2025/06/07 - 2025/06/07
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wethurlさん
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ふと導かれるように、新幹線に飛び乗り、近鉄ひのとりに。初めての大和八木から、八木西口で降りて、畝傍駅まで歩く。桜井線に時間があり、駅前の春日神社を参拝。天理まで万葉まほろばにのり、駅の中華食堂で心地よいなら言葉につられ、地元の人に愛されていることがうかがえる中華そばをいただく。タクシーで念願の石上神宮へ、カバー写真に、神の道が映る。ご本殿や由緒ある摂社末社、そして禁足地を拝む。かえりはとぼとぼ天理の町を歩くも、かなりのカルチャーショック、良い意味で。一駅長柄まで乗り継いで、素朴な田んぼや林をいくと、電気工事中のあぜ道を抜け、大和神社へぬけられる。帰りに地元の素戔嗚神社をお詣りし、無人駅でのんびり桜井までの列車を待つのです。
- 旅行の満足度
- 4.5
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ひのとり、初めてです。満員でにぎやかでした。
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八木西口から、畝傍駅まで歩きます。素朴な駅舎と周囲に、すこしおどろきます
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次の列車待ちに、向かい側の春日神社をお詣りします。
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隣接する八木寺と関係が深いようです
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御祭神は、もちろん天児屋根命、武甕槌命、姫大神、そして経津主命
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良い参拝でした。万葉まほろば線に向かいます
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駅の奥にある町中華でそばをいただき、タクシーで参道まで連れてきていただきました。途中の天理建築群、またまた驚きです。
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歴史ある碑。このあたりから、気がひきしまるのです
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鳥居をくぐります。雨空を見上げます。
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境内はきれいに砂利が整えられております。
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物部氏の総氏神、楼門は1318年に建立されたことが知られ、重要文化財です
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「萬古猶新」の字は、山縣有朋の筆、見事です
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禁足地をささやかにのぞむ。映すことはできないが、静かで厳かである
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鎌倉時代初期の建立と考えられる拝殿、現存する最古のもので国宝指定
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『万葉集』に「石上布留の神杉…」と詠われる神杉が、境内にはいくつかある
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御祭神は、布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神。それぞれ、神剣「韴霊」に宿られる御霊威、「天璽十種瑞宝」に宿られる御霊威、「天十握剣」に宿られる御霊威神剣、なのです
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「韴霊」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承どおり、明治7年に大宮司が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土し、神剣「韴霊」が顕現されたのです
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東側に沿っていく。向こうは、禁足地である「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」「御本地(ごほんち)」、「神籬(ひもろぎ)」ともいわれる場所か。
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長生殿の垣根を左手に山の辺の道を進んで行くと、右手森の方向に禁足のしるしあり。深き木々へと続く、雨が滴り、風がたなびく。何かを、感じる。
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摂社天神社は、高皇産霊神・神皇産霊神をまつる
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右の七座社には、生産霊神・足産霊神・魂留産霊神・大宮能売神・御膳都神・辞代主神・大直日神をお祀り
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屋根の苔むした様子が、なんとも言葉が出ないですね
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草薙剣の荒魂である出雲建雄神をお祀りした式内社。写真を忘れました
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出雲建雄神社が高い位置にあり、そこからご本殿を臨める
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奥には末社の猿田彦神社。底筒男神、 中筒男神、 上筒男神、 息長帯比売命を配祀神としてお祀りしているそうです
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境内には鏡池があり、遊歩道になっている
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丸い石畳が見事です。鶏たちも、散策しています
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色とりどりの鳥たちが、すんでいます
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天理のアーケード、昭和にタイムスリップしたよう、なつかしさがわいてきます。若き信者の方も数多く、黒き法被を着て、生き生きとすれちがいました。立派なご本殿?も印象的でした。
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たった一駅、無人の長柄駅でおり、良い感じの田舎道を北上、細い右折道に工事の方がおられ、どうも電気工事中にて、指示の下で農業池の脇の畔道を、神社方面にぬけていきます。林の中を、参道の途中に出てまいりました
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二の鳥居まで戻り、あらためて拝します。奥には、朝和地区戦没将士260柱の慰霊碑がございます。
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猿田彦神、天鈿女命、神武天皇の功臣である椎根津彦の子孫、市磯長尾市氏命を祀る、増御子神社です。
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大きな開運絵馬が目立ちます
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戦艦大和ゆかりの石碑
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ご由緒によれば、日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)は大地主大神(おおとこぬしのおおかみ)で、宮中内に天照大神と同殿共床で奉斎されたといいます。
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崇神天皇がその神威をおそれ、天照大神を皇女豊鋤入姫命をして笠縫邑に移されたときに、皇女淳名城入姫命(ぬなきいりひめ)に勅して、市磯邑(大和郷)に移されたのが創建であると伝えられるそうです。
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とするならば、大神神社とのご関係はいかがなのでしょうか?
ウエッブサイトには、川畑信雄氏による詳しい考察が掲載されていますが、「狭井神社、檜原神社は共に明治10年以降大神神社社の摂社となりましたが、その以前は大和神社と大いに関係があり狭井神社は別社であったようです」との記述もありました -
参拝者は少ないのですが、啓けた気を感じました。
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あらためて静かに拝殿をうつさせていただいたのです
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高龗神社、ご祭神は雨師大神、即ち水神様です
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雰囲気が一変しますね
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10年に一度の大祭には、和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から千人余りも参拝者の列が続いたとあります
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おとなりには、磐座です。右の石は、ヒンドゥーのリンガみたいですが、、。
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駅に戻る民家の間に、素盞鳴神社(新泉町)。元は字南池辺の小丘に鎮座して「一本木さん」と呼ばれていたが、昭17年に柳本飛行場が作られたとき、現在の場所に移されたとある。八町四方と巨大な神域で、大和神社の四至を固めていたという。
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写真が増えたので、いったんブレイクいたします。これは晩に一杯だけ、名前にひかれたお酒です。
歴史重ねた土地に、木々や水、作物の実りを感じます。
歩くことで、じっくり伝わります。
このあと、桜井へ移りました。
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