2024/05/23 - 2024/05/24
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まつじゅんさん
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2024年のGW明け、近場の1泊お出かけ Ver.4です。
1日目は、富田林の寺内町を散策し、亀の井ホテル富田林で、湯浴みと美味しい料理で癒されました。
翌日は、10時前にホテルをチェックアウトし、近鉄の駅名でしか知らなかった瀧谷不動を参拝し、富田林市内に向かい、50年以上昔から気になっていた、PL教団の塔(私はバベルの塔と呼んでいましたが・・・・。)の内部を見学させてもらいました。
暫し、お茶休憩をはさみ、堺の鉄砲鍛冶屋敷で昔の鉄砲つくりの様子を見学し、イオンモール堺鉄砲町店で遅目のランチタイム&休憩し、帰路に着きました。
GWを避けたずらし旅、ゆっくりと近場の街並みを楽しむことが出来ました。
今回、これまで。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
ホテルの山を下りて府道202号経由で、10分程で瀧谷不動明王寺の駐車場に到着です。
私、滝谷不動という名前は、近鉄の駅名として50年位前から知っていましたが、訪れたのは初めてです。
寺伝によれば、821年に空海が龍泉寺に参籠した際、国家安泰、万民化益を願い、一刀三礼で不動明王・矜羯羅童子・制多迦童子の像を刻み、3体を祀るために諸堂が造営されたのを起源としているようです。
造営当初は、今の位置より約1km程南の嶽山の中腹にあり、広壮優美な堂塔・伽藍が整えられていたらしいですが、3度の兵火により焼失、再建が繰り返されてきましたが、1596年~1615年の慶長年間に、現在地に移り再建されたようです。
こちらが本堂、客殿方向への門となります。瀧谷不動明王寺 寺・神社・教会
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府道202号沿いに駐車場があり、道路の左右に山に沿ってお堂等が配置されています。
真言宗智山派の寺院、山号は瀧谷山で、正式な寺号は明王寺ですが、宗教法人としての登録名が「瀧谷不動明王寺」で、通称は山号の瀧谷山にちなんで滝谷不動と呼ばれています。
私の守り本尊である不動明王がご本尊でありながら、日本三不動の一つに数えられる有名な寺院を今まで知らなかったことお許しください。
「目の神様」「芽の出る不動様」として、信仰を集めているようです。 -
本堂です。
ご本尊の不動明王、弘法大師等が祀られていて、続きの奥の院には、十二天、真言八祖、各人の干支の守り本尊が祀られています。
1897年、中興・慈恭僧正により建立され、1928年に棟続きで奥の院が増築されています。 -
参道を上って行くと、多宝塔が現れます。
向い側には、三宝荒神堂等の向山伽藍を望むことが出来ます。
多宝塔は1984年、弘法大師御遠忌記念として建立されたようで、内陣には金剛界大日如来と両界曼陀羅が祀られています。 -
駐車場まで戻り、向山に上って行きます。
途中に、西国三十三所のミニ霊場巡りの惣拝所があり、ブロンズ製の聖観音が祀られています。瀧谷不動明王寺 寺・神社・教会
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もう少し上って行くと、西国三十三所堂があります。
こちらに、西国三十三所の御本尊が祀られていて、ひと廻りで全て廻る事が出来るという、ありがたいお堂です。
以前は、本堂裏山の参道に小堂があったようですが、1954年に向山に移され、1991年に荒神堂と共に駐車場工事に伴い取り壊され、2005年の酉年御開帳を記念して再建されたようです。 -
本堂方面を見ると、府道202号を挟んで、両側に伽藍配置されているのが良く解ります。
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駐車場に面して建つ明王殿です。
不動明王を祀るお堂で、ご本尊が現地に奉安されて550年を記念して2011年に建立されたもので、正月の時期の交通安全祈願殿となっているようです。 -
滝谷不動から富田林方面に向かいます。
目的地はここ、PLの塔です。
正式名称を「超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔」というらしいですが、独特の形をしてますね。
高さは180m、まるで粘土細工のような白い塔ですが、PL教団の2代目教祖であった御木徳近氏がデザインされたそうで、1970年8月1日に完成しています。
設計が、日建設計、施工は東急建設で、塔の下部には神殿もあるそうです。
私の奈良在住時代、富田林と言えば「PLの花火」が有名で、10万発とも言われていて、葛城山越しでも、空の色が変わるほど、凄い花火大会が開催されていました。
1953年の開始から2019年まで、66年間毎年8月1日に開催されていましたが、2020年からCOVID-19の影響で中止されているそうです。
今年は開催されるのでしょうか。
PL学園と言えば、高校野球で桑田、清原選手を始め幾多の名選手が活躍していましたし、多くの運動部が全国レベルの力を持っていて有名でした。
当時は布教活動の一環として高校野球に力を入れていたそうですが、現在では野球部は、2016年に休部となっていますが、学校自体も存続が非常に厳しい状態だそうです。超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔 名所・史跡
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展望塔の内部にはエレベーターがあり、上部には展望台も設けられていて、落成時には展望台を信者以外の一般客にも公開していたそうですが、現在は低層部の神殿部のみ見学することが出来ます。
当時は近隣にPLランドという遊園地も運営していたそうですが、PLランドも、規模を縮小し「桜ヶ丘遊園」に時代を経て、1989年9月に閉園となり、春は塔周りの桜の時期には見学者も多いそうですが、通常はガラーンとしていました。 -
それでも、係の方が丁寧に神殿等を案内してくれて、窓ふきの大変さや、春の桜の素晴らしさ等、色々とお話をさせて頂きました。
神殿には、宗教の違いを超えて、全世界、全時代の戦争犠牲者の霊を奉祀しているそうです。
PL教団の神殿という事では無いようです。 -
天理教の神殿を訪れた時も感じたのですが、宗教施設に来ると何故か疲れます。
神社や寺院廻りを良くする私達ですが、特に新興宗教の聖地等は、気軽に訪れる事が出来ないのも一因だと思いますが、兎に角疲れました。
という事で、PLの塔近くの「コメダ珈琲 金剛東店」で休憩&クールダウンです。 -
甘い物を取って気持ちも落ち着いてきたので、関西の情報番組で紹介されていた堺に向かいます。
北摂に住む私達は、あまりなじみのない地域ですが、大阪市に次ぐ大都市で人口は80万人を超える政令指定都市です。
鳥取県の人口の約1.5倍以上ですから、凄いですね。
イオンモール堺鉄砲町に車を停め、近くの全国で唯一残る、江戸時代の鉄炮鍛冶作業場兼住居で、堺市の有形文化財に指定されている「鉄炮鍛冶屋敷」に向かいます。
表口17間半(約35m)、面積約950m2という広大な屋敷で、風格ある門が迎えてくれます。鉄砲鍛冶屋敷 名所・史跡
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諸説あるようですが、種子島に伝わった鉄炮の製法を、橘屋又三郎等が堺に伝えた事から、堺が日本一の鉄炮の生産地なったと言われています。
鉄砲鍛冶屋敷は、全国で唯一残る、江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居の井上関右衛門家住宅で、2018年に堺市に建物が寄贈され、堺市が整備、公開したものです。
貴重な民芸品等も数多くあり、鉄砲以外にも大量の帳簿や注文書、顧客一覧等2万点以上の史料の一部が展示されています。 -
館内に入ると、6分程のショートムービーで堺と鉄炮、井上家の成り立ち等が紹介されます。
土間は「仕上場」と呼ばれる、鉄炮づくりの最終工程である組み立てや調整が行われた場所で、鉄炮鍛冶であった井上家には、ほかの町家にはない特徴を持つ部屋が多く残っています。 -
職住一体の町家では、敷地の奥に設けた居住スペースに対し、通りに面した部屋が ビジネスの場=「みせの間」になります。
展示されているのは、井上家が実際に使っていた「大福帳」や、日々の業務を記録した「萬覚帳」等、これらの史料を元に、井上家の年間受注数や生産数、顧客数の推移等から堺の鉄砲鍛冶について、研究が進められているそうです。 -
時代劇でおなじみの帳場も再現されています。
実物の帳簿、顧客の名を記した絵符、店売りよりも大名や旗本からの注文生産を得意としていた井上家ならではの、詳細な下絵や設計図を添えた「鉄炮注文図面」も多数展示されています。 -
館内には茶室や庭園もあり、多くの見所があります。
一流の経営者で、かつ文化人であった歴代当主が、お金を掛けて整備た造作も見所です。 -
堺市が譲り受けて、耐震補強工事を行ったようです。
こんな所が気になるのは、建築屋さんの性でしょうが、鉄骨コラムは見えないように、上手に隠して欲しかったですね。 -
こちらの目玉展示の「鍛冶場」は、明治期の絵図を元に鍛冶場を再現し、屋敷に残されていた銃身や、炉に風を送る送風装置のフイゴが展示されています。
真っ直ぐで歪みのない銃身づくりが鉄炮製造の要で、古墳時代から堺に受け継がれてきた「鉄のものづくり」の象徴とも言えます。
CGを駆使した映像で、炉の炎で熱した鉄板を叩いて鍛え、筒状に整形していく鍛造工程が分かりやすく紹介されていました。 -
鉄炮鍛冶の仕事を、ゲーム感覚で学べるコーナーもありました。
モニターに現れる親方の指示に従い、炉の温度を上げた後、テンポ良く槌を振り下ろすリズムゲームです。
徐々に難易度が上がって行きますが、鉄砲年寄の認定を受けました。 -
隣接して、堺市立町家歴史館「清学院」があります。
1689年の堺大絵図に「山伏清学院」と記録があり、修験道の道場として歴史があります。
江戸後期から明治初期にかけては「清光堂」という寺子屋として使用されており、堺市北旅籠町で生まれ、仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海氏も、ここで学んでいたそうです。
河口慧海ゆかりの資料を中心に寺子屋教科書等の展示も行っていますので、堺市立町家歴史館 清学院 寺・神社・教会
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南海本線七道駅前に、河口慧海像がありました。
翻訳仏典に疑問を感じ、33歳の時に仏典を求めてヒマラヤ山脈を越えチベットに入り、47歳の時にもチベットに渡り、帰国後は在家仏教僧として、仏教の普及に生涯を捧げた方のようです。
当時の体験を「チベット旅行記」としてまとめ、学術的価値とともに、探険記としても評価を受けているそうです。 -
歩き疲れてきたので、イオンモール 堺鉄砲町で休憩です。
ここに車も留めているので、早い目の夕食を頂き、帰路に着く事としました。
ダイセル堺工場跡に2016年2月開業した、大型ショッピングモールです。
設計施工は㈱竹中工務店で、2017年に第37回大阪都市景観建築賞奨励賞を受賞しています。イオンモール 堺鉄砲町 ショッピングモール
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館内を徘徊していると、外にレトロな外観が目をひく赤レンガ館がありました。
1910年建築の、元堺セルロイドの本社工場らしいです。
夕食と言いながら、ランチメニューがまだあったので、海の穂まれで「おひつごはん膳」を頂き、帰路に着きました。
今回、これまで。海の穂まれ イオンモール堺鉄砲町店 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (1)
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- 豚のしっぽさん 2025/01/22 20:01:16
- 同じく(^◇^;)
- 私も駅名でしか知らなかったです「滝谷不動」
考えたら近鉄長野線はあまり利用したことないかも
利用しても富田林までかな。。。
思えば河内長野に行く時は南海線を使ってなと…
(あまり行く事はないけど)
ちょっぴり興味が! 滝谷不動駅
しっぽ
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