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2022年12月20日(火)の夜、宇治黄檗の萬福寺で開催された黄檗ランタンフェスティバルに出掛けた話は書いたが、改めて萬福寺に付いて書く。<br />https://4travel.jp/travelogue/11799135<br /><br />まずは夕方の5時過ぎ、JR奈良線の黄檗駅に降り立つ(下の写真1)。1961年に国鉄奈良線の木幡・宇治間の新設駅として開業。1987年の国鉄分割民営化によりJR西日本の奈良線の駅となる。JR奈良線に関しては以下参照。快速は停車しない。<br />https://4travel.jp/travelogue/11631254<br /><br />約200m北に京阪の黄檗駅があるが、完全に独立しており、両駅間の連絡通路などもなく、乗り換えにはJR線東側の府道とJRの踏切を行き来するしかない。京阪黄檗駅はJR駅よりはるかに古く、1913年(大正2年)の京阪宇治線の開業と共に黄檗山駅として開業。1926年(大正15年)に黄檗駅と改称された。<br /><br />JR黄檗駅は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、駅員は常駐してない。改札は宇治・奈良方面の2番ホームの東側にしかなく、京都駅方面の1番ホームは跨線橋を越える必要があり、エレベータは設置されていないので、駅員不在時間帯には車椅子での通行はほぼ不可能。<br /><br />黄檗(おうばく)の名前はランタンフェスティバルが開かれた黄檗山萬福寺から来ており、地名にはなっていない。地名としては京都府宇治市五ケ庄。京都府と宇治市に関しては以前書いたものがある。<br />京都府<br />https://4travel.jp/travelogue/11837208<br />宇治市<br />https://4travel.jp/travelogue/11648049#google_vignette<br /><br />五ケ庄(ごかのしょう)は黄檗駅の回り、宇治川から西側の高峰山、五雲峰までの東西に細長い地域で、その名は近衛家の領地であった五箇庄に由来している。江戸時代までは奈良街道を中心として、その東西に散在する八つの集落を総称した五ヶ庄村だった。1889年(明治22年)の町村制の施行で宇治村となり、東宇治町を経て、1951年に宇治市になった。<br /><br />JR駅から府道を北に進み、京阪駅のホームの東側の三差路を東に向かうと萬福寺門前を通る府道に出、右折すればすぐに萬福寺の総門前に出るが、左手奥には、紫雲院や萬松院などの萬福寺の塔頭が並ぶ。<br /><br />紫雲院は江戸前期前期の臨済宗黄檗宗派の渡来僧・木庵性&#29803;(もくあん しょうとう)により1674年に創建。現在地には1875年(明治8年)に移転した。<br /><br />萬松院は1671年に黄檗宗の僧・東巌が師・龍渓性潜(りゅうけい しょうせん)の塔所として創建。右手の石段上の高台にあるのは龍谿の開山塔の天光塔で京都府指定文化財に指定されている。創建の翌年に後水尾法皇の寄進により建立され、法皇の勅により真骨が塔内に納められている。<br /><br />さて、この紫雲院や萬松院など最大時には33の塔頭をかかえた萬福寺だが、黄檗宗の大本山で、山号が黄檗山。創建は1661年で、本尊は釈迦如来。寺の名は開祖の明からの渡来僧、隠元隆が来日前に住職を務めていた黄檗山万福寺(現在の福建省福州市)に由来する。なお、黄檗山は中国の萬福寺がある山にキハダ(中国の漢名で&#40643;蘗)が群生していたことから来ている。<br /><br />日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有している。<br /><br />黄檗宗は上述の隠元隆を開祖とする日本の宗派で、臨済宗、曹洞宗と共に日本の三禅宗とされる。日本だけの宗派であり、中国などには存在しない。<br /><br />黄檗宗の名は中国の黄檗山万福寺で修業し、後に現在の江西省宜春市に黄檗山黄檗寺を開いた9世紀の唐の禅僧の黄檗希運から来ているとも云われるが、黄檗希運自体は唐代の禅宗の一派である洪州宗の僧侶で日本の黄檗宗との直接のつながりはなく、日本の黄檗山萬福寺から来ていると云う説の方が正しいように思う。<br /><br />黄檗宗の教義・修行・儀礼・布教は臨済宗と異ならないとされるが、明末清初の国粋化運動の下で明朝復興を願い、中国禅の正統を自任して臨済正宗を名乗ったことによるとされる。明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。<br /><br />江戸幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て教勢を拡大し、1745年の記録には1043末寺とある。明治に入り、1874年(明治7年)に政府により禅宗は臨済、曹洞の二宗と定められたため、強引に臨済宗黄檗派に改称させられたが、2年後に黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立した。<br /><br />仙台の大年寺、萩の東光寺、鳥取の興禅寺は黄檗宗の宗門開創期における三大修行道場である三大叢林(そうりん)と呼ばれる。崇福寺、福済寺、興福寺、聖福寺の長崎四福寺や甲府から大和郡山に移った永慶寺、高崎だるま市で知られる達磨寺なども黄檗宗。<br /><br />開祖の隠元は中国、明の時代の末期、秀吉が文禄の役を起こした1592年に福建省福州府に生まれる。29歳で仏門に入り、46歳の時、故郷の黄檗山万福寺の住職となる。この時明にすでに高名で、その名声は日本にも届いていた。<br /><br />隠元が長崎・興福寺の来日僧、逸然性融(いつねん しょうゆう)らの招きに応じて来日したのは4代将軍徳川家綱の時代の1654年。隠元はすでに63歳で、高齢を理由に渡日を辞退していたが、先に招かれた弟子の也嬾性圭(やらん しょうけい)が船の遭難で亡くなったこともあり、3年の約束で来日した。<br /><br />最初は長崎の興福寺、次いで摂津国富田(現大阪府高槻市)の普門寺に住した。1658年に江戸へ赴き、家綱に拝謁。1660年に幕府によって与えられたのが山城国宇治にあった近衛家の所領で、建てられたのが黄檗山萬福寺。<br /><br />1661年に開創され、1679年頃に造営がほぼ完成した。隠元は1664年に萬福寺内の松隠堂に隠居し、1673年に再び祖国の地を踏むことなく亡くなった。日本滞在は3年のはずが19年に及んだ。<br /><br />隠元と弟子の木庵性&#29803;(上述のように紫雲院を創建)、さらに別の弟子の即非如一(そくひ にょいつ)はいずれも書道の達人で、黄檗の三筆と称される。<br /><br />隠元の来日と萬福寺の開創によって、新しい禅がもたらされただけでなく、さまざまな中国文化が日本にもたらされた。隠元の名に由来するインゲンマメのほか、孟宗竹、スイカ、レンコンなどをもたらしたのも隠元だと云われている。<br /><br /><br />境内に入るが、続く

京都 宇治 黄檗山萬福寺(Manpukuji-temple,Obaku,Uji,Kyoto,Japan)

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2022/12/20 - 2022/12/20

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旅行記グループ 萬福寺

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年12月20日(火)の夜、宇治黄檗の萬福寺で開催された黄檗ランタンフェスティバルに出掛けた話は書いたが、改めて萬福寺に付いて書く。
https://4travel.jp/travelogue/11799135

まずは夕方の5時過ぎ、JR奈良線の黄檗駅に降り立つ(下の写真1)。1961年に国鉄奈良線の木幡・宇治間の新設駅として開業。1987年の国鉄分割民営化によりJR西日本の奈良線の駅となる。JR奈良線に関しては以下参照。快速は停車しない。
https://4travel.jp/travelogue/11631254

約200m北に京阪の黄檗駅があるが、完全に独立しており、両駅間の連絡通路などもなく、乗り換えにはJR線東側の府道とJRの踏切を行き来するしかない。京阪黄檗駅はJR駅よりはるかに古く、1913年(大正2年)の京阪宇治線の開業と共に黄檗山駅として開業。1926年(大正15年)に黄檗駅と改称された。

JR黄檗駅は相対式ホーム2面2線を持つ地上駅で、駅員は常駐してない。改札は宇治・奈良方面の2番ホームの東側にしかなく、京都駅方面の1番ホームは跨線橋を越える必要があり、エレベータは設置されていないので、駅員不在時間帯には車椅子での通行はほぼ不可能。

黄檗(おうばく)の名前はランタンフェスティバルが開かれた黄檗山萬福寺から来ており、地名にはなっていない。地名としては京都府宇治市五ケ庄。京都府と宇治市に関しては以前書いたものがある。
京都府
https://4travel.jp/travelogue/11837208
宇治市
https://4travel.jp/travelogue/11648049#google_vignette

五ケ庄(ごかのしょう)は黄檗駅の回り、宇治川から西側の高峰山、五雲峰までの東西に細長い地域で、その名は近衛家の領地であった五箇庄に由来している。江戸時代までは奈良街道を中心として、その東西に散在する八つの集落を総称した五ヶ庄村だった。1889年(明治22年)の町村制の施行で宇治村となり、東宇治町を経て、1951年に宇治市になった。

JR駅から府道を北に進み、京阪駅のホームの東側の三差路を東に向かうと萬福寺門前を通る府道に出、右折すればすぐに萬福寺の総門前に出るが、左手奥には、紫雲院や萬松院などの萬福寺の塔頭が並ぶ。

紫雲院は江戸前期前期の臨済宗黄檗宗派の渡来僧・木庵性瑫(もくあん しょうとう)により1674年に創建。現在地には1875年(明治8年)に移転した。

萬松院は1671年に黄檗宗の僧・東巌が師・龍渓性潜(りゅうけい しょうせん)の塔所として創建。右手の石段上の高台にあるのは龍谿の開山塔の天光塔で京都府指定文化財に指定されている。創建の翌年に後水尾法皇の寄進により建立され、法皇の勅により真骨が塔内に納められている。

さて、この紫雲院や萬松院など最大時には33の塔頭をかかえた萬福寺だが、黄檗宗の大本山で、山号が黄檗山。創建は1661年で、本尊は釈迦如来。寺の名は開祖の明からの渡来僧、隠元隆が来日前に住職を務めていた黄檗山万福寺(現在の福建省福州市)に由来する。なお、黄檗山は中国の萬福寺がある山にキハダ(中国の漢名で黃蘗)が群生していたことから来ている。

日本の近世以前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の中心寺院で、建物や仏像の様式、儀式作法から精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有している。

黄檗宗は上述の隠元隆を開祖とする日本の宗派で、臨済宗、曹洞宗と共に日本の三禅宗とされる。日本だけの宗派であり、中国などには存在しない。

黄檗宗の名は中国の黄檗山万福寺で修業し、後に現在の江西省宜春市に黄檗山黄檗寺を開いた9世紀の唐の禅僧の黄檗希運から来ているとも云われるが、黄檗希運自体は唐代の禅宗の一派である洪州宗の僧侶で日本の黄檗宗との直接のつながりはなく、日本の黄檗山萬福寺から来ていると云う説の方が正しいように思う。

黄檗宗の教義・修行・儀礼・布教は臨済宗と異ならないとされるが、明末清初の国粋化運動の下で明朝復興を願い、中国禅の正統を自任して臨済正宗を名乗ったことによるとされる。明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。

江戸幕府の外護を背景として、大名達の支援を得て教勢を拡大し、1745年の記録には1043末寺とある。明治に入り、1874年(明治7年)に政府により禅宗は臨済、曹洞の二宗と定められたため、強引に臨済宗黄檗派に改称させられたが、2年後に黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立した。

仙台の大年寺、萩の東光寺、鳥取の興禅寺は黄檗宗の宗門開創期における三大修行道場である三大叢林(そうりん)と呼ばれる。崇福寺、福済寺、興福寺、聖福寺の長崎四福寺や甲府から大和郡山に移った永慶寺、高崎だるま市で知られる達磨寺なども黄檗宗。

開祖の隠元は中国、明の時代の末期、秀吉が文禄の役を起こした1592年に福建省福州府に生まれる。29歳で仏門に入り、46歳の時、故郷の黄檗山万福寺の住職となる。この時明にすでに高名で、その名声は日本にも届いていた。

隠元が長崎・興福寺の来日僧、逸然性融(いつねん しょうゆう)らの招きに応じて来日したのは4代将軍徳川家綱の時代の1654年。隠元はすでに63歳で、高齢を理由に渡日を辞退していたが、先に招かれた弟子の也嬾性圭(やらん しょうけい)が船の遭難で亡くなったこともあり、3年の約束で来日した。

最初は長崎の興福寺、次いで摂津国富田(現大阪府高槻市)の普門寺に住した。1658年に江戸へ赴き、家綱に拝謁。1660年に幕府によって与えられたのが山城国宇治にあった近衛家の所領で、建てられたのが黄檗山萬福寺。

1661年に開創され、1679年頃に造営がほぼ完成した。隠元は1664年に萬福寺内の松隠堂に隠居し、1673年に再び祖国の地を踏むことなく亡くなった。日本滞在は3年のはずが19年に及んだ。

隠元と弟子の木庵性瑫(上述のように紫雲院を創建)、さらに別の弟子の即非如一(そくひ にょいつ)はいずれも書道の達人で、黄檗の三筆と称される。

隠元の来日と萬福寺の開創によって、新しい禅がもたらされただけでなく、さまざまな中国文化が日本にもたらされた。隠元の名に由来するインゲンマメのほか、孟宗竹、スイカ、レンコンなどをもたらしたのも隠元だと云われている。


境内に入るが、続く

  • 写真1 JR黄檗駅

    写真1 JR黄檗駅

  • 写真2 萬福寺塔頭 紫雲院

    写真2 萬福寺塔頭 紫雲院

  • 写真3 萬福寺塔頭 萬松院

    写真3 萬福寺塔頭 萬松院

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