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大館城のはじまりは、1550年(天文19)頃。<br />現在、本丸跡は桂城公園として整備され、石垣・土塁・堀などの一部が残るのみ。二の丸・三の丸跡には役所・裁判所、住宅が建っていて、残念ながら当時の面影はほとんど見られません。<br /><br />公園内では、毎年5月3日に「秋田犬本部展」という秋田犬の容姿などを競う大会が開催され、誰でも見学することができるそうです。<br />

大館城跡・桂城公園

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2025/05/14 - 2025/05/20

46位(同エリア195件中)

chemire

chemireさん

大館城のはじまりは、1550年(天文19)頃。
現在、本丸跡は桂城公園として整備され、石垣・土塁・堀などの一部が残るのみ。二の丸・三の丸跡には役所・裁判所、住宅が建っていて、残念ながら当時の面影はほとんど見られません。

公園内では、毎年5月3日に「秋田犬本部展」という秋田犬の容姿などを競う大会が開催され、誰でも見学することができるそうです。

  • 5月17日(土)<br />三の丸跡に建つ秋田犬会館の前にあった桂城橋を渡って、桂城公園として整備された大館城本丸跡へ。<br />橋の下を通る国道7号線は、当時の堀跡かな。

    5月17日(土)
    三の丸跡に建つ秋田犬会館の前にあった桂城橋を渡って、桂城公園として整備された大館城本丸跡へ。
    橋の下を通る国道7号線は、当時の堀跡かな。

  • 桂城橋は、本丸北西端にあった西門跡へ架かっています。

    桂城橋は、本丸北西端にあった西門跡へ架かっています。

  • 公園内(市内にも)には、「どこでも博物館」の標柱が数多く設置されていて、QRコードを読み込むと歴史・文化を学ぶことができるシステムが充実しています。<br /><br />大館城西門跡。<br />通常は閉まっていた開かずの門で随時門とも呼ばれ、近くには武器庫があったそうです。<br />戊辰戦争の際、盛岡藩兵から攻撃を受けた城代 佐竹大和(義遵)は、この門から退去しています。検索を進めると、大和(義遵)自らが火を放ち、堀などの遺構を残して全焼してしまったとありました。

    公園内(市内にも)には、「どこでも博物館」の標柱が数多く設置されていて、QRコードを読み込むと歴史・文化を学ぶことができるシステムが充実しています。

    大館城西門跡。
    通常は閉まっていた開かずの門で随時門とも呼ばれ、近くには武器庫があったそうです。
    戊辰戦争の際、盛岡藩兵から攻撃を受けた城代 佐竹大和(義遵)は、この門から退去しています。検索を進めると、大和(義遵)自らが火を放ち、堀などの遺構を残して全焼してしまったとありました。

    桂城公園 公園・植物園

  • 本丸北側の城塁。台地縁部になっていて、住宅街を見下ろす感じが堪りません。

    本丸北側の城塁。台地縁部になっていて、住宅街を見下ろす感じが堪りません。

  • 遊歩道を逸れたりしながら、本丸跡を探索。木の多い公園ですね。

    遊歩道を逸れたりしながら、本丸跡を探索。木の多い公園ですね。

  • 本丸跡で目を引いた、とても大きなシロヤナギ。植樹は1902年(明治35)。

    本丸跡で目を引いた、とても大きなシロヤナギ。植樹は1902年(明治35)。

  • 城跡に大館高等小学校が建てられたことにより、このヤナギは、当時の校長が砂塵の害を防ぐために移植したそうです。

    城跡に大館高等小学校が建てられたことにより、このヤナギは、当時の校長が砂塵の害を防ぐために移植したそうです。

  • 太くて、反時計回りにねじれた幹。大迫力。

    太くて、反時計回りにねじれた幹。大迫力。

  • ヤナギは、川辺で細い枝から葉がユラユラと垂れている印象なのに、わさっと生い茂っていて「うわっ!すごい!」って思ってしばらく眺めました。

    ヤナギは、川辺で細い枝から葉がユラユラと垂れている印象なのに、わさっと生い茂っていて「うわっ!すごい!」って思ってしばらく眺めました。

  • 幹回りが全国2番目に大きいヤナギだそう(1番はドコにあるの?)。

    幹回りが全国2番目に大きいヤナギだそう(1番はドコにあるの?)。

  • 奥に見える噴水は、御殿跡に造られたもの。

    奥に見える噴水は、御殿跡に造られたもの。

  • 現存の内堀に沿って土塁が残っていたので、南西側の端まで行ってみると、

    現存の内堀に沿って土塁が残っていたので、南西側の端まで行ってみると、

  • 写真では分かりにくいけど、階段があったので本丸の内側から土塁に登ってみました。

    写真では分かりにくいけど、階段があったので本丸の内側から土塁に登ってみました。

  • 階段を上り、土塁の端に見えたのは国道7号線。

    階段を上り、土塁の端に見えたのは国道7号線。

  • 大手門跡側を見ると、土塁を挟んで左が本丸側、右が内堀(水堀)です。

    大手門跡側を見ると、土塁を挟んで左が本丸側、右が内堀(水堀)です。

  • ここは内堀がよく見えるけど、

    ここは内堀がよく見えるけど、

  • 草木が増えてきて、枝を手で避けながら進まなきゃならない所もありました。

    草木が増えてきて、枝を手で避けながら進まなきゃならない所もありました。

  • ここからは内堀があまり見えません。

    ここからは内堀があまり見えません。

  • 土塁の端、虎口跡側。櫓台があった雰囲気があるような無いような。

    土塁の端、虎口跡側。櫓台があった雰囲気があるような無いような。

  • 虎口脇の土塁に残る石垣が少し見えています。

    虎口脇の土塁に残る石垣が少し見えています。

  • 次は、本丸側を臨んでみました。奥に見えた噴水=御殿跡。

    次は、本丸側を臨んでみました。奥に見えた噴水=御殿跡。

  • 土塁を降りて、大手門跡へ。<br />往時は内枡形の虎口が存在していたようですが、土塁の一部が残るだけで、現在では大手門から御殿跡=噴水へと真っ直ぐに進む歩道が整備されています。

    土塁を降りて、大手門跡へ。
    往時は内枡形の虎口が存在していたようですが、土塁の一部が残るだけで、現在では大手門から御殿跡=噴水へと真っ直ぐに進む歩道が整備されています。

  • 標柱の説明文より。<br />大手門跡。長屋形式の櫓のある多門櫓の大きな城門で、門の横に土塁が内堀沿いに東西に連なっていました。西側に高さ5mの土塁と内堀の一部が残っています。戊辰戦争のとき盛岡藩兵が砲撃し、この門から乱入しました。<br /><br />土塁は、5mもあったんだ。歩いていても、そこまでの高さを感じなかったけど。

    標柱の説明文より。
    大手門跡。長屋形式の櫓のある多門櫓の大きな城門で、門の横に土塁が内堀沿いに東西に連なっていました。西側に高さ5mの土塁と内堀の一部が残っています。戊辰戦争のとき盛岡藩兵が砲撃し、この門から乱入しました。

    土塁は、5mもあったんだ。歩いていても、そこまでの高さを感じなかったけど。

  • 本丸側の隅各部をチェック。

    本丸側の隅各部をチェック。

  • 続いて内堀側の積石を観察しようとしたけれど、復元図(写真左の屋根がある所)が設置されていて、うまく撮れません。

    続いて内堀側の積石を観察しようとしたけれど、復元図(写真左の屋根がある所)が設置されていて、うまく撮れません。

  • これが、その復元図です。<br />

    これが、その復元図です。

  • もっと全体を見たかったな。

    もっと全体を見たかったな。

  • 次は、内堀側に回って、

    次は、内堀側に回って、

  • ズームして撮影。復元図を作成してくれたのはありがたいけど、設置位置をずらして欲しかったです。

    ズームして撮影。復元図を作成してくれたのはありがたいけど、設置位置をずらして欲しかったです。

  • 本丸跡に戻ります。<br />現在は桂城公園として整備されていて、往時の面影がほとんど見られません。

    本丸跡に戻ります。
    現在は桂城公園として整備されていて、往時の面影がほとんど見られません。

  • 公園案内図

    公園案内図

  • 概要

    概要

  • 本丸の規模は東西約180m×南北約90mほど。本丸の東・南側に二の丸、西側に三の丸が置かれた梯郭式の縄張り。

    本丸の規模は東西約180m×南北約90mほど。本丸の東・南側に二の丸、西側に三の丸が置かれた梯郭式の縄張り。

  • この説明板の先に、少し見えている植え込みが噴水=御殿跡。

    この説明板の先に、少し見えている植え込みが噴水=御殿跡。

  • 大館城のはじまりは、1550年(天文19)頃に豪族であった浅利勝頼によって築かれた城から。<br />1602年(慶長7)徳川家康は諸侯の改易転封を決定し、常陸の佐竹氏を秋田へ転封。<br />1610年に佐竹西家が大館城の城主となり、 1615年の一国一城令の際にも秋田領は大館・横手両城が久保田城の支城という名目で存続を許されます。<br />佐竹西家は戊辰戦争が起こるまで、259年間 11代にわたって大館城代を務めました。

    大館城のはじまりは、1550年(天文19)頃に豪族であった浅利勝頼によって築かれた城から。
    1602年(慶長7)徳川家康は諸侯の改易転封を決定し、常陸の佐竹氏を秋田へ転封。
    1610年に佐竹西家が大館城の城主となり、 1615年の一国一城令の際にも秋田領は大館・横手両城が久保田城の支城という名目で存続を許されます。
    佐竹西家は戊辰戦争が起こるまで、259年間 11代にわたって大館城代を務めました。

  • 公園入口へ。秋田県会館を見学してから桂城橋を渡って城内に来たけれど、大手門側から入って秋田犬会館に向かった方が、お城の様子が分かりやすかったかなぁ。<br /><br />大手門の水堀に架かる橋が設けられていますが、写真に向かって右手の水堀は埋められ土塁は取り除かれてしまっています。

    公園入口へ。秋田県会館を見学してから桂城橋を渡って城内に来たけれど、大手門側から入って秋田犬会館に向かった方が、お城の様子が分かりやすかったかなぁ。

    大手門の水堀に架かる橋が設けられていますが、写真に向かって右手の水堀は埋められ土塁は取り除かれてしまっています。

  • 本丸南側に残された水堀。<br />

    本丸南側に残された水堀。

  • 二ノ丸<br />内堀と外堀に囲まれた軍事上重要な城内町で、東側の上町と西側の中城町からなり家中の屋敷が配置されていました。上町の東側外堀に搦手門があったそうです。

    二ノ丸
    内堀と外堀に囲まれた軍事上重要な城内町で、東側の上町と西側の中城町からなり家中の屋敷が配置されていました。上町の東側外堀に搦手門があったそうです。

  • では、内堀を眺めながらお城を離れます。

    では、内堀を眺めながらお城を離れます。

  • キリッとした秋田犬像。

    キリッとした秋田犬像。

  • 公園入り口を振り返って。

    公園入り口を振り返って。

  • 二ノ丸跡には、大館市役所・地方裁判所が建っています。

    二ノ丸跡には、大館市役所・地方裁判所が建っています。

  • 歩き進んでいる時、自宅の近所では見たことのない看板が気になりました。

    歩き進んでいる時、自宅の近所では見たことのない看板が気になりました。

  • 電線地中化を検索してみたら、国土交通省のHPに「平成28年12月16日付けで、無電柱化の推進に関する法律(平成28年法律第112号)が施行されました。」と記されていました。さらに読み進めると、基本理念のひとつに「国民の理解と関心を深めつつ無電柱化を推進」とあったけど、地中化を理解するどころか、法律があったなんて知らなかったです。水道管の老朽化による事故のニュースも聞く事だし、インフラ整備にもっと関心を持たなきゃいけないなぁ。

    電線地中化を検索してみたら、国土交通省のHPに「平成28年12月16日付けで、無電柱化の推進に関する法律(平成28年法律第112号)が施行されました。」と記されていました。さらに読み進めると、基本理念のひとつに「国民の理解と関心を深めつつ無電柱化を推進」とあったけど、地中化を理解するどころか、法律があったなんて知らなかったです。水道管の老朽化による事故のニュースも聞く事だし、インフラ整備にもっと関心を持たなきゃいけないなぁ。

  • 行きとは違う橋を渡って、川の様子を眺めながらホテルへと戻りました。

    行きとは違う橋を渡って、川の様子を眺めながらホテルへと戻りました。

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