2025/08/13 - 2025/08/13
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tokyopigletさん
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リトアニアのビリニュスからラトビアのリガまで、片道ドライブツアー。
リトアニアの抵抗の象徴・十字架の丘や、ラトビアの貴族の宮殿など
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パン屋さんで朝ごはん
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お魚サンド 美味しい
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今日は、リトアニアのヴィリニュスからラトビアのリガまで、観光しながら移動するツアー。反対向きもあって、すごく便利。
ツアーメンバーは、日本人シニアカップル2組、アメリカ人女性1人、イタリア人カップル1組。
このアメリカ人女性が、バルセロナのアメリカ人学校の先生で、過去には中近東やペルーでも教えていたというつわもの。話題も豊富で、リトアニア人ドライバーとともにいろんな話をしてとても楽しい道中だった。 -
十字架の丘。リトアニアの宗教と抵抗の象徴の聖地。
北部リトアニアの中心、シャウレイの郊外にある。小さな丘に無数の十字架がひしめき合っている。墓ではないので、死体は埋められていない。
ここにいつからどういう理由で十字架が置かれたかは定かではない。病気の娘のために建てたら娘の病気が治ったとか、伝説はいくつかあるというが、古い記録では最初の十字架は1831年のロシアに対する法規の後、処刑や流刑にされた人々の鎮魂のために建てられたらしい。
以来ここは、抑圧された民族・宗教の象徴とされてきた。ソ連時代はこの丘は禁忌とされ、なんどもブルドーザーでなぎ倒され、焼き払われた。その都度人々は夜陰ににまぎれて十字架を立て来た。禁煙は十字架建立がますます盛んになり、今は10万ともそれ以上ともいわれている。
1993年、隣国ポーランド出身の教皇ヨハネパウロ2世がリトアニアを訪問した際、ここを訪れ、ミサを上げた時はこの丘の周辺は無数のリトアニア人で埋め尽くされたという。 -
いろいろな捧げものが
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2000年に建てられたカトリック修道院
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私も小さな十字架を捧げて、世界平和祈った
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ピスタチオドーナツ
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リトアニアの巡礼路に組み込まれている
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ツアーの車はリトアニアから国境を越えてラトビアへ
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ラトビア北部のバウスカ郊外の、ルンダーレ宮殿。バルトのヴェルサイユ、とも言われる、18世紀バロック様式の豪華な宮殿。
ロシアの女帝アンナに愛され、貧しい貴族からクールランド公(ラトビアのこの周辺の地域)にまで昇格した、ビロン公の夏の宮殿。建築家はサンクトペテルブルグの冬宮などを手掛けたイタリア人のラストゥレリ。
ビロン公は女帝アンナ以外には大変嫌われた人物らしく、女帝の死亡により失脚、シベリア流刑にもなった(晩年には許されてこの地に戻った)。 -
宮殿のキッチン。天井から肉をつるす鈎が下がり、巨大な鍋が並ぶ
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城の広間。
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食堂。どこ行ってもきれい
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ビロン公夫妻
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公の寝室
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公のお風呂
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夫人の居間、薔薇の間
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夫人の更衣室
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夫人のトイレ
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広大なフランス庭園
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花が咲き乱れてとてもきれい。
花の好きな友人に送ろうとこの写真を撮って -
こちらのカフェで食事にし
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鮮やかなビーツの冷たいスープと、穀物とフルーツのデザート
ここで突然受け取ったメールで、友人が亡くなったことを知らされた。花や音楽やきれいなものが大好きで、このお城の写真を送ろうと思っていた、まさにその時。最近体調が悪いとは聞いていたが、ほんの数日前、私の誕生日に真っ先にメールをくれて、お互い健康第一で、と言い合ったのに・・・しばし呆然と青空を仰いだ -
バウスカ城。バウスカは川の合流点の街で、リトアニアとの貿易の中継地として発展した。城は15世紀に建てられ、16世紀にはクールランド公の居城として宮殿が整備された。18世紀にロシア軍に破壊され、古い城は廃墟となった。
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塔からは周辺が遠くまで見渡せる。2つの川の合流点で、防備の堅い天然の要害
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陸地側の入り口には、大変高い土手と堀が築かれて見事
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夕方、リガに到着。ラトビア・ライフル部隊のモニュメント。
ソビエト時代、ラトビアのライフル部隊は勇猛果敢で有名で、スターリンの警護をし、また対ドイツ戦線でも活躍しするとともに多くのラトビア兵が戦死したという。ソビエト時代の重量感のある彫像。 -
広場では高校生?中学生?の吹奏楽団が
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ブラックヘッドの会館。ハンザ同盟の都市において、未婚の貿易商人の友愛会ブラックヘッドの拠点で、元は15世紀の建物が1941年にドイツ軍の砲撃で破壊され消滅したものが、1999年にリーガ創設800年を記念して再建された。正面の4つの像の上には、リーガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメンの4つのハンザ同盟の都市の紋章が掲げられている。
会館前の市庁舎広場は、中世には市が立ち、祭りや魔女の火あぶりなどの刑罰も行われた。 -
歩いてホテルに。旧市街の端に立つ近代的なホテルで、居心地よし。
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壁のパイプのタオルドライヤーで洗濯物がよく乾く~
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窓からの眺め
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本格的な観光は明日からだが、夕方から、食事を兼ねてリガ市内を散歩。コンパクトな街
ここは聖ゲオルギ教会。12世紀にたてられた帯剣騎士団の城の一部で、現存するリーガで最古の建物。宗教改革以降は倉庫となり、現在は工芸とデザインの博物館。 -
夕飯はリトアニア名物?灰色えんどう豆をベーコンと煮たもの、バターミルク(牛乳からバターをとった残りの液体)と一緒に食べる。素朴でおいしい。
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デザート。ライ麦パンから作られたペーストにクリームとベリー。バルト三国ではよく見かけるデザート。滋味豊かでおいしい。
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は、初めてネコ見た!!
野良猫はほとんどいない。冬寒いし、無理みたい。 -
リーガのシンボル「猫の家」
裕福なラトヴィア商人の家だったところ。背中を膨らまして、やるんかやるんか?の先頭ポーズ? -
建物のエントランスは見事なユーゲントシュティール
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大ギルド・コンサートホール。リーガの経済を牛耳ってきた大ギルドの会館。現在の建物は19世紀
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火薬塔。14世紀にたてられ、17世紀に再建された。現在は軍事博物館
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運河の公園
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運河沿いの浄水場(たぶん)
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自由記念塔。1935年にラトヴィアの独立を記念して建てられた。塔の上の女性は、ラトヴィアの3つの地域の連合を表す3つの星をかかげている。デザインは公募、建築資金は寄付によって賄われた。ソ連時代には「3つの星はバルト3国でそれを支える女性はソビエト連邦」と解釈?こじつけ?られ、壊されることはなかったが、近づくだけでシベリア送りとうわさされるなど、ラトヴィアの自由と抑圧を象徴する場所。
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夕方には町はそぞろ歩く人でいっぱい
今日は疲れたし、早く寝ます・・・
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