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四月最初の週末、予てから訪れてみたかった津山城址を、桜の開花に合わせて訪ねてみることにした。旅程は、夜行列車で岡山駅まで行き、初日はまず、津山城址とその城下町を歩き、廃線跡にも少しだけ立ち寄ってみる。翌日、中国勝山の街並みと美作三湯の一つ湯原温泉を訪れことにする。宿は、津山市内と湯原温泉に取った。そして、桜の開花状況が気になりながらの旅立ちとなった。<br /><br />(2025.05.01投稿)

美作をゆく【1】~津山城址の桜と城東の街並み~

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2025/04/04 - 2025/04/05

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旅行記グループ 【美作国】

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54

旅猫

旅猫さん

四月最初の週末、予てから訪れてみたかった津山城址を、桜の開花に合わせて訪ねてみることにした。旅程は、夜行列車で岡山駅まで行き、初日はまず、津山城址とその城下町を歩き、廃線跡にも少しだけ立ち寄ってみる。翌日、中国勝山の街並みと美作三湯の一つ湯原温泉を訪れことにする。宿は、津山市内と湯原温泉に取った。そして、桜の開花状況が気になりながらの旅立ちとなった。

(2025.05.01投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
3.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 旅立ちは、先月にもお世話になったサンライズである。相変わらずの盛況ぶりで、この日も満室であった。

    旅立ちは、先月にもお世話になったサンライズである。相変わらずの盛況ぶりで、この日も満室であった。

  • 今回は、『サンライズ瀬戸』のB寝台個室シングルである。もう、幾度となく利用しているが、運行開始から27年経っても、室内は小奇麗で、まったく古さを感じさせない。

    今回は、『サンライズ瀬戸』のB寝台個室シングルである。もう、幾度となく利用しているが、運行開始から27年経っても、室内は小奇麗で、まったく古さを感じさせない。

  • 旅には、いつも文庫本を持参しているのだが、今回は、古本屋で買い求めた司馬遼太郎氏の『街道をゆく』の第三巻『陸奥のみち 肥薩のみちほか』である。かつて読んだことがあったが、久しぶりに読み直してみることにしたのだ。寝転がって読んでいると、列車は、定刻の21時50分に東京駅を離れた。

    旅には、いつも文庫本を持参しているのだが、今回は、古本屋で買い求めた司馬遼太郎氏の『街道をゆく』の第三巻『陸奥のみち 肥薩のみちほか』である。かつて読んだことがあったが、久しぶりに読み直してみることにしたのだ。寝転がって読んでいると、列車は、定刻の21時50分に東京駅を離れた。

  • そして翌朝、遅れも無く、岡山駅に到着した。サンライズのような夜行列車は、とても便利なので、各地で運行してもらいたいものなのだが、効率重視の現代ではそれも難しいところであろう。岡山駅からは、6時36分発の津山線の快速『ことぶき』に乗り換えた。今や貴重となった国鉄時代の車両に揺られ、終点の津山駅には、7時51分に着いた。

    そして翌朝、遅れも無く、岡山駅に到着した。サンライズのような夜行列車は、とても便利なので、各地で運行してもらいたいものなのだが、効率重視の現代ではそれも難しいところであろう。岡山駅からは、6時36分発の津山線の快速『ことぶき』に乗り換えた。今や貴重となった国鉄時代の車両に揺られ、終点の津山駅には、7時51分に着いた。

  • 手持ちの地図を頼りに、まずは、津山城址を目指す。途中の歩道には、津山市のご当地マンホールがあった。描かれていたのは、津山城址の石垣と桜、そして、『ごんご』である。『ごんご』とは、津山の方言で河童のことであり、かつて、市内を流れる吉井川に河童が棲んでいたという伝承があるそうだ。

    手持ちの地図を頼りに、まずは、津山城址を目指す。途中の歩道には、津山市のご当地マンホールがあった。描かれていたのは、津山城址の石垣と桜、そして、『ごんご』である。『ごんご』とは、津山の方言で河童のことであり、かつて、市内を流れる吉井川に河童が棲んでいたという伝承があるそうだ。

  • しばらく歩くと、城址の入口に辿り着いた。駐車場などがあるため、急に観光客の姿が増えた。露店の並ぶ道を進むと石段があり、その石段を登ると、左手に桜と菜の花が咲いていた。

    しばらく歩くと、城址の入口に辿り着いた。駐車場などがあるため、急に観光客の姿が増えた。露店の並ぶ道を進むと石段があり、その石段を登ると、左手に桜と菜の花が咲いていた。

    津山城(鶴山公園) 名所・史跡

  • 右手に歩いて行くと、券売所がある。その手前に、ふくよかな姿の銅像が置かれていた。津山城を築いた森忠政である。織田信長の家臣であった森可成の六男で、父と長兄可隆、次兄長可は討ち死に、さらに、本能寺の変において、蘭丸、坊丸、力丸の三人の兄をも亡くすという悲劇に見舞われている。

    右手に歩いて行くと、券売所がある。その手前に、ふくよかな姿の銅像が置かれていた。津山城を築いた森忠政である。織田信長の家臣であった森可成の六男で、父と長兄可隆、次兄長可は討ち死に、さらに、本能寺の変において、蘭丸、坊丸、力丸の三人の兄をも亡くすという悲劇に見舞われている。

  • 中に入ると、土曜日とは言え、まだ8時半前であったせいか、それほど混んではいなかった。肝心の桜は、七分咲きと言ったところである。

    中に入ると、土曜日とは言え、まだ8時半前であったせいか、それほど混んではいなかった。肝心の桜は、七分咲きと言ったところである。

  • 二の丸跡まで登ると、石垣の上に櫓が見えて来た。築城四百年を記念して復元された備中櫓である。明治になり、全国の城が破却されたが、ここ津山城もすべての建物が壊されている。

    二の丸跡まで登ると、石垣の上に櫓が見えて来た。築城四百年を記念して復元された備中櫓である。明治になり、全国の城が破却されたが、ここ津山城もすべての建物が壊されている。

  • 二の丸跡から城下を眺める。津山城址は、約千本の桜が植えられ、岡山県下でも一、二を争う桜の名所だそうだ。満開ではなかったのが残念であったが、なかなかの景色である。

    二の丸跡から城下を眺める。津山城址は、約千本の桜が植えられ、岡山県下でも一、二を争う桜の名所だそうだ。満開ではなかったのが残念であったが、なかなかの景色である。

  • 二の丸跡から本丸跡へと向かう。

    二の丸跡から本丸跡へと向かう。

  • 城跡に桜と言うのはよくある景色だが、平山城である津山城址は、高低差があるため、観る場所によって、景色が大きく変わる。

    城跡に桜と言うのはよくある景色だが、平山城である津山城址は、高低差があるため、観る場所によって、景色が大きく変わる。

  • 二の丸跡と本丸跡の間に、小さな曲輪があった。その奥、本丸包櫓跡の東側に、細い通路のようなものがある。気になるが、後で歩くことにして、とりあえず、本丸跡へと進む。

    二の丸跡と本丸跡の間に、小さな曲輪があった。その奥、本丸包櫓跡の東側に、細い通路のようなものがある。気になるが、後で歩くことにして、とりあえず、本丸跡へと進む。

  • 本丸の正門であった表鉄門跡の手前からは、先ほど歩いて来た二の丸跡からの道沿いに咲く桜を上から観ることが出来た。

    本丸の正門であった表鉄門跡の手前からは、先ほど歩いて来た二の丸跡からの道沿いに咲く桜を上から観ることが出来た。

  • 本丸跡にも、桜がある。平地より少しだけ高い場所にあるので、この辺りの桜は、まだ五分咲き程度である。

    本丸跡にも、桜がある。平地より少しだけ高い場所にあるので、この辺りの桜は、まだ五分咲き程度である。

  • 本丸南側からは、素晴らしい景色が望めた。眼下には、城跡に咲く桜が良く見える。満開であれば、見事な眺めであっただろう。

    本丸南側からは、素晴らしい景色が望めた。眼下には、城跡に咲く桜が良く見える。満開であれば、見事な眺めであっただろう。

  • 本丸跡の一角には、唯一復元された備中櫓がある。津山城には、天守を含め、六十もの櫓が立ち並んでいたそうだが、この備中櫓は、天守に次ぐ重要な建物であったそうだ。通常、櫓などは板張りだが、この櫓はすべて畳敷きであり、茶室まである他に類のない作りであったそうだ。

    本丸跡の一角には、唯一復元された備中櫓がある。津山城には、天守を含め、六十もの櫓が立ち並んでいたそうだが、この備中櫓は、天守に次ぐ重要な建物であったそうだ。通常、櫓などは板張りだが、この櫓はすべて畳敷きであり、茶室まである他に類のない作りであったそうだ。

  • 備中櫓を見学した後、いよいよ天守跡である。今は石垣が残るだけだが、かつては五層の天守が聳えていたそうだ。

    備中櫓を見学した後、いよいよ天守跡である。今は石垣が残るだけだが、かつては五層の天守が聳えていたそうだ。

  • その天守の石垣の中に、ハート形の石がある。しかし、よく見れば、後から角を削って形を整えたことが分かる。要するに、作り物である。

    その天守の石垣の中に、ハート形の石がある。しかし、よく見れば、後から角を削って形を整えたことが分かる。要するに、作り物である。

  • 天守台からは、本丸跡の構造が見渡せる。小高い丘の上に築かれた津山城は、狭い敷地の中に、複雑に石垣を積み上げ、多くの櫓が造られていたことが良く分かる。

    天守台からは、本丸跡の構造が見渡せる。小高い丘の上に築かれた津山城は、狭い敷地の中に、複雑に石垣を積み上げ、多くの櫓が造られていたことが良く分かる。

  • 備中櫓の方を観れば、その複雑な構造が良く分かる。迷路のように細い通路が造られ、攻め手を遮るように門がいくつも作られている。津山城の城門は三十三もあり、そのうち本丸には十五も設けられていたそうだ。

    備中櫓の方を観れば、その複雑な構造が良く分かる。迷路のように細い通路が造られ、攻め手を遮るように門がいくつも作られている。津山城の城門は三十三もあり、そのうち本丸には十五も設けられていたそうだ。

  • 本丸搦手にある腰巻櫓跡に、『腰巻ザクラ跡』と言う標柱が立っていた。かつて、名が付けられるほどの桜があったのだろう。この腰巻櫓跡の石垣が、城跡内で最も古城の風情が感じられた。

    本丸搦手にある腰巻櫓跡に、『腰巻ザクラ跡』と言う標柱が立っていた。かつて、名が付けられるほどの桜があったのだろう。この腰巻櫓跡の石垣が、城跡内で最も古城の風情が感じられた。

  • 本丸北側から天守方向を眺める。こちら側には桜が少ないが、落ち着いた風情がある。

    本丸北側から天守方向を眺める。こちら側には桜が少ないが、落ち着いた風情がある。

  • 裏鉄門の石垣上から、本丸最北の大戸櫓の石垣が良く見えた。

    裏鉄門の石垣上から、本丸最北の大戸櫓の石垣が良く見えた。

  • ここの染井吉野は、真っ白である。しかも、やや小振りのように見える。

    ここの染井吉野は、真っ白である。しかも、やや小振りのように見える。

  • そして、かなりの高低差がある場所の至る所で咲いているため、普通ではあまり観ることが出来ない角度で花見が出来るのも楽しい。

    そして、かなりの高低差がある場所の至る所で咲いているため、普通ではあまり観ることが出来ない角度で花見が出来るのも楽しい。

  • 一旦本丸跡を出て、その東側の帯曲輪を歩く。そこには、本丸東側の美しい石垣が続いている。桜も無いため、観光客の姿は無い。

    一旦本丸跡を出て、その東側の帯曲輪を歩く。そこには、本丸東側の美しい石垣が続いている。桜も無いため、観光客の姿は無い。

  • 先ほど見掛けた狭い門の跡から出る。そこから再び本丸跡に戻るのだが、その前に、先ほど先客が居て観ることが出来なかった備中櫓と桜の景色を見る。悪くは無いが、やはり桜が少々寂しい。あと、一日、二日で満開だろう。こればかりは仕方が無い。

    先ほど見掛けた狭い門の跡から出る。そこから再び本丸跡に戻るのだが、その前に、先ほど先客が居て観ることが出来なかった備中櫓と桜の景色を見る。悪くは無いが、やはり桜が少々寂しい。あと、一日、二日で満開だろう。こればかりは仕方が無い。

  • 本丸跡を横切り、絡めである裏鉄門から二の丸へと降りて行く。途中、裏中門の高い石垣がとても美しかった。

    本丸跡を横切り、絡めである裏鉄門から二の丸へと降りて行く。途中、裏中門の高い石垣がとても美しかった。

  • 搦手の入口である裏下門を見学。こちらにも駐車場があるのだが、裏中門から登る人は少なく、城下の道を通り、大手に向かうようだ。こちらは、人混みを避けるため、裏中門を登り返し、二の丸跡を歩くことにした。

    搦手の入口である裏下門を見学。こちらにも駐車場があるのだが、裏中門から登る人は少なく、城下の道を通り、大手に向かうようだ。こちらは、人混みを避けるため、裏中門を登り返し、二の丸跡を歩くことにした。

  • 二の丸跡から三の丸跡へと出ると、そこは屋台が立ち並び、人で溢れ返っていた。その一角、屋台と屋台の隙間に石碑が見えた。近付いてみると、芭蕉の句碑であった。「鐘つかぬ 里は何をか 春のくれ」

    二の丸跡から三の丸跡へと出ると、そこは屋台が立ち並び、人で溢れ返っていた。その一角、屋台と屋台の隙間に石碑が見えた。近付いてみると、芭蕉の句碑であった。「鐘つかぬ 里は何をか 春のくれ」

  • 時計を見ると、10時である。昼には早いが、朝が総菜パンひとつだけであったので、屋台の生麦酒と焼き鳥に誘われ、つい買い求めてしまった。まあ、花見と言うことで良いだろう。

    時計を見ると、10時である。昼には早いが、朝が総菜パンひとつだけであったので、屋台の生麦酒と焼き鳥に誘われ、つい買い求めてしまった。まあ、花見と言うことで良いだろう。

    津山さくらまつり 祭り・イベント

  • 津山城跡の桜の美しさは期待通りであったが、満開ではなかったのが、つくづく残念であった。

    津山城跡の桜の美しさは期待通りであったが、満開ではなかったのが、つくづく残念であった。

  • 津山城址を後にし、城東重要伝統的建造物群保存地区へと向かう。城址の東側に流れる宮川沿いに歩いて行くと、道端に藪椿が咲いていた。

    津山城址を後にし、城東重要伝統的建造物群保存地区へと向かう。城址の東側に流れる宮川沿いに歩いて行くと、道端に藪椿が咲いていた。

  • その先に、赤茶色の橋が架かっているのが見えて来た。稲荷橋と言う人専用の橋である。この後渡ったのだが、鉄の橋であった。

    その先に、赤茶色の橋が架かっているのが見えて来た。稲荷橋と言う人専用の橋である。この後渡ったのだが、鉄の橋であった。

  • その橋の袂に、千代稲荷神社と言う社があった。かつて鶴山と呼ばれた津山城址所縁の社だそうだ。その境内には、何故か大きな提灯が掲げられていた。小さな社であったが、ここで津山にお邪魔する挨拶をした。

    その橋の袂に、千代稲荷神社と言う社があった。かつて鶴山と呼ばれた津山城址所縁の社だそうだ。その境内には、何故か大きな提灯が掲げられていた。小さな社であったが、ここで津山にお邪魔する挨拶をした。

    千代稲荷神社 寺・神社・教会

  • 稲荷橋を渡り、城東地区に入る。橋の東詰から続く大入道坂を登ると、そこはかつての武家屋敷街であり、どこか往時の風情が残っていた。

    稲荷橋を渡り、城東地区に入る。橋の東詰から続く大入道坂を登ると、そこはかつての武家屋敷街であり、どこか往時の風情が残っていた。

  • その中に、石垣だけが残る空き地があった。そこは、伊東玄朴、佐久間象山らに学んだ洋学者津田真道の生家跡であった。オランダに留学して法学などを学び、帰国後は、東大の前身である幕府開成所の教授となった人物である。彼のように、幕末に留学した人物の多くが、明治期のこの国を支えている。江戸幕府の残した大きな実績と言える。

    その中に、石垣だけが残る空き地があった。そこは、伊東玄朴、佐久間象山らに学んだ洋学者津田真道の生家跡であった。オランダに留学して法学などを学び、帰国後は、東大の前身である幕府開成所の教授となった人物である。彼のように、幕末に留学した人物の多くが、明治期のこの国を支えている。江戸幕府の残した大きな実績と言える。

  • その北側の山際には、多くの寺院が立ち並んでいる。その中にあった千光寺の境内には、見事な枝垂桜があった。有名らしく、ここには多くの観光客の姿があった。近くの津田真道生家跡や、すぐ並びの大信寺や本蓮寺には全く人影が無かったので、少々驚いた。

    その北側の山際には、多くの寺院が立ち並んでいる。その中にあった千光寺の境内には、見事な枝垂桜があった。有名らしく、ここには多くの観光客の姿があった。近くの津田真道生家跡や、すぐ並びの大信寺や本蓮寺には全く人影が無かったので、少々驚いた。

    千光寺 寺・神社・教会

  • そのすぐ右隣にあった連光寺の手前には、山桜が綺麗に咲いていた。その連光寺の門前にも、変わった姿をした桜があった。それにしても、千光寺だけが賑わっているのは、やはり可笑しな光景である。

    そのすぐ右隣にあった連光寺の手前には、山桜が綺麗に咲いていた。その連光寺の門前にも、変わった姿をした桜があった。それにしても、千光寺だけが賑わっているのは、やはり可笑しな光景である。

  • さらに歩くと、大隅神社と言う社があった。創建は和同年間に遡ると云われ、現在地に遷座したのは、津山城築城後のことだそうだ。宮川より東の城東地区の産土神であり、津山城の鬼門鎮護の社でもあるのだが、ここでも、誰にも出会わなかった。その本殿は、貞享3年(1682)に再建されたもので、神門は、藩の学問所の表門であったものだそうだ。この時、その学問所の建物が、城址にあったことを知った。

    さらに歩くと、大隅神社と言う社があった。創建は和同年間に遡ると云われ、現在地に遷座したのは、津山城築城後のことだそうだ。宮川より東の城東地区の産土神であり、津山城の鬼門鎮護の社でもあるのだが、ここでも、誰にも出会わなかった。その本殿は、貞享3年(1682)に再建されたもので、神門は、藩の学問所の表門であったものだそうだ。この時、その学問所の建物が、城址にあったことを知った。

    大隅神社 寺・神社・教会

    津山城の鬼門守護 by 旅猫さん
  • 地図を見ると、大隅神社の先に、出雲街道が鉤の手になっている場所があるので行ってみる。荒神曲りと呼ばれるもので、ここが城下町の東の端であったそうだ。この辺りは東新町と呼ばれ、鍛冶職人が鎌や鍬などを作っていたそうである。

    地図を見ると、大隅神社の先に、出雲街道が鉤の手になっている場所があるので行ってみる。荒神曲りと呼ばれるもので、ここが城下町の東の端であったそうだ。この辺りは東新町と呼ばれ、鍛冶職人が鎌や鍬などを作っていたそうである。

  • 荒神曲りから西側が城東町並み保存地区となるので、津山城の方へと歩いて行く。思ったよりも風情のある街並みが続き、良い感じである。

    荒神曲りから西側が城東町並み保存地区となるので、津山城の方へと歩いて行く。思ったよりも風情のある街並みが続き、良い感じである。

    城東町並み保存地区 名所・史跡

  • しばらく歩くと、電柱も無くなり、さらに風情が増した。

    しばらく歩くと、電柱も無くなり、さらに風情が増した。

  • その先にあった旧梶村家住宅に立ち寄る。『城東むかし町家』として開放され、江戸末期の主屋から、大正時代の洋館までと、様々な建物を観ることが出来る。

    その先にあった旧梶村家住宅に立ち寄る。『城東むかし町家』として開放され、江戸末期の主屋から、大正時代の洋館までと、様々な建物を観ることが出来る。

    城東むかし町家(旧梶村家住宅) 名所・史跡

  • すぐ隣には、津山洋学資料館もあった。洋学専門の資料館である。津山を中心とした美作地方は、日本の近代化に貢献した著名な洋学者を多く輩出したそうである。

    すぐ隣には、津山洋学資料館もあった。洋学専門の資料館である。津山を中心とした美作地方は、日本の近代化に貢献した著名な洋学者を多く輩出したそうである。

    津山洋学資料館 美術館・博物館

  • その隣にあるのが、幕末の蘭学者箕作阮甫の旧宅である。彼は、江戸にあった蕃書調所の主席教授を務め、現在の東京大学の基礎を作った人物として知られている。今回、美作を訪れてみて、幕末のこの地方がこの国に与えた影響の大きさを実感した。

    その隣にあるのが、幕末の蘭学者箕作阮甫の旧宅である。彼は、江戸にあった蕃書調所の主席教授を務め、現在の東京大学の基礎を作った人物として知られている。今回、美作を訪れてみて、幕末のこの地方がこの国に与えた影響の大きさを実感した。

    箕作阮甫旧宅 名所・史跡

  • 城下町らしく、道は再び鉤の手になっていた。そこからしばらく歩くと、『作州城東屋敷』と言う建物があった。町屋風に建てられた休憩施設であるが、ここは、かの『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』が撮影された場所である。冒頭で、寅さんが消火器を売っていた場面である。建物の脇には、それを示す石柱が立っていた。

    城下町らしく、道は再び鉤の手になっていた。そこからしばらく歩くと、『作州城東屋敷』と言う建物があった。町屋風に建てられた休憩施設であるが、ここは、かの『男はつらいよ』の最終作『寅次郎紅の花』が撮影された場所である。冒頭で、寅さんが消火器を売っていた場面である。建物の脇には、それを示す石柱が立っていた。

    作州城東屋敷 名所・史跡

  • そこから少し歩くと、福寿湯と言う銭湯の建物を利用した喫茶があった。空いていたので入ってみたかったが、止めておいた。

    そこから少し歩くと、福寿湯と言う銭湯の建物を利用した喫茶があった。空いていたので入ってみたかったが、止めておいた。

  • それにしても、城東地区の街並みは趣がある。とは言え、それは人の波が途切れた時である。桜の季節でもあるので、津山を訪れる観光客は多く、重伝建である城東地区にも人は多い。それでも、ふと人の姿が疎らになった瞬間、表情ががらりと変わる。これが、本来のこの町の姿なのだろう。

    それにしても、城東地区の街並みは趣がある。とは言え、それは人の波が途切れた時である。桜の季節でもあるので、津山を訪れる観光客は多く、重伝建である城東地区にも人は多い。それでも、ふと人の姿が疎らになった瞬間、表情ががらりと変わる。これが、本来のこの町の姿なのだろう。

  • そんな街並み中に、ぽつんと洋風建築が挟まっていた。間口が狭く、まさに挟まっているのかのようである。今は溶け込んでいるかのようだが、建てられた当時は、かなり奇抜で目立っていたことだろう。

    そんな街並み中に、ぽつんと洋風建築が挟まっていた。間口が狭く、まさに挟まっているのかのようである。今は溶け込んでいるかのようだが、建てられた当時は、かなり奇抜で目立っていたことだろう。

  • 城東地区と城下を隔てる宮川を、大橋で渡り返す。その西詰には、かつて出雲街道を利用する人たちを監視するための東大番所が置かれていたそうだ。城下の西側に置かれていたそうだが、翁橋と言う橋の東詰にあったそうだ。その翁橋は、この日の夕方に渡ることになる。

    城東地区と城下を隔てる宮川を、大橋で渡り返す。その西詰には、かつて出雲街道を利用する人たちを監視するための東大番所が置かれていたそうだ。城下の西側に置かれていたそうだが、翁橋と言う橋の東詰にあったそうだ。その翁橋は、この日の夕方に渡ることになる。

  • 一旦、城下街歩きを切り上げ、津山駅へと戻る。駅前には、かの箕作阮甫の銅像が立っていた。彼は、やはり津山の誇りなのだろう。

    一旦、城下街歩きを切り上げ、津山駅へと戻る。駅前には、かの箕作阮甫の銅像が立っていた。彼は、やはり津山の誇りなのだろう。

  • 銅像の背後には、かつて津山線や会津の日中線などで活躍した蒸気機関車C11-80号機が保存されていた。今はかなり綺麗な状態だが、雨曝しなのが可哀そうである。この後、しばらく津山を離れ、美咲町にある柵原鉱山資料館を訪ねることにする。

    銅像の背後には、かつて津山線や会津の日中線などで活躍した蒸気機関車C11-80号機が保存されていた。今はかなり綺麗な状態だが、雨曝しなのが可哀そうである。この後、しばらく津山を離れ、美咲町にある柵原鉱山資料館を訪ねることにする。

    蒸気機関車C11-80号 名所・史跡

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この旅行記へのコメント (6)

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  • 前日光さん 2025/05/09 23:15:36
    鶴山城の桜
    こんばんは、旅猫さん
    昨年の三月末から四月初めにかけて、私も津山に行き、その後奥津温泉に行きました。
    鶴山の桜は、腰痛のため天守に登れず、ホテルのテラスから眺めたことを思い出します。
    まだ腰の痛みが完治する前に訪れたため、桜見物は充分にできませんでしたが、なかなか印象に残る津山の旅となりました。

    また城東地区の散策は、随分前に「洋楽資料館」を訪れたことがあります。
    この地の先学たちの近代日本に与えた影響などに、改めて驚かされたことを思い出します。
    この山里に文化の香りを感じ、また閉鎖的な空気の中で箕作元甫などの洋学者を輩出した風土に感心させられました。

    出雲街道をもう少し進むと、久世という町があり、そこの「旧遷喬(せんきょう)尋常高等小学校」の美しい建物に感動しました。
    津山は交通の便などを考えると、決して行きやすい場所ではありませんが、一見の価値がある町だと思います。

    鶴山の桜を間近で見てみたいという願いは、常にあります。
    でも階段がたくさんあって。。。(-"-)
    お城を遠くから眺めることしかできないかも。
    私とはまた違う目線での津山の旅、堪能させていただきました<m(__)m>


    前日光

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/05/10 06:47:46
    RE: 鶴山城の桜
    前日光さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    前日光さんは、奥津温泉へ行かれたのですね。
    こちらは、津山の後、湯原温泉へ行きました。

    津山城址の天守跡からの眺めはなかなか良かったです。
    思ったよりも狭いのですが、複雑に石垣が配され、興味深かったです。
    桜は七分咲きでしたが、それでも綺麗でした。

    私も、今回津山を訪れて、多くの先駆者たちの活躍を知り、津山のような山深い土地で、これほど多くの洋学者を輩出したことに驚きました。
    明治ばかりが文明開化のように喧伝されていますが、幕末、江戸幕府が多くの人材を全国から集め、数多くの新しい学問や技術を学ばせていたことが、その後の日本の発展に貢献したことを、もっと日本人は知るべきでしょう。

    久世はバスで通りました。
    『旧遷喬尋常高等小学校』と言うものが残っているのですね。
    昨年、登米で美しい『旧登米高等尋常小学校』を観ましたが、こちらもなかなかです。

    津山は気に入ったので、もう一度訪れてみたいと思っています。
    その時には、『旧遷喬尋常高等小学校』へも足を運べればと思います。

    確かに、津山城址は平山城なので、上り下りが少々きついですね。
    旅猫
  • 164-165さん 2025/05/04 06:51:13
    津山城と桜
    旅猫 さん おはようございます。
    いつも応援いただき有難うございます。
    津山城には桜の無い、しかも、雨降りで、観光客がほとんどいないだけが良かった時期に行きました。登城目的だったので文句は言えませんが、できれば花の時期に行きたかったです。七分咲きとは言え、石垣と桜は見事でした。ゆっくり市内観光もされ、いい旅でした。

               【164-165】

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/05/04 07:55:14
    RE: 津山城と桜
    164-165さん、おはようございます。

    こちらこそ、いつもありがとうございます。
    津山城は、やはり桜が咲く季節が一番綺麗ですね。
    まあ、城址だけでもよいですけど。
    今回は、開花が遅れていたので不安でしたが、一気に開花が進み、何とか花見が出来るくらいには咲き揃っていました。
    石垣に桜は、やはり映えますよね。

    旅猫
  • ポテのお散歩さん 2025/05/02 17:34:14
    津山の桜
    旅猫さん こんにちは。

    最近、私の行きたいリストに入っている所が続いていて嬉しいです。
    湯浅や和歌浦、桜の時期の津山です(^^)
    西日本に住んでいるので、旅猫さんよりも行き易いのに何をしてるんだか。。。(^-^;

    先日、4トラ旅行記で津山城を築いたのが森忠政だと初めて知りました。
    森蘭丸は信長の小姓で美少年というだけの認識だけでした。
    そんなレベルなので、森蘭丸の弟が殿様だったのが不思議でした。
    森可成が武将だったからですね。

    満開ではなかったそうですが、お写真では満開に見えます。
    お城の石垣に沿って咲く桜の控え目な色が美しく、
    石垣と桜の相乗効果が素敵ですね。

    街も城下町の佇まい そのままに、風情がありますね。
    この周辺は雰囲気のある街が点在し、温泉もあるので
    ゆっくり巡りたいです(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2025/05/02 23:06:18
    RE: 津山の桜
    ポテさん、こんばんは。

    いつもありがとうございます。
    津山も、ポテさんの行きたい場所でしたか!
    私も、ずっと訪れたかった場所です。
    ようやく行けましたが、関東からだと夜行列車ですね(笑)

    森忠政が、蘭丸のお兄さんなんだと知る人は少ないようです。
    当時は今と違い、病などで早死にする人は多かったのですが、五人の兄すべてが討ち死にと言う悲劇に見舞われ、家督と継いだ稀な人物です。

    桜は、満開に見えて、結構七分咲きが多いです。
    満開だと、散り始めの感じですね。
    写真だと分かりづらいのですが、ちょっと控えめなのです。
    そこが、綺麗なのですけどね。
    もちろん、満開でお堀に花弁が浮いていると情緒があって綺麗なのですけど。

    城東地区は、最近指定される街が多い重伝建です。
    古い建物を利用した洒落た店もありますが、古い町屋が続くので、なかなか風情があります。
    美作三湯と組み合わせれば、良い旅になるかと。
    ぜひ、ゆっくりと歩いてみてください。

    旅猫

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