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2022年3月5日(土)お昼前、午後から亀岡のサンガスタジアムで開催されるJ1のリーグ戦観戦前に亀岡の穴太(あなお)地区にある古刹を訪ねた。<br /><br />11時にJR亀岡駅に到着し、バスで箕面市から大阪市に通じる国道423号線の穴太口に移動する(下の写真1)。亀岡市ではサンガの土日のホームゲーム開催日は市内ノーマイカーDayとし、亀岡市内のバス運賃が無料としているのでそれを利用。<br /><br />11時15分過ぎ、穴太口でバスを降りる。穴太はかつては南桑田郡穴太村だったところで、現在の亀岡市の中心部西寄りに位置する。国道423号線の辺りは重利村で、穴太口は穴太への入口ってことだね。<br /><br />穴太村や重利村は1889年(明治22年)に他の7村と合併して曽我部村となったが、1955年(昭和30年)に亀岡町や他の14村と合併して亀岡市となる。共に今は亀岡市曽我部町の字となっている。亀岡市については下記の旅行記に書いたので、参照のこと。<br />https://4travel.jp/travelogue/11748728<br /><br />亀岡市は京都府にある15の市のうちの1つで、旧国名で云えば丹波国の最南端に位置しているが、京都府は旧丹波国の東部と山城国、丹後国の全域から構成されている。<br /><br />初めて京都府が置かれたのは明治に改元直前の1868年6月。この時は主に山城国の藩領を除く地域だった。1871年(明治4年)の廃藩置県による第1次府県統合で丹波国域の桑田郡、船井郡、何鹿郡を併合する。さらに、1876年(明治9年)の第2次府県統合で丹後5郡と丹波国域の天田郡を併合し、現在の府域がほぼ画定した。<br /><br />「府」は当初幕府直轄地の中で奉行が直接支配していたところに付けたもので、1868年(明治元年)には京都、大阪の他、東京や箱館(現在の北海道)、神奈川など10地域に付けられたが、翌1869年に京都、大阪、東京のみ「府」とする太政官布告が発令された(東京府は1943年(昭和18年)に東京市と合併して東京都となった)。京都の名前の由来は京都市と同じ(下記参照)。<br />https://4travel.jp/travelogue/11832454<br /><br />本州の中央付近、近畿地方に位置し、福井県、滋賀県、三重県、奈良県、兵庫県、大阪府の各府県と隣接し、北部の丹後半島と舞鶴湾、若狭湾は日本海に面する。北西から南東方向に長さ約140kmの細長い形状をしている。面積約4600平方㎞は和歌山県よりわずかに小さく、山梨県よりわずかに大きく、47都道府県で31番目の広さ。<br /><br />人口は約255万人で、47都道府県中13番目に多いが、2004年の約265万人をピークに減少中。ただし、1980年頃に250万人を超えてから、あまり大きくは変動してない。特筆すべきは140万人以上が京都市に集中していること。都道府県内最大人口の自治体が総人口の50%以上を占めている都道府県は東京23区を1つの自治体とした場合以外には存在しない。<br /><br />北部に丹後山地、福知山盆地、中央部に丹波高地、亀岡盆地、南部に京都盆地があり、標高1,000m以下の低山地帯を形成している。府の面積の75%以上が山地・丘陵地。北部山間部は有数の豪雪地帯。府庁は丹後地域、中丹地域、南丹地域、京都市域、山城地域の5つの地域圏に分けている。<br /><br />私の住んでいる南山城地方や実家のある乙訓地方には弥生時代の遺跡が残る。古墳時代の古墳も多い。飛鳥時代には継体天皇が筒城宮(現在の京田辺市)、乙訓宮(現在の長岡京市)が置かれた。奈良時代に恭仁京(現在の木津川市)、長岡京(現在の向日市)が置かれ、794年以降は現在の京都市に都が置かれた。<br /><br />現在、ざっくり云えば京都市域と山城地域は観光業、製造業が中心で、南丹地域は農業と林業、中丹地域と丹後地域は漁業、水運業、製造業。世界遺産の「古都京都の文化財」の対象の京都市、宇治市以外にも天橋立、伊根の舟屋、石清水八幡宮、舞鶴などの観光地は有名。<br /><br />京都市を舞台とする作品は多いが、ほとんどが京都市・宇治市を舞台としている。府内の出身者については大変多いので、各市町村や区の紹介に任せる。<br /><br />バス停から国道を離れて田んぼの中の道を西に向かう。10分足らず、600mほど西の府道407号東掛小林線、旧茨木街道との交差点で右折、北に向かう。すぐに左手に原田邸のセンダンがある。京都府では最大のセンダンの巨木。樹高17m、幹周4.4m。樹齢は少なくとも430 年を超えていると考えられる。昭和25年のジェーン台風のときに枝が折れ、年輪を調べると360本あったそうだ(下の写真2)。<br /><br />センダン(栴檀)は6月に薄い紫の花を付けるセンダン科の落葉高木で、四国・九州・南西諸島に自生しており、街路樹としても植えられることが多い植物。アフチ、トウヘンボク、棟(おうち)とも呼ばれる。我が家の近くの木津川河川敷にも多いが、「センダンは双葉より芳しい」と云われるセンダンはこの木のことではなく、白檀(ビャクダン)を指す。<br /><br />この道を200mほど北へ進むと穴太寺の仁王門に突き当たるが、ここから穴太になる。穴太寺辺りから犬飼川沿いに北側に伸びており、室町時代の記録に残る地名。<br /><br />大昔、村内の神明社に大きな桑の木があり、その上部がうつぼになっており、そこに毎年稲が生じ穂を出していたことから、穴穂(あなほ)と呼ばれるようになったと云われる。それが、徐々に穴生(あなふ)、穴尾(あなを)に変じ、現在の穴太(あなお)となった。これから行く穴太寺の院主は代々今に至るまで、穴穂の姓を名乗っているそうだ。<br /><br />新宗教「大本」の二大教祖の一人である出口王仁三郎が生まれ(1871年(明治4年))、29歳まで過ごした村。1898年(明治31年)、集落から約1㎞西の高熊山(丁塚山)の頂上近くの洞窟で一週間の霊的修行を行い、神の道に目覚めたと云う。新宗教「大本」の話は亀山城址の時に書いた(下記参照)。<br />https://4travel.jp/travelogue/11778633<br /><br /><br />穴太寺の話は、続く

京都 亀岡 穴太(Anao,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2022/03/05 - 2022/03/05

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旅行記グループ 亀岡穴太

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月5日(土)お昼前、午後から亀岡のサンガスタジアムで開催されるJ1のリーグ戦観戦前に亀岡の穴太(あなお)地区にある古刹を訪ねた。

11時にJR亀岡駅に到着し、バスで箕面市から大阪市に通じる国道423号線の穴太口に移動する(下の写真1)。亀岡市ではサンガの土日のホームゲーム開催日は市内ノーマイカーDayとし、亀岡市内のバス運賃が無料としているのでそれを利用。

11時15分過ぎ、穴太口でバスを降りる。穴太はかつては南桑田郡穴太村だったところで、現在の亀岡市の中心部西寄りに位置する。国道423号線の辺りは重利村で、穴太口は穴太への入口ってことだね。

穴太村や重利村は1889年(明治22年)に他の7村と合併して曽我部村となったが、1955年(昭和30年)に亀岡町や他の14村と合併して亀岡市となる。共に今は亀岡市曽我部町の字となっている。亀岡市については下記の旅行記に書いたので、参照のこと。
https://4travel.jp/travelogue/11748728

亀岡市は京都府にある15の市のうちの1つで、旧国名で云えば丹波国の最南端に位置しているが、京都府は旧丹波国の東部と山城国、丹後国の全域から構成されている。

初めて京都府が置かれたのは明治に改元直前の1868年6月。この時は主に山城国の藩領を除く地域だった。1871年(明治4年)の廃藩置県による第1次府県統合で丹波国域の桑田郡、船井郡、何鹿郡を併合する。さらに、1876年(明治9年)の第2次府県統合で丹後5郡と丹波国域の天田郡を併合し、現在の府域がほぼ画定した。

「府」は当初幕府直轄地の中で奉行が直接支配していたところに付けたもので、1868年(明治元年)には京都、大阪の他、東京や箱館(現在の北海道)、神奈川など10地域に付けられたが、翌1869年に京都、大阪、東京のみ「府」とする太政官布告が発令された(東京府は1943年(昭和18年)に東京市と合併して東京都となった)。京都の名前の由来は京都市と同じ(下記参照)。
https://4travel.jp/travelogue/11832454

本州の中央付近、近畿地方に位置し、福井県、滋賀県、三重県、奈良県、兵庫県、大阪府の各府県と隣接し、北部の丹後半島と舞鶴湾、若狭湾は日本海に面する。北西から南東方向に長さ約140kmの細長い形状をしている。面積約4600平方㎞は和歌山県よりわずかに小さく、山梨県よりわずかに大きく、47都道府県で31番目の広さ。

人口は約255万人で、47都道府県中13番目に多いが、2004年の約265万人をピークに減少中。ただし、1980年頃に250万人を超えてから、あまり大きくは変動してない。特筆すべきは140万人以上が京都市に集中していること。都道府県内最大人口の自治体が総人口の50%以上を占めている都道府県は東京23区を1つの自治体とした場合以外には存在しない。

北部に丹後山地、福知山盆地、中央部に丹波高地、亀岡盆地、南部に京都盆地があり、標高1,000m以下の低山地帯を形成している。府の面積の75%以上が山地・丘陵地。北部山間部は有数の豪雪地帯。府庁は丹後地域、中丹地域、南丹地域、京都市域、山城地域の5つの地域圏に分けている。

私の住んでいる南山城地方や実家のある乙訓地方には弥生時代の遺跡が残る。古墳時代の古墳も多い。飛鳥時代には継体天皇が筒城宮(現在の京田辺市)、乙訓宮(現在の長岡京市)が置かれた。奈良時代に恭仁京(現在の木津川市)、長岡京(現在の向日市)が置かれ、794年以降は現在の京都市に都が置かれた。

現在、ざっくり云えば京都市域と山城地域は観光業、製造業が中心で、南丹地域は農業と林業、中丹地域と丹後地域は漁業、水運業、製造業。世界遺産の「古都京都の文化財」の対象の京都市、宇治市以外にも天橋立、伊根の舟屋、石清水八幡宮、舞鶴などの観光地は有名。

京都市を舞台とする作品は多いが、ほとんどが京都市・宇治市を舞台としている。府内の出身者については大変多いので、各市町村や区の紹介に任せる。

バス停から国道を離れて田んぼの中の道を西に向かう。10分足らず、600mほど西の府道407号東掛小林線、旧茨木街道との交差点で右折、北に向かう。すぐに左手に原田邸のセンダンがある。京都府では最大のセンダンの巨木。樹高17m、幹周4.4m。樹齢は少なくとも430 年を超えていると考えられる。昭和25年のジェーン台風のときに枝が折れ、年輪を調べると360本あったそうだ(下の写真2)。

センダン(栴檀)は6月に薄い紫の花を付けるセンダン科の落葉高木で、四国・九州・南西諸島に自生しており、街路樹としても植えられることが多い植物。アフチ、トウヘンボク、棟(おうち)とも呼ばれる。我が家の近くの木津川河川敷にも多いが、「センダンは双葉より芳しい」と云われるセンダンはこの木のことではなく、白檀(ビャクダン)を指す。

この道を200mほど北へ進むと穴太寺の仁王門に突き当たるが、ここから穴太になる。穴太寺辺りから犬飼川沿いに北側に伸びており、室町時代の記録に残る地名。

大昔、村内の神明社に大きな桑の木があり、その上部がうつぼになっており、そこに毎年稲が生じ穂を出していたことから、穴穂(あなほ)と呼ばれるようになったと云われる。それが、徐々に穴生(あなふ)、穴尾(あなを)に変じ、現在の穴太(あなお)となった。これから行く穴太寺の院主は代々今に至るまで、穴穂の姓を名乗っているそうだ。

新宗教「大本」の二大教祖の一人である出口王仁三郎が生まれ(1871年(明治4年))、29歳まで過ごした村。1898年(明治31年)、集落から約1㎞西の高熊山(丁塚山)の頂上近くの洞窟で一週間の霊的修行を行い、神の道に目覚めたと云う。新宗教「大本」の話は亀山城址の時に書いた(下記参照)。
https://4travel.jp/travelogue/11778633


穴太寺の話は、続く

  • 写真1 亀岡駅バス乗り場

    写真1 亀岡駅バス乗り場

  • 写真2 原田邸のセンダン

    写真2 原田邸のセンダン

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