2025/08/14 - 2025/08/14
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tokyopigletさん
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歴史ウォーキングツアー、市場のつまみ食いツアー、ソビエト時代を学ぶウォーキングツアー、運河川のミニクルーズと大忙しの1日。ラトピア大好きになった。
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朝ごはん。ついつい食べ過ぎる。クレープがモチモチでおいしい~
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シナゴーグ。ナチスドイツの焼き討ちを唯一逃れた。ユーゲントシュティールの美しい建物。あとでまた来ます
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まず午前中は、リガ市内の2時間歴史ウォーキングツアー。
ガイドさんの開口一番。リガの歴史に、ラトビア人はほとんど登場しない。ここはドイツの騎士団がやってきて武力でキリスト教を広め、ドイツ商人がハンザ同盟の都市を作り、そこにロシア人やオランダ人やスウェーデン人がやってきて年を発展させた。ラトビア人は18世紀までは農奴で読み書きもできず歴史にはほとんど登場しないんです・・・なるほど・・・
昨日も見た、ブラックヘッド会館の前の広場には、ゴールデンレトリーバーの像。これは、昨年公開されたラトヴィア・アニメ「Flow」の主要登場人物(犬だけど)で、この映画は、カンヌ映画祭、ゴールデングローブ賞、アカデミー賞長編アニメ映画賞を受賞した。ラトヴィア発のアカデミー賞に国民は大喜び、映画のキャラも大ブームだそう。
私も日本で見たけど、本当に素晴らしいアニメ映画。主人公の黒猫が私の家に常駐しているノラネコにそっくりなのだが、残念ながら黒猫の像は破損して修復中だとか・・・ -
こちらも再建された市庁舎
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オランダ風の建物が並ぶ地域
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ラトビア、ウクライナ、EUの旗
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リーガ大聖堂。13世紀に建設がスタートし、現在の姿になったのは18世紀。ドイツ騎士団が占領したリヴォニア(現在の北部ラトヴィアと南部エストニア)の宗教的中心。残念ながら今回内部は見れなかった
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大聖堂広場。向かいに現在のラトビアラジオ局。この広場にはもともとたくさんの小さな建物があったが、ラジオ局のバルコニーから演説ができるよう、大きな広場が作られた。
青い猫?キツネ?はバスケットボール欧州選手権のマスコット -
水道のマンホール
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証券取引所。立派。
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リガの国会議事堂。
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猫の家。裕福なラトビア人商人の館
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秋の気配の花がいっぱい
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ブレーメンの音楽隊。ハンザ同盟の都市の交流でブレーメン市から贈られた。四匹の動物が、東西ヨーロッパの壁を破って前進するところ。
なるべく高い動物の鼻を撫でると幸運になるらしい(笑)
ここで午前中のウォーキングツアーはおしまい。とてもいいツアーでした。 -
聖ペテロ教会。13世紀の創建で、現在の建物は18世紀。エレベータで塔に上れる。
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塔の上から見事
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塔の上からのパノラマ。川沿いの港として発展した。
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かつて塔の上にいた雄鶏
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反映するリガの古絵地図。街には塔が立ち並び、川は船で埋め尽くされている
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うーん面白そうな展示だけど読む元気がない。バルト海沿岸のこの辺りは、カトリック、プロテスタント、ロシア正教が入り乱れる興味深い地域。一度じっくり学んでみたい
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お昼から、中央市場のつまみ食いツアー。
中央市場は、旧市街の南側、運河のほとりにある。
建てられた20世紀初頭はヨーロッパでも例がない大きさと設備を備えたものだったとか。
右側は肉や魚の棟。 -
5棟のかまぼこ型の建物は、ドイツ軍がラトヴィア領内に残したツェッペリン型飛行船の格納庫を移設したもの。
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きのこがいっぱい!ラトビア人はキノコが大好き
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内部はまんま格納庫
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消費量は豚肉が一番、他に鶏肉、羊肉、牛肉
内臓から頭まで残らず食べる -
豚の内臓の、大変珍しい部分らしい
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チキンのスモーク。おやつ代わりにそのまま食べたり、ほぐしてサラダにしたり。
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ラトビアの養命酒?薬草がいっぱいで、強烈
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いろんなフルーツ味のミルクヌガー
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チーズもいろいろ
左奥の便は、まったく未処理の牛乳。沈殿ができるほどフレッシュ。 -
夏至祭りに食べる伝統的なチーズ、熟成は一晩でフレッシュでおいしい
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ペストソースのカナッペ。バジル味だったりピリカラだったり。
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ワインがほしくなる~
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灰色えんどう豆とベーコンの煮たもの。昨日も食べたけど、素朴でえいようたっぷり
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魚は燻製が主流。この市場の地下で燻製処理したしんせんなものばかり
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いろんなピクルスがいっぱい
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ザクロジュース味や、ニンニク味や、いろいろ
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ミニキュウリやトマトの浅漬け。
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これ、フレッシュでめっちゃおいしい。夏限定の味覚
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ハーブをいっぱいつけて燻製にしてる
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生魚もあります。サーモンにウナギ、右はタラかな?
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小さなニシン、左が酢漬け、右は生。新鮮でおいしい!!
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クワス。黒パンを発酵させた、スラブの夏の定番ドリンク。ほんのり甘くい
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チョコレート屋さん
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チョコレート屋さんで。お花が乗ってました
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仕上げはドーナツ。めっちゃ素朴。
あーおなか一杯楽しかった~ -
シナゴーグへ。
リガには、ロシア帝国時代の19世紀後半、ユダヤ人が本格的に移住し始めた。当時ロシア帝国の中で、ラトビアは工業的・商業的に発展しており、多くのユダヤ人はよりよい生活を求め、またビジネスの発展のために移住したようだ。1935年の時点でリガには4万4千人、人口の11.3%ものユダヤ人が暮らしており、ヨーロッパで最も反映しているユダヤ人共同体だった。
1940年にソ連がラトビアに侵攻し、リガの「人民の敵」は次々とソ連本国の強制収容所に送られ、その中にはユダヤ人も数千人含まれていた。(が、この後ナチスがリガを占領してユダヤ人を殺戮したので、ソ連の強制収容所にいたユダヤ人は生き延びた、という皮肉)
1941年にナチスドイツ軍がリガを占領し、直ちに市内のシナゴーグは焼き払われた。このシナゴーグは、稠密な旧市街の中にあったため、周辺の重要な建物への延焼を恐れたため、建物は生き残った。
すぐにユダヤ人の大量銃殺が行われた。生き残ったユダヤ人のうち、有用な労働者5000人は小ゲットー、それ以外は大ゲットーに収容された。大ゲットーの住民は直ちに全員殺されることになり、リガ郊外の森で銃殺された。空になった大ゲットーにはドイツやウィーン、プラハから移送されたユダヤ人が収容され、やがて森に連れていかれて殺害された。
1944年にソビエト赤軍が例がを開放した時、生き残っていたリガ・ユダヤ人は隠れていた150人だったという。 -
奇跡のように生き残ったシナゴーグ。奇跡のように美しい。建物だけでなく、聖なる書籍・トーラも生き残ったという。
現在、ラトビアに2か所残ったシナゴーグ。 -
15時からは、ソビエト・ツアー。ソビエト時代の話を聞きながら町を歩く。
ガイドさんは1980年代生まれ、ラトビアの独立の時期には地方在住の子供だった。その個人的な体験も交えながらの話は、とても臨場感があり、胸を打つものだった。
ここには、ソビエト時代、ライブハウスがあって、ソ連の厳しいコントロールのもと、西側の音楽が聴ける場所だったという。今はカラオケが入っている。
またこの周辺の広場は、西側のレコードのコピーが帰る闇市だったそう。
1991年のソ連内務省特殊部隊のラトビア内務省占拠事件の時7歳だった -
1989年8月23日、エストニアのタリン、ラトビアのリガ、リトアニアのビリニュスまでの675キロを、約200万人の人々が、ソ連からの独立を求めて15分間手をつなぎ、「バルトの道」と言われる人間の鎖をつないだ。
これはその記念のプレート。
50年前のこの日、ナチスドイツとソ連の間に秘密協定が結ばれ、バルト三国はソ連の勢力圏に密かに引き渡された。バルト三国の人々は、この「歴史の嘘」に抗議し、独立回復と真実の告発を世界に訴えた。
当時はゴルバチョフ政権下のペレストロイカで、独立運動が盛り上がったとはいえ、運動のたびに多くの逮捕者がでており、この運動は、全体像を誰も知らないように入念に計画された。参加にあたっては、逮捕される理由を作らないよう、何があっても絶対に抵抗しないこと、できるかぎりカメラやビデオカメラで撮影し、何かあったら西側メディアに渡すこと、が徹底され、非暴力・非武装・無言のデモンストレーションとして行われ、15分後、誰も逮捕されることなく、解散して帰宅したという。
三国合わせても人口は6~700万人だから、実に3人に一人が参加したことになる。
ガイドさんは当時7歳?の子供で、テレビでこれを見ていたという。そして、はじめて、「It is OK to be Latovian!」と思ったという。それまでラトビア人は、ソビエトにおいては2流の存在で、パン屋でラトビア語を話すと、ロシア人の店員に怒鳴られたという。それがテレビの中で、人々が民族衣装を着て、ラトビアの旗をもって、手をつないで独立求めているのをみて、ああ、自分はラトビア人でいていいんだ、と思ったのだという。 -
ずっとラトビアの独立の象徴であり続けた自由記念碑は兵士によって守られている
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運河沿いの公園に点在する石。
1991年1月に起きた、ラトビアにおけるソ連特殊部隊による内務省占拠事件で犠牲になった人の名前が彫られている。
当時、バルト三国がソビエトから独立を求める中、ソビエト側から3国に様々な妨害工作があった。3国は互いに連帯を深めつつ、ソビエトの介入を避けるため、ソビエトの法律にのっとって合法的に、かつ非暴力で独立を進めること、そして何かあったら3国が一緒に行動すること、を約束していたという。
そんな中、1991年1月11日、ソ連の精鋭部隊がリトアニアの首都ヴィリニュスの主要施設、特にテレビ塔を占拠した。住民の非暴力的な抗議にかかわらず、ソ連側の攻撃により、14人の民間人が命を落とした。
これを見たリガの人々は、同じことが行われると予想し、鉄骨や家具を持ち寄り、街のいたるところにバリケードを築いた。案の定、1月20日にソ連特殊部隊の攻撃が行われ、銃撃戦の結果、民間人4名が命を落としたという。
ガイドさんはこの日、地方都市の自宅で家族が集まって彼の「名前の日のお祝い」(自分の名前の聖人の日を誕生日のように祝うのだそうだ)」をしていて、テレビで銃撃戦の報道を見たのだという。ソビエト時代、政治についてうっかり喋ってはいけない、特に子供の前で話してはいけなかったので、最初のうちに父親は、「何かのお祭りかなぁ」などとごまかそうとしたそうだが、皆黙ってテレビを見ていたそう。そして、テレビ局の女性アナウンサーが、「敵はこの建物に入ってきました。もうすぐ放送はできなくなります。でも私たちには、ラジオ局が残っています」と言って、突然画面は真っ暗になったという。彼のお祝いはそこで終わり、皆黙って家に帰った。 -
救世主生誕大聖堂。壮麗なロシア正教の教会。
ソビエト時代は教会としては廃止され、ドームを利用したプラネタリウムや科学博物館に使用された。現在は教会に戻され、壮麗な姿を取り戻した。 -
ラディソン・ブルー・ラトヴィア
上層にKGBの盗聴ユニットが設置されていたそう -
美しいユーゲントシュティールの住宅群。
ソビエト時代、多くの不動産は国家のものとして接収された。奥の黄色い建物は、豪華なアパートだったが、ソビエト各地から連れてこられた労働者の住居とされた。ここには多くのイスラム教徒が収容され、一部屋に一家族10人とか20人とか住むのも珍しくなく、トイレには綿密なスケジュール表があったり、大変劣悪な環境だったそう。
独立後、ソ連が接収した財産について、所有権が証明されれば本人や子孫に変換された。ユダヤ人の資産など、受け取るべき人がすべて死に絶えて受け取る人がいないものも多いという。右側の建物は持ち主の子孫が取り戻した。黄色の建物は持ち主が現れず、国の財産として民間の開発が進められているという。 -
ソ連の末期、経済活動の自由化が始まり、リガで最初にできた民営のカフェ。今でもカフェに使われている。
大変繁盛したそうだが、自由化に伴い、犯罪組織も跋扈するようになり、ここはその怖い人たちのたまり場でもあったそう。ある時、外国からリガの警察に、車が大量に寄付された。当時、西側の車は大変な高級品である。ところが、ほどなくその多くが消えてしまった。その時、警察の幹部がここにやってきて、店内の皆に向かい、「車がなくなった。明日の朝までに戻ってこないと、大変なことになるぞ」と警告して帰った。翌朝、車はすべて戻されていたという・・・ -
旧KGB本部「角の家」
KGB,と口にするのははばかられるので、角の家、といわれたそう。地下に拘置施設や処刑室などを、ガイドツアーで見ることができる。 -
このツアーはフリーツアーで、最後に自由意思でチップを払う形式。チップをあつめるのになぜかNHKのどーもくん!
ガイドさんは普段は学校の先生だそうです。素晴らしいツアーでした。 -
道端で子供がレモネード売ってました。パイナップル味。
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旧KGB本部。資料展示や、体験者の証言ビデオ。みごたえあり。
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古ゲルトルード教会。15世紀の教会で、旅人の守護聖人で、リガを旅立つ人はここにお参りしたそう。
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リーガはユーゲントシュティール(アールヌーボーのドイツ語読み)の宝庫。
このスタイルの流行がリガの建築ブームと重なり、1900年前後の十数年で膨大な数が建設され、市内中心部の建築の約4割はこの様式だと言われている。
とくに有名なのが、ユダヤ人建築家のミハイル・エイゼンシュテイン。大変装飾的。 -
こちらもエイゼンシュテイン。
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ずらっとならんでます
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ここで猫の世話係と遭遇!!
こちらの女性は近所に住むデザイナーさんで、主に舞台衣装を手掛けているが、20年ほど前に新婚旅行で日本に行き、日本が大好きだって!猫の話や旅の話で盛り上がったー -
リガは冬が寒いので、野良猫は少ないそう
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猫用?カーペット付きの窓
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豪華アパートのテラスに、なぜか猫のプロポーズ・・・
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どこみても豪華な建物ばかり
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この後お船に乗るので、その前に腹ごしらえ、巨大なケバブラップ 美味しかった
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公園でヨガ
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この船で運河と川をめぐる
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運河で橋をくぐって
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これは白鳥のおうち。白鳥はいなくなちゃった
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噴水があったり
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鳥がいたり。ビーバーもいた!!
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市場の横を通り
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川に出た!鉄道の鉄橋
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ユニークな建物の中央図書館
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斜張橋がおしゃれ
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旧市街が見える
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リガの港のシンボル
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現在の物流の港はあちら
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ホテルに帰る道々、スウェーデン門。ここを出たあたりがスウェーデン人が多く住んでいた
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城壁の外から見るとこうなってる
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広場は夜中までにぎわってる
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夜食にチョコレートフォンダンケーキとビール 最悪だ~
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音楽やってました
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