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以前から行きたかった龍野市へ。<br /><br />忠臣蔵ファンの夫も浅野内匠頭とゆかりのある脇坂氏のお城、龍野城にも興味があり、お城やその周りの武家屋敷、そして<br />三木露風の生家など、見どころ満載でした。<br />ランチも美味しく楽しい一日でした♪♪<br />静かな城下町、お醤油の街としても知られていますが、ヒガシマルのお醤油資料館も面白い資料館でした♪♪<br /><br />まずは、歴史資料館とお城の御殿、庭園をめぐります。<br />自然も歴史も豊かな龍野を楽しみました♪♪<br /><br />短い滞在でしたけれど、たくさん写真を撮ってしまったので、<br />三回に分けて書きました♪<br />

兵庫さんぽ  歴史のまち、自然も美しい龍野市へ♪♪(前編)脇坂氏の龍野城と資料館へ♪♪

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2025/05/22 - 2025/05/23

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hijuno

hijunoさん

この旅行記のスケジュール

2025/05/22

この旅行記スケジュールを元に

以前から行きたかった龍野市へ。

忠臣蔵ファンの夫も浅野内匠頭とゆかりのある脇坂氏のお城、龍野城にも興味があり、お城やその周りの武家屋敷、そして
三木露風の生家など、見どころ満載でした。
ランチも美味しく楽しい一日でした♪♪
静かな城下町、お醤油の街としても知られていますが、ヒガシマルのお醤油資料館も面白い資料館でした♪♪

まずは、歴史資料館とお城の御殿、庭園をめぐります。
自然も歴史も豊かな龍野を楽しみました♪♪

短い滞在でしたけれど、たくさん写真を撮ってしまったので、
三回に分けて書きました♪

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車 徒歩
  • まず資料館へ向かいます。<br />お庭があって、お城ゆかりの石造物が展示されています。

    まず資料館へ向かいます。
    お庭があって、お城ゆかりの石造物が展示されています。

  • こちらの石、脇坂氏の家紋が入っているらしいですが、、ちょっと見当たりませんでした。

    こちらの石、脇坂氏の家紋が入っているらしいですが、、ちょっと見当たりませんでした。

  • 江戸上屋敷に入った脇坂の御殿の庭石だったものだそうです。

    江戸上屋敷に入った脇坂の御殿の庭石だったものだそうです。

  • 手水鉢があります。<br />たしか、こちらが1857年の銘のあるもの。。<br />おなじく江戸上屋敷にあったもの。

    手水鉢があります。
    たしか、こちらが1857年の銘のあるもの。。
    おなじく江戸上屋敷にあったもの。

  • 説明があります。

    説明があります。

  • こちらも江戸上屋敷の稲荷社に設けられていた手水鉢だそう。

    こちらも江戸上屋敷の稲荷社に設けられていた手水鉢だそう。

  • ここはお城の復元された櫓のようです。

    イチオシ

    ここはお城の復元された櫓のようです。

  • 龍野歴史文化資料館です。

    龍野歴史文化資料館です。

    たつの市立龍野歴史文化資料館 美術館・博物館

  • 龍野城城下町の様子が模型で。

    龍野城城下町の様子が模型で。

  • 昔の公印がありました。

    昔の公印がありました。

  • ビデオコーナーがあります。<br />夫が熱心に観ていました。

    ビデオコーナーがあります。
    夫が熱心に観ていました。

  • 龍野の歴史年表とパンフレットなど。

    龍野の歴史年表とパンフレットなど。

  • 古地図。<br />龍野城と城下町

    古地図。
    龍野城と城下町

  • 脇坂家の家系図。<br /><br />それぞれの藩主が活躍していたことがよくわかります。<br />江戸幕府と強い結びつきがあったことがよくわかります。<br /><br />龍野城主 脇坂安政は1672年に飯田より龍野へ。のち200年に及び龍野をおさめます。<br />初代の脇坂安治は賤ケ岳の戦いにも参戦、3代の安政の時代には外様大名から譜代大名へと変わっています。<br />4代の安照は赤穂事件のあと赤穂城の請け取りの任、在藩の任などをにないます。<br />10代の安董は寺社奉行、老中、朝鮮通信使出迎え副使、11代の安宅も寺社奉行、京都所司代、老中を務めています。

    脇坂家の家系図。

    それぞれの藩主が活躍していたことがよくわかります。
    江戸幕府と強い結びつきがあったことがよくわかります。

    龍野城主 脇坂安政は1672年に飯田より龍野へ。のち200年に及び龍野をおさめます。
    初代の脇坂安治は賤ケ岳の戦いにも参戦、3代の安政の時代には外様大名から譜代大名へと変わっています。
    4代の安照は赤穂事件のあと赤穂城の請け取りの任、在藩の任などをにないます。
    10代の安董は寺社奉行、老中、朝鮮通信使出迎え副使、11代の安宅も寺社奉行、京都所司代、老中を務めています。

  • 脇坂家の家紋があります

    脇坂家の家紋があります

  • 脇坂家初代藩主 脇坂安治の屋敷跡のパネルがありました。<br />154年に誕生しています。近江で生まれたんですねー<br /><br /><br />その後賤ケ岳の戦い、小牧・長久手の戦いにも参戦、朝鮮への出兵や関ケ原の戦いにも参戦しています。<br /><br />1585年には淡路 洲本城の城主になっており、お城の改築、天守の造営や上り石垣といわれる石垣、倭城(文禄・慶長の役のさいに日本軍が築いたお城)の経験をもとに石垣の大改修を行っています。

    脇坂家初代藩主 脇坂安治の屋敷跡のパネルがありました。
    154年に誕生しています。近江で生まれたんですねー


    その後賤ケ岳の戦い、小牧・長久手の戦いにも参戦、朝鮮への出兵や関ケ原の戦いにも参戦しています。

    1585年には淡路 洲本城の城主になっており、お城の改築、天守の造営や上り石垣といわれる石垣、倭城(文禄・慶長の役のさいに日本軍が築いたお城)の経験をもとに石垣の大改修を行っています。

  • 脇坂安治の座像の写真パネルがありました。

    脇坂安治の座像の写真パネルがありました。

  • 古代からの展示をとばしてしまいました。。<br /><br />羽柴秀吉からの書状など。

    古代からの展示をとばしてしまいました。。

    羽柴秀吉からの書状など。

  • 左から脇坂安治の肖像画、目がきらり。すごみがあります。<br /><br />そのお隣の二肖像画は息子の安元。穏やかな風貌でした。<br />説明によると、安元は儒学者林羅山とも交流があったようです。

    左から脇坂安治の肖像画、目がきらり。すごみがあります。

    そのお隣の二肖像画は息子の安元。穏やかな風貌でした。
    説明によると、安元は儒学者林羅山とも交流があったようです。

  • 古地図。<br /><br />初代の藩主により、龍野城の再建が行われました。<br />1499年に赤松氏により築かれます。<br />その後1672年に脇坂安政によって龍野城が再建されました。<br />1672年から1871年に至るまで、脇坂氏が10代にわたって藩主を務めてきました。<br /><br /><br />

    古地図。

    初代の藩主により、龍野城の再建が行われました。
    1499年に赤松氏により築かれます。
    その後1672年に脇坂安政によって龍野城が再建されました。
    1672年から1871年に至るまで、脇坂氏が10代にわたって藩主を務めてきました。


  • 脇坂氏の家紋、輪ちがい紋です。<br />シンプルで美しい家紋だとおもいました。

    脇坂氏の家紋、輪ちがい紋です。
    シンプルで美しい家紋だとおもいました。

  • 黒塗烏帽子形 兜。<br />左右にちいさな家紋がみえます。<br />上品です。

    黒塗烏帽子形 兜。
    左右にちいさな家紋がみえます。
    上品です。

  • 関ケ原合戦の絵巻。

    関ケ原合戦の絵巻。

  • 10代藩主の脇坂安董(やすただ)は江戸時代最後の朝鮮通信使の日本側の副使を務めています。<br />その後は外様大名としては異例で老中も務めています。<br /><br />

    10代藩主の脇坂安董(やすただ)は江戸時代最後の朝鮮通信使の日本側の副使を務めています。
    その後は外様大名としては異例で老中も務めています。

  • 京都御所の平面図 「京師(けいし)・禁裡御所之図」11代当主 脇坂安宅が京都所司代をつとめていましたが、1854年に京都御所が炎上し、翌年に造営されますが、その際に関わった際のものだそうです。<br /><br /><br />宮内庁でも同様のものが残っているそうですが、こちらのものは保存状態がとても良いとのことでした。

    京都御所の平面図 「京師(けいし)・禁裡御所之図」11代当主 脇坂安宅が京都所司代をつとめていましたが、1854年に京都御所が炎上し、翌年に造営されますが、その際に関わった際のものだそうです。


    宮内庁でも同様のものが残っているそうですが、こちらのものは保存状態がとても良いとのことでした。

  • 一輪挿し。<br />こちらも脇坂安宅が「カタシボ竹」を使った一輪挿しも展示されていました。

    一輪挿し。
    こちらも脇坂安宅が「カタシボ竹」を使った一輪挿しも展示されていました。

  • こちらも秀吉からの書状。<br /><br />1586年に脇坂安治は淡路の洲本城に本拠地をおきます。<br />秀吉水軍の本拠地でした。

    こちらも秀吉からの書状。

    1586年に脇坂安治は淡路の洲本城に本拠地をおきます。
    秀吉水軍の本拠地でした。

  • こちらも貴重な資料のひとつだそうです。<br />仙石秀久が淡路から転出する際の田畑に関しての差出を集約したもので、<br />秀吉に提出された文書です。<br />この時期に配下の大名から提出された差出はこちらが唯一のものだそうです。<br /><br />所領単位や知行者がわかる資料です。<br /><br />この二冊目の奥には秀吉の奥書があり、家臣に知行地を与える一連の手続きが記されているそうです。

    こちらも貴重な資料のひとつだそうです。
    仙石秀久が淡路から転出する際の田畑に関しての差出を集約したもので、
    秀吉に提出された文書です。
    この時期に配下の大名から提出された差出はこちらが唯一のものだそうです。

    所領単位や知行者がわかる資料です。

    この二冊目の奥には秀吉の奥書があり、家臣に知行地を与える一連の手続きが記されているそうです。

  • 豊臣秀吉から賤ケ岳の戦いに参戦した脇坂安治への感謝状の写し。

    豊臣秀吉から賤ケ岳の戦いに参戦した脇坂安治への感謝状の写し。

  • 諸氏具足図。<br />藩士の137名のそれぞれの具足の説明。氏名も記されているみたいです。<br /><br /><br />秀吉朱印状もありました。

    諸氏具足図。
    藩士の137名のそれぞれの具足の説明。氏名も記されているみたいです。


    秀吉朱印状もありました。

  • 脇坂安董は10代藩主ですが、寺社奉行を二度、老中も務めています。<br />朝鮮通信使の副使も務めます。<br /><br />官位は従五位下から従四下へ。

    脇坂安董は10代藩主ですが、寺社奉行を二度、老中も務めています。
    朝鮮通信使の副使も務めます。

    官位は従五位下から従四下へ。

  • 官位が上がると、服装も異なってくるのですねー<br />興味深いです。

    イチオシ

    官位が上がると、服装も異なってくるのですねー
    興味深いです。

  • 脇坂安董の年表。<br />活躍した様子がよくわかります。<br />波乱万丈でもあります。

    脇坂安董の年表。
    活躍した様子がよくわかります。
    波乱万丈でもあります。

  • 藩の上中下の藩士の家系図も編纂されています。

    藩の上中下の藩士の家系図も編纂されています。

  • 11代の安宅も老中などを務めています。

    11代の安宅も老中などを務めています。

  • 脇坂安宅の年表。<br /><br />京都所司代や老中など、活躍していたのですねー

    脇坂安宅の年表。

    京都所司代や老中など、活躍していたのですねー

  • 順番間違えて、見学してしまいました。。汗<br /><br />古代へとびます。<br /><br />山陽道にあった布施の駅家。<br />駅家は古代の五畿七道の駅の路に整備された施設のことです。

    順番間違えて、見学してしまいました。。汗

    古代へとびます。

    山陽道にあった布施の駅家。
    駅家は古代の五畿七道の駅の路に整備された施設のことです。

  • 古代の信仰について

    古代の信仰について

  • 経筒もありました。<br />経典を埋めるための筒型の容器。<br /><br /><br />龍野は古代より交通も発達した場所だったのですねー<br /><br />都と博多を結ぶ筑紫大道がありました。<br />筑紫大道は中世の山陽道のことです。<br />軍用道路ともいわれ、六波羅探題から博多までおよそ600㎞の筑紫大道、元寇に備えたそうですが、、、<br /><br /><br /><br /><br />

    経筒もありました。
    経典を埋めるための筒型の容器。


    龍野は古代より交通も発達した場所だったのですねー

    都と博多を結ぶ筑紫大道がありました。
    筑紫大道は中世の山陽道のことです。
    軍用道路ともいわれ、六波羅探題から博多までおよそ600㎞の筑紫大道、元寇に備えたそうですが、、、




  • 青磁器。<br /><br />中国 宋の文化も伝来。

    青磁器。

    中国 宋の文化も伝来。

  • 十二間筋兜。<br />

    十二間筋兜。

  • 民俗に関しての展示。

    民俗に関しての展示。

  • 脇坂安治は明智光秀側として、黒井城の戦いにも参戦、敵将からテンの皮の槍鞘(やりざわ)を拝領したそうです。。

    イチオシ

    脇坂安治は明智光秀側として、黒井城の戦いにも参戦、敵将からテンの皮の槍鞘(やりざわ)を拝領したそうです。。

  • 脇坂の紋。<br />輪違い紋。

    脇坂の紋。
    輪違い紋。

  • 鉄砲にも脇坂の家紋。<br />武器など。

    鉄砲にも脇坂の家紋。
    武器など。

  • 歴代城主など。<br /><br />右下の写真は脇坂安斐(やすあや)です。<br />龍野城主大10代藩主、最後の藩主です。<br /><br />もともと脇坂家は譜代大名でしたので、幕末は佐幕派でしたが、<br />その後、新政府軍と行動をともにします。<br /><br /><br />明治以降の廃藩置県で、知事となり、藩内の改革等をすすめ、<br />子爵となっています。<br /><br /><br />

    イチオシ

    歴代城主など。

    右下の写真は脇坂安斐(やすあや)です。
    龍野城主大10代藩主、最後の藩主です。

    もともと脇坂家は譜代大名でしたので、幕末は佐幕派でしたが、
    その後、新政府軍と行動をともにします。


    明治以降の廃藩置県で、知事となり、藩内の改革等をすすめ、
    子爵となっています。


  • 脇坂安治が賤ケ岳の戦いで使ったといわれる十文字槍がありました。<br /><br />賤ケ岳の戦いで秀吉方の優秀な兵を「賤ケ岳の七本槍」というそうですが、<br />安治もその一人です。

    脇坂安治が賤ケ岳の戦いで使ったといわれる十文字槍がありました。

    賤ケ岳の戦いで秀吉方の優秀な兵を「賤ケ岳の七本槍」というそうですが、
    安治もその一人です。

  • 秀吉からは拝領した甲冑

    秀吉からは拝領した甲冑

  • 多くの展示物がありました。

    多くの展示物がありました。

  • 古い文献も残っています。

    古い文献も残っています。

  • 赤穂城のとの関わり。<br />脇坂安照のときに起こった赤穂事件、1701年のこと。<br />赤穂浅野家は改易処分に。<br /><br />

    赤穂城のとの関わり。
    脇坂安照のときに起こった赤穂事件、1701年のこと。
    赤穂浅野家は改易処分に。

  • 赤穂城の受け取りの命をうけて、赤穂城へ入ります。<br />つぎの藩主が決まるまで、赤穂城で在藩も。<br /><br />そちらの絵巻が残っていて、白い馬に乗っているのが、脇坂安照、<br />お抱え絵師によって描かれたものです。<br />「赤穂城御請取行列之抜所」<br /><br />忠臣蔵のお話では、この脇坂安照と浅野内匠頭が交流があり、<br />吉良氏殺傷の際にもその場におり、悔しがっていた、、というシーンがあります。<br />たしか、このドラマでは渡辺謙さんが脇坂安照を演じ、赤穂城へ入り、大石内蔵助に、お城の整理がよくできたことを褒めていましたが、、、<br />これはあくまでもフィクション、お話の世界ですけれど、、、<br /><br />そんな情けのある脇坂安照が記憶に定着してしまっております。<br />夫はもっとその記憶が強くて、史実と信じています。。<br /><br />

    イチオシ

    赤穂城の受け取りの命をうけて、赤穂城へ入ります。
    つぎの藩主が決まるまで、赤穂城で在藩も。

    そちらの絵巻が残っていて、白い馬に乗っているのが、脇坂安照、
    お抱え絵師によって描かれたものです。
    「赤穂城御請取行列之抜所」

    忠臣蔵のお話では、この脇坂安照と浅野内匠頭が交流があり、
    吉良氏殺傷の際にもその場におり、悔しがっていた、、というシーンがあります。
    たしか、このドラマでは渡辺謙さんが脇坂安照を演じ、赤穂城へ入り、大石内蔵助に、お城の整理がよくできたことを褒めていましたが、、、
    これはあくまでもフィクション、お話の世界ですけれど、、、

    そんな情けのある脇坂安照が記憶に定着してしまっております。
    夫はもっとその記憶が強くて、史実と信じています。。

  • 古い絵図です。<br />1798年のもの。<br />複製です。

    古い絵図です。
    1798年のもの。
    複製です。

  • 説明。城下の様子がよくわかります。

    説明。城下の様子がよくわかります。

  • 外に出ます。<br />庭園のところに、箱式石棺が展示されていました。<br />龍野で出土したものです。

    外に出ます。
    庭園のところに、箱式石棺が展示されていました。
    龍野で出土したものです。

  • 奥村廃寺、7世紀後半の礎石。

    奥村廃寺、7世紀後半の礎石。

  • 説明。<br />東と西の塔の礎石。<br /><br />

    説明。
    東と西の塔の礎石。

  • お城の中にある資料館、雰囲気を壊さないように、お城風に造られていて、<br />お庭もとても綺麗でした!

    お城の中にある資料館、雰囲気を壊さないように、お城風に造られていて、
    お庭もとても綺麗でした!

  • もう一度、多聞楼。<br />美しいです~<br /><br />鬼瓦には違い輪の家紋があるようです。

    もう一度、多聞楼。
    美しいです~

    鬼瓦には違い輪の家紋があるようです。

  • 昔、小学校に会った、百葉箱。なつかし。

    昔、小学校に会った、百葉箱。なつかし。

  • 桜の樹かな、、<br />この周囲も丁寧に整備されていました。

    桜の樹かな、、
    この周囲も丁寧に整備されていました。

  • 碑がありました。<br /><br />鹿島建設の会長 鹿島守之助は、実父 永富敏夫の50回忌に歴史資料館の前身の文華会館を建設、市に寄贈、その際にこの碑も建てられたそうです。<br />碑文の書は永富敏夫の絶筆、易経の中からの言葉が書かれているそうです。

    碑がありました。

    鹿島建設の会長 鹿島守之助は、実父 永富敏夫の50回忌に歴史資料館の前身の文華会館を建設、市に寄贈、その際にこの碑も建てられたそうです。
    碑文の書は永富敏夫の絶筆、易経の中からの言葉が書かれているそうです。

  • お城の御殿の法へ向かっていきます。

    お城の御殿の法へ向かっていきます。

  • 新緑がとても清々しいです。

    新緑がとても清々しいです。

  • とても端正なお庭で、きれいに整備されています。

    とても端正なお庭で、きれいに整備されています。

  • ベンチもあって、市民の憩いの場所になっています。

    ベンチもあって、市民の憩いの場所になっています。

  • 青もみじがまぶしい~<br />青もみじ大好きです!

    青もみじがまぶしい~
    青もみじ大好きです!

  • 紅葉のときもきれいだろうなぁ~

    紅葉のときもきれいだろうなぁ~

  • 歴史資料館から、御殿はすぐ近く。<br /><br />龍野城は中世に赤松氏によって築かれたといわれています。そのころは鶏龍山(けいりゅうざん)の山頂に築かれていました。1577年には秀吉に城を明け渡し、その後は蜂須賀氏、福島氏などが豊臣臣下によって治められ、江戸時代になると、<br />池田氏、小笠原氏、岡部氏、京極氏と続き、1672年に脇坂安政が信州の飯田より入った際には、お城や武家屋敷なども荒れ果てていて、1年間かけて安政がお城の修復を行いました。御殿式のお城を修復しています。<br />山頂にお城があった時代にも、生活の住まいはこの御殿だったようです。<br />

    歴史資料館から、御殿はすぐ近く。

    龍野城は中世に赤松氏によって築かれたといわれています。そのころは鶏龍山(けいりゅうざん)の山頂に築かれていました。1577年には秀吉に城を明け渡し、その後は蜂須賀氏、福島氏などが豊臣臣下によって治められ、江戸時代になると、
    池田氏、小笠原氏、岡部氏、京極氏と続き、1672年に脇坂安政が信州の飯田より入った際には、お城や武家屋敷なども荒れ果てていて、1年間かけて安政がお城の修復を行いました。御殿式のお城を修復しています。
    山頂にお城があった時代にも、生活の住まいはこの御殿だったようです。

  • こちらは埋門(うずめもん)です。<br /><br />

    こちらは埋門(うずめもん)です。

  • 下からあがっていくと、

    下からあがっていくと、

  • 美しい埋門。<br />なぜ、うずめもん、、といわれるのかというと、ここに土を入れてしまうと<br />お城には上がれなくなるからだそうです。。なるほど。

    イチオシ

    美しい埋門。
    なぜ、うずめもん、、といわれるのかというと、ここに土を入れてしまうと
    お城には上がれなくなるからだそうです。。なるほど。

  • 積木積みの台隅石。<br />

    積木積みの台隅石。

  • 立派な門でした。

    立派な門でした。

  • お城内側から。

    お城内側から。

  • 固い石垣と立派な門。<br />復元されたようです。<br /><br />話かわりますが、ふと、思い出したのが、藩祖の脇坂安治が淡路洲本城を造った石垣、朝鮮出兵の際に倭城の石垣を観て、洲本城の石垣にも取り入れたと聞いたことがあります。<br /><br />

    固い石垣と立派な門。
    復元されたようです。

    話かわりますが、ふと、思い出したのが、藩祖の脇坂安治が淡路洲本城を造った石垣、朝鮮出兵の際に倭城の石垣を観て、洲本城の石垣にも取り入れたと聞いたことがあります。

  • 石段を上ると、御殿があります。

    石段を上ると、御殿があります。

  • かつて、ここには、県立龍野高等女学校があったようです。

    かつて、ここには、県立龍野高等女学校があったようです。

  • 御殿へ。<br />上品なたたずまいです。

    御殿へ。
    上品なたたずまいです。

  • 静かで歴史をかんじる風景でした。

    静かで歴史をかんじる風景でした。

  • このあたりにも桜の樹。<br />春もきてみたい~

    このあたりにも桜の樹。
    春もきてみたい~

  • 説明板がありました。

    説明板がありました。

  • 御殿。<br />風格があります。

    イチオシ

    御殿。
    風格があります。

  • 立派な松も。

    立派な松も。

  • 正面玄関。<br />唐破風の玄関。<br /><br />フリーで見学は自由です。

    正面玄関。
    唐破風の玄関。

    フリーで見学は自由です。

  • 立派な枝垂れ桜もありましたよ。

    立派な枝垂れ桜もありましたよ。

  • お邪魔します~

    お邪魔します~

  • 広い玄関

    広い玄関

  • 洋風の応接間?

    洋風の応接間?

  • 古地図など展示。

    古地図など展示。

  • 窓からお庭を。<br />素敵です~<br />開放感、まんさいでした♪

    窓からお庭を。
    素敵です~
    開放感、まんさいでした♪

  • レトロな家具、窓も素敵でした。

    レトロな家具、窓も素敵でした。

  • 玄関に戻り、

    玄関に戻り、

  • 長い廊下、、

    長い廊下、、

  • 枯山水の庭園。

    枯山水の庭園。

  • 隅々まで丁寧に整えられていました。

    隅々まで丁寧に整えられていました。

  • さきほど、埋門の近くにあった、高等女学校の跡という碑もありましたが、<br />かつては、1871年にお城が取り壊され、敷地内に学校もありました。<br /><br />その後昭和50年からは本丸御殿や城壁、多聞楼、埋門、石垣などが<br />5年かけて修復、整備されてきたようです。<br /><br />こちらの御殿も新しい建物のように感じました。。

    さきほど、埋門の近くにあった、高等女学校の跡という碑もありましたが、
    かつては、1871年にお城が取り壊され、敷地内に学校もありました。

    その後昭和50年からは本丸御殿や城壁、多聞楼、埋門、石垣などが
    5年かけて修復、整備されてきたようです。

    こちらの御殿も新しい建物のように感じました。。

  • ひときわ、広い、奥のほうまでの部屋。

    ひときわ、広い、奥のほうまでの部屋。

  • かつては、円山応挙、狩野派などの立派な障壁画があったようですが、<br />現在は、地元のヒガシマル醤油株式会社の木像で、美しい障壁画が寄贈されているようです。

    かつては、円山応挙、狩野派などの立派な障壁画があったようですが、
    現在は、地元のヒガシマル醤油株式会社の木像で、美しい障壁画が寄贈されているようです。

  • 御殿上段の間。<br />床の間。<br />違い棚。

    御殿上段の間。
    床の間。
    違い棚。

  • 欄間も天井も上品で、おしゃれ。<br />格子天井。

    欄間も天井も上品で、おしゃれ。
    格子天井。

  • 板の間が気持ちよいです。

    板の間が気持ちよいです。

  • 迫力のある障壁画がありました。<br />龍の間。

    迫力のある障壁画がありました。
    龍の間。

  • 奥に奥に、広いお屋敷です。

    奥に奥に、広いお屋敷です。

  • 赤とんぼの歌詞、、、ちょっと違うのかな、、

    赤とんぼの歌詞、、、ちょっと違うのかな、、

  • 部屋の説明がないので、よくわからないのですが、こちらの奥には茶室。

    部屋の説明がないので、よくわからないのですが、こちらの奥には茶室。

  • 茶室のようです。<br />網代天井。

    茶室のようです。
    網代天井。

  • 廊下からは中庭や外の庭園がみえました。<br />御殿廊下!

    廊下からは中庭や外の庭園がみえました。
    御殿廊下!

  • 外の樹々や苔も綺麗でした~

    外の樹々や苔も綺麗でした~

  • いくつもの部屋が続きます。<br />内の間。

    いくつもの部屋が続きます。
    内の間。

  • シンプルだけれど、どこか上品な雰囲気。

    シンプルだけれど、どこか上品な雰囲気。

  • 中庭。

    中庭。

  • 御殿のお城を造った際には、外様大名だったため、遠慮して、天守もない<br />御殿形式のお城を造ったそうです。。<br />幕府をおそれ、また、謙虚ですね。。

    イチオシ

    御殿のお城を造った際には、外様大名だったため、遠慮して、天守もない
    御殿形式のお城を造ったそうです。。
    幕府をおそれ、また、謙虚ですね。。

  • ここにも、中学校の跡地だったのですねー

    ここにも、中学校の跡地だったのですねー

  • 御殿、凛とした風格がありました。

    御殿、凛とした風格がありました。

  • お庭もひろいです!<br /><br />背後の山とともに、絵になる風景でした。<br />気持ちよいです。<br /><br />遠足の幼稚園児さんものびのび。

    お庭もひろいです!

    背後の山とともに、絵になる風景でした。
    気持ちよいです。

    遠足の幼稚園児さんものびのび。

  • 綺麗に修復、整備されてきたのですね~

    綺麗に修復、整備されてきたのですね~

  • 梅の実がたくさんなってました。<br />

    梅の実がたくさんなってました。

  • 庭園、休める場所もあり。

    庭園、休める場所もあり。

  • 裏門へ。

    裏門へ。

  • 模擬の隅櫓です。<br />唐破風。

    模擬の隅櫓です。
    唐破風。

  • このあたりも樹々が茂っていて、気持ち良いです~

    このあたりも樹々が茂っていて、気持ち良いです~

  • 隅櫓のまわりも丁寧に手入れされていました。

    隅櫓のまわりも丁寧に手入れされていました。

  • 裏門からお城を出ます。<br />しころ坂というそうです。

    裏門からお城を出ます。
    しころ坂というそうです。

  • 裏門。外から。<br /><br />素敵でした。やはり新緑の季節はお城に似合います!!

    イチオシ

    裏門。外から。

    素敵でした。やはり新緑の季節はお城に似合います!!

  • 坂をくだります。

    坂をくだります。

  • 隅櫓下の石垣。

    隅櫓下の石垣。

  • 食べ物屋さんがあるようです~

    食べ物屋さんがあるようです~

  • なだらかなお城の白壁。

    なだらかなお城の白壁。

  • 綺麗な風景でした♪♪<br />このあとも、近隣を周りました。<br />後に続きます。<br /><br />最後までお付き合いいただいてありがとうございます^^

    イチオシ

    綺麗な風景でした♪♪
    このあとも、近隣を周りました。
    後に続きます。

    最後までお付き合いいただいてありがとうございます^^

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この旅行記へのコメント (2)

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  • sukecoさん 2025/06/03 16:50:33
    家系図♪
    hijunoさん、こんにちは!

    今日は寒く、、、ずーっと雨。
    雨でなければ過ごしやすいのになぁ~
    もうすぐ梅雨がやってきそうですね(;´д`)トホホ

    脇坂家の家系図を見て、現在まで続いているーっと興味をひかれちゃいました(*´∀`*)アハハ
    脇坂家のようにあまり平成まで載っているのは見たことがないような?!
    いや今まで気づいていなかっただけ???

    御殿の外観、とても落ち着いた雰囲気で佇まいが優美な印象です。
    和洋折衷のような内装も面白い。
    インテリアもレトロで素敵です♪
    青もみじも美しく眩しい~
    元気をもらえます(*´艸`*)ウフフ

    続きも楽しみです♪

     sukeco

    hijuno

    hijunoさん からの返信 2025/06/04 07:06:30
    家を継ぐのも大変ですよねー
    sukecoさん

    おはようございます。
    いつもありがとうございます^^

    昨日は雨でずっと家にこもっていました。強い雨でしたよ。
    そうそう、もう梅雨なんですね。
    今年は、梅シロップを作ろうと思っています。ラッキョウは、もうつけてみました。
    おばあさんの家仕事です。笑

    ほんと!!
    おっしゃるとおり、家を継いで、絶やさず、、っていうのは、今の時代、難しいですよね。
    子供も少ないし、、、。
    あと、家だって、昔はお屋敷くらいの大きさのものも、古くなったり、維持していくのも難しいですよね。
    家を継ぐ人の重圧も大変。。

    今回、脇坂家のことをちょっと知って、江戸時代から外様大名から譜代大名へとなり
    幕府の要職にも就いていたこと、初めて知りました。
    知らないことばかりです。。汗

    お城の御殿、そうなんです、素敵でした。華美でもなく、素朴で上品。
    お庭も広いです。
    青もみじも清々しいですよね。。この時期、本当にきれい。紅葉よりも好きです。
    この城下町も落ち着いていて、静かで歴史を感じさせる雰囲気が大好きになりました。

    いつものごとく、写真を撮り過ぎてしまって、旅行記もまた長くなってしまいました。
    よろしければ、また続きに遊びに来てくださいね♪♪
    私もsukecoさんのフーコック旅行記を楽しみにしています♪♪



    hijuno


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