2024/10/11 - 2024/10/12
36位(同エリア463件中)
RAINDANCEさん
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富山県南西部、南砺市の南部に連なる山あいの集落群である五箇山を訪れました。飛越地方庄川上流域に連なる白川郷とともに、下流域の五箇山も合掌造りの集落群で知られています。白山信仰の天台宗やその後の浄土真宗といった深い信仰のもとで、結の精神による結束と伝承により日本の原風景が残る地域です。
★「菅沼集落」と「相倉集落」を含めた五箇山の谷あいを巡り、日本最古の民謡とされる「こきりこ節」などの伝承文化を知る。
★上梨集落の温泉宿に泊まり、五箇山の郷土料理と温泉を満喫。
[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎地酒…三笑楽酒造
◎五箇山豆腐
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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一時帰国の旅は富山県から入り、岐阜県の飛騨高山(秋の高山祭)・白川郷(合掌民宿)を経て、再び富山県に戻って南砺市の五箇山を目指します。五箇山は「赤かぶの里」であるらしい。
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五箇山といえば「相倉集落」と「菅沼集落」なのでしょうが、通るルートの順番を考慮し先に寄るべき場所があります。それは、西赤尾町の「岩瀬家」です。
国指定重要文化財 岩瀬家 名所・史跡
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岩瀬家は、高さ8間(約14.4m)の、日本最大級の5階建て合掌造り家屋とされています。
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日本最大級だけあって、デカいです。白川郷の和田家もデカかったがここもデカい!明治時代までは35人もの大家族が暮らしたらしい。
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岩瀬家はおよそ300年前、加賀藩の上煮役(火薬の原料である塩硝を徴収し藩に納める役職)だった藤井長右エ門が、8年もの歳月をかけて建てたとされます。
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3~5階は養蚕の作業場となっています。
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囲炉裏からの暖を上げやすくする為、上階の床板は隙間があります。
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ここが最上階の5階。釘などの鉄や金物を一切使わずに縄とネソで結びあげて造られているのがよくわかります。
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当主が囲炉裏端で歴史などを説明してくれます。その中で…移築してきた古民家もある白川郷と違い、五箇山は古来から現存する本物の合掌集落…的な論文を見せながらのアピールがございました。白川郷と五箇山は恐らく良きライバル関係なのですね。…どちらも日本の原風景として遺っていって欲しいです(汗)。
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海外からの観光客には英語の説明。これは、お客さんが別途手配したパッケージツアーかな?
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五箇山地方に伝わり日本最古の民謡とされる「こきりこ節」と、「こきりこ踊り」まで披露していただきました。これはたまたま外国人客と居合わせたから?…だとしたらラッキー。「マドのサンサはデデレコデン♪ ハレのサンサもデデレコデン♪」
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こきりこ節の中で使われる伝統楽器「ささら」に妻も挑戦。108枚の桧板を紐で繋いだ楽器です。この後、お土産に名産の「赤カブの漬物」を買って、岩瀬家をあとにします。
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お隣の「行徳寺」にも寄っておきましょう。茅葺きの山門は300年ほど前の建築とのこと。
行徳寺 寺・神社・教会
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五箇山といえば浄土真宗…そのお寺で、室町時代末期に開かれたそうです。
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山門と庫裏は南砺市の有形文化財に指定。
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続いて、菅沼合掌造り集落の少し手前で「五箇山合掌の里」に立ち寄り。国道156号線のここから左へ降りていきます。
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移築された合掌造りが13棟も集められている、所謂なんちゃって合掌集落です。
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そのいくつかはコテージとして宿泊もできる様です。
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合掌造りに泊まってみたいという方々の需要に応えるため、また実際の集落への観光客の集中を避けるため、このようなエリアは必要なのかもしれませんね。
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とはいえ、平日ということもありましたが、観光客は誰一人見かけず閑散としておりました。
五箇山合掌の里 名所・史跡
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そして、「菅沼合掌集落」にやってきました。集落の上に大きな駐車場があり、エレベーターか徒歩で集落へ降りられます。
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展望スポットから集落を見たところ。集落は重伝建保存地区でもあります。
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庄川の河岸段丘にある菅沼集落には現在9戸の合掌造り家屋が残っているとのこと。
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1995年(平成7年)に世界文化遺産に登録されました。
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集落内の小道はアスファルト舗装などされておらず、昔ながらの風情をキープする試みが感じられます。
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住民が居ますので、当然ながら選挙は普通に行われるのですね。
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まずは、「五箇山民俗館」へ。この合掌造り建屋は、改造がほとんどされてないらしい。
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五箇山の山村の暮らしで使われた生活用具が多数展示されています。
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これは村上家でも登場した、こきりこ節の中で使われる伝統楽器「ささら」。外国人観光客が挑戦中。
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上の階には、おなじみの養蚕です。
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江戸時代中期には、合掌造り家屋は養蚕などの生産工場兼住居だったわけですね。
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続いて、五箇山民俗館の付属館である「塩硝の館」にも入ってみます。
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加賀藩政時代の五箇山の一大産業であった塩硝(黒色火薬の原料)の製造を展示説明する資料館です。
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塩硝の材料であるヨモギ・麻・サク等の採取から、積み込み~灰汁塩硝煮詰め~上煮塩硝作り~出荷までの過程を人形などで再現。
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中世後期、本願寺勢力の軍事機密であったという火薬製法が、勢力下のここ五箇山にも伝わった様です。戦国時代最大の宗教的武装勢力である本願寺勢力と、天下取りを目指す織田信長との軍事・政治決戦「石山の戦い」では、紀州の雑賀衆を雇った鉄砲部隊が織田信長を苦しめたのですが、それを支えたのが五箇山の火薬だった…というのは興味深い新たな知見でした。
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食堂兼売店でお土産を物色。
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エレベーターで駐車場へ戻ります。
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菅沼集落の後に続いて向かうのは、もう一つの有名な集落である「相倉(あいのくら)合掌造り集落」。途中、日本最古の民謡とされる「こきりこ節」が伝承されている「こきりこの里」である上梨地区を通過します。…あとでここには戻ってきます。
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相倉集落に着きました。こちらにも、広い観光駐車場が整備されています。
相倉合掌造り集落 名所・史跡
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相倉合掌集落には、20棟ほどの合掌造り家屋が現存しているということで、そうすると菅沼より少し大きいですね。
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まずは、集落の全景が望める展望スポットへ。
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山あいの集落。こちらも重伝建保存地区。
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展望スポットから降りて集落へ向かいます。「ジャンボかぼちゃコンテスト」に向け鋭意挑戦中でした。
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菅沼集落で「民俗館」や「塩硝の館」に入館しましたので、相倉では集落を散策しながら合掌造りの外観のみを楽しもうと思います。さっそく目に入ったのは「合掌民宿 勇助」。
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右手に「相倉地主神社」があります。創建時期は不詳で、相倉集落の守護神として崇敬されてきたそうです。
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本殿、拝殿。
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浩宮徳仁殿下(現・天皇陛下)が1976年(昭和51年)に訪れた際の写真がありました。
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「お休み処・茶店 まつや」、郷土料理がいただける様です。
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原始合掌造り「三郎」(旧岩本家)。説明板によると、昭和の初年まで岩本姓のお婆さんが一人で住んでいたそうです。「ナンマンダブツ建て」と呼ばれた様式の家屋で、五箇山に残るのはこの一棟のみらしい。
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一般の民家もほぼすべて合掌造り。
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ここにもありますね、「ささら」。ミニチュアが売られていました。
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ミニ展望所。
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展望というにはちょっと無理があるかも。
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「相倉伝統産業館」には入館せず。
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「合掌民宿 なかや」。合掌民宿はやはり白川郷が人気の様ですが、もし白川郷で取れなければ相倉も良いんじゃないでしょうか。私たちも実際そのつもりでした。白川郷で取れたので相倉には泊まりませんでしたが。
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相倉集落をあとにし、「こきりこの里」である「上梨集落」に戻ってきました。五箇山の観光はここが最後です。
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ここに建つのが「村上家」、約350年前の建築当時の様式を伝える貴重な合掌造り家屋です。
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安土桃山時代の天正年間に建てされたと伝えられ、戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の古式の遺構が残っているのが全国でも類を見ず貴重なのだとか。
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ここも、玄関にいきなり塩硝製造のインフラ。
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ここも最大級の合掌造りであり、大きな広間です。
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秋篠宮さまと紀子さま。
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この家ももれなく養蚕です。
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そしてもれなく、釘を使わない縄とネソ。
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和紙製造等の民族資料も展示され、五箇山の生活史を見ることもできます。当主が囲炉裏を囲みながら語ってくれますが、岩瀬家でも聞いたのでこれはパスしました。
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さて、最後を「上梨集落」にしたのにはワケがあります。この集落の山手にこの日の宿「五箇山荘」があるからです。その宿に向かう川の向こうに「流刑小屋」があるので…
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…そこに立ち寄ります。江戸時代には、五箇山は加賀藩の流刑地となっていました。ここに復元された「田向の流刑小屋」があります。(市および県の有形民俗文化財)
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中を覗くと…ちょっと怖いです。橋を渡ったこのエリアは、かつては籠の渡し以外では川を越えられず、奥の山も越えられないことから、この辺りが流刑地の適地とされた模様。
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さて、そのかつて流刑地に建つのが、この日の宿「五箇山荘」です。
お手頃な料金で五箇山の魅力を感じることができる貴重な温泉宿 by RAINDANCEさん五箇山温泉 国民宿舎 五箇山荘 宿・ホテル
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フロントとラウンジ。
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客室。
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洗面所とトイレ。バスルームはありませんが、温泉があるので問題ありません。
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お着き菓子は「五箇山せんべい」。
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客室の窓からは、五箇山の山並み。
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まずは楽しみにしていた温泉へ。五箇山では、白川郷に続いて合掌民宿に泊まるという選択肢もあったのですが、温泉の誘惑に負けました。
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源泉は100%利用されており、加温された状態で大浴場と露天風呂に供給されています。五箇山は全国的に有名な温泉地とは言えませんが、一時帰国の私たちにとっては充分に魅力的。
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サウナと水風呂。
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そして露天風呂。
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久々の温泉…そして山々が望める露天風呂は最高でした。泉質も塩素臭は無く満足できるものでした。
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温泉のあとは夕食です。
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おしながきはこちら。
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名物の「五箇山豆腐」もしっかり織り込まれています。
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五箇山の酒造「三笑楽」の飲み比べセットとともに。
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左上:イワナの塩焼き
右上:五箇山豆腐と野菜の天ぷら、
左下:五箇山豆腐と山菜の炊き合わせ
右下:茶わん蒸し -
日本酒追加で、期間限定のひやおろし純米酒。
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南砺産新米コシヒカリと味噌汁、香の物。
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デザートの栗蒸し芋ようかんとお茶で締めます。あぁ、久しぶりの美味い日本酒と、ニッポンの旅館メシ…腹に沁み渡りました。
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この宿では、夕食後に日替わりで民謡の無料披露があります。この日は「麦屋節(むぎやぶし)」でした。なんと演じておられるのは、チェックインで対応されていたスタッフの方です。オールラウンドなおもてなし有難うございます。
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翌朝…天気は良いみたいです。まず朝風呂へ。
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そのあと朝食です。品数豊富でボリューム満点。卵かけご飯がうれしい。アメリカではなかなか食べられないので。
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近年は日本の宿泊施設でも、ウエルカムや食後の無料カフェがあるのは当たり前になってきましたね。
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かつての流刑地は、現在は癒しの地に変貌しておりました。仕事を忘れてしばらく流されていたいくらいです。
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そして五箇山をあとにします。「五箇山」の名の由来は、五つの集落が山あいの箇(=谷の意がある)に連なっていることから来ているとも(諸説あり)。またこの地は、およそ八百年前に源平の戦いに敗れた平家の落人が逃げのびて来た場所とも伝えられてます。(平家の落人伝説は山奥の至る所にありますが…)
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山に閉ざされた奥地に、鎌倉時代頃に浄土真宗が根付いたことで、信仰と結束による「結」の精神が受け継がれ人々の暮らしを支えてきた…これが、先に訪れた白川郷と同様に、いやむしろこの五箇山の方が鮮明に、日本の原風景を今日まで残して来れた背景なのかもしれない…そんな風に感じます。
さて、五箇山および山間部をあとにしこれからは都市部へ、次の目的地である高岡へ向かいます。
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