -
この部屋にあるのはクリムトの《Der Kuss (Liebespaar)》接吻(恋人同士)のレプリカです。
-
確かにお金がかかっているだけ素晴らしい。
(そういう言い方やめな。次の展示室に進みましょう。) -
この展示室がシンプルでむしろ良くみえる。
-
(展示室の天井画も見ましょう。)
天井が高くないから立体的に見えるように描かれているのがよくわかりますね。 -
(人だかりができていますね。)
グスタフ・クリムトは1894年頃にマリー・ブロイニヒの肖像画を描きました。 -
《婦人の肖像:Frauenbildnis Marie Breunig》
クリムトが描いた初期の代表的な女性肖像画です。黒いドレスを着た女性の写実的な全身肖像画で、モデルはクリムトの生涯の伴侶であったファッションデザイナー、エミリー・フレーゲの友人であり顧客であったマリー・ブロイニヒです。 -
ジョヴァンニ・セガンティーニ1894
悪しき母達(嬰児殺し)
あえて、説明なし。 -
真ん中の絵画は
Akseli Gallen-Kallela - Frühjahr, 1900
アクセリ ガレン カッレラの フリューヤール(春)1900です。 -
クリムトのJudith1 ユディット1
1901年 84cm × 42cm
油絵、カンヴァス、金箔
ユディット1とあるのは2があるからです。
ユディット2( 伊:Giuditta2)は、クリムトが1909年に描いた絵画です。高さ176cm、幅46cm。i ヴェネツィアの国際近代美術館に保管されています。困ったことに副題は別人の「サロメ」です。
歴史画・宗教画として見ないで、手になにかを持っている女性として官能的な表情を見てください。怖いよ。
(ポン。)後ろから黙って肩をたたくな。おお怖わ。 -
フェルナン・クノップフ作1896
ニンフの半身像「ヴィヴィアン」Halbfigur einer Nymphe ("Vivien")
ガイドさんにそっくり。
ニンフはギリシア神話に登場する精霊(英語読みで Nymph)独: Nympheです。ギリシャ語はニュンペー(古希: Νύμφη、古代ギリシア語ラテン翻字: Nymphē)ですが、困ったのはヴィヴィアンです。アーサー王伝説に出てくる湖の妖精の名ですが、淡水の精ならナーイアスと言います。
ニンフはすみかで種族が違うのです。
(何のお話?)ごめん。ガイドさんに気をとられて。 -
Bauerngarten mit Sonnenblumen
1907
Öl auf Leinwand
1939 Ankauf Galerle Sanct Lucas, Wien
Qil on canvas
クリムトのひまわりのある農家の庭1907
1939年、ウィーンのガラーレ・サンクト・ルーカスより購入
油彩・カンヴァス -
《Der Kuss (Liebespaar)》接吻(恋人同士)です。
GUSTAV KLIMT
Wien/Vienna 1862-1918 Wien/Vienna
Der Kuss (Liebespaar)
Blattgold, Goldfarbe, Silber, Platin, Blei, Ölfarben,
auf mit Zinkweiß grundierter Leinwand;
Schlagmetall (Messing), mit Lasuren übermalt
1908 Ankauf vom Künstler auf der Kunstschau,
Wien
1908 (vollendet/finished 1909)
ジンクホワイトで下塗りしたカンヴァスに金箔、金泥、銀、プラチナ、鉛、油絵具、真鍮、釉薬で上塗り
1908年、ウィーン美術館が作者自身から購入(1909年完成) -
男の顔はどないでしょうと、パブリックドメイン:生命の樹の連作の右端を見てみましたが、描かれていませんでした。
(違う作品でしょう。)
構図はそっくりで、もう少し回り込むと見えそうに思えましたので。 -
Schloss Kammer am Attersee III 1909/1910
《アッター湖畔のカンマー城III》 1909/1910年 油彩、カンヴァス -
グスタフ・クリムトGustav Klimtの1897-1898年、35-36歳頃の作品、《ソニア・クニップスSonja Knips》です。この作品は金属産業で財を成した実業家アントン・クニップスの妻ソニアの肖像画です。
-
右:グスタフ・クリムトGustav Klimtの1906年、44歳頃の作品、《フリッツァ・リードラーFritza Riedler》です。この作品はドイツ出身のウィーンで高級官僚夫人、フリッツァ・リードラーの肖像画です。
左:
リヒャルト・ゲルストルRichard Gerstlの1905年、22歳頃の作品、《カロリーネとパウリーネ・フェイ姉妹Die Schwestern Karoline und Pauline Fey》です。 -
クリムトGustav Klimtの1907年、45歳頃の作品、《けしの咲く野Blühender Mohn》です。
点画のように見えましたが、油彩特有の重ね塗りの技法でした。
画像が悪いので、作品の良さが伝わりません。パブリックドメインつけました。 -
「次の部屋に行きましょう。」
ガイドさん。いっていいの。 -
この展示室は人だかりができています。
-
Die Braut
1917/1918
Öl auf Leinwand
2014 Leihgabe der
Gustav Klimt | Wien 1900-Privatstiftung, Wien
クリムトの有名な
花嫁 1917/1918
カンヴァスに油彩
2014年 ウィーン 1900 個人財団(ウィーン)より貸与
普通書き残しがあるという評価しかできないところ、未完というだけで胸が高なるのはどういうことなんでしょう。未完と言わなければ誰も気づかない完成度でしょ。
(気付くわ) -
Egon Leo Adolf Ludwig Schiele(1890 - 1918)
エゴン・シーレ(エゴン・レオ・アドルフ・ルートヴィヒ・シーレ)の
抱擁 (恋人)または抱き合う二人、1917
その他、エドゥアルト・コスマックの肖像1910,家の壁1914などがありましたが、どれも不思議な感覚になります。ガイドさんは素通りでしたが、何事も経験です。時間があればどうぞ。 -
Mutter mit zwei Kindern (Family)
Öl auf Leinwand
2012 Legat Peter Parzer, Wien
クリムトの
母と二人の子供(家族)1909/1910
カンヴァスに油彩
2012年 ペーター・パルツァー(ウィーン)遺贈
(黒い絵の具がたくさんいるね。)
平坦に黒ではありません。何回も丹念に上塗りして背景を描き込んでいます。
たぶん、こげ茶の毛布にくるまって休んでいるところです。 -
エゴン・シーレ作
Mutter mit zwei Kindern (Die Mutter), Belvedere, Wien, 1915–17
「母と二人の子供(母)」
28歳で夭折したシーレの代表作です。作品の良しあしは分かりませんが、お母さん大丈夫でしょうか。 -
クリムトの
アダムとイブ1916-1918
どこが未完の作でしょうか。いわれなければだれも気が付かないでしょう。(手のあたり)
気付く人がおかしい。(ポカ) -
エゴン・シーレ作
Kauerndes Menschenpaar (Die Familie), Belvedere, Wien, 1918
「うずくまる夫婦(家族)」
(まがっているよ) -
何といっていいのか、目の先になにがみえているのか、暗示しているような作品です。
戦争末期の1918年、壊滅的なスペインかぜがウィーンを襲い、秋に妊娠中の奥さんを亡くし、その後シーレは28歳で夭折しました。 -
ガイドさんの強引な先導で展示室を出ました。とりあえずトイレで用をすませ、2階に戻るところです。
ここは地階から上がる1階の通路です。 -
1階エレベータ前、右は展示室開口です。
-
側階段の踊り場が見えています。
-
非常口があります。
-
階高が高いので、側階段はもう一度踊り場を回らないといけないようです。窓開口をパネルで塞いでいるようです。
-
やっと2階です。右に3階へ続く階段が見えます。
-
2階のエレベータ通路を横切って中央階段のホールに出ました。
-
(待ってたんや)
確かめたいことがあって、ごめん。
(写真撮って。)
はい。 -
赤とピンクの大理石の置物、なんでしょうか。
(置いてあるんだから由緒あるもんでしょう。) -
(みんな集まってきたから、そろそろ下りましょう。)
折角上がってきたのに。 -
中央階段の踊り場です。
(大理石の階段ホールといってあげて。)
宮殿の主階へと続く階段を登るところで、左右の壁に描かれているアレクサンドロス大王にまつわるレリーフが目に入る作りになっています。)
青い線を引きました。外のスロープに合っていますが、管理上、ここから出入りさせようとは思わないでしょう。
(1階に下りましょう。) -
(上宮をでて外でみると、改めて庭園が立派なこと。)
だけど、すごく面白かった。特にサラ・テレーナのあの4体の石像の出来栄えが素晴らしく、あの部屋によく効いていた。
(あの柱、すごかった。あれがなければもっとよかったね。)
え?(え) -
下宮にも行きたいところですが。
(カメラのズームで我慢せい。) -
奥に見えるのは、ウィーンのサレジオ修道院
(前に聞いた。)
噴水はまだ水を抜いたままのようです。 -
庭園をでて、西門広場に出てきました。
この辺りにチケット売り場を移設するか、 -
あの中門を撤去したどうでしょう。
(門も建物も由緒あるものだから、そう簡単には出来ません。
・・・こんなに傾斜があるわけではありません。)
かなりの段差があるのは、事実です。 -
(標識)
シェパード立ち入り禁止になっている。シェパード泣くな。
自転車禁止。なぜ斜めの線がない。
「ペットの犬の同伴は控えて、自転車の乗り入れは出来ません。下りて自転車置き場にとめて徒歩で入ってね、」ですよね。
こういう標識考えてみました。
門を抜けて退園します。
(甘い。バスの停車場までかなりの距離があります。)
え、西門がそこにあるのに。 -
西門から入場した人は、チケットをこちらで購入して、また北の方に回らないといけないんです。
(先に南面を見られるよ。)
そうだね!そういいうことで。 -
チケット売り場の奥はショップになっています。
由緒正しい建物なんでしょうね。 -
なんやかんだで、バスに戻って、ここで下車です。市街地に着きました。
(後で反省会をしましょう。)
ここまで付き合ってくれて有難うございました。
(ガイドさんは午後も付き合ってくれます。)
次回はウイーン編2-3(シュテファン大聖堂 ・オペラ座・オプションツアー:ハプスブルク家ゆかりの地巡り観光 )の予定です。
(期待せずにお待ちください。)
そんなこと言わずにぜひご覧ください。
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