2024/11/06 - 2024/11/06
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たびたびさん
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最終日の目玉は、志布志と鹿屋。志布志は、鹿児島県からすると宮崎県との県境にあるのですが、本来は大隅国ではなく、日向国。鹿児島県の設立とともに鹿児島県に組み込まれたという経緯のようですね。ただ、直接には都城県から鹿児島県への組み換え。志布志だけではなくて、大きくはかつての島津荘の範囲。姶良郡なんかも同じですから、あんまり特別な感はないと思います。志布志はその平安時代末期に開かれた島津荘の唯一の港。江戸期にも薩摩藩直轄の内外交易の地として繁栄。今も引き続き志布志港は南九州の重要港湾および中核国際港湾に指定されていて、沖縄方面への大型フェリー「さんふらわあ」、Aライン・マルエーフェリーが就航しています。
一方で、島津家との関係で言うと奥州家初代当主、島津氏久が大隅国統一の過程で志布志城を居城としたこともあるという重要な地。肝付氏や畠山氏は日向国の勢力との関係も足掛かりに島津氏に対抗していましたから、この地を押さえることは極めて重要なことだったのだと思います。ただ、その攻防の中で、志布志城の城主はころころと変わり、畠山氏(反島津)→新納氏(島津氏久)→肝付氏(反島津)→島津氏と変遷。島津氏の平定が一筋縄にはいかなかったことを物語るものですね。一方で、奥州家初代当主、島津氏久の墓が市内、即心院跡に残っていたりして、島津氏の影響力がその頃に一段と強化されたのも間違いないことのように思います。
そして、もう一つの目玉が鹿屋。鹿屋航空基地史料館をはじめとする先の大戦の史跡群です。鹿児島では知覧の知覧特攻平和会館が全国的に有名ですが、知覧は陸軍の特攻基地。対して、鹿屋には海軍の特攻基地があって、その資料館が鹿屋航空基地史料館なんですね。知覧に比べると全国的な知名度は落ちるのですが、やはり両方を見ないとバランスは取れないのかな。アクセスがあまりよくないのもあってこれまで行けていませんでしたが、今回はとうとうそれが叶えられたという気持ちですね。
さて、鹿屋航空基地史料館を拝見して、誤解を恐れずに申し上げると、その説明ぶりは極めて冷静。特攻作戦の非人間性云々よりも、圧倒的な物量で押し寄せる敵に対抗するためにはやむを得ない側面があったこと。そして、そうした国を守るという使命はその後も変わることはなく、今も懸命な取り組みが行われていること。一連の流れを切れ目なく理解してほしいと訴えているようでした。特攻隊員の遺影や遺品も多く展示されていましたが、「特攻隊員の犠牲は無駄ではない。自らの使命を果たした結果のものである」という視点だったと思います。平和は尊いものですが、平和を守るために国を守るために力が必要なのは、それも冷徹な現実の姿。過去を振り返ることは必要ですが、一方で、今目の前にある危機に対応していくことはこんなにも覚悟が必要なことなんだなと改めて思い知らされたような気がしました。
一方で、南方戦線であったような多くの玉砕など激戦地の惨状だけでなく、全国各地の大規模空襲の被害に、沖縄戦の悲劇や広島・長崎の原爆投下の地獄は、もう決してあってはならないこと。その不戦の決意こそが戦後日本の平和主義の原点です。さらに加えれば、その不戦の決意は大戦が日本が起こした侵略戦争だったという反省が基本です。そういう意味だと特攻隊員の犠牲は侵略戦争の結果のものですから、今直面している祖国防衛のための取り組みとは似て非なるものになってしまうのですが、自衛隊は内容にかかわらず命令に服従する立場。こうした整理はぎりぎりのところなんだろうなという気もします。
こうした視点の延長としてはやっぱり靖国神社の話にもなるので、ここで私なりにちょっと触れておきたいと思います。まず、国のために命をささげた人々に哀悼の意を表すのは当然という気持ちはだれも否定はできないでしょう。一方で、靖国神社に戦犯が合祀されていることがアジアの国々に理解されがたいというのも周知された事実ですね。また、戦犯については、合祀を解消することが簡単にはできないという技術的な制約のほかに、大戦の責任は戦犯だけの問題ではない。あるいは極東裁判の正当性如何といった根本的な疑問を唱える人たちもいなくはなくて、けっこう難しい問題です。さらに、あまり知られていないかもしれませんが、靖国神社の遊就館。大戦のあれこれを整理展示していて、その主張の本意は、たぶん、大東亜共栄圏とかに象徴される、大戦は正しい戦争だったというもの。政府の施設ではないので公的な議論の対象にはなりませんが、靖国神社がそうした考え方を今も変えていない。あるいは、少なくともそうした当時の思想を反省の対象とはせず紹介するのみに留まっているということは知っておいてもいいことかなと思います。反面、残念ながら、一方で、それを全否定できるかというとそういうことでもないのかな。当時、侵略戦争はダメという国際ルールはありませんでしたし、それは現在でもそう。ロシアのウクライナ侵攻も、日本はそれは侵略戦争だからダメとは言っていなくて、「法と秩序。力による現状変更に反対する」という言い方に留まっていますよね。本音ベースで言えば、「日本も正しいと思って始めた戦争だったが、あれは侵略戦争だった。ロシアも正義の戦いと言っているけど侵略戦争。ダメだよね」みたいな当たり前と思える論法は、世界では必ずしも通じない。それが本当のところだと思います。そういう意味だと日本の平和憲法って、やっぱりすごいことなんですけどね。
つまり、何が言いたいかというと、戦後の日本が国是としてきた平和主義ですが、論理的にはオールマイティなものではないということ。むしろ論理的には不完全な脆さを持ったものだということなのです。国民全体の共感や賛同があってこそ成り立っているものであり、だからこそ不断の努力が必要な平和主義なのだという認識が大事なのだと思います。幸いなことに、その平和主義は戦後80年大きな揺らぎはなかったのですが、私が最近けっこう心配しているのはグローバリズムへの懐疑。グローバリズムは、貿易の自由化とか国境の壁をできるだけ低くすることがお互いの豊かさにつながるという考え方。それは大きな成果を生みましたし、ロシアや中国もその恩恵に預かったのですが、その豊かさによって独裁主義は崩れて民主主義が勝利するといった希望的期待の方はまったく当てが外れてしまいました。むしろ、豊かさがある程度行き渡った後に残った移民問題のような社会の不安定さに焦点が当たって、グローバリズム自体への懐疑の念が深まっているのが今の姿だと思います。それは仕方がない面もあるのですが、心配の理由は、日本の平和主義はグローバリズムの恩恵が少なからずあって日本の平和主義でカバーできないところをグローバリズム(=仲よくすれば世界は豊かになれる)が補っていた側面があったのではないかという理解です。あれはダメこれはダメだけでは積極的な平和主義としてちょっと足りないような気がします。ただ、さらに言えば、その疑念はグローバリズムだけではなく、民主主義に対しても向けら始めていて、これこそ由々しき問題ではあるのですが、とにかく平和を考える道はどこまでも果てしない道。環境が変わっても諦めてはいけないし、油断してもいけない。少し入り口は違ったかもしれませんが、鹿屋でいろいろ考えさせられてもその結論は同じになったのかなと思います。
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では、さっそく早朝から志布志の町を散策です。
志布志鉄道記念公園は、昭和62年に廃止となった大隅・志布志線が乗り入れていた志布志駅の跡地を利用した鉄道公園。 -
そこまで広くはないですが、C58蒸気機関車が保存展示されていたりして、今はなきかつての鉄道の歴史を留めています。
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さらに市街中心部に入って
大慈寺は、興国元年(1340年)、南朝方の武将、楡井頼仲が建立した臨済宗のお寺。 -
簡単な山門には、二体の石造り仁王像。
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なかなかに古びていて、天和2年(1682年)の作。一度は地中に埋もれていたというものです。
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それにしても、ここは市街地ですが、生け垣を抜けて境内に入ると深山のような雰囲気。
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かつては「臨済宗十刹」とも言われ隆盛を誇った寺ですが、本堂はけっこう傷みがきている感じ。ただ、文化財は多数伝えているようです。
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そして、ほどなく即心院跡です。
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大慈寺の16の支院の1つ即心院の跡で、島津氏6代氏久と敬外夫人の墓碑が並んで残っています。
なお、氏久は嘉暦3年(1328年)生まれ。何度か触れていますが、奥州家初代当主。足利尊氏ら北朝に属し、大隅の守護職として約30年間、志布志城の城主だったという人物です。 -
商家 (山中氏邸)は、明治15年築といわれる二階建土蔵造の町家。通りに面して、白漆喰大壁のお化けのような廃墟が建っています。
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敷地内にも入れるのですが、これも崩れそうな蔵が一棟。また、種田山頭火の歌碑もありまして、歴史のある旧家であることはわかります。
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小さな公園で見つけた肝付兼続の墓。
肝付兼続は、肝付氏の第16代当主。永正8年(1511年)の生まれですから、島津氏久の後の時代。当初は島津氏との関係を重視していたということですから、島津氏久の大隅統一ではまだ肝付氏は滅びていないということですね。その後、肝付兼続は島津氏の反旗を翻し、日向の伊東氏と結んだりして大隅をほぼ平定。これを撃ち破ったのが、島津の中興の祖、島津貴久という流れです。島津氏久も肝付兼続も一時は大隅国で覇を唱えた人物。ともに志布志に墓があるというのは、志布志の重要性を物語っているのではないかと思います。 -
面白いのは虎ヶ石。これは、曽我兄弟の富士の裾野での仇討に関連した史跡。虎というのは、曽我兄弟の兄、十郎の愛妾、大磯の虎女は兄弟の死後、その菩提を弔うため諸国を巡ったと伝えられ、この石はその虎女が志布志にも来て、曾我兄弟のために建てた供養塔だということです。鎌倉時代の初めの頃のもので、島津氏が島津莊に下向する元寇の時代よりずっと前のもの。それにしては、けっこうちゃんと保存されています。
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マルチョンラーメンは、朝7時からやっていて、そこそこお客さんが入っているのを見て私も試しに入ってみました。
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きれいな味わいのスープにはもやしがいっぱい入っていて、独特の爽やかさ。麺もちょっとつるつる感や弾力があって、印象的。チャーシューも正統派かな。全体として、地元ではけっこう有名なようですが、確かに完成度が高いラーメンだと思います。
朝ラーメンが志布志の名物とは知りませんでしたね。 -
ところで、
藩政時代、薩摩藩ではキリスト教や一向宗や禁じられていたのですが、金剛寺は明治9年の信仰自由の布告によって、いち早く再開を果たした浄土真宗のお寺。 -
ただ、そういう歴史もあってか浄土真宗にある独特の厳めしい雰囲気はないような。むしろひっそりとしているような佇まいです。
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津口番所跡は、志布志の市街を流れる前川の河口の近くにある石垣に囲まれたそれらしい跡。白い杭が建っていて、説明文が。江戸時代、前川河口には船着場があり、船の積み荷を取り締まる番所があった。現在は石垣だけが当時の雰囲気を残しているとありました。大阪などへの回船の荷物を取り締まっていたようです。
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宝満寺も前川沿い。広い駐車場があって、その奥まったところに建つお堂です。
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もともとは奈良時代に建立された寺のようですが、今はこの再建された観音堂が建つのみ。安産にご利益があるといわれ、春はお釈迦まつりがあったり、秋の紅葉時期も賑わうようです。ただ、そうでなければ寂しい一角かなと思います。
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さて、ここから志布志城やその麓の武家屋敷のエリアに入ります。
そもそも、鹿児島には、藩政時代の麓と呼ばれる武家集落がいくつも残っていますが、志布志に残っているのは志布志麓です。志布志城に囲まれた谷間地を貫く通り沿いにかつての武家屋敷がポツポツ残っていて、その庭園とかも一部が公開されているんですね。 -
平山氏庭園は、志布志麓の入り口のところ。
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武家屋敷の庭園なのですが、説明板によると庭園は江戸時代初期に作られた寺院庭園だとか。というのは、ここは古刹石峯寺の遺跡。明治の廃仏毀釈の後、平山家の住宅となったというのですね。
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イチオシ
裏に回ったところに現れまして、庭は大岩盤と切り立つ崖の景色。穏やかさはなくて一種の緊張感が漂います。
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少し奥に進んで、ここが志布志城跡の入り口。志布志城は、志布志麓の両側にそびえる山全体ですが、こちらは内城の方。
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それなりに整備されているというので途中まで上ってみます。
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しかし、城の周囲の索道は左右に崖が迫ってくる隘路になっていて、
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山は高くないにしても、この崖に囲まれた地形は防御に適したもの。
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その独特の地形を確認したところで折り返しました。
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志布志麓をさらに進んで、これは志布志麓の名水と言われる湧水。
漂泊の俳人、種田山頭火は、昭和5年、志布志に二泊し、46の句を詠んだとか。ということで、志布志の市街には山頭火句碑が複数ありまして、湧水の傍らにあるこの碑もその一つ。「飲まずには通れない 水がしたゝる」と刻まれています。 -
天水氏庭園は、志布志麓の一番奥の方。
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通りから石段を上がって邸内に入ると
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家屋の周辺の限られた場所に
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見事な枯山水の庭園が築かれていました。これは母屋から見る奥の庭ですが、
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イチオシ
意外にすごいのは、母屋の玄関の前に築かれた方の庭でしょう。
作庭は江戸時代の中期。自然の大岩盤の上に貝蝕された海石を築山状に石組みしたもの。限られたスペースを最大限に活用してちょっと箱庭のような雰囲気も感じます。 -
では、志布志の市街地を離れて、志布志港も訪ねます。
ここは太平洋に面した南九州の重要港。 -
大阪港との間にフェリーのさんふらわーが就航したりして、鹿児島港と比べると確かに地理的な優位性はあるのでしょうね。旅客待合室も普通にしっかりしているし、大型のフェリーが到着しても悠々と対応できるキャパを感じます。
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この日もさんふらわーが停泊していました。
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もう一つ、志布志市埋蔵文化財センターにも寄ってみます。
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縄文時代以降の発掘品の展示ほか
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イチオシ
ひときわ目を引くのは志布志城の巨大模型。さっき内城を少し散策したばかりですが、これほどダイナミックな城だったということが分かって、ちょっと感激。12世紀以降、救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏と次々と城主が変わり、攻防の城だったことも興味深いです。
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イチオシ
では、これから途中いくつか立ち寄りながらですが、鹿屋に向かいます。
道の駅 くにの松原おおさきで、まず目を引くのは入口にあるカブトムシのオブジェ。銀色の巨大なカブトムシが向き合って、これから戦闘開始といった態勢ですね。 -
施設としては、
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あすぱる大崎に物産館。
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レストランや温泉、宿泊施設を備えていて、かなり大規模。ただ、産直とかはちょっと弱いようにも感じます。
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横瀬古墳は、日本最南端の古墳群で、国の史跡。
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古墳時代中期の5世紀半ばに築かれた全長129m、高さ15.4mの巨大な前方後円墳がその中心です。水田の中にあって、円墳の部分のまあるい形が整っていて美しい。被葬者は中央政権から派遣されたかなりの権力者ではないかと推測されています。
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続いての志布志国家石油備蓄基地は、志布志湾の南側に築かれた人工島。橋を渡っていきましたが、門番がいてすぐに追い返されました。そういう意味ではこうして遠くから眺めるしかありませんね。オイルショックとかもありましたが、予期せぬ日本の危機に備えた施設。テロとかに合わないよう厳重な警戒は当然です。
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そのすぐ向かいにあるのが柏原海岸。海岸沿いには松原が続いていて、雰囲気もあるしけっこうな規模だと思います。ただ、海岸の砂浜は芝生の部も多いし、工事中の場所もあって、白砂青松とまではいきません。
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肝付町に入って。
やぶさめの里総合公園は、敷地内に温泉施設、高山温泉ドームもあったりする町の一大インフラ。 -
高山温泉ドームの方は2020年にリニューアルした温泉施設。スケールの大きな建物だし、インパクトがある豪快な印象がありますね。町民の健康促進のためにということでかなり力が入っている施設だと思います。
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公園は、芝生の広場から児童遊園の設備なんかもかなりよく整備されています。ただ、あまりにも大きすぎて、家族がこじんまりと楽しめるという感じではないかな。それに地元には自然も豊富だし、もしかするとそこまで重宝はされていないかもしれません。
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そして、是非訪れたかったのがこれ。肝付氏歴代の墓です。
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イチオシ
墓は、住宅地の隣りの土手のような高い場所にありましたが、ここはかつての盛光寺跡。盛光寺は、肝付氏第5代の兼石が文永9年(1272年)に、父の菩提所として創建した寺だったようですが、今はその形跡はありません。
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第8代兼重から第17代良兼まで、10代の城主が祀られていて、それ以外にも多数の石塔。ちなみに、肝付氏は地元の一大豪族として、島津氏と一時は和したり激しく争ったり。最終的には島津氏の家臣となって藩政時代を乗り切ります。
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二階堂家住宅も肝付町の見どころでしょう。
ここは、田中角栄の田中派の重鎮、二階堂進の旧宅。 -
二階堂進は、田中内閣で官房長官を勤め、その後自民党の幹事長に就任。田中派の一派を引き継いだ二階堂グループの領袖として、政界に重きをなしました。
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その政治家の記憶が濃すぎるきらいはありますが、この住宅は鹿児島県南部の民家の特色、オモテとナカエが直交する雁行型の寄棟造りの家であり、なんとも清々しい佇まい。
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座敷から眺める庭園もせせらぎをうがった石組をそのまま残して、見事な景色。
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イチオシ
松の緑がそれらを優しく包んで、
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いつまでも眺めていたくなるような気持ちになりました。素晴らしいと思います。
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建物は最後に確認。
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まだまだしっかりしていて
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いい感じ。
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全景も確認して、終了です。
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そろそろ鹿屋のエリアですね。
串良平和公園には、芝生の広場の中にある小山の上に白い慰霊塔。小山には「平和」の文字の植栽も。 -
これは串良基地から飛び立ち、戦死した特別攻撃隊員や一般攻撃隊員を祀るもの。串良基地では、約5,000人の飛行予科練習生が訓練を受けたということです。
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続いては、旧海軍航空隊串良基地地下壕第一電信室。
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地下の広い秘密基地は無人の施設で、
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自分で入って見学をします。
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施設の役割は、
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串良基地から飛び立った特別攻撃隊員が突撃前に送る電信を受信するというもの。
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つまり、特別攻撃隊員の最期をここで見届けたということですね。
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それにしても、ちょっとやるせない思いが湧いてきます。
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変わったところで、王子遺跡資料館は、国道220号線バイパス工事に伴い発掘された王子遺跡の出土品を展示した資料館。木造の建物だったのはちょっと意外でした。
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遺跡は、弥生時代の遺跡。建物内には竪穴住居跡や棟持柱付の掘立柱建物跡が展示されていて、けっこうな迫力。ただ、どういうところに価値があるのか等はよく分からない。数ある弥生時代の遺跡のひとつにすぎないかなとは思います。
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鹿屋城址は、広い駐車場とその先の山城のふもとにあたる場所に日本庭園のように美しく整備された一角がありましたが、全体の様子はよく分かりませんでした。
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ちなみに、この城は肝付氏の分家である鹿屋氏によって整備された城。後には島津家の重臣、伊集院氏によって改修されたということです。
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そして、いよいよですが、鹿屋航空基地史料館へ。
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鹿屋航空基地史料館は、海上自衛隊鹿屋航空基地の敷地内。
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まずは、海上自衛隊でかつて活躍した航空機の数々を屋外展示の方を拝見します。
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HSS-2A(ちどり)対潜哨戒機
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BELL-47(練習機)
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P-2J(対潜哨戒機)
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B-65クインエア(うみばと)練習機
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KM-2(練習機)
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P2V-7(おおわし)対潜哨戒機
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R4D-6Q(まなづる)多用機
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S2F-1(艦載用対潜哨戒機)
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SNB-4(練習機)
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T-31 (二式飛行艇)
日本海軍が使っていたものです。 -
イチオシ
雨ざらしの展示なので傷みはありますが、かつての雄姿を偲ぶには十分です。
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では、建物の中へ。
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玄関から
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入ってすぐのロビーでは
スタッフの方にさっそくお出迎えを受けました。 -
一階展示室に進むとさっそく東郷平八郎とか
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日本海軍の歴史に関連する展示が続きます。
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やはり、東郷平八郎は神様ですからね。
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海軍中佐広瀬武夫に
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江田島海軍兵学校。
それぞれ丁寧な展示です。 -
イチオシ
二階に上がると復元されたゼロ戦。間近で見ると意外な大きさに驚きます。
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積んでいた機銃も大きくて、なんだか不気味です。
そして、この先が特攻隊員の関係ですが、撮影は禁止。 -
続いては現代。
特攻隊の歴史は非情ですが、それに通じる精神は、今の救難活動とかにも同じようにつながっているということかな。 -
防衛力の整備も一朝一夕にはできないこと。たゆまぬ努力があってこそ築かれるというのも伝わってきます。
これで鹿屋航空基地史料館を終えてちょっとほっとしたような。。 -
しかし、ここからもう少し。
旧海軍鹿屋基地特攻隊戦没者慰霊塔は、小塚公園の中。小山の上にまっすぐに上がっていく赤い石段の先に建っています。 -
イチオシ
これは、昭和33年に鹿屋市が建立したもので、鹿屋基地から特別攻撃のため沖縄へ飛び立った908名の特攻隊員の御霊を祀っています。なお、公園には駐車場があるのかないのか。ずいぶん遠くに車を停めて訪ねました。
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桜花の碑は、鹿屋航空基地近くの野里国民学校跡地に建つ碑。
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ここには神雷特別攻撃隊の宿舎があったということで、碑はその隊員たちを祀るためのもの。ちなみに、神雷特別攻撃隊は、いわゆる人間爆弾「桜花」の部隊。航空機から切り離されて、後は敵艦に突っ込むだけ。生きて帰れる可能性はゼロ。通常の特攻隊以上に非情な覚悟を持った部隊だったと思います。
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鹿屋の最後はかのやばら園。
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ばら園は、鹿屋の丘陵部。
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ここが入口です。
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入定の際にバラの花は限られていますよというお断りもありましたが、まずはこんな感じ。
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バラの花は確かにまばらな感じですが
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遠くの山々を見渡せる開けた視界の丘陵はきれいに整備されていて、
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ピクニック気分で回れるのがいいところ。
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これはこれでちゃんと成り立っていると思います。
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中央部から
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温室の方は
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ちょっと華やか。
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まあまあがんばっていると思います。
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かのやばら園を出ると隣りには霧島ケ丘公園。
こちらもコスモスとか -
赤いそばの花が咲いていました。
ちょっと日が傾いてきて、気が焦ってきました。ここから鹿児島まで帰らないといけませんからね。 -
一路海岸沿いの道を通って、まずは桜島を目指します。寄り道もいくつかしますが、計画からするとちょっと省くところもありますね。
荒平天神は、海沿いを走る県道68号の脇。複数の車が駐車していて、すぐにそれと分かりました。
海岸から海に突き出した岩山に建立された菅原道真を祀る社。島に続く砂洲を歩いて島に渡ります。 -
社は岩山の上。岩場に上るロープもあって、ちょっと険しいですね。ここは下から覗いて終わりにしました。
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道の駅 たるみずはまびらは、垂水市の道の駅。鹿屋から県道68号線を帰ってくるともうすぐ桜島という辺りです。施設はけっこう大きくて立派なもの。
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売り場もさつまいもや大根など産直の野菜やみかん類なども豊富。
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とても活気を感じました。
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桜島に入りました。桜島は何度か来ていますが、鹿児島市の裏側の方は初めてですね。
原五社神社は、腹五社神社かな?
境内に大正3年に発生した桜島の大正大噴火の被災遺構、通称、黒神埋没鳥居がある神社です。 -
神社の参道に建っていた石造りの鳥居。3mのうち2mが埋没して上のところだけ見えています。逆に倒れなかったのも不思議なくらいです。
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イチオシ
そして、最後ぎりぎりになりましたが、湯之平展望所へ。
桜島にある展望所なんてどこも同じようなものだろうと思っていましたが、ここはちょっと特別ですね。だらだらとどこまでも続くような坂を上って行った先に、眼前に桜島の荒々しい山肌が現れました。 -
これは遠くから見ていた穏やかな姿ではなく、活発な火山活動で出来た正真正銘の危険な姿。多くの被害を出した山というのがリアルに実感されて、強烈なインパクト。ちょっと無理かなあと思いながら来ましたが、桜島はここに来ないとダメですね。大正解でした。
さて、予定していたフェリーにも間に合って、これで今日中に広島に帰れます。 -
新幹線に乗る前の晩飯は、みやま本舗。
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鹿児島の鶏料理専門店で、黒鶏を使った親子丼をいただきました。ここの親子丼ぶりは久しぶりに食べましたが、やっぱり肉のうまさがちゃんとあるし、つゆだくで卵がとろとろの仕上がりも悪くない。前回の印象はもう少しの感じだったのですが、今回は満足度が上がったような。やっぱり地元では有名なお店ですからね。これならOKです。
さて、以上で鹿児島の旅も無事終了。想像していたより充実の旅。鹿児島はちょっと遠いですけど、また来てもいいかなと思える旅になったような気がします。お疲れさまでした。
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