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2020年9月15日(火)、異様に暑かった夏も終わって、ようやく出歩く気のする気候になった秋晴れの1日、宇治に出掛けた。これまで何回か宇治には来ているが、行ったことのないところがいくつかあるので、この日はそういったところを回る。<br /><br />この日回ったのは宇治と云えば多くの人が思い浮かべる平等院のある辺りで、宇治市の中心と云えるところだが、宇治市自体は北西の六地蔵から南西の大久保、北東の笠取、南東の白川までの地域で、約67.5平方㎞あり、京都府の26市町村で12番目。ただし、人口は18万人を越え、京都市に次いでいる。京都盆地の南東部に位置し、京都市に接し、東は滋賀県大津市、東南が宇治田原町、南が城陽市、南西が久御山町となる。<br /><br />古代から交通の要衝、貴族の別業の地として発展し、多くの歴史・文化遺産を生み出してきた。また、市内を南東から北西に貫く宇治川の清流や周辺の豊かな緑など、自然にも満ちた都市となっている。茶業は、開発により市内の茶農地は減少しているが、茶匠の名跡の多くが市内にあり、伝統的な産業となっている。宇治の名前の由来には諸説あるが、宇治市史では東と南が山で、西が今は埋め立てられて無くなった巨椋(おぐら)池で囲まれていたことから、これらの内側と云うことから「うち」と呼ばれたのが起源としている。<br /><br />平安時代に書かれた日本霊異記に646年に宇治橋を架けたとの記述がある。平安時代の1052年には藤原頼通が平等院を建立した。源平の時代には1183年に宇治川の戦いがあった。鎌倉時代の1221年には後鳥羽上皇による承久の乱の最後の戦いの舞台となった。<br /><br />平等院のある宇治川左岸辺りが元々宇治で、 町村制の施行により、明治22年(1889年)に宇治郷、白川村を含んだ宇治町が正式に誕生。この時、川向こうの宇治川右岸は、五ヶ庄村、木幡(こわた)村、莵道(とどう)村、志津川村と六地蔵村の一部の区域をまとめて宇治村とした。宇治村は1942年に笠取村と合併して東宇治町となる。その後、東宇治町では京都市への編入派が消極的賛成も含めると88%にまで及んだが、結局は1951年にこの2つに槇島村、小倉村、大久保村を加えた宇治市が誕生した。<br /><br />古くは源氏物語の最後の話、宇治十帖の舞台であり、最近では武田綾乃原作、京アニ制作のアニメで有名な「響け!ユーフォニアム」シリーズの舞台でもある。主人公の久美子や幼馴染の秀一の自宅が平等院の近くで、度々この日行った辺りの描写が登場している。<br /><br />シンガーの岡崎体育は3歳から宇治に住み、宇治中から木津川市の南陽高校を経て、同志社大学に進んだ。漫才コンビ麒麟の川島は東宇治にある莵道高校の出身。ちなみに地理的には六地蔵に移されているが「響け!ユーフォニアム」の北宇治高校のモデルはこの莵道高校。また、女優の中村静香は大久保出身、タレントの安田美沙子は五ヶ庄出身、狂言師和泉元彌の妻、羽野晶紀や現在メジャーリーガーの平野投手は小倉出身。さらに、名優長谷川一夫は六地蔵出身。<br /><br />お昼前にJR宇治駅に到着。日中は30分に1本あるJR奈良線のみやこ路快速なら京都駅から20分足らず。この駅は1896年(明治29年)にJR奈良線の前身で、その前の年に京都駅から桃山駅まで開通していた奈良鉄道が玉水駅まで延伸された時に開業。奈良鉄道はその後、1905年(明治38年)に現在のJRの関西本線や片町線、紀勢本線、大阪環状線の前身である関西鉄道に譲渡され、さらに1907年(明治40年)に国有化され国鉄となり、1987年(昭和62年)に 国鉄分割民営化によりJR西日本となった。<br /><br />駅は開業時からずっと単式・島式複合型2面3線のホームを持つ地上駅だったが、2000年8月に島式ホーム2面4線を持つ橋上駅に改築された。外観は平等院鳳凰堂をモチーフとしている。旧駅舎があった南側が観光の起点で、大きなロータリにはバス停が並び、商店も多く並ぶ。北側は主に住宅地。<br /><br />南側ロータリの先のバス通り(府道15号宇治淀線)を横切り、2017年にオープンした伊藤久右衛門JR宇治駅前店・茶房の横を通って宇治橋通りに向かう。伊藤久右衛門は江戸時代後期の1832年に伊藤常右衛門が現在の宇治田原町で創業した茶業の老舗。1952年に宇治に移り、伊藤常右衛門の名を拝し、初代社長伊藤久三の名を組み合わせ、(株)伊藤久右衛門本店とした。現在の本社はJR宇治駅から1㎞ほど北東の宇治菟道(とどう)にある。<br /><br />宇治橋通りへの突き当たりにあるのは中村藤吉宇治本店。中村藤吉も江戸時代後期、1854年に創業した茶業の老舗。現在の本社はJR宇治駅の約1㎞西の宇治蔭山にあるが、この地が創業の地だった。(株)中村藤吉本店として1949年に設立され、歴代の当主は戸籍を改名して中村藤吉を名乗っており、現在は6代目。<br /><br />宇治橋通りはここから南西約350m先の府道と市道の宇治壱番交差点から宇治橋西詰とを結ぶ約800mの商店街で、お茶の老舗の他、100軒以上の店が軒を連ねている。元々はこの道が府道15号宇治淀線であったが、2018年4月に市道であったバス通りと交換して市道宇治橋線となった。<br /><br />宇治橋に向かって歩きだすと左手にあるのが茶願寿カフェ。宇治から茶、味噌、醤油など日本食の象徴とも言える食品を提供している(株)ヤマサンのカフェ&amp;ショップで、全商品を試食することが出来る。そのはす向かいにあるいろり割烹「紅家」では備長炭の囲炉裏で焼かれた旬の食材が食べられる。シェフはミシュラン一つ星を獲得されているとのこと(下の写真1)。その先左手にある「はなれ中村製麺」は2013年オープンで京のお出汁を使った京都宇治うどんが食べられる(下の写真2)。<br /><br />その先は辻利(つじり)宇治本店。ここも江戸時代後期、1860年に茶農家の辻利右衛門(利兵衛)が弟と宇治で開業した茶業の老舗。1950年に(株)辻利一本店となり、ここに本社を置く。同じく宇治にある辻利兵衛本店や祇園商店街にある祇園辻利は親戚筋。<br /><br />そこから少し先に行った右側にある「地鶏家心」は、朝挽きの京赤地鶏を備長炭で焼き上げている。その斜め向かいの京都銀行宇治支店の角に宇治代官所跡の碑が建つ。江戸時代初期にここに宇治郷の代官所が置かれ、本能寺の変の折に徳川家康の三河帰還に助力した功績により、上林(かんばやし)氏が代官に取り立てられ、以後幕末に京都代官・小堀氏に代わるまで、200年近くもの永きにわたって代官を務めた。明治維新以降も役所として機能していた。<br /><br />その先に進むと右側に上林記念館と云うのがある。お隣にある上林春松(しゅんしょう)本店(表紙の写真)が家に伝わる歴史資料を公開するために1977年にオープンしたもの。通りに面している長屋門はいつ建てられたかは不明だが、1698年の宇治大火の後で、約300年前とされている。大正年間に向かって左側の長屋が崩壊し、右側のみ現存している。かつてはこの通りに、このような門構えが10数軒並んでいたそうだが、現在ではこの長屋門だけが唯一の遺構となっている。入らなかったが200円で入館できるそうで、禁裡・幕府や大名家に茶を運んだ呂宋壺や豊臣秀吉の書状などが展示されているそうだ。<br /><br />ここからさらに宇治橋方向に進むとお茶のかんばやし宇治橋通り本店があるのだが、この通りと平等院表参道には4軒、上林(あるいはかんばやし)が付くお茶屋がある。この4店舗は違う3社のお店でややこしい。この通りに並ぶ上林春松本店とお茶のかんばやしは親戚筋らしい。共に戦国時代の永禄年間(1558年~69年)に初代上林春松軒が宇治橋の西一丁に居を構えたのが始まりで、上林春松本店として1952年に有限会社として設立された。<br /><br />その後、現上林春松本店会長の次男が跡を継いだが、経緯は不明だが継がないはずだった長男が継ぐことに変わり、次男が独立して1967年に設立したのが(株)お茶のかんばやし。どろどろの世界かしら。お茶のかんばやしは平等院表参道とこの後向かった縣(あがた)神社の先にも店舗がある。記念館の隣の上林春松本店の小売店は2010年にオープンしたもので、それまでは直営店はなかったそうだ。<br /><br />あと、平等院表参道のかんばやしの隣にある三星園上林三入本店は上記の2社との姻戚関係はなく天正年間(1573年~92年)創業。ここには宇治茶の歴史を知ることが出来る宇治茶資料室があり、また抹茶づくり体験も出来る。こちらは5年ほど前に行ったことがあるが、その話はまた別に。<br /><br />さらに通りを進み、宇治橋の手前まで行くと左手に「とにまる」。京あめと宇治抹茶スイーツのカフェ&amp;ショップ。スイーツから飛び出したこだわりオリジナルハンバーグも人気だそうだ。この通り、最初に書いたようにたくさんの店が並ぶが、ここで紹介したのは、たまたま目に着いただけのところ。私たちは目的がこの通りの店ではなかったので、どこにも入ってない。<br /><br />宇治駅から10分余りで宇治橋西詰に到着。夢浮橋広場と呼ばれる広場に、夢浮橋之古蹟の碑と紫式部の像。紫式部が11世紀の初めころに書いた源氏物語の橋姫で始まり夢浮橋で終わる最後の十帖が、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋を描いた物語。近年になってその宇治十帖の舞台がこの付近であって欲しいとの思いから、宇治川周辺に宇治十帖の古蹟が作られたが、その一つがここにある夢浮橋之古蹟。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4585868414816480&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />縣神社に続く。

京都 宇治 宇治橋通り(Ujibashi Bridge Street, Uji, Kyoto, JP)

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2020/09/15 - 2020/09/15

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旅行記グループ 宇治

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ちふゆ

ちふゆさん

2020年9月15日(火)、異様に暑かった夏も終わって、ようやく出歩く気のする気候になった秋晴れの1日、宇治に出掛けた。これまで何回か宇治には来ているが、行ったことのないところがいくつかあるので、この日はそういったところを回る。

この日回ったのは宇治と云えば多くの人が思い浮かべる平等院のある辺りで、宇治市の中心と云えるところだが、宇治市自体は北西の六地蔵から南西の大久保、北東の笠取、南東の白川までの地域で、約67.5平方㎞あり、京都府の26市町村で12番目。ただし、人口は18万人を越え、京都市に次いでいる。京都盆地の南東部に位置し、京都市に接し、東は滋賀県大津市、東南が宇治田原町、南が城陽市、南西が久御山町となる。

古代から交通の要衝、貴族の別業の地として発展し、多くの歴史・文化遺産を生み出してきた。また、市内を南東から北西に貫く宇治川の清流や周辺の豊かな緑など、自然にも満ちた都市となっている。茶業は、開発により市内の茶農地は減少しているが、茶匠の名跡の多くが市内にあり、伝統的な産業となっている。宇治の名前の由来には諸説あるが、宇治市史では東と南が山で、西が今は埋め立てられて無くなった巨椋(おぐら)池で囲まれていたことから、これらの内側と云うことから「うち」と呼ばれたのが起源としている。

平安時代に書かれた日本霊異記に646年に宇治橋を架けたとの記述がある。平安時代の1052年には藤原頼通が平等院を建立した。源平の時代には1183年に宇治川の戦いがあった。鎌倉時代の1221年には後鳥羽上皇による承久の乱の最後の戦いの舞台となった。

平等院のある宇治川左岸辺りが元々宇治で、 町村制の施行により、明治22年(1889年)に宇治郷、白川村を含んだ宇治町が正式に誕生。この時、川向こうの宇治川右岸は、五ヶ庄村、木幡(こわた)村、莵道(とどう)村、志津川村と六地蔵村の一部の区域をまとめて宇治村とした。宇治村は1942年に笠取村と合併して東宇治町となる。その後、東宇治町では京都市への編入派が消極的賛成も含めると88%にまで及んだが、結局は1951年にこの2つに槇島村、小倉村、大久保村を加えた宇治市が誕生した。

古くは源氏物語の最後の話、宇治十帖の舞台であり、最近では武田綾乃原作、京アニ制作のアニメで有名な「響け!ユーフォニアム」シリーズの舞台でもある。主人公の久美子や幼馴染の秀一の自宅が平等院の近くで、度々この日行った辺りの描写が登場している。

シンガーの岡崎体育は3歳から宇治に住み、宇治中から木津川市の南陽高校を経て、同志社大学に進んだ。漫才コンビ麒麟の川島は東宇治にある莵道高校の出身。ちなみに地理的には六地蔵に移されているが「響け!ユーフォニアム」の北宇治高校のモデルはこの莵道高校。また、女優の中村静香は大久保出身、タレントの安田美沙子は五ヶ庄出身、狂言師和泉元彌の妻、羽野晶紀や現在メジャーリーガーの平野投手は小倉出身。さらに、名優長谷川一夫は六地蔵出身。

お昼前にJR宇治駅に到着。日中は30分に1本あるJR奈良線のみやこ路快速なら京都駅から20分足らず。この駅は1896年(明治29年)にJR奈良線の前身で、その前の年に京都駅から桃山駅まで開通していた奈良鉄道が玉水駅まで延伸された時に開業。奈良鉄道はその後、1905年(明治38年)に現在のJRの関西本線や片町線、紀勢本線、大阪環状線の前身である関西鉄道に譲渡され、さらに1907年(明治40年)に国有化され国鉄となり、1987年(昭和62年)に 国鉄分割民営化によりJR西日本となった。

駅は開業時からずっと単式・島式複合型2面3線のホームを持つ地上駅だったが、2000年8月に島式ホーム2面4線を持つ橋上駅に改築された。外観は平等院鳳凰堂をモチーフとしている。旧駅舎があった南側が観光の起点で、大きなロータリにはバス停が並び、商店も多く並ぶ。北側は主に住宅地。

南側ロータリの先のバス通り(府道15号宇治淀線)を横切り、2017年にオープンした伊藤久右衛門JR宇治駅前店・茶房の横を通って宇治橋通りに向かう。伊藤久右衛門は江戸時代後期の1832年に伊藤常右衛門が現在の宇治田原町で創業した茶業の老舗。1952年に宇治に移り、伊藤常右衛門の名を拝し、初代社長伊藤久三の名を組み合わせ、(株)伊藤久右衛門本店とした。現在の本社はJR宇治駅から1㎞ほど北東の宇治菟道(とどう)にある。

宇治橋通りへの突き当たりにあるのは中村藤吉宇治本店。中村藤吉も江戸時代後期、1854年に創業した茶業の老舗。現在の本社はJR宇治駅の約1㎞西の宇治蔭山にあるが、この地が創業の地だった。(株)中村藤吉本店として1949年に設立され、歴代の当主は戸籍を改名して中村藤吉を名乗っており、現在は6代目。

宇治橋通りはここから南西約350m先の府道と市道の宇治壱番交差点から宇治橋西詰とを結ぶ約800mの商店街で、お茶の老舗の他、100軒以上の店が軒を連ねている。元々はこの道が府道15号宇治淀線であったが、2018年4月に市道であったバス通りと交換して市道宇治橋線となった。

宇治橋に向かって歩きだすと左手にあるのが茶願寿カフェ。宇治から茶、味噌、醤油など日本食の象徴とも言える食品を提供している(株)ヤマサンのカフェ&ショップで、全商品を試食することが出来る。そのはす向かいにあるいろり割烹「紅家」では備長炭の囲炉裏で焼かれた旬の食材が食べられる。シェフはミシュラン一つ星を獲得されているとのこと(下の写真1)。その先左手にある「はなれ中村製麺」は2013年オープンで京のお出汁を使った京都宇治うどんが食べられる(下の写真2)。

その先は辻利(つじり)宇治本店。ここも江戸時代後期、1860年に茶農家の辻利右衛門(利兵衛)が弟と宇治で開業した茶業の老舗。1950年に(株)辻利一本店となり、ここに本社を置く。同じく宇治にある辻利兵衛本店や祇園商店街にある祇園辻利は親戚筋。

そこから少し先に行った右側にある「地鶏家心」は、朝挽きの京赤地鶏を備長炭で焼き上げている。その斜め向かいの京都銀行宇治支店の角に宇治代官所跡の碑が建つ。江戸時代初期にここに宇治郷の代官所が置かれ、本能寺の変の折に徳川家康の三河帰還に助力した功績により、上林(かんばやし)氏が代官に取り立てられ、以後幕末に京都代官・小堀氏に代わるまで、200年近くもの永きにわたって代官を務めた。明治維新以降も役所として機能していた。

その先に進むと右側に上林記念館と云うのがある。お隣にある上林春松(しゅんしょう)本店(表紙の写真)が家に伝わる歴史資料を公開するために1977年にオープンしたもの。通りに面している長屋門はいつ建てられたかは不明だが、1698年の宇治大火の後で、約300年前とされている。大正年間に向かって左側の長屋が崩壊し、右側のみ現存している。かつてはこの通りに、このような門構えが10数軒並んでいたそうだが、現在ではこの長屋門だけが唯一の遺構となっている。入らなかったが200円で入館できるそうで、禁裡・幕府や大名家に茶を運んだ呂宋壺や豊臣秀吉の書状などが展示されているそうだ。

ここからさらに宇治橋方向に進むとお茶のかんばやし宇治橋通り本店があるのだが、この通りと平等院表参道には4軒、上林(あるいはかんばやし)が付くお茶屋がある。この4店舗は違う3社のお店でややこしい。この通りに並ぶ上林春松本店とお茶のかんばやしは親戚筋らしい。共に戦国時代の永禄年間(1558年~69年)に初代上林春松軒が宇治橋の西一丁に居を構えたのが始まりで、上林春松本店として1952年に有限会社として設立された。

その後、現上林春松本店会長の次男が跡を継いだが、経緯は不明だが継がないはずだった長男が継ぐことに変わり、次男が独立して1967年に設立したのが(株)お茶のかんばやし。どろどろの世界かしら。お茶のかんばやしは平等院表参道とこの後向かった縣(あがた)神社の先にも店舗がある。記念館の隣の上林春松本店の小売店は2010年にオープンしたもので、それまでは直営店はなかったそうだ。

あと、平等院表参道のかんばやしの隣にある三星園上林三入本店は上記の2社との姻戚関係はなく天正年間(1573年~92年)創業。ここには宇治茶の歴史を知ることが出来る宇治茶資料室があり、また抹茶づくり体験も出来る。こちらは5年ほど前に行ったことがあるが、その話はまた別に。

さらに通りを進み、宇治橋の手前まで行くと左手に「とにまる」。京あめと宇治抹茶スイーツのカフェ&ショップ。スイーツから飛び出したこだわりオリジナルハンバーグも人気だそうだ。この通り、最初に書いたようにたくさんの店が並ぶが、ここで紹介したのは、たまたま目に着いただけのところ。私たちは目的がこの通りの店ではなかったので、どこにも入ってない。

宇治駅から10分余りで宇治橋西詰に到着。夢浮橋広場と呼ばれる広場に、夢浮橋之古蹟の碑と紫式部の像。紫式部が11世紀の初めころに書いた源氏物語の橋姫で始まり夢浮橋で終わる最後の十帖が、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋を描いた物語。近年になってその宇治十帖の舞台がこの付近であって欲しいとの思いから、宇治川周辺に宇治十帖の古蹟が作られたが、その一つがここにある夢浮橋之古蹟。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.4585868414816480&type=1&l=223fe1adec


縣神社に続く。

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  • 写真1 いろり紅家

    写真1 いろり紅家

  • 写真2 はなれ 中村製麺

    写真2 はなれ 中村製麺

  • 写真3 夢浮橋之古蹟の碑と紫式部の像

    写真3 夢浮橋之古蹟の碑と紫式部の像

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