2025/03/08 - 2025/03/09
5位(同エリア324件中)
旅猫さん
九州の旅の二日目は、黒川温泉から大分日田へ移動し、天領日田を歩く。日田も、学生時代から訪れてみたいと思っていた街である。初めてなので、古い町並みが残る豆田町を中心に歩くことにする。宿は、日田温泉に取った。
(2025.03.21投稿)
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
黒川温泉バス停から、予約していた10時15分発の高速バスに乗り、次の目的地である天領日田へと向かう。車内はほぼ満席で、やはりほとんどが隣国の人たちであった。途中、山間の集落やダム湖などが車窓を過ぎて行く。まだ、景色は冬色である。
-
日田バスターミナルには、1時間余りで着いた。ほとんどの乗客は、終点の博多まで行くようだ。向かいにある日田駅から、11時43分の列車に乗り、すぐ隣の光岡駅へと移動する。二両編成の気動車は、ゆっくりと動き出した。
-
光岡駅から歩き始めると、すぐにご当地マンホールがあった。日田市のものである。描かれているのは、三隈川で行われる伝統の鵜飼であった。
-
光岡駅まで来たのは、バスに乗るためである。バス停に向かって歩いていると、途中に趣のある石橋と門が見えて来た。岳林永昌禅寺と言う寺であった。風情のある佇まいなので、立ち寄ってみることにする。その門は、安永元年(1772)に建てられた総門だそうだ。塀の五本線から、皇室所縁の寺であることが分かる。説明板によれば、後醍醐天皇による九州唯一の勅願霊場だそうだ。
岳林寺 寺・神社・教会
-
総門を潜ると、境内は何とも言えない風情を感じる。往時は、幽玄な佇まいがあったのではないかと感じるほどだ。説明版によれば、豊臣家の滅亡を招いた方広寺の鐘銘を撰んだ清韓文英の墓があるそうだ。境内の一角に資料館があったが、閉まっていた。
-
近くの光岡小学校前バス停から、日田市のコミュニティバス『ひたはしり号』に乗り、日隈公園へと向かう。ところが、一つ手前のバス停を出たところで、運転手さんが「今日は、雛祭りのため、豆田町の方へは向かわず迂回します」との案内があった。驚いて、次の日の出町バス停で飛び降りた。訊けば、日隈公園までは1kmほどあると言う。もう少し手前で言って欲しかった。
コミュニティバスひたはしり号 乗り物
-
10分ほど歩くと、月隈公園が見えて来た。ここは、かつて日田を支配した永山城があった場所である。本丸跡まで登ってみることにする。途中、至る所に横穴が掘られていた。これは、古墳時代の横穴式墳墓だそうだ。
-
日田代官塩谷正義により発掘された際、多くの人骨などが出たそうで、それらを集めて麓に埋葬したそうである。その時に建てられたのが、『帰安碑』である。碑文は、廣瀬淡窓によるものだそうだ。廣瀬淡窓と言えば、江戸期最大規模の私塾『咸宜園』を興した人物である。
-
さらに登って行くと、石垣が現れた。思いのほか、しっかりとした造りと規模である。本丸南西の隅に当たる部分のようだ。
-
さらに登ると、本末北側の石垣も残っていた。そして、本丸跡には、月隈神社が鎮座していた。とりあえず、この社で地元の神様にご挨拶をした。
-
本丸跡からは、かつての城下町が望める。廃城後、麓には代官所などが置かれ、その南側に続くのが豆田町である。
-
三の丸跡に、『陰徳倉碑』と言うものがあった。これは、災害に備え、救い米を保管するための倉を建てた際、寄附を行った者の名などを刻んだものだそうだ。この制度を設けたのが、名代官と呼ばれた塩谷正義である。
月隈公園 名所・史跡
-
かつての大手門の両側には、濠と石垣が残っているが、明治の頃のものらしい。永山城は、天領となった寛永16年(1639)に廃城となったため、天領支配は、南側に設けられた日田陣屋で行われるようになる。
-
その日田陣屋は、現在、住宅街となっている。その一角に空き地があり、そこに案内板が立っていた。周辺に、『永山布役所跡』と言う標柱も立っているが、江戸時代には『日田御陣屋』と呼ばれていたようだ。
永山布政所跡碑 名所・史跡
-
その南側に、武家町と町人街を分けるように東西に流れているのは、花月川である。永山城の外濠の役割をしていた川だ。御幸橋から東側を眺めると、一新橋が見えている。江戸時代には、大橋と呼ばれていたそうだ。
-
その花見川を渡ると、急に観光客の姿が溢れて来た。一新橋の南詰には、歴史のありそうな建物が立っている。日田の造り酒屋であるクンチョウ酒造の店舗部分であった。
豆田町にある造り酒屋 by 旅猫さんクンチョウ酒造 専門店
-
混み合う店内を抜けると、奥には、江戸時代から明治初期までに建てられた蔵がいくつか立っている。その一部が資料館となっていた。
薫長酒蔵資料館 美術館・博物館
-
店へと戻り、試飲をさせてもらう。この日は、新酒の『生にごり原酒』と『純米吟醸 無濾過無加水ヌーボー』で、どちらも好みの味わいであった。
-
店の片隅に、有料で味わえる場所があったので、そこで、三種飲み比べをいただく。銘柄は、『超辛口純米』、「特別純米 薫長(青)』と、先ほど試飲したヌーボーであった。どれも悪くは無いが、結局、試飲しなかった『薫長 小値賀杜氏直伝 山廃 蔵付酵母仕込』を購入した。
-
クンチョウ酒造を出て、豆田町散策を始める。すると、すぐ左手に『旭饅頭』と言う和菓子屋があり、そば饅頭が日田の名物らしい。それではと立ち寄り、栗そば饅頭とそば饅頭を購入。食べてみると、これがなかなか美味しかった。やはり、饅頭は漉し餡に限る。
旭饅頭 グルメ・レストラン
-
すぐ先に、長福寺と言う寺があった。寛文9年(1669)に建立された本堂など、江戸期に建てられた堂宇が六棟もあるそうだ。拝観したかったが、入れないようであった。
長福寺 寺・神社・教会
-
お昼は、一本西寄りの道にあった『麦屋』と言う蕎麦屋にした。昨日のカツ丼ががっかりだったので、手堅く蕎麦にしたのだ。十割蕎麦を頼んだのだが、大したことはなかった。やはり、蕎麦は東日本の方が美味しい。
蕎麦・酒處 麦屋 グルメ・レストラン
-
豆田町は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているのだが、歩いてみると、それほどのことは無い。古い町並みを観光地化して失敗した例と言える。訪れる人は多く賑わっているが、町並みを観ると言うより、店を観て回っている感じだ。
豆田町界隈 名所・史跡
-
長福寺の前まで戻り、再び南へと歩いて行くと、鳥市本店と言う鶏肉専門店があった。数人並んでいたが、からあげが美味しそうだったので、つい購入してしまった。
鳥市 (本店) 専門店
-
胸肉四個入りで300円と少々お高いが、なかなか美味しかった。
-
からあげを食べるために入った路地の先には、浦町六地蔵と言う小さな御堂があり、その前を流れる水路には、素朴な石橋が掛かっていた。
-
豆田町には、廣瀬淡窓の生家もある。現在は、資料館となっているので見学が出来る。廣瀬家歴代の資料が展示してあり、なかなか興味深いものがあった。
財団法人廣瀬資料館 美術館・博物館
-
この日は、『天領日田おひなまつり』の期間中であったので、旧家や資料館などでは、受け継がれて来た古い雛飾りが展示されていた。歴史のある廣瀬家では、江戸時代に作成されたものがいくつか展示されていた。
-
観光地化されている豆田町でも、ふと風情を感じる場所もある。賑わいが一瞬途切れた時、その風情のある佇まいがさっと浮き上がる。
-
そんな一角に、草野本家の屋敷があった。年四回だけ一般公開されているそうで、『おひなまつり』期間中は、そのひとつであった。内部の撮影は禁止であったが、中庭だけは許可されていた。とても広い屋敷で、庭をぐるりと建物が囲っている。草野家は、元は筑後国在国司の家柄で、豊臣秀吉の九州征伐の折には龍造寺氏の家臣だったことから没落。日田に落ち延びた一族が生蝋製造業で財を成したそうである。
草野本家 名所・史跡
-
草野本家が立つ場所までが豆田町で、道が緩く鉤の手になっている場所から南は港町となる。町並みも変わり、観光客の姿は嘘のように消える。
-
港町に入り、地図を見ると、東側に淡窓の墓があるようだ。時間もあるので、立ち寄ってみることにする。長生園と言う場所で、訪れてみると、小さな公園のようになっていて、奥に廣瀬家の墓が立ち並んでいる。『文玄廣瀬先生之墓』と刻まれた墓が、淡窓の墓であった。
長生園 名所・史跡
-
長生園の南西に、淡窓が開いた私塾『咸宜園』の跡がある。その跡は、二つの建物を残して撤去されたが、国の史跡となっている。日田随一の史跡であるが、豆田町の喧騒が嘘のように静かである。広い敷地には、私だけしかいなかった。
咸宜園跡 名所・史跡
-
敷地内に現存する『秋風庵』を拝観する。天明元年(1781)、淡窓の伯父で俳人である廣瀬月化により建てられ、後に塾として使われたものだ。その名は、芭蕉の句より付けられている。
-
その斜向かいに、もうひとつの建物である『遠思楼』がある。元は商家の建物で、嘉永2年(1849)に咸宜園に移築されたそうだ。綺麗に整備されているが、どことなく、侘び寂びを感じる建物である。
-
咸宜園には、東塾と西塾があり、咸宜園跡の西側には、西塾跡もあり、井戸と石碑が残されていた。
-
咸宜園跡からさらに南へ進むと、日田養育館跡と言う石碑が立っていた。初代日田県知事松方正義が、明治2年に、孤児や貧児などを収容養育するために創設した施設だそうだ。明治という時代は、西洋化に心血を注ぎ、この世の春を謳歌した貴族がいた反面、地方では、その地域のために私財を投じて尽くした傑物を輩出した時代でもある。
-
久大本線の線路を潜り、さらに歩いて行く。途中で、宿のある日田温泉の方へと道を変えると、豆田町とは違う風情のある街並みとなった。
-
その先に、隅八坂神社があり、その境内には、宝永2年(1705)に京都から取り寄せ移植されたと言う松が枝を伸ばしている。『むらくもの松』と呼ばれるその松は、社殿を半周するように枝を伸ばし、何とも言えない姿をしていた。
八坂神社 寺・神社・教会
-
その八坂神社の向かいに、『日田祇園山鉾会館』がある。国の重要無形民族文化財に指定されている『日田祇園』の伝統伝承と保存を目的とした施設で、一階には、曳山行事で使用される山鉾が展示されていた。『日田祇園』は、豆田八阪神社・隈八坂神社・竹田若宮神社の三社の祭礼で、山鉾巡行は、三百年以上の歴史があるそうだ。
日田祇園山鉾会館 美術館・博物館
-
さらに歩くと、黎明館と言う煉瓦造りの建物があった。大正5年に、大分銀行日田支店として建てられたもので、外壁は煉瓦だが、木造建築物だそうだ。
黎明館 名所・史跡
-
そこから少し北へ進むと、明治32年(1899)創業の『まるはら』と言う味噌と醬油を醸す蔵がある。日田随一の古い企業で、代々原次郎左衛門を名乗っているそうだ。立ち寄りたかったが、閉店時間が迫っていたので、諦めた。次回は、必ず寄ることにする。
原次郎左衛門の味噌醤油蔵 名所・史跡
-
そして、日田温泉にある今宵の宿『亀山亭』に着いた。昭和を感じる古い佇まいで、部屋も年季が入っている。宿の方の対応も、事務的で好印象ではない。昨夜の宿が気持ちよかったので、余計に残念である。
日田温泉 亀山亭 宿・ホテル
-
窓からは、目の前に三隈川の流れが望める。陽が傾き、水面に夕陽が輝き美しい。
-
一階のロビーの外に、川に面して椅子などが置かれていた。ここで、景色を眺めながら本を読むのは良さそうだ。
-
この日は、素泊まりだったので、夕食を求めて外に出る。宿からすぐの所に、『中村屋』と言う和菓子の店があった。洒落た作りの建物で、そば饅頭も食べてみたかったが、夕食もあるのでそのまま通り過ぎる。
-
店を探したが、入った店はすべて断られてしまった。土曜日なので、独り者は嫌われる。仕方が無いので、コンビニでつまみを買い込み、クンチョウ酒造で買い込んできた、生にごり原酒で晩酌とした。
-
翌朝、朝風呂の前に、散策をする。川端に出ると、川霧が出ていた。
-
三隈川は、日田温泉の場所で流れが三筋に分かれていた。その二筋の別れる場所に、こんもりとした丘がある。それが日隈城跡である。豊臣時代、宮城豊盛により築かれた城で、毛利高政時代には、五層の天守がああったそうだ。
亀山公園 公園・植物園
-
城跡には、ほとんど以降は無く、大手門跡と伝わる石組が残るだけであった。その奥に、『義民 穴井六郎右衛門之碑』と言うものが立っていた。代官の悪政を訴えるため、幕府に直訴をして捕らえられ、釈放後、代官により処刑されたそうである。石碑は、その遺徳を偲び、大正時代に建立されたそうだ。
義民 穴井六郎右衛門之碑 名所・史跡
-
本丸跡には、日隈神社が鎮座していた。この城に、天守や櫓が存在したとは、今の城跡からは想像もできない。
日隈神社 寺・神社・教会
-
下りる途中、石碑があった。『近代三俳人句碑』と言うもので、明治から昭和にかけて活躍した俳人岩崎魚将、井上柿巷、古賀晨生の句が刻まれていた。日田は、江戸期から俳諧で著名だったそうだ。俳句を嗜むものとして、一句捻りたかったが、まったく思い浮かばなかった。
-
城跡の対岸には、趣のある家並が続いていた。川の氾濫に対処するため、土台が高くなっている。道に対して、各家が斜めに建てられているのも、水流を抑えるためであろう。
-
家並の前の川に、長方形や台形の突出したものがあった。『汲場』と呼ばれるもので、昭和の初めころまでは、近所の人たちが、米や野菜、洗濯ものなどの洗い場として利用していたものだそうだ。
-
宿へ戻り、朝風呂を使う。その後、部屋で寛ぐ。窓の外には、三隈川の鏡のような水面が見えていた。今日は、筑後吉井を訪ねることにする。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- hot chocolateさん 2025/03/30 06:26:55
- 豆田
- 旅猫さま
おはようございます。
冬のような寒い朝を迎えました。
天領日田、という地名はよく聞きますが、豆田というのは聞いたことがありません。
もちろん行ったことも。
今は、大陸からの観光客でいっぱいなのですね。
>古い町並みを観光地化して失敗した例と言える。
手厳しいご意見ですが、どんな失敗作か、逆に見てみたいですね。
>町並みを観ると言うより、店を観て回っている感じだ。
☆私もやりがちですが、反省!です。
重伝建に指定された町並みが、昔のまま残されるか、観光地化されて
お土産屋通りになるかは、そこに住む人たちの意識次第ですね。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2025/03/30 09:01:09
- RE: 豆田
- hot chocoさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
昨日今日と、急に気温が下がりましたね。
豆田町は、日田の中心であった町です。
かつて天領を支配した代官所もありました。
今でも、古い商家の建物が残っていますが、かなり綺麗に整備され、観光地化しています。
アジア系の外国人観光客の姿が非常に多く、日本情緒は希薄です。
日田と言えば、廣瀬淡窓と咸宜園、そして、日田祇園山鉾ですが、そこは豆田町から離れているため、日本人も含めて観光客の姿はほんとんどありませんでした。
多くの人にとっては、豆田町の洒落た店などに立ち寄るのが観光となっているようです。
先日、紀州路を旅した時も、重伝建に指定された場所でも、店がある場所には人が溢れ、少し離れただけで、私だけが歩いていると言う感じです。
世界遺産も日本遺産も重伝建も、登録されることに躍起になっているのは地元の議員さんと経済界の人たちばかりで、その構成要素を後世にきちんと伝えようとするかは、実際に住んでいる人たちの意識に掛かって来るのだと思います。
まあ、現代は目先の利益が優先なので、難しいところですが。
旅猫
-
- ポテのお散歩さん 2025/03/24 02:58:39
- 豆田
- 旅猫さん こんばんは。
昨年、12月に長崎へ行った時、帰りに途中で半日レンタカーを借りて
豆田へ寄って博多で泊ろうと計画していました。
例の捻挫で計画倒れとなったのですが、豆田は行きたい町でした。
重伝建の町並みに憧れていたのですが、お土産屋さん通りになっているのですね。
長崎の義兄・妹夫婦や姪達に『豆田へ行きたかった』事を話しても
誰も町の事は知りませんでした(^-^;
旅猫さんのお写真を拝見すると、風情のある神社やお寺も残されて
古い欄干の無い石橋などもあるようですが、肝心の重伝建の建物の保存の仕方が
残念だったのですね。
先人が残した大切なものを生かしながら次の世代に引き継ぐのは
難しいですね。
豆田の町へ行けなかったのですが、行かなかった方が良いイメージのままなので
良かったかも知れません(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2025/03/25 19:11:04
- RE: 豆田
- ポテさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
紀州路の旅から帰って来た途端、体調不良で寝込んでしまいました。。。
豆田は、かなり観光地化されていました。
古い建物の多くが観光客向けの店になっています。
しかも、重伝建の中でも、アジア系外国人の数はかなりだと思います。
ちなみに、風情のある神社や寺院は、重伝建から離れた場所にあるのです。
石橋は重伝建の街並みから近いですが、裏道の奥なので観光客は来ません。
重伝建に指定された街並みでは、やはり地元の方の意識の違いで、かなり雰囲気が違ってしまいますね。
世界遺産と同じで、指定を機に、一気に観光地化を目指そうとするところと、自分たちの生活が優先で、観光資本の流入を地元の人たちで防いでいる街とがはっきりしています。
今までに訪れた重伝建で良かったのは、青森の黒石中町、秋田の横手市増田、富山の高岡市金屋町、金沢市主計町、長野の塩尻市奈良井宿、東御市海野宿、滋賀の近江八幡、京都市嵯峨鳥居本、三重の関宿、兵庫の竜野、島根の大森町及び温泉津、岡山の倉敷、広島の竹原、鞆、愛媛の内子町、宮崎の美々津くらいでしょうか。
但し、金沢の主計町や島根の大森などは、変わってしまったようなので何とも言えず。
竜野は、訪れてから三十年以上経っているので、どうなっているのやら。
また、倉敷と鞆、竹原は、観光地化されているものの、風情は失われていないので。
なお、この中で断トツは関宿ですね。
重伝建だからと期待していくと、がっかりすることが多くあります。
登録されていない街でも、素晴らしい場所は他にもたくさんありますしね。
旅猫
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
日田(大分) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
55